『福島の歴史物語」

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2012.02.11
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 田村麻呂伝説を内容で分けると二つの型がある。一つは田村麻呂のエミシ征討に関わる伝説であり、その二は寺社建立にかかわる伝説である。一についてはすでに詳述したが、対するエミシは記録を持たなかったし偶像を作らなかった。大和側は仏教文化を普及させる中で狩猟を非とし、農耕を是とする精神風土を強化するために田村麻呂を利用したのではあるまいか。室町時代に多く書かれた仏教説話をもとにした草子ものは、観音の慈悲のありがたさを説くことを主眼にしていたが、その例として語られるのは『殺生の戒め』である。これに対するエミシの意識の確証を歴史は残すことをしなかったが、被征服者の歴史は陰に隠されるのは世の常である。

 江戸時代に書かれた仙道田村兵軍記という本がある。平姓田村氏の始祖といわれる三春・田村清顕の一代記として書かれたもので、延暦十三(七九四)年の田村麻呂の征夷から始まり、古くからこの地に定着していた橋本氏に結び付けて自らの出自を貴種とする物語である。この仙道田村兵軍記では、田村麻呂は奥州の生まれで、胆沢の高丸、悪路王阿弖流為、母礼らを追いつめたが、紀古佐美を敗北させた高丸は山城国の神楽岡に討ち取ったものの阿弖流為と母礼は深山に逃走したとある。阿弖流為と母礼を殺さなかったこの話は、江戸期、一ノ関に再興された田村氏が三春で勢力を振るっていた時代を回顧して書かれたものであるとも言われている。一ノ関は、胆沢城の南、阿弖流為と母礼の勇敢な戦闘の歴史が残る場所である。

 ところで田村麻呂が祀られ、または勧請したとされる寺社は、東北地方だけでも七〇例以上を数え、それは全国に及んでいる。特に観音堂や毘沙門堂が多い。田村麻呂が征夷のため都から東山道を経て奥大道、つまり現在の国道四号線に沿って陸奥へ下っているので、その途中などで戦勝を祈願し、また平定後に寺社を建立したという地域と重なってくる。これらの寺社を東北のみ抽出しても次のような数がある。  (資料七 参照)

  三春町  九  田村市  七  小野町  四
  郡山市 十一  その他の福島県 十五  
  宮城県 十二  岩手県 十一  青森県  六
  秋田県  三  山形県  二

 田村麻呂が観音信仰に厚く、京都の清水寺を建立したことは有名であり、『毘沙門の化身にして来たりて我が国を護る』と伝えられたので、この種の寺社が多いと言われる。また吾妻鏡にある達谷窟伝説には、京都の鞍馬寺を模して達谷西光寺(岩手県平泉町)を建立したとある。田村麻呂が鞍馬寺に征夷戦勝を祈願し、帰還して大刀を献じた関係から模したと言われている。鞍馬寺は天台宗の寺で毘沙門天を本尊としているので、毘沙門の化身と目される田村麻呂とは結び付きやすく、天台宗系、あるいは清水寺系の僧によって寺院建立が東北に広まり、信仰と伝説とが結び付いたのであろう。 そしてこのような形で、田村麻呂は長く記憶されることになったものと思われる。

 これらの田村麻呂が祀られた、または勧請したとされる神社仏閣に、なぜか延暦十七(七九八)年、もしくは大同二(八〇七)年とされるものが多い。それも多いと言うよりは、むしろそのどちらかであると断言しても間違いないくらいなのである。建立された年がこれほどまでに統一されているということは、どういうことなのであろうか。しかも田村麻呂の死は弘仁二(八一一)年のことであるから、これらの神社仏閣が造営されたのはまだ存命中のことになる。つまり延暦十七年は田村麻呂の死の十三年、大同二年に至っては四年前に過ぎない。大同という年号は延暦に続く年号で、第五十一代平城天皇の時代の八〇六年から八〇九年の間の四年間しかない短いものである。それなのにこれらの年に、このように多くの神社・仏閣が建立されたということは、どういうことなのであろうか。

 大同年間は天変地異の多い年であった。
 大同元年に会津磐梯山が大噴火している。会津旧事雑考によるとこの噴火で猪苗代湖が出現したとあるという。しかし湖畔の縄文時代の遺跡から漁網の錘石が発見されていることから、これが伝説であることが分かる。ともかくこの大噴火で耕地は跡形もなくなり、会津地域では住む家や食物を失った人々が道端に屍をさらしたと言われている。またこの年は、那須連峰の茶臼岳の旧火山、尾瀬ケ原の燵ガ岳、蔵王刈田岳の噴火と噴火が続いていた。仙台地域にも「秋風や大同二年の跡を見ん」という俳句まで残されているが、意味は不明である。たしかにいくつかの火山の噴火があった。これによって東北地方には大きな被害をもたらしたということは想像できるが、関西など全国的にその被害を及ぼしたとは考えられない。田村麻呂勧請の寺社は東北に限らず、全国的に分布しているのである。

 大和国に遠くない浜名湖から天竜川(静岡県)沿いにも、田村麻呂を祭神とした田村神社がいくつもあるという。もちろん田村麻呂は北のエミシとは戦っているが、この地方で戦ったという記録はない。しかも田村麻呂が勧請したと言われる寺社以外にも大同二年建立ということに限定すれば、寺社の数はさらに増える。湯の嶽観音(いわき市)、茨城県の雨引千勝神社、早池峰神社、赤城神社、そして各地にある清水寺、長谷寺などの寺院は、ほとんどがこの年の創建となっている。また香川県の善通寺をはじめとする四国遍路八十八ヵ所の一割以上が大同二年であり、各地の小さな神社仏閣にいたるまで数えると実に枚挙に暇がないほどである。富士宮市の富士浅間大社も、大鳥居の前に大同元年縁起が記載されている。

 私が調べた範囲において、田村麻呂が勧請したとされる寺社の数の多さには驚かされる。東北以外、次の各県にもあるのである。             (資料八参照)

  茨城県  二  栃木県  二   群馬県  二
  千葉県  一  山梨県  二   新潟県  二
  長野県  五  福井県  一   静岡県  二
  三重県  一  滋賀県  二   京都府  一
  兵庫県  二  香川県  一 

 この他に各地の神楽の起源も大同二年の作と伝えられているものが多いが、そればかりではない。『秋田風土記』にある阿仁銀山(北秋田市)の他にも、半田銀山(福島県国見町)、高根金山(新潟県旭村)をはじめとする各地の鉱山の開坑も、大同年間や大同二年に語り継がれるものが少なくない。兵庫県朝来市の生野銀山の正式記録は『天文十一(一五四二)年』となっているが、伝承では大同二年である。おまけに八溝山(棚倉町)や森吉山(秋田県森吉町)などの鬼退治までが大同二年であり、加えて、湯本温泉(いわき市)や肘折温泉(山形県)、花巻の志戸平温泉、秋田県男鹿温泉なども大同二年あるいは大同年間に温泉が開かれたという記述があるように、温泉にまつわる大同二年もまた多い。こうなると磐梯山の噴火だけに理由を帰するという訳にもいかなくなる。





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最終更新日  2012.02.11 10:49:04
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