『福島の歴史物語」

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2011.10.11
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 田村麻呂伝説は濃淡の差があっても全国的に広がっている。

 ここにまとめた伝説は田村麻呂が関係したと思われる地域のものに限定したが、田村麻呂が足を踏み入れていない多くの地域にも残されている。例えば青森県、秋田県、山形県などである。それと同様に広がっているのが、日本武尊と八幡太郎の伝説である。日本武尊については神話を、八幡太郎については各地の八幡神社の縁起を中心に、伝説が残されている。そこで福島県岩瀬郡の伝説を付け加えてみる。

 蓬田岳に住んでいた水鬼と風鬼は、多くの手を諸方に回して庶民を悩ませていました。征伐に来た日本武尊の軍勢を見た水鬼と風鬼は大いに怒り、大雨を降らせ大風を起こして山の麓まで覆う洪水を起こさせたのです。そこへ大柄な老人に身を変えた猿田彦命が表れ、日本武尊に山の攻撃の方法を教えました。日本武尊は檜を切り出して筏を作り、蓬や菅で姿を隠して攻めたので。ついに水鬼と風鬼は逃げ出しました。ところがその後またも蓬田岳の賊が民を悩ませたので、田村麻呂が、その昔日本武尊が進まれた道を辿って、賊を討ち滅ぼしました。        
                            (福島県岩瀬郡)

 このように田村麻呂、日本武尊、そして八幡太郎の伝説は、どこかで妙に混じり合っているのであるが、それにしても田村麻呂の伝説が突出している。この突出している理由は、次に述べる『田村三代記』に負うところが大きいと思われる。

 ところで史実から遊離した伝説は、現地にばかり残るものではなく、中央にもある。

    保元物語 
「古(いにしえ)その名聞し田村・利仁が鬼神を攻め、頼光・保昌の魔軍をやぶりしも、或いは勅命えおかたどり、或いは神力をさきとして、武威の誉れを残せり」(原文)
 これは本来のエミシ征討から離れて、鬼神退治の英雄とされたものである。

    平家物語
 平家物語では「ありがたきつよ弓、勢兵(せいびょう)、馬の上、かちだち(徒立)、すべて上古の田村・利仁・余五将軍、致頼・保昌・先祖頼光、義家朝臣というとも、争(いかで)か是にまさるべき、とぞ人申ける」(原文)と木曾義仲が彼らと遜色ないとしているが、歴代武将のはじめに田村麻呂を置いたことについて注目したい。

    元亨釈書(げんこうしゃくしょ)
 元亨二(一三二二)年、虎関師練(こかんしれん)がまとめた元亨釈書の「清水寺延鎮伝」によると一段と脚色が加わり、もはや史実からまったく遊離してしまう。
 奥州の逆賊の名は「高丸」となり、高丸は駿河の国まで攻め上り「清見関」を目指した(日本武尊の伝説も混入させたか)。ここで田村麻呂が出陣したと聞いて高丸は奥州に退いた。田村麻呂の軍は賊とはげしく戦い、官軍の矢が尽きた。その時小比丘(僧)と小男子があらわれ矢を拾い田村麻呂に渡した。田村麻呂はあやしみながらもその矢で高丸を射て、「神楽岡」でついに高丸を撃ちとり、その首級を都へもち帰った。田村麻呂が延鎮に事の子細を語ると、延鎮は勝軍地蔵と勝敵毘沙門の二像を造り祈ったというので、その二仏像を見ると、矢の瘢(きずあと)、刀の痕(きずあと)があり、脚は泥土にまみれていた、というような話になっている。

    義経記
 義経記によると、「本朝の昔をたづぬれば、田村・利仁・将門・純友・保昌・頼光、漢の樊噌(はんかい)、張良は武勇といへども名のみ聞きて目には見ず」、「本朝の武士には、坂上田村丸、これを読み伝へて、あくじ(悪事)の高丸を取り、藤原利仁これを読みて、赤頭の四郎将軍を取る」とある。
 なお赤頭四郎は、逢瀬町や湖南町に伝わる赤津四郎の伝説と名が近い。

    謡曲「田村」
 世阿弥の作といわれる謡曲「田村」では、「そもそも当寺清水寺(せいすいじ)と申す事は、大同二年の御草創、坂上の田村麿の御願なり」「これは人皇五十一代、平城天皇の御宇にありし、坂の上の田村麿、東夷を平らげ悪魔を鎮め、天下泰平の忠勤たりしも、すなはち当寺の仏力なり」「然れば君の宣旨には、勢州鈴鹿の悪魔を鎮め、都鄙(とひ)安全になすべしとの、仰せによって軍兵を調へ、既に赴く時節に至りて、この観音の仏前に参り祈願を致し立願せしに」(岩波文庫本)等と清水寺信仰と結びつけ、征討の主題は伊勢の国鈴鹿山の悪魔退治に移ってくる。






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最終更新日  2011.10.11 07:45:06
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