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午前2時40分、たったいまサッカーW杯準々決勝ドイツ対アルゼンチン戦がおわった。 始まる前、仕事をしていたのだが、どうしても見たくて制作を中止。アイスコーヒをたっぷり作って、TVの前にどっかり陣取りましたがな。と言っても、私ひとり。家人は寝てしまった。 さて、キックオフ。しかし前半戦は、まあ、5分5分というところ。ドイツのシュートは3度。これはすべてノー・ゴール。アルゼンチンはシュート無し。だからドイツに分がありそうなのだが、アルゼンチンはデフェンスがすばらしい。 そんなわけで、ハーフ・タイムに入ると、私は眠くなってきた。あまり面白い試合ではないなー、と思った矢先だった。後半戦開始4分、アルゼンチンのロベルト・アヤルタがコーナー・キックをヘッドで押し込んで先制点をあげた。その直後から俄然試合に動きがでてきた。ドイツの猛攻だ。しかし、やはりアルゼンチンのデフェンスは堅い。アルゼンチン陣営での激しい攻防がくりかえされる。アルゼンチンのファールで、ドイツにフリーキックをあたえてしまい、いざキックしようとしたときアルゼンチンのゴールキーパーに思いがけない故障が起った。すこし前の攻防戦で左脇腹を痛めたのが、どうやら戦いをつづけられそうもないほどらしい。結局、アルゼンチンはゴールキーパーを交替。交替した直後の35分、ドイツは13番が左サイドからキックしたボールを、18番がヘッドで受けてゴール前に入りこんだクローゼへ渡し、クローゼがやはりヘディングで押し込んだ。 試合は同点のまま後半戦を終了。決勝Tはノックダウン方式なので、15分の延長戦にはいるが、前半後半ともに決着がつかない。ついにPK戦に突入。 こうなるとドイツのゴールキーパーに一日の長があると見えた。アルゼンチン側のキッカーは完全に読まれてしまっていた。勝負はついた。4対2、ドイツの勝利! 午前3時45分からのイタリア対ウクライナ戦も見たいけれど、もう目がシブクていけない。寝床にダウンします。
Jun 30, 2006
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買い物がてら外出し、帰りに園芸店に寄った。バジリコとローズマリーをもとめるため。この二種のハーブは我家の必需品で、数年来、鉢植えにして重宝してきた。ところが今年の初め、東京に一夜にして15cmほどの積雪があった日、そのハーブが全滅してしまった。これまでは少々の冠雪があっても元気に育ってきたので、あるいは残った根から新芽を出すかもしれないと、枯れた鉢をそのままにしておいた。しかし、いつまで経っても芽は出ない。バジリコのほうは、根すら消えてしまった。ローズマリーのほうは、白く細い枯れ枝がいまだに無惨な姿をさらしているが、駄目なことは一目瞭然だ。 我家は皆、スパイスを利かせた料理を好むので、キッチンの棚には20種類くらいは常備している。ホワイト・ペパー、ブラック・ペパー、チリ・ペパー、パプリカ、クローブ、カルダモン、フェンネル、ナツメッグ、オールスパイス、チリパウダー、ペパーミント、スイートバジル、クミン、コリアンダー、ターメリック、バジル、ローレル、ドライ・パセリ、そして唐辛子や大蒜や八角、五香粉(ウーシャンフェン)や花椒塩(ホワジョウエン)。 しかし乾燥ハーブではどうしても気にいらず、新鮮な摘みたてがほしいのがローズマリーとバジリコなのである。 軍鶏や鶏肉を塩胡椒してローズマリーを巻き付けて、表面がパリッとするくらいバターで焼き上げるのは、簡単だけどすばらしくおいしい。あるいは、肉料理のつけ合わせにジャガイモを輪切りにして少々の塩で茹で、ホックリしたところで湯を切り、ローズマリーを加えたバターで軽くソテする。あるいはまた、パン粉にローズマリーの葉を混ぜ合わせてバターで狐色に炒め、軽く塩胡椒を振り入れ、湯で上げたジャガイモにまぶす。香ばしさが食欲をそそるつけ合わせとなる。 バジリコは夏の昼食に、手早く簡単につくる冷製パスタには欠かせないもの。スパゲッティーを茹でているあいだに、弱火で温めたヴァージン・オリーブオイルにニンニクのスライスを加えて香りづけし、さらに湯剥きしてザク切りにしたトマトとバジリコのみじん切りを加えて、良く撹拌してオリーブオイルを乳化させてソースをつくる。茹で上がったスパゲティーは手早く冷水で洗って冷まし、ソースで和え、パルメザン・チーズをふりかけて食べる。----いたって簡単、10分でできる。パスタが好きならきっとお気に入りの一品になるだろう。饂飩好きが麺そのものを味わうために素饂飩にする、あの感覚である。 と、そんなわけで、店員がビニール袋に入れた苗を持ちやすく工夫して手渡してくれたのをぶらさげて帰ってきた。持っているだけで、高い香りが漂って、少し酔ったような感じだった。 もう随分以前のことだが、スパイスが脳を活性化する効能についてTVで実験しているのを見た。たしか胡椒だったと思うが、香りをかぐとほとんど即座に脳が活発にはたらきだした。「受験生は、朝食に胡椒をふりかけたサラダや目玉焼きを食べると、試験場につくころには脳が活性化しているにちがいない」と言っていた。 フフフ、私も老化しつつある脳のために、次の日曜日の昼食は我が特性の冷製パスタといきますかな。
Jun 29, 2006
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四日後の7月2日は、この「山田維史の遊卵画廊」を開設して2周年目のいわば誕生日である。たちまち過ぎたようにも思うし、また仕事をしながらよくぞつづけてこれたとも思う。 すでに何度か述べてきたが、開設にあたっては大阪在住のシルフさんの慫慂と、また多忙な時間をさいて実務的な御助力もしていただいた。 インターネットで自作を掲載するというのは、それまでには、しかるべきサイトからのオファーには条件が整えば応じてきた。事実、何件もの作品掲載の依頼があった。しかし、私はどうしてもふんぎりがつかず、ただ一件の正式契約したサイト以外、すべての依頼をことわった。シルフさんのおすすめをそのまま即座に首是したのは、何度かメールをやりとりして感じたそのお人柄による。 私はいわゆるプロフェッショナルの画家。作品がのべつまくなく垂れ流しのように人目にさらされているのは、良いような悪いような。つまり、コレクターが嫌がるのだ。「目垢がつく」と言う。 一方で、私はイラストレーターとして、一作につき何千、何万というコピーを読者に提供してきた。私のなかにはすでにして矛盾があった。 シルフさんの提案は、画家としての私の全貌を見せてはどうかというものだった。なるほど、ウェブサイトのひとつの効用として、それは可能かもしれないと思った。そこで、できるだけたくさんの私に関する資料をシルフさんに送り、同時に画廊としての展示プランを示した。シルフさんは、「時間はかかるだろうが、じっくり作りあげてゆきましょう」と、私のプランの実現にとりかかってくれた。およそ300点の作品を一点一点スキャンし、アップしてゆく作業は、ほんとうに大変だったと思う。ただただ感謝するばかりである。 2年目に入るにあたって、実現できずにいることがある。近作や新作を展示できないこと。作品が大きいので、スタジオ撮影しなければならないからだ。これはブログのためには、費用や時間の関係で、当分は実現の見込みがない。したがって私の絵のテーマ、あるいは技法としては、すでに旧に属すものだけをご覧いただいている。ときどき日記のほうで、制作過程を書くのが関の山だ。 さて7月2日には、過日2万人アクセス達成のときのように、訪問してくださった方々のお名前を掲載しようと思っている。昼間、これまでのデータを整理した。忙しくて時間がつくれないので、お訪ねくださった方々のサイトへなかなか返礼ができない。常連のお客様のほかに、毎日新しいお客様をお迎えしている。お名前が残らないお客様も大変な数である。すべてのデータを保存しているわけではないので、脱落の失礼があるであろうが、できるだけ手をつくして掲載させていただくつもりだ。皆様、ありがとうございました。 オリヴァー・ストーン監督、トムクルーズ主演で『7月4日に生まれて』という映画がある。7月4日はアメリカ合衆国の独立記念日。そのタイトルに倣って、きょうのブログのタイトルは「7月2日に生まれて」。
Jun 28, 2006
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現代アート(コンテンポラリー・アート)の分野で、最も先鋭な活動を展開する、日本のアーチストの近作を収録した、画集『現代のアート』(朝日アーチスト出版刊)が刊行された。収録作家は133名(平面部門77名、立体部門36名、写真部門20名)。 私の作品はトップに掲載した『アダムとイヴの婚姻』。117cm×117cm。キャンバスに油彩と金属箔を使用している。年来のテーマ、「新アダムとイヴの誕生」シリーズの一点である。 私はこの作品において、さまざまな試みをした。まかりまちがうと通俗に堕しかねないキッチュぎりぎりの絵柄を、幾何学的なラインで構成することでまとめあげた。それはまた、装飾的でありデザイン的でもあるが、依然として写実画の系譜につらなる描写性をもたせている。デザイン的であるぶん平面的でもあるのだが、右下から左上に向うわずかな遠近法が用いられている。しかし視点はその遠近法上にあるのではなく、画面を離れた手前の空間に浮遊している。それは中央に置かれた林檎を見る角度によって示した。つまり、この古典的とも見える絵は、視点がさまざまな所にあり、一定していないのだ。そこに私の世界認識の哲学がほんの少しひらいている。 そのほかにも象徴的意匠が画面のなかにちらばっているのだけれど、それらはご覧くださる方々の発見におまかせしよう。この『アダムとイヴの婚姻』はある意味で、とてもゲーム性のつよい作品と言えるかもしれない。 カバー絵:奈良美智「Eve of Destruction」『現代のアート』 A4判(30.5cm×22cm)、定価5,500円(税込み)【お問合せ先】 朝日アーティスト出版 〒151-0071 東京都渋谷区本町4-11-8 スリースターズA306 電話03(5333)1227, FAX03(5333)1228
Jun 27, 2006
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降ったり止んだりの天候がつづく。鉢植えの百合が花の盛りをすぎて、ひとしきり強い雨がザッと降ると、おおきな花弁をポトリポトリと落としている。3年前に園芸店から球根で買いもとめた。初年度の花はいささかひ弱な感じだったが、2年3年と経って、丈70cm、花冠も10~12cmのみごとなものを咲かせるようになった。種名はなんというのだったか。何とかエンペラー。たしかそんな名だった。黄色い花である。園芸種なので、いわゆる種苗家が勝手につけた名だろう。たぶん「コネチカット・レモングロウ」か、その改良型の「オレンジ・ポット・スター」をさらに改良したものかもしれない。 寛永15年(1638)頃に出版された『毛吹草』という書物がある。松江維舟重頼(通称、大文字屋治右衛門)が編纂した俳諧書である。岩波文庫に入っていて、私はもう35年も昔に買ったものだが、いまでもたまに拾い読みする。まとまった文章が書かれているわけではない。季寄せのように、春夏秋冬の詞とか恋の詞をあつめ、あるいは諸国名物をつらね、連歌や俳諧句をあつめている。 じつはさきほども、この『毛吹草』を寝転がりながら繰っていた。 夏の部、「百合」に私の好きな句がある。 鬼百合の花の籬(まがき)や羅生門 作者不知 羅生門は本来は「羅城門」が正しい。都をとりかこむ城壁にうがたれた門のことである。それが仏教的に、人生にめぐらされた此岸と彼岸との境界におかれた門という意味に象徴的に転化した。現代の私たちにとっては、芥川龍之介の『羅生門』が、その言葉を今に生きたものにしているにちがいない。もちろんこれを原作とする黒澤明監督の映画『羅生門』も、ともに。 上の句は、この世に生をうけて修羅のごとき人生を、鬼百合の籬が囲繞(いにょう)しているイメージとしてとらえているのであろう。美しくも荒々しく無惨な感じがする。鬼百合は「他者」ではなく、修羅の人、その姿であるかもしれない。虚空にむかって声なき声を叫んでいるような、慟哭の印象がある。だが、それをさらりと言い流した。----作者が分らないところがいい。 黒澤映画の『羅生門』は、ドシャブリの雨のなかに煙っていた。その雨に、作者不詳の一句が重なり、さらに我家の庭の百合が雨にうたれて散っているのが重なってくる。
Jun 26, 2006
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八百屋の店先に枇杷を詰めた箱がならんでいた。 高僧も爺で坐しぬ枇杷を食す 虚子 高浜虚子の句である。なかなか辛辣な観察のようだが、「高僧」と言っているけれど虚子自身のことかもしれない。虚子が亡くなったのは83歳のときだから、わりあい長生きをした。老人には老人のすがたがよく分る。庭のたわわな枇杷を笊に採って、井戸端でざっと水をかけ、通りすがりの老僧を呼びとめたか。 以前住んでいた家には枇杷の大木が一本あった。この季節になると千もの実をつけた。鳥がやってきて屋根の上でうまそうに食べる。庭一面が半欠けの実や吐き出した種で埋まった。 古いこうもり傘をひろげて枝にぶらさげ、棹で実を落とし、枇杷酒をつくった。作り方は梅酒と同じ、ただレモンの輪切りを2,3個分ほど入れる。一ヶ月ほどでそれは取出す。ガラス製のジャーに3本ほどつくるのだが、ほぼ同じ時期に梅酒もつくるので、キッチンの戸棚は果実酒がずらりと並ぶことになる。弟の家にも持たせてやった。 しかし、私はここ20年ばかりほとんど酒類を口にしなくなったので、つくった果実酒はそのまま戸棚の中で眠っていた。今の家に引越したときに見てみると、15年くらい経っているものもあった。すばらしい琥珀色になっていた。しばらくぶりでショットグラスに注いで、家中皆で飲んだ。引越しの手伝いにやってきた弟にも、また持たせてやった。それでもまだ10本ぐらいあった。それらはいまだに戸棚の下で深い眠りについている。 枇杷でジャムもつくってみたが、こちらはあまり上手にできなかった。枇杷そのものにはジャムのトロミとなるペクチンの含有が少ないので、レモンの皮などを加えなければならない。その加減がわからずに、林檎ジャムをつくるときのようなつもりで煮詰めた。結局、食べていたのは私一人だった。 多摩川土手のサイクリング・ロードは、登戸から日野石田あたりまでつづく。少しとぎれて一般道を経由すると、そのさき昭島までゆくことができる。そのサイクリング・ロード沿いの家々の庭には意外に多くの枇杷の木があって、この季節、その黄金に輝くたくさんの実を見やりながら自転車を走らせるのはなかなか楽しい。「揺りかごの上に、枇杷の実がゆれるよ。ねんねこ、ねんねこ、ねんねこよ」(北原白秋作詞、草川信作曲) ついつい大きな声で歌いながら自転車を走らせることになる。私は元気な爺。 さて、結構な値段の枇杷のひと箱を買い、ぶらぶら歩きながら、近所の大型古書店に寄った。例によって母のための本の買い出し。 先日買い与えた『散華---紫式部の生涯』(上下巻)を読み終わっていないらしいが、もう少しでそれも読了すると言う。この『散華』は、平安時代の宮廷の位階など、歴史的な事柄が頻出するので、いつもは大変なスピードで読んでしまう母も、さすがに手こずっているらしい。読み始めには、何度か、それらややっこしい位階や人名の読み方などの説明をさせられたので、マズイ小説を与えてしまったなと思っていた。しかしそのうち説明をもとめられることもなくなり、もう2週間以上もとっくんでいるのだった。 きょうは次の本を購入した。 早坂暁『華日記----昭和生け花戦国史』 杉本苑子『伯爵夫人の肖像』 南原幹雄『江戸吉凶帳』 出口保夫『ロンドン塔----光と影の九百年』 最後の『ロンドン塔』は私自身のため。家に帰り、さっそく読みはじめると、これが滅法おもしろい。新書版の本なので、記述は簡略的なのだが、すいすい読めるからついつい仕事を放り出して読んでしまった。爺、坐して枇杷食いながら。----
Jun 25, 2006
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詩人で縄文美術評論家の宗左近氏が去る19日未明に亡くなったという。享年87歳。 私にとっては、詩人・宗左近(そうさこん)というより、大学初年度のフランス語の古賀照一教授である。 クラスにはすでに高校時代からフランス語をやっていた級友もいたが、私はまるで初めてだった。つまり赤ん坊の状態だったのだが、古賀先生の授業は教養課程とはいえ、私には相当上級であった。先生の教え方は理屈より慣れろというふうで、教室に汗だくで駆け込むように入っておいでになると、いきなり「直接法現在、プレザン・デ・ランディカティフ、エートル」と、くぐもったような、それでいて通るような声でおっしゃる。そして、口早に「ジュ・エ、チュ・エ、イレ、ヌ・ゾン、ヴゼ、イルザン」とやる。つまり英語でいうBe動詞の現在型変化。「je e, tu es, il e, nous ons, vous es, ils ent」 私はただただ呆気にとられるだけ。先生の額は、年がら年中、汗がしたたっていた。それをハンカチで拭いながら、つづいてアルフォンス・ドーデの『アルルの女』の読解に移って行く。私は家で逐語訳のように、というより一単語一単語を辞書で調べながら、フランス語を読むというより自分の日本語力で意味の通る文章にしたてて授業にのぞんでいた。----まあ、こんなふうではものになるはずがない。先生の様子を観察するだけで教養課程を終わってしまったのだった。たぶんそのせいで、43年後の現在でも、古賀照一教授の汗だくの風貌はまるで昨日のことのように蘇ってくる。 その古賀照一教授が、詩人・宗左近であることを知ったのは、じつは大学卒業後のことであった。1968年、詩集『炎える母』で歴程賞を受賞したその人が、あの「ジュエ、チュエ、イレ」だった。 この詩集は昭和20年3月10日の東京大空襲で、炎をかぶって燃える母親を見捨てなければならなかった先生の慟哭の歌であり、鎮魂の詩である。日本の現代詩のなかで凄惨な異彩を放つこのような詩を、私は他に峠三吉の原爆詩集以外に知らない。 大学で、まるで駆けるように歩いておられた古賀先生は、あの頃おそらく『炎える母』の執筆のまっさいちゅうだったのではあるまいか。私は歴程賞受賞を報じる新聞記事を見ながらそう思った。いや、思ったというより、気づいたのである。私のようなボンクラ学生を相手に虚しい時間を消費している訳には行かなかったに違いない。授業中に、なんだか不思議な思いで先生の様子を観察していた日々を、私はゆくりなくも思いだしたのだった。 戦争で亡くなった人々を追悼し、鎮魂のための詩を書きつづけられた宗左近こと古賀照一先生の御冥福を祈る。
Jun 24, 2006
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惨敗でしたナー。w杯、対ブラジル戦のことですが。 前半34分で玉田が先制点ゴールをしたときは、思わず「オオッ?!?!」と声をあげてしまったが、アディッショナル・タイムに入ったとたんに同点ゴールをゆるしてしまい、その後の試合はもうボールに触らせてももらえないと言う具合。日本チームがここにいることさえ不思議というような技量の差を感じたのは私だけではあるまい。後が無いというより、どうみても日本が4点5点の追加点はむりな段階にはいっても、まったく攻撃体勢をとらない。しゃにむに突っかかって行く度胸がない。いくらブラジルのガードが堅いからといって、縦パスを出せない、ドリブルで突っ込んで行くことがまったくない。ロング・パスもスルー・パスも見当違いばかり。敵の胸のなかにパスを送っているようなもの。あるいは、せっかくのシュート・チャンスがつくれても、ボールを一旦足許に溜めている。速攻のための身体的キレがない。そのうちにブラジルがデフェンス・ラインをつくってしまっている。ロナウジーニョとかロナウドを見ていると、速攻速攻。ドリブルで怒濤のようにゴールへ走り込むは、走りながらシュートをするわ。目が瞬時もボールから離れず、ヒール・キックでパスをするわ。口惜しいことに、楽しそうに笑いながらやっているんだね、そういう妙技を。 日本チームは、攻撃にしろ守備にしろ試合中のラインつくりがヘタ。しかもスペースがそういうガラ空き状態のときの選手たちの身体や視線の方向を見ていると、てんでんばらばら。空いているスペースに走り込む者もいない。これがブラジル・チームの場合、じつに緻密なスペースつくりをしている。 これができるのは各人の能力かもしれないが、試合の猛烈な速度のなかで、頭のなかに全体状況と自分の現ポジションをイメージとして把握し、戦術として組み立てられるかどうかということだろう。戦術を組み立てるというのは、チーム・プレイとしてのアウンの呼吸。個人の能力を、一瞬の判断で、如何に全体性のなかにアダプトできるかということだ。 このことは、どんなスポーツ競技にもいえることではあるが、とくにサッカーの場合はバトル・スペースが格段に広く、また試合時間も長い。アメリカン・フットボールのように途中でスクラムを組ん戦術体勢を整えるというシステムもない。45分間というもの、ひとり戦場に放たれた兵士は「テレパシー」を頼りに味方との連繋をたもっているようなものだ。そこがサッカーの面白いところだ。頭脳的と肉体的と、そして想像力(イマジネイティヴ・パワー)と創造力(クリエイティヴ・パワー)とが要求され、どれひとつが欠けても満足なゲームはできない。少なくとも国際競技としてのサッカーは、そういうものだ。 日本チーム再生の課題は、それら基本にある四つの要素を過不足なく高めてゆくことだろうが、しかし、それをシステマライズできるのかどうか。たとえば、新しい監督が就任すると、一般のファンのあいだに姦しい賛否両論の声があがるのは致し方がないし、そんな姦しさもサッカーを盛りたててゆくことになる。しかし、サッカー協会内やサッカー解説者として影響力あるような人物が、なんとなくさもし気に横やりを入れたり、足をひっぱるような発言をするのはどうか。そんなことをやっていては、現代スポーツとしての指導理論とその「科学的」システム化とに支障を来すことはまちがいない。「サムライ・ジャパン」ではダメなのだ。国際競技のピッチにカミカゼなんか吹きはしないのだから。 惨敗の対ブラジル戦をTV観戦して、私はそんなことを思った。
Jun 23, 2006
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いよいよ4時間後に、サッカーW杯の対ブラジル戦がキックオフ。サッカー・ファンのみなさん、いかがおすごしですか? やっぱりライヴ中継を観戦するでしょうね、録画でなくて。私もそうしようと、昼間のうちに仕事をせっせとしておきましたよ。そのせいで、少し疲れて、今は少し眠いンですがね。キックオフまで仮眠しようか、また絵を描きはじめようかと、キャンバスを睨んでいるところ。筆をふるっていれば、眠気もとれるかもしれない。 とにかく、4時間後、テレビの前でお会いしましょう。難しい戦いが予想されるとはいえ、やはり日本チームの善戦を期待して----。
Jun 22, 2006
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日本映画のベストテン選出は、いろいろなところで各方面の方々がおこなっている。したがって評価がほぼ定まっていて、あまり面白味はないのだが、いざ自分が選ぼうとするとやはり迷うものだ。 そこで私は、ひとつ条件をつけてみることにした。一監督一作品にすること。順位をつけるのではなく、私の大切な日本映画ということで制作年代順にならべる。10本はいかにも辛いから、ベスト20とする。 それではいきなり行ってしまいます。 私の日本映画ベスト20 1、木下恵介『陸軍』1944 2、溝口健二『西鶴一代女』1952 3、小津安二郎『東京物語』1953 4、本多猪四郎『ゴジラ』1954 5、市川崑『ビルマの竪琴』1956(安井昌二主演) 6、川島雄三『幕末太陽伝』1957 7、新藤兼人『裸の島』1960 8、今村昌平『豚と軍艦』1960 9、黒澤明『用心棒』1961 10、工藤栄一『十三人の刺客』1963 11、内田吐夢『飢餓海峡』1965 12、岡本喜八『肉弾』 13、大島渚『愛の亡霊』1978 14、川島透『竜二』1983 15、森田芳光『家族ゲーム』1983 16、伊丹十三『お葬式』1984 17、滝田洋二郎『コミック雑誌なんかいらない!』1986 18、小川紳介『1000年刻みの日時計、牧野村物語』1987 19、原一男『ゆきゆきて、神軍』1987 20、北野武『その男、凶暴につき』1989 一監督一作という条件を取り払うと、随分入れ替わってしまう。ワン・シーンが歳月に色褪せず強烈に記憶されている映画をあつめると、これもまたガラガラと変わる。そういうシーンがあるというのも名作の条件であろう。 しかし、ともかくこうして選出してみると、われながらニンマリしてしまう。日本映画も素敵だなと、嬉しさが胸にひろがる。解説をするつもりはないが、この中で、たとえば『飢餓海峡』は主演の三国連太郎ではなく伴淳三郎であるし、『コミック雑誌なんかいらない!』は、ひとえに内田祐也のすばらしさだ。また、『ビルマの竪琴』は市川監督自身が1985年にリメイクしているが、これは駄作。戦争に対する意識が全然ちがう。せっかくのすばらしい旧作に対する愚かしい企画だった。ここにあげたのはあくまで1956年の安井昌二主演作である。『1000年刻みの日時計、牧野村物語』と『ゆきゆきて、神軍』を劇映画のなかにならべるのは、いささか気がひけるけれど、まあ、凡百の劇映画作家はこの2作品の前に憤死すべきと考えた。ここに選んだ私の20本は、幼稚さを唯々諾々として野放しにしている日本映画界の今日的状況を鑑みるとき、まさに大人の鑑賞に耐える作品群なのだ。
Jun 21, 2006
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サミー・デイヴィスJnr.の映画好きは桁外れで、映画狂といったほうがよいようだ。自分でもそんな表現をしている。なにしろモノ本のプリント・フィルムをコレクションするばかりでなく、旅行先までお気に入りを運んでホテルで上映しているというのだから恐れ入る。 彼の著書“Hollywood in a Suitcase”(邦訳:ハリウッドをカバンにつめて:早川文庫)は、映画ファンにはたまらないとびっきり面白い話がつめられている。その中に、アチラの映画狂というのはこういうものかという、ビックリするような例として、ハワード・ヒューズ監督のエピソードが書かれている。ヒューズ監督は、ジョン・ウェインとスーザン・ヘイワードが主演した『征服者』(1956)が、たいそう気に入ったのだそうだ。というのも、この映画、脚本がばかばかしく、ジョン・ウェインが言うことを聞かない花嫁にしょっちゅう大声で文句を言う場面がでてくる。そして、ウェインがスーザン・ヘイワードに、「怒ってるときのきみは綺麗だねえ」と言う、そのセリフを聞くのを一人占めするためにハワード・ヒューズは、『征服者』のすべてのプリントを600万ドルで買い占めた。したがってこの映画はテレビ放映されることはないのだそうだ。ヒューズ家が許可しない限り! いやはや、もう言葉がでない。私は今日、期間限定の廉価版のフェリーニの『サテリコン』を見つけて、喜んで買ってきたが、そんなこと書く気もしなくなる。 ところで、『ハリウッドをカバンにつめて』には、サミー・デイヴィスの「映画史上のベスト・テン」がニ章にわたって出て来る。いや、じつはそれを決めかねているのだ。あれもこれも、見るべきこと言うべきことがありすぎて、ざっと40数本のタイトルをあげるしまつ。章を変えてもそれはつづき、やはり45本を超えてしまう。 そしてついに決定したのが次の10タイトル。 1、『男の敵』(1935) 2、『進め竜騎兵』 3、『駅馬車』 4、『カサブランカ』 5、『錨を上げて』 6、『赤い河』 7、『スタア誕生』 8、『サイコ』 9、『ハスラー』 10、『吸血鬼ドラキュラ』(1958,ピーター・カッシング、クリストファー・リー主演) このサミーの選択、なるほどという気もするけれど、意外な気もする。迷いに迷って、一番好きな作品をかえって切り捨ててしまったのかもしれない。『革命児サパタ』と『ハスラー』、どうしてこの2作から選べるのだ、というわけだ。 映画評論家の山田宏一氏とイラストレーターであり映画作家でもある和田誠氏が対談した、『たかが映画じゃないか』(文春文庫)はこんなふうに始まる。 Y「いちばん好きな映画は、なんてきかれて困ることがあるでしょ。」 W「困るよ。ベストテンも困る。」 Y「われわれにとっては---映画ファンにとっては、ベストテンというんじゃなくて、ベストワンが何本もあるわけだよね。」 W「その日のベストワン。(笑)」 まったくそのとおり。 しかし、無理は承知、道理もひっこめて、私の試案をつくってみよう。 私の外国映画ベスト10 1、カレル・ゼマン『悪魔の発明』 2、セルゲイ・エイゼンシュテイン『イワン雷帝』 3、イングマール・ベルイマン『ファニーとアレクサンデル』 4、ルキーノ・ヴィスコンティ『イノセント』 5、リンゼイ・アンダーソン『八月の鯨』 6、アルフレッド・ヒッチコック『サイコ』 7、ロバート・オルドリッチ『何がジェーンに起ったか?』 8、ビリー・ワイルダー『情婦』 9、アイザック・ディネーセン『バベットの晩餐会』 10、ロマン・ポランスキー『水の中のナイフ』 しかたなく落とした番外作 ビリー・ワイルダー『サンセット大通り』 ヒッチコック『裏窓』『めまい』『鳥』 マルコ・フェレッリ『最後の晩餐』 ルイス・ブニュエル『小間使の日記』 この調子だと、サミーのように、20本30本と増えていってしまう。和田誠氏ではないが、きょうのベストテンということに、とりあえずしておこう。
Jun 20, 2006
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小説好きな人なら、一度は自分の選ぶベスト・テンを考えたことがあるにちがいない。私も装丁の仕事をやりながら、自分の好きな小説だけを集めて1冊の本にしたらどんなに嬉しいだろうと夢想することがある。推理小説が好きな方なら、たとえばエラリー・クイーンの「ベスト10試案」は有名だから御存知であろうし、その4年後の1950年にEQMM誌が12人の作家・評論家の投票で選んだ「ベスト12」というのもある。また、それらに倣うように江戸川乱歩の2種のベスト10も有名だ。2種というのは、「謎の構成に重きをおくもの」と「奇妙な味に重きをおく場合」とである。 ちなみにクイーンのベスト10試案は次のとおり 1、ポオ『ぬすまれた手紙』 2、ドイル『赤髪組合』 3、チェスタトン『秘密の庭』 4、ポースト『ズームドルフ事件』 5、フリーマン『暗号錠』 6、フットレル『13号独房の問題』 7、バークリー『偶然の審判』 8、ダンセイニ『二びんのソース』 9、バー『放心家組合』 10、バーク『オッタモール氏の手』 また、江戸川乱歩の「謎の構成---」ベスト10は以下のとおり。 1、ポオ『モルグ街の殺人』 2、ドイル『口の曲がった男』 3、フリーマン『オスカー・ブロドスキー事件』 4、モリスン『レントン館盗難事件』 5、ブラマ『ブルックベンド家の惨劇』 6、ポースト『ズームドルフ事件』 7、チェスタトン『見えない人』 8、フットレル『13号独房の問題』 9、ジェプスン&ユーステス『茶の葉』 10、ノックス『密室の行者』 (以上は、いずれも東京創元社江戸川乱歩編『世界短篇傑作集1』の序による。) さて、自分好みのアンソロジーを編むという夢想は楽しいけれど、一方、なんだか裸を見られるような恥ずかしさがある。画家として、モデルの裸には冷徹な目をむけるくせに、己の趣味嗜好があからさまになるのは躊躇いがある。読書傾向というのはそういうものだ。 しかし今日はその躊躇を脇において、日本の短篇小説「私のベスト10」をならべてみることにする。ジャンルは限定しないが、あえて言うなら、人間の心の深淵をほとんど狂気にちかい姿でとらえた作品を選ぶことにする。順位はつけられないので、著者名のアイウエオ順。あえて解説はつけない。 1、赤江瀑『ニジンスキーの手』 2、内田百ケン『蘭陵王入陣曲』 (注;ケンという文字は門がまえに月) 3、大坪砂男『雪』 4、川端康成『弓浦市』 5、永井龍男『青梅雨』 6、花輪莞爾『お穴様の村』 7、藤本義一『鬼の詩』 8、松本清張『雨』 9、吉行淳之介『鞄の中身』 10、 10番目、----これは空けておこうかな。 昔、学生の頃、泉鏡花『歌行灯』の文庫版の表紙を取り除いて、自分で装丁しなおしたことがあったけれど、このアンソロジー、さてどんな装丁にしたらよいだろう。夢想はあれこれ果てしなくひろがる。
Jun 19, 2006
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W杯、対クロアチア戦がいまさっき終了した。0:0の引き分け。次の対ブラジル戦にわずかな望みをつないだが、以前F組の最下位にいる。このあと午前1時にキックオフのオーストラリア対ブラジル戦の結果も気になるが、しかしオーストラリアはすでに勝ち点6をあげての暫定一位。ブラジル戦に敗れても、大量得点差にならないかぎりほぼ決勝Tへの進出が決まったようなもの。日本としてはブラジルに勝つことしか道はない(はず)。 対クロアチア戦は善戦したと評価してもよいだろう。PKを与えてしまったときは川口がよく凌いだし、中沢も高さの違いをのりこえ競り勝っていた。ただ、ボールのキープ量はクロアチアが断然多かった。コーナーキックの数もクロアチアが多い。日本チームにどんな欠点があったのか、私には見抜けなかったが、シュート・チャンスのこぼれ玉を押し込むための身体の切り替えが遅いように見受けられた。つまり味方がシュート体勢に入った一瞬に、こぼれ玉を予想して前につっこんで行く者がいてもいいはずだ。まあ、それも岡目八目なことは承知している。それにしても宮本の次戦への出場停止は痛い。 さて、もう3分でオーストラリア対ブラジルの戦いが始まる。やはりこちらの勝敗の行方も気になる。
Jun 18, 2006
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いよいよ今夜だ。対クロアチア戦。攻撃型のチームに対して、日本チームは小笠原を投入して4バックで戦うようだ。2戦目にして現在F組最下位のわが日本チームとしては、文字どおり後が無いといってもいいかもしれない。私は楽天家(脳天気と言ってください)で、普段からマイナス思考がないのだが、現実は現実だからね。ウーン、キックオフの時間が待ち遠しいけれど、なんだか不安なドキドキ感だな。みなさん! どないしてますねん!?
Jun 18, 2006
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私の最初の映画の記憶は美空ひばり主演の『悲しき口笛』(1949年)と『牛若丸』(1952年)とであることは、以前このブログに書いた。制作年に3年のへだたりがあるが、昭和27、8年頃にほぼ同時に見た。地方の山村の公民館で上映されたので、美空ひばり年譜にある公開年度とは異なる。私にとって美空ひばりは歌手の前に映画女優であった。 歌手美空ひばりをひとりの偉大な「芸術家」として意識するようになったのは、ずっと後のことである。そしてその時のことを不思議なほど鮮明に記憶している。昭和40年、彼女が『柔』でレコード大賞を受賞した。そのTVインタビューを私はたまたま学生下宿の隣の一膳飯屋で見ていた。カレー南蛮だったか豚汁定食だったかを食べながら。 「ハヒフヘホが難しいのね」と彼女は言った。そして「ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ」と発音してみせた。『柔』の歌詞の2番に、「行くも止るも、坐るも臥すも」とある。その「臥(フ)す」が、明瞭な言葉と音にならないのだと言う。美空ひばりもインタビューアーも笑っていたが、私は、これはもしかしたら、彼女はただならぬことを言っているかもしれないと思った。私が美空ひばりの歌唱法に関心をいだくようになったきっかけだった。 じつはさきほどまでBS2で、「永遠の歌姫 美空ひばり」を見ていた。ことしは美空ひばりが亡くなって17年目にあたる。6月23日が命日だから、仏教の慣習では17回忌という特別な節目。それにあわせた番組であろう。全60曲を3時間半にわたって放送した。私は夕食後のひと休みに、ちょっと見るつもりが、結局おしまいまで見てしまった。先日、越路吹雪について書き、そのなかで歌詞に血肉をあたえることができるたった二人の歌手として、越路吹雪と美空ひばりの名前をあげたばかりである。 TVを見ながら内心で驚いたのだが、私は彼女がうたった60曲のうち20曲は完全にうたえるのだった。60曲といっても、NHKらしい八方美人のだらしない編集をしているので、同じ曲、同じVTRが2度3度と繰り返され、また他人の持ち歌も披露されたので、実質は50曲程度だったろう。その半分とまではいかないが、ほぼそれに近い数をうたえたのである。私はカラオケ・ルームに行くことはないし、普段歌謡曲を聴くこともない。私が育った家庭環境も歌謡曲が流れてはいなかったので、美空ひばりの歌がうたえるというのは、いつのまにか耳に入っていたものを記憶してしまっていたことになる。私は美空ひばりのレコードもCDも、一枚も所持していないのだから。つまり彼女の歌は、聴く気がない者にさへ確実にメッセージを送るということだろう。 彼女の歌唱について身をいれて研究したいと思っている。そのためには、全曲集とは言わないまでも、100曲くらい収録されたCDは必要だろう。 私はうすうすながら、美空ひばりがいわゆる知識人を自称するひとたちから軽蔑にちかい扱いを受けていると感じている。私が出演したあるトークショーで、実際に経験していることである。身体論の関係で、私は能楽師の発声法と美空ひばりの発声法にある種の共通性がみられることを指摘したことがあった。背筋の使い方と瞬間的に「気」を発する、要するに腰の使い方である。美空ひばりの名を出したとたんに、「何を言いやがる」という空気が流れた。あんなものと能楽を同列に論じようというのか、と。 いやはや頭の悪い知識人はたくさんいるのだ。美空ひばりの「芸」を理解できなくては、日本芸能史なんて分るはずがないのだから。庶民性というより、もっと卑賎なものやヤクザな部分、あるいは彼女自身がうたっているように「踏まれても踏まれても生き抜く」逞しさ、ふてぶてしさ、悲しさ、泣き笑い----芸能がどのような心身に成立するか、日本芸能史をちょいと齧った者ならすぐに気が付くはずだ。それが分れば、「芸は身をたすく」ということの真の意味が分るはず。日本国中、老いも若きも、子供までカラオケに熱中するというのは、日本という国が哀しいからですよ。そういう日本の芸道を、美空ひばりは一身に体現しているのだ。 そこに気がつき自己の存在の矛盾に苦しみ、挙句の果てに美空ひばりを「大嫌い」と公言して憚らなかったのが淡谷のり子だ。彼女が「おしゃれ」だと思って指向したシャンソンは、越路吹雪が日本語に執着し、日本語でシャンソンをうたうことに賭けたのとも異なり、日本の芸道においては、きつい言い方だが、ついにニセモノのシャンソンでしかなかったのだから。私は淡谷のり子を貶めるつもりはない。日本社会のどうしようもないような惨じめさに対して、彼女ほど意志的に抵抗した芸能者もいないかもしれない。ここで詳しく述べる余裕はないが、しかし、それを彼女は「好き嫌い」でとおしてしまった。そのために彼女の堅固な意志も文化的な影響をおよぼすにはいたらなかった。世界は、否、日本文化すら、個人の好き嫌いの範疇には何ほどもおさまらないのである。好悪というのは「すがすがしさ」というより、むしろ無理解なのである。それはエセ知識人が美空ひばりを軽侮するのと何等変りはない。 「芸」として美空ひばりの歌をみてゆくと、たとえば『悲しい酒』は最初のレコード吹き込みでは作曲者古賀政男の指示どおりのテンポであったが(今日のTVでもそれを確認できた)、次第に音楽としてあわや不成立寸前のきわめて遅いテンポになっている。これは彼女自身の内的緊張の持続が音楽を成立させているのであって、じつのところすでに楽理的音楽は破綻しているのだ。「芸」以外のなにものでもない。のみならず、歌詞の2番に入るときに、およそ半拍遅れてうたいだすのである。そしてその遅れがドラマを生むのだ。まことに恐るべしだ。歌詞がまるで彼女自身の人生を語っているかのような。彼女の目に涙があふれ、頬をつたう(この彼女の涙は有名になってしまい、聴衆はいまや遅しとこの涙をまっている。そして彼女はその期待を決して裏切らない)。泣きながらうたうことは、人間の情動生理の問題としてほとんど不可能なのだが、つまり音程が狂ってしまうのがオチなのだが、美空ひばりは完璧にうたいきってしまう。ここにも「芸」がある。 美空ひばりは、いわゆる地声と裏声(ファルセット)がごく自然に移り変る特異な声の持主だ。作曲家の船村徹氏は、この彼女の特徴に惹かれていたのではあるまいか。『哀愁波止場』や『ひばりの佐渡情話』は、ほとんどの部分をファルセットでうたいきらなければならない曲である。 ことに船村氏は、『哀愁波止場』で岸壁に打ち寄せる波のうねりを表現している。美空ひばりはこの波のうねりをファルセットによるクレシェンド(<)・デクレシェンド(>)で見事に表現している。この曲をカヴァーしている他の歌手の歌唱と比較すると、それがよくわかる。 また、『ひばりの佐渡情話』は曲の構成が凝りに凝った難曲である。船村氏は美空ひばりの技量に対してこれでもかこれでもかと言うように、音楽的、芸術的な挑戦をしているように見受けられる。美空ひばりとの共同作業がおもしろくてたまらないように。それは美空ひばりの最後から2番目の曲となった『みだれ髪』においても言える。 『みだれ髪』は星野哲郎氏の詩もすばらしい。すくなくとも歌謡曲の歌詞として、日本語の豊かさをこんなに感じるのも最近ではめずらしくなっている。若い人にはもう昔のことになっているだろうが、チェッカーズのデビュー曲の「ギザギザハート」などという言葉にも私は嬉しくなってしまうけれど、「投げてとどかぬ想いの糸が、胸に絡んで涙をしぼる」とか、「春は一重に巻いた帯、三重に巻いても余る秋」なんて、英語じゃ表現できないのじゃないか。すくなくとも「詩」にはならないだろう。 美空ひばり歌唱論をやってみたいとは前述したが、しかしそれに踏み切れないのは、私は結局、一度もナマのステージに接することができなかったからだ。ナマで見ていないようでは論じる資格は半減する。芸能者の真の力というのは、劇場の名状しがたいあの不思議なウナリ、----地鳴りのようなトヨモシを起すことができるか否かで分るのだ。美空ひばりを見ておかなかったのは返す返すも残念だ。
Jun 17, 2006
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二日後(18日)の対クロアチア戦をゆっくり見るために、毎日もくもくと仕事をしている。背筋や腰が凝ってくるので、その予防のために奇妙な物を腰にとりつけた。古くなったので交換した真鍮製のドア・ノブである。 エッ?と思われたかもしれない。そう、車の両輪のようなドアの把手を、腰にくくりつけているのだ。新しい物と交換後、このノブは絵の制作のための道具として使っていた。これもまた分りにくいことかもしれないが、使い方はともかくも、私にとっては手ごろで便利な制作道具。それを今は腰痛予防に思いついたのだ。 使い方を説明しましょう。 エーと、あれは正しくは何という名前なのだろう、私は海外旅行の折りにセイフティポーチとしてパスポートを入れてズボンの下の腰にまきつけているのだが、その薄っぺらなポーチ。その中にドア・ノブを入れるのだ。ちょうど小さなバーベル、あるいは鉄アレイを入れたようだ。それを背中の骨盤のすこし上、ちょうど背骨が彎曲しているあたりに、背骨をはさみこむように当ててポーチのベルトを締めるのである。 これだけなのだが、これがなかなか調子がいい。長時間制作していても腰が痛くならない。結局、マッサージ機のあのグリグリを腰に当てているようなもので、また、たぶんツボをいつも刺激していることになるのだろう。 若い人には思いもよらないことだろう。が、61歳の私、大きな画面に向って8時間10時間と集中的に筆を振るっていると、だんだん背中の筋肉が痛くなってくるのである。年をとってなり振りかまわなくなったという訳ではないが、制作中は誰にも会わないので、そんな奇妙な物を腰にくくりつけているのだ。 ところで、ドア・ノブを絵の制作道具として使っていると書いた。使い方はナイショだけれど、絵の制作道具というのは画材店で売っている物だけではない。他の画家のことは知らないが、たぶん自分で工夫した道具が必ずいくつかあるはずだ。私もヘンナ物をたくさん使っている。それらはみな、自分で開発した技法に必要なもので、画材店で調達できる道具ではうまくゆかず、試行錯誤の結果たどりついた自作の道具なのである。たとえば、古筆の先にピアノ線をとりつけたもの。あるいはタイル用のヤスリ。千枚通しや、スプーン。金属製の櫛を5cmくらいに切断したもの。etc.、etc.。時には擂り鉢が登場したり、日本酒が登場する。etc.、etc.。 手沢の道具という表現がある。昔なら小説家の愛用の万年筆であったりペーパーナイフであったり。料理人の包丁や大工の鑿や鉋のたぐい。私のそれは金属製の短い櫛やスプーンというところ。ちょいと締まらないが、しかし大事な制作道具なのである。腰に取り付けたドア・ノブもいずれ我が手沢の道具と言うようになるかもしれない。
Jun 16, 2006
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昨夜、8時から9時30分までBS2で放映された「越路吹雪の世界」を見た。2年前に制作された番組の再放送である。2年前にも見ている。何度見ても彼女の歌に聞き惚れ、見とれてしまう。越路吹雪は私にとっての唯一のスターだ。 私は越路吹雪のナマのステージを2度見ている。しかし、歌手越路吹雪を知ったのはむしろ遅い方だ。1969年頃のこと。ガールフレンドが貸してくれたLPレコードによってである。このレコード・ジャケットと同じデザインのCDをいま私は所蔵していて、初めて彼女の歌をじっくり聴いた当時を懐かしく思い出す。 以前のブログに書いたけれど、私はその頃すでにさまざまな舞台芸術を渉猟し、実際に劇場に足をはこんでいた。名優といわれる人達の舞台が、私の記憶や感覚の錬磨におおきな財産となりつつあった。越路吹雪の歌に出会ったのはそういう頃であった。レコードとはいえ彼女の歌は、私をムンズと捕まえ、何か手仕事をしながら聞き流すことができなかった。これには驚いた。レコード盤が回るのをじっと見つめながら聞き入ってしまった。いや、聞き入らざるを得ない力があったのだ。それは音楽を造形する歌唱の力ではあるけれど、また、日本語としての言葉の力であった。いや、そうじゃない。言葉に血肉をかよわせて伝える越路吹雪のセンスとヴァイタリティーと言ったらよいだろうか。その、言葉に血肉を与えるということに関しては、後に私は美空ひばりにも同じことを気が付いたが、いまのところこの二人しか私はそれができる歌手を知らない。多くの歌手がインタヴュー等で、言葉の命などというけれど、失礼ながらそれが実現されているのを聴いたことがない。世間一般に「歌がうまい」ということと、言葉に血肉を与えることができるというのは違うようだ。 越路吹雪の持ち歌に『ラスト・ダンス』がある。その歌詞の2番に「ダンスはお酒みたいに 心を酔わせるワ」(岩谷時子作詞)というフレーズがある。その「お酒」という言葉、「酔わせる」という言葉、それらの酔い心地を越路吹雪は表現して間然とするところがない。あるいは岩谷氏がわざわざカタカナにした最後の「ワ」というニュアンスに対する、越路吹雪の反応と表現。私はレコードで何度そのフレーズに針を降ろして聞き込んだかしれない。何故、彼女が歌うとその言葉は「記号」ではなく、生きて来るのか。何故、そこにアルコール度が加わるのか。私は自分でも何度もそのフレーズを言ってみた。 このような、技術のマニュアル化が不可能なところに、芸の真髄がある。しかも文字どおり一瞬に通り過ぎ、その一瞬に聴衆の心をとらえ、メッセージを伝えてしまうのである。 越路吹雪の日生劇場での恒例のロング・リサイタルのチケットは、発売と同時に完売してしまうのは有名な話。伝説となっているようだが、これは事実であった。大学生をアルバイトで雇って、一度に100万円分のチケットを購入するお金持ちの夫人たちが大勢いたのである。私ごとき貧乏学生がおっとり刀で窓口に駆けつけても、チケットはすでに売り切れていた。 しかし、つてがあって念願のステージを見ることができたのは、1971年5月のことだった。そのチケットは、越路吹雪のマネージャーだった岩谷時子氏が、招待客用の予備として取り置いてあったものだ。現在でもそのリサイタルのパンフレットとチケットの半券を所持しているが、私の席はc列26番。最上の席だった。 越路吹雪のリサイタルのロビーの華やかさはこれも語り種になっている。女性客は最高のおしゃれをして来るし、客達のなかに越路さんの同業者というかスターたちの顔がたくさん混じっているからでもある。同業者がうきうきと開演を心待ちにしているというステージ・ショウも珍しいかも知れない。 これは第19回のリサイタルだった。このときのプログラムは全22曲だったが、じつはひとつ大きな特徴があった。それは第1部で6番目にうたわれた『ミロール』という曲についてである。この曲は以前から彼女の持ち歌としてレコードにも吹き込まれ、私がガールフレンドに借りたレコードにも収録されていた。しかし、この時のステージで、越路は『ミロール』を『にいさん(ミロール)』という風に、タイトルを変更したのである。そればかりでなく、従来「おいでよミロール、掛けなさいな脚のばして、サー何もかもおまかせな、ミロール」とうたっていたのを、「おいでよにいさん----」とうたったのである。ファンはおそらくビックリしたに違いない。私もレコードで繰り返し聴いていたフレーズが、いきなり「にいさん」と耳に飛込んできたので「ハッ」としたのだった。 変更の真相は、これまで「ミロール」という言葉を人名と思ってうたってきたけれども、ここに来てそれが「ちょいと、そこの兄哥(にい)さん」というニュアンスの俗語であることを知り、あくまで日本語でシャンソンを歌いたいという意志をもっていた越路さんは、今回、試験的に「にいさん」という言葉にしたのであるらしかった。その変更をステージに掛けることについては、スタッフの間にも動揺があったのか、パンフレットの曲目紹介には『にいさん(ミロール)』とあるが、他の21曲すべての歌詞が載っているにもかかわらず、この『にいさん(ミロール)』だけは載っていない。 ともかく彼女はこのとき「にいさん」と歌った。が、その後、おそらく元の「ミロール」に復したのではあるまいか。少なくとも私は二度と「にいさん」と歌うのを聴いていない。 このロングリサイタルを見てあらためて気がついたことがある。それはバック・バンドの音の演出のみならず、ステージで起るすべてのことが綿密に計算されていて、それらが越路吹雪のヴァイブレーションとぴたりと一致していることだった。たとえば終幕が降りる。喝采がなりやまず、幕がさざ波のように振動している。幕が開く。ステージ中央にやわらかく佇む越路。観客席から花束がとどく。ステージの上の花束を横坐りになって身を屈め、まるで野の花々を愛おしむように抱き締める。それからその中から1本1本抜きとってバックバンドの面々に捧げる。そして再び幕が降りる。鳴り止まぬ拍手。すると、幕の合わせ目の下にちらりとハイヒール・シューズを履いた越路の脚がのぞく。観客は「ハッ」として一瞬、拍手が静まる。すると越路吹雪はいともあざやかに幕の陰から身をあらわし、後ろ手に幕を握りしめながら、当惑したように観客を見渡した。そして優雅におじぎをするとふたたびサッと幕のうちに姿を消した。客席に「ホー」というような嘆息が渦巻く。こんなことが似合うエンターテイナーは他にいまい。しかも観客はみな本当の「おとな」ばかりで、実のところ私のような学生はまず見かけない。そんな大人たちを完全に魅了してしまう圧倒的なステージなのだった。 構成演出、浅利慶太。音楽構成編曲、内藤法美。美術、金森馨。照明、吉井澄雄。音響効果、渋谷森久。舞台監督、平井靖人。----このスタッフを一覧しただけで、当時の舞台芸術に精通した人なら、その優れた仕事を思いはかることができよう。 さて、このリサイタルの翌年、ちょうど1年後に私はふたたび越路吹雪が主演したミュージカル『アプローズ』を観た。 オリジナル台本はベティ・カムデンとアドルフ・グリーン。音楽、チャールズ・ストラウス。歌詞、リー・アダムズ。これにはメアリー・オーの原作があり、さらに映画『イヴの総べて』(ジョセフ・L・マンキウィッツ監督、アン・バクスター、ベティ・デイヴィス主演)に依拠した作品で、当時、1970年にはローレン・バコール主演で、翌71年には映画と同じアン・バクスター主演で、いずれもブロードウェイ・パレス劇場で上演された、いわばまだ湯気がたっているブロードウェイ・ミュージカルだった。 いわゆるバックステージもののストーリーにはこれといって新規性はない。音楽的にもオーソドックスと言ってよいだろう。しかし、いまになって振り返っても、このミュージカルに「大女優」役で主演する日本のミュージカル・スターは、越路吹雪しかいなかった。 ストーリーはこうだ。 ニューヨーク。トニー賞の授賞式。主演女優賞のプレゼンターとして大女優マーゴ・チャニング(越路吹雪)が紹介される。彼女は映画や舞台に君臨するまさに大女優でその堂々たる風格は他を圧倒するものがある。彼女は受賞者の名前を読みあげる。「今年の主演女優賞。受賞者は、----イヴ・ハリントン!」 マーゴは走馬灯のように思い出す。質素なみなりをした娘イヴ(雪村いづみ)が、彼女の生活の中に入り込んで来た日々を。----ある日、楽屋に演劇を夢見る娘が訪ねてきたのだ。マーゴはほんの気紛れで会ってみることにした。会ってみると、その娘はそれまでどんなにマーゴを尊敬し憧れていたかを熱心に話すのである。それはマーゴを感動させた。マーゴはその娘イヴに好意を抱き、スタッフとともに帰宅するのに一緒について来るように言う。 それが始まりだった。イヴはマーゴの邸宅に住みついて、なにくれとなく身の回りの世話をするようになる。良く気がつくし、純情そうだった。しかしそれは見かけだけのこと、やがてイヴはマーゴのスタッフを篭絡し、さまざまな陰謀をめぐらすようになる。マーゴのスタディー(代役)として付くことになったのを好機とばかり、マーゴの自動車のガソリンを抜き取らせ、劇場入りに遅刻したマーゴの代りに実際に舞台に立つ。日頃から熱心にマーゴを研究していた成果がもののみごとに役立ち、イヴは喝采を浴びる。 やがてイヴはプロデューサーに言い寄り、肉体で落とし、利用できる者はつぎつぎに利用して主演女優の階段をのぼってゆく。そして---- 陰謀の真相を知ったマーゴはつぶやく。「イヴがかわいそう。だって、結局のところ思い知るのよ。虚しく独りぼっちだっていうことを。役ほしさに戦いつづけなければならないのよ----」 スターの座よりもっとすばらしい、もっと重要なことがあるのではないか----マーゴは考えはじめるのである。 このミュージカルの稽古中のエピソードとして演出の浅利慶太氏がたいへん興味深いことをパンフレットで述べている。 「(この作品上演に当って)面白いのは、二重写しになるところなんだ。つまり、マーゴのように、ほんとうに、のぼりつめた大スターの内面というものを体験した人間は、舞台人としては日本では越路吹雪しかいないんだね。そうすると越路吹雪でなければわからないことがたくさんある。これは矛盾でね。演出家は説明しようとするわけだな。「こういう場面に立った女は----」と言おうとすると、その女が自分の前に立っているわけだ。「あんた自分で一番よくわかっているでしょう」ということになる。----だから見ていて、「マーゴかなコウちゃん(越路)かな」と思うような瞬間がある。これは客席でお客さんが味わうと思うんだ。」 虚実皮膜というのはまさにこのようなことを言うわけで、観客はマーゴを見ているのか越路吹雪を見ているのか分らなくなる。そういう意味でもこれは大変おもしろい舞台だった。 今日のおしまいに私のこんな思い出をひとつ。ちょうどこのミュージカルを見た前後、たしか1970年だったように憶えている。パリのカルダンのもとで修行し、自分のブランドを立ち上げて活躍していた或ファッション・デザイナーからアクセサリーのデザインを頼まれた。顧客の夫人が越路吹雪のリサイタルに着て行くドレスを注文してきたのだが、それに合わせるアクセサリーを、というのだった。 私はエナメル加工した幅6cmほどの黒いベルトをつくった。長さは20cmくらいでマジックテープで着脱できるようにした。そこにベルト幅に合わせた丈6cm、幅も同程度のおおきさの真っ白いハートを七宝焼きでつくり、ベルトに取り付けた。じつは、これ、アンクレットである。つまり片方の足首に飾るもの。ハイヒール・シューズを履いたドレスの足許にちらりちらりと見えるのだ。 デザイン・制作料がいくらだったか忘れてしまったが、夫人が、私のつくったアクセサリーを付けて、越路さんのリサイタルに出かける姿を想像すると、とても嬉しかった。
Jun 14, 2006
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昨日、出先で乗ったタクシーの運転手さんが、日野市から八王子市にかけての多摩川堤の道路際に鬱蒼と枝をのばす大木を指して、「枝が伸び放題なのですが、枝払いをしないことにしたんですよ」と言った。この一帯に棲息するカワセミの保護のため。カワセミは日野市のシンボルになっているが、隣市の八王子市とも連動する野鳥保護の一環策だそうだ。 カワセミは、セキレイとともに、水辺に棲む美しい鳥だ。尾が短く、嘴は長くて大きい。「翡翠」という別名があるが、その名のとおり体の上側は暗緑青色、背や腰のあたりは空色をしている。水辺で観察していると、低い木々の枝から魚影をめがけて素早くダイビングする姿をみかけることがある。 「カワセミを見たことがありますか」と運転手さん。 「ええ、ありますよ。美しい鳥ですね」 「きれいな鳥です。----毎朝、観察に出向くお爺さんがいるんですよ。今頃の時間に帰ってくるんです。普段はバスに乗るんですが、あの先の停留所。ああ、いたいた、あのお爺さんです」 前方を見やると、首から双眼鏡をぶらさげた老人がバス停留所にたたずんでいる。運転手さんは閉じた窓越に片手をあげて挨拶した。しかし老人はそれに気がつかなかったようだ。 そういえば高幡不動一帯の山、多摩動物公園を含むかなり広い山域は、鳥類保護区になっていた。私が山歩きをしてホトトギスの鳴き声やフクロウの「デデッポー」という鳴き声を耳にするのも、そのあたりも保護区のはずれに位置することもあろう。たしか、車での通りがかりに鳥類研究所の看板をみかけたような気がする。 多摩川堤の木々の茂りを、一概に「邪魔だ」としない付近の住民の理解と心意気が嬉しいタクシーの運転手さんの話だった。 閑話休題。 このところ私は身辺に昭和史、とりわけ開戦・終戦前後に関する書物を積み上げ、比較しながら読んでいる。最近、政府のやることも、東京都のやることも、まことにキナ臭いことを搦手から遂行しているように思う。施政者は、死に花を咲かせるつもりのように子孫たる日本国民に悪のお荷物を置き去ろうとしているかのようだ。私は昭和20年、終戦前夜に生を受けた者として現状をとうてい見過ごしにはできない。おくればせながら、開戦・終戦前後の施政者の行動を調べて検討しようとしているのだ。当時、ただ一人の賢察ある平和論者であった昭和天皇が、どのようにして戦争に巻き込まれ、総帥としてなぜ開戦を阻止できなかったのか、そのメカニックを検証することは一国民として重要ではあるまいか。昭和天皇が敗戦の原因として四つのことをあげているが、その第一と第二には、眼をみはる。 「第一、兵法の研究が不充分であった亊、即孫子の、敵を知り、己を知らね(ママ)ば、百戦危からずといふ根本原理を体得してゐなかったこと。 第二、余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視した亊。」 「己知らねば」は、聴き取り書き取った寺崎英成の誤りであろう。ここは当然、「己を知らば」である。 『昭和天皇独白録』を読むと、広きにわたって目配りをしての賢察は、当時にあって、抜きん出た知性であったように思われる。 さて、そんなわけで、私の机上にとりあえず積んであるのは次の書物だ。 『昭和天皇独白録:寺崎英成御用掛日記』(文藝春秋刊) 『瀬島龍三回想録;幾山河』(産経新聞社刊) 『重臣たちの昭和史』上下巻、勝田龍夫著(文藝春秋刊) 『齋藤隆夫政治論集;齋藤隆夫遺稿』(1961、財団法人齋藤隆夫先生顕彰会刊、1994、復刻版、新人物往来社刊) 『陰謀と幻想の大アジア』海野弘著(平凡社刊) 『ドイツの歴史教育』川喜田敦子著、石田勇治監修(白水社刊) 『過去の克服----ヒトラー後のドイツ』石田勇治著(白水社刊) 『監視国家----東ドイツ秘密警察に引き裂かれた絆』アナ・ファンダー著、伊達淳訳(白水社刊)
Jun 13, 2006
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対オーストラリア戦、土壇場で逆転されて敗れてしまった。前半で中村俊輔の敵味方の頭越しのすばらしいゴール。が、攻めきれなかったなー。シュート数が相手チームの3分の1だ。高原や柳沢の惜しいシュートはあったものの、どれもいささか甘い。しかもこの試合、日本はあまりボールをキープできなかったのじゃないかなー。オーストラリアは早く疲れるだろうとの予想からか、相手にボール回しをさせたのはよいが、結局、攻めもうわまわっていたのだから、もしかしたら日本の作戦ミスか。それにしても川口能活はよくセイヴした。この川口頼みが後半39分では裏目にでたかもしれない。オーストラリアのフリーキックに対して、川口、張り切り過ぎたか、前に出過ぎて戻れなかった。これで2:1に逆転された。アデッショナル・タイム3分の時点で、いつも土壇場で救いのゴールをきめてきた大黒を投入するも、間に合わず。投入直後に、だめ押し1点を加えられて終了。 1次リーグ突破は勝ち点4がギリギリのラインらしいので、この初戦をおとしたことは如何にも辛い。オーストラリアは、世界ランキングにおいて、日本よりたしか100番以上も下位のチーム。ウ~ン、あとが思い遣られる。 しかしマイナスばかりを数えあげても仕方が無い。第2戦に期待しよう。
Jun 12, 2006
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イングランド対パラグアイ戦は、ベッカムの左サイドからのロングシュートがすごかった。結局、それをヘッディングしたパラグアイのオウンゴールという判定ではあったが、高さのないパラグアイがヘッディングすればああなる、と計算ができていたかのようなベッカムの強烈なシュートだった。その正確さはすばらしい。 アルゼンチン対コートディヴォワール戦。どちらも攻撃的なチームでラフプレイもめだったが、2:1のこの試合、シュート数では断然コートディヴォワールの方が多いのに、精度に欠ける。かならずしもアルゼンチンの守備が堅いというのでもなさそう。有利なアルゼンチン、後半39分でだめ押しの1点を入れたと思ったが、オフサイドの判定。観客席にマラードーナの姿、周囲に倍する熱狂的な応援が印象的だった。 今夜はこれからオランダ対ポルトガル戦を見ることにする。 私の観戦スケジュールは順調に運んでいるが、そうなればなるだけ雑務がたまってゆく。明日は昼前にどうしても出かけなければならない用事がある。まあ、こんなボヤキも暢気なうち。こんな暢気でよいのでしょうかねー。 仕事場の壁には準備したまま手付かずのキャンヴァスが何点もぶらさがっている。描きかけのまま放ってある作品もある。ただしこの作品、途中ストップしていたために、あらたな構想が生れた。ストップしたのは何だか気乗りしなくなったためだが、それが何故だか分らなかった。あらたな構想がうまれて、はじめて、何が問題だったのかはっきりした。時間が考えを成熟させてくれた。現在制作中の手を休めるたびに、その描きかけの作品をチラチラ横目にながめている。
Jun 11, 2006
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エクアドル対ポーランド戦は、結局、2対0でエクアドルが勝ち点3を奪った。 開幕戦のドイツ対コスタリカ戦は、攻めのドイツという評判どおり。また、守備に不安というのも、評判どおり。開始6分でドイツの1点リードを、12分にコスタリカのワンチョペがシュートしたときは、ゴール前のドイツの守備はガラ空き状態。しかし、サッカーはやはり攻めのスポーツ。2:2の均衡をドイツが攻めに攻めて崩すと、コスタリカの戦意は喪失してしまったようだ。それでもドイツは3:2をキープしての時間稼ぎをせず、だめ押しの1点を加えたのだから素晴らしい。 攻めなきゃだめだというのを見せつけたのは、エクアドル対ポーランド戦も同じ。開始しばらくはポーランドの攻め。しかし前半24分あたりでエクアドルのモードが切り替わった。守りは堅く、攻めは早い。ポーランドは打つ手なし。王者のプライドが、かえって自らの戦う精神を崩してゆく。 さて、7月10日のファイナルまで、とても全試合を見るわけにはゆかないが。見のがせない試合もある。今夜10時からのイングランド対パラグアイもそのひとつ。第3試合のアルゼンチン対コートジボアール戦だって見たい。 「こまっちゃうナ~」だ。 「仕事を取るの? 私(W杯)を取るの? あなたの考え方しだいヨ!」ってなこと、現実には言われたことはないけれど、今まさに私は決断をせまられている。 昼食前に、買っておいたグラジオラスの球根の植え付けをした。過日、やはりグラジオラスの鉢をつくったが、長い鉢がまだ3っつ空いていた。それでその鉢にもグラジオラスを育てることにして、種類の異なるものを買っておいた。もう2cmほどの芽が出ていて、園芸店では投げ売りしていた。先日植えたものは、もう10~15cmほどにも伸びて、毎日目立って成長している。園芸店の店先のボール箱にいれられたま、芽を出しはじめた球根が哀れであった。せめてもと、丁寧な土作りをしてから植え付け、たっぷり水を与えた。鉢のひとつは秋咲きの菊を植えた。 いままで我家の庭にはなかったネコヤナギが3本芽をだしているのを見つけた。近所の家の庭にでもあったのだろうか。今までどこの庭にも見かけたことはない。近くの山から種が運ばれてきたのかもしれない。我家の庭は、手入れをしているようでほとんど放ったらかしなので、あちらこちらから植物が身を寄せあうようにやって来て、住みついている。空いた鉢にシランが芽を出しているのも見つけた。狭い庭はうっそうとしているが、植物たちが住みやすいのなら、それもよかろうと思っている。 昼食は今年はじめての冷やし中華ラーメンにした。錦糸たまご、ハム、胡瓜、紅ショウガを千切りにしてたっぷり盛りつけた。なかなか美味しかった。 そして私はそそくさと仕事場にもどり、制作をつづけた。夜10時になったら、ベッカム様を見るために。それまでは仕事、仕事。
Jun 10, 2006
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開幕戦を見るために、早朝から画室にこもって午後6時まで制作。夕食後も再び筆を執り、午前1時いよいよw杯開幕。 ドイツ対コスタリカ戦。午前2時50分、ただいま終了。4対2でドイツ、初戦を飾る。 とりあえずこれだけ書いて、次のポーランド対エクアドル戦を見ることに。
Jun 9, 2006
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昨夜11時、仮眠のつもりだったのがぐっすり寝込み、戸外の木立がものすごい音をたてて騒ぐのにハッとして目が覚めた。激しい雨が降っていた。時計を見ると3時だった。起きだして、一仕事しようと画室に入った。しばらく筆を執っていたけれど、眠気が躰からぬけきっていない。これは駄目だと見切りをつけて再び寝室にもどった。 夢を見た。 ひとりごとだったのか、それとも誰かと話していたのか、分らない。私は手に小さな紙の切り抜き絵を持っていた。影絵のような形態だけの白い切り抜き絵が黒い台紙に貼付けてある。ドレス姿の女性がスツールに坐っているポートレイトだった。豊かな髪を豪華に巻き上げた美しい横顔。スツールの脚はアーカンサスの葉の彫刻がほどこしてあるかのように、ギザギザな切り込みがされている。たかだか掌におさまるような小さな作品を見ながら、私はしゃべった。「結局、考え方としてはこの方法しかないわけです。あとは如何に美しい形態をみつけることができるか、ということでしょう。私もこれと同じ方法でつくったのですが、この人のこの作品には及ばなかった。落選です」 私は手にした小さな作品を掲げた。「このことが、私を社会に結び付けるきっかけになったのだと思っています」 それから突然私は思い出した。そしてまた話しはじめる。「ちょうどそのころ、ニッカウヰスキーがブラックニッカというブランドを発売したのですが、そのブランド名を定着させるための戦略に、平凡パンチ誌上で雑誌広告のイラストレーションを公募したことがありました。私はそれに応募し----」 目が覚めた。 夢の世界が気持のなかで奇妙なぐあいに揺らめいている。私は夢を反芻してみた。切り抜き絵はいつまでも頭のなかに残っていたが、話そのものはスーッと消えてしまい、現実の思い出のように生々しかったけれど、いくら考えても私の経歴にはそのような事実はなかった。が、ブラックニッカの雑誌広告の件は事実だった。 すっかり忘れていたことだ。あれは1966年(昭和41年)か67年頃のことだった。私はまだ法学部の学生だった。イラストレーターになろうとも画家になろうとも考えていなかった。しかし内心に、何かそのような望みが芽生えていたのかもしれない。「平凡パンチ」が創刊されたのが1964年。私は大学1年。この雑誌は大橋歩さんの表紙絵で有名になったが、それまで挿し絵画家といわれてきた商業画家がイラストレーターと言われるようになったのもこの頃だった。それは何かとても新しい職業のような感じがした。いや、実際に新しい職業だったのだと思う。商業画家のなかにも作家性の強い人達はもちろんいたけれども、イラストレーターということばのなかには、もっと先鋭な作家意識があった。私の心を、法学からそちらへ振り向ける魅力的な社会的風潮を、宇野アキラ氏や横尾忠則氏や和田誠氏等々の才能ある先人がつくり出していた。 ニッカウヰスキーがブラックニッカを発売したのは1965年である。のちに「ひげのウイスキー」として知られるブランド。値段も手ごろとあって、若者にも人気があった。その若者向けの販売戦略として、平凡パンチとブラックニッカが提携した企画だったのだと思う。ブラックニッカの雑誌広告用のイラストレーション公募の告知が誌上に発表されたのである。私は何日かかけてそれを描いた。いまではもうそれがどんな絵だったかは全く憶えていないが、夢のなかでの言い方に倣えば、これが絵による私の最初の社会へのプレゼンテーションだった。専門的な訓練を一切受けていない法学部の学生の絵が商業広告として通用するはずはない。もちろん落選だ。 夢をきっかけに全く忘れていたことを思いだしたのだが、さらに同じ時期のことで思い出したことがある。1966年、15才の山本リンダが『こまっちゃうナ』という歌でデビューした。遠藤実氏の作詞作曲。爆発的なヒットになった。たしかその翌年のこと、これまた平凡パンチに「山本リンダの歌詞募集」の広告が掲載された。何を思ったか、私はそれに応募したのだ。『チョコレート・クイーン』という歌詞を。 これも落選。このとき優勝したのは、作詞者の名前は忘れたが、たしか「ミニミニ・スカートで----云々」という歌ではなかったか。(間違っていたら御免なさい) ところがブラックニッカの落選とは異なり、こちらのほうは後日の話がある。審査員のひとりであったか、レコード会社の関係者であったか忘れたが、ある歌謡曲の作詞家から手紙を頂戴した。作詞を勉強しにその方のもとに来ないかという内容だった。つまり弟子入りする気持があるなら入門を許可するというものだ。 私は心が動いた。しかし、歌詞を書いて応募はしたけれど、自分の職業として作詞家という選択はいちども考えたことはなかった。自分のどこを押したら、プロフェッショナルな歌詞が出てくると言うのだろう。私は応募したこと自体が軽薄だったような気がして、とうとうその作詞家を訪ねることはしなかった。 夢がたぐりよせた学生時代の思い出である。
Jun 9, 2006
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制作が佳境にはいると、私の行動はほとんど画室の中だけに限られてしまう。外部との接触を断つというほど積極的なものではないが、でも、ややそれに近い状況を自ずとつくっているのだと思う。 感覚が鋭敏になるためか、着ている物がじゃまになる。アンダーウェアの袖刳りなどが、うっとうしく感じるのだ。子供のころ、亡くなった父が「野生児だね」と評したものだが、実際、自分のなかに野生が目覚めるような気がしないでもない。狼男のように、月を見ると、「ウウーッ」とネ。----まさかそんなこともないが、一枚脱ぎ、二枚脱ぎ、裸同然で仕事をしている。 初めての試みの部分は、結局、練習作を3点つくった。そしてすぐに本番。どうやら終了して、先に粗塗りしておいたところも乾燥したので、次はいよいよ描写に入る。まだまだ、おそらく今月いっぱいはかかる仕事だ。
Jun 7, 2006
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制作に集中している毎日。画面を材料学的な意味で複合構造にしているので、基礎工事に時間がかかっている。この部分をしっかり確実なものにしておかないと、その後の積み重ねの努力は最後になって水の泡となりかねない。部分々々のオリジナルな技法については、他の作品で個別に習練してきた。迷うことなく思考と手を連動させ、システマティックに仕事を進めていくことができる。技術が肉体化していると言ってもよい。しかし今度の作品は、それらの技法を融合させ、さらにもう一つ新たな技法を組み込もうというもの。----昨日は、終日、その部分の練習に費やした。制作しながら練習するというのも馬鹿げているが、デッサンと言うと聞こえがよすぎる。もっとプリミティヴな様相がある。初めてのことを、一気にプロフェッショナルなランクへ持ち上げようというのだから、無理を承知の、一方の真摯さか。どれほど練習すれば、自分自身でGOサインを出せるか。本画を脇に置いて、その横で、本画のその部分と同じサイズのものを数点分用意して練習している。 そんなわけで夜になるとさすがに疲れ、しばらく寝室に入って、寝転びながら読書していた。読んでいるつもりが、いつのまにか目をとじて眠っている。そんなことを2,3度くりかえし、ばからしくなってそのまま本格的に眠ってしまった。 グッスリ眠って目をさましたのが朝の5時。起きて、コーヒーを入れ、そうしてこの日記を書いている。
Jun 7, 2006
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きょうは半日、所用で外出。街を歩いていると、すこし汗ばむほどの日射しだ。もう夏がすぐそこまで来ている。 『夏は来ぬ』という唱歌に、「卯の花のにおう垣根に ほととぎす早も来、鳴きて」とあるが、家の近所の垣根越しの卯の花はもう散りぎわにある。卯の花というのはウツギのこと。紫陽花(あじさい)も同じなかま。園芸店の紫陽花はすでに今を盛りと咲いているが、家々の庭の紫陽花の莟はまだ少し固い。ホトトギスの鳴き声も、過日、ギックリ腰を直す目的の山登りをした折りに山中で聞いた。ところが2週間ほど前から我家の近辺にも下りてきて、早朝からにぎやかに「テッペンカケタカ、ホッチョンカケタカ」とやっている。『夏は来ぬ』という唱歌は、観察したままの素直な叙景詩なのだと、いまさらながら妙な感心をした。 さて、用をすませて後、画材店に立ち寄っていままで使用したことのない、私にとっては特殊な用具を購入した。これは現在制作中の「新・無量寿経」シリーズのなかで使おうとしている。画中の部分を周囲とは違う下地作りをした。頭のなかで構造を組み立て、技法を模索していたが、4日前に実際にやってみた。その後、そこが構造的に安定するかどうかを今朝方まで放置して様子をみていた。どうやらガッチリ出来上り、外出前に細部をほんの少し修整した。それもうまく行ったので、今後はその基礎部に積み重ねてゆけばよい。 しかし、その後の方法を二通り考えていたのだが、そのうちの一つは不可であることが、画材店に行ってみて判明した。成分表を読むと、不安定要素が含まれていたのだ。これでは本画には適さない。内心で唸りながら、2度成分表を読み直した。しかしやはり適さないことは明らかだ。で、もう一つの案に沿ってそちらの用材を確認すると、こちらは安定的なものであった。ほっとして、目の前に完成した作品の様子が浮かんで来た。 帰宅予定時間が迫っていたが、気分を良くして、そこから行きつけの古書店に回った。買えずにガッカリしたくなかったので、初めから安価本のコーナーだけを見て、以下の本を購入した。 マルガン&デイヴィン『イギリス文学史増補版』(成田成寿訳) ハワード・ファーガソン『独奏的生活---イギリス人作曲家の優雅な料理生活』(林望訳) ファビオ・ランベッリ『イタリア的考え方』 デボラ・キャドバリー『メス化する自然』(古草秀子訳) 勝田龍夫『重臣たちの昭和史』上下巻 中山治『無節操な日本人』 神坂次郎『元禄御畳奉行の日記』
Jun 5, 2006
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日曜日、弟がやって来た。2時間ほど居てすぐに帰った。私は制作中だったので顔を合わせることもなかったが、家人の話だと、彼の家の庭の薔薇がみごとなのだそうだ。色とりどり、4,5種類を育てていて、それが今、みな咲きそろっているらしい。携帯電話に撮った写真を入れていて、立派な花冠をつけている姿を見せたようだ。弟一家は子供達もふくめて年柄年中忙しそうにしているが、どうやら薔薇作りは上手いらしい。手をかければそれに応えてくれる花なので、忙しい忙しいと言いながらも、やることはきちんとやっているのであろう。 我家の薔薇もすでに一ヶ月前から花を開き、すでに何百という花が第一期を終わろうとしている。枯れた花の枝を斬っておけば、まだまだ夏から秋にかけて新しい花を咲かせるだろう。 真っ赤に熟したグミを採ったら結構な数になった。ためしに一顆を食べてみた。これがなかなか美味しい。甘酸っぱさと適度な渋みが口中にひろがる。銘々の小皿に盛っておやつにした。「これなら、まだ青い実もあるし、まだ楽しめる」と母が言った。母は早朝、ひとりで早起きして、日本髪の簪飾りのように葉叢のなかに揺れる実を楽しんでいるらしかった。 植物を愛で、やってくる昆虫を愛で、季節を愛でるのは喜びだ。しかしまたそれは時のめぐりの早さを実感することでもある。子供の頃はあんなに長かった一日が、いまやたちまち過ぎ去ってしまう。 『ダ・ヴィンチ・コード』を読むと、その思想が、私の年来のテーマとあまりにも重なるので内心で驚いている。私の「新アダムとイヴの誕生」シリーズとその周辺作、またそれと同時に手掛けている「新・無量寿経」シリーズは、「卵形の宇宙」シリーズより一層あからさまにその考えを前面に出している。日本国内よりむしろアメリカやアラブ文化国からの反応は、私の想定内のこととはいえ、私の思想を十分に絵画化するには時間がたりないかもしれない。仕事が遅々として進まないのだ。私のエネルギーが枯渇してきているのだろうか。
Jun 4, 2006
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制作の合間に『ダ・ヴィンチ・コード』を読んでいる。翻訳は読みやすいのだが、一度に読むのはせいぜい10章程度なので、読み始めてもう数日たつのに、漸く3分の2に当る72章を終わったところだ。 その72章目に英詩の規則にかかわる言葉がでてきた。「弱強五歩格」という。そこの部分を引用してみよう。 まず問題の4行詩。 An ancient word of wisdom frees this scroll and helps us keep her scatter'd family whole a headstone praised by templars is the key and atbash will reveal the truth to thee そして本文よりの抜粋。 「数世紀にわたって、弱強五歩格は世界じゅうの名だたる文豪----古代ギリシャの抒情詩人アルキトロコスをはじめ、シェイクスピア、ミルトン、チョーサー、ヴォルテールなど----に好まれてきた。(略)弱強五歩格の韻律は異教を起源としている。弱強格。対照的な強さのふたつの音節。強勢と弱勢。陰と陽。均整のとれた対。それが五つ並ぶ。五歩格。五芒星はヴィーナスや聖なる女性を表す。」(越前敏弥訳、角川書店) さて、この説明で「弱強五歩格」を読者はご理解できたであろうか。 私は普段、好んで英詩を読む。寝室の枕許に適当な詩集を何冊か置いて、時々気ままに、拾い読みする。あるいは口にだして読んでみる。私の場合、読む方がさきで、英詩の規則はあとからの知識。しかしどうにか「弱強五歩格」について、上に引用した説明よりもうすこし分かりやすい説明ができるかもしれない。 英語の詩においては「韻;Rhyms」と「拍子;Meter」がとても重要なので、Compton百科事典を参照しながら、その説明からはじめよう。【韻について】 英語詩においては、最後の音が同じで最初の音が違う言葉の一対を「韻」という。上記の詩を例にとるなら、scrollとwhole、keyとtheeとがそれぞれ語尾が同じ発音をする。お手許に辞書があればご覧ください。発音記号が同じでしょう? この詩の押韻形式はaabbというパターン。 Maryとcontrary、Hornerとcorner、pailとwhaleとsail、----これら対の言葉は韻をふんでいる。 しかし、soarとsoreとは韻ではない。語頭が同音、語尾が同音、このような言葉の対は韻とは言わないのだ。 ailingとfailingとは韻。しかしailingとthingとは韻ではない。これはどうしてだろう。じつは発音の際にストレス(強く発音する)をかける音節に違いがあるからだ。最初の対の場合、ailとfailとにストレスがかかる。しかるに後者ではailとthingのingとにストレスがかかる。したがって耳には同音と聞えないのである。----つまり、「韻」というのは、目ではなく耳で感じるものだということだ。【拍子について】 『ダ・ヴィンチ・コード』のなかで言っている「弱強五歩格」とは、まさにこの拍子の問題である。英語詩においては、各行の強拍の数がすべて同じでなければならないという規則になっている。強拍というのは、一行の詩句を読む読み手が、一つの単語や音節を強くストレスをかけて発音する部分のことを言う。弱拍はその逆で、弱く発音する部分。すべての詩句はこの強弱で成り立っている。 次の例を声に出して読んでみてください。 Hickory dickory dock The mouse ran up the clock The clock struck one And down he run Hickory dickory dock ヒッコリー ディッコリー ドック ザ マウス ラナップ ザ クロック ザ クロック ストラック ワン アンド ダウン ヒー ラン ヒッコリー ディッコリー ドック もういちど、こんどは強く発音する部分を大文字で表します。そこの部分をサンドバックを叩くようにリズムをつけて読んでみてください。 HICKory DICKory DOCK the MOUSE ranUP the CLOCK the CLOCK struck ONE and DOWN he RUN HICKory DICKory DOCK 口に出してみると、調子が良くておもしろい。英語の詩は、読むというより、朗詠するほうが本来的なのだろう。これで強弱はわかった。それでは「五歩格」とはどういうことか? これは1行のなかの強拍の数である。カスタネットを打つように詩句にリズムがあるわけで、1打、2打、3打----とアクセントがつく。そのひと打をmonometer;one-foot(一歩格)といい、2打拍をdimeter(二歩格)、3打拍をtrimeter(三歩格)、4打拍をTetrameter(四歩格)、5打拍をpentameter(五歩格)----という。 この詩的な歩格は、モールス信号をイメージすれば一番理解しやすい。「ツーツートン」とか「トンツートン」とか。英語では声によるストレスがかかる音節をlong syllableといい、ストレスがかからない音節をshort syllableといっているが、実際にシラブルが長かったり短かったりするわけではない。声の問題だ。日本語で強拍・弱拍というのはむしろ適切である。 ところでこの「歩格」は強拍(long)・弱拍(short)の組み合わせによって次のような形式がある。日本語の詩にはない、英語詩(ないしヨーロッパ言語)独特の形式である。記号を使って示してみる。 ∪= short syllable(声による)を示す。 ―= long syllable(声による)を示す。 右の英語は形式名である。 ―― spondee(強強格) ∪― iambus(弱強格)、∪∪― anapest(弱弱強格)、∪―∪ amphibrach(弱強弱格) ―∪ trochee(強弱格)、―∪∪ dactyl(強弱弱格)、 ―∪― amphimacer(強弱強格) これを前記『ダ・ヴィンチ・コード』の詩にあてはめてみよう。 まず、強くストレスをかけるところを大文字で示す。 an ANcient WOrd of WIsdom FREES this scROLL and HELps us KEEP her SCAtter'd FAmily WHOLE つぎに歩格の記号を付けてみる。 An an | cient word | of wi | sdom frees | this scroll ∪ ― ∪ ― ∪ ― ∪ ― ∪ ― and helps | us keep | her scat | ter'd fa | mily whole ∪ ― ∪ ― ∪ ― ∪ ― ∪ ― 2行でやめておくが、なるほど「弱強五歩格」の詩であることがわかる。 このような打拍の形式を作り出してゆくのも大変だが、古典的定型英語詩のすごいところは、これに前述の押韻形式が組み合わされることだ。 次のような定型がある。 A couplet(二行連句;対句)----脚韻を踏み、同数の音節から成る2行詩(aa)。 A quatrain(四行詩)----多種の脚韻からなる4行詩(aabb, abab, abba)。 The heroic couplet(英雄二行詩)----弱強格で脚韻を踏む2行詩。 The Spenserian stanza(スペンサー風連詩)----ababbcbcの脚韻を踏み、弱強五歩格6行と弱強六歩格(c)2行から成る連を細小単位とする物語り風な詩。弱強六歩格(c)を特にアレキサンドリア句(Alexandrine)という。エドマンド・スペンサー(1552?-99)が『妖精の女王』を書いて以後、この形式につけられた名称。 The sonnet(ソネット)----14行詩。脚韻の形式によって、ペトラルカ風ソネット(abbaabba cdecde)とシェイクスピア風ソネット(abab cdcd efef gg)とがある。ペトラルカ風はイタリアン・ソネットともいう。 まあ、そのほかにもバラードとか、ヴィラネルとか、ロンドゥとか、いろいろな定型詩がある。ヨーロッパ文化のなかで詩人が尊敬されたというのも頷ける。こんな規則雁字搦めのなかで自由に言葉をあやつるわけだもの、私は今日はこうやって説明しているだけでも溜息がでる。『ダ・ヴィンチ・コード』のなかでわずか数行でかたづけられていた「弱強五歩格」をめぐって書いてみた。お読みくださった方は、お分かりいただけただろうか。いささか心もとない説明だったが、きょうはこれでおしまいにする。
Jun 4, 2006
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2日付けの朝日新聞夕刊におもしろい科学記事が載っていた。奈良県立医大の大崎茂芳教授が、先月、高分子学会で、ある実験結果を発表した。芥川龍之介の『蜘蛛の糸』に、地獄に墜ちた罪人カンダタが1本の蜘蛛の糸を登る場面があるけれども、はたして本当にそんなことが可能なのかどうか? 30年間クモの糸を研究してきた大崎教授は、それが可能なことを実験により証明した、というのである。 クモの糸は、あらゆる糸のなかで、単位面積当たりの強度が最高であるが、非常に細いためにこれまで実験的に証明されていなかった。大崎教授は、比較的多くの糸を出すコガネグモ約100匹から2ヶ月がかりで糸を巻取って採取、それを周長約24cmの輪に作った。1本の糸の細さは、直径1000分の5mm程度。教授が作った糸の輪は、約20万本ほどが入っている。この輪にハンモックを通して、体重65キロの体を乗せたところ、ぶらさがることができた。 クモの糸にはさまざまな用途が考えられる。しかし採取には手間がかかる。大崎教授は、構造的に似た糸を人工的に作る技術開発が必要である、と言っている。 この記事を読んで思い出したことがる。私は、罪人カンダタではないけれど、途中でクモの糸が切れてしまったようなものだ---- 子供の頃、私はいろいろな標本を作ったけれど、唯一完成しなかったのが、クモとクモの巣の標本。小学生が作るにはあまりにも手間がかかりすぎた。費用もかかった。 しかし、私が考案した方法は実のところまずまずのものではなかったかと思う。 1寸角材(2.5cm)で、25cm四方の木枠をふたつ作った。その一つの枠でクモの巣をそっと掬い採る。もうひとつの木枠で巣を真中にして挟み、2枚のガラス板で蓋をする。クモは試験管や小瓶に入れる。----このセットでようやく一つの標本ができあがるというわけだ。 大崎教授の実験で証明されたように、クモの巣は、うまく木枠に張り付けることができれば壊れないものだ。クモの巣の美しい形状も観察できる良い標本だと、小学生の私はひとり悦に入っていた。しかし、つづかなかった。 いま、不意に、昔の家の玄関脇で最初のクモの巣を採取したときの光景が浮かんできた。50年前のことである。
Jun 2, 2006
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『ダ・ヴィンチ・コード』は暗号解読小説。フランス司法警察暗号解読官と宗教象徴学専門のハーヴァード大学教授とが、レオナルド・ダ・ヴィンチが自らの作品のなかに示した異教的図像を暗号とみなして解読してゆくというもの。「暗号」に関する蘊蓄が全編にくりひろげられる。 「コード;code」という言葉はもちろん暗号という意味だが、英語では‘ code book’(暗号帳)とか‘the Morse code’(モールス信号)というような使い方をする。法典とか掟という意味もあり、それらすべての意味を合わせもっている『ダ・ヴィンチ・コード』というタイトルは、小説の仕掛けをよくいい表わしている。つまり暗号そのものの二重性に、カトリック教義を装った異端をからめているわけだ。 コードという言葉は、コンピューター時代のわれわれは、日常的にエンコーディング(encoding)という使い方をしている。私は印刷用原稿をモバイル形式のファイルで入稿するときなど、確認表を貼付するけれど、そこには使用ソフト名を挙げて、「エンコーディングはバイナリになっている」などと記述する。エンコーディングとは暗号化するということ。 また「サイファー;cipher」という言葉もある。これも暗号という意味。もともとは「ゼロ」という意味らしいが、暗号という意味に使用するときは、「数値化」という意味が重要になってくる。つまり、codeという言葉が「文字や記号」による暗号を指し、一方、cipherは「数字」に置換した暗号をさす。エンサイファー(encipher)とは、日本語にすると、エンコーディングと同じ「暗号化する」ということではあるが、そこには本質的な違いがある。 と、こんなことを述べたのは、ひとくちに「暗号」といっても、さまざまな方式があることを確認しておきたかったからだ。 『エニグマ』(ENIGMA)という映画がある。2001年、英独共同制作によるマイケル・アプテッド監督の作品。「エニグマ」、ドイツ語だとAnigmaとも綴るが、「謎」という意味。が、映画によると、ナチス・ドイツが開発した暗号制作と解読のための機械をそのように称した。携帯可能なタイプライターのような機械で、三つないし四つのシリンダー状の歯車の組み合わせによって、普通にタイピングする文章が暗号化される仕組み。コードブックに従い、暗号化されたものを再びタイピングすると、こんどは解読文章が出てくる。アルファベット24文字と3,4個の歯車それぞれに仕組まれた24文字との順列組み合わせだから、エーと、幾通りになるんだ、----まあ、とにかく大変な数の組み合わせができるわけだ。ちょっとやそこらで解読できない。映画のなかでも、ある暗号を敵が解くのに4ヶ月はかかるとか言っていた。 この映画、「エニグマ」を介してナチス・ドイツ軍とイギリス軍との攻防を描く。これがその嘗ての敵国同士の共同制作というのだから、随分捌けた精神だ。歴史的な認識が成熟しているからできるのであろう。 それにしても、私はこの映画を観るまで、「エニグマ」というこんな機械があったことをまったく知らなかった。 「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ヒトフタマルハチ)」 御存知、これは1941年2月2日、日本海軍連合艦隊司令長官が南雲機動部隊宛に打電した真珠湾攻撃を命令する暗号電文。すなわち「外交交渉決裂、作戦に従い12月8日午前零時をもって真珠湾の米大平洋艦隊を攻撃せよ」という内容である。 「ニイタカヤマ」とは「新高山」、現在の台湾の玉山(ユイシャン)を指す。標高3952mのこの山は現在は台湾自然公園になっているが、日本統治時代は富士山より高い「日本の山」という傲慢勝手で新高山と称していた。 この暗号電報は愛知県刈谷市にあった依佐美(よさみ)送信所から発信された。1929年に建設が完成した高さ250mの8基の鉄塔は、日本初めてのヨーロッパ向け長波無線送信施設である。私は1991年にこの鉄塔群を実際に見ているのだが、じつは戦後アメリカ軍に接収され、1994年に返還された。私が見たときは、したがって、返還前だったわけだ。返還後、1997年に取り壊され、現在は無い。 大平洋戦争下の日本政府が無線送信する暗号は、現在では「マリコ」などが一般に知られているが、アメリカ軍はすべて解読に成功していたといわれる。それを否定する説もないわけではないが、しかし「ニイタカヤマノボレ一二〇八」では、暗号とも言えないような暗号だ。子供騙しじゃあるまいに。誰の発案かしら。 私のスクラップ・ブックのなかに1981年9月23日付けの新聞記事が一葉貼付けてある。日本陸軍の暗号のルーツともいうべき西南戦争時(1877年)の太政官電報のつづりが防衛庁戦史室書庫から発見された。暗号史研究家の長田順行氏がその解読と太政官暗号表の再現に成功した、というもの。 ちょっとめずらしい話なので、その新聞記事(朝日新聞)をもとに概略を述べてみよう。 西南戦争時の暗号は、日本暗号史の原点にあるらしいのだが、この発見にさきだって、熊本市の郷土史家・江藤政光氏が熊本図書館で同県の電報つづりを発見し、それをてがかりに、また長田氏の助言を得て、内務省と警視局の暗号解読に成功していた。その後、長田氏は、1981年の9月はじめ、防衛庁戦史室書庫の「旧日本軍記録文書史料」のなかに、「明治十年自四月至十月、密事電報、大阪征討陸軍事務所」「電報原紙」「明治十年西南役密事書類」「明治十年出征中、別動第二旅団、暗号旗号ならびに雑書綴」など、暗号関係文書がはいっているのを発見した。この「旧日本軍記録文書史料」は、大平洋戦争終結後、アメリカ軍が接収して本国に持出していたもので、昭和33年に防衛庁に返還され、そのまま研究されることもなく保存されていた。 「密事電報」のなかにはいっていた太政官暗号電報は、単語を数字・符合に置き換えたもの。このような暗号化は、近代的な方法だという。例として次のような電報を挙げている。明治十年五月三十一日午後三時、大久保利通と伊藤博文、ふたりの参議から西郷従道中将あてに打電されたものだ。カッコ内は解読語である。「タダイマ三四(山口)七九(県令)ヨリノチ六(電報)ノヲモムキ、ソクコンノサイ、ノ一(べ)ツ四(ツ)ソ七(シ)ツ五(テ)ム一(ダ)レ六(イ)六ウ(ジ)トヲモワル、イカガウ一(ゴ)ツ三(チ)ナ四(ヤ)ソ三(ク)ソ七(シ)ナ七(ユ)ノツモリカ、ヨニ(至急)ウケタマワリタシ」 読みやすく書き直してみよう。「ただいま山口県令よりの電報のおもむき、即今の際、別して大事と思わる。いかが御着手のつもりか、至急返事うけたまわりたし」 この暗号のつくりかたは、数字2文字、あるいはカナと数字の組み合わせで単語やカナ1文字を表わす方式。長田氏によれば、明治時代のこの太政官暗号は、昭和10年代の日本陸軍師団の暗号レベルと同程度だという。 例示した電報の歴史的背景はこうだ。 この電報が送信された前日、すなわち五月三十日、山口県の士族・町田梅之進ら百数十人が西郷隆盛の呼びかけに応じて萩で挙兵した。この反乱は二日で鎮圧されたが、電報はこの決起に関するものとみられる。宛名の西郷従道は隆盛の弟で、陸軍中将。当時、陸軍卿(現在の大臣)山県有朋がみずから九州の前線に出征中だったので、西郷従道は陸軍卿代理をつとめていた。彼は大阪に居り、電報を打った両参議は京都の行在所にいた。そのためこの電報は「西京局」から「大阪高麗橋電報局」へ打たれている。 仕事の合間に『ダ・ヴィンチ・コード』を読んでいる。読みながら、その内容とは別な「暗号」をめぐるあれやこれやが頭の隅にうかんできた。一度吐き出したほうがいいと思い、こうして書いてみた。 そうそう、織田正吉著『絢爛たる暗号』というおもしろい本が30年くらいまえに集英社から出ている。
Jun 2, 2006
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