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宮古島から移住して被災体験談 2無事に救出された運転手さんは、すぐ、ご家族を探しはじめました。まず行ったのは子供さん2人が通っていた小学校。小学校は今回の津波で最も被害がひどかった場所の一つ、荒浜地区にありました。私たちが訪れた時、そこは見渡す限り水田が広がる田園地帯のように見えました。仙台市中心部の南に位置し、南北に大きく広がる海岸にそって広がる地域です。 リアス式海岸での津波は横に広がらず、キリのようにとがって、内陸深く相当の高地までも飲み込んでいきました。しかし、海岸にそって広がる平野では、津波が面になって平野全てを飲み込んだんです。 そう、田園地帯に見えたのは、かって住宅地で今はただ、見渡す限り雑草が生い茂っている不毛地帯でした。そんな中、ただ一つだけ、鉄骨がむき出しになって立っているビル!それが、運転手さんのお子さんが通っていた小学校です。大地震直後、全校生徒が校庭に整列し避難に備えていました。でも、津波はほぼすべての小学生を飲み込んで、海岸と高速道路の間のすべてを消し去ってしまいました。かすかな希望が消えかける中、学校の屋上に逃げていたわずかな小学生が救出されたという情報を得ます。そして、救出された子供たちの搬送先で、お子さん2人と出会えたんです。本当に奇跡のような光景だったと言っておられました。お子さん2人は地震の直後、いつもお父さんが言っていた「大地震が来たら、誰がどう言おうとも学校の屋上など高い場所に避難しなさい」という教えを守ったんだそうです。父親の教えを覚えていて、みんなが校庭に並ぶ中でも父の教えを守ったお子さん。日頃の家族のつながりの強さが2人の命を救ったのではないかと思いつつ、私は運転手さんの話を聞いていました。更に、奥様とも無事に会えました。家は流されて無一文になっても、家族全員が無事だったことに幸せをかみしめたといいます。仙台港近くに住んでおられたご両親もなんとか無事で、今は観光船の船着場近くに住んでおられます。 次回は、海中で交わしあった、あの親友との約束(前々回のブログ参照]のその後についてご紹介したいと思っています。
Aug 28, 2012
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宮古島から移住して被災体験談 1一連の東日本被災地関連ブログも、いよいよ最後になってきました。今回も写真がないです。前回以上に長い文章になりそうですが、前回のエピソードや瀬戸さんの想い同様、ぜひ書き残しておきたい!と当初から思っていましたので、退屈かもしれませんが、ご容赦ください。 7月6日の深夜、東京駅前から大型バスに乗って石巻に向かったのは、すでに報告済みです。そのバスの運転手さんが、後でわかったことなんですが石巻での被災者だったんです。寡黙で、実直な方です。旅も終盤にさしかかった時、主催者のNPO代表(この方もバス会社の運転手さん)に運転を変わってもらい、仙台市周辺の状況とご自身の被災体験を説明してくれました。瀬戸さん同様、ご紹介したいことはいろいろありますが、運転手さんご自身の被災体験談をご紹介します。 今回の地震は相当強かったので、念のために海岸(海の水位)を確かめに行かれたそうです。すると、はるか沖合まで海水が引いていて、海底が見えていました。直感的に「これは危ない!」と感じたとのことでした。当時お勤めになっていた会社では、同僚や部下たちが石油貯蔵タンクのバルブなど確認・補修を懸命に行っていました。職場に戻るとすぐ、みんなに声をかけ、大急ぎで必要最低限の確認・補修の実施が終わったら高い場所へ避難するように指示しました。ご自分の車に彼ら8人を詰め込んで避難場所へ向かったのを見届けた後も、一人残って貯蔵タンクの事故防止のため走り回ったあと (※)軽自動車に乗り時速80km以上の速度で避難したにも関わらず、後ろから襲いかかってくる津波に飲み込まれてしまいました。幸い、車のドアが開いたので脱出、水面に顔を出すことができたといいます。どこからともなく流れてきた電信柱に捕まって漂流。次々と流されてきた人たち8人の命を支える電信柱。津波の動きによって、沖に流されては陸地深く押し戻されて数時間。膨大なガレキで埋め尽くされた海面の中、生き残る希望を捨てずに・・・・。3月、東北の海水が時間をおう毎に体温を奪い去っていきます。一人また一人と力尽きて、海中に消えていく、そんな光景が脳裡に焼き付いているとおっしゃっていました。最後に、親友とご自身の2人だけが残ったそうです。流されてから10時間以上、お互いに声を掛け合い、励ましあって・・・。どちらからともなく、「もしどちらかが助かったら、家族に自分の最後を伝えてほしい。家族にありがとう!残ったみんなで仲良くがんばってほしい!」と伝えることを約束しあったりもしたそうです。そんな中、親友の手が電信柱から離れて・・・・・・。ご自身は、夜が明けてから救助船に助けられました。 ※ 石油タンク爆発のテレビ中継を見た人は 多いと思います。企業の防災体制不備に 憤慨した人も!でも、ギリギリまで体を張 って事故防止に奮走し、命を落としてい った人たちのいることも忘れてはいけな いと思います。 (今回はここまでにします。 次はご家族探しとその後についてご紹介します)
Aug 25, 2012
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宮古島から移住してスコップ三味線にかける想い石巻スコッパーズの動画検索を前回のブログでご紹介しましたが、一連の東日本大震災関連ブログで、最もご紹介したかった所にやっと、たどりつきました。写真掲載はないですし、かなり長い文章ですが、、ぜひとも最後までお付き合いください。 石巻スコッパーズは、大震災の前に3人で結成されたというのは以前にご紹介したとおりです。石巻で居酒屋を経営されている瀬戸さんという女性が、津軽で始まったスコップ三味線を知り、娘さんが難色を示すのも振り切って。やりだしたんです。ご自分でやりたい!という想いだけでなく、地域を楽しく盛り上げたいという想いもあってのことだと勝手に推測していますが、どうでしょうか?活動を開始して間もなく、あの大津波が東日本各地の海岸を襲ったんです。瀬戸さんの居酒屋も津波に飲み込まれてしまいました。幸いにして、家族は全員無事で、自宅もかろうじて被害をまぬがれました。それでも、この先どうしていこうかと思案にくれてただボーとしている時、知人から「被災者の死体安置所での仕事を手伝ってもらえないか?」と言われたそうです。“家族を亡くし、家をなくし、自分一人着のみ着のままで助かった”大勢の方に比べれば、まだ幸せな方だ!と思い直し、遺体安置所の仕事をする事になりました。その時の状況をいろいろとお聞きしましたが、私にとって最も印象的だったことを一つだけご紹介します。 行方不明のお父さんを探していたご家族が瀬戸さんのいた安置所で、やっと見つかったんです。お母さんは、ただただその場に泣き崩れてしまい、周りの人たちもどうすることもできません。そばにいた妹は、大声をあげながら建物の外に走り出し道路で泣き続けている。そんな妹をお兄ちゃんが追いかけて、声をかけて、肩を抱いて連れ戻してきました。遺品などを持ち帰る時もお母さん・妹の悲しむ声はやみませんでした。そんな中、お兄ちゃんは瀬戸さんたちに向かって涙をこらえながらも、丁寧に頭を下げ「お父さんを綺麗に拭いていただいて、本当にありがとうございました」と挨拶して帰って行ったそうです。「そのけなげな姿を忘れられない」と瀬戸さんはおっしゃっていました。その話を聞いていて、何十年も流したことのない涙が自然とあふれてきて、困ったものです。きっと、お兄ちゃんも、家に帰ってから、一人になってから大声で、あるいは布団を頭からかぶって泣いたのではないでしょうか?それでも、お父さんが背中で息子に伝えたかったであろう「生き方・心構え」などをしっかりと受けついでいるお兄ちゃんの言動に、ただただ感動し、どなたかにこの話をお伝えしたくて、今日に至りました。 他にも山ほどの出来事を語っていただいたご自身も自ら被災者である瀬戸さんが「スコップ三味線」にかける想いは、こうした大勢の被災者を少しでも慰め、元気づけたい!こうした現実と、それらに立ち向かおうとする人たちのことを全国の人に知ってほしい!伝えたい!という一念だと、私は感じています。 (追伸)瀬戸さん(リーダー)と鈴木さん(世界チャンピオン)が、明日8月19日(日)の午前11時と午後2時から、各20分間築地本願寺(東銀座駅下車)で、スコップ三味線の公演を行います。たぶん、予約などなしでも聴きに行けるとのことでしたので、お時間がある方は、ぜひぜひ聴きに出かけてみてください!!! ずいぶん長いブログになってしまいましたが、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。次回はバスの運転手さんから聞いた壮絶なお話です。
Aug 18, 2012
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宮古島から移住して石巻スコッパーズ前回のブログは「世界チャンピオン」でした。ロンドンオリンピック真っ最中で、連日メダリストが誕生していますので、タイムリーな話題かと思うんですが、残念なことに演奏中の写真を掲載できません。でも、皆さんに演奏の様子を見てほしくてヒラメキました。インターネットで、・「石巻スコッパーズ」・「スコップ三味線」・「スコップ三味線、世界大会」または、これらのキーワードを組み合わせて検索してみてください。きっと演奏動画を見ることができますので。特に、「石巻スコッパーズ、世界チャンピオン」なら、リーダー:瀬戸さん、チャンピオン:鈴木さんの雄姿を見ることができます。実際に観て・聴く方が数倍楽しいです。でも、雰囲気は十分に伝わると思います! 次回のブログは、リーダー瀬戸さんがスコップ三味線に託す想いを私なりに理解してご紹介したいと思っていますので、お楽しみに!
Aug 6, 2012
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宮古島から移住してスコップ世界チャンピオン前回のブログで、女川の老舗かまぼこ屋「高政さん」を紹介しましたが、店頭の一画になぜかスコップが置いてあります。しかも、真新しくて、何やら書いてあります。そこには「石巻スコッパーズ 高政さんへ」の他に瀬戸さん・鈴木さん・飛知輪さんのお名前も。この3人で震災の前にスコッパーズを結成し、今も被災地の方々を激励するためもあって、活動されています。左の説明文には「スコップとセンヌキを津軽三味線と撥代わりに使い、音楽に合わせて真似をして演奏する。津軽三味線の叩きつける音とスコップを叩く金属音がマッチして、本当に弾いている感覚を演奏者・聴衆ともに味わうことができる。本当に演奏しているように見せるには・・・・・・・・」と書いてあります。津軽で始められたスコップ三味線なんですが、今や世界大会が開催されているんです。そして、鈴木さんは「高政さん」の社員なんですが、石巻スコッパーズの若手ホープで、なんと昨年度の“世界チャンピオン”に輝いた人です。私たちの宿泊先にまで来ていただいて、瀬戸さんと鈴木さんによる演奏を見せていただきました。圧倒的に楽しくて、リズミカルで、一瞬にして聴衆全員を虜にしてしまいました。デジカメを忘れた私は携帯で撮影したんですが、アナログおじさんの私は携帯の写真をこのブログに掲載する方法が分からず、残念ながら写真なしです。ごめんなさい。瀬戸さんは全身を使った迫力とパフォーマンスが魅力です。そして、世界チャンピオン鈴木さんは、何といっても撥さばきの華麗さが魅力的です。 瀬戸さんが石巻スコッパーズのリーダーですが、本業は居酒屋を経営されています。でも、お店が津波に飲み込まれたんです。詳しい事は次回にご紹介したいと思っていますが、今は別の場所でお店を再開!そして、今回、私たちが訪れた際に、震災地案内・状況説明・仮設住宅避難ご家族との仲介など、全面的にご協力していただきました。 その瀬戸さんの体験やお話は、次回ブログでご紹介したいと思っています。
Aug 4, 2012
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