『福島の歴史物語」

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2020.10.20
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荒覇吐 と瀬織津姫(1)

 考古学者で言語学者の川崎真治氏は、1991年に、六興出版より出版された『謎の神アラハバキ』で次のように述べておられます。

「アラハバキ神は、父が天の神で、母が地の神である。これらの神のつながりこそ、『東日流(つがる)外三郡誌』の神髄であったのである。問題は、上古の日本に、アラハバキ神という『神』が実在したか否かにある。存在証明が言語学的に、神話学的に、文化人類学的に、民俗学的に、はたまた考古学的になされれば 『東日流外三郡誌』の記事のかなりの部分が『真の歴史』といえるのである」

 東日流外三郡誌によりますと、津軽には阿曽辺族という種族が平和に暮らしていたのですが、岩木山が噴火して絶滅しかかったところに津保化族というツングース系の種族が海からやってきて阿曽辺族を虐殺し、津軽は津保化族の天下となりました。その後、中国の晋では恵王(けいおう)帝の公子が殺されるといった内紛が生じ、晋に追われて公子の一族がやってきて津保化族を平定したのですが、その頃神武天皇に追われた長髄彦の一族もやってきたのです。長髄彦はこの公子の娘を娶り、両民族は混血融和して「荒覇吐族」と言うようになったというのです。ところで荒覇吐とは、もともとは民族の名『アラハバキカムイ』であって神の名ではなかったのですが、『荒覇吐族が信奉する神』ということから後に神の名に転じたという認識になっています。この神は伊勢神宮だけでなく、出雲大社の摂社や美保神社、武蔵国一の宮・氷川神社、武蔵国総社・大国魂神社など、日本な重要な神社に『隠れ神』として祀られています。特に東京都や埼玉県にはたくさん祀られていた伝承があり、江戸城内にもあったようです。荒覇吐は、日本神話最初の神である天之御中主神と同一神であるともされています。

 ところで蝦夷(えみし)という呼び方は大和朝廷による蔑称であり、自称は『荒覇吐族』であるとしています。ところが、この荒覇吐の原点は、今のアラビア半島のイエメンにあり、しかも古代アラビア語でのアラハバキは、最高の神の意味であったというのです。そのアラハバキが古代インドに渡ると、弱者を襲って喰らう悪鬼神とされました。中国に渡ったアラハバキは道教と習合し、日本に入ってきたのは弥生時代であろうと推定されています。日本に入った荒覇吐は、密教と関連することで大日如来の功徳を得て善の神へと生まれ変わり、大日如来の強大な力をそのままに、国家を守護する神に変えられていったとされます。荒覇吐族は、荒覇吐神と荒覇吐姫神の二神を信仰していたのですが、その荒覇吐神のビジュアルイメージとして、いつしか遮光器土偶ではないかとされていったのです。現在、青森県つがる市、JR五能線の木造駅は、亀ヶ岡石器時代遺跡から出土した遮光器土偶の形をした迫力ある駅です。

 当時の東北地方に住んでいたとされる蝦夷の人たちは、今の関西から山陰地方にまで勢力を伸ばしていたようです。それの傍証として、神話ではありますが、蝦夷人のリーダーとされた長髄彦が神武天皇と戦って敗れ、津軽に逃亡していることが挙げられます。しかし長髄彦が津軽に逃亡したとはありますが、どうもその時点で、蝦夷の人全員が津軽に行ったのではないようです。畿内に残った蝦夷人の多くは大和人に追われ、じわじわと関東、そして東北地方に逃れて行ったようなのです。 彼らが信仰していたらしい 荒覇吐神や荒覇吐姫神は、その名から言っても夫婦神であろうと考えられています。しかもこの 二柱の神は、 古事記や日本書紀以前にその名がみられるという、古い神なのです。その上この神は、皇祖神である天照大神の先祖の神の一柱ともされているのです。ところで、日本神話の神武東征と東日流外三郡誌に、次の同じような記述が見られます。つまり東日流外三郡誌には、畿内で神武天皇軍に敗れて津軽へ逃亡した安日王・長髄彦の後裔が、荒覇吐神と荒覇吐姫神になったと言われ。出雲や陸奥には鉄鉱石があったことから、荒覇吐神は産鉄の神(荒吐=アラフキ神、金屎の神)とされたというのです。これについて、三春町史に、『安日彦に続くのが荒覇吐の神々(五代)であった』という記述があります。ここでは、安日王・長髄彦の後の神が、荒覇吐神と荒覇吐姫神であったと説明しているのです。しかし東日流外三郡誌では、安日王・長髄彦が荒覇吐神と荒覇吐姫神を祀っていたとしていますから、これは明らかに矛盾しています。ただ日本神話によると、長脛彦は神倭伊波礼昆古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)、のちの神武天皇という神と戦っているのですから、両者ともに神であること自体は不自然ではないのかも知れません。しかしこのように東日流外三郡誌と三春町史の間に矛盾があっても、神であることでは一致している、と考えるべきなのかも知れません。このように長脛彦は荒覇吐神と密接な関係があるとされることから、長脛彦の住んでいた跡、つまり長脛彦一族の生活の地を示唆するのが、今も残されてる荒覇吐神を祀った神社であると考えてもよいのではないかと思います。

 その後の遣唐使が、改めて荒覇吐神を日本へ持ち帰ったとき、荒覇吐神は大元帥明王とされたそうです。この大元帥明王は、全ての明王の総帥であることから大元帥の名を冠したと言われます。ちなみにこの大元帥の『すい』を読まず、単に大元(たいげん)や大元(おうもと)神社と呼ばれるのが普通です。京都の吉田神社(京都市左京区吉田神楽町三〇)と同じ場所に、大元宮という名で大元神社の本宮があります。ただし吉田神社本宮の第一殿には健御賀豆知命(たけみかづちのみこと)が、第二殿には伊波比主命(いはいぬしのみこと)が、第三殿には天之子八根命(あめのこやねのみこと)が第四殿には比売神が祀られており、荒覇吐神は祀られておりません。また一方の荒覇吐姫神は、後にその名を瀬織津姫という美しい名に変えられ、天照大神の荒御魂として伊勢神宮での一柱の神とされています。なおこの2柱の神は、夫婦神と考えられながらも、同一の行動をとった様子がありません。そのためにまず荒覇吐神について述べ、しかるのちに荒覇吐姫神について述べたいと思います。ちなみに、幕末まで続いた三春藩秋田氏は、その先祖を長髄彦としており、その菩提寺が高乾院ですが、その山号を安日山としたことから、このことを誇りとしていたことが感じられます。

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最終更新日  2020.10.20 08:00:07コメント(0) | コメントを書く
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