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昨日はお昼から実家の母親と一緒にデパートに行っていました。 先日の父の入院の快気祝いを、後からお見舞いをいただいた方におくるのと、お中元の 品物選びのお手伝いで。 母も年をとったなあと思った。歩くのも遅くなったし、目もうすくなって。。。 その分、自分も年を重ねているってことですね(笑) その母が先日、介護認定を受けました。要介護にはなりませんでした。 まだ自分で身のまわりのことは出来ますし、父も高齢だけど自分のことは出来るし。 母には持病があり週に3回通院して無理は出来ないのと、1年程前にペースメーカーを 入れる手術もしている関係からか、要支援1となりました。 それで6月から週1回、ヘルパーさんが家事援助に来てくれています。 今は家のお掃除をしてもらっているみたいです。 最近は腰痛もあり掃除機をかけるのもままならないし、目もあまりよく見えないので、 小さいゴミ等も発見しにくいみたいで 全部の部屋に掃除機をかけ、床の拭き掃除もしてくださるみたいです。 「すっごく助かるわ。もっと早く頼んだらよかったわ」と母はとても喜んでいます。 ヘルパーさんも真面目な方で1時間一生懸命に掃除して、お茶一杯飲まずに帰るみたい です(自分の水筒持参で)。 私も今のところ週1ぐらいでしか様子を見に行けていないのですが、あとは何とか2人 でやっているみたいです。 また状況が変わって、どちらかが病気で入院したりすることも遠からずあると思います が、そうなったら公的、私的サービスも含め、共倒れにならないように考えておかなく てはなあと思っています。 親が年をとってくるということは(義母も含めて)、親子の立場が段々と逆転してくる ことでもあると、最近ひしひしと感じています。義母もこの頃、腰や膝が不調で。。。 この前偶然、息子に電話で実家の親のことを話したら(息子結構気にしています)、 「俺自由に生きていいんなら、親の介護はせんというか、多分出来んと思う」 って言っていました。 「あなたの面倒になろうとは思っていないし~」って言ったのですが。。。 そんなことをちらっとでも気にしていたのかなあって、びっくりしました。 やはり不登校になるような子は、周りの状況をよく見ているんですね。 と変なところで、感心しました
2012.06.30
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一週間ぐらい前から、ほぼ毎日のように息子から電話がかかってきます。 「俺あかんわ」「やりたいこともあったけど、無理な気がしてきた」「やる気がでん」 「したいことが、わからんようになってきた」 「最初の高校続けれんかったので、すでに終わっとうしなあ~」 「今更別のことする元気もないし・・・」「何しても楽しいことがないし」etc.etc. そうかあ~ それは辛いよね~って聴く。ひたすら。。。 あーでも~まっすぐには聴けていないわ~色々と言いたくなる気持ちがわいてくる~ 30分ぐらい、ああ言ったりこう言ったり、そのうち、 「何かちょっと元気出てきた気もする。ちょっとやけどな」 「明日、レポート出しに行ってくるわ」 「でも俺ってなんでこんなんやろ~考えながら動くってことが出来んのやなあ」 「努力するんはきらいじゃないと思う。でもやる気が出んのやな」 「何も考えんと、取り合えずやってみたらいいんやな」 「洗濯ものも溜まってきたし。せなあかんな。最近雨が多いし」 「ああ〇〇無いから、送ってほしい」 そうなんだ~そんな時もあるよね~そうそう自分で決めて出来ることからしてみたら~ ご飯食べてね~荷物送るからね。 「犬元気?」「犬に会いたいわ~」「あいつあほやからな。何か変なことなかった?」 犬は相変わらずだよ。食べて、寝て、遊んでるよ~ 「犬になりたいわ~俺」 そのうちに段々と会話が途切れてくる。 「じゃあ。お風呂に入るから、切るね~」(← 私が~)これが電話を切るタイミング (正直はやく切りたい。。。すでに1時間位経過。。。) 電話を切る。そして次の日、また最初のところに戻る~ 不思議と今のところは、こちらに「帰る」とは言いませんが・・・それも時間の問題か いや、深読みはやめましょう。 電話の時間が長くなってくると、つい提案しそうになります。日々自分の不安と我欲と 闘っております。そのまんままっすぐに言葉を受け取る。そのつく言葉で返す。 指さし確認です。
2012.06.28
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保健室の先生は、50代ぐらいの女の先生だったのですが、非常に個性的な方でした。 息子はこの先生のことをとても信頼していて、五月雨登校中、学校へ行ったときはこの 先生と話しをするために、保健室によく出入りしていたみたいです。 私も息子のことを相談するのに、2回ほどお会いしたことがあります。 決して優しい方ではないのです。ズバズバと自分の意見をおっしゃる方です。 でもいつも子供の立場で考えてくださる先生でした。 子供のことで、他の先生と喧嘩してることもあると、息子から聞いたことがあります。 息子のこともよく見ていて、私に、 「お母さん、親にとってのいい子に育てすぎたんだよ」 「自分の思い通りにならないからって、怒って、彼の自己肯定感をおとしめるような ことをしなかった?」 「家での居場所がないんじゃない?」 「子供は親の言うこと聞かないのが正常なの」 「後5年か10年はかかると思うよ(息子この時14歳)」 って、ばっさりと切られました~正直落ち込みました~(泣) でもおっしゃることは、今考えてみても当たっているなあって思います。結果はすぐに は出ないということも含めて・・・ お人柄なのかきついことを言われても、こちらのことを親身になって考えていて下さる のがわかりましたし。 息子も「口は悪いけど、話しやすいんだよなあ」ってよく言っていました。 「自分の本当にしたいことをして、言いたいことを言ったほうがいい。我慢し過ぎたら 二重人格になってしまうよ」って言われたらしいです。 息子はそれまで結構人あたりがよくて、相手に合わせてしまうようなところがあったか ら、そう言われたのだと思いますが・・・ 高校入試の前もお守りを貰っていましたし、卒業式の次の日に、卒業証書を受け取りに 学校へ行った時も保健室で長い間、話しをしてきたみたいでした。どんな話しをしたか はわかりませんが。 息子はカウンセリングを拒否していて、スクールカウンセラーさんと会うのも嫌がった のですけど、きっとこの先生がカウンセラーさんのような存在だったのだと思います。 息子の卒業の後すぐに、違う学校にかわられて、今娘の通う中学校にはいないので、お 会いすることもないのですが、どうされているかな~って急に思いだしました。 「お母さん、あの子を信じてあげてね」って言ってくれた言葉を今でも覚えています。 M先生どうもありがとうございました。 河原なでしこ
2012.06.28
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昨日は、会計士さんのところへ届ける書類があり、その用事は30分ぐらいで終わった ので、そのあしで久しぶりに市内にある山に車で登りました。 会計事務所から比較的近いところに、山の頂上に行くドライブウエイの登り口があるの です。 そんなに高い山じゃないから(標高でいうと300メートルぐらい)40分ぐらいで下 から歩いて登ることもできるのですが、道もそんなによくないし、体力的にもきつい ので、車で行けるところまで登ってみました。 昔から小学校や中学校の行事や遠足でこの山によく登ったから、家族で行った時も含め ると、今までに20回以上は登っているかしら~それだけお手軽な山です。 2年ぐらい前に夫とロープーウエイで行ったのが最後でした。 自分で運転して車で行くのは、初めてだったのですが、道もそんなに急じゃないし表示 もわかりやすかったので、思ったよりはスムーズに行けました。 車を駐車場に停め、頂上まで10分ぐらい歩いて着くと、展望台があって市内が一望で きます。 子どもの頃からそこにあった備え付けの望遠鏡が、そのまんまの姿でまだありました。 当時は10円玉を入れて、自分の家や学校のあたりをさがしてよく見ていました。 途中でお金が切れてしまって、結局さがせずに終わってしまったり。。。 山からみた街並み 大きなあじさい あの頃は自分の今のこの状態は、全く予想していませんでした。 人の人生ってどんなふうになるかなんて、誰にも(本人にさえ)わからないものですね そしてこれからもどんなふうに変わるかも。。。 取り合えず今は家族(自分の親も含め)皆が元気で暮らせていることに、感謝しなけれ ばいけないと思いました。 山の頂上から見ると家もビルも車もちっぽけで、自分の存在もちっぽけで、こせこせと 色々なことにこだわっているのが、あほらしくなってきます。 大きく深呼吸して山の空気を、いっぱい肺の中に入れてきました。 帰りも同じ道を戻りました。違う道で下りたかったのですが、よくわからなくて。。。 帰る道の途中に温泉がありました。今度は入浴セットを持ってここへ来ようと思った
2012.06.27
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わかってくれる人がいたら、子どもは頑張れるって前におとねさんが書いてくださった のですが、息子は今一人で外へ出ておりますが、「誰もわかってくれる人がいない」 「自分の気持ちを話しても、肯定してくれる人がいない」「俺っておかしいのかな」 「普通じゃないんかな」と申しております。で、電話で私にそう言います。 「おかしくないよ」「それでいいんだよ」ってつい言葉に出して言ってしまいました。 「辛いわ」「テンション下がるわ」「友達と遊んでも、話しても全然おもしろくない」 「学校で言う通りしてたら、先生とも話普通に合わせられるのは、わかっているけど」 「したくないことは、したくないって言ったら(レクレーション)我がままって言われ るし」「俺は自分で考えて、人には迷惑かけんようにしてるつもりやけど、それでは 社会に出て通用せんよ、とか言われたし」そうなんだ~それは辛いよねってきいた。 私は聴ける母になっているのかしら?息子の気持ちは少しは軽くなっているのかしら? 私が彼を肯定していれば、アドバイスはいらないんですよね。 それで彼が学校をやめることになったとしても、それは自分で選んだ道ということなん でしょうね。必然なのですね。。。 子どもが、自分で自分の折り合いをつける。 それはよくわかっているのですが、心の中が不安でいっぱいいっぱいになってしまいま した。で、落ち着けるために、ついここへ書いてしまいました。 座禅でもくもうかしら~無の境地になりたいです
2012.06.25
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約9カ月が経ちました。数えてみたら今日で200件です。 自分でもこんなに続くとは思いませんでした。(こんなにというほど長くはないけど) 節目節目で、振り返っておきたい面倒くさい性格みたいで・・・すいません。 何か書きたいことが次々と出てきて、気が付くと書いていたという感じです。 よく考えて書いたこともあるし、衝動的に書いたこともあります。 あとで読み返してみると、「なんでこんなことを書いたのかな?」と思う時も・・・ でも不思議と、書いたことに後悔したことは無いのです。 その時々に本当に自分がそう感じたことだから、たとえ後になって違ったとしても、 自分でジャッジすることではないかな?と思っています。 最初は息子の不登校の経験を書いて、同じような経験をした方と繋がれたら嬉しいな というような、軽い気持ちで始めました。 逆に自分とは全く違う考え方の方もいて、おかしいと思われるのも覚悟の上で・・・ でも書くことも自由なら、読むことも自由だから、自分の書きたいと思うことを書こう といつも思っています。 共感したと思っていただけて、コメントをいただくのがとても励みになります 不快に感じられる方は、読まないか、読んでもスルーしてくださることを期待して~ いや何かご意見があれば、書いてくだされば、自分の?と思うところも深まるので歓迎 なのですが 私の場合は今は、子どものことをどうにかしようとか言うよりは(どうにも出来ないと いうことに気づきましたし)、やはり自分のために書いている部分が大きいと思います そういう意味では、カウンセリングにも似ているかもしれません。 その時の「今」のリアルタイムの想い(過去を振り返る時もありますが)を書いておき たい、吐き出したいという気持ちが、一番強いのかしらと。 よかったと感じるのは、その時の自分を少しでも客観的にみることが出来るので、何か あってもパニックになりにくいということでしょうか。頭の中を整理しやすいというか そしてこんな自分の経験も、それはそれでありかなと思えるようになったことかな。 人それぞれ、本当にその人それぞれの唯一無二の人生があるのだということ。。。 それはほかの方のブログを読ませていただいても、いつも感じます。 日記を書くことによって、前よりも1日1日を大切に過ごそうと思えるようになりまし た。(ダラッとしてしまうこともあるけれど・・・) 今この一時一時のつみ重ねが、自分の人生を作っていると思うと(少し大げさですが) 大事に過ごさなくては損と思えるようにもなりました。 私がブログを書く時にいつも思っていることは、自分の感情が動いたことを書こうとい うことです(たとえ負の感情でも)。 その中にいつも自分がいる。そんな文が書けたらいいなと思っています。自己満足の 世界かもしれませんが~ 「公開する」のボタンをクリックする時、ちょっとした緊張感がまだあります
2012.06.25
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一週間前に息子が帰っていた時の夜、夫も仕事で急に呼び出されて、休日出勤して 帰りも遅く、娘もテレビドラマに見入っていて、めずらしく1時間位2人で話をする ことが出来ました。 これからのことについて、彼なりに色々と考えていることを聴き(出来るかどうかは 別にして・・・また変わることもあるだろうし)、今「こうしたい」ということがあり 自分で考えているんだなってわかりました。 口に出して言わないだけで、子どもは自分のことはよく考えているんですね。 その時に息子が言ったことで、自分とは違うなあと思ったことがありました。 「俺、何でも無理にポジティブに考えるのはきらい」 「何でネガティブに考えたらいかんの?」 「ネガティブにしか考えられん時ってあると思う。何の希望もない時とか。そんな時は ネガティブのままでいい。無理やりポジティブにせんでもいいんと違うかな」 「大人って、明るくポジティブが好きやなぁ。おかしいわ」 う~ん。確かに自分の気持ちのどこかに、ネガティブ=悪い、ポジティブ=良いって 思うところがあるのは否定できないなあ。ポジティブ発言を聞くと安心するし~ 何となく、ポジティブは前を向いて進んでいる感じがして、ネガティブは後ろ向きで 立ち止っている感じがするからかしら。ポジティブは生産的でネガティブは非生産的 みたいな~(調べると、ポジティブは積極的、ネガティブは消極的という意味らしい) でも、文学や芸術などはネガティブな思考が、すばらしい作品を生み出すこともあるし みんながみんな、ポジティブな考えばかりの社会って深みがないというか、あり得ない しなあ・・・現実を見ても、ポジティブに考えられることばかりじゃないですしね。 色々と考えさせられました。 やはりどちらが良い、悪いってことじゃなくて、どちらもありなんだということなの でしょうね~ そして子どもは「あなたはそう思うんだね」って気持ちを聴いて欲しいんですよね。 ただそれだけなんですね、親ができることって。。。
2012.06.23
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庭に「すもも」の木があります。 毎年3月ごろに白い可憐な花をつけます。そして梅雨の今頃、赤い実がなります。 今年は思いきって剪定したらしく、ほとんど実がなりませんでした。 娘の大好物です。普通の桃より甘酸っぱい感じがします 食べ物つながりで、昨日焼いた「バナナケーキ」です。
2012.06.22
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黄花コスモス 相手に支配されている、コントロールされているような支配、被支配の関係にあるよう な依存は、それがたとえ相手が人であっても物であっても、あまり好ましくないように 思います。 その人がいないと、又はその物がないと、正常な判断(正常の基準もまちまちですが) が出来ないとか、生きていく上で支障があるとか、そんな感じの依存。 自分の全人格が、相手の人格になってしまうような、自分の価値観=相手の価値観、 みたいな依存。 でも、依存って悪いことばかりでもないような気もするのです。 それがあると、気持ちが安定したり、生活の質があがったり、とかいう場合は。。。 たとえば、夫婦はある意味、依存し合っているんじゃないかしら? 人間は弱いところも多いから、誰かに依存するところもないとしんどいように思います お互いが相手の足りないところを、補い合っているような関係。 全面的に相手に寄りかかったり、寄りかかられたりするのじゃないけど、お互いがささ え合っているような関係。これは依存とは言わないのでしょうか? 私は全くの素人なので、間違っていたらごめんなさい ただこれが親子関係になってくると、ややこしいような気がします。 親がいないと生きていけないような小さい頃は、依存は当たり前なのですが、ある程度 大きくなって自我が芽生えてからの依存。 精神的に自立した大人同士の関係じゃなくて、明らかにどちらかが強くて、どちらかが 弱いという関係での依存は、支配被支配につながりやすいようにも感じます。 依存しているところもあれば、依存していないところもあると自覚できていればいいの でしょうか? 依存について、もう少し考えてみたくなりました。奥が深そうですね。 たとえば、自分と自分の親との関係とか、ある程度線を引いた上での(お互いがそれを わかった上での)依存は可能かとか、自分の人への依存度とか。。。 夜眠れない時とか、私もアルコール依存があるのかも?ってちょっと思ったりすること もあります(笑)
2012.06.22
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自虐的に「自己嫌悪」に陥る時ってありませんか? 自分が嫌になる時、「何やってんだ?」って思う時、布団かぶりたくなる時・・・ 特に何かあったわけでもないんですが・・・昨日がそんな日でした。 (一か月に一回位、こんなことを書いている気がしますね~私) 「自分を愛する」「自分に優しく」なんてブログに書いておいて、全然違うじゃない~ って思った~(でも書いた時は、確かにそう思っていたのですが・・・) こんな時って、悪い方にばかり考えてしまいますね。 毎日同じことの繰り返し・・・なにか何してもむなしい・・・とか 昨日は朝、台風が過ぎた後の片付けから始まりました。 庭を掃いて、落ち葉やゴミを拾い、車庫に避難させていた植木鉢(20個ぐらい)を 外の棚に並べ、玄関のドアの泥汚れを拭き、一旦家に入って洗濯干してブログを書き それからアパートの方に回って、掃除(いろんなものが飛んできてた)して風でドアが バタバタしないようにロープでくくっていたのを外し、一通りの用事を済ませるともう 11時前になっていました。 そんなに大きい台風でもなかったし、早く通り過ぎたので、被害もなかったのですが、 なんか片付け終えてもむなしいのです。見た目そんなに変わらないし、又台風きてるし なあって思ったりして・・・ ピラティスに行く日だったので、それからあわてて支度して出掛けました。 本当はあまり行く気分ではなかったのですが、先週も休んで映画観に行ってしまったし 体がなんか重いまま、超ポジティブな先生の声を、遠くのこだまのように聞き・・・ 帰りに食材の買い物をして、家で冷蔵庫に入れて少し休憩していたら、娘が帰宅。 「買いたいマンガがあるから、本屋まで乗せていってほしい」ということで車で本屋へ いつもは、一緒に中に入って、本を立ち読みしたりするけれど、昨日はそんな気になら なかったので、車で音楽を聴いていました。 本屋に行くとわりと元気になるんだけどなあ~いつもは~ちょっと重症かも。 帰ってから干していた洗濯ものを取り入れて、たたんでしまって、夕食の支度をして、 食べて片づけてお風呂に入って、帰って来た夫の食事と晩酌に少しおつき合いをして、 自分の気持ちを言おうかと思ったけど言えず、「今日ははやく寝ましょう」と思って 布団に入ったけど、頭の中をぐるぐると色々なことがかけめぐる。 実家の親のこと(週1ぐらいでは行ってるけど、あまり様子も聞けていない)、息子の こと(あちらに帰ってからは連絡なし。どうしてるのやらよくない方に考えてしまう) 義母とのこと(今膝を痛めていて、あまり動けない。庭の草抜きのことが気になってる みたいで、重荷が肩にずっしりとかかるわ~)等々・・・ 自分は何も出来ていないんじゃないかって思って、でもやる気も出なくって、無力感を 感じ、「私のアイデンティティーは、いったいどこにあるの?」なんてことまで考え、 体は結構疲れているのに、なかなか眠れない夜でした でもここに書いたら少しスッキリした。そんな時もありますよね。
2012.06.21
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のは前に傷ついた経験があったからなのかしら。それを脳が記憶していて、そういう ことを避けようとしてしまうのかしら。私もそういう所があります。 怖気づいてしまうのです。それで、なかなか一歩が踏み出せない でもそれでは、なかなか経験値はあがらないですよね。わかってはいるのですが・・・ 傷ついたことを経験しても、普通に生活している自分をみて、 「私って案外強いのかも」って思う。そのうちに「たいしたことではない」って思える ようになる。そして今度同じように傷つくようなことがあっても、自分の肯定感を下げ ずに、対処できるようになる。 そうすれば経験値もあがりますよね。そう出来る時もあるんですよね。 出来る時もあれば、出来ない時もある。 怪我をしてもいつか傷は癒えるように、心の傷も時間とともに治っていくのでしょうね その時間も人によって、受けた傷の深さによって、さまざまなんですよね。 一人ぼっちじゃないって思えることかなあ~ 傷ついても、凹んでも、自分には頼れる人がいる。一緒に泣いてくれる人がいる。 傷が癒えるまでゆっくりするといいよって、言ってくれる人がいる。 そういう人が一人でもいれば、人は傷つくことを怖がらなくなるのでしょうか。 勇気を持てるのでしょうか。 トラウマって言葉がありますね。 私は心理学を勉強したわけでもないので、間違ったことを言ってるのかもしれません。 そう思いながら書いているのですが・・・ トラウマを癒すのは「時間」と「人の愛」かな?って思います。 人は人によって傷つき(人でない場合もありますが)、人によって癒される。 人間は人とかかわらなければ、やはり生きられないんだと思います 犬にも癒されています
2012.06.20
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息子が帰っていました。 先週の金曜日、学校へ行った後の夕方、電話がかかってきて、「今から帰るから」って 夜、近くのバス停まで車で迎えに行きました。帰省したのはゴールデンウィーク以来 なので、1か月と10日ぶり位ですね。間で私が1回行きましたが・・・ 「のんびりする」と言って、この前に光TVで私が録画していた『ゴットファーザー』 を観て、お笑い番組を観て、好きなものを食べて、犬と遊んで、日曜日の夕方にバスで 帰っていきました。 今回は吐き出しもなく、昼夜逆転もなく、まるで穏やかでした。珍しいことです。 前向きな発言もしていたし・・・でも、無理しているんじゃないかなあ?って思いまし たが~いやいや深読みはやめよう。 気持ちを想像してあれこれと考えるより、やはり行動を見なくてはですね。 「~したい」「~する」「~しようと思う」息子も今まで、何回となく言いました。 「〇曜日から学校へ行く」「〇時間勉強する」「テストは受ける」「~へ行きたい」 「〇時に起きるから、起こしてほしい」「髪を切りに行く」その度に何度もそうなら ないことがあり(たまになることもあったけど・・・)、がっくり。一喜一憂してた。 何回も、何回も、いい加減気付けよって言うぐらい期待して・・・ きっと言った時は本気なんだと思う。でもいざとなると出来ない。。。 自分の中に息子の「こうあってほしい姿」があって、やはりそのようにしてくれると 嬉しくて、「そうしてくれたらいいなあ~」っていう期待もあって、それはどんなに 無くそうと思っていても全身からにじみ出ていて(笑)、黙っていても表情でしゃべ っていて・・・ 敏感な子はそれを感じて、親に優しい子は「そうしてあげたい」って頑張って、でも 出来なくて、それで自分を責めて余計にエネルギーを奪われてしまう。 「親の気配を消す」ってそうならないようにするためだって、やっとわかりました。 そして子どもの方から言うことも、あまりおおげさに受け止めなくてもいいことも多い んじゃないかなって最近思います。(そう言いきってしまっては、危険なこともあるか も知れませんが・・・何かの重要なサインもあるかもしれないですし) でも、ただ言ってみただけで、深い意味はないこともよくありました。 特に暴言などは、本当は「愛して」「淋しい」「助けて」という気持ちの裏返しかな? って思います。 一時期はあんなに暴言を吐いたり、人のせいにしたりしていた息子も、全く穏やかに なりました。苦しさが外ではなく、自分の内面に向いてきたのかな?と思ったり・・・ それはそれで、またせつなくなりますが、それも深読みせずに、淡々とですね。
2012.06.18
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コスモス 覚えているうちに書いてみたくなりました。すぐに実行出来るわけではありませんが~ 考えてもすぐに結論の出ないことは、自分の問題じゃないか、今は考える時期じゃない かのどちらか。そんな時は考えるのをやめて、自分の楽しいと思えることをしよう 言わなくても察してほしい、わかってほしいと思うのは甘え。 家族でも他人でも、自分がしてほしいことは自分の口で伝える。表現する。 (「黙る」を子どもにしている時は、あてはまらないけど・・・) 伝えるためのコミュニケーションの方法は学べる。でもうまく伝わらなくても、 自分のせいではない。相手がそう受け取っただけで、相手のせいでもない。 受け取り方は人それぞれだから。 どのような親のもとに生まれてくるかは、変えられないことだけど、親とどのような 関係を持つかは、変えられること。 だから変える勇気を持てばいいんだなあ。お互いに 親に出来ることは、子どもの「生きる力」を信じて、それがまっすぐに育つように 黙って見守ることだけ。子どもが助けを求めてきたら、頼まれたことをするだけ。 子どもが生きていることに、感謝するだけ。 努力したからと言って、成功するわけじゃない。 でも努力した経験は(努力しなくても)、どんな経験も無駄にはならない。 息をするのも苦しい時期があった。でも「今」大分楽に息が出来るようになった。 きっと自分で自分の首をしめて、狭くしていただけなんだと思います。 自分のことも信じて、自分に優しくすればいいんですよね。 まあ、書いてみると立派なことばかりですね。 でも、あくまでも気がついたことですから。 実行出来るかどうかは、また別問題なのです~~(笑)
2012.06.17
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昨日から昔のことを回想していて、いろんなことを思い出していたのですが・・・ 高校の時、クラスメート(男子)に言われたことがあります。 「〇〇さんて、いつもおこらないよね」って。別にその男子と特別仲が良かったわけで はなく、ごく普通のクラスメートだったのですが~ その子は、おちゃらけていて、クラスのムードメーカー的存在で、クラス委員もしてい て、目立っていました。ちなみに今は高校教員。 私はどちらかと言うと、おとなしめで(?)、あまりしゃべらないから、クラスの中で も、そんなに印象に残る人ではなかったのかも。 その男子は色々な人をわざとからかって、怒らせて、みんなの笑いをとるみたいなこと をよくやっていたから~私はネタになるようなことが、あまりなかったのかもね~ どちらかと言うとあまり「おこる人」とは思われていなかったみたいですね。 そう言えば、小さい頃から今まで、喧嘩をした記憶もあまりないなあ(姉は除いて) そんなに気が長かったわけでもないのですが・・・ 小学校の高学年の時、クラスの女子で「ウソ」と「自慢」を繰り返す子がいて、(でも 今考えてみると、私がそう思っていただけかも)、一回喧嘩したことがあるけど。何故 よく覚えてるかというと、先生に「〇〇さんと喧嘩させてください」ってわざわざ言い にいったから~陰で喧嘩するなと刷り込まれていたんです~(泣) 中学校は結構色々な子がいて、すっごい不良(かわいいものだったけど)の男子もいた んだけど、話してみると言葉は丁寧だったり、シャイだったり、おもしろかったりして そんなに嫌じゃなかった。 だから自分が言われて嫌だったことで、今でも思い出すことと言えば、本当に数えられ ぐらいしかありません。 中学校の時に「うそ」をついていないのに「うそをついた」と誤解された時。高校の時 にエスケープに誘われたけど、のらなかったら「真面目ね」って言われたこと。 大学の時サークルで、嫌いな先輩に「目を合わせて挨拶しな」と言われた時(そんな ことやってられるかと心の中で思っていた。) 就職してから上司に「自分の考えで行動しろ。人に操られるな。」と言われた時。私は 自分の考えで行動してると思っていたけど、そうとられなかったからかな。 結婚してから義父が義母に「女はこれだからダメだ」と言った時。(自分に言われた訳 でもないのにメッチャ腹がたった) これぐらいでしょうか?もっとあったかもしれないけど、忘れました。 自分で「理不尽だ」と思ったことばかりですね。でも結構執念深く覚えているものね。 やはりその時々に口に出して「それは違う」「私は嫌」って言えなかったことばかり。 自分のその時の思い(感情)が、まだ残っているのですね。 昨日の写真のあじさいから10日後
2012.06.16
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「普通の高校生活」という息子の言葉を聞いて、自分の高校生活をふと振り返ってみた くなりました。みんな自分の体験したことしかわからないから、私はこれが普通と思っ ているのですが、その人によって普通も違うのでしょうね。 私は家から比較的近い、共学の県立高校の普通科に入学しました。 受験したのはここ1校だけです。私が住んでいる所は地方なので、私立高校自体の数も 少なく、今はそうでもないけどその頃、私立校を受験する人はほとんどいませんでした その分、中学校間の調整がすごくて、受験校を絞らされるので、入試でおちることも稀 だったから、そんなに不安もなかったように思います。 結論から言うと、高校生活はそんなに楽しくなかったです(笑) 田舎で、あまり遊ぶような所も無かったですし・・・でも、自分が「これがしたい」と いうようなことも特になかったような気がします。 学校の規則は中学校の時よりはゆるやかだったように思いますが、遅刻と出席には厳し くて、1年に3回遅刻したら反省文のようなものを書いて、担任と一緒に校長室に行く というきまりがありました。(後1回という所で免れた・・・真面目だったわ~) 部活は茶道部に入っていました。月に2回外から先生がお作法を教えに来てくださる時 以外は、わりと自由で、毎日練習は無かったし、おしゃべりクラブみたいな感じでした 学校からの帰りにクラスの友達2,3人と、飲食店に寄って食べながらしゃべるのだけ が楽しみのような、かわいいものでしたね。 テストがしょっ中あって、いつも先生に「勉強を〇時間はしろ」みたいなことを言われ はっぱをかけられていましたね。テストの番数も100番ぐらいまでは公表されていた ように思います。 学校の進学実績をあげるために、補習も模試もよくありました。受けたい人だけという のでなく、なかば強制的に受けさせられていました。それに対して、その時はそんなに 疑問も感じていなかった。当たり前と思わされていたんだと思います。 就職する人も少しはいたけど、ほとんどの人が大学に進学するので、学校は大学に入る ための予備校のようでした。 とび抜けて成績のいい人以外は、自分の入試科目以外の授業は、チンプンカンプンで、 何か空想にふけるか、寝てるか、他の科目の内職をしているか、本を読むか、早弁をし ている人も多かったです。 ただこの時の現代国語の先生の授業だけは好きで、毎回楽しみでした。この先生のお陰 で、本を読むのが好きになったような気がします。 文化祭、体育祭、球技大会、修学旅行の行事も、それなりに楽しかったようには思うけ ど、あまりあつく燃えることもなく(笑)、準備で夜遅くなった時にクラスの家に近い 男子に送ってもらったりしたことは覚えてるけど(自転車で)、おつきあいに発展する こともなく・・・今の中学生のような感じだったのではないかなあ? ほとんどの日が、学校と家の行き帰りだけで、休みの日もどんな過ごし方をしていたの か、今でもあまり覚えていません。 多分、テレビを観たり音楽を聴いたり漫画を読んだりしながら、体を休めていたのだと 思います。 将来のことを考える時間もあったのでしょうが、ただレールに乗ってあまり深く考えず 偏差値で大学が決まっていったように思います。 一番多感なあの時期に、まるで青春とはかけ離れたような生活でしたね。悲しい(泣) この時期親にしてもらったことを思い出してみると、朝1回は起こしてもらうこと(寝 起きが悪かった)、ご飯を作ってもらうこと、洗濯やお風呂の用意をしてもらうこと、 愚痴を聞いてもらうことぐらいかな。あと、お金を出してもらうこと。。。 されて嫌だったのは、電話のこと(長電話)を注意されること、「~さんところの子は 〇〇大学に入ったらしい」等の話題をふられることでした。 この頃は私もあまり時間がなかったから、家の手伝いをすることもなく、父親より母親 や姉と会話することが、多くなっていったように思います。何が原因かは忘れたけど、 父親と喧嘩になって、部屋まで追いかけてこられたことがあります。 何人かの親しい友達は出来て、今でもつき合いがある人もいます。 それが高校生活で唯一良かったことかしらと思います
2012.06.15
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この前の息子との会話を覚えているうちに少しは書いておこうと思ったのですが、 一生懸命にはきいたんだけど、もう既にほとんど忘れてしまっているのです。 人って辛い記憶は消そう消そうとするように働くのかな? ただ「本当にそれは辛いよね」っていう気持ちと、「そう思ってしまうのも無理ない よねえ」っていう気持ちがわいたのは確かです。うなずいたところも。 結論として私が強く感じたのは「息子の不登校はまだ終わっていない」ということです 傷はまだ癒えてはいないというか~今の高校に転入して1年5カ月ですが。 私にとって息子の不登校は、通過したような気持ちになりつつありました。 本当に辛い経験ではありましたが、自分の成長にはなったし、子どもと自分をわけて 考えられるようになった。自分は自分の人生を生きようと思えるようになった。 かわいそうがることからも、一緒に落ちていくことからも(時々まだあるんですが)、 離れられるようにもなってきた。。。 でも、息子は違うのです。やはりそれが当事者と傍観者の違いなのでしょうか。 息子の「今」は「不登校の自分」の延長線上にあり、今もそれによって大きく左右され ているみたいです。特に気持ちの上で。それによって、自己肯定もしずらくなっている ように思います。息子が今回私に言った言葉で、一番印象に残っているのは、 「普通の高校生活をおくりたかった」という言葉です。(息子にとっての普通です。 部活したり、いろんな行事に参加したり、たくさんの友達としゃべったり。。。) 私はそれをきいた時に、一瞬涙が出そうになって、かろうじてとめられたのですが、 ごく普通の高校生活をおくった私(今考えるとたいして楽しくもなかったのですが~) には何も返せない言葉でした。そう出来なかったと思っているであろう息子の悔しさが ひしひしと伝わってきて。。。 いつまでも過去に拘り、そこにとどまっていては進歩はない。多くの人はそう言うでし ょう。子どももそんなことは頭ではよくわかっているのだと思います。 でもそんな自分とも折り合いをつけながら、前を向いて進んで行くためには、やはり、 時間がかかるし葛藤もある。その時間も人それぞれなのでしょうが・・・ 少しずつ元気にはなってきたのだと思うのですが、やはり波もある。落ち込む時も。 本当に本当にゆっくりでいいから、自分のペースで。そう思いながら帰ってきました。 そして自分の成長のためには、この経験は大事な経験だったと思える日が来るといい なと思いながら。でもこれはあくまでも私の思いなので、息子がそう感じているか どうかはわかりませんが。。。いきつもどりつしているのかな。。。つい深読みして しまうんですよね~(泣)
2012.06.13
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昨日のことがあとをひき、朝からテンションが下がり気味。。。 いちいち、義母の言葉にひっかかる~私何かこわ~いって思った。 精神的、肉体的疲れって、こんなにも精神状態をイライラさせるんですね。 こんな調子で、今までも知らないうちに子どもにもイライラをぶつけていたのかもって ちょっと(いや大いに)反省 そして何にひっかかったのかを、自分で分析してみると・・・ 昼過ぎに買い物に出ようと思って義母に声をかけると、 「前に業者さんに頼んであった〇〇が出来てるって連絡があったから、まわって貰って きて」って言われました。 受け取りに行ったけど、珍しくお留守。時間をおいて帰る前にもう一度寄ったけど、 やっぱりカギがかかってました。電話してから行くべきだった。。。 がっくりして帰ると義母が、 「出てから思い出して電話してみたのよね~〇時までは居なかったらしいのよ。でも いつでも行けるから、全然かまいませんって言っておいたわ~」 いえいえ、いつでもは行けないんですけど。私も都合があるしって言いたかったけど、 言えず・・・自分の思っていることを最初から言えないように、頭ごなしに言われると やっぱり腹がたつのよね。 そして続き。。。業者さんが夕方気をまわして家まで持ってきて下さった。 それを応対していたのを聞いていた義母が、業者さんが帰った後で一言、 「~さんには、~って言った方がよかったわよ。」 でもそれは義母のやり方。私は私の接し方があるのよね。(心の声) 上から目線で指示されて・・・わかっていること言われると嫌なんですよね。人って。 いつもは「また言ってる」って聞き流せるようなことが、妙に心につきささる~ そんなこんなでテンション下がりっぱなし。 私も吐き出しが必要かも(だから書いてる?) あ~あ 同居やめた~いって思うのはこんな時 あっでも、昨日義母は夕方洗濯ものを取り入れて、たたんでくれていたんですよね~ 忘れるところでした。
2012.06.12
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昨日の朝、息子から「来て欲しい」というヘルプの要請がありました。 行ってきました。聴きました。たまっていた吐き出し。4時間。ひたすら聴きました。 自分でも頑張ったと思う~我慢出来ず、少し意見も言ったけど。。。 かなり消耗して帰りのバスでは寝てしまいました。 息子今回は、私と一緒に家に帰ることは選びませんでした。 でも、いつ帰って来るかも知れません。 子どもに親にさせてもらっていると、つくづく感じました。 そしてこうして書くことによって、自分の気持ちを落ち着けられます。 ブログをしていてよかったと思いました。 吐き出してくれてよかったと、前向きにとらえることが出来ました。 自分の人生をどう生きるか それは 自分で決めること 誰にもその代わりは出来ない たとえ親でも・・・ 乗り越えて欲しい 苦しくても つらくても 自分がそう生きたいと思うのであれば 自分の人生を生きたいと思うのであれば 人生に正解があるとすれば、自分らしく生きたかどうかだけ こだわって こだわって 何かに逃げて それで自分を守る それもいいけれど 悔いを残すんじゃないかな? それも人それぞれかな・・・ 弱音吐いてもいい 愚痴を言ってもいい 吐き出してもいい 泣いてもいい いつでもきくよ いつでも受け入れるよ でも生きて行くのは自分 歩いて行くのも自分 1つ1つに折り合いをつけていくのも自分 何も出来ない親もつらいけど 私は私の出来ることをするだけ
2012.06.12
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人の話をきちんと聴くことは本当に難しい。 きけているようで、きけていないことがよくあります。 自分に都合のいいようにしかきいていなかったり、相手の裏にある気持ちをきくんじゃ なくて、その表面に出た言葉だけしかきいていなかったり。 相手が伝えたいことを間違ってきいてしまっていたり。 最後まで言葉をきちんと聴こうと心掛けてはいるのですが、なかなかです。 きっと、自分の価値観を真ん中に置いてきいてるから、そうなるんでしょうね。 初対面じゃない人には、きく前からすでに先入観を持ってしまっている時もあるし・・ 息子の話をきく時、大体は息子から電話がかかってきて、きくことが多いので、何か 話したいことがある時なんでしょうね。「〇〇を送って」と言う時もありますが、特に 用事がない時もあります。 とりとめのない話が多いです。吐き出しの時もありますが・・・ 声のトーンで、落ち込んでいる時は何となくわかります。その時も落ち込みの原因を ズバリと話すことはあまりありません。 たいていは、ご飯食べに行って、買い物に行って、学校で「こんなことがあって」とか 「こんな人がいて」とか「こんなこと言われて」とか。。。 その時に「何やそれ」「いややなあ」「おかしい」と思ったりした負の感情について話 すことが多いかな。たまに「おもしろかった」「笑えた」っていうのもあるけれど。 私はあまり何のコメントも入れず「そうなん」ってきくことが多いです。時々は「色々 な人がいるからね」とか「それは災難だったね」とか言う時もあります。 しゃべったら、「じゃあ切るから」とか「犬何してる?」とか言って終わりですね。 「話したら思い出して、よけい落ち込んだわ。」って言う時もあります~(泣) 「今どんな顔して言ってるか、大体想像できる。」って言う時も。どういう意味かな? たまに「こうしたいと思う」っていう建設的な話をする時もあります。でもまた変わる から、あまり深読みするのはやめようと思ってます。 きちんと聴くことって本当に難しいです。 きちんと聴けていると、その時に相手がかけてほしい言葉が、自然に出てくるものなの でしょうか?でも自分の意見を言うことは、自分の価値観を示すことだからNGなのか しら?う~ん。まだまだですね。私は。 さつき
2012.06.10
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庭のカメの置物 息子今朝電話してきて、「最近全く食欲もないし、外へ行く気もしない。」って。 「そうなん」「何か食べないと」って言ったけど、力なくため息・・・激落ちです。 何に落ち込んでいるかは言わない。私は何もしてやれないのよね~話を聴くしか・・・ 想像するに、模試を申し込んでいたけど、受けられなかった(勉強してなかったから) みたいで、それも心を萎びさせたのかな? 一時おさまっていた、自分の外観に対するこだわりも言ってた。しんどいよね~ 「ご飯食べて。寝れてる?」って聞いたけど反応なし・・・ぽつっと「しんだいわ」 そして「〇〇ないから送ってほしい。じゃあ切るわ」って電話を切った。 それから電話はかかってこない。 春休み最後の日も、連休最後の日も、急に昼夜逆転したから、やっぱり帰りたくない んだと思っていた。向こうに一人帰ると思うと、緊張して前の日あまり眠れないんで しょうね。でも帰ったけど・・・それからは一週間元気にしていたら、次の一週間は 落ち込むっていうアップダウンを繰り返していたみたいです。 今年高3で、やはりだんだんとこれからのことを考えなくてはと思い、プレッシャー がかかっているみたいですね。(遅いですが、彼のペースです) 家に帰っている時や電話ではあえてこちらからは「この先どうするの?」とは聞きま せんでした。自分から「~したい」って言ってみたり。でも表情を見ると出来るかどう か、不安に思っているのがわかりました。したいことも定まっていないようだし。 たとえこの先どのようになろうと、生きて元気でいれば何とかなると私は思えるように なりました。 しかし本人にとっては「何とかなる」とばかりはなかなか思えないみたいですね。 「何とかなる」と思える時は比較的元気で、不安で一杯の時は落ち込んでしまう。 現実も重くのしかかってくるというところでしょうか~ 今、電話して様子が知りたくてたまりません。知ったところでどうすることも出来ない のですが。。。 子離れの時期なんですね。年齢的にも。 今までフルの状態で子どもにエネルギーを注いできました。でもそうするとどうして も子どものことが気になってしょうがない。勝手に期待もしてしまう。そして勝手に がっかりもしてしまう。子どもには失礼なことですよね。 自分のエネルギーには限界がある。自分のためにも使いたい。 子どもにかけるエネルギーを省エネにしていく時期かなあ~ 愛情の押しつけはやめて、関心は持つけど少しずつ手を離していかなきゃね。 さみしいですけどね。 自分で選んだことの結果は自分に皆返ってくる。そしてその結果を自分で受け止めな ければ前には進めない。何事も経験ですよね。乗り越えてほしいなあ。自分で。。。 時間はかかってもね。 親は子どもを信じて、自分で折り合いをつけるのを、待つことしか出来ないですね。 待ってる間に「受容できる親」を目指すのみです。 省エネで・・・ゆっくりと・・・一歩ずつ。
2012.06.09
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することをしたことありますか?昔に就職試験の時、自分の長所や短所について考えた ことがありますが、それって分析したことかしら?試験のマニュアルに沿って、あたり さわりのないようなことを、作文しただけかもしれない。。。何って書いたかは、もう 忘れて思いだせないけど。 最近時々、自分がどういう人間かわからなくなることがあります。 若い時の方が、もっと単純で素直だったから、自分がよくわかっていたのかもしれない 人見知りで、初対面の人の前ではあまりしゃべれず、内心思っていることをあまり口に 出来ない(これは今でもそう思っていますが・・・)。 特定の人とは仲良く出来るけど、人と仲良く出来るまでに時間がかかる。あまり恐くは 見えないけど(多分ですが)、そんなに愛想もよくないし、とっつきが悪いかな? 「そういうふうに人には見えているかな?」そして「それが自分かな?」 って思っていました。 でも、最近思うようになりました。ブログを書き始めたことによる影響も大なのですが 自分の感じている自分って、自分のほんの一面に過ぎないのかもしれないなって。 自分がいた狭~い世界の中での他者とのかかわりの中で(家族も含めて)、作られた 自分なのかなって。 もちろんそれは自分の土台にはなっていると思いますが、全てではないのですよね。 人間ってもっと複雑で、自分以外の方を見ても、色々な面があると感じています。 例えばある一面では消極的で、ある一面では積極的であったり。。。 そうであるならば、自分も人から見たら、自分がそう思ってるだけでなく、きっと色々 に見えているということなのですよね。 かかわる相手やその時の状況によって、色々な自分が見えてくるって、おもしろいです よね。パーソナリティーって固定しているものと思っていたけど、そうでもないみたい ですね。 子どもや自分以外の人も、決めつけてはいけないように、自分のこともこうと決めつけ てはいけませんね。 ミニ薔薇
2012.06.08
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これから梅雨入りして、じめじめした気候が続きそうですね。 雨が降る日は、それなりに色々な過ごし方があるのでしょうが、外に出かけることも おっくうになりますし(道路も込むし・・・)、家で居ることが多くなります。 その分、家の片付けや掃除に励もうかな~って今は思っています(あくまでも今は!) 昨日はトイレにあじさいをつるしました。6月6日にトイレにあじさいをつるすと、 婦人科系の病気にかかりにくいと、めがねさんに教えてもらったので、さっそく。 調べてみると、泌尿器関係の病気にもいいと書いてありました。 ついでにトイレ掃除もいつもよりは念入りにできました。 これからの季節はカビも出やすいので、水周りもよごれやすいですよね。 いつもはそんなに真面目にしないのですが、ついでにお風呂の排水口も少し掃除しま した。いつまでこの状態が保てるかは。。。??? 水周りをキレイにすると、風水上は運気のアップになるとか(風水に詳しくないけど) 少し心がけたいと思います。(すぐに飽きるのですが・・・) 一番問題なのはキッチンなのですが・・・写真はやめておきます(笑) 掃除はきりがないですね。確かにキレイな場所に住むと、気持ちもいいし仕事の能率も あがりそうだし、それはよくわかっているのですが~なかなかです~ よごれをためずにこまめにすればいいんでしょうが、一日一つずつきれいにするといい と聞いたことがあるので、今日は洗面所を頑張って掃除することにします。 頑張らないと出来ないのよね。掃除あまり好きじゃないから。。。
2012.06.07
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息子が不登校になってから、いや子どもを持ってからずっと、肩に力が入っていました いつも「~ねばならない」で生きてきたから。 人におくれをとらないように、子どもを育てなければならない。いつもそのことで頭が いっぱいで、子育てを楽しめていなかった。愛情をかける方向を間違っていた。。。 人に何か言われないように、出来たら「いい子ね」って言われて皆にかわいがってもら えるように、そういう子どもに育てることが、子どもの幸せであり自分の幸せでもある と思っていました。 勉強だけが出来ても、人間としての常識やモラルがわからないようではダメと思って、 挨拶や礼儀にもうるさく言っていたと思います(特に息子には)。 かといって遊んでばかりじゃなくて、スポーツも勉強も、そこそこにこなして欲しい とも思っていたので(我欲のかたまり 笑)、おのずとそういう子どもにするために 指示や、アドバイスとは名ばかりの命令も多くなっていったんじゃないかと思います。 いつもいつも周りの評価を気にしていました。義父母や実の両親、学校の先生、ママ友 かかりつけの病院の先生、習いごとの先生、近所の人等々。 そんな人たちに子どもをほめてもらうと、まるで自分がほめられたように嬉しかった。 頑張っていたのは子どもなのに、子どもの評価を自分の評価にしていたんです。 まるで自分の分身のように子どもを作りあげようとしていた。本来の子どもを見ず。 だから子どもが不登校になった時、あんなに奈落の底に落とされたような気持ちになっ たんだと思います。 世間の評価からは「バツ」がつく存在になったと思い込んでいたから。自分も子どもも 今やっとですが、肩の力を抜きつつある自分を感じています。 まだ完全に抜けたわけではない。ひょっこりと前の、周りの評価を気にする自分も顔を 出す。(いやかなり頻繁に。。。) でも子どもが不登校になっていなかったと仮定したら(たらればの世界ですが)、私は 一生「周りの評価」におびえる人間だったのかしら?と考える時があります。 自分が何かしたいと思っても、まず、「人にどう思われるか」が気になるような自分で あったのかしらと思います。 今は自分がしてみたいと思えることは、取り合えずやってみようと思えます。 あくまでも、その時の自分の気持ちと相談して。結果も気にせずに、自分に合わないと 思ったらやめればいいのよね、という気楽な気持ちで。。。 前みたいに結果(評価)を気にすることが無くなったから、気軽に試せるようになりま した。 そして子どものことも、全てではありませんが「自分の出来ることはない、どう決めて どう進むかは子どもの問題」と割り切ることが出来るようになったと思います。その 結果を受けとめるのも子ども。そしてどんな子どもでも、自分の子どもであるのだから 目の前の子どもを愛せばいいだけなのですよね。子どもを信じて。 肩の力が抜けてきたせいか、すご~い肩凝りもましになってきました。 これは嬉しいことです。前にひどい肩凝りで、頭痛がするほどだった時に2か月ぐらい 整体に通ったことがあります。その時に先生に(70代ぐらいの男の先生)言われたの は、「あなたね。ものすごく体に余分な力が入ってる。まず力が抜けた状態を体に覚え させなさい。」ということでした。 その後ピラティスに行き出して、整体はやめたのですが~今行ったら何って言われる かしら?少し力が抜けてきたかなあ。でも「肩の力を抜く」って書いてること事体、 まだまだ力が入ってるってことかしら(笑)
2012.06.05
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6月3日のあじさい 大分色づいてきました 最近夜あまり眠れません。別に昼寝をするわけでもなく、夜寝るのが早いわけでもなく 朝も6時ぐらいに起きるから、平均睡眠時間は6時間ぐらい、その間2,3回目が覚め ます。眠りが浅くなっているのかしら。 やはり気候のせいでしょうか。蒸し暑くなってきましたし、体が重いです(これは体重 のせい?)てきぱきと動けません(今に限ったことではありませんが。。。) でっ、久しぶりに気分転換と疲れをとるため、近くのスーパー銭湯に行ってきました。 息子が不登校中は時々行っていたのですが、2年半ぶりぐらいかな? そんなにたくさん色々なお風呂があるわけでもないのですが、一応天然露天風呂もある し、寝湯も、気泡風呂も、サウナもあります。 昼から行ったから、わりと空いていました。ここは平日10時までに入ると、入浴料が 100円お安いので、午前中は混んでいます。それでも休日ほどではありませんが。。 休日は行ったことがないのですが、夜でも多いみたいです。500円で色々なお風呂が 楽しめるので人気があります。 私はどちらかと言えば貧血ぎみなので、サウナはパスします。前に入って倒れそうに なったことがあるから~そんなに長風呂の方でもないから、1時間ぐらいかな~ でも一通りのお風呂に入って、気持ちよくリフレッシュできました 帰りには道で売ってる産直のトマトやなすも買い。。。リコピンで元気になるかな? 疲れたのは寝不足と気候のせいもありますが、午前中急に家の周りの草抜きを頼まれ たのと、朝新聞でたまたま目にした、高校総体の記事のせいもあります。 「あーあ、やっぱり自分はまだこんなことに拘っているのね。抜けれてないのね。」 と再確認しました。 まだまだ落ち込むこともあるけれど、そんな自分も自分。認めてあげようと思います。 日帰り温泉で癒されたので、今晩はよく眠れそうです。 お仕事に行かれてる皆さん(夫も含め~)ごめんなさいです。ちょっと罪悪感。。。
2012.06.04
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庭の「あじさい」が色づきはじめました あじさいの花言葉は『移り気』『高慢』らしいのですが。。。 そのほかにも、『辛抱強い愛情』『元気な女性』なんてのもありました。 一見すると逆のようにもとれる意味の言葉が、両方つけられているのが、 おもしろいと思いました。 まだ咲きはじめですが、これからどんな色に変化していくか、楽しみです。 ついでに、庭に置いてあるカエルの置物。。。 ユーモラスな表情にいつも癒されています。
2012.06.03
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何が悪かったのか、どこをどう変えていったらうまくいくのか、と考えてしまうところ が私にはあります。出来るだけ早く軌道修正しようとします。多分これは仕事の 考え方なのでしょうが。。。 一番そう思ったのは息子の不登校だったのですが、どう考えてもどうしてそうなったか 私には納得できるような答えがみつからなかったのです。 それで焦って、どうにかしようと色々なことをして、よけい泥沼に入っていったような 気がします(泣)。はっきり言って今でもわかりません。 確かに過干渉な子育てをして、子どもが「自分で決める」ということを尊重しなかった ということはあります。子どもを支配していました。 親だから当然と思って、あれこれと指示していた。子どもにまかせずに口出ししていた 朝起きることから、ご飯を食べること、勉強すること、お風呂に入ること、寝ること等 何かを口出ししなかったことは無かったように思います。(反省・・・) そして頼まれてもいないのに、色々と手伝ったり、交友関係を気にして意見を言ったり でも、それが直接の原因だったのかな?そんな子育てをされた子どもが、皆不登校に なるというわけでもないし。。。 多分ですが親子の相性もあったのかな?子どものことが、心配でたまらない親と 親が好きで、親の思いに出来るだけ添ってあげたいと思い過ぎる子と。 同じことを同じように言ったとしても、それをどうとらえるかは子どもによって それぞれ違いますものね~ 流せないところがあるというか、人の気持ちを感じやすいというか。。。 中学校時代不登校になる前、息子は『学校が嫌い』ではありませんでした。学校の システムに違和感は感じていたみたいですが、先生のことも嫌いではありませんでした 『友達がいなかった』わけでもありませんでした。『勉強についていけなかった』わけ でも、『部活が楽しくなかった』わけでも・・・ 部活を頑張ってしていたわりには、試合でレギュラーに入れる時も、入れない時もあり ました。試合に出れても勝てる時もあれば、負ける時もありました。成果がそんなに 出なかったのかもしれません。でもそれも息子だけがそうであったわけではないし。 体調が悪かったというのもあります。完璧主義で何もかも出来ないといけないと思って いたということもあります。そして人に合わせ過ぎて、自分の言いたいことが言えず、 疲れてしまったということも・・・う~ん、でも何が決定的な原因なのかなあ。 やはり私の養育態度によるところが、大きいのかな。漠然とですが。。。 はっきりと、『これ』という答えは出ません。いや別にわかったからと言ってどうにか なるものではないのですが(反省すべきは反省しなければなりませんが)、そう思って も時々考えてしまいます。過去を振り返ってもしょうがないのはわかってるのに~~ これも性格なのでしょうか? 最近『自分』に興味があります。結構しつこい性格なのかもなあって(笑)
2012.06.02
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松葉ぼたん 子どものことではなく、自分のことです。 子どもは子どもで自分が何をしたいか考えるわけで、それは親が考えることではないし 親が指示することでもないと思うから。 自分は何がしたいのかな?って最近よく考えます。 こんなことを考えること自体、ぜいたくなことなのでしょうか。生きるだけで精一杯の 時は、そんなことを考えることも出来ませんでした。日々の暮らしのことをするだけで そして毎日の生活に追われている時も。。。(たとえばこの前のように親が入院してた りする時も)そんな余裕はない。 でも、今すぐに実現出来なくても、考えてみること、少しでもその足ががりになるよう なことを始めてみることは、意味があると思います。 これからの自分の人生を生きていく上では。 学校を出て3年間働いてみたけれどそれは自分にとって「一生定年まで続けたい仕事」 ではなかったのかもしれません。そんな短い間で決めてしまうようなことでもなかった よなあと、今となっては思いますが。。。家の事情もありましたし、結婚を期に辞める ことになりました。 結婚後子どもができるまで、間があったので、事務の仕事(パート社員)に出たり、 家業の手伝いをしたりもしました。その時はそれなりに楽しく、充実感もありました。 家業の手伝いの方は、まだ継続中ですが。 しかし本当に自分のしたいことであったかというと「?」なのです。 別に仕事に限らず趣味でも何でもいいのですが、いったい何が自分の本当にしたいこと なのかが、まだわからない状態なのだと思います。 多分、今までずっと「こうあらねば」で生きてきたのでしょうね。『とりあえず高校』 高校出たら『とりあえず大学』『就職』『結婚』って。自分の頭でそんなに考えること もせず世間や親の「こうあらねば」のレールに乗っかって、これは自分の本当にしたい ことかどうかなんて気持ちにはおかまいなく(それなりに自分で選んだように思わさ れて・・・)、進んできたんじゃないかなって思うのです。 子どもに簡単に「自分のしたいことを見つけてほしい」なんて言えないですよね。 自分の本当にしたいことを見つけて、それを仕事にしている幸運な方は少数でしょうが うらやましいです。もちろんそれを手に入れるために、それなりの苦労も努力もしての ことなのでしょうが。。。 みんな自分が生きていくために、自分の本当にしたいことでなくても、何らかの我慢を して働いてお金を得ている。働いているうちに、それなりの居場所もやりがいも出来て それが自分のしたいことになる場合もあるのでしょうね~ それが現実かもしれないなって思います。 「いったい何がしたいのか」というと、その答えはまだ見つかっていないし、一生 見つからないかもしれない。そんなにたいそいうなものでもないかもしれないし、 もうすぐ見つかるかもしれない。 自分が少しでも楽しいと思えること、心地よいと思えること、興味のわくこと、を 選んで体感していくことが、自分のしたいことに至る近道なのかなあ? 最近楽しいと思えることが、少し増えてきたように思います。 少し軽やかになって(気持ちが)、自分という芯が出来てきたのかな。
2012.06.01
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