『福島の歴史物語」

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2020.12.10
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   JR貨物の懊悩(2)

 翌十六日の5時45分、第一原発4号機の原子炉建屋で火災が発生した。6時20分には3号機付近で危険性の極めて高い一時間当たり400ミリシーベルトの放射線量が、4号機付近では100ミリシーベルト,2号機と3号機の中間地点では55ミリシーベルトが検出された。双葉地方広域市町村圏組合消防本部の消防隊17人が4号機の消火のためいったん構内に入ったが、現場付近の放射線量が高く危険なため引き返した。正午、 3号機が白煙を上げ、4号機もまた火災を起こすなど原発の危機が依然として続いていた。 天皇がビデオを通じ、大震災に関連して、『 いたわり合い、乗り越えて』と 国民に語りかけた。しかし住民の間には、再度の爆発、それも原爆のような爆発があるのではないかと恐れ、自分の住む所の安全性を心配していた。

アメリカ国防総省は、福島第一原子力発電所からの放射能被ばくを避けるため、少なくとも五十マイル、つまり約八十 キロメートル 圏から避難するよう在日 アメリカ 人に勧告した。原発から見て八十 キロメートルは、 北は宮城県名取市、西は猪苗代町、南は栃木県那須町・黒磯町。大田原市、茨城県大子町・日立市 辺りになる、 国防総省が設定した範囲は、日本政府が先に設定していたものより、ずっと広かった。 福島市に住む、渡辺駅長の友人のアメリカ人も、東京へ避難して行った。 これらを報道などで知った福島県の中通りからも 、県外に自主避難する人や家族が増えていった。この程度の放射能は自然界の中にもあるから心配ないという政府や東京電力の説明も、信頼されなくなっていた。このようなとき、三春町福聚寺の玄侑宗久和尚は、全国各地の同じ宗派の寺院に自費でガイガーカウンターを贈り、この話が本当にそうなのか、本当に安全なのかと長期の観測協力を依頼し、その結果の報告を求めていた。それには、将来、自分の子供たちが福島県に生まれたという理由だけで、県外の人との結婚を断られるのではないか、という不安の声があったからである。

 被災者たちは安全を求め、大移動をしていた。県内の避難所は満杯となり、各地を転々としたのち、さらに県外に再脱出する人も多かった。生活物資も不足がちとなり、特に移動用のガソリンと暖房用の灯油の不足は、どうしようもない状態であった。そのため福島県は、避難用のガソリンや灯油を、避難所のある、いわき、相馬、田村、南相馬に向けて、宇都宮の油槽所から、ローリーで被災地に向けて運搬を始めたが、放射能の被曝を恐れた運輸会社やドライバーの要望もあり、運搬先は郡山オイルターミナルまでで止どまった。県は自衛隊や県石油商業組合に要請するなどして、これらの地域に入れるドライバーの確保に追われた。 このような時、三春町が放射能の健康被害を防ぐ内服薬、『安定ヨウ素剤』を町民に配布し、服用させたことが問題化した。これは備蓄用に配ったものだとする県に対して町側は、『県が放射能の測定調査の数値を公表していない段階だった。放射能の状況が分からないなか、町民の命を守るために決断した。』と反論した。 ところがのちに、服用させたのが良かったとされ、服用させたのは全国でただ一ヶ所と賞賛された。いい加減な話である。この日の福島民報の片隅に、ハワイの福島県人会が大震災への義援金を募っているという、小さなニュースが載っていた。

 十七日の未明より、自衛隊のヘリコプターと高圧消防車、および警視庁の高圧放水車と東京消防庁のハイパーレスキュー隊により、第一原発3号機への放水を開始した。県は1時現在の放射線量の数値を発表した。それによると福島市2・80、郡山市で2・86,白河市で3・80(μSV/H)であった。しかし国は、『健康に影響を与える数値ではない。』としていた。9時48分、第一原発事故現場上空の放射線量が作業に問題ないことを確認した後、第一原発3号機に使用済み燃料冷却のため7500リットルの容器に海水を入れた自衛隊大型ヘリ2機で、計4回にわたって放水が実施された。 アメリカ 軍はこの日から施設の温度や放射線量を測定できる無人偵察機グローバルホークを投入した 福島民報はその論説で、『物流業者が放射性物質による運転手への健康被害を恐れ、福島県への輸送が不能となった』と報じていた。

 海江田万里経済産業大臣は、『タンクローリーを西日本から300台移す。』と発表し、同時に石油精製業界に対して石油供給増量を要請した。当初政府は、石油の生産量の方に気を取られていた。そのため石油の物流の問題への対応が遅れていた。それであるから、ローリーを被災地に移しても、灯油を積んだローリーが現地に入りたがらないことを、知らなかった。そしてこの日、 震災後初めての救援物資が小名浜港に到着した。しかし港に直接接岸できないため、海上自衛隊の最新鋭輸送艦「おおすみ」の大型ホーバークラフトで物資が陸揚げされた。一方でアメリカ国防総省当局者は、沖縄のキャンプハンセンを拠点とするアメリカ海兵隊第31海兵遠征部隊の約2200人が、秋田沖の揚陸艦3隻で『命令待ち』の状態が続いていた。アメリカ軍の支援は、日本側の要請に基づくのが原則のためであったからである。

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最終更新日  2020.12.10 08:00:08コメント(0) | コメントを書く
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