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たまにはコーちゃんの事も書きましょうかね、というわけで、コーちゃんネタです。しかし、たまに出てきて「貧乏コーちゃん」とは…可愛そうに。(うひゃひゃ)コーちゃんは、月末の今日が給料日今月は、事情があって約1週間お休みしたため、かなり給料の心配をしております。今のコーちゃんの仕事は、「基本給+売り上げ(純利益だったかな?)の10%」という給料。ちなみに、基本給だけでは、部屋代を払ったら終わりですと言うわけで、労働日数が少ない=売り上げの少ない今月は、かなりピンチらしい。しかも、先月働き始めたばかりなので、今月も給料日を前に、お金が無くなってしまったそうその話をしたのが一昨日。でも、10日前くらいの時点で、あと500Bはあるって言ってたからなぁ。昼ご飯は仕事先で出してもらってるし、無くなるほどじゃないと思うのに…。そう思って聞いてみると、「何かが起こって、異様にお腹が空くんだ!この前なんて、晩御飯にバミーを3杯食べちゃった…。だって、2杯食べてもまだお腹が好いてたんだよ」と、悲しそうに申しておりました…(-_-;)何が起こったかは知らないけど、それじゃあお金は足りなくなるわな。そして、一昨日電話している時点で、給料日まで、2日間の夕飯抜きが決定していたコーちゃん。めっちゃ腹が減っていたコーちゃんは(そりゃそうだ…。)、イライラしてて喧嘩になりました「ごめん、今お腹が空いてて怒りっぽくなっちゃってるだけだから…本当にごめん。」と仲直りしましたが。でも、以前ならこういう場合、簡単に友達にお金を借りようとしていたコーちゃんですが、「お金はできるだけ借りたくない」との事。昨日電話したときも「昨日(=一昨日)は本当にごめんね、お腹空いてたから…。raknaaは心配しないで!大丈夫だからと言ってましたし。いや~、少しずつだけど、変わってきてくれてるんでしょうか(まだ油断はできませんが。笑)そんなコーちゃんを可愛そうに思ったボスが、「卵ならあるから、カイダーオでも作って、うちで朝ごはん食べるといい。」と言ってくれて、朝ごはんにはありつけたそう優しいボスで良かったね~、コーちゃんしかし、それだったら、もうちょい給料上げてやってくれ~!!と思うワタクシ。(だって、給料すごい少ないんだもん…。)まぁ、ボスも良い人で、仕事の内容に不満は無いそうなので、後は、売って売って売りまくれ~頑張れコーちゃん今日はきっとコーちゃん、夕ご飯をたらふく食べて、ゴキゲンも良いことでしょう(笑)夜、電話してみよーっと
Nov 30, 2007
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翌日行ったのは、障がい児の家(名前が違っているかもしれません)。昨日と同じく、死を待つ人の家に行こうか、それとも別の施設に行こうか、少し迷いました。同じところに行けば、要領も少しは分かるけれど、新しい場所へ行けば、また何も分からず、何もできないだろうと思ったので。でも、私がカルカッタに滞在できる時間は長くない(これからインド旅行が始まる時だったので)。それなら、できるだけ多くの場所を見ておきたい、と、迷った末に決めました。前日、自分の甘さを思い知らされたばかりなのに、障がい児の家に行くに当たって、また私は甘い考えを持っていました。「子どもだから、コミュニケーションは大人よりも簡単かも」と。でも、それこそ大甘な考えでございました。行った中で、私にとっては、ここが一番厳しかったです。そこでは、洗濯はありませんでした。着くなりまた、慣れている人たちは、子どもの名前を呼んで一緒に遊んだり、障がいのある足や手をマッサージしたり、リハビリの介助を始めたりしています。でも前日と同じく、私は何をして良いやら分からない…。周りを見回して、私にできそうなことを探した結果、元気に走り回っていた子どもたちと遊ぶことにしました。でも、一人一人が持っている障がいや、その程度が分からないから、本当に恐々でした。それに、元々子どもの相手が得意ではない私…。必死で(?)遊んでいたものの、そのうち、一人の3歳くらいの男の子が興奮して、叫んだり走り回ったりし始めました。何とか宥めようとしましたが、その子の興奮は増すばかり。気付いたベテランの欧米人のボランティアさんが、名前を呼んで色々と話しかけると、やっと落ち着いてくれました。…落ち込みました役に立つどころか、迷惑をかけてしまっている。その子にも、嫌な思いをさせてしまいました。やっぱり、何もできないんだなぁ、という事を実感した私。すごく上手に子どもたちの相手をしている欧米人の女性に話を聞いたところ、その人は、自分の国で幼稚園の先生をしているそう。「子どもって、本当に可愛い。すごく楽しんでやってるわ。」と言っていました。私のボランティアに対する動機って、恐らく「『自分が』何かを得たい、役に立ったという実感が欲しい」というものだったと思います。不純だなぁ、私にボランティアの資格は無いな、と反省しました。休憩を挟んで、シーツ交換や食事の配膳が始まりました。体が妙な具合に曲がっていて、知的障がいも併せ持っている子のシーツ交換は、どう抱き上げたら良いのか、とか、誤ってこの子にとって不快なことをしてしまうんじゃないか、という思いが強くて、かなり恐る恐るでした。でも、その子の目はとても静かで、見ていると、良く分からないけれど、何だか涙が出そうな気持ちになりました。でも中にはやっぱり、私のやり方がまずかったのでしょう、また興奮して叫びだしてしまう子もいました。私が食事の介助をしたのは、ずーっとニコニコ微笑んでいる知的障がいを持った女の子。シスターが、私でも介助ができそうな子を選んでくれました。何か言葉を発するわけではないのですが、彼女の笑顔を見ていると、また何とも言えない感情が沸いてきました。同情ではない、悲しいわけでもない。この時に味わった感情が何なのか、未だに自分でも良く分かりません。そして、ボランティア2日目も終わりました。印象に残ったのは、シスター達のこと。シスターに対しては、勝手に「すごく優しくて柔らかい人」とう印象を持っていたのですが、ここのシスターに限らず、みんな強い!!テキパキしていて、あまり笑顔でいる感じではありませんでした。もちろん、みんな優しかったけれど…。実際にわずかながら自分でも経験した後では、患者さんの相手は、優しいだけではできないもんなぁ、と分かったのですが。3日目。今度は、女性の家に行きました。どういった人たちが患者さんなのかは分かりませんが、普通に元気に歩いたり喋ったり、という人もいれば、点滴を受けて寝たきり、という人もいました。年齢も、10台からおばあちゃんまで様々。元気な人が多いせいか、少し英語も通じるし、ボランティアも患者さんも女性同士ということもあって、とても明るい雰囲気でした。ここでも、洗濯から始まりました。ここでは消毒液ではなく、煮沸消毒を行っていました。洗濯をしている脇で、知的障がいのある人でしょうか、一人の患者さんがおしっこを始めました。ちょっと抵抗は感じるものの、こういうことにも少し慣れてきたなぁ、という感じでした。洗濯の後は、シーツ交換と食事の配膳や介助。ここでは、元気な患者さんも手伝ってくれて、和気藹々とした感じでした。お互いに冗談を言ったり、ちょっかいを出し合ったり。食事の後は、寝たきりのおばあちゃんにマッサージをしました。そのおばあちゃんが、言葉は分からないけれど、ずーっと話しかけてくれました。私も、「うん、うん」と相槌を打っていれば、満足そうでした。そして話の最後に、その度、そこだけ英語で「サンキュー」と言ってくれるのです。すごく嬉しかったです。私も、ここではほんのわずかですが、役に立てた感じがして、明日からここに通おう、と決めました。ところが、急遽先を急がなければならない事情ができてしまい、私のボランティアはたった3日で終了してしまいました。良い経験だったと思います。でも、あの経験を生かせているか…と聞かれたら、完全に「NO」です。日本に帰ってきてから、一切ボランティアはやっていません。ボランティアを必要としている人は、何もマザー・ハウスだけではなく、日本にも沢山いるのに…。もちろん、ボランティアをすれば良い、ということではありませんが、あの経験によって、自分の中で、何かが変わったとも思えません。結局私は、自分が可愛くて、自分のことしか考えていない人間なんだと思います。マザー・テレサが来日した際に語った言葉を、少しだけ要約して引用したいと思います。「豊かそうに見えるこの日本で、心の飢えは無いでしょうか。誰からも必要とされず、誰からも愛されていないという心の貧しさ。物質的な貧しさよりも、心の貧しさは深刻です。心の貧しさこそ、一切れのパンの飢えよりももっと貧しいことだと思います。豊かさの中で、貧しさを忘れないでください。」何だか、えらくクソ真面目な内容になってしまいましたが、書いているうちに色々と思い出して(意外にも結構覚えているもんだなぁ)、そして改めてこうして自分の感じたことを書き記すことができて、良かったです。長々と書いてしまいましたが、読んでくださった方、ありがとうございました
Nov 30, 2007
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ボランティアは、朝の5時過ぎに起きて、安宿から徒歩10分程度のマザー・ハウスに集合するところから始まります。マザー・ハウスは、思ったよりも小さく、質素な建物でした。ボランティアの必要な施設は、有名な「死を待つ人の家」だけでなく、「障がい者の家」「子どもの家」「女性の家」(名前が違ってるかもしれません)等々、他にも色々あり、カルカッタの市内に点在しています。まずマザー・ハウスに集合し、ビスケットとバナナ、チャイ等の朝食を振舞っていただいた後、それぞれが希望する行き先別に別れ、そこに向かいます。本当は、ボランティアに参加するには登録が必要なのですが、私はモグリで参加させてもらってしまいましたこれから行く方、どうぞちゃんと登録をなさってください…初日に私が行くことに決めたのは、「死を待つ人の家」。やっぱりここは見ておきたい、と思ったからです。マザー・ハウスからは、バスで向かいました。実際に行く前の私の想像は…。「ご飯を食べさせてあげたり、手を握って励ましてあげたりして、それでニッコリ笑顔なんか返してもらっちゃったら最高だなぁ」なんていう、とんでもなく甘っちょろいものでした着いて早々。特に説明も無いのに、慣れている人が多いので、みんなテキパキ仕事を始めています。でも、私は何をしていいやらさっぱり分からない…。日本人の姿を見かけたので(同じ宿の人は、ほとんどが違う施設に行っていた)、「あの…今日が初めてなんですが、何をやったらいいんでしょう」と聞いたところ、「ここでは仕事は与えられてやるもんじゃないのよ!自分で探しなさいよ」と言われてしまいました。正直、予想外の反応で、ちょっとびっくりしましたねぇ。「探すも何も、何も分からないから聞いてるんじゃねぇかちょっとは親切に教えてやろうって気にならないもんかねぇ」と思いました(^ ^;)幸い、近くにいた欧米人が「一緒にやろう!」と、洗濯に誘ってやり方を教えてくれました。洗濯…。そりゃ、洗濯は大切な仕事です。でも、私が思っていたのは、もっと人と触れ合うというか何というか…なーんて、そんなこと思っても言える訳もなく、洗濯に参加させてもらいました。洗い物がどんどん運ばれてきます。それには、おしっこやウンコ、中には血がついたものも…。洗濯機なんかあるわけも無く、それをコンクリート製の大きな荒い桶に入れて、手や足で洗濯します。正直言って、もん~のすごく抵抗ありました…その時、私の手には傷があったし、足はサンダル擦れでこれまた傷アリ。一応、洗濯は消毒液を使って行うし、手袋は使うものの、「こりゃ…病気もらうかな」と思いましたね。実際、マザー・ハウスがどのように管理されているのか分からないのですが、恐らく、感染症を持った人や重い病気の人は、他の施設や病院に入れているのかもしれません。(そうじゃないと、あっという間に病気が蔓延しそうですから…。)でも、ボランティアの中には、病気をもらって緊急帰国、なんてケースが稀にあるようです。後に知り合った日本人の看護婦さんも、「あの洗濯方法じゃあ…リスクは高いわね」と言ってましたし。でもまぁ、感染は本人の体調等もあるだろうし、マザー・ハウスで感染したとは限りません。(普通に旅行だけしていても、肝炎とかに罹る人は多い。)感染した人についての話も、あくまでも噂で聞いただけですし、ほとんどの人が、元気に毎日のようにボランティアに通っているので、あまり心配する必要も無いのかな、と思います。でもやっぱり、実際に行うとなると…怖さは感じますけれど、「まぁ、万が一病気もらったら、その時はその時!」と開き直って始めると、後はもう気にならなかったです。(というか、ヤケ?笑)手袋をしていても、水はじゃんじゃん手袋の中に入ってくるし、邪魔だし、取っちゃいました。それにしても、手や足での洗濯、しかも大量に、っていうのは、結構な重労働です。シーツ等の大物を絞るときは、柱を使ったり、何人かで協力して行いました。でも、欧米人とか、ノリの良い楽しい人が多くて、みんなで声をかけあって、笑顔で作業ができました。かなり楽しかったですずっとボランティアとして通っている人は、入浴作業や下のお世話をしていましたが、見ているだけで大変そうでした。でも、みんな明るくて笑顔なんですよねぇ。それを見ていると、「患者さんの手を握って…」なんて想像していた自分は、何も知らない上に、自分だけの都合でボランティアを考えていたんだなぁと痛感しました。恥ずかしかったです。洗濯を終えると、今度は昼食の準備。出来上がったカレーをお皿に盛って配ります。中には、痩せ細って今にも死にそうなおじいちゃんもいるのに(まぁ「死を待つ人の家」ですし。)、やっぱりカレーなんだ…。あぁ、ここはインド( ̄□ ̄;)、と、妙な感慨を抱きました。(実際はカレーオンリーではなく、体調に合わせて、おかゆやヨーグルトの人もいたのですが。)元気な人は「パニ(水)!パニ!」と水を催促したり、何だか色々な訴えをしてきますが、(結構、というか、かなり元気な人もいました(^ ^;))私はヒンディーは全く分からない患者さんも英語を話す人は少ない。ごめんね、おじいちゃん…。ちゃんとしたケアをするには言葉ができないと、という現実を思い知り、またもや私の幻想は打ち砕かれたのでした。何もできず、オロオロ歩き回っていた私に、シスターが、「あの人はあまり食事が摂れないの。このヨーグルトを食べさせてあげて。」と、私にヨーグルトを手渡してくれました。おぉと、嬉しかったです。そのおじいちゃんは、枯れ枝のように痩せていて、動くエネルギーも無いようです。ベッドに沈むように横たわって、虚ろな目をしていました。日本語で話しかけながら、小さなスプーンでヨーグルトを口に運ぶと、何回か食べてくれましたが、それ以降は口を開いてくれません。「もういいの?もっと食べなきゃ」とスプーンを口に近づけてもダメ。言葉もできないから、おじいちゃんの望んでいることが分からない…。私は途方に暮れました。するとシスターが近づいてきて、何やら話しかけながら、私と交代して、かなり強引に、スプーンでヨーグルトを食べさせました。正直、あんなに強引に行っちゃっていいの? と思いましたが、食べないと体力が持たないもんね。見事なシスターの技でした。ボランティアは、朝から夕方まで、朝からお昼まで、お昼から夕方まで、という風に、好きな時間帯で参加できます。同じ宿のボランティア経験者に、「終日は本当にキツイし、結局続かなくなるから、昼迄コースが一番良いと思うよ。」と言われていたので、ここまでで今日は終了。私の初ボランティアは幕を閉じました。初日を終えてみての感想は…。まず、自分の幻想が、いかに甘っちょろい、自分勝手なものだったかを思い知りました。ボランティアの中には、患者さんとお互いに笑顔で会話したり、細々としたお世話をしている人がいましたが、そういう人は、かなりの長期で参加していたり、何度もインドに来てボランティアをしているとの事。初めてぽっと行った人間が、一人前の仕事なんかできる訳が無いのです。そんなことにも思い至らなかった私…。でも、初日を終えての感想は、何よりも、すごく楽しかったです。ちょっと意外でした。仲間と笑顔で会話しながら汗をかくこと。それが結果的に、ほんの少しだけれど、人の役に立ったということ。単純に「労働の喜び」という感じで、とても気持ちが良かったです。参加する前は、きっと「ボランティア」という事に対して、かなり気負っていたし、その「人のために」という点を美化し過ぎてしていたんだと思います。良く「ボランティアは人のためではなく自分のために行うこと」とか、「自分が気持ちよくやることが何よりも大切。無理をしたら続かない」とかいう言葉を聞きますが、その意味が、少し分かったような気がしました。
Nov 30, 2007
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だいぶ寒くなってきましたねぇ。ブルブル寒いの大嫌いな私には、辛い季節になりましたクリスマスとかお正月の雰囲気は好きなんですけどね。日本で生まれ育ったから、クリスマスとお正月はやっぱり寒くなきゃって思ってますしさてさて。話は変わりますが…。最近、良く本を読んでいます。元々、読書好き人間ではあるのですが。映画やテレビよりも、断然 本週末の引きこもりデーなんかは、一日3冊とか読んじゃいます。でも、なかなか面白い本に出会うのも難しいんですよねぇ。しかも、本の値段って上がってるし…昔は文庫ももっと安かったのに、今は平気で一冊600円とか700円とかしますもんねぇそこで私が頻繁に利用しているのが、図書館と○ックオフ♪特に、○ックオフの100円コーナーは、お金の無い私の味方しかも、本屋には売っていない面白そうな本があったりもして、宝探し気分も味わえますまぁ、古本屋の場合、そこで面白い本に出会っても、その筆者には印税が行かないっていう問題もありますが…その100円コーナーで、先日、マザー・テレサの本を購入しました。もう、何と言うか…、偉大としか言いようが無いです。しかも、ご本人は、決して自分のこと・自分のしていることを「すごい」とか「偉い」とか、一切思っていらっしゃらなかったんですから…。実は、マザー・テレサが亡くなったとき、私はちょうど、初海外旅行でインドに行っていたんです。そして、カルカッタでマザーの訃報を聞きました。カルカッタと言えば、マザー・ハウス(修道院)のある、マザーの活動の本拠地。マザーへの献花が行われるというので、みんな(ゼミ仲間)と参列しました。本当に大勢の人が、長い長い列を作っていました。並びながら、「日本の誰が亡くなっても、一般の人がここまで長い列を作ることは無いだろうなぁ」なんて、ぼんやり考えておりました。どれくらいの時間並んだかは忘れてしまいましたが、マザー・テレサの遺体を見た瞬間の衝撃は忘れられません。棺に横たわったマザーは、本当に小さな、しわくちゃのおばあちゃんでした。「この人が、あのマザー・テレサ…」と思うと、胸が一杯でした。こんなに小さな体で、貧しい人たちのために働き続けたマザー。その当時の私のマザー・テレサについての知識は、インドで貧しい人々のために働き続けていること。「死を待つ人の家」を作ったこと。ノーベル平和賞を受賞したこと。その程度の知識しかない私にとっても、胸に迫るものがありました。インドは、貧富の差がものすごく激しい。現在は表向きは廃止されていますが、未だにカースト制度が根強く残っており、カルカッタでは、路上生活者や物乞い、障がい者も山ほど見ました。それを見た後では、あの人たちのために自分の全てを捧げて働くことがどれほどのことか、ほんの少し実感できたために、より強い印象を受けたのだと思います。そして今から約3年前、私は再びインドを訪れました。カルカッタの街は、以前よりも綺麗になって、物乞いや路上生活者の数も減っているように見えました。旅行者同士の間では、「インド政府がトラックに物乞や路上生活者を積んで、デカン高原に捨てたらしい」という噂が囁かれていました。しかもみんな、「インドならやりかねないからねぇ…本当かも。」なんて話してましたから…。(インドの方々、申し訳ありません)私が泊まっていた、サダルストリートという安宿街にある宿では、マザー・ハウスでボランティアをしている人がたくさん居ました。日本人も欧米人も韓国人も、結構な人数が参加しているようでした。特にボランティアのためにインドに来た訳ではなく、旅行で来たついでで、(と言うと言葉は悪いのですが。)という人が多かったです。そしてみんな、楽しそうにやってるんですねぇ。中には、ボランティアが面白くなってしまって、予定外に長くカルカッタに居る、という人もいました。参加している人たちは、「見るからに良い人」という感じではなく(もちろん良い人が多かったですが。)日本で会ったら「ちょっとお近付きになりたくないなぁ」なんて人もいました(笑)それに、みんな「良いことをしている」といった気負いは感じられず、「楽しいから」とか、「汗をかくのが気持ちいい」なんていう理由で、気楽に参加していたのが印象的でした。私も参加してみたかったのですが、正直、迷いもありました。「本当に自分にできるのだろうか…」ということと、こんなに楽しそうにボランティアに参加している人がいるのに、もし私がそれを経験して、『苦痛』と思ってしまったら…という怖さ。だって、もしそう感じてしまったら、「人間失格」みたいじゃないですかなので、誘ってもらっていたにも関わらず、参加するまでには少し悩みました。でも最後は、「せっかくカルカッタにいるんだし、マザーの遺体を見た私には、一度は経験すべきことだろう。それに、もし私が『嫌だ、できない』と思ってしまっても、それはそれで仕方ない。」と開き直って、参加することにしました。それにやっぱり、興味があるというか、やってみたい気持ちも強かったし。これから、私がボランティアで感じた事などを書いて行こうと思います。でも、その当時は日記を書いておらず、友達にメールで色々報告をしていて、そのメールは自分宛に一切送っていなかったので(今思えば本当に勿体無い…)怪しい記憶を掘り起こしての日記になりますがもしご興味のある方は、読んでいただけると嬉しいです
Nov 30, 2007
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昨日は、久々に友達の家にお邪魔してきました徒歩5分という距離にも関わらず、何だかんだとバタバタしていて、約一年ぶり…第二子が生まれて半年経つのに、長いことお祝いもせず申し訳なかったな~と言うわけで、昨日は、お祝いを持って遊びに行きました。上の子はもう4歳。ちゃんとお話もできるし、聞き分けも良くてとっても良い子(まぁ友達曰く、客の前だから、ってことですが。笑)子どもの成長を見ると、時間が経つのは早いなぁ~って思いますね。そして半年前に生まれたベイビー、もうちっちゃくて、めっちゃカワイイいっぱい触ってきちゃいました旦那さんも、色々と煩がらずに子どもの相手をしていて、更に、お茶を入れたり洗濯物を入れたりと、細々したこともやってくれていて、いや~羨ましいとても良い家族で、私まで幸せ気分をもらいました私はずっと、結婚する気はありませんでした。両親を見ていて、「結婚なんて不幸になるだけだ」と思っていたので…。でも、結婚した友人は、嬉しいことに、みんな幸せな結婚生活を送っていて、それを見ていたら、「相手を間違えなければ(←これ重要。笑)、結婚ってすごく良いものなんだなぁ」と思えてきたのが、ここ3年くらいのこと。まぁ、死ぬまで独身を通せるほど、自分が強い人間ではない事に気付いた、ってこともありますが更に子どもは絶対に欲しくなかった。何故なら、怖かったから…。自分の血を引いていて、自分に似ている子どもなんて、私にとっては、恐怖以外の何ものでもなかったんです。これはやっぱり、私が自分のことを受け入れていなかったからだと思います。それに、「私のような人生を歩んだら可哀想」という気持ちもありました。(お恥ずかしい限りですが…)元々、子どもが苦手なこともあって、「私は子どもは産まない」と思っていました。可愛いとは思うんですが、同じ目線で遊んだり話したりすることが苦手でして…(お子さんのいらっしゃるお母さん方、申し訳ありません)でも、それも最近変わってきました。この私が、「子ども、産めるなら一人くらいは産みたいなぁ…」と思うようになってきたのです。何か…理屈じゃないんですが、「自分の家族」が欲しくなってきたんだと思います。年齢のせいか?笑あと、コーちゃんに会えたことも大きかったと思います。コーちゃんと会って初めて、結婚とか子どものことを、前向きに考えられるようになったので…。コーちゃんと出会った頃の私は、「結婚したくない」ではなく、「私に結婚は無理だろう」と思っていました。自分のこの性格を考えると、誰かと一緒に生活して、自分をさらけ出すことは不可能だ、と思っていたので。だから、コーちゃんと出会って、「この人とだったら、結婚できるかも」と思った瞬間は、自分でもびっくりでした。まさか、私がそう思える人と出会えるなんて…という感じ。まぁ、コーちゃんが私にとっての「正解」なのか、また、私がコーちゃんにとっての「正解」なのか、それは分かりませんが、でも、結果を自分の目で見なくちゃ気がすまない私のこと。とりあえず前進あるのみ、かな
Nov 26, 2007
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いつの間にやら、コーちゃんと出会って3年ちょい、遠距離になって2年が経ちました。ちょっとびっくりです一緒に居たときはまだしも、離れる時は、「遠距離になったら結構あっさり終わっちゃうんじゃなかなぁ」なんて思っていたものですが(^ ^;)しかーし。この間、山アリ谷アリ、どん底あり…数ヶ月前も、とんでもない事が起こりましたしねぇ。その当時は、とてもブログに書くなんてできませんでした、痛すぎて「何で私がこんな目に!?コイツのせいで私の人生めちゃくちゃだ!!」と、本気で思いましたからね。コーちゃんがバンコクで仕事を始めて少し経った頃。5日間、音信普通になったことがありました。コーちゃんがバンコクに行ったことに、とても不安を感じていた私。その不安は、根拠のあるものなのですが…。で、以前も日記に書いたように、たった一日連絡が取れなくても取り乱した私。その後、「もう連絡がつかないようなことは絶対にしない」と言ったコーちゃん。私も、その経験から、1~2日連絡がつかないことには慣れていました。しかし、5日間の音信普通。絶対に何か問題があったに違いない。そして、その問題がヤバすぎて、連絡を絶って逃げてしまったんじゃ?もうこれから先ずっと、コーちゃんとは連絡が取れないんじゃ…そう思って、かなり取り乱しました。連絡が取れたのが6日目。そして、案の定、とんでもない大問題が起こっておりました…それを聞いた瞬間、大げさではなく、目の前真っ暗状態です。こんな思いをするなら、もう別れるしかない、と思いつつも、でも、あまりにもコトが大きすぎて、頭はそのことで一杯。「この問題の結論が出るまでは、決断はできない」と、とにかく必死でした。しかも、問題は一つではなく、次から次へと沸いて出て、毎日ワーワーギャーギャーやっておりました。コーちゃんから電話が鳴るたびに、何かしら問題が起きてるんだから、もう電話に出るのがイヤでイヤで仕方なかった…。正直、その1~2ヶ月のことは、思い出したくもありません。というか、実際にあまり思い出せないしな。(-_-;)結局、コーちゃんはせっかく得た仕事も辞めざるを得なくなり、しかもその後、友達に裏切られたりもして、更にはコーちゃんのお母さんにもトラブルが発生し…。もう、笑えるくらいどん底でした何だか色々と、曖昧な書き方で申し訳ありませんトラブルの数々は、一応、コーちゃんの名誉のために書きますと、別に犯罪行為を犯したとか、そういう事ではございません(^▽^;)結局、コーちゃんはチェンマイに戻りました。新しい仕事も得ることができて、しかも結構良い職場のようです。お給料的には凄く安いけれど、色々な勉強になるから、と。そして、怪我の功名と言うか。私がこの3年間、ずーーーーーっと言い続けていたことについて、「初めてちゃんと理解した」とコーちゃんが言いました。これまで、私が散々言っても、「分かった、って口先で言ってるだけなんだろうな」と言うことは、私もずっと感じていました。でも今回のコーちゃんの言葉は、今までとは違った。友達とも色々話し、本も読んで、自分がいかに間違っていたかが分かったそうです。「自分はここで変わらなきゃいけない、どんなに大変でも。」そう言いました。だから、「これがラストチャンスだ」と伝えました。「私も自分を大事にしたいから、今回も口だけで、実際に変わることができなければ、私はコーちゃんと別れなきゃいけない。例え辛くても。」コーちゃんも、それを呑みました。そして、ちゃんと誓約書も書かせました(笑)まぁ、誓約書なんて実際には何の役にも立ちませんが、ちゃんとコーちゃんにも、危機感を持って欲しかったので今回、私が調子を崩したことに、コーちゃんは罪悪感を感じているようです。まぁ、原因はもちろんそれだけではないのですが、何割かを占めていることは確実。十分に責任を感じていただきましょう(笑)でも、コーちゃんが私の中で非常に大きな存在であることは確か。コーちゃんに救われている部分も、たくさんあります。その中で最も大きなものが、「ありのままの私を受け止めてくれる」ということ。どんなに情けない部分も、格好悪い部分も、狡い部分も、私はコーちゃんに見せることができる。「お互いに高めあう関係でないと本物ではない」、そういう意見もあるとは思いますが、安心感、それが私にとっては何よりも大切なものだと思っています。やっぱり喧嘩はあります。つい先日も、とんでもない大喧嘩をしましたお互い、「コイツは何にも分かってない!!」と大爆発。私なんて、怒りが頂点に達して、笑い出してしまったほど(笑)コーちゃんも、久々に大ギレしてましたし。でも、仲直りできてるうちは、まぁ良いのかな?(本当か)周りから見たら、とんでもないアホ人間だとは思いますが、私はやっぱり、自分が納得できるまで、コーちゃんと向き合おうと思います。と言うわけで、久々のコーちゃん登場でした遠距離も、まだまだ続く予定でございます
Nov 24, 2007
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先日、友人の結婚式に出席した。めっちゃめちゃ綺麗だったすごい美男美女カップルだったな~控え室にお邪魔して、少し話をした。その時の彼女の言葉に、胸が一杯になってしまった。私は現在、彼女にとても迷惑をかけてしまっている。それなのに、「来てくれて嬉しい。」と言ってくれた。今日のその言葉だけじゃない、私を気遣って、プレゼントや手紙を送ってくれた。私は、彼女に対する罪悪感で、自分の中で、彼女に対して距離を作ってしまっていた。申し訳ない気持ちで一杯で、彼女が大好きな分、「もう許してもらえないんじゃ…。」と考えてしまい、怖かった。でも、彼女は笑顔で私を迎えてくれた。涙が出そうだった。彼女が彼と結婚するまでのことは、ほとんど聞いてきたと思う。決して平坦ではなかった二人。でも、結婚式での彼女は、すごくすごく綺麗だった。良い笑顔だった。旦那様のプロポーズも素敵だった。私も、本当に幸せな気分だった。会場で会った他の人たちも、私を責めることはせず、暖かく言葉をかけてくれた。行く前は、気が引けていたし、怖い気持ちもあったけれど、結果的には、みんなにすごく救われた。励ましてくれる人もいた。私は幸せだなぁ、と思った。この3~4ヶ月、辛い時間を過ごしてきた。確かに辛かったけれど、私はその間、自分のことしか考えていなかった。自分には価値が無い。その思いから抜け出せなくて、自分で自分をがんじがらめにしていた。確かに私は、人に心を開くことが難しい。自分に自信が無い。そして、物凄く自分に対して甘い。いつまでも、こんな状態では駄目なんだ。私は両親ではなくて、自分のことを許していたなかったのかもしれない。自分のことをちゃんと受け入れて、認めることができていなかったんだと思う。上手く書けないけれど、この時間は無駄ではなかった。絶対に。両親との関係も、本当に少しずつではあるけれど、「変えていける」と思えるようになった。友人に対しても、「もう少し甘えても良いのかもしれない」と思い始めた。やっぱり周りの人は、私にとって、とても大切な人ばかり。誠意をもって、大事にしたい。う~ん、書いてるうちに何だか良く分からなくなってきてしまった…(-_-;)とにかく、今の自分の思い。「頑張ろう」と思えるようになった。無理をして、ではなく、心から、自然に。それが、すごく嬉しい。頑張るぞ~!!!
Nov 24, 2007
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今日は、昨日と変わって、すごく良いお天気です気分もちょっとな感じです私は、人から結構「優しい」と言われることがあります。(自分で言うか…( ̄ー ̄;))私自身は、自分のことを決して優しい人間だとは思いませんが、人の気持ちに共感しやすいところはあるかなぁ、と思います。例えば、会社で友達が上司とかの文句を言っている時、「うん、そうだよねぇ。」と聞きながらも、人によって、またその人の立場によって、同じ状況であっても、ものの見方や考え方、見える側面は変わるものだし、それを考えると、一方的に相手を責められないなぁ、と思うタイプです。そして、親しい友達には、時にそんな自分の考えを伝えたりもしました。そういうタイプであるために、基本的に「人に対して腹が立つ」ということはめったにありません。腹が立つよりも、仕方ないよね、と思うことが多いです。また、友達の相談に乗っているとき、話を聞いて私の思ったことを伝えると、「そうか、そうだね。私は本当はそう考えているのかも。あんた、私より私のこと分かってるねぇ(笑)」なんて言われたりもします。だから、私にはどこかに、「自分は人の気持ちが分かる人間だ」という自惚れがあったと思います。確かに私は、少しばかり共感能力は高いかもしれません。でも、「優しさ」は?共感するだけでは、それは決して「優しさ」ではありません。私が他人に対して優しいとすれば、それは恐らく、相手のためではなく自分のため、自分を守るため、自分のことを相手に良く思ってもらいたいがため、そのための、「みせかけの優しさ」だったことに気付きました。…しかし、嫌な人間だなオイ。|||||(´ω`;)|||||本当の優しさは、強さを伴うものだと思います。私のように、弱い自分を守るための行動は、優しさではない。(もちろん「相手のために」と自分なりに考えての行動ではあるのですが。)それは、時に、独りよがりになってしまう危険性があると思います。相手のことを心から思い、「自分がしてあげたいこと」ではなく「相手の望むこと」ができること。それが「優しさ」なんじゃないかと思うようになりました。それは、今の私にとってはとても難しいことだけれど、これからは、それを忘れずにいたいな、と思います。決意表明でした~(笑)
Nov 7, 2007
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夢中でバーっと書きましたが、自分で読み返してみると…。自分の弱さや甘えがよーーーく分かりますね読んでくださった方の中にも、もっと、ずっとずっと辛い思い、哀しい思いをされてきた方が沢山いらっしゃると思います。これしきの事で、って感じでしょうね。申し訳ありません。私はヘタレです。自分でも分かっちゃいるんですけどね~。ははは(^ ^;)今日は天気のせいか、気分がガーっと落ちてます暗くてすみません(T_T)書いたことも、正直、良かったのかな、という思いです。でもまあ、少し整理はついたかも。けど、読んだ方がどう思ったかなぁという不安もあり…。(これが弱さじゃ、っつーのヾ(。`Д´。)ノ)消してしまおうかとも考えましたが、後悔するかもしれないので(笑)とりあえず後で考えまっす。最近また、心理学系の本を少し読み始めました。人間の心って、本当に複雑ですね…。でも、言える事は、みんな意識的であれ無意識であれ「自分」を守ろうとし、必死に生きようとしてるんですね、人間って。中には、それが上手くできない人もいて、それはとても悲しいことだけれど…。それでもやっぱり、人間って、生きることって、すごいですね。心理学系ではありませんが、最近読んで面白かった本を。「女という病」中村うさぎ中村うさぎと言えば、買い物と整形とホストの人、と思っていました。エッセイも2冊くらい読んだことはあるけれど、別にそれほど面白くもないなぁ、と。(ファンの方、申し訳ありませんでも、こういう文章も書く人なんですね。一編一編が短かかったり、掘り下げ不足な感じもありますが、興味深い本でした。今日は暗ーい感じですみません早く復活しなきゃ~まあ、こういうのは周期もあるので、放っておいても、考えるのに飽きて、また能天気になることと思われますが(^▽^;)マイペンライだぜ!!日本は、急に寒くなりましたね。みなさま、どうぞご自愛くださいませ
Nov 6, 2007
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【日記の公開は終了しました】
Nov 5, 2007
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【日記の公開は終了しました】
Nov 5, 2007
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【日記の公開は終了しました】
Nov 5, 2007
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【日記の公開は終了しました】
Nov 3, 2007
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【日記の公開は終了しました】
Nov 3, 2007
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【日記の公開は終了しました】
Nov 3, 2007
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みなさま、大変ご無沙汰しておりました…。に、2ヶ月ぶり?前回の日記にコメント下さった方々、お返事が遅くなってしまい、本当に申し訳ありませんでした。ああいうコメントしづらい日記にも関わらず、暖かいメッセージをいただけて、本当に嬉しく、励まされました。ありがとうございますみなさまのブログにも、ご無沙汰になってしまっておりますここのところずっと、PCに向かうのが怖いような心理状態で、ずっと触ることができませんでした(仕事は別ですが)。色々なことをぐるぐると考えています。そしてまた、それを吐き出したいという気持ちになっています。タイとも国際恋愛とも全く関係の無い日記になると思います。(一時的にブログタイトル変えるか?)内容は、甘えでしかなく、自分の心の整理のために書きたいと思っています。読んで不快に思われる方もいらっしゃると思うので、どうぞスルーしてくださいませ。吐き出したらまた「タイ&日本 国際遠距離恋愛日記」に戻りますので(^ ^;)、しばらくお許しを…。そして、今、自分のことでかなり一杯いっぱいの状態です(ナサケナイ…)ちゃんと復活したら、またみなさまのブログに元気にお邪魔したいと思いますどうぞ見捨てないでやってくださーーーい(≧д≦)(ココロの叫び。)
Nov 3, 2007
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