『福島の歴史物語」

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2007.12.12
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 勢いづいた私は「重ね石」について尋ねてみた。そしてまた興味深いことを聞いた。彼女が「太郎石、次郎石というのが塩田の菅舩神社さある」と言い出したのである。
 ——そうか、「重ね石」はやはり地名の「重石」ではなく、「重さなった石」だったのか。
 私は、「重ね石」の「ね」の意味が分かったような気がした。しかし今度は、「月夜田」という地名の後ろに「重ね石」という普通名詞が単純に続くのも変だし、唄にある「塩田」という所に「太郎石・次郎石」があるというのも妙な話だと思った。たしかにこうなってみると、唄の文句が単なる地名の羅列と考えるのもおかしい、と思わざるを得なかった。秘密が一つ解けはじめたたような気がし、なにかが見えはじめたような気がした。
 私は場所を訊くと急いでここを辞去し、そのまま須賀川市塩田字外の内部落にあるという菅舩神社に飛んだ。何かが分かるかも知れないという焦りが、気持ちを急かしていた。狭い道から一寸入った菅舩神社の社務所の玄関に、私は駆け込むようにして立っていた。しかし宮司の佐久間壱美氏は、あいにく留守であった。私は奥さんに、「太郎石・次郎石は、ここの神社ではなく、すぐ近くの塩田字神久保部落にあるもう一つの菅舩神社に保管されている」と教えられた。
 私は再び車を飛ばした。その神社は、車で五分ともかからない近いところにあった。同じ塩田の地域内である。考えてみれば教える方が間違えるのも当たり前、というほど近い場所であった。そして、神久保の菅舩神社に着いてみて不思議に感じたのは、何故こんな近くに同じ名の神社が二つもあるのであろうか? ということであった。
 今度こそはと期待をして行ったが、あいにく宮司の鈴木定氏はここでも留守であった。しかし奥さんの好意で、神社の本殿の脇にあった「太郎石・次郎石」まで案内して頂いた。それは小さな木で出来た、祠のようなものの中に鍵をかけられて納まっていた。覗いて見ると、それは一抱えほどの丸い一個の石であった。
「これは・・・?」
 怪訝な顔をする私に、奥さんが困惑したような顔で言った。
「次郎石はなくなってしまって、今はこの太郎石しかありません」
 そう言われて私は、もう一度木の祠を覗きこんだ。格子の間から黒ずんだ石が見えていた。
 ——そうか・・・、太郎石しかないのか。それにしてもこう丸くては、重ねては置けないな。するとこれは、「重ね石」ではないのかな・・・?
 私はそう思いながら黙ってその石を見詰めていた。期待が大きかっただけに少しがっかりした。その様子を見ていた奥さんは、
「ここではありませんが、名前のついたいくつかの石のある所がありますよ」
と教えてくれた。私は再訪を約して帰った。

 私は家に戻ってから考えていた。
 ——待てよ・・・。次郎石も太郎石と同じく丸いとは限らないのではないか? もしかして次郎石の下が凹んでいたら、この太郎石の上に次郎石を重ねて置けるのではないか? 名前から言っても次郎石の方が小さいと思えるし・・・。またそれとは別にいくつかの石がある所があると言っていたが、それらは状況によっては「重なる石」、つまり「重ね石」と解釈できるのではないだろうか?
 そう思うと少し希望が見えてきた。
 その夜、私は電話で鈴木宮司に訪問の了承をとりながら、あの唄のことを訊いてみた。
「ああ、唄ならうちの神社に書いたものがあるよ」
 そう言われて私は驚いた。今まで随分田村方部を探して歩いたのに、ついぞ、見つからなかった唄である。
 ——おお! 意外に近いところから出てきたな!
 何か気落ちしたような感じに襲われた。余りにも簡単に出てきたように思えたからである。
 ——それにしても恐らく墨書だろうから、出来ればコピー、断られたら写真だな。
 そう思って、明日忘れないようにと、カメラにフィルムを詰めて準備をし寝についたが、なかなか眠れなかった。







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最終更新日  2007.12.12 09:01:55
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