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前回書いたように、高齢者社会でも障害を持つ方が多くなって来た。そのお手伝いをしているが、まず私は相手の警戒心を解く事を考えて話をする事にしています。前にも書いたように友達的になると、相手が本音で言ってくれるのと相手の気持ちを多少なりにも分かるからです、これは大切な事だと私は思っています。相手目線で話を聞く、相手目線で話をする。そこには敬語で無く、友達目線の話し方が必要です。私は歳下でも、年上でも友達的(状況に応じて敬語は使いますが)な話し方をします。これは同じ目線に立てるからなのです。意外と皆さんが入り込んでくれます、私の顔がトボケテいるからか同じ目線で話してくれる人が多いです。被災地でも20歳くらい年下でも、私の、下の名前で呼び捨てで接してくれるし、年上の障害がある方とも毎朝散歩すると同等に話をしてくれます。これは海外でも、そうでしたが現地の良い友達を作るのが早かったです。ドミニカでは赴任して1週間で、アルゼンチンでは自分のアパートに入った、その日に友達になったのですがそれは、最初は自分勝手に思っていただけですが、どちらも今でも付き合いが、あるほど長いです。日本でも、そうですが最初は敬語で話しますが、幾度か会う人には敬語では無く為口で話すように成ります。これだけは自分でも分からないのですが、相手からもそうされるので何か自分にあるのか聞いてみたいのですが、聴いた事はありません。ただ、これが自分なりに色々学ぶ事が出来る要因になっています。同等扱いだと本音を言ってくれるので、色んな面で教えられる事がありそれが今後の自分の行動範囲に広がっています。相手を理解する為には、対面で話すのが一番理解出来ます。SNSの発達で、その部分が欠如しているのと、親子関係の亀裂が現在は大きな要因になって来ている。そこには話し合う事が少なくなり、家庭でも話しても連絡的会話が多くなった為があると思います。今、感じるのは一人暮らしの高齢者の方は、話をしたいのです。そこを考えてあげて行きたいと思います。付録今回、災害関係でグループ内に入ったのですが、災害用のシュミレーションアプリ(東大で開発したもので拡散の了解されてますので使ってみて下さい)都府県名と住所を入れると、地震が起きた時の「揺れ」「火災の発生状況」等が数値で表せます。自分の住んでいる地域では、災害が起きた場合は、どの様になるかが分かりますので使ってみて下さい。危険度診断アプリ(https://www.tokyojishin.org/anamachi/)
2014.08.31
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今日はデートでした。病院の付き添いですが、疲れました。こんな事で疲れていては問題がありますが、自分では若いつもり居ますがですが、それはあくまでも自分の中だけで体力的な衰えは現実問題である事を実感してしまう、この頃です。こんな事では駄目だと思っていますが、自分なりに考えての行動ですから責任があるので、やり遂げたいとは思っています。高齢化で付き添いが必要な方が多く病院に来ています。同時に一人暮らしの方が多いのを感じていますがそこには何かを忘れて来た日本がある事も感じます。一人暮らしで誰とも話をしないで、部屋に籠ってしまう子供たちとは連絡も取り合わないで、孤独感を感じるのでしょう。また、足腰も悪く、自由に出歩く事が出来ないので尚更、孤立感を感じてしまうと思います。今、その様な方たちの、お手伝いをしていますが自分の行く末を見る思いもありますが、それを考えたら何も出来ないので、今出来る事を考えて行動しています。この様な方々は、お話がしたいのですが、部屋から出る事が無いので、話し相手が居ない部分があります。被災地でも同じでしたが、同じように話をしてくれる人が居ると喜んでくれます。だが、人によっては警戒心が強い人が居るので、私は徐々に親しく話すようにしています。最初は敬語で話をしますが、話しているうちになるべく、友達的な会話に持って行くようにしています。それは友達的な方が、相手は警戒心を無くしてくれるのと本音を言ってくれるように成るからです。そこまで行くと友達関係のような話し方になってくれます。今や高齢化社会ですが、同時に孤独社会化しているのが現在の日本です。だからと言って、活発に動ける高齢者は少なくなって来ている。行政も詳細部分は掴めないから、ホローも出来ないのが現状でしょう。だからと言って、今の私に出来る範囲などは微々たるものである。それで出来る範囲しか動けませんが、このお手伝いは続けて行こうと思っていますが、先頭に書いたように自分の体力の衰えを感じてしまいます。ただ、今後はこの行動から自分なりに学び、今後に伝える何かを求めて行きたいのと、お手伝いしている方が何を望んでいるかそれをどの様にして行く事が出来るかも、多少なりも考えて行きたいと思っているのです。前回は障害者の方の「埃高い男」の部屋掃除をしましたがその埃も10Cmもあり、自分が病気の原因を作っているのですがその人とは多少の話をしましたが、別な部分で学ばせて貰いました。今後もその活動と、被災地にも行く予定ですが、自分の体力を維持するように自分なりに努力もしなければと思っています。
2014.08.30
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今回SNSで話題になっている、大阪桐蔭の中村主将の中学時代の作文ですが、中学生で、これだけの思いが出来る子は居ないと思います。彼が今回の夏の甲子園で優勝したのも、彼の優しさや思いやる気持ちが野球部の主将として部員に伝わって優勝できたのではないでしょうか。私の中学時代を振り返ると、とても正反対で人を思いやる気持ちなど無くて、何とか這い上がりたいと思う気持ちが強かったのですが彼のような気持ちを持てると言う事は、親の躾や教えが反映されて居るのだと思います。私も30年前に障害者の方にPCを教えていた事があります。ボランティアで、自己資金で、障害者の方なら座って仕事が出来るその様に考えて教えていましたが、彼のような考え方であったか分かりませんし、上から目線で教えていたようにも思います。それが私のボランティアの始まりでしたが、1年で自己資金が尽きて終わってしまいました。だが、その時に逆に障害者の方から教えられた部分が大きかった事は今でも覚えていますし、今に生きていると思います。今も障害者や高齢者の方のお手伝いをしていますが、彼の作文のように、上から目線では駄目な事は経験して分かって来ました。前にもブログに書きましたが、してあげているではなくお手伝いしていると言う考え方で接するようにしています。今回も新たに高齢で障害のある方の病院の付き添いを行うのですがその人と同じ目線になれるようにして行きたいと思っています。中村主将のように、中学時代から、その様な考え方を持てる子が居ると言う事は、これから彼がどれだけ伸びて行くか楽しみです。私は50歳近くで、彼に近い考え方になって来たので彼の凄さに感動しました。私も負けないで、被災地と今のお手伝いを続けて行きたいと思っています。
2014.08.28
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今や政治家は何を考えているのか?企業減税を行ったら、パチンコ課税や庶民の娯楽等に減税分を負担させようとしている。その前に違憲である自分たち国会議員を減らし、無駄な税金を行ってそれから、その様な議論を行うのが筋である。それも分からない人達が政治を行っている、日本は政治の後進国であろう。これでは日本国の行く末は?本当に今の政治家は、政治は誰の為に行うかを分かっているのかと問いたい。返ってくる言葉は「分かっています」であろうが、分かっていないのが政治家であるし、ボンボン育ちの連中には庶民の苦しみなどやストレスなど分からないのであろう。それ程、日本の政治家が腐敗(無知)しているのにはがっかりする。地方議員もしかり、時代が変わったから分からない部分があろうがアイヌ問題発言を行った地方議員がいるが、私は北海道生まれであるがアイヌ差別を見たし、聴きもした。だが、それもアイヌと言うだけの事で、仕事も与えられない状態や住む所も無い人達が多く居た。私の母方の叔父もアイヌの方と世帯を持ったが、その人は優しい人であった。私が父に反発して家出をしていた時に、面倒をみてくれた。家出の件はブログに何回か書いたが、母が父の暴力で亡くなってそれで反発して小学6年の時に取った行動である。叔父の奥さんは自分も苦しんだ経験から、私には優しくしてくれた。色々な面で助けて貰った事が多かった。その人もアイヌと言う差別で、色々な事をしながら苦労して叔父と世帯を持ったのであるが、その苦しみの経験から私の辛さを分かってくれたのだと思う。だが時代が変わり、その差別時代が分からない人があのような発言に至ったのであると思うが、その地方議員も発言撤回を拒否している。それは自分の信念で発言したのであるから、問題は無いがだが、アイヌ問題を、もう少し勉強すべきである。この問題は北海道が蝦夷地と言われた時からの因縁がある事で私の本家(松前)であるが、その頃から和人とアイヌの権力争いがありアイヌの酋長連中を騙し打ちで首を切った等の歴史がある。その面を考えると、自分の発言した問題点は変わると思うがそれを教えて来なかった教育にも問題がある。如何に今の教育は歴史の醜い部分を避けて教えているかに尽きる。その議員も若い、今の国会議員も若い、だが若いからこそ変えるべき力があるので、その力を出してほしいが、古だぬき議員や大企業に振り回されている議員や、苦しみの分からないボンボン議員では日本は変わらないであろう。国民もその様な議員を選んでいる、シガラミや慣れ合いで政治家を選択しているのでは?
2014.08.27
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最近思うのですが、ボランティアの日本人の考え方が何か違和感を感じるのです。東日本の大震災や、今回の広島での災害等で、多くの方がボランティアとして行っています。それは一人ひとりの中の、助けてあげると言う気持ちがそうさせているのですが、それは大切な事だと思うのです。今回SNSで、被災者の方の配慮が足りないと言う意見がありました。これは私も東日本でも感じていました。私たちはボランティアとして行くには、被災者の立場を理解して行く事が大切なのですが、それを勘違いしている場面を多く見る事があります。それはやってやる、俺たちは助けに来たのだと言う態度が見れる隠れする時があるのです。これは完全なる勘違いと私は言い切りたいです。確かに私も海外でボランティアとして行った時に、私の気持ちの中に上記に書いた驕りがありました。それは間違っている事と悟らせてくれたのは、現地の人でした。これは日本でのボランティアの考え方、および、それに対する教育が違いっているように思えてなりません。ボランティアとは相手目線で行うものであり、相手の状況と望む事をお手伝いする事だと思うのです。それを勘違いしている方が多いと思うのですが、助けに行く事は良い事なので、すべきです。(助けの言葉が嫌いなので「お手伝い」を使います。お手伝いは、あくまでも相手目線と同じ位置に立たなければただの上から目線のやってやるになってしまうのですがそれを分かっていない人達が多く居るのが日本です。これは完全に教育現場も大人たちもボランティアに関して勘違い的な考え方があると思うのです。ボランティアで行っていると話すと、「凄いね」と返ってきます。そこには優しさや労わりで相手と同じ目線に立つだけでただのお手伝いなのです。それが人間としての原点だと思いますが、今の一部の人達は勘違いしてお手伝いも終わりに近くなると、騒いだり飲んだりなどしたりしますが、程々であれば良いのですが、度が過ぎる傾向があります。相手は手伝って貰っても、これからがあるのですから、その面を考慮すべきであり、相手の目線で考えると一部が終わっただけでこれからの生活を考えて行かなければならない状況が待っている事そこまで考えて、ボランティアと言えるのではないかと思うのです。日本人は正面だけ創ろう傾向が強いですが、それは違っていると思う今日この頃です。
2014.08.26
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経験の話が続きますが、人は経験により状況判断をするものだと思うのです。私は少年時代に悪でしたが、その経験が生きる場面が多々ありました。悪い経験の方が意外と人は覚えているし、それなりに生きるものです。それは、悪は悪の臭いが分かるのです。これは危ないなと思う事が経験から嗅ぎわける事が出来る場面が幾度もありましたし、同時に危ないと感じた場合の対処も早いのと危険な場面を包囲する術を知っている感じがします。それは途上国で危険だから夜は一人で行かないようにと注意された所に、私は毎夜の如く行ったりしていましたが危険な場面には遭遇しなかったのです。それは途上国の人しか行かないディスコに、東洋人は私一人で毎夜の如く踊りに行っていました。現地の友達も危険だと言うのですが、私は危険を感じなかったのか鈍感だったのか分かりませんが、そこで踊っている子たちと親しくなり、また、警備を行っている人とも親しくしていたので問題は起こりませんでした。自分が悪だった頃の警戒心が、自然に出ているのかもしれませんがそれなりに経験が自然に出るのでしょう。途上国では2度ピストルを突き付けられましたが、その時もそれ程の恐怖を感じていなかったのです。普通は恐怖を感じる物なのですが、意外と平常心に近かった。やるならやれと思って、こちらも負けていない態度で接していました。1度目は運転でのトラブルで、相手に文句を言いに行ったら最初からピストルを構えていました。それは途上国では免許を持たない人が90%近く運転するので運転マナーが悪いのと、自分本位の運転なので周りなど気にしない運転をするので、あまりにも運転が雑なので、信号で止まった時に相手に文句を言いに行ったのです。その時にピストルが目の前にあり、私が「雑な運転するんじゃないよ」と文句を言ったら、相手も「お前こそ」と言って来たので「気を付けて運転しろ」と言い返して自分の車に戻りましたが恐怖心はありませんでした。ただ、2回目は自分が住んでいるマンションの上の階の人が私の部屋の窓ガラスに何かを投げて、割ったので文句を言いに行ったのです。相手の部屋のチャイムを鳴らすと、ドアが開きマグナムの口径の大きいピストルが私の目の前にありました。彼は軍人で、ピストルの扱いは慣れているのでしょう。両手でピストルを構えていました。その時にマンションの警備員が、「戻ってこい」と私に声を掛けてくれたので、私も戻る事にしたのですがその時も、それなりに観察出来ていたので、意外と恐怖心が無かったのですが、その軍人が麻薬で逮捕されたと聞いた時はヤバかったなと思いました。一歩間違えば殺されていたかもと思ったのです。私は鈍感なのか、自分なりの信念なのか分かりませんが少年期に悪かったわりには、チンピラやヤクザが嫌いでよく喧嘩をして、警察に連れていかれて説教をされた学生時代もあり度胸が据わっていると言えば聞こえがいいのですが相手と対等に張り合う傾向があり、ヤクザの下っ端と喧嘩して事務所に連れて行かれた事もありました。こんな経験は自慢になりませんが、餓鬼の頃の経験が反面教師になったのか悪とかイジメを見ると怒りを感じてしまう性格になり、それで幾度か警察に説教されたのと、喧嘩をする場合は先に手を出さない事をチンピラやヤクザとの喧嘩から学びました。彼たちは口で相手を挑発して先に手を出させる。私は挑発にのって手を出して、警察に行って怒られた事が幾度もあり、何で一般人が怒られてヤクザ連中は怒られないのかと不満に感じた事がありましたが、そこから相手は口で挑発して手を出させてから、殴るのである事を学び、以後は口喧嘩で終わってしまう事が多くなったのです。そんな経験でも役に立つ事があると思いますし、だから今でも何かやる事から学んでやろうと言う気持ちが強く働くのでしょう。
2014.08.25
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2014.08.24
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もし、そこに貧しくて大変な人が居たら、どの位の人達が日本では手を差し伸べるのでしょうね?殆どの人は関わらないようにして、見て見ない振りをするでしょう。それは関われない事情もあるし、そんな物に関わるだけ損だと思う人も多いでしょう。海外でも電車や汽車で物乞いをする人を多く見ました。私も小銭を渡す事がありましたが、海外の人は意外と渡す人が多かったように思いますが、やはり嫌な顔をする人も多く見ました。ただ、旅行などしている外国人は、渡す人が多かったですね。私は日本では、その様な光景を見なかったので、最初に見た時は驚きました。そこには子供たちが多いのと、子供を連れている人が多かった。日本では、あのような事は恥と考えて、する人達は居ません。だが、海外は恥とは考えていないのでしょう。同時に子供を犠牲にして同情を買う態度が、当たり前のようでした。日本であのような光景を行っても、誰も振り向きもしないでむしろ蔑みの気持ちで通る人が多いであろうと思いました。確かに私も子供を楯に使うのは問題があるが、家族が食べる為の行動で、あのような事を行っているのでしょう。そこで考えて見ると日本人は辱の文化を持っている国であるが同時に、それが人の苦しみも理解出来ない部分があるように思うのです。辱は恥ずかしい事であると教育され、その様に育てられましたがそこには人間としての見栄が先行しているのだろうと思います。私も偉そうな事を書いていますが、自分の少年期は悪かったし盗みもして警察の厄介になりました。こんな事は恥ずかしくて言えないのが日本の社会です。社会人になって自分は、それなりに働き、最先端の技術の仕事をして来たのですが、そこまでに辿りつくには、それなりの苦労がありました。だが、それは自分なりには勉強だと思っていますし、それによって人の苦しみや悲しみも分かるように成ったと思っています。ただ、私の欠点は人に頼らないで自分でやってしまう事です。それは、人間は一人で生きているわけではないので、互いに助け合いながら切磋琢磨して生きているのですが、自分の今までの生き方が、自立する為には、よそ見をしている余裕がなく、自分を主に考えて、何事も自分でやらなければと言う気持ちが強くただガムシャラに進んで来たので、何かをやるにも協調性が掛けている部分が多いのです。だから何か良い事をしても、自分の範囲での行動に成り他人に協力して貰わない傾向が強いので、自力には限界がある事は分かっていながら、協力を仰がない。それが資金的に辛くなって長く続かない事になって来た事が多い。それが分かっていながら、今でも同じなのは自分は、その面に関しては進歩していないのでしょう。ここまでは私の個人的な事ですが、人は経験により助言したり助け合う気持ちを持っているのですが、そこにはお金が絡む事になります。今回のネット社会の事をブログに書きましたが、登場した彼女もそれなりの苦労をして経験から、お金を主に考えて居たのかもしれませんしもし、完全なる悪意だけであれば、それは悪党でしょうがそうでなくて困っている人の助けになればと思ったなら、そこには多少の救いがあるように思うのです。最終的にお金が絡むのが社会です。私もお金は嫌いでは無いですが、縁が無いので金銭的な感覚はゼロに近いです。だから駄目なのでしょうが、性格的にお金を考えて仕事をしないし相手の事を考えると金銭的な事より、人間的な事を先に考えてしまうタイプで、それでお金と縁が無いのでしょう。確かに私の仕事は、一時期は相当な金額を稼げました。だが、そのお金も最終的に自己満足の為に使ってしまった。海外でも同じで、最初に行った国は、そこの大臣クラスの給与であり質素にしていれば、相当貯まったでしょう。それをしないで前記に書いたように自己満足の為に使う。これではお金も私を相手にしてくれませんし、お金も逃げて行きます。ただ、若い頃から仕事等は恵まれていて、食う事に関しては苦労が無かった部分がありましたが、お金には好かれないタイプは間違いないです。また、今の歳になるとお金より、人間として穏やかに生きたいしそれを伝えて行きたい気持ちが強くなりました。今は被災地も行きますが、地域の高齢者や障害者の方のお手伝いをしていますが、お手伝いに行く前に必ず見るタイのCMがあります。そんな人間に成りたいですが、無理ですが近づきたいと思う、この頃です。CMのアドレスは下記です、見ているいと安らぎます。https://www.youtube.com/watch?v=uaWA2GbcnJUこれを見て、人と接する時は相手に何かを求める事は駄目と自分に言い聞かせている。人は何かをすると、相手から何かを求める傾向があるがそれを、このCMは教えてくれた。
2014.08.24
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人は経験により他人の痛みを分かると思う。もし誰かと同じような経験をしたら、同じ経験をしてない人よりその人の気持ちが分かるであろう。ただ、経験した人でも自分の歩んで来た道によって考え方も行動も違って来るし、周りから受けた対応によっても変わる。そんなの当たり前の事だと言われるが、別な観点から見ると違って来る事を人は忘れていると思う。それは悩んで苦しんでいる時に、誰かが手を差し伸べてくれた場合その人が助けてくれた場合と、誰もが周りに居なくて自力でそこから抜け出した場合では考え方が変わって来ると思う。特に貧しさを味わう時には、それが出て来る。食べる為に必死になって働くが、だが抜け出せない。でも食べる為には働かなきゃと思うが、働く所も無い。そんな時には人はどうするであろうか?女性なら自分を犠牲にするであろう。私はその様な女性を発展途上国で多く見た。彼女たちは家族の為に、その様な所で働くしかない。日本は、家族の為に、その様な犠牲を強いている人は僅かであろうが、でも居るであろう。その人が、そこから抜け出して来た経験があれば他の人が、その様な経緯で働いていたとしたら、自分の経験から、どの様にしたら良いかを言えるであろう。経験の無い一般の人が何かを言っても、経験者との違いは大きい。だが、一般社会は甘くは無いのが現実である。その様な苦労をしている人の周りには、人は寄って来ない。むしろ知らない振りか、逃げ出す人も多い。自分が可愛いから関わりたくないのであろう。もし関わって来る人が居たとしたら、その人は自分も同じ経験をした人か、悪を企む連中かであろう。人は貧しさを好まないし、好んでなる人も居ない。でも政府も官僚も、それに対しての応対は甘くは無いのである。そうなれば抜け出したい人は、藁をも掴む思いで人に頼る。それを食い物にする人は、私は許せない気持ちである。だからと言って私が助けられるわけではない。途上国では多少の援助をして学校に行かせたりしたがそれも最終的には私の自己満足であり、むしろ逆効果だったと反省している部分が大きい。それは私には任期期間があり、その国に居るのはその間しか居ないので、中途半端な行動であったと思っている。やるなら最後までをモットーにしていたが、それが出来なかった。だが、その時に思って行動したのは、私も貧しさを経験していたしその事で自分なりの苦しみが分かるからの行動であった。仮に私が経験していなかったら、その様な行動を起こしたであろうか?人は貧しさから、食べる為には盗みもするであろう。私も父に反発して家出をして、路上にも寝たりした。まだ小学6年であるから、働く所など出来ないし自立も出来ない。これは前にもブログに書いたが、母の死によって父を恨んでの行動であった。だが、それによって自立する自分を作る事が出来た。あれが無ければ、私は人の痛みも優しさも持てない人間に成っていたかもしれない。あの経験が私を作り上げたのである事は間違いない。ただ、一歩間違えば悪の道に進んだかもしれない。それが人の別れ道であったと思う。続く
2014.08.23
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今回のサイトでの知った女性は、彼女は、根は正直な人なのかもしれない。そう思ったのは、自分のサイトに入った方法等を正直に言っていた。あのように自分のやり方を言うタイプは、あまり居ないであろう。まず、相手を騙して利用するかを考えると、私なら手の内は言わない。手の内とはサイトに入った方法と考え方である。彼女との会話で匿名を使うサイトには、正直に年齢や住所などは知らせないと言っていた。また、氏名を記入する場合でも、偽名を使う等と言っていたのでこれを考えると、他人の氏名でも入りかねない事が起こると言う事である。サイト側は、そこまでチェックは出来ない。同時にサイトを運営して行く為には、それなりの人数が必要であるから応募を受け付けるであろう。これからは、サイト利用の問題が起きる事は間違いない。それに対してサイト側は対応をして行かなければ、信用問題になりかねない。だが、そこには個人情報の問題も絡んでくるので、チェックを行うには限度がある。今後は、その様な事が起きる事を想定した対応とやり方を考えなければサイトは成り立たなくなる可能性が出て来る。今回の彼女も言っていたがグレーゾーンを利用する方法を考えていたみたいだ。グレーゾーンは犯罪にも引っかからないが、犯罪に近い部分もあると私は解釈する。その事を彼女は言っていたのであろう。このグレーゾーンは立証できても、逃げ道があるので対応は難しい。この様にネット社会から多方面に問題が起きるのは目に見えている。現に私自体もネットで、あるグループに入っていた時には迷惑メールに悩まされた。私の推測であるが、そのグループを利用して迷惑メールを発信していたのであろう。それなりの対応で、迷惑メールは来なくなったが、対応にはそれなりの時間が掛かった。プロバイダ側のグループ認定を行わなくなっても相手のメールアドレスが公開されているので、それなりの迷惑メールは来ていたが、対応して問題は解決したがこのような現象は今後起きるであろう。前に迷惑メール対応方法をブログにも書いたが、それも一つの対応にしか過ぎないのである。必ずネットの隙間をぬって、次の方法を考え出すであろう。これからは自己防衛で、その様な問題を防ぐしかないのとこの様な問題が起きる事を想定してネットと関わる事が大切である。
2014.08.22
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下記に書いた事は、私の憶測です。私の範囲で考えられるのは、高齢者の金目当てであり、最終的にはオレ俺詐欺に繋がるのかとも思った。高齢者の情報を集めて、次の段階で、その情報からターゲットを選別その段階の道筋を付けようとしていると感じたのである。相手としては私が被災地などでボランティア活動を行っているのでシステム的な事を頼んでも、お金が掛からないのを見越していたのであろう。私も相手の手口が分かるので、その方法論と目的を探り出したかった。だが、私は相手が、それが目的である事が分かっているので私の会話対応が悪かったのであろう。相手から連絡が来なくなってしまった。この様に今のネット社会で、それを利用した悪だ組みが横行しだした。その為には相手の対応の仕方を分析しなければならないし出会い系サイトや高齢者を狙った犯罪は、そこまで巧みになって来ている。それを考えると分析方法等を考えて行かなければならない。今回は一つの方法論は分かったのと、機関銃式に話す女性は何処かで何かの食い違いが出て来る事が勉強になった。同時にサイトに登録する場合は、生年月日、氏名などは偽装で行うまた、氏名を登録しない匿名を使うサイトを選択すると相手は言っていた。確かに彼女は、その様なサイトは自分自身を、証明をしなくても良いのが殆どである。この様な状況では信頼できるサイトに於いても同様な事が考えられる。もう一つは、この女性は意外と正直なタイプに感じた。それは、一方的に話して、目的が何かをボカしていたが、その話の裏には目的を言っても、私が協力しない人間である事を見抜いていたのかもしれない。また、彼女の今まで経験して来た事から、その苦しみも分かるからその様なサイト等考えていたのかもしれないし、後ろ盾が居た事は確かであろうが、それを聞きだす事は出来なかった。女性は子供を育てる事に必死で取り組む年代でもありそれが女性一人で育てた事の苦しみが、彼女をその様にさせて行ったような気がするし、彼女の話の中にも出会い系サイトが出て来たが、それは彼女が味わった経験から、困っている女性を助けたいと言う気持ちもあったのかも知れない。そこは男の私には分からない部分である。今回の方法論は人によっては悪用出来るであろう。確かに営業的要素で交流会に出席する人は居るであろうが悪用的に考えている人が居る事を、サイト側も考えなければ大きな問題になるだろう。
2014.08.21
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ここに書いた方法は、実際に起きた事と私の想定の両方である事を断っておきます。この様に巧妙な手口で来るが、また別な手口で行っている。これはネットのサイト(信頼できる)で、交流会等が催されると参加してターゲットを物色する方法である。相手は「交流会」で検索して、サイト主催の交流会を探し次にそのサイトに入会して、交流会に出席をする。そこで相手を探して、ミニメール等で相手とコンタクトを取り相手にメールアドレスや電話番号を教える。ここまで来ると判断が出来ない状態である。今やネットを利用する方法があるが、今まではメール攻勢で出会い系サイトを判別出来たが、この様な手口で来られるとこちら側は分からない。また、同時にサイトを使って、サイト内にサークルを作りそこから出会い系サイトに導く方法もある。この様な状況ではサイト側もチェック出来ないし、前記の方法でもサイト側はチェック出来ない。これを、どの様に防ぐかが、今後の課題であろう。まず相手側が、どの様な方法で来るかによって対処の仕方が違って来る。交流会に出席して、多くの相手にメールを送るのは要注意であろうが、これも一概に決めつける事が出来ない。ただ、この場合、相手がメールアドレスの変更を言って来た場合は注意すべき事は間違いない。今までの出会い系でも、最初のアドレスを変更する事が多い。理由は迷惑メールが沢山来るので、アドレスを変更した等と言う事はアドレス自体を捕捉用に用いている場合が多い。今回、これが分かったのは、私があるサイトの交流会に出席したのである。私はあまり相手にメールや電話もしないし、Facebook等でも友達申請を受ける場合は相手を知ってから受けるのと友達の数も制限している。これは相手が多くなるとホロー出来ない為、相手に失礼だからである。こんな事で私自身はメールをしなかったのであるが、相手からメールが来て、返信し再度相手からのメールで会う事になった。それはコンピュータ関係を教えてほしいとの事なので、私もそれなら会いましょうとなったが、メールアドレスと電話番号の交換を行い会ったのである。交流会で顔を合わせて話もしているので、こちらは警戒心が無かった。ただ、彼女は一方的に話す人で、会う前日も3時間以上電話で話したが殆ど彼女が話していた、私が話したのは15分程度であろう。話している内容は何をしたいのか分からないのと、自分の自慢話と自分が、如何に顔が広いかであった。会った日も午後の2時半から7時まで話をしたが、それも一方的な話になった。同時に彼女が何を言いたいのかも理解出来ないで終わった。私は元来一方的に話す人は苦手であり、あまり信用しないタイプである。結果的に何をしたいか理解出来ないで話が終わり、別れたのであるが次の日に又もや電話があり、3時間以上の話になった。私は前回と前々回で話の内容を自分なりに分析したら、最終的に相手は高齢者を対象にして、何かをしたいとの事であったが相手は端的には目的を言わない。また、話の中で食い違いがたまには出て来る事がありこれは完全に何か企んでいると考えてしまったのである。2回目の電話の後に、彼女が教えてくれたメールアドレスは迷惑メールが来るので使わないでくれと言いだした。私は、これは完全に何かを企んで私に近づいたと感じた。私のコンピュータ経験が長いのは、交流会のサイトでのプロフィールで分かっているし、それを利用したいと思って近づいた可能性が高いと思った。確かに本人は結婚相談所等に勤めているし、共同で運営しているとの事を話すが、本人の話の中から変だなと言う感覚が伝わって来るのである。元来女性は話し出したら長いのであるが、話の内容は一定であるがその何処かで、すれ違いが見え隠れしている。この様な女性は信用できない人が多いのは、私も歳を取って分かって来た。それで相手が使っているHPのアドレスを送って貰ったら交際クラブと結婚相談所が2か所のアドレスが送られて来た。交際クラブは開く事が出来なかったが、結婚相談所は2か所とも開けたが片方は、ある程度大きくやっている所であり、それなりにしっかりした所である。もう一方はHPのみだけであり、これは作成したばかりか誰かのをコピーしたもののように思われた。確かに詳細部分を調べると「社団法人」の関係のHPを変更したのが分かった。これで相手は何を望んで、私に近づいたのかは想像できたので相手が何をしたいか探る為に、再度会う事を、こちらから提案した。その時にPCを持って来て貰い、PC内容を見れば分かるのでPC持参で来るように言って、なおかつ何を目的にするかを聞いた。その時も高齢者を元気にしたい、その為のグループやサークルを作るとの事であった。完全に高齢者を狙った行動である。基本的に私は、高齢者はネット等を使うのは、ごく僅かであり、それを集合させるのにネットを使っても効果は無いと言ったが、何のために高齢者を対象にしているかを調べてみたくなり、相手の要望を聞く事が先であると感じたのと目的を何処に合わせているかを調べたいと、私の好奇心が動きだした。つづく
2014.08.20
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予告で書いたように、私の体験したネットの手口を書く。これは体験したので、このブログも相手が読む事もありうるので予告として書く事を宣言したのですが、本当は個人的な事はあまり書きたくないし、書くのをためらったのですが、この様な問題が、今後起きる事があるので、あえて書きました。最近の出会い系サイトの手口が巧妙化して来た。前にFacebookサイトから、友達申請が来てそれを受けたら出会い系サイトであった事があるがこれも私たち被災地ボランティアグループ内でしか、友達を作って居なかったので、その系列から申請が来たと思ったのである。確かに申請の時は、私の被災地での被災者の友達が、既に友達になっておりその彼女の住所も私の行く被災地だったので、信用して申請を受けたのであるが、申請を受けた直後にFacebook から脱会した、それで別なサイトを知らせるので、そちらに変えてくれとの相手からの要請があった。同時に私のFacebook上のボランティア関係の友達にも同様な方法で友達申請が行われていた。その場合は私と被災者の友達が、既に友達として掲載されていたのでその友達も申請を受けたのであるが、私の場合は最初に申請を受けた時点ではその友達と被災者の友達が友達欄に掲載されていたが、2回目のアドレス変更の時には被災者の友達しか掲載されていなかった。その為に私は私信で、その友達に確認メールを送って完全なる出会い系サイトである事を確認した。これが相手の手口である。まず、ターゲットを決めて、それらしき内容をFacebookに登録し友達の多い人に申請を出し、申請を受理されたらターゲットに友達申請する。最初の友達申請を受けた人は、被災者なのでボランティアとの交流で友達も多いから、自分で管理しきれていない事が多い。まず、最初に、そこに申請を出すので、ターゲットとは繋がりがある。ターゲットにされた相手は、最初に人と繋がりがあるので友達申請を受ける。同時に最初の友達と同じ所に住んでいるので、信じてしまう。これが相手の手口である。私が、気がついたのは、Facebookから違うサイトに変更依頼が来てそのサイトを調べた結果、出会い系サイトであり、それで分かった。上記の場合はFacebook やブロバイダーサイトのグループからターゲットを選択しているのであろう。つづく
2014.08.19
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今回は、人間の経験によって、それぞれの生き方や考え方がある事を勉強した。こんな生意気な事を書いている自分も、色々経験して来た歳になった。人は自分の経験で他人の思いやる気持ちが違うものであろう。相手の同じ経験をして来ても、自分の経験して来た道しるべで相手に対する思いやりが違う、これは当たり前であるが違う部分は経験している本人も、気が付かない事がある事を今回、私は学んだように思う。誰でも苦労しているのは当たり前、だが、自分から望んで苦労を望んでない事も沢山ある。それの典型は貧乏である。生まれた家が貧乏であれば、お金の事で苦労している親を見ている。また、その中で生活して行かなければ生きる事が出来ない。それによってお金に執着する人もいるであろうし、孤軍奮闘してお金持ちになる人もいるし、そのままの生活が続く人もいる。そうなる過程には色々な経験を積んで来ている。私も貧しさや、差別的行為と色々経験して来たが、それで人に対する接し方が変わって来たと思う。同じ経験をした人に対しては、自分の経験値の目線で見られる事が出来るし、相手の気持ちも全部は分からないが理解できる部分が多いと思うのである。それは他人からすると、自己満足で行っているように思えるであろう。それは経験値の違いと、その人の気持ちの持ち方で変わる。今回、何故にこんな事を書くかと言えば、ネット関係での問題と関わるからなのである。自分はネットの弊害を問題視してブログに書いて来た。自分の経験した事や、起きる問題を書いて来たが次回から、その経験した事を書こうと思っている。そこには、その様な問題を起こそうとした人なりの思いや経験も分かる部分があるからで、今回書く事によって個人的な部分も出て来るので、予告でこの様な事を書く事にした。ただ、その人が経験値から、その様な行動に出た部分も分かる所があるので別な視点から見ると、私の範囲は超えているが、その様な考え方ある事を私は学んだから、それも同時に書きたい。ネットで起きた問題点と方法を書き、その対策方法を考えて行きたいと思うのと、そのような事が起きる事も自分なりに考えて見たいと思っています。
2014.08.18
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ネット社会の弊害は、色々ある。今やSNSでも多くの問題が出て来た。私自身もシェアした部分が消えた事もあり、その原因を追跡した。結果的に友達側の削除された事によってであるが、私のシェアしたのは海外の友達の動画であったが、その前に私は、その動画にコメントを行っていたが、色んなコメントが返って来た。その中には口汚いコメントもあったので、友達の友達がFacebook 側に削除要請を行ったのが、私のシェア削除の原因であった。削除は基本的に投稿した人か、Facebook側が判断した場合しか出来ないのが普通である。これは一般的に何処でもそうであり、SNS関連はその為に管理者を定めているのが普通である。だが皆さんが使うサイト(アンケートやゲーム)等も管理者は置いているが機能していないサイトもある。この場合はサイト側が誰でも入れるように成っているので管理しきれない部分が多すぎるのである。サイトに入会する場合は匿名でも所もあるし氏名で受け付ける等そのサイトによって違っている。住所も電話番号も生年月日も嘘でも問題なく受け付けてしまう。確かに入会の時には個人情報等の規約を読んで貰う事を掲げているが、それを全部読む人は殆どいないであろう。入会の目的はゲームをする事やアンケートでポイントを貯めて現金化する事であるから、読む人は居ないと言って良い。ここではサイト側は問題が起きた場合、入会には規約を読んで貰う事になっていますから、サイト側は、何ら責任はありませんと言う為の規約表示にしか過ぎない。サイト側の責任回避の為である。だが、これからは、サイトを利用しての悪用がありうる状況になって来ているのが、今のネット社会である事を考えなければならない。それは同時に個人情報の流失も考えられる。サイト側の管理体制により、情報の流失は避けられないであろう。サイト側は、今は住所や電話番号等を入力要請して来る所も多いし家族構成などや年収などの項目も入力を要請して来ている。そこには何を求めているか分からないアンケートまでがある。今の時代ビックデータが主流であるので、何処までが許容範囲で入力すべきかは、ネットをやる人達が管理しなければならない。安易に入力する事は避けるべきである。またSNSでも自分に、なりすまし被害が出ている。これは単純に情報交換で使う為に、そのSNSの設定項目などを理解しないで行う為に起こりうる事もある。この様な人たちは友達とのやり取りが出来れば良いと言う安易な考え方で使う部分が多いので、その様な被害に合う。今後はSNSもサイトに関しても十分な考え方で使って行かなければ問題が起きるであろう。SNSやサイトを使う場合は、使い慣れた人に設定などを聞いて行う事をお勧めする。
2014.08.17
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これだけ速さのネット社会の発展とともに、それに伴う犯罪も増えるであろうが、それに比例してないのが法制である。私も初期の頃からネットを行って来たが、これほどの急速な発展は考えなかった。そこにはメリットあり、デメリットもあるのは、世の中の常である。メリットに関しては利用すべきであるが、デメリットに関してはそれなりの対策を行わなければ、収拾が付かなくなるがそれが遅れているのは間違いないし、現に問題も起きている。政府も官僚もメリット優先し、メーカーも売る為にはメリットを優先するのは仕方が無い事なのであるが、同時にデメリットも考えるべきであろう。私はコンピュータのシステム関係は長い、そこにはコンピュータの問題点も分かっている。同時に利点も分かるが、利点を優先するのが人間の心理であるが弊害も考えてシステム構築を行わなければ、大きな問題になる事は分かっているが、メーカー等は利益を追うものなのでそれは出さない。弊害があっても出さないのは当たり前である。それを使う側に言ったら売れない。だが長くシステム構築を考えている人たちは分かっているはずだ。システムもハードも人間が作ったものなのだから、完全は無い。それが原発事故でも、原発は殆どコンピュータが制御している。そこには操作は人間が介入するが、もし事故が起きた場合人間が介入できるのは微々たるものである。何故に原発神話なるものが出来たか、それはコンピュータが制御しているからであり、人間がコンピュータを信頼したからである。前にも書いたが、コンピュータは人間がハードもシステムも作っている。そこには絶対は無いのであるが、一般の人達はコンピュータは何でも出来る機器と信じる傾向が強い。それを利用しているのがメーカーであり、官僚であり政府である。その為にコンピュータが原発を管理しているから、安全と言った。それが原発の安全神話が出来た発端であろう。それは、コンピュータは何でも出来る機器と信じているからである。私がコンピュータを始めた頃は、一般の人から「何でも出来るのでしょ」と良く言われたし、その様に思う人が大半であった。私も初めの頃はシステムさえ作れば何でもできると思っていた傾向が強かったし、その為にシステムを作っていた。だが時が経ち、コンピュータが発展する毎に疑問を持つようになった。人間の欲望は果てしない、それと同じでコンピュータ業務を行わせる事に人間は次から次へとコンピュータに出来る事を望んでシステムを構築して来たが、そこには忘れられた事があるのを気が付いていないのが現状である。それは人間が作るのであるから、完全も安全もないし、悪用も出来る。それが今の人達は分からず、騒ぐが、メーカー(コンピュータを使った製品を出す)は、良い所だけを出すが、その陰に問題点もある事は出さない。それが今のコンピュータを使った問題点であり、次は犯罪に使われる可能性が強い事を知らなければならないし、それに対応すべくである。
2014.08.16
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SNSの関連で、色んな弊害が出て来る状態になって来たと思う。色んなサイトや色々なコミューケーションサイトを見ると色んな情報が入って来る。また同時にCM関連もコミューケーションサイトと連携して邪魔な部分が出て来る。メールサイトからコミューケーションサイトへは多くの企業が連携しているので、私のSNSはCM掲載サイト化している。これは、それだけSNSが大きくなった事であるが、そこには本来のコミューケーションの場所としての役目が薄れつつあり、いささか、うんざりしている今日この頃である。また海外とのやり取りで、日本語と外国語の解釈の違いに今、私は悩む場面も出て来た。日本語の表現をするが、外国語では別な部分で取られかねない事が多く出て来た。対人で会話する場合は、表現で表せるのであるが、文面になるとそれが出来ない。自分なりには、その部分では勉強になるが、変に解釈されて口汚い返信が来りもする。だがそれは私の文面が誤解を生んだのであるから反論はしない。本来、私はSNSでは個人的(他人)の事に関しては書かない。元々個人に対しては、直接言うタイプなのであり、グループやSNS等では、批判は避けるが良い事は書く。それは個人的な問題で不満があっても、その様になった状況が分からないのに文面で書くのは、他人も見るので書かない事にしている。人はそれなりの考えがあるのだから、理解してから批評すべきであるが私の今までの考え方である。だが最近個人批判をSNSで目にする事が多くなった。これはSNSの弊害であり、別な部分で問題化する恐れがある。政治や社会問題の批判や批評はSNSで行う事は良い事であるが個人的批判は、私は見たくないし、書いた人の心境に疑問を感じてしまう。確かに個人的不満は誰しもが持っているし、それを書くのも問題は無いがその時は見る側にも配慮すべきであると思う。その配慮が足りない場合で、幾度も同じような事を繰り返す人とは自ら遮断する、それは自分が不愉快になるのと、自分が相手に対して批判する状況になりかねないので、その様にするのである。SNSが、これだけ発展すると弊害が出て来るが、その弊害を考える時期に来ているのが、今なのではないか?また、それを利用して何かが起こる状況にもなって来ていると思う。
2014.08.15
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今回のFacebookの削除問題は、海外での削除である事が分かった。私がシェアした海外の友達とのやり取りで、最初は、彼は削除された事が分からなかったのでる。私もシェアする前に幾つかのコメントを書きこんで居たのであるがあの動画は私たち日本人が見た場合、考えられない光景であった。戦争を知らない世代であるが、南京大虐殺等を学校で習ったがあのような行為を行ったのであろうと思う。だが現実社会で行われている虐殺行為なので、色々コメントを書きこんだのであるが、海外の人達との考え方のギャップがあり口汚いコメントも返って来ていた。それで友達のシェアしたのがFacebook 側に苦情が行ったのであろう。その為に削除されたのであろうと、海外の友達も言っていた。削除されてから私信で友達と、削除されたのは日本か海外かを尋ねた時も、彼は海外であろう、誰かがFacebook 側に何か言ったので削除されたと言って来た。その後にグループ内で、この件を会話していたら、彼の友達が動画のアドレスを教えてくれたのである。私は再度、個人的にシェアしたのであるが、現在も削除されていない。そうなれば海外側での問題であろう。だが、あの動画を見た場合、多くの日本人は現実にあのような事が起こっている事を信じられないであろう。私も見た時には食事も喉を通らないほどのショックであった。私自身も平和ボケしていたし、それなりの安定で暮らしていたのとマスコミも、あのような状況は流さないであろう。確かに未成年者には刺激が強すぎるし、気分を悪くする人も出るであろう。だが現実である、もし集団的自衛権で日本が海外派兵を行ったら捕虜になった場合、あのように虐殺される事はありうるのである。現に中東で、石油関連で日本人が殺された事件もあるがあのような残忍な殺され方をしたのであろうと想像がつく。確かに私もそうであるが、あのような物は見たくないし考えられない。だが現実に起きている事なのである。それが戦闘であり、そこに日本の自衛隊が行って前線で防備した場合政治家は口では防備のみと言っているが、現実は日本の自衛隊の命が掛かっているのであるから、戦う事になるし恐怖心から相手を殺すであろうし、殺されもする。それを口先だけで、絶対海外派兵はしません等と言いながら後方支援に出し、今度は海外の兵隊が死んでいるのに、日本人は隠れているばかりと言われたら、今の政治家は前線に自衛隊を行かせるであろう。政治家は自分たちは、日本国内で口で言っていれば良いのだから何も害は無いから良いが、前線で戦っている若者は命を掛けなければならない事になる。政治家が自分たちが前線に立ち、戦うならわかるが、それは絶対ない事である。それが政治家の安易な考え方で、若者を犠牲にする事は出来ない。政治家は最前線には送らないと言っているが、それも信じられない。嘘の固まりが政治家なのだから。今回の動画アドレスです。http://www.alternativos.cl/2014/03/20/espantosas-ejecuciones-en-syria-mientras-europa-la-onu-y-eeuu-guardan-silencio-complice/#axzz3このアドレスをコピーしてGoogleに張りつけると見られます。下の大きい方の画面を再生して下さい。ただし未成年者には見せないで下さい。食時前にも見ない方が好いです。あえてアドレスを公開するのは、これが戦争の現実であり、起こりうる事なので、それを日本人は考え直すべきだと思うので公開しました。
2014.08.14
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今回Facebookに再度シェアしました。8月13日9:30にシェアしましたが、どの様な結果になるか分かりませんが、もし削除されたのなら日本での削除でしょう。前回は海外の友達からの動画でしたが、今回は私が個人として掲載しました。それによって、どの様な変化があるか、私には分かりません。もし日本で削除されたのなら、これは情報統制を行っている事になり、日本の報道機関は政府の統制下にあるので真実は国民に伝えられない事になります。そうなれば、私たち国民は何を信じれば良いか分からない。だが、それでは政治家と官僚のやりたい放題の国家になる。それは、日本は平和国家でも民主主義でもない、統制国家であり政治は国民の為では無く、政治家と官僚の為のものであり偽りの民主主義である事になります。それは変えて行かなければなりません。国民主権の政治に、だが、そこには国民一人一人が変わらなければ変える事は出来ないでしょう。今の政治を作ったのは、国民が選んだ政治家である事を国民自身が自覚しなければ、変わる事が無いし大企業優先の政治、貧乏人は麦を食えと言われた時代に戻りつつある事は間違いないです。国の借金は国民が払え、大企業は減税して政治家に資金をくれるから貴方達の為に政治を行います。これが現在の政治家が向かっている道なのです。だが高齢化が進み、少子化問題で労働力の低下ははっきりしています。これも先を見越す事の出来なかった、政治家や官僚の責任もありますがそれを選んで来た国民にも責任がある事は間違いないのです。選挙の時だけ、国民目線になり、それらしき事を言ってそちらに目を向けさせて、国民を煽って当選したら、それは知りません、これが政治家です。次回の選挙も同じように、選挙近くになるとマスコミを煽って国民を誘導させて、当選しようとする政治家ばかりです。現状を見て原発問題は選挙の時は反対、終わったら再稼働、機密法は政治家に不利になる事は機密法で国民に知らせない。集団自衛権は自国の為にと誤魔化して、アメリカの顔色を伺いゴマすりで行い、挙句の果ては徴兵制度復活等の色々な面が見え隠れしているのが今の政治である。これも古だぬき議員が牛耳る国会であり、それに逆らえない新入り議員、だが、その新入り議員も何回かの当選で自分の通って来た道を繰り返しているのが、今の政治家である。国民が無関心とあきらめが、この様な日本の政治を作った事を反省しなければ、もっと日本は窮地に陥るだろう。
2014.08.13
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前日のFacebookの件を海外の友達に確かめた。削除の権限はFacebookの管理側と掲載した人にはあるのが普通であり、その両者しか削除行為は出来ないはずなのである。私の考えとして、日本で苦情か圧力がかけられたのか海外側で苦情や圧力が掛かったのかを知りたいと思い友達とやり取りをした。最初の彼からの答えは「Facebook では、私は自由にやっている」との答えであり、削除された事を知らなかった。彼は報道関係の仕事をしているので、友達も多い。私のように十数名に留めていないし、他国との友達も多いので100名は超すであろう。彼とのやり取りで、彼の友達が、あの動画の検索場所を教えてくれた。それで新たに入手出来たのであるが、今回見てもあの残忍な行為は、私にはショックであり、これが戦争でありこれが戦闘により人間の心を変えるのだと思うと悲しい場面である。それに関しては、動画は入手出来たが、何故削除されたか何処で削除されたかが、私にとって問題であるから友達とのやり取りを行った。やり取りもスペイン語なので、日本語の表現の仕方で意味が変わる事が多いので、友達にこちらの主旨が通じたかを考えながら行った。段階的に言えば、友達がシェアした動画を、私がさらにシェアして文面を書いたものである。現在、騒がれている集団的自衛権に関しての、反対の文である。これが削除されたのはシェアして数時間後であった。この様な短時間で削除は考えられない。まず前日から友達の動画を見ていて、シェアをしようか悩んだのであるから、1日以上は友達の動画はシェア状態であった。それが、私がシェアして、数時間で削除された事を考えると日本で削除されたと考えるしかない。前記したように削除はFacebook側で行われた事になる。私自身が削除していないのだから、それ以外だと友達が自分のシェアを削除したかである。その疑問を友達に問うた。最初は彼も削除された事に気が付かなかったのであろう。公の場で「自由にFacebook を使っている」とのコメントである。さらに私が「シェアが削除されている」と問うと彼の他の友達から、その動画のアドレスを私に教えてくれた。この後に友達から私信で「誰かがFacebook側に苦情を言ったので削除されたのではないか」と返答が来た。それは彼が自主的に削除を行ったのではない事が分かった。私は「その苦情は日本で行われたのか」と問うと彼は「分からない、自分の友達も多いので、こちらの可能性もある」との答えであるが、私からすると時間的な早さと、前回の私のコメントの削除を考えると日本でFacebook 側が削除したように思えてならない。前回の私の削除された文面は「集団的自衛権を強行するなら、国民的自衛権を国民が行使して、選挙もボイコットする気構えが必要だ」と言う内容であった。これも削除されていた。これはある人の表示にコメントを書いただけであるが、今回は動画をシェアして、前日書いた内容を表示した。確かに動画は捕虜数人を銃殺する光景が生々しく未成年者にも見せられない悲惨な物である。私も見た時に食事もしたく無くなるものであったがもし日本が海外派兵を行った場合、起こりうる事なので考えた末にシェアしたのであるが、それが短時間の間で削除されたのであるから、これは日本で行われたのか海外で削除したのかを調べて行く事にした。前回の事もあるので、これが日本であれば私は許す事が出来ない。再度動画をシェアして、どの様になるかを調べたい。
2014.08.11
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昨日の朝にFacebookにシェアした文面と、動画が消えた。確かに、あのような動画の内容であれば、消される可能性はあると思うが、問題の動画はシリアの殺戮のものであり私が見て食事も喉に通らないほどショックであるものだった。もし他の人が見ても、あの悲惨な動画はショックであろう。だが現実に起こっている事なのであるから、私は悩んだ末にシェアしたのである。シェアの内容は「今回シェアしようか悩みました。Facebookの海外の友達がシェアしたものなのですが、その友達は報道関係に携わっているので情報が沢山入るのでしょう。ただし未成年者には見せないで下さい。国連もアメリカも、その様に書いてあります。この問題は、今の集団的自衛権を推し進める政府や政治家にも見て貰いくらいである。もし、日本が海外派兵を行った場合、この様な事が起こりうる可能性があるでしょうし、ありうる事なのです。この様な事は無いとは言い切れないのです。日本は「お金」だけ出して人を出さないと言って、後方支援を行い次に他国が戦って死んでいるのに、日本は後ろで隠れていると言われたら前線に出しかねないのが、集団的自衛権の政府の考えている事です。もし、この様な事が起こったら日本では誰が責任を取るのでしょうか?責任が取れないなら、今の集団的自衛権は廃案にすべきです。その為にシェアしました。下記のは、動画にスペイン語で書かれていた文面を翻訳した(個人的に)「ヨーロッパなどのシリア、国連や米国の陰惨な殺人は、サイレント共犯を保ったが表示された場合VIDEOはユーザー自身の責任においては未成年者には適していません いいえ斬るのFacebookのビデオは、このビデオは、シリア政府のテレビとはそれらを隠すためにすべてのことが現実であるしなければならないでしょう。 DEAD兵士が殺人者であり、「FREEシリアARMY「イスラム教徒テロリストグループURBANゲリラと呼ばれている」であるが、捕虜になった人たちが、銃で殺戮される光景が3分程度写されていた。これは今後、日本が海外派兵した場合には、あのような事が起きる可能性があるから私はシェアして、今の集団的自衛権に対する不安から遭えてシェアしたが、消されていた。これは誰が消したかは分からない。今までもFacebook上では、政治的な不都合は消されたと言う友達は多かったが、それが証明された事になる。確かにあの動画は子供たちには見せられない内容である。ただ、私たちグループは大人であり、知る権利もあるのだからそれを阻止する何かが働いているのは間違いない。海外の友達がシェアしたものであるから、海外側で消された可能性もあるが私の場合は2回目であり、前回は多少過激な文を書いたのであるが消えていたのである。それは日本国内のFacebook上の友達関係であったから、そちらは日本で消されたのであろう。それも集団的自衛権の内容を問題視した文であった。もし今回のが、日本で消されたのであれば、日本の政治的関係が関与している事になり、日本は中国と何ら変わらない政府と同じであり言論統制をおこなっている、偽りの民主主義国家を証明している事になる。
2014.08.10
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海外でボランティアを行っていた事は書きましたが日本政府が援助金を多額に出す理由は、日本の大企業に発展途上国の開発を行わせて、利益を上げさせる為である事は大体の方は分かると思います。初期の頃の途上国開発は、現地人の採用は微々たるもので殆ど日本からの派遣の人が多かったのですが、最近は現地採用も増えたみたいですが、だが日本経済の歪みでそれも頭打ちでしょう。確かに現地採用では、私の行っていた中南米の人達は行動が遅いし、仕事も遅い事と就業時間内しか働かない。遅れても残業してまではやらないので、計画通り進まないので日本人が行く事になるとは思いますが、それでは途上国の経済的効果は無い事になる矛盾が生じます。だが、日本人が休日などで遊ぶ事によって、価格が暴騰してしまい現地人が行けなくなったりする場所もありました。それだけ日本人が、お金を落としていた事になるのですが最終的に現地人からすると迷惑な部分があると現地の人に言われた事があります。同時に途上国で感じた事なのであるが、開発して機能的になり経済が発展する事と、自然を破壊する事は正比例している事です。人間は便利さを求めて自然を破壊して、経済発展を行う動物です。これは人間として生きて行く上では、当たり前の事なのであるがそこには自然を破壊しながら潤いを求めた為に、現在のような異常気象が生まれ出たのである事は誰しもが分かる事だと思います。確かに私の行っていた国でもダム建設やその他の建設の為に自然が破壊されて行く事を目にしました。それを目にした時は、途上国が経済を発展させる為には仕方のない事だと思えますが、私の中には人間の愚かさもあると思えたのです。それはこれだけ知能があるなら、共存方法を考えて行えないのかとだが、人間は現在より良くなるなら共存など考えずに開発を選ぶそれが多くの人達の意見なのである。今を生きる事を優先する、これが人間なのだと感じました。だが、あのツケが今の異常気象に繋がっている事は間違いないのです。多くの世界に住んでいる人達は、今より良くなる事を望むが将来的な事より近未来を望み、自然を破壊したツケが今になって帰って来ている事を感じる、この頃です。今、声を上げて自然の大切さを考える時期に来ているのかもしれません。共存共栄的に考えて、開発して行かなければならないのですがそこまで出来ないのが人間なのでしょうね。
2014.08.09
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その頃の日本は世界一の援助を行っていた。確かに金額は多かったが、それが援助している国では生きたのか?多くの金額が援助国の政治家の懐に入っていると聞いた。確かに日本は、援助は行った事によって一部の人達は潤っていたが貧民の人達までは届かない。まず届けるのは無理であろうし、貧民街に住んでいる人たちは日本が援助している事など分かっていなかった。そこまでに届くまでは無理な事は分かっている。でも、その国の発展の為には援助が必要な事も分かるがその援助が特定の人達の懐に入って終い、貧しい人たちには何も行き渡らない現状を見せられた思いがする。私は名目的にはボランティアとして来ているが、本来は、この様な貧民街の人達に手助けするべきでないかとも思ったりしたが、私に与えられた仕事は別であるから個人的にしか出来ない事である。私はそれなりに援助しようと思い、数人の子に学校に行くお金を出したりしたが、それも考えて見れば私の自己満足であった。私には任期があり、それが終われば何も出来ないし、最終的に、その子がどうなったかもわからない。一人だけは高校を卒業して大学に進学したが、他の子たちはまた、家族の為に働く事になるのであろう。ただのお節介な人間だったような気がする。そこに永く住みついて面倒を見て、始めてボランティアと言えるが中途半端なやり方は、お節介焼きなだけだと自覚している。東日本大震災の時にも幾度も行ったが、ある人から言われた言葉が「ボランティアは個人の考え方が主であり、それによって集まるのでここの考え方で納得すれば良い」と言われた事がある、それが基本なのかもしれない。多くの人が住んで、生活しているのだから、一人ひとりが違う考え方になるのは当り前であろう。私は私の考え方で進んで行こうと考えているし、あくまでも「お節介焼き爺」で好いと思う様にしている。
2014.08.08
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前回書いた「車いす」の方との教えは、結果的に資金が尽きて1年間しか出来なかったが、それがボランティアの始まりだった。その後は札幌で短大や専門学校等を教えていたが、ヘットハンテングされて企業に戻ったが、その頃、経済不況でIT関連は苦しく、多くが倒産した。コンピュータシステムに陰りが出たのは、その頃からである。システム関係は紙と鉛筆と頭さえあれば企業を興せたのであるがそれは固定資産が無い状態である。コンピュータ業界は、人が実力さえあれば会社組織に出来た時代だったがそれが終焉したのが経済不況であった。私も若かりし頃、会社を興したが、嫌、興す状況に追い込まれて若気の至りで社長でなければ嫌だと言って、生意気な若造であった。だが私は3年で、自分は社長に向いてないと思い技術屋に戻った。元来、お金儲けを考えるのではなく、技術だけを考え採算を考えない人間であるから、向いていないのである。それからは企業で働き、大きなシステム構築を手がけたが技術屋は技術しか頭にないと自分で分かり、色んな企画案を作成して、ある程度まで行ったが、このブログにも書いたように上司とぶつかり海外へと逃げ出した。それが海外でのボランティアの始まりであった。2年契約で行ったが、企画案でODAを引っ張り出したので4年に成ったが、海外では日本国内で働いていた時のように周りを気にすることなく気軽に仕事も遊びも出来た。確かに私の周りは外国人ばかり(自分が、その国では外国人だが)それなので気兼ねなく仕事も遊びも出来た。日本だったら周りに気を使いながら生活や仕事をして居たが外国では気兼ねの必要は無いのである。ただし風習と習慣の違いで、最初は騙されの連続であった。その時は日本の良さも感じたりもしたが、人間は慣れて来るものである。現地人の友達も出来、また日本人の友達も出来て生活に関しても現地方式で値切りがうまくなり、また来たかと思われるほど嫌な顔をされた事もあったが、元来の気さくな性格が、その国に合っていたのであろう、生活に関しては問題が少なくなった。だが私が来た事がボランティアなのかと考えてしまう事も多くあった。日本の政府の外部機関からの派遣であるが、中高年では初めての試みだったので、それなりの優遇処置はされていたが、専門と来ている人から見ると、微々たるものであったがそれなりの生活は出来た。私はコンピュータ関連のシステム構築で派遣されたが、休日は貧民街をさ迷い歩き、危険を感じる事も当初はあったが幾度か現地の友達と訪問する事で、問題は起きなかった。だが、貧民街は日本で目にする事の出来ない悲惨さがあった。日本で言えば掘立小屋、床は土で板を張りつけただけの所に住んでいる人たちが多かった。
2014.08.07
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今、私はボランティアで被災地や高齢者・障害者のお手伝いをして来たが、これをボランティアと言えるかと思う事があります。ただの、お節介焼きな人間なのではないかと思ったりする。私のボランティアの始まりは30年前の車いすの方にPCを教えた事が始まりであった。これも自分では、ボランティアと思っての行動ではありませんでした。母の思い出の地であり、私の生まれた土地で私の経験を生かして見たい。それまでの経験を生かして見たい、専門学校で教えていて人に教える楽しみや喜びを生徒たちから教わったからですがその行動を「売名行為」だとも言われましたが、その人に対しては私の思いを伝えなかったからそう思ったのでしょう。もし教えるなら車いすの方ならPC操作で動く事が少なくそれが、その人の自立に成るならと単純な気持ちでした。自分なりにPCは出初めの頃から、メーカーや大学等と研究会に会社から行かされていたのでPCに関しては自信があった。初期のPCを会社から与えられて、自宅に置いてあった位であるからそれなりに分かっていた。私は技術的には自信を持っていた時期であったし、自分なりの拘りを持っていたので、それを誰かに伝えたいと思っていたのです。私の欠点は、人を育てる事が出来ない部分を自分で分かっていたのでそれで専門学校で教える事とは何かを得ようとしたので学校で教える事にしたのです。そこには試行錯誤もあったが、人を教える楽しさを得た。生徒たちと馬鹿騒ぎもしたが、授業の厳しさはトップクラスであった。でも授業以外では同僚と同じ感覚で騒いだし遊んだりもしました。でも、そこにはコンピュータに関して高額が授業料を払っても生徒たちは向き、不向きがある。丁度、PCが全盛に初期の頃なので、誰もが就職のためにと思って生徒たちは学びに来ているが、その全員が向いているとは思わなかったし無駄だと思っていながらも、教えている苦痛はあった。それが自分なりに勉強にはなった。如何に分かりやすく教えるか、企業で仕事をしていたら専門的な用語が飛び交っても分かりあえるが、初心者の生徒には無理である。その為に試行錯誤して教科書以外のテキストを作ったりもした。そんな事で色々生徒から学ばせて貰ったおかげで自分なりに教える楽しさを覚えたのである。そんな事があり、没頭する性格で離婚した。生徒に教えていた経験と、学んだ経験を生かそうと思い自分の生まれ故郷に帰り、それなりのお金があったので始めたのが車いすの人達が働くには、PCを覚える事が自立の道に近いと思ったのが始まりである。こんな単純な事が始まりだった。それはボランティアと言う意識は、自分の中に無く車いすの人達の自立を促す為に、自分の経験を生かそうと思っただけであり。だから自己満足であり、ただのお節介焼きな人間であった。そこでも学んだ事はある。10数名の方に教えていた。PCは自分のお使い、会場は公共の場所を無償で借りて週2回教えたが、その中の生徒さんの中で私の行為を理解してくれた方が居て、その人は自分たちは健常者と思って、これからは生きる事が大切だと他の生徒さん方に諭してくれ、欠席しないように言ったり無償だったので私の懐具合を察知してくれて、カンパを集めてくれたりした。逆に私が、その方から学ばされたが、教えている途中でお亡くなりに成って、私にはショックだった。その人から私は別な部分で学ばせて貰ったと今でも感じている。
2014.08.06
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私は本来、怠け者で面倒な事が嫌いなタイプである。怠け者に関しては、人との付き合いが面倒な部分が大きい。それは自分を表現するのが下手なのであろう。これは技術系の人間に多い傾向がある。私はSNS等でも友達は多く作らない。この様な人間であるから、ホロー出来ないからである。私は友達に成る場合でも、相手を観察してから考える。これは企業に居た時も、そうであるが相手の意見を聞いてから自分が発言する事が多い。まず、相手が何をやりたいか、どの様にしたいか、どの様な結果が出て来る等を想定して、自分の意見を言うタイプである。だから時には強烈な言葉で言う事もあるし、書く事もある。これは技術屋の口下手から来ている部分もあるが、技術的な事に関しては、妥協を許さない傾向が強い。これは技術屋の悪い部分でもあり、良い部分でもある。これが何故、怠け者かと言えば、基本的には自分の殻に閉じこもり相手にしないから、友達付き合いが下手であり、面倒なのである。本来人間は一人で生きているわけではないので、付き合いをして親睦を深めて行くべきなのであるが、それを嫌った部分が怠け者なのである。次に面倒な事が嫌い、これは非常に仕事に生きた部分が多い。面倒だからコンピュータにやらせる。この発想が別な面で、私のシステム構築の中で生きた。企業とは販売も経理など、殆どの処理は全部連動している。人的交流以外はシステムを作成する段階で、連動している事をコンピュータにやらせる事を、早くから考えた。そこには怠け者であり、面倒な事が嫌いな自分は道具としてコンピュータにやらせて、人間が如何に楽をするかを考えたのである。これは怠け者であり、面度な事が嫌いだから考え付く事が沢山ある。楽をしたいと思えば、それをやってくれる道具を利用すれば良いからその発想で色々考えてシステム構築を考えた。同時に開発も楽が出来ないかと考えて、失敗した事もある。まだメモリーが24K位の時に、シリアルプリンターとラインプリンターとで同時に二つの仕事をさせようとしてプログラムを作ったが、あえなく失敗した。ラインプリンターがシリアルプリンターの速度と同じになりラインプリンターの役目を成さず、別々に仕事をラインプリンターにやれせる方が早かった。この様に楽をしようとして、失敗もあったが、私の怠け癖と面度な事が嫌いな部分が生きる事もある。自分なりに欠点が分かったら、それを生かす事と補う事を私なりに勉強したと思っている。
2014.08.05
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最近、自分を見つめると、話しかけられる率が多い。特に若い人から話しかけられたりする。今回もFBの友達のバスケットのチームがインターハイに出るので、応援に行った。そこで喫煙所で若い大学生から話しかけられた。内容は上履きを持って来ていないので、帰ろうかと思っている。私は問いかけた、何処を応援しに来たのと言うと対戦相手チームに彼女が居るのでと答えが帰って来た。私は「裸足で好いじゃん、彼女を応援しないで帰るなんて問題だ」と言うと、彼はうなずき応援したようだ。彼とは帰りのバスで会ったので、また話をした。「応援したか?」「しました、彼女シュート入れましたよ」と喜んで答えてくれた。そのチームに私の応援していたチームは負けたのですが実戦を見ると歳外も無く、大きな声を出してしまった自分が居ました。その様に意外と若い人とは良く話をするのです。これは短大や専門学校で教えていたからなのでしょうが普通に入り込む事が出来るのです。殆ど、ため口で話す事が多いです。敬語で話されると、こちらも話ずらいので、自分から相手に言うのです「普通に話をしようと」堅苦しいのが苦手な部分と、敬語だと本音が出て来ないので人と話をする時は、敬語は避けます。これは被災地にボランティア行っている時も同じで10歳以上下の被災者の人から、下の名前で呼ばれたりします。相手は同等に扱ってくれているのでしょう。私もその方が話し易いので、悪態も付きますし言いたい事も言います。私自体、若くは見られるので相手も私の年齢を意識してないのと顔がトボケているので親しみを感じてくれるのでしょう。その点は得をしているのかもしれません。ただ仕事上に成ると顔も変わるようで、相手も話し方が変わりますが普段は何回か買い物に行くと、直ぐに親しく話をするようになる。だが自分自身では、これが欠点でもある事は分かっているのです。それは女性に関して、自分の好きな人には一歩置くか、同じような話し方をするので、自分の気持ちを素直に出せないのです。何かの交流会で出会って、相手も私に興味があり、私もあるがその時は気軽に話しかけられない。そんな事で失敗した事が殆どです。あの時話しかけていたらと思ったりするのは、数え切れないでしょう。暑さでボケて、こんな事しか書けない状態です。この暑さで少々夏バテ気味なのかもしれません。
2014.08.04
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最近思うのであるが、「有難う」の本当の意味を分からない日本人が多くなって来た。これは別な面で言えば教育現場と親の教育が成されていないからなのであろう。現在の子供たちを育てて来たのは、私たち団塊の世代である。高度成長期に育ち、ある程度の物を買い与えられて不自由のない生活だった人が多いと思う。それは日本の経済の発展で良かったが、そこに置き忘れて来たものがある事を、現在の人達は忘れている。それは感謝・思いやり・言葉の重み等であるが、感謝と言葉の重みは、多くの言葉に共通する部分が多いと思う。私たち団塊の世代は物が無かったから、物を貰ったりすると感謝の気持ちを持って、それを言葉に出していたから感謝された側も気持ち良く、次にまた与える事をして来たが今は違っている。今の子供や、その親たちは「有難う」の言葉は言うがそこには感謝の心が無い人が多い。「有難う」とは感謝の気持ちがあって、相手に伝わる事であり、言葉を受けた相手も、次にもと考えるが、今の「有難う」は表面的に言っているだけである。それと同時に、確かに子供が何か貰ったら「有難う」を言いなさいと諭す部分は見られるが、本当の「有難う」は感謝の気持ちで言う事を教えていないし、分かっていない親が多いように思う。貧しき時代を経験していないからなのであろうが、日本の現状は、言葉にも荒れ果てて来ているように思えてならない。これでは「おもてなし」「労わり」「絆」等、多くの日本語の美しさがあるが、それは本来の言葉ではなく中身の入っていない表面的に表現している軽い言葉が多すぎる国になった。感謝や儀礼の言葉とは心が入って通じるものであろう。心の入らない言葉は、ただの挨拶程度のものである事を今の日本人は教えないし、分かっていない人種になったと思う。そこには教える立場の人間が発する言葉が軽い事とそれが当たり前だと思っているから、教わる側もそう理解してしまう。本当に今の子たちに言葉の大切さを教えて行かなければ世界的に恥ずかしい国に成りかねない。政治家や官僚も成長期の育った連中なので、言葉で誤魔化し中身のない言葉を発して政治を行っているのが日本国である。表面的には聞こえの良い言葉を使い、中身が伴っていない連中がこれからの教育を担う事に危惧を感じる。
2014.08.03
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私はこの年齢に成ってから、一つ一つが勉強だと思う様になって来た。確かに、それだけ歳を取ったのであろう。学生時代は勉強など好きではなかった。それは相手から与えられる義務であったからだと思う。自分から望んで勉強する環境でも無いし、その様な心境にもなれる心のゆとりも無かった。だが最近は、人生は勉強で始まり、勉強で終わるものなのだと感じるように成って来た。それは40代頃から徐々に感じだして来たが、最近は誰かと会う事も勉強であり、その人から何かを学ぼうとする意欲が出て来た。こんな事を書いている私を他の人は、「お前は馬鹿か」「近いな、あの世が」と思うであろうが、それも一理あるかもしれない。最近は誰と会っても、その人から何かを盗もう(物では無いです)その人の良い面、悪い面を観察するようになった。そこには自分に無いもが沢山ある。それは悪い面もあり、良い面もあるが、悪い面は反省材料に使える。良い面は、真似をしながら自分の身につければ良いと思う。だから観察力が旺盛に成った事は間違いないのであるが、別な面では観察された人は迷惑であろう。だが、人それぞれの生き方の中には、その人の道がある。それは私と違った道である(当たり前の事である)そうなれば私の経験してない事が、その人から学べるのである。だから人と接する時は聞き役が多い。その方が色んな情報が入るからである。いまさら学びを考えるのは遅いが、でもそこから自分の別な道や夢を追いかけて生きてやろうと思っている。まだ、これから夢を追いかけたいと思っている年寄である。また、人間には二通りのタイプがあるように思えた。一つは「お金」を先行して考える人。二つ目は「人間」を主として考える人が居るように思える。前者はお金儲けを考えて、それなりの財をなす人であるし後者はお金より先に人を考えているタイプである。これの混合タイプの人もいるが、大きく分ければ二つに分かれる。私は後者であろう。お金儲けは下手、何時も貧乏であり、技術的な事は自信があるがお金を考えて、その技術を使えない。これではお金に縁が無いのは当たり前であるが、先日の会った方は、私に技術を認めているが、それを自分の考えている仕事に使ってくれと要望があった。そこには金銭的なものは生じないし、私も良い事なら手伝おうと思っている。二つのタイプで経済が成り立っているのだから良いのであるが日本の前者のタイプは、お金優先であるが、人への対し方はお金が基本のタイプが多い。それで経済的に余裕が出来ても、海外のように困った方に言い方は悪いが「施す」事を知らない人が多い。悪く言えば金の亡者であり、人間的精神面が掛けているように思える。もう少し海外のように成長したら良いのにと思っている。こんな事を思う私は「お金」に縁が無いから言えるのかもしれない。貧乏人が「何を言っているか」と言われるであろうが私はお金より先に人間として成長したいだけと弁解するであろう。
2014.08.02
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日本人ほど言葉で惑わせられる人種は居ない。前にも書いたが、日本人は言葉も曖昧であるが同時に行動も曖昧な部分が多いと思う。特に政治家と官僚は国民に対して、言葉で誤魔化して本音を言わない部分が、最近見受けられる。内容は危険極まりないのであるが、言葉上ではその様に取れない文字を並べて、どちらにでも取れる部分を作り上げている。特に現在の首相は、私から見ると言葉遊びをして本音など言わず、国民を惑わしているとしか取れない。前回言った事が、誰かに突っ込まれると、それらしい言葉に変わっている。それで納得している国民も居るのであるからおかしい。海外で生活していた時に、一番騙し易いのは日本人であると現地の人に言われた事があるし、自分も騙された事がある。それは言葉の解釈が日本人と外国人との違いがあり過ぎた。私の場合は中南米であったが、もし、仕事仲間に「友達」と言う言葉を言われたら、日本的に考えると、信用して色々言う事に成るが、相手からするとそれは挨拶程度の事であり、信頼している事では無いのである。前記の事は、あくまでも言葉の意味的な事なので違ってくるが日本人の言葉は、色んな状況で同じ意味を持つが表現が変わる。主語は同じでも接続語や前後につける補助の言葉によってどうにでも取れる言い方が出来るのが日本語であると思う。「平和主義」に関しても、前後に別な言葉をつける事によって意味も変わる場合や、人によって色々な部分で理解してしまう事が多いのが日本語である。それを最大限に利用しているのが政治家であり官僚である。国民が危険を感じたら、いつの間にか言葉が変化してそれならと納得するのであるが、それの本音は変わっていないが言葉だけで変化させているだけなのに見抜けない人が多い。確かに日本語は一つの事に、多様な表現が出来る言語である。外国の言葉は端的に証言しているので、意味も分かりやすいがそれを日本語に表現した場合は、多くの言葉で受け取る事が出来てしまう場合が多々ある。日本語ほど曖昧な部分が多い物は無いし、それを使う日本人も曖昧な部分で生活して来たので、この様な文化に成ったのかもしれないが、それを政治で使い国民を欺く連中の心境にはあきれる。
2014.08.01
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