『福島の歴史物語」

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2008.01.07
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 一橋慶喜が第十五代将軍徳川慶喜となって間もなく、孝明天皇が亡くなった。
 そしてこの慶応三年春の彼岸の頃、三春藩の幼い当主秋田万之助映季の母の濃秀院が、里帰りをしていた実家の鳥取より、鳥取藩士の護衛を受けながら帰ってきた。その帰り道、彼女は自分が深く信仰していた江戸・久品仏延命地蔵尊に参詣し、そこで五穀成就の御祈祷水を頂いてきた。
 藩庁から領内の各村々に、「御祈祷水を下げ渡す」との触れが出された。
 その御祈祷水を受け取るために、各村々の役人たちが正装で登城して来た。これを一目見ようと近郷近在から大変な人たちが出て来た。そのために大町や大手前は、見物の人垣が動かず、人が通れないありさまであった。
 三春領内は、まだ安穏の中にあった。
 ところがこの同じ頃、三春藩で重大な事件が発生した。フランス人事件である。この事件は、藩重役の秋田斉・奥村清酒・小野寺金兵衛らが藩を代表して、郷士の渡田虎雄の周旋でフランス商人と蚕種紙の取り引きをしたが、そのフランス商人から『契約不履行である』として、幕府に訴えられて、国際的訴訟事件に発展したものである。
 国際問題化を懸念した三春藩は、藩費をもってこれを弁済し、藩の関係者を厳重に処罰した。奥村清酒は最も重く知行召し放し永蟄居、兄の奥村権之助預けとなった。しかし権之助も、この事件に連座して、閉門となった。この縁座法は、多数の処罰者を出した。これら一連の扱いは、三春藩年寄役の小野寺市大夫が担当した。
  この事件の内容は次の通りである。当時の蚕種は、種紙一面につけたヒラツケが一般的であった。蚕種から幼虫に孵すには、細かい配慮と慎重な技術がいる。それを前提として売り渡した三春側と、どこへ運んでも幼虫を孵せると考えたフランス側との間の齟齬が、問題となったのである。その配慮と技術を知らずに、または教えられずに、中国に輸出された種紙から「幼虫が孵らなかった」、というのが争いの原因であった。このような訳で、海外に運び出すこと自体が論外であったのである。とにかく資金は、また出ていった。

 十月十四日、徳川慶喜は政局収拾のために大政奉還を行い、二条城を離れて大阪城に引き篭った。幕府は、自らの手で終止符を打ったかのように見えた。しかし慶喜は、こうしておきながら、一方で、江戸から幕府の陸軍兵力と艦隊を呼び寄せ、米英仏伊普蘭六カ国の公使を引見して、外交権は幕府にあることを承認させていた。慶喜の策略の中で、幕府はまだ命脈を保っていたのである。
 敬忠から江戸へ出た嘉膳に、密かに手紙が届けられた。
 [薩長両藩に徳川慶喜討伐の勅が、幼天子から内密に出された。その上もう一つの別の
  密勅では、京都守護職・松平容保、京都所司代・松平定敬の誅殺をも命じていた。し
  かもこの密勅は、正二位権大納言・中山忠能の他、二名の副書も同一筆跡、花押もな
  い偽勅であり、下された場所も岩倉具視の私邸で、薩摩藩の大久保一蔵と長州藩の広
  沢真臣に手渡されたという。それもあってか、薩摩藩士の率いる浪人たちが江戸城の
  二之丸へ放火したり、江戸市中の警備にあたる庄内藩屯所へ発砲したりしている。そ
  こでそれを追えば犯人たちは薩摩藩邸へ逃げ込み、犯人の引き渡しの要求に応じない
  など、江戸や京都・長崎などで示威活動が起きている。幕府側は、『これは薩摩や長
  州藩による挑発活動であり、孝明天皇亡き後の幼天子を擁して私利を謀るものだ』と
  言って憤激している。そこで淀藩主の稲葉美濃守正邦を主席とする江戸の留守幕閣は、
  庄内藩に江戸の薩摩藩邸に焼き討ちを掛けさせた。このために、薩摩藩と庄内藩の間
  は険悪な動きとなっている。また各地で『いいじゃないか』が起き、世の中は不穏に
  なってきている]
 これらの情報は、すぐ三春に発せられた。そしてさらにそれらを踏まえ、嘉膳は次のような自分の予測を付け加えることを忘れなかった。
  [これほどの騒ぎになれば、将軍がどうあれ幕府や旗本衆が黙っていないだろう。そ
  のために、幕府と薩長側との間で戦いが起きるのではないだろうか。どちらが国のた
  めになるか? それはしばらく様子を見る必要があろう。ただ密勅ということが気に
  なるが、天朝様を背負った方に勢いがあるのは事実。その天朝様が慶喜様、容保様、
  定敬様の誅殺を命じられた以上、薩長側に分があるのではなかろうか・ 嘉膳は暗に、戦争の場合は三春藩が薩長側につくように、と示唆したつもりであった。

「なあ政紀。どうも胸騒ぎがする。孝明天皇様が全幅の信頼を与えていた慶喜様、容保様、定敬様らを、新しい天朝様が誅殺せよと言われる。これでは天朝様が変わることで、基本方針が逆になることになる。信じていたことが逆になるのでは戦争になるのではないか?」
 嘉膳はまた腕を組んでいた。
「はい先輩。私もそう思います。・・実は・・、言いにくうございますが、先日の三春への書簡の中の、『天長様が慶喜様、容保様、定敬様の誅殺を命じられた以上、薩長側にも分があるのではなかろうか』という文面は、いささか不穏当であったのではありますまいか?」
「不穏当? どこが不穏当か!」
 嘉膳は思わず気色ばんだ。
「いや、余計なことを申しました。相済みませぬ」
 政紀は慌てた。そして慌てて、両手をついた。今まで怒った顔を見せたことのない温厚な嘉膳を、怒らせてしまったのである。
「政紀!  どこが不穏当か言ってみい!」
 ——しまった。
とは思ったが覚悟をした。言ってしまった以上、責任は自分にある。
「いや、薩長側に肩入れするということは、京都守護職の会津藩、江戸湾防衛の二本松藩、そしてこの会津と二本松の近くにある三春藩としては誠に言い出しにくいこと、と単純にそう思っただけでした。言葉が過ぎました。平にご容赦を」
 政紀が畳に額をすり付けるのを見ながら、嘉膳の顔は平静に戻っていた。
「なあ政紀・・」
「はい」
  政紀は両手をついたままで返事をした。
「俺はいつも言っていた筈、日本に内戦を起こしてはならぬと。もし起こせば諸外国の思う壷。日本は清国の後を追うことになる、植民地になってしまう。単純に薩長側に肩入れをしている訳ではない」
「はい。お聞きしております。先輩の理論、その通りと思っております」
「いや、まだお前の思いが足りないようだ。今から言うことをよく考えよ」
「はい」
 政紀は頭を、まだ上げられなかった。
「今、日本国中が二つに分かれ騒ぎになっている本当の理由は、頭が二つあるからだ」
「頭が二つ・・?」
 政紀は思わず手を膝に戻すと、居ずまいを直した。
「うむ。頭の一つはフランスに支持された幕府、もう一つはエゲレスが後押しをする薩長だ。ところがそのどちらもが、幼い天子様を背負おうとして躍起となっている。その上、この両者の力が拮抗しているから、我々はどうすべきか迷うのは当然ではないか? そのために国中が右往左往しているのが現状だ。それにもう一つの側面として、薩長土肥を中心とした集合体から指導者を一人選出しようとすれば、これはこれで大事。ようやく作った薩長連合も崩れかねぬ。その点、天子様を担ぎ出せれば、まず問題がない。それに丁度よいことには、日米修好通商条約のとき、幕府が朝廷に条約の勅許を求めたことがあった。あのことが結果的に天子様の権威を高めることになり、天子様の利用価値が上がったということになってしまった。そのことこそが、天子様の争奪戦になっている」
「・・」
「ただし、これからの日本を造り変えるとすれば、幕府では駄目だ。幕府は、余りにも長く続き、古い因習と無気力なしがらみの中にある。その点、薩長側には新しい日本を造る勢いがある。今のところ密勅ということが気になるが、事が公になれば密勅が密勅でなくなろう。それならこの勢いのある側につき、それをより強くし、それをより大きくすることが平和裡に新しい政体を造ることになる。それに天子様が薩長側につけば、当藩としてもわが意と同じとなる。三春藩をその試金石にしたい。それがあの文面だ。孫子も言っておる。『兵の起こらぬ先に戦わずして勝てば也』と」

 十月二十四日、幕府より全国の藩主に対し、召集の令が下された。三春藩は勤王の藩議を決し、直ちに江戸に滞在していた江戸詰家老の小野寺市大夫、近習目付の湊宗左衛門、それに熊田嘉膳を京都に先発させた。三春藩の三名は、招集日とされていた十一月十五日に京に着いていた。しかし朝廷と幕府の関係に気を遣っていた多くの藩は、参加しようとしていなかった。
  十二月九日、新政権が樹立した。そして約一ケ月後、大阪城に退いていた将軍・徳川慶喜により、日本駐在の外国使節は次の文書を受け取ることになる。
  [日本の天皇は各国の元首および臣民に次の通告をする。将軍徳川慶喜に対し、その
  請願により政権返上の許可を与えた。今後、朕は国家内外のあらゆる事柄について最
  高の権能を行使するであろう。したがって天皇の称号が、従来条約締結の際に使用さ
  れた大君の称号に取ってかわることになる。外国事務執行のため諸々の役人が朕によ
  って任命されつつある。条約諸国の代表は、この旨を承知してほしい]
  京都に着いた湊宗左衛門は、十二月十六日、参与屋敷に、[藩主・万之助映季病気につき、名代重臣が近く上洛を致します]との届け出を提出した。その上で三春藩は、年寄の秋田広記を上洛させた。そして間もなく、三春より広記らが京都に着き、小野寺市大夫らと交替をした。そして十二月二十六日、広記らは参与屋敷を通じ、三春藩勤王の所信を朝廷に奏上した。しかし朝廷の召集に応じた藩は、多くの大名が動こうとしなかった。全国で三百藩と言われていたから、二割ということはわずかに六十藩ということになる。ちなみに福島県は十藩であったから、参加したのは一~二藩ということになる。三春藩以外どこが参加したかは、不明である。あまりの少数のため、朝廷は不参加の各藩に対しての疑念もあり、大名会議を主催できないでいた。この時点での朝廷への所信奏上が、のちのち三春藩に、大きな負担を強いることになる。
 一方、慶喜とともに大阪に退いた会津、桑名の兵に代わって、薩摩・長州・土佐の兵が京都に入った。政治や社会情勢は、混乱を極めていた。



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最終更新日  2009.01.05 17:06:45
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