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2008.03.11
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     一、疑 問

「ともかくこれの解明は、大きな意味を持つことになると思うよ」
 そう言ってくれた館長の言葉が、私の背を押していた。
 家に戻った私は、今日の動きを思い返していた。そして館長と話し合った『別葉二』までたどりついたとき、熊田氏が言っていたことを思い出した。
「文儀の名を襲名したのが二人、つまり一~三代の文儀がいました」
 ──そうか、すると『別葉二』の文儀は二代目の文儀か。それならこの『別葉二』に文儀の名があっても、不思議ではないな。
 私はもう一度文書を並べてみた。

         年 月 日       申 請 人
   一葉目       午正月    熊田文儀 (単独)
   二葉目   天保五午年正月    豊田三悦
                    村山玄澤
                    熊田文儀
   三葉目        正月廿四日 熊田文儀 (単独)
   別葉一 (安政五年)午正月    熊田元鳳
                    熊田宗倫
   別葉二 (安政五年)午正月    熊田文儀
                    村山玄澤
                    豊田三悦
                    熊田宗倫
                 注 カッコ内は、筆者が記入。

 ここで気がついたことは、もし館長が主張するように『一葉目と三葉目』が安政五年であるとすれば、そのころ二本松の小此木天然も種痘に成功しているのに、何故文儀がこれら医者仲間と共同で申請をしなかったのか、不思議に思った。現に安政五年と確定できる『別葉一・二』では、小此木天然とではないが連名で申請をしている。
 ──ということは、正式文である『三葉目』の下書きと考えられるという『別葉一』が二人『別葉二』が四人の連名なのに、その正式文書とされる『三葉目』自体が単独の申請人ということは、やはり不思議である。このことから、少なくとも『三葉目』は、安政五年であると確定したのではいけないのではないか。
 そう思った。
 ──では何故、年号の明確な天保五年の『二葉目』と安政五年の『別葉一・二』の申請人が複数で、しかも年号の不明確な『一葉目と三葉目』の申請人が熊田文儀単独なのであろうか?
 このなかなか解けない問題への対応に、調査の方法を変えて、脇から固めてみる必要を感じた。つまり、いままでの正攻法に変えて、傍証を探してみようと思ったのである
 ただこの傍証の稿には、複数の問題の発生とそれへの対応、考慮を平行して行わざるを得ない状況にあった。そのために問題を発生順のドキュメントとして書き進めると複雑さを増幅することになり、かえって理解を妨げることにもなりかねないため、問題ごとに書き進めることにしたい。つまり問題の発生と考慮が、一つずつ整理される、ということである。







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最終更新日  2008.03.11 09:55:19
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