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自分は相当な方向音痴である。前回書いた昼食を食べにママチャリで出掛けたが、その時もやってしまった。自分の向かうレストランはGoogleで調べたら、徒歩1時間30分なので自宅から方向を見て行ったのである。だが、途中で方向が分からなくなり、自分の勘で勝手に走っていたら交番があったので、自分の行きたい方向を聞いたら、真逆の方向に向かっていたのである。それも15分以上走っている状態であり、自分では又やったと思いながら戻った次第である。この様に方向音痴の自分がママチャリで東京から東北を通って日本海沿いに山口県まで、行った時も道を間違って、無駄な走行を繰り返していた。昨日もママチャリで運動不足解消に走ったのであるが、幾度も前に走っていた所でも、今まで走っていない小道を抜けて自分の感覚で走ると同じ所に戻って来てしまう。その時の自分の感覚は、方向的には間違っていないと思っているのである。これは痴呆症の一種かと思うくらい、自分の方向音痴は酷い。地下など行くと、自分のいる位置さえ分からない時がある。それならスマホのGPSを使えばよいのであるが、それも面倒なので使う事をしない。何のためのスマホか分からないのであるが、機械に頼る事を嫌っている自分がいる。システム屋である私が機械を嫌って、システムを構築できるのかと思うであろうが、システム構築は仕事であり、プライベートまで機械に頼りたくないのが本音である。人間は便利さを求めるのであるが、その為にシステムを構築する。それが当たり前のことである事は分かっているが、それを仕事としてやっていると、私生活はそこから離れたいのである。その様な考え方の自分は、意外とスマホやタブレットに興味を持たない。だから操作等は今の若い人の方が知っている。だが他の人達は私がシステムを構築するのだから、何でも知っていると思い込む人が殆どである。システム構築は、あくまでもコンピュータを動かす為のプログラム作成の提案を行う為の仕事で、そのプログラムを動かして操作する事は得意としないのであるが、一般の人はその区別が付かないで何でも出来ると思われる。コンピュータは色々な言語で書かれたプログラムがある。操作するシステムによって言語が違って来るのである。技術系であればフォートラン・パスカル・C等の言語を使ったりする。事務系であればCOBOL等も使うのであるが、一般の人達は全部同じだと思っているから、私に言えば分かると思っているが、逆に私達システム屋は操作をあまりしないので、むしろ操作を頻繁にする人達の方が私たちより分かるのである。簡単な話、包丁を料理で使いますが、包丁本体は職人さんが作ります。それを使って家庭や料理人の人達が料理を作るのと同じで家庭の人や料理人は、包丁は作れないので、買って来て自分の好きなタイプの包丁を使うのと同じで、包丁を作る人や使う人の行動と同じなのです。上記の説明で分かると思いますが、意外と作る人は使わないのです。確かに包丁でもそうですが、試し切りは行うでしょうが、料理を作る人は少ないと思います。この様にコンピュータも同じでソフトを作る人、使う人に別れます。だが、一般の人達は作っているのだから何でも分かるだろうと思っている人たちが殆どです。確かに自分の得意分野の範囲なら、すぐには分かりますが分野が違って来ると調べなければ分からない事が多いです。同時にハードとソフトも同様で、分野違いなので互いに分からない事が多いのです。
2014.09.30
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昨日は運動不足を解消しようと思い、ママチャリで3時間ほど走った。どうも私は動きだすと歯止めが利かないタイプであり、それが良い面で出ればいいのであるが、悪い面で出ると先走って失敗をする事が多い。でも、動きだしたので、これからは続くであろうが、徐々に段階を踏むタイプではないから、突っ走って行くであろう。言うなれば脳天気(頭が空っぽと言いたいので)なのである。昼食を取りに往復2時間走って、途中で夕食に食べようと思って買い物に入ったのであるが、そこで問題が起きた。順番に並んで自分の番になってカウンターで注文したところが25分かかりますと言われ、文句を言って帰って来たのである。確かに今日は安く買える日なので、混雑はしていたが同じ物を他の店舗で買っても、待つ事は無かったので腹が立って帰って来て、何時も行く店舗に買いに行くと、そこでは直ぐに買えたのであるが、家に帰って来ても腹の虫が収まらず、苦情の電話をしたのである。メールで宣伝していて、今日は毎月の恒例の安売りの日である事が私の所にもメールが来ていたので、何時も待つ事無く買えるので家に帰る途中で、今までの店舗でなく始めての店舗に行ったのである。だが、そこの店舗は混雑しては居たが、それなりに対応するものだと私は考えていたのであるが、順番待ちの間に店舗の状況を見ると商品が無くなっているのに、追加されない状況が見えた。私は嫌な予感がしたのである。今日は安く売る日なのに、この状況では商品が間に合わないであろうと思っていたら、案の定、私の番になったら、商品が出来るまで25分掛かりますと言われたのである。今まで並んで、さらに25分待つ気にはなれないので、私は文句を言って返って来て、何時も行く店舗に買いに行ったのであるが、文句を言った店舗と何時も買いに行く店舗の中間に私が住んでいるので距離的には倍かかった事になる。いつもの店舗で買い物をして、家に帰って来たが腹の虫が収まらないので、お客様センターに苦情の電話をした。基本的に今日は特売日であるなら、商品状況を把握して追加するのが当たり前のことであり、それが出来ていないでお客様を待たせるのは客商売として最低であると文句を言った。そんな事を苦情で言ったら、店舗の責任者から電話をさせますとの回答が返って来たので、電話番号を教えたのである。店舗の責任者から電話かあり、誤りの言葉があったが私はもう少し商品状況とお客様の状況を把握すべきであると説教をしたのである。私の後にもお客さんが並んでいたので、その人たちも同様に待つか帰ってしまったであろう。相手は予想外に、お客が多かったので、その様な状況になったと弁解していたが、それは店長の商品やお客の状況を把握していないから起きた現象であり、お客は商品を買いに来ているのであり、特売日と知っていて来ているのだから店長の怠慢だと言ったのである。店長は、これから伺って謝りたいと言って来たが、来られるのも嫌であったが、了承して住所を教えたのであるが、これが失敗であった。店長は10分くらいで来たのである。私の性格は文句や苦情を言うが、その後はあまり感情的にならない。言いたい事を言ってしまえば、それで終わりのタイプなのであるから店長が来ても電話で言ったから、殆ど文句も苦情も言わなかった。店長が誤りに来ると言う事は、何かを持って来るのであるが私は既に他店で買っているので、貰っても困る部分があると思っていた。案の定、新製品ですと持って来たが、自分で買った物と同じで味を変えた物であったので、自分で買った物でも食べるには多いのにそれが増えた事に私は困ってしまった。わざわざ誤りに来て、持って来た物をいらないとは言えないので受け取ったが、これを3日以上かかって食べるのも嫌なので近所に配ったが、それでも余って無理して食べたが、当分食べたくない気持ちになってしまった。店長にはワカメを持たせて帰って貰ったが、ワカメも袋であるので食べきれないで冷蔵庫に残っている状態で、今回、南三陸に行ってまた、送られて来たので近所に配ったが、それでも残ってしまう。ワカメは少量でも増えるので一人暮らしには消化出来ないから近所に配ったが、それでも残ってしまうから誤りに来た店長に持たせたのである。昨日の夕食は買って来た商品と貰った商品で満腹になったがまだ、処理できていないので、これを処理するには続けて食べなければならない羽目になってしまった。自分の言っている事は道理にかなっているが、後処理に、ため息をついている状況である。悲しいかな苦情を言って、この様な目に合うのは良いのか悪いのか分からない。ただ、ワカメが処理できたので、少しはホッとしているがまだ、乾燥ワカメと冷凍されたワカメが冷凍庫に残っている。これも封を切っているので、人には上げられないし、料理するにも少量でも多くなるので、少しずつ食べるしかない。
2014.09.29
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私は年齢とともに体重が落ちない。多少の運動では体重は減らない事が分かっているが自分なりに体重を減らしたいと思っているである。だが年齢を重ねるごとに体重が減らなくなった。家に体重計が無かったので、スマホを新たな機種に変えようと思い携帯販売店に行くと、体重計が月3円で使えますと言われてそれならと契約したのである。その体重計はスマホと連動していて、体脂肪率や基礎代謝などが計測出来て身体年齢まで出るのであるから、毎日、計測しているが体重は変化がないのである。最近は暑さも無くなったので、運動をしようと思っているが夏の暑さで、炎天下の運動を嫌った時期が多かったので、自分の心と身体のバランスが取れなくて、多少の運動で終わってしまう。前に書いたバスの日帰り旅行で、滝を見に階段を上り下りした時には足が上がらない状態であった。これでは駄目だと思い、帰って来てから、なるべく外出して足腰を鍛えなければと思い実行に移しているが、短時間でギブアップの状態が続いている。これからは、なるべく長時間と考えているが夏のサボリで身体が鈍っている状態であるが、毎日体重計で身体測定をすると身体年齢が最高で59歳、良い時は52歳と出ている。「豚も煽てりゃ木に登る」でないが、私の年齢より10歳以上若い状態で出て来るので、これからは頑張らなきゃと思っている。確かに私は童顔で若くは見られるのであるが、それが体内的に若いとなれば、変な所で喜びを感じて、もっと若くなりたいと思いう欲望が湧いてくるのである。そこで、これからは運動を行って若さを持続させようと思っている。私は単純なのであろう。また、人間は何時までも若くありたい気持ちが強いし望むものである。それで自分の気持ちが若返り、次に何かをやる時には、その気持ちが励みになると思っているし、気持ちで若さを維持できる部分もある。あの機械が正確なら喜ばしい事であるが、正確でなくても若いと表示されただけで単純に喜びを感じている私である。その体重計と同時に薦められて買ったのが、「見守り携帯」でありその時は自分の年齢を感じて、3個まで月3円で使えるのであるが自分が、その様な物を薦められる年齢になったのはショックであった。「見守り携帯」は1個しか契約しなかったが、後から考えると意外とこの携帯は使えるかも知れないと思って、再契約を確認したがキャンペーンは終わっていた。被災地で高齢者の寝たきりの人達に使えると思ったので契約した1個を使って見て、その状況によって、どの様な使い方があるかを見極めて行きたいと思っている。
2014.09.28
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今回、自分のご褒美に日帰りのバス旅に行った。南三陸から帰って来て、数日後であったが予約をしていたので行ったのである。私は食いしん坊なので、食べ放題なる企画であれば直ぐに行きたがるのであるが、食べ放題であまり満足した事は無い。今回も「マツタケご飯とカニ汁の食べ放題」なるものであったが結果は予想外れであった。ただ、自分には敬老の日のご褒美として行ったのであるが行った先が群馬県なので、カニ汁は期待していなかったがマツタケは期待したが、残念かな外国産の冷凍マツタケであり美味しいとは思わなかった。元々マツタケなる物を美味しいと思っていないし、皆さんが騒ぐほど旨いものとは思っていない私なのであるが皆さんが騒ぐので群集心理からか、つい乗ってしまったのである。ただ、マイタケやその他の新鮮なキノコ類が産地なのでそれが美味しかった。カニ汁は私の思った通り、期待はずれであった。同時に私はお土産を買う事が多い。私の性格は人から勧められると、つい買ってしまうのである。デパ地下などで、味見用の物を薦められると、買わないと悪いと思い買ってしまうのである。今回もバスの中でお土産の注文用紙が配られたので、既に注文しているにも関わらず、お土産店で進められて買ってしまった。それが相手も考えているのか、タイムサービスと言って定価より30%近く値下げして売るのであるが、これが相手側の手口である事は分かっていながら、買ってしまった。中南米で仕事をしていた頃、日本人ほど簡単に騙し易く物をたくさん買ってくれる人達は居ないと言って、日本人の団体客が来ると分かると、普段の値札の2倍の価格の値札に変えて、日本人が来ると、そこから50%値引きすると喜んで沢山買ってくれると聞いた事があるが、今回はそれを日本で遣られたように思った。地方のお土産店も考えているのであろうし、バスツアー等で団体客が来ると良い鴨が来たと思い、私のような日本人独特の性格の連中を捕まえて、値引きをして売りつけるのであろう。中南米では私は、値切を必ずやっていたのであるが、日本に帰って来てからは、値切る事をしなくなった。関西の人達は値切る事をするが、関東から以北の人は値切る事が恥ずかしいのか、殆どしない。これはカッコつけているのであろう。簡単に言えば「良い振りこき」なのであろうし、周りがそうしないのに自分だけ値切るのは恥ずかしいと言う心理である。私は完全なる関東以北(北海道出身)なので、値切りはしない。だが、ドミニカ共和国に4年間行っていた時は、値切り倒した。デパートでも値切ったし、路上販売などは、必ず値切って買う。私は花が好きだったので、スーパーの外で売っている花屋に良く行って値切って買うので、相手が、又来たかという嫌な顔をされても値切っていた。所が日本に帰って来ると、それをしなくなってしまった。やはり日本人のカッコつけが出て、恥ずかしいと言う気持ちが先に立ち、値切る事はしなくなった。これは日本人の習慣と、その様な教育から成されているのと元来、日本人は海外に行くと、恥ずかしいと言う気持ちから解放されてしまうのであろう。前にヨーロッパに観光で行った時に、おばさん連中が大手のメーカーで騒ぎ値切り倒していた光景を見て、嫌だなと思った事があるがそれを自分もやっていたのであるが、弁解になるが私の場合は途上国だったので騙す事が当たり前であり、自己防衛で行ったのである。でも日本でも観光客相手に、地方のお土産店も日本人の心理を付いた売り方を行っている事に、今回は気が付いた。
2014.09.27
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最近目につくのは、優しさのない親の姿である。30代が多いように思うのは、私が、年齢が行ったからなのであろう。良く私たちの若い頃は「今時の若い連中は」と言われていたがそれを今の自分が感じているのであるから、面白いものである。だが良く考えると、その様な若者を育てて来たのは、自分たちなのである。今の若者は自分本位な所があるが、それを自由と勘違いしているのと他人との接触が下手なように感じる。確かに他人と接触は面倒であるし、私もどちらかと言えば下手である。だが一部の若者ではあるが、挨拶を知らない。それは親の躾もあると思うし、教育内容にも問題があるのであろう。被災地に来るボランティアの若者は、あまり、その様な事は見かけないが一般の結婚している人などは、こちらが話しかけているのに無視をする。その様な人達は、大体文句だけ言う人が多い、文句は言うが実行が伴わない人が多いように見受ける。そこには親の躾が大切であるが、それが出来ていないのが現状であろう。これは私達世代が蔑ろにして来た産物のように思える。家庭での躾より経済的な事を優先して、自由を履き違えて教えて来た。それが今になって感じるのであるから、人の生きざまは時とともに変化して良い面を忘れさせるのかもしれない。それは躾が暴力と化する部分もありうる、だが今は行きすぎた躾は問題になり騒がれる。そうなると何処までが躾で、何処までが暴力なのか分からない部分も出てくるために、厳しさが失われかけている。厳しさが無くなると我儘が子供たちに浸透する傾向が強くなる。親も判断の付かない状況になって来ているので、強くは怒れない。その様な状況下で育った子は、挨拶も人に対する労わりや優しさも失われて、人間としての価値観を見誤ってしまうであろう。そんな人達が多くなり、言いたい事は言うが、人に対する労わりや優しさが無くなって来ているように思う。基本的に自分本位なので、それが当たり前の人間を作り上げているのが今の世の中であり、私達世代であると思う。これからは、人としての考え方を教えて行き、人に対する労わりや優しさを教えて行かなければ、自分本位の考え方で犯罪に走りやすい人間を作ってしまう様に思う。
2014.09.26
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昨日の報告です。大手ネット会社から返答が来ました。この会社のメールが不特定多数に送信されているとの返信でした。この様にネットを使った犯罪的行為が横行していますが、これはネットが、これだけ大きくなれば起きる事は分かっていた事です。それに日本の行政が、対応が出来ていないのも確かです。前に私の所に迷惑メール関係(公的機関)で問い合わせが来た事があります。それも、ある企業が多くのアダルト関係でメールを送っているので警察等に報告する為にとの事でした。今や悪は悪なりに逃げ道を作って海外などのIPアドレスを使い送信します。ただ今回のようにメールにて、電話対応を言って来た場合は完全におかしいですし、何のためのメールなのかを考えなければなりません。1つはメールにて数回送信しているが、相手が添付アドレスをクリックしないので電話対応で行う方法と、この場合はアドレス・クリックで、何らかの情報を詐取しようとするかウィルス・プログラムが入り込む事が考えられるので、アドレス、クリックは避けた方が良いと思います。2番目に最初から完全に電話番号を詐取しようと考えての行動であろうと思います。これに関しては、携帯等の電話番号の場合は、携帯側に迷惑メールなどが送られてきたり、迷惑電話が来る可能性がありますのでこの場合電話対応はしない事が肝心です。電話する場合は公衆電話で相手にかける事、絶対に携帯や固定電話では掛けない事私は調べる為に公衆電話から掛けて、相手を調べようと思っています。基本的にメールで送信された物は、メールで返信するのが普通である事なので電話対応はしない事を考えて下さい。また、変な(怪しい)メールが来た場合は、相手先をGoogle等で検索して、どの様な相手なのかを確認してから、対応を考える事が大切です。
2014.09.25
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最近、迷惑メールは減ったが、まだ、たまに来る。だが、メールの内容が多少巧妙化になって来ている。私の場合は相手側の貼り付けているアドレスにはクリックしないで相手側と迷惑メール情報センターに同時に返送する。そうすると相手が受け取り拒否を行っているので、ブロバイダーから送信不可能と通知が来る。同時に相手側が、それを真似して「受信できません」と来るのもある。その場合は再度、相手と迷惑メール情報センターに送るので最近は相手も諦めて、メールは殆ど来なくなったが、相手も手を変えてメールが来るようになった。それは相手側がメールでは受けて付けなく、電話対応のみでしか受け付けませんと言って来る。それも大手のネット関係の社名を使ってである。私は迷惑メールに対しては、必ずIPアドレスと送信先のチェックを行ってから、対応するのである。それは、こちらが相手先から来るメールが多くなれば、経由しているメール関連の会社に対応しなければならないからである。昨日はメール対応しないので、電話でのみ対応の依頼メールが来た。祭日に大手のネット会社を語って電話依頼は不振に思ったのでメール内容をネット会社に問い合わせるようと思い、会社名を検索したら、日曜・祭日は休みとの表示されている。こうなれば相手は私の電話番号を調べる為に、その様なメールを寄こしたのであろうし、メールには会社名・電話番号・担当者名まで書かれているのであるが、メールで来たのにメールではやり取りしないとの内容が書かれて、電話での対応を指示しているのである。これは完全に相手の電話番号を調べる方法であろうと思った。この様なメールは始めてであるが、これからはパソコンに慣れないお年寄りは、この様なメールで電話する可能性が高くなると思う。私の場合はコンピュータ歴が長いのと、始めての場合は相手側を調べそれから対応する事を知っているので、挑発にのらないが経験が少ない方は、この様なメールには気を付けるべきである。このメールに関しては、大手のネット会社にメール内容を送付したので相手から返信が来ると思うが、来なければ内部での問題点があると思う。その場合は、再度相手側にメール内容を送って返信を待って対応しようと思う。これからはネットに関して、それなりの警戒心を持って対応する事をお勧めするし、私自身もその様な問題点を集めてテキストを作っている。色んな問題点が出て来るし、新たな事が多くなって来た。
2014.09.24
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前回に直下型地震が来た場合の関係で、SNSでの参加を行ったのであるがその時に質問されたが、マグネチュード8ぐらいの地震が来た場合家具が倒れない対策を行っていますか?その答えは、強いて倒れるとしたら冷蔵庫くらいですと言ったが本当に自分の部屋には何もない事に気が付いた。キッチンとバス・トイレは別で6畳、4.5畳の部屋であるがあるのはダイニングテーブルとテレビ、カラーボックスであとはベットと冷暖用の機器(据え置き型)と和テーブルである。それで不自由無く暮らしているし、食事も殆ど自炊である。洋服類は押し入れがあるので、そこに入れて充分に間に合う。考えて見ると海外生活をしていたので、家具など無いのである。海外で部屋を借りると食器から家具まで全部付いている。鍋釜、フォークからナイフまであるので、自分の着るものだけで生活出来ていたのである。結婚していた頃は家具もあり、倒れる事を考えて生活しなければならなかったが、離婚してから海外に行くように成ったので家具類は買わなくなったし、買ってもまた、海外に行く時は友達にくれてやっていたので、今は何もないと言って良い状態である。だが、部屋が広々としてガラス戸も大きいので、部屋が明るくて気分が良いし、普段は3か所を開けっ放しにしているので気持ちが良い。基本的には私は物持ちが悪いのであろう。部屋にあるのは、山谷の泥棒市で買った安物ばかりで意外とそれなりに部屋に飾られるものがある。自分なりに気にいっているのであるが、自分の部屋には人が殆ど来ないので、この部屋を見た人の感想は聞けないがどう思うのであろうか聞いてみたいと思う。ただ、地震が来た場合は、家具などの倒れる事は心配ないのは間違いないが、物を置き過ぎて部屋が暗くなるのは嫌なので倒れそうな物は買わないであろう。同時に買う金も無いのが現状である。家具を買うなら被災地などに行く費用に使った方が良いと思うのと一人暮らしなので、これ以上物は必要ないのである。部屋も気にいっているし、気ままな生活をしているので気が楽であるが、ただもう少しお金に余裕があったら動きが取れるのにと考える事は多い。元々、お金には縁が無い人なので、お金があっても他人に使うであろう。無いから、自分なりに工夫しているのであろうと思う。ただ、それだから貧しい人たちの気持ちも分かるのだと思う。人はそれなりの生活で学ぶ事が出来る動物なのであろう。私の性格では、金儲けは出来ないし、金を持ったら自分の良さが無くなってしまうように思う。無いから多くを学んでいるのかもしれない、これでお金があったら遇ダラな人間になると自分でも思うし、そんな人間にはなりたくないと思っているが、あと少しお金があれば、もっと動けるのにな~と考えたりもする。
2014.09.23
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今、日本では技術と言う部分で誇りを持っていると思う。日本の経済の立て直しには、「日本の技術力」が必ず出て来る。政治家も企業でも経済が落ち込んで来ると、技術で乗り切ろうとうたい文句のように言うが、何か違っているように思う。確かに技術力はあるかもしれないが、日本にあるのは本来の技術では無いと思う。この意見には反論されるであろうが、私は技術とは基礎から作った新しいものが技術だと思っている。日本の技術は他の所で作られた基礎を応用している事を技術と思っていると私は感じている。確かに日本人は繊細な部分で応用をきかす事が得意である。それは私からすると「サルまね」であって、他の基礎を応用・適用しているにしか過ぎないと思っている。最近は日本でも基礎部分が出て来ているが、今までの企業が行って来たのは他国での基礎部分に新たな物を付け加えて技術と思っていたのが現状でありその新たな部分を付けくわえたから世界が認めた、日本製品の良さを分かって貰えたと思うのである。コンピュータのOSにしても、日本で開発したものではないし自動車でも日本が開発したものではないが、日本の繊細な考え方で色んなものを付けくわえて来ただけである。確かにそれも技術であろうと思う。だがそれを技術として認めて来た企業は世界で経済的に苦境に立たされている状況が続いている。「サルまね」はあくまでも基礎が無いから、次の新たなる物を生み出す事が出来ないと私は考える。私は若い頃から日本人の勤勉さと誠実さが日本の経済を発展させと思っていた。日本には新たな開発力は乏しいと思っていたが、応用力はずば抜けていると思っている。確かに応用力も技術であろうが、基礎から作ってそれを発展させるのが本当の技術力だと思うのである。所詮「サルまね」は応用しているだけで、何時かは行き詰まる。この状況で政治家が日本の技術力で経済を立て直し世界に新たな日本を認めさせると言っている事に違和感がある。また、企業も自分たちのやっていた事が技術だと思っている事にこれからの世界からは通用しない事が分かっていない部分があると私は感じるのである。ただ、日本政府も新たな物を作り上げる為の研究費用を出す事によって変わる部分があるが、それには時間が掛かり、今の日本経済の立て直しには、ならないであろう。まず、企業も政治家も技術があるなどと言う事、自体で問題があると私は感じ取っている。これからはどれだけ新たなる物作りの基礎が出来るかそれをどの様に応用するかが日本の経済に影響するのではないか。今や諸外国(特に東南アジア)も応用力を付けて来ているので日本の現在の考え方では、追い抜かれてしまうし、応用力を技術と考えているようでは、日本の企業も追い抜かられるであろう。今や技術日本では無い事を考えて、新たな基礎的部分を作る事がこれからの日本の立て直しになるのではないかと感じる。
2014.09.22
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昨日書いた皺の話であるが、前にママチャリで旅をした時に東北の高齢者の方、特に女性の人の皺を思い出したのですが岩手より北の方と今回の宮城の人達の皺が違っているのです。特に青森や秋田に女性(高齢者)の皺は深く、その深さが南三陸で今回会った人達と違う事を感じたのです。そんな馬鹿なと、思うでしょうが、本当に違っていました。東北の女性は良く働く人が多いのですが、その顔に刻まれた皺はそれぞれの喜怒哀楽が刻まれているのでしょうね。ママチャリで旅をした時に1都1府16県を走ったのです。その時も南三陸を通過して行ったのですが、青森と秋田近辺で見た高齢者の顔の皺だけが思い出されます。青森ではこんな高齢になっても元気に働いていると感心したのを思い出しますが、今回の南三陸で会った高齢者の方はまた違った顔をしていたし、その中には何か深いものを感じたのですがあの大震災にも負けない明るさがあったように思います。私は心の中まで見えませんが、幾度となく大自然に阻まれた経験から負けたくないと言う気持ちがそうさせているのかもしれません。自分の家族を亡くした人もいるでしょうが、互いに助け合って生きている事を、今回勉強させられました。今までとは別の仮設の方たちと交流していましたが、今回は大きな仮設の人達と交流して、互いに励まして生きている姿は、今の都会暮らしの方たちには、分からない部分があるように思いました。私の住んでいる所の高齢者の方とは違う考え方をしている事、都会と田舎で働きながら家庭を守って来た人達は考え方や行動が違う感じがしました。私も自分の住んでいる地域で高齢者の方のお手伝いをしていますが、その違いが分かったように思います。確かに都会と地方では生活も違うし、環境も違う事は分かるのですがどちらかと言えば地方の方の方が前向きに考えていると思いました。それは自然と戦いながら生活しているので、その自然に負けたら生活出来ない為に自分たちを鼓舞しているのでしょうね。そんな事を考えると私はまだまだ甘い人間だと感じて反省させられます。被災地にお手伝いに行って、多くの事を逆に教えられる事が沢山ありました。私も負けては居られないと思う気持ちを持てた事は有難い事です。
2014.09.21
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今回、南三陸に行って来たのですが、3か月前に行った状況と何ら変わらない復興でした。海沿いを、土砂を盛って、かさ上げしているのですが、あれでは、今回の津波の高さの半分の位置で、次に前回のような津波が来たら、またもや全壊してしまうであろうと思ってしまうし、かさ上げを行っている所は増えた感じがしないのです。どう考えても、あれで家を建てろと言うのは、また津波にのまれますよと言っているようなものであるように感じてしまう。確かに住民の方たちの意見が多数あるので、全部は聞けないであろうが私たちがボランティアとして2年以上行っているのであるが地元住民の働いている職業で意見も違って来る。漁業をやっている方は、海に近い所に住みたいであろうし農業をおなっている方は、津波の来ない事を望むであろう。これを全部聞く事は出来ないであろうが、一部の住民の方たちから「土木の為だよ」の声もあった。昔から土木と政治の癒着はあったから、私も分かるし国が公共事業としてやっているが、これが住民の意見を聞いてやっているのか、一部の利益を考えているのかは分からない。私の前妻の親が土木を経営していたので、分かるのであるが地方では自分の押している市長が当選するか落選するかによって仕事が増えるか減るかを見て来たので、今回の南三陸の現状でも同じような事を感じた。復興は進んで居ないし、この状況では何年かかるのか疑問に思う。同時に復興資金の流れにも疑問を感じてしまうし、復興募金を南三陸に行く数日前に駅前で、20人ぐらいでお願いしているのを見たが、それもどの様に流れているのか?そんな事を感じながら南三陸町を見たが、津波の爪後は何ら変わらない状況に私自身も政府と行政のやり方に疑問と怒りを感じた。3年半を過ぎて仮設住宅の方たちの高齢化は進むばかりで、その方たちとの交流もあった。今回は私が南三陸でお世話になる方の親御さんとの約束を果たそうと思い訪れたのである。その約束は、その方が杖でやっと歩ける方で、歩けると言っても5mくらいであるのだが、前回訪問した時に「今度車いすで散歩しよう」と約束したので、それを果たしに行ったのである。散歩するには仮設の近辺は自然が沢山あり、東京に住んでいる私も癒される感じがするし、田舎者の私は自然が好きなので逆に自分が癒されていた。その散歩で別な仮設のお年寄りとの交流も出来た事が、今回の収穫であった。2日で2回散歩をしたのであるが、2回目は他の仮設の集会所でお年寄りと一緒に体操をやって楽しく遊んで貰った。そこで99歳の方と知り合えたのであるが、まだ元気に集会所で交流を行っていたので、逆にその方から元気を貰ったように思う。その方の年齢だと今回の津波もそうであるが、チリ沖の津波も経験しており、尚、昔の方なので結婚して相手の方が戦死して相手の弟と再婚したそうである。これは、昔は良く聞く事であったが、私が車いすで一緒にいった方が弟さんと知り合いなので、24歳年下の方とである。今で言う歳の差婚の走りであろう。どれだけの、その方の顔の皺には苦労が刻まれているか分からないがその皺には多くの経験が刻まれているのであろうと想像する事しかできない。今度行った時に訪問したいと思っている。
2014.09.20
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私は決して裕福ではない、むしろ貧困層に属する。そんな人間が、生意気な事を書いている。同時に被災地に自腹で行っているのであるから、他人から見ると馬鹿な人間に見えるであろう。月10万ちょっとで家賃から、その他の食事関係を賄う。毎月、月末はピンチであり、食を考えながらの生活である。だが、それも面白いと思っている。私は政府批判や貧困、高齢者、被災地批判を書くが、自分が経験しているから書けるし、批判も出来ると思っている。この生活は改善できるかと言えば、出来ないであろう。高齢になった私には働き口などないし、新たな収入源も出てはこない。でも被災地、高齢者のお手伝いは続けて行こうと思っている。私なりに出来る範囲しか行う事は出来ないが、それが私の信念として、私を支えているからである。私は若い頃から、良く考えていた事がある。それは「人間とは」である。人は心であり、人は優しさと労わりを持たなければ、人間として成長は無いと思っている。私自体、子供の頃から色々な経験をし、その経験から自分なりの信念を持つ事が出来た。それは多くの人に助けられた部分が大きいし、学ばせて貰った部分もあり、そこから這い上がる事に夢中になりある時は人をも蹴落として来た事もある。それは生活の為ではあったが、そこから学んだ部分も大きい。同時に海外などに行き、貧しさを見て、それから見ると私は幸福な部分を味わっている。本来自分は経験して意見を言う事を、若い頃からの自分のやり方として行って来たし、それでなければ相手の立場を本当に分からないと思っている。基本的に人間は心と心で分かり合うのが本来の姿でありそれを金をちらつかせて、人の弱味に付けいる人を私は毛嫌いするし、蔑んでいる。人は心が無ければならないと思う気持ちが強い。同時に私は運が良かったのかもしれない。裕福ではないが、食べて住む事には、あまり苦労しなかった。人は何かが良ければ、何かが欠けているのが人間のように思える。私の欠けている事は、愛する人を二人亡くした事であろう。母と私が愛した女性である。でも、その二人が私を見守っていてくれて、今の自分があるのだと、自分では思っているし、その分は、自分は何かをして行きたいと思って行動しているし、その二人が私の後押しをしてくれて、今の自分が居るのだと感じる。だから二人の分も頑張って行動して行きたい。それが他の人を支えて行きたいし、これからも政治批判も貧困も被災地等の事を書き、経験して行きたいと思っている。
2014.09.15
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最近は秋らしくなって、私も運動を始めようと思っています。同時に色んな活動も行うには良い時期なので期待を持っていますが年齢とともに体力的な問題が追い打ちをかける事に悩みます。これだけは、生きている限りしょうがない事なので、諦めていますが体力維持だけはと思っています。その為には自分の考えている事に積極的に行動する事が一番なのですが動いた後の疲れが取れるのが遅い。だからと言ってサプリに頼りたくない自分なので、何とか解決策を考えて行こうと思っている。夏の間は暑くて体力的に消耗するので、休暇状態だった被災地には16日から19日まで行く事に決定しましたので、その期間はブログは休みます。夜行バスで行くので、今までのサボっていた事が、今回は倍返しで戻って来るかも知れないと思っていますが身体慣らしでの行動には良いかもしれません。帰って来たら次の行動が待っているし、それによって自分なりの動きが良くなると思っています。自分は動いて、なんぼの人間なので、動きが自分を支えてくれていると思って行動しています。前にも書きましたが、落ち着きが無いのでしょう。同時に動いていなければ不安なのかもしれません。そんな自分ですから、何かを求めて進んで行きたいと思っていますしそれが自分を若く見せるコツだとも思っていますがそれは自分だけの願望ですが、人間願望を捨てたら終わりだと思って今までの人生を歩んで来たように思います。願望と言えば被災地も同じです。これから復興を考えて行かなければならないのですから何か大きな願望を考えて行かなければならないと思います。だが高齢化が進んでいるので、難しい部分があるが今後は次世代を背負う若者に伝えて行き、被災地でも出来る何かを考えて行きたいと思っています。今行っている被災地でEラーニングの構築を考えたのですが町の範囲でなく、県単位で考えなければならないのがネックになって私のような行政の嫌いな人間では、難しい部分が出てきたりしますがこれを誰かに伝えて、今後の為にやって貰う事も考えています。私の性格では行政のような融通の利かない所は嫌いなのです。融通が利かないのは時間が掛かるし、前例や法制で判断するとがんじがらめになって動きが取れない、だからと言って政治家を動かして借りを作りたくない。それが私の性格の悪い所であり、利己主義な所であるのですがそれではイケないと思っても、この歳では治らないでしょう。だからと言って計画は辞めたくありませんので、次世代に繋ぎその人たちにやって貰う事を考えています。今や私たちの時代ではないし、次の時代を背負う若者を育てられたら私の夢も叶うかもしれないと思っているのです。自分は、もう表に出たくないし、出るつもりもないですが計画だけは遂行したいので、今後は若者を育てる事に夢を持とうと思っているのです。それと同時に高齢で障害のある方の、お手伝いも行っているのでそれ程、動けないでしょうから、最後のアガキであろうと思っています。このアガキを何処まで生かせるかは自分次第なので悪アガキであろうがこれからも続けて行こうと思う。自分は一生アガイて生きて来たように思うが、他の人も同じなのでしょうね。
2014.09.14
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最近のSNSを見ていると、色んな面で疑問を感じて来た。政治等は、意見は分かりやすいが、これは全体的な事であるから問題は無いが、食に関して色々な意見がある。特に震災で原発事故が起きた福島県に関しては、食に関して色々な事が飛び交う。確かに放射能に関しては、あの事故以来、日本人は敏感になって来た。それに対する対策を取らない政府や行政には問題があるが食料を生産して生計を成している人達にとっては、問題は大きい。確かに子供たちには放射能等の問題がある食べ物は食べさせたくない気持ちは親として分かる。だが、福島に住んで居て、生活している人達にとっては傍迷惑な事である。食料以外で生計を成している人たちも多数いるのでありそこで生活する為には食べて行かなければならない。そうなれば地元の生産物を食べる事になる。それは一つ一つ放射能がとなれば、食べるものが無くなってしまうような情報が飛び交っている。私はあえて福島から米を取り寄せている。私の場合は高齢であるから、放射能を意識していない。逆に福島の復興を考えて見たいと思っているから、自分勝手に行動すれば良いが、子供たちには、これからの日本を考えて貰う為にも害があるものは食べさせたくは無いとは思う。だが、今のSNSでは福島の食べ物と言えば放射能が付きまとう情報が流れ過ぎる。それも地元の人でなく、福島から遠く離れた人達が言い出す。確かに気持ちは分かるが、それでは福島に住んでいる人達の事も考えて情報を流してほしい。原発事故があったから、放射能に敏感になるのは分かるが事故前だと皆さんはレントゲンなどで放射能を浴びたりまた、輸入食品に農薬などが大量に使われている物を食べたりしていたのである。事故が起きたから、食料に関して敏感になる事は悪くは無いが地元に住んで生活している人たちの事を考えて貰いたい。地元が事故から抜け出して、一般的な生活が出来る方法論を考えた情報を流してほしいと思う。私は、今は南三陸町に行っているが、今月に行ったらこれからは福島に行こうと思っている。地元を見て、それで何が出来るかを考えて見たいと思っている。地元を見ないで言う事は簡単であるが、地元の人達の生活を見てそれから色んな意見を言おうと思っている。
2014.09.12
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どうも私は落ち着きが無い。自分は動いていなければ気が済まない方で、何かをやっている。これは子供の頃からであろう。通信簿に先生から良く書かれていたのが「落ち着きが無い」であった。逆を考えると行動力があると取れるが、周りからすると傍迷惑な部分が多い。父にも良く叱られていたし、何か行動を起こすと拳固が飛んで来た。そんな自分であるが、これが別な面で生きている部分もある。落ち着きが無いのは、何時も何かを考えて行動を起こそうとするし考えた事を実行する部分は良い面でもあると自分では思っている。だが傍迷惑な事は確かである。仕事でも先を見越して行動するので、セッカチになり周りに迷惑をかける。私はメンドクサイ仕事から先に片付けて、楽な仕事を後に回したいタイプでそれが周りに迷惑をかける事が多かったのであろう。私が上司でシステム構築を6カ月で請け負った場合は、部下には5カ月と報告して、1か月誤魔化して構築計画を出す。システム構築は人月で計算するので、1か月の前倒しはキツイ。だがシステム構築で納期を行っても、問題点が多数出るので6か月間では終了しないのが当たり前の世界であった。問題点の解決には1か月以上かかる事も多々あり、殆ど料金加算は出来ないのが常で、それでは採算面が合わないので、私はシステム構築には前倒しで部下に報告していたのである。言うなればセッカチなのである。これで部下たちは迷惑したであろう。この様に先を考えて行動するとセッカチな部分が出て来る。それが傍から見ると落ち着きが無いと見える事になる。確かに自分自身でも落ち着きが無いと思う。動いていなければ気が済まない。私は大腸がんやその他で手術をして入院した事があるがその時は苦痛であった。病気で苦痛でなく、何かの行動を起こせない事で苦痛であったのである。今でも何か行動して居なければ落ち着かない。だから行動が先、だが考えて行動を起こしては居ると自分で思っているがそれは自己診断なので、当てにはならない。この性格は子供の頃から治らない。一生この様な性格なのであろうと思うので、周りに迷惑をかけたくないので一人で行動する事が多くなった。被災地に行くのも一人で行く事が多い、最初の頃は団体で行くがある程度慣れると一人で行動する。それはセッカチなので、周りと噛み合わない部分があったり自分なりの考えを行動に移したいので、その様にしている。また、これは少年期の経験から一人で生きて行く事を考えたからなのかもしれない。子供は全体的に落ち着きが無いが、親はその子の行動を見て判断して、教えて行くと良いと思うし、学校でも先生は別な見方で見る事によって新たな指導方法が出来るのではないかとも思う。
2014.09.11
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私は平均とか均等と言う言葉は、あまり好きではない。人間は弱点もあり得手不得手もがあるもので、それで人間らしさを強調できるものだと思っている。特に私のような性格の人間は、他人が何かの事で騒ぐと意外と冷たい目で、その行動を見て、自分では「何をそんなに騒ぐか」と思ってしまう部分が多い。皆が、新製品が出ると行列を作って、盛り上がるが、それも私は嫌いで、その製品以外を使う事が多い。言うなれば、天邪鬼なのである。だが、これも必要な事である。人はその様に騒ぐ事によって、偏りがちな発想に陥る傾向が出ると私は思うのである。偏った発想で、違う部分を人は見過ごしてしまう。その見過ごしが、後から問題点として出て来る事が多い。何処の国でもそうであるが、皆が騒ぐと、それに乗りたがるのが人間の心理であろう。だが、別な角度から見ていた人間が、新たな発想を生み出し成功する人もいるのである。その人は群集心理とは、かけ離れた部分を持っているからだと私は思っているし、それは必要な事であると思う。だが、今の教育は平均的に出来る事を望む事を、教える事に重点を置いた教育体制であり、家庭でもそれを望む傾向がある。受験でも平均して点数を取らなければ合格しない。一つの科目がずば抜けていても、他の科目が悪ければ不合格になる。それが日本の教育体制であり、日本の基準なのであるがこれからは、その様な事では日本は伸びないのではないかと思う。少子化が騒がれて時間も多くを過ぎたが、教育体制は変わらず平均的を基準に学校も家庭でも考えている。これからは個人の得意分野(教育)を伸ばし、それに特化した上級学校の体制を取らなければ、日本の特徴を出せなくなるような気がするし、それによって子供たちの、やる気を出す事が重要な事であると私は思う。人は得手不得手があるように、得手の部分を考えて、そこを伸ばすその事によって新たな発想も生まれると思っているし、それを延ばす特化した学校教育を考える時期に来たと思える。平均的に勉強させる時代は過ぎ、新たな時代を考える事が必要だと思うが、この考え方は今の教育体制の時代に逆らっているので受け入れる事はないであろう。家庭も学校側も良い学校に進学、それは平均的に科目が出来る事が条件になるから、子供の得意分野等が、ないがしろにして行われている。少子化が進むと、学校も多くが経営困難になり、廃校になる事は先行きは分かっている。そうなれば特化した学校を作らなければ、学校も生き残れないし子供も自由に選択が出来ない。これからは一流校に進学を考えるのではなく、子供の得意分野を伸ばす、教育体制を考えて行く時期に来たと私は思う。この考え方には反発も来るであろうが、そうしなければ新たな人材は育たないように思う。
2014.09.10
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最近は自分が頭デッカチなりがちである。それは色々やりたいが、行動が伴わない。若い頃なら体力的にも行動力もあったが最近の自分は1つやると、自分の体が疲れを感じ始めた。悔しい、でも頭の中では色々な発想が飛び交う。元々計画案など作成するのが好きであったし、それなりに認められて多数の案件を行って来た。ODAも省庁公認の案件もと、案件は通って実行したがそれは若い頃である。ただ、私の場合の発想は逆境に対しての考え方が強い。一般的な考え方で案件を発想しても面白みが無いからである。一般の方が批判的な部分や、窮地の部分で何かできないかを考えるのである。これは私の少年時代の生い立ちから来ているのであろう。少年時代は裕福ではなかったし、色々な経験をして来たから反骨的な所が育ってしまった部分が多いと思う。だが、それが社会に出て生きた部分が大きい。それが自分の発想を生み、人の苦しみが分かったと思うが若い頃は、その様に考えないで「負けたくない」が先行していた。その「負けたくない」が自分を夢中にさせて色々な発想を生み出したのであろう。だからイジメられたら、その返礼は行う。それは仕事でも出ていた、仕事で失敗して叱られると仕事で返していた自分が居たし、それによって相手より仕事が出来る自分を見せつけたかったのであろう。だが人を教える経験をして、自分の欠点も見つける事が出来た。返礼だけでは他人は納得しないし、自分を認めさせる事が出来ない自分は対人間として行動をして居なかった。仕事しか考えないで自分は行動していたのである。それは相手の感情を考える余裕が無い、ロボット的な人間であった。それが日本の経済を発展させる為に、多くの人間がその様な行動を取って来て、日本の経済は世界でも通用する部分を作り上げ、そして世界の途上国に貢献したが、そこには国としての驕りも出て来た事があったと思う。同様に私自身も、それに乗っかった一部分の人間である。だが、そこには驕りが先行して人間性の何かを忘れさせた部分もある事を最近感じ取って来た。その部分は人間としての基本的な事を教える事を忘れたように思う。確かに災害などで「思いやり」「絆」などと言われるが日常生活でそれを教えているかと言えば、それは殆ど見受けられない。これは私たち団塊の世代が子供たちに教えなかった責任が大きい。働き、それが生活を豊かにする。お金が先行して、心の豊かさを教えて来なかった為に核家族化が進み、高齢者の一人暮らしが多くなって来たが今からでは遅きに、いたりの時代背景になりつつある。
2014.09.09
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最近の自分の体力の衰えを考えてしまう。これだけ年齢を重ねると当たり前であるが、気持ち的には悔しさまあるし、心が挫けそうになる。私の性格は行動が先で、考えが後に付いてくるのであるが最近のSNS関連を見ていると、苦痛を感じだした。それは批判的な文言を書く人、近況を書く人、風景や料理などを書く人たちが多く居る。近況や風景等は楽しく見れるのであるが、批判的文言を書く人はそればかりの傾向が強い。私もその一人である事も反省しながら、今回は書いている。同一事項(批判的)を書くのも良いが、他人の事項を拡散しているのは私には納得行かない部分が大きい。私は自分の経験した事を書くようにしている。それは自分が経験しているのだから、自分なりの批評も批判も出来る。他の人が書いた場合は、私も同じような経験をしたなら拡散も行う。だが私の性格だと、他の人が批評して居た場合には自分も経験かその批評の場所に行って、この目で見て見たいと思う気持ちが先に立って来る。これが私の性格の悪い所であると自分では考えているがこの性格は治らない。原発事故での批評も分かるが、事故を受けた当事者との会話をして自分の目で見て聞いて、それから私は批判を始めたいと思っている。書く事や発する言葉は、何とでも言えるし好きなように文章になる。だがそれは空論に近い物になりがちで、自己中心的な考えになる事が多いと思うのである。不言実行、有言実行は、私は好きであるし、机上の空論には私は反発するタイプなので、最近のSNS関連は、それが多くなって来た。これは逆に言えば、逆手にとって選挙などの誘導にも使えるがそれに惑わされる事がないように、自分でも気を付けようと思っている。ただ、最初に書いたように体力的な問題は解決できない悔しさが最近感じて、自分に歯がゆい思いをしている。これだけは考えても人間の性で、どうする事も出来ないし私は1月生まれなので、歳が変わると直ぐに年齢が増える。こんな愚痴を言ってもしょうがないが、それでも夢は追い続けたい。
2014.09.08
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今回、スマホが2年近くになり、機種変更を考えて携帯のお店に行った。現在のスマホは電池の消耗が早く、修理も2回ほど出している。また、つながりも悪く機能的に問題が多いような気がする。まず、基本的に電池が1日持たない。これは致命的である。私は被災地などに行くので、SNS通信を使うので消耗度が早いそれは分かるが、最終的に電池切れを起こす事になる。それで今回変更をしようと思い販売店に相談に行ったら「みまもり携帯」なるものを薦められた。自分としてはショックであった。それを使う様に見えたのかと思うのと、それだけ自分が年齢が行ったのだと思う気持ちが交差していた。確かに年齢ではあるが、私はまだ、やりたい事が沢山ある。まず、今の地域の高齢者と障害者のお手伝いと被災地に行くのも続けたいと思っている。高齢者と障害者の方たちとは、社協も信頼してくれているのでうまく行っているし、被災地も3年に以上行っているのでそれなりに色々頼まれる事が多い。被災地に関しては、私は今後は福島を考えている。それも原発事故の近くの町村のお手伝いを行いたいと思っているが交通の面や受け入れの面など、今調査して、今後はそちらに向いていきたいとおもっているのである。そんな気持ちでいるのに「みまもり携帯」は無いだろうと思ってしまうが、他の人から見ると、そう見えるのであろう。「みまもり携帯」に関しては、私の住んでいる上の高齢者の方に使って頂こうと思っている。今後はこの様な「みまもり携帯」等の機器を簡単に活用して行かなければならない時代に入りつつあるし、それの活用方法も考えて行かなければならない。みまもり携帯の使い勝手は、どの様な物かを使って貰い改善点などを提案しながら、今後の地域のお手伝いに活用できると思って、自分も同じような年齢になるのだと諦めている今日この頃である。
2014.09.06
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災害調査の後に、近所の数名の高齢者の方と話をした。あの東日本大震災の時の揺れは、私の今住んでいる所は家具が倒れるほどではなかったとの事であった。私の場合は図書館に居て、本棚から本が崩れおちていたので表に出た時に、近くのマンションから出て来た女性が恐怖で怯えていた。その時も余震で道路が揺れている状態で、その人が私に話しかけて来たので、大きな建物と電信柱等の近辺には近づかないで、大きな広場に行くように言った覚えがある。東京でも地域のよって揺れ方も違っていたようだ。地盤のしっかりしている所は、それなりに揺れは少ないがその分自覚が薄い部分が出て来ているように思えた。今回、町内会の防災訓練にも行ってみたのであるが自分の住んでいる住民の方は少なく、殆ど来ていない状態である。団地は高齢者も多いので、それも原因であろうと思うが同時に東日本の揺れによって、それ程の被害が無くて関心が薄れている部分もあると思える。これで首都直下型の地震が来たら、何処まで対処出来るか心配になる。今、高齢者で障害のある方のお手伝いも行っているが、その人たちは無事に逃げられるかと言えば、きっと路頭に迷うであろう。私が近ければ行けるかもしれないが、ある程度離れているのでそれは無理である事は分かる。この様に高齢者が多くなった首都圏では、被災は大きくなる事が予想されるし、今の行政が想定している数より多くの死者が出るであろう。そう考えると災害に対する意識を高齢者の方に伝えなければと思うが高齢者の方が言う言葉は「後は行く所はきまっているから」である。確かに自分も高齢であるから、その様に考えてしまう部分は分かる。私も今後被災地にお手伝いに行くのは、南三陸(2年以上行った)でなく原発事故の近郊の町に行こうと思っている。私自身は高齢であるから、皆さんが言う言葉と同じ思いが部分的にあるからで、若者はこれからの日本と復興に力を入れてほしいそれなら、その道筋だけでも、お手伝いして置こうと思っている。現実問題として、私は被災地の惨状を見て知っているから言えるが私の住んでいる所の方たちは見ていないので(報道では見ているが)もし震災が起きたら、パニック状態であるし、どれだけ避難訓練が役に立つかは分からない(訓練は必要である)震災が起きたら自己が中心に考えてしまうのが人間の本能であろう。それを考えると皆さんにどれだけ伝えるべきかも、考えながら災害調査を行うべきであると感じた。人間は起きてから感じる動物だと私は思っているので、その時にどれだけ冷静な行動が出来るかが、その人も運命を変える事になると思っている。
2014.09.04
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今回某大学の首都圏直下地震に関しての調査の関連に参加したのですがその面で色々考えさせられる事がありました。私も被災地に3年以上、お手伝いに行っているのですがあの悲惨な光景は忘れられません。同時に経験された方の心の傷は、今も癒されることなくむしろ悪化している状況も目にします。また、同時に復興は一向に進んで居ないのが現状です。その様な事も考えながら、今回の調査に参加したのですが丁度、防災の日に重なっていたので、各町会が集まり防災訓練を行っていた状況も見ましたが、町会ごとに意識が違う事も感じられました。ある町会は役割分担をはっきりさせて係りごとの腕章をしていたりその様な事も無く、ただ集まっているだけの町会等さまざまでした。これは私の住んでいる近郊の高齢化が進んでいるのと町会ごとの会長や世話役の意識の違いがあるからでしょう。同時に若い人が日曜日であったのですが、居ませんでした。災害時には若い人たちの力が大切に思うのですが、それが見受けられない事は、もし現実に大災害が起きたら現状の考え方では対処できない事でしょう。また、集合する方も少なく、災害に対する意識の薄さを感じ果たして災害が起きた場合、どの様な現象が起きるのかと想像したら、今、マスコミなどで言われている状況よりもっと大きな数値で死者が出るでしょう。人は災害が起きてからでなければ、現実を感じないのでしょう。私も被災地の悲惨な光景を幾度も見ましたが、経験していない部分で被災した人たちの心の底までは入って行けません。人間は経験から学ぶのでしょうが、だが自然災害は、何時起こるか分かりません。それに対する対応は必要でしょうし、対策も考えなければならないのですが殆どの人達は、今がと言う考え方のように感じました。また調査でネットでの意見でも、自治会の機能してない所や自治会の役目が重要だと言う意見など様々言われましたが一番問題を感じたのは高齢化時代で、高齢者が多いのと首都程、高齢者の一人暮らしが多い事が、災害が起きた場合の対処方法を考えて行かなければならない、大きな問題と感じました。今、私は高齢者や障害のある方の、お手伝いもしていますが災害が起きた場合、近隣の方しか助ける事が出来ません。それを考えると、今日本で掛けている(特に首都)会話のない社会を減らす事も大切に感じます。前回のシュミレーションアプリ(東京大学が開発した)を添付しましたが、あれは自分の住んでいる所が地震なども災害が起きた場合火災や揺れ方、火事等を想定できますから、使ってみて下さい。同時に拡散しても良いとの了解を得てますので、拡散もお願い致します。
2014.09.02
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