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前にも書いたが日本の民主主義は、民衆の力で勝ち取ったものではない。あくまでも武士社会の改革にしか過ぎないのである。今の選挙も同様で、2世、3世議員が受け継いでいる。昔の藩政と同じで、若殿が跡目を引き継ぐのと同じ事を現代社会で行っているのである。これで民主主義であると言えるのだろうか、民衆の声を反映させられるのであろうか、私には疑問である。この人たちを、利権がらみで擁立する側にも責任があるし、利権で動くのが政治の社会なのであろう。元来、政治とは、金の動きであり、金でどうにでもなる部分が多すぎるため、政治家も大企業の資金を当てにしているし大企業の言いなりに成っている。これは武家時代から変わっていない。昔も最終的に富豪商家からの、お金で政治をおこなって来た。各藩も富豪商家からの借金で藩を成り立たせていたのは誰が考えても分かる事である。上記の状況で日本の政治が行われて来たのであるから、政治に関して改革の期待が持てないのは分かる部分はある。しかし政治によって、大きく動かされるのは国民である事を日本人は考えるべきなのではないかと思う。日本人は自分の意思を表現するのが下手であるし、それが出来ない風土を自分たちで作り上げて来た。それが内部告発者は裏切り者扱いする風土が、日本には根強い。これで多くの人が消えて行ったであろうことは、日本人は分かっているが、自分たちに影響が無ければ、助けようともしないし、逆に村八分にする傾向が強い。この事によって改革されるはずの事が、かき消されてしまい新たな事に立ち向かった者が、悪者にされてしまう傾向は日本の会社の中にもあるし、その悪者にされた人を言い分が正しいのであるが、内部告発者のレッテルを張られると周りも知らんぷりをする事は、経験した人が多いであろう。このように企業が押した候補者には投票する事が自然の成り行きになっているのが日本の選挙である。このような選挙で選ばれた人は、国民の為に考える政治ではなく大企業やその利権に絡む人たちの政治を行う。今の政治は、そのものズバリである。国民の声など聞いてはいない、大企業オンリーの政治体制である。前の「変な奴2」書いたが、大企業や大手ゼネコンは各省庁に自社の社員を無償で送り込んで居るのが現実である。完全なる官僚との癒着であり、政治家もそれを知りながら素知らぬ振りをして、企業から政治資金を貰い、公共事業を出している。これらはマスコミも知っている。それを騒がないし、それが当たり前になっているのが日本の政治なのである。
2014.05.31
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今やSNSによって、政治問題が取りざたされているが、これも良い面と悪い面が出て来ていると思う。良い面としては、政治に関心を持つ人が増えたと言う事同時に色んなニュースが多方面から流される。今まで分からなかった事も、情報として入って来る。悪い面は顔が見えないから、好き勝手な事を書く人も出てくる。(自分も、その一人かもしれない)同時に中年層から若年層には情報は入るが、高齢者には入らないと言う面が出てくる。悪い面で高齢者に入らないと言う事は、選挙の投票率が高い、高齢者には情報が伝わらない部分が出てくる。ただし、私も最近に経験したのであるが、高齢者ほど選挙に行くが選挙に関心が無い人が多い。選挙に関心が無いのではないであろうが、諦めている部分が見受けられる。私も高齢者の部類であるが、新たな事をやろうとしたら相手からの答えは「私たちの行く先は決まっているから、無駄な事はしたくない」と返って来た。これは日本人の政治に対する考え方の典型的なものと繋がる。「やっても同じ、やるだけ無駄」、そこには諦めしかない。この人たちが、今までの政治家を支えて来たのである。この考え方が、今の政治体制を作って来た部分がある。私自身も20年以上前には、政治家ほど信用の出来ない連中は居ないと思っていたし、誰に入れても同じという考え方をしていた。そこには「諦め」があったと思う。だが海外に行ったりしていると、日本人の政治に対する考え方が何か諸外国と違う部分が見えて来た。日本人の美徳と言われる、大人しさ、謙虚さが、別な意味で愚かさに見えたのである。確かに「大人しさ」「謙虚さ」は外国人から見ると優しさに見える事は間違いない。だが、そこには日本人の「諦め」があるのではないかと思う。その「諦め」は、悪く言うと投げやりであり、どうせ自分たちが意見を言っても反対されるだけ、それなら言わない方が良い。このように私は見えた部分がある。前にも書いたが「封建継続民主主義」が日本であるとそこには根底から封建制度から抜けきらない日本人が存在する。諦めは投げやりであり、「お上」に逆らっても徳はない。それなら何も言わない方が良いし、「お上」に任せればよい。これが日本人の根底にあるのではないかと思う。
2014.05.30
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再度、書き始めるが日本人と政治に関してである。最近の政治は国民の意思を尊重した政治でないように思う。政治家自身が政治を分かって、政治家を行っているのかと思う部分が多い。政治とは国民のあっての祭りごとである。それが対外国に対しての政治化になっていて、国民に対しては、国内問題は秘密、同時に対外国問題も秘密の状態が続いているように思える。対外国問題は、ある程度の秘密事項はやもえないであろう。だが、国民の生活に関わる問題も、政府は秘密にしてしまい、最後は曖昧にして終わってしまう。これはマスコミにも責任があるが、基本的には政治家の責任である。政治家は誰に選ばれて政治家に成ったのか、国民の声を伝える為に政治家に成ったのであろう。政治は日本を反映させるためであり、対外的にも認めさせるために行うものであろう。私は政治家も最初に立候補の時は、それなりの理想を持っていたと思う。だが当選すると、数の理論と党内の力関係に負けて、最初に志したものは消え去ってしまうのだと思う。これは会社関係でも同じである。組織は力関係で成り立つ、私も経験したが力が無ければ、良い企画を出しても通らないし、下手をすれば力のある奴にその企画を持って行かれてしまう。私はそれが嫌で、仕事では上に立つ事を考えて行った。そうしなければ、自分の意思が通せないし、企画も実行出来ない。だから、下剋上の問題もあって、仕事では上を蹴落とした事もあったがそれは自分個人としては、気分の良い物ではなかった。ただし、下の者には無理を言わなかったのが、まだ救いであったかもただ、上にはたてを突くタイプだったので、ある程度までしか登れなかった。それと同じで政治家も最終的に国会に出ると、古参の言う事を聞かなければ次の選挙を公認されないし、お金も出ない事に成り、組織の一員となってしまうのかもしれないが、幾度か当選すると前例の人間関係を受け継ぐので初心は忘れて、組織の改革など出来ずに、今までと同じ事を繰り返すのであろう。だが、現在の政治家たちの不甲斐なさは目に余る。同時に政府から要請される委員会なる物も、国民に対する誤魔化しにしか見えない。自分たちの、ごり押し出来る人材を選択して委員会を作り、政府の圧力で動かしているのが現実であろう。そこには利権が渦巻いているのが現実であろう。それを変える事は難しい、でも変えなければ日本の政治は陳腐化するであろう。
2014.05.29
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7.ネットを使う為に、色々な問題点が出てくる。それに対する管理体制の確立を、どの様にセキュリティを行うか。8.地方を主体として考えてシステムを構築するので、地方での人材の確保と施設の使用が出来るか。9.8に関連するが行政が絡むと制約が多くなるのと、規制が厳しいその厳しさを回避しなければならないのと、簡単には公共関連の施設および設備は使う事は難しい。10.基本的には勉学を志す若者を育てるのであるが、協賛してくれる人たちが、どれだけいるかが最大の問題である。大雑把な問題点を書きだしたが、これにはもっと複雑な問題点が絡んでいる。そこまで書きだすと、計画案となるので書かないが、志としては、Eラーニングシステムの構築を行い、若者を育てる事が主体である。まずは被災地の若者から行っていきたい。これで勉強を行って、被災地の復興を考えて貰いたいと思う。 ただ、これはあくまでも私個人の願いであるので、このシステムで勉強して進学し、次に故郷に帰らなくても、それは、それとして良いと思う。ただ、被災地の子は、あの大震災を経験しているのであるから必ずや、その経験を何処に居ても生かせると思う。また、別な部分で故郷の復興を行う事も考えるであろう。故郷に残った子は、それなりに復興を考えて行く事も出来る。基本的には学んで自分たちの経験を生かす事を望むだけである。このシステムは地方を主体に伸ばしたい。地方の過疎と高齢化で地方は、これからは生きずまるであろう。政府も行政も赤字が増えれば、地方にしわ寄せが来る事は分かっていながらも、圧縮するのは地方を最初に行うであろうし、それによって、貧困の格差が大きくなる事ははっきりしている。そうなれば、私たちが経験した、学びたくても学べない子供たちが出てくるだろう。私はその子たちが学ぶ場所を、これからは考えて、地方の発展に少しでも考えてくれる子が出てくる事を望む。その子たちが地方を救う事が出来るかもしれないが、それは、あくまでも理想であるが、学びたくても、貧しくて学べない苦しみは味わってほしくないしもし、その子たちが親の住んでいる所に残って行けば別な部分で地方に貢献できると思う。確かに理想論であるが、Eラーニングに関してはシステムの構築は可能であるし、今、地方は、これを利用すべきである。私は構築した実績もあるので、計画案だけは作成したい。私の年齢では第一線に立つ事は出来ないので、誰かにこの案件を引き継ぎたいし、その引き継いだ人がシステムを構築してほしい。あくまでも私は、今までの経験を伝えて行きたいだけであり自分は表には出たくない。計画案は引く継いだ人の名前でシステム構築を願う。計画案は先に書いた問題点も考慮して作成するし、対策案を二重に考えて行っていくつもりである。何か、自分なりに悟ったような事を書いているが、私たちの時代は終わって、若い力の時代であると思うから私が出来る事は、自分の経験を伝えて行くだけだと思っている。これが、私がやりたい事である。それと国際的に使われているEラーニングの名前は「MOODLE」で非営利なら使えるし、日本の多くの大学が使っている。検索すると出てくるので、見て下さい。
2014.05.27
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計画案を作成する上で、メリットとデメリットは付き物です。メリットに関して問題はないのですが、デメリットに関しては必ず対策案を作成しなければ、納得して貰えない部分が出て来ます。私は計画案を作成する場合は、必ずデメリット部分を書きます。これは相手を納得させるのと、その計画が実行された場合に問題対処が出来るからです。メリットに関しては、もし計画案を相手に説明した場合は相手も納得して貰えます。だがデメリットは相手に対処方法を説明しなければ納得して貰えないのが当たり前です。だから、私は計画案を作成する場合はデメリットを優先して考える事にしているのです。デメリットは計画が実行された場合、問題点が出てくる事を想定しなければなりません。何事も、そうですが良い計画だと思っていても、問題点が出て来ます。その問題点を解決しなければ、計画自体が沈んでしまいます。だから私はデメリットが、どれだけあるかを考えて計画をするのです。私はシステム屋なので、システムのマニュアルを作った事もありますが私のマニュアルは問題が起きた場合を主に書きます。ただ、その問題も想定外の事が起きる事が多いですが。その様な事を充分に考えてから、計画案を作成しますがだが、必ず問題は置きます。これは私の経験範囲内でのデメリットの考え方だからです。では、今回の計画の問題点は、何か?1.サーバーの確保と運営できる状況、同時に運営人材の確保。2.使う側は個人で行う為に、実行速度が遅い。今回のEラーニングは、PCを使った教育を主体としますので、これに関しては、個人で行う事によって本人の自覚が無ければただの遊びに成りかねない。3.教育問題作成や教育環境を、どの様に行うか、あくまでも都市部との格差をなくして、それなりの教育体制を整える事が出来るか。4.最初は実施する学校なり施設を単体化なので、管理体制は少なくて済むが、ある程度に広がった場合は運営体制が整えるか。5.運営管理費と実行管理費の捻出が出来るかもあるし、教育問題作成に掛かる費用などの資金面。システム自体は国際的に使われているものを使用するので問題はないがサーバーなどや問題を作成する場合には、それなりの資金が必要である。6.このシステムを利用してのメリットが、どの程度あるかを査定する。これは教育自体をコンピュータで行う事に、私自身は反対の考え方を持っている。教育とは人間の愛情があって、教育と思っているし、互いに向かい合って教えて貰う事により、理解しあえるのが教育と思っているからただ日本の現状教育は、「覚えろ」が主体で進学をする為の教育体制なので私は真の教育では無いと思っている。本当の教育は人と人の触れ合いから生まれ出て来て、初めて教育と言える。7番目以降は、次に書きます。
2014.05.26
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理想論では、誰しもが考える事なので、これを読んでくれた方はお前は馬鹿かと思っているでしょう。私自身も馬鹿だと思います。それは、さておき私は被災地にボランティアに行っていて初期の頃は色々なお手伝いをしました。私の専門職なのでPC関係には、色々な人たちに頼まれて設定なども行ってきました。ただ、ある程度の高齢化の方たちが多い状況でした。これは、今や地方の高齢化は激しい状況ですし、私の住んでいる東京でも同様の状態ですが、高齢者もPCをやって行かなければならないのが現実社会なのです。だから、被災者の方たちもPCをやるように成って行かなければならない為に、それに染まって行っています。だが、それには限度があります。今からでは、PCの利用頻度は限られるし、それを有効に使うのは難しい事であります。そこで私は若者を対象に考えたいと思ったのです。私の良く行く被災地の高校に情報科があるのでその子たちを育てて、町の復興に役立ってほしいと思いました。被災地の子供たちは、高校に通っても実家からしか通えません。それならEラーニングシステムを構築して、都市部との教育体制と同じ教育を受けて、町の復興に尽力してほしいと思いました。また、勉強したくても被災によって、家を助けなければならない子供たちも出てくるでしょう。その子たちは自分が勉強したくても、貧しさから家を助ける事になるのが現状のように思います。私も家が貧しかったので、勉強したくても出来ない部分を経験しています。それは自分の能力を出しきる事も、家を助ける事も出来ないのです。そんな経験を被災地の子にはして貰いたくありません。そこで情報科のある高校を利用して、Eラーニングの構築を考えました。Eラーニングに関しては、私はアルゼンチンで構築した経験があります。営利も目的でなら、資金があれば構築は可能ですが、アルゼンチンの場合もそうでしたが、資金が無いので構築できるのか私自身不安を感じていましたが、国際的に使われているEラーニングシステムを探す事が出来て、構築に漕ぎ着けました。そのシステムは日本でも多くの大学が使っています。それだけ実績もあり、非営利ならEラーニングに使う事が出来るのです。私は、そのシステムで構築を考えて、町長に話したのですが情報科のある高校は公立なので、町は関与する事が出来ないとの返事が返ってきました。そこで諦めるわけにはいかないので、違う方法を考えて行動しようと思って計画を作成する事にしました。
2014.05.24
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私は幾度か被災地に足を運んでいる。ボランティアとして行っているが、ボランティアと言うよりも友達感覚に成りつつある。私自身は2回ほど海外にもボランティアとして行っていた経験があるし自分なりにも30年前にボランティアとして、車いすの方にPCを教えた事もあった。私は基本的にはボランティアとは思っていない。自分なりの経験を伝えているだけであり、相手が喜んで貰う事に自分なりの満足感を抱いている。今までは被災地に対してであるが、今、私が感じるのは被災地の復興である。被災地の復興に関しては、自治体なども力を入れているがそれは、あくまでも行政として行って、町の現状回復を基本にしている。確かに、それも大切な事であるが、私が考えているのは高齢化した現状では復興にも限度があるように思う。私は将来的な観点から、若者を育てる事が大切な事であると思っている。災害を経験した地元の若者は、自分たちの力で町を復興させて行くそれが理想であると思う。そこで若者を育てるためのEラーニングシステムを構築したい。地元の高校生を都市部と同じような教育体制を行うための構築を考えた。地方では勉強にも都市部と違った部分でハンデがある。そのハンデを解消するために、Eラーニングを構築してハンデの解消を行い、あの大災害を経験した若者が町の復興に力を入れるように勉学してほしい。これは理想論であると思うし、私もそこには問題点が出てくると思う。問題点はEラーニングを構築して、勉強が進んで進学して子供たちが町に戻るかと言えば、戻らない子も多いであろう。それは町が復興しなければ、就職先も無いであろうし生活も出来ないであろう。だが、私たちが助けても、そこには限度もあるし、震災の経験もしていないので、あの大震災の恐ろしさも震災前の町も分かって居ない。その私たちが復興のお手伝いをするのは限りがある。私は、あの大震災を経験した子供たちが復興の担い手に成って貰いたいし、なるべきであると思う。自分たちの実家があったのだから、彼たちの力が自分たちの経験した苦しみを思い返して、自分たちなりの新しい町を作り上げてほしい。ここまでは理想論であるが、それを現実論に持って行きたい。次にどの様にして行くかを書く。
2014.05.22
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人間には「運」と言うものが付いて歩くのかと思う時がある。また「運」に左右される事もあり、それによって人は好転や苦しみを味わうものなのかも知れない。そんな事を考える歳に成って来た私なのであろう。確かに私自身の生きて来た道は、波乱万丈であったと思うがその生きざまが、今までの私を助けてくれた部分が大きい。人は、それぞれに生きざまは違っているが、違っているからこそ、他人から学ぶべき事が多くある。私は運の良かったのは、成人に達した以降である。それは日本のコンピュータの初期の頃からその仕事に携わった事にある。本来の私は経理の仕事をしていたが、会社がコンピュータを導入する事に成り、私が、その担当に抜擢された事から始まったのである。その頃のコンピュータに対する考え方は、「何でも出来る万能な機械」のイメージであった。私はコンピュータの「コ」の字も知らないで担当となったのである。そんな人間がコンピュータを始めたのであるから、0からの始まりと同じであった。そんな人間がコンピュータに携わる事は、他人の数倍の努力が必要であったし、自分自身を甘やかしては居られないと思っていた。そこで生きたのが、私の少年時代の経験であった。幾度か書いたが、その経験が生きたのと、最先端の技術が勉強できる事が、私を叱咤激励したのである。その叱咤激励が自分を、コンピュータにのめり込ませて行った。ただ、知っている人の数倍の努力をしなければ出来なかったので自分自身を鼓舞して、自分なりに言い聞かせて行動して来た。コンピュータに出会えたのも「運」であろうと思うしその「運」を生かすのも自分である事は間違っていないと思う。そこで自分の受けた「運」を、今度は誰かに渡して行く役目が今の自分だと思っている。私は学びたかったが、貧しさの中で学ぶ難しさを経験した。これからの日本は貧困の格差が大きく広がるであろう。そうなれば、私が経験したような人たちが多く出ると思う。私たちは高度成長期を働き、その成長期を作り上げて来たのであるがその成長期も陰り、今や、これからの日本の先は問題が多き時代に突入しつつあると感じるのである。こんな事を書いたら左翼と言われそうであるが、今の政治家や官僚では日本は破滅の的な方向に向かっていると思う。元来、私は官僚と政治家を信じていないし、信じる事が間違っていると思っているタイプなので、自分なりに切り開かない限り物事は進まないと思っているが、日本の国は官僚で動いているので私みたいなタイプははみ出してしまうが、それでも官僚たちを利用しなければならないので、私のこれからやりたい事を計画案を作成しようと思っている。次回に計画案を書いてみよう。私のそれなりの「運」がまだ残って居れば、誰かが引きついでくれるかも?
2014.05.21
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私は40数年、コンピュータにと付き合って来た。私がコンピュータを始めた頃は、日本語は開発されていなくカタカナを使用していた時代であった。そんな時代から、コンピュータのシステム開発を行って来たがある時期から、私はコンピュータ不審に陥った。それは、このままコンピュータが発展すると、人間不信になりかねないと思ったのである。私もコンピュータの発展の1部分を担って来た自負はあるがコンピュータは万能だとは思っていない。確かにコンピュータは計算能力や自動制御などに、多くの実績を残して来た。コンピュータの発展とともに、色々な機器が人間社会を助けたがそこには隠れた部分で人間社会の構造を壊して来た部分があると私は思っている。コンピュータは便利さから、人間が重宝がって使う事によって人間の良さが損なわれて行っていると思うのである。今や家庭で使われる製品にコンピュータが使われていない物は少なくなったし、それを使う事によって人間が楽になって来たからさらに追い求めて、コンピュータを使うように成って来た。そこに問題が出て来ている。そこには対人間同士のコミュニケーションが薄れて来た部分がある。また、便利さにより人間が思考関係も変わって来たと思う。私もそうであるが、漢字を書けない。前は覚えていたが、今はコンピュータで文章を書くので漢字を忘れている。これは人間の思考能力を低下させているのではないかと思う。だが、一般社会では、それを考えないで、どんどんコンピュータを使用しているし、教育現場にも導入している。同時にネット社会に成り、人間はそれに慣れ親しんで来た為に抜けられない状態に陥っている。この現状を考えて行かなければ、人間社会の一部分が崩壊しかねない。具体的に言うと、ネット社会により人間同士の会話が少なくなり交流がネット化されて、そこに別な部分の人間不信が生まれかねない。同時に人間愛の変化、人間同士は向かい合って会話する事によって理解し合うものだと思う。それは顔と顔が見えて、相手の感情が肌で感じるから分かりあえたりする。だが、ネットなどでは、書かれた文章で会話する事に成る。そこには相手の顔が見えないから、嘘を書いても良いし何を書いても良い部分が出て来てしまう。確かに、それなりのマナーを持って使えば問題はないが、人間の本能的なもので、それを保てる人ばかりではない事は皆さんが良く知っている。私は長い間コンピュータに携わって来たが、今の自分に掛けているものが対人間に対しての、表現の下手さであると思っている。このように書いたのは、もう一度人間対人間を見直すべきである事同時にコンピュータを道具として考え、あくまでも一つのツールとして考えるべきであり、それを、これからの子供たちに教えるべきであると思うからである。
2014.05.20
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最近はSNSの進歩で、色んな情報も飛び交うように成って来た。これは良い部分と悪い部分も交差する事に成るのは、誰でもわかると思う。良い部分としては、自分の知らない情報が入りやすくなってきた。それによって自分なりの判断が出来る。 次に悪い部分であるが、迷惑メールや不要ない広告が飛び交う。これは何時の時代でも、そうであるが利用する人のモラルの問題である。私も一時期、迷惑メールが1日100件近く来る。私の性格であるから、その様な行為が許す事が出来ないので対策を自分なりに行った、しばらくの間は1通も来なくなった。それまでの迷惑メールはアダルト系であった。だが最近、またもや迷惑メールが違う形の物が来るようになった。単体の仕事や、金儲けのメールである。ただし、これは数としては多くは無いが、発信先が、海外が殆どであるのとメールアドレスが私のアドレスでは無いのである。これに対して、アダルト系の迷惑メール対処方法で処理を行おうとしたが相手に返信しても、相手側が受け付けない。同時にブロバイダー側から“送信できません”と帰って来る。今後は、このメールに対する対策方法を考えるて行く事に成るが第一段階は分かったが、アドレスが違っても来るのを解明したいと思っている。このようにSNSの発展とともに、顔の見えない事を良い事に他人に迷惑を掛ける輩が増えて来た。個人的に対処するには限度もあるし、それだけの知識を持つ人も少ないので、ブロバイダー側も対処方法を明確にして行くべきである。もし、ブロバイダー側が対処しないのであれば、今や選挙などでもネットを使用しているのであるから、担当官庁が対処すべきである。それが出来なければ、高齢者がPCを習う事も多くなったので事件や詐取に巻き込まれる率が高くなる事は、目に見えて分かっている。顔が見えないで起きる問題点は、それなりの対処方法を確立しなければ安易に公共的な物をネット化する事を、考えて行わなければならないし規制して行かなければ、大きな問題が生じる事であろう。特に最近は高齢者のPC教室が多いが、ネット社会は、別な面で人間不信と人間の繋がりを壊す事を考えながら使用する事も教える事が大切である。
2014.05.18
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奴は「それで、胃の影はどうなったのだ?」「分からないけで、消えていたみたい、でも自分でも思った 62歳で無鉄砲な事をしたな、これだも、お前に変人扱いされるよなでも何かに向かって挑戦していたのは、若い頃からだからこれは一生治らないだろうな。」と、シミジミと言う自分が居た。「確かに、お前は小さい頃の苦労から、自分を見出した部分があるよな母親の事件から、自分なりに生きて行こうとした。それが、今のお前を作り上げたのだろう、また、色んな経験から人の痛みも分かるようになったし、自分を見つめ直す事も出来るようになったのかもしれないな。ただ、無鉄砲な所は変わらないし、お前は何時も何かに向かってないと気が済まないのだろうな。」と、珍しく嫌味でない事を言うのである。だが、それが終わらないうちに「お前は、挑戦するのは良いが、考えて行動しているのか?ママチャリの後に、またもやボランティアでアルゼンチンに短期で行ったよな。自分の身体を考えているのか、それとも貧乏性なのか分からないが動くのは良いが、慎重さが足りない、即考えると行動するがそれも、どうかと思うよ? 人間はある程度考えてから行動すべき、そうしなければ失敗も多いと思う。」と、またもや説教である。「私は行動する事に意義があると思う、失敗を恐れていたら何も出来ないし、失敗は自分を育てると思っている。失敗は自分で取り戻す事が出来るが、行動しないで諦めるよりは行動して自分が分かる方が良いとも思うのだ。同時に行動には失敗は着きもだと考えて、失敗したら軌道修正するそれが人間として成長するのでは?」奴は「お前ね、歳を考えて行動しろ、若い時は身体も動くし失敗も修正する事も早く出来るが、年齢とともに身体の動きが遅くなるし、ガタが来る。お前だって、ドミニカで、盲腸で死にぞこ成って、今度は大腸癌で死にぞこ成ったろう。人間は車と同じ、古くなると部品が摩耗して来る。車ならアッセンブルで部品交換できるが、人間は出来ない。摩耗したら、なるべき摩耗を少なくして使うものだよ」と言って来た。私も分かっているが、自分の性格なのか、何かに向かって居たいしそこから別な物を学びたいのである。この歳に成って、出世も金も考えていない。奴の言う通り、自分はブレーキに遊びが無い車なので急停車、急発進の繰り返しを行って来た。それで学んだ事も多くあるので、その経験が相手側の気持ちになれる部分も多くあったと思う。ただ、奴は私の別な分身であるから、言いたい事を言っている。「今回は疲れた、また今度会おう、お前の説教も分かるしそれを教訓にするよ、疲れたから帰るから」と言って私は去って来た。奴は何も言わずに、あっけに取られた顔をしていただけである。
2014.05.17
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あの時の自分の心境は、親父の癌での闘病も見ていたので、癌と自分で分かった時は、自分なりに死を覚悟していた。食欲も無くなり、血便も出ていた、後は死を待つだけかと感じ取っていたのである。それで倒れた時は、横行結腸が癌で塞がれ、便が出ないで出血だけ、食べた物は口から吐き出す始末に成って居た。結果的に割腹手術となったが、転移してなかった事を知らされた時は自分の考えていた死が遠ざかった事に安堵した。そんな事を思い出して「人間て、死を覚悟して助かると、命根性がきたなくなるのか、生きたいと思う気持ちが強くなるよな。」と自分の気持ちを素直に言った。奴は「お前は病院嫌いで、大病を患った事もなかってし、どちらかと言えば健康優良な人間だったから病院に行かなかったのだろう」「うん、それもあつたし、その頃は、癌は死を意味する風潮があったからな、同時に父も妹も癌を患ったから半分諦めもあったのかもしれないな」「だけど、癌の後に、健康診断で胃に影があると言われてお前は唐突もない事をやらかしたな、ママチャリで東京から北上して三陸海岸を通り、青森から南下して日本海を通って下関まで行ったよな。他の人から見ると変人だよ、それもママチャリも9,800円でスーパーで買って、家で使っていたやつだろう。どう考えても無理があるよな、誰もやらないよ、そんな事」とあきれた顔をして言って来た。「そうだな、健康診断で胃に影があると言われた時に、癌が転移したと思ったのだ。それで、それなら何かやって見ようと思いついたのが、ママチャリで日本を回ろうと思った。ママチャリで回っている人は少ないだろう。人がやってないから挑戦してみようと思ったのさ。」奴は「お前は変わっている、前からそうだが、人が騒ぐ物には興味を持たないよな、他人と違った物を持ちたがる傾向はあったがママチャリで日本を回ろうとは、馬鹿としか言いようがない。」変人を見るような目つきで言うのである。続けて「ママチャリじゃ、大変だろう、良く警察に止められなかったどう考えても普通の人はやらないし、考えもしないだろう。お前だから考えてのかもしれないが、峠やトンネルなども多いだろうに?」「確かに峠は沢山あったな、1時間から2時間、自転車を押して登った最初は辛かったが、慣れて来ると、ここを登れば下りだから楽できると思う事にして頑張った、また、昔の人は歩いて旅をしたのだから俺なんて自転車で楽しでいると、自分に言い聞かせながら走っていた。」「本当の馬鹿だな、お前は。 それで東京から山口県まで1都1府17県を回ったのだな、どのくらい日数で行ったのだ」「45日かな、出発したのが8月の初めで終わったのが9月中旬、本当は九州に行こうと思ったのだが、資金が続かなかったから山口の下関で帰って来た。」
2014.05.16
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奴は「それで、良くシステム設計が出来たな、こんな大雑把な奴になら俺だったらシステムは頼まないぞ」と言うのである。「確かに大雑把かもしれないが、仕事に対しては、別な部分が出て来るのだよ性格的には大雑把だから、あのハードな時代に身体も持った部分もあると思うよ。そうでなければ神経が参ってしまうよ、月250時間以上の残業をこなして、徹夜、徹夜の毎日を繰り返して居たら、自分で自分をコントロールしなければ、どうにもならなくなるよ。ましてや、その頃はコンピュータの成長期だから人手も足りない状態だから、そんな事が1年や2年でないのだから」と反論した。本当に、その頃はハードであった。建築関係の人なら、雨が降ると休めるが、私たちは室内で仕事をしているので休む事も出来ないし、特に納期近くに成ると徹夜は当たり前であった。奴は、それを知って居ながら言うから、私は腹が立つのである。奴は「お前は、ドミニカでは騙されたかも知れないが、4年間、仕事をしたのだから性格的に合って居たのかもしれないなそうでなければ、4年間は居ないだろう」と機嫌を取るように言うのである。「そうだな、俺の性格がいい加減な所が、ラテンに向いていたのかもこちらの連中は日本人からすれば、いい加減すぎる。時間はルーズだし、仕事より私生活の方が優先させるし、俺は最初の頃は、こいつらの頭の中は女の事しか考えていないのかと思ったくらい、女性に対しては豆だった。それを仕事に向ければ良いのにと思ったが、こちらでは日本的に考えたらとても生活出来ないと思った。それに気が付いたのは1年近く経ってからだったな、それでODAの案件通ったので、特例で4年に成ったのだ。今でもシニアでは、4年と言うのは最初で最後みたいだよ、同時にODA関連も同じ見たい」「でも、良く通ったな、お前の計画案、そこが不思議だよなこんないい加減な奴が計画したものを認めるとは?日本でもお前が計画した案件が、通産省でOKに成ったのだろう、こちらでも計画案が通ったと言う事は、お前は企画力があるのだな人は分からないものだな、俺からすると、いい加減な奴にしか見えないけど企画が通るとは世の中、狂ったかな?」と馬鹿にした言い方をして来た。「確かにな~、いい加減な所もあるよ、でも俺は何時も考えている仕事に入ったら最善の方法を見つけたいと思って観察するのだ。仕事場の人たちの行動や業務内容を見ている、何処かに改善点がないかこれを変えたらどうなるとかを考えているな。どうも私の癖なのかもしれないが、道を歩いていても何か使えるものがないかとか、これを、うまく使うと別な部分が生きるのではないか等、何時も何かを求める性格みたいと自分で感じる」と答えながら、私は電車に乗って外を見ていても何か使える事がないかとかを考える癖が、日本に居た頃からあった。それが自分では自然なのであるから、他人から見ると変人であろう。奴は「それでドミニカか・・、帰国してから大腸癌にもなったし良く生きていたよな、憎まれっ子、世の憚るとは、よく言ったものだお前は癌だと分かって居ながら、病院にも行かなかったよな。あの時は、お前の親父も癌で死んでいるから、あきらめて病院にも行かないで、死を覚悟していたのだろう。どうにもならなくなって、倒れてから病院に行ったよな。あの時は、お前は死を覚悟して、癌と分かって居ながら病院にも行かなかったのだと感じていた。」「確かに、あの時は癌と自分で分かっていたし、職場の人たちからも痩せすぎで何処か悪いのではないかと言われていた。自分なりに癌の兆候があったのも分かって居たのだ。でも人間、死ぬ時は1度だけだと思って、3か月近く病院にも行かなかった。病院に行っても癌と宣告されるのが嫌だったのかもしれないし怖かったのかもな。」
2014.05.15
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「そうだな、それは俺の仕事好きが目を覚ましてくれたのかも、日本のDOAの計画案の公募があって、ドミニカ共和国では20近くの部門で日本が援助していた。専門家、青年が殆どで、私たちのシニアは俺が第1号で他の部門で3名ほど来ていた。大使館からDOA案件の作成依頼が来たので、私の考えている事を案件として出した。どうせ、専門家の案件が優先されると思っていたし、俺たちは専門家の半分の給与であり、業務に使える資金等は10分の1程度だから、期待などして居なかった。それは赴任して1年目だった、その頃は騙されて、こんな国から早く帰りたいと思っていたな」と、シミジミとして答えた。「確かに、あの頃は、お前は今すぐにでも帰りたい気持ちを持っていたな。だけど良く我慢したな、それもドミニカの友達と家族が居た部分が大きいし、同時に専門家の一人と友達に成った事も良かった。彼が居たからもった部分もあるな」「うん、彼は多く中南米の国を回っていたので、習慣など知りつくして居た。だから、その国の状態や習慣などを教えてくれたし、ストレスの解消方法も彼から学んだな。彼の存在が、一番大きかったかもしれないな、残る気持ちに成ったのは」「そうだな、お前と、その専門家の友達は毎週末に成ると遊んで歩いていたな、カジノやディスコに繰り出していたな。それと最初に彼(専門家)に会った時の事を思い出すと俺笑ってしまう。お前は、彼が住んでいる所を紹介された時に“サンフランシスコ”と言われてお前、この人、アメリカから来てるのかと、思っていただろう。俺、お前の顔を見て噴き出したよ」「うん、カリブ海を挟んでアメリカ大陸だからな、“サンフランシスコ”と聞いた時は、アメリカのサンフランシスコを思い出した、ドミニカにサンフランシスコと言う地名があると思わなかったからな。誰でも来たばかりで“サンフランシスコ”と言われたらアメリカのサンフランシスコを思い出すと思うよ。でも、本当の地名は“サンフランシスコ・デ・マコリス”と言うのだと聞いて納得したけど、最初は何故にアメリカから来るのかと思っていた」「馬鹿だね、お前は、どう考えてもアメリカから来るわけがないだろうあれだけ頻繁に来るのだもの、ドミニカ国内だろうが、ドミニカ共和国はアメリカに占領された時期もあったからな、だから道路の名前もアメリカの人名が使われて居るじゃないか、お前の住んでいたマンション前の道路も、アブラハム・リンカーンて言ってたし、別な道路にはジョン・F・ケネディという名前もあるしな、ま~、来たばかりだと分からないかもしれないな」と馬鹿にした言い方をしたのである。「確かにアメリカの影響なのか、アメリカの系統の名前は多いよな。それは当たり前かもしれない、コロンブスが最初に発見した島だからなそれでラテン語系の地名がアメリカにあるのだと思ったよ。ドミニカ共和国がある島は、エスパニォル島と言うのだもな。」「お前ね、ぜんぜん勉強もしないで来たのだな、普通の人は自分が海外で生活する場合は、色々情報を集めて来るよ。お前は舐めてるよ、外国生活をだから騙されもするのだ。あきれた楽天家なのか、ただの馬鹿なのか分からない奴だな、お前は」またも始まった私をコケにする口調で。確かに私は日本で応募する時に、コンピュータ関係で幾つかの要請国があり単純にカリブ海は綺麗だと思って、ドミニカ共和国を選んだ。言葉の事もスペイン語などと分かっていなかったし、日本の嫌な思い出から逃げ出したいのと、日本独特のシガラミを嫌っていたから、海外に出たかった部分もあった。ただ、私は若い頃から海外に出たいと思う気持ちが強かったのでそれが実行される機会が出来たと思っていた。「確かに、お前の言う通り俺は楽天家だよ、あまり深くは考えないで実行に移すタイプだろうな、だから知らない外国にも行けたのだと思う、日本で知人の多くに“言葉も分からないのに良く行くね”と言われたでも俺は行けば何とかなるさと思って来たから、深くは感がえていないし決まったら逃げられないから、その国の事もザッと調べてだけだよ」
2014.05.14
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奴は「お前は言葉も、ろくに話せないのに相手を理解できたか?」「確かに、お前は言葉を覚えようとして、誰かれ構わず話しかけていたよなそれで覚えたが、文法的には問題があるだろう。お前が話しかけたのは、靴磨きの子供や道端で屋台のおじさんなどそれで覚えたから敬語は無理だろう?」「確かに日本で習って行ったが、ドミニカに着いたら早口で分からない。日本で教える時は単語ごとに、ゆっくり言ってくれるので理解できたがあちらでは単語と単語の間の接続語も、続けて言うのと早口なので理解出来なかった。それで相手の話している事に慣れるために、片言のスペイン語の単語で話しかけたのだ。話す事より聞く事に慣れないと生活できないと思ったからね」「そうだよな、2年間も生活するのだから、言葉が分からなければ大変だよな。それで、お前は自分なりに考えたのだな。でも、それで騙されて損をしたではないか。」「確かに損をした部分が大きかった、だが逆に4年間も付き合える人を得た事も出来た。最初は1週間くらいで、その良き友達を得たし、それ以外では騙された部分が多かったな」と思い出しながら、奴に言った。「そうだろう、お前は最初の頃は、日本の生活感覚で居たから外国に来た感覚が薄かったのだよ。お前は“新たな知らない土地でやる”などと、偉そうな事を言っていたが、基本的に日本の風土で育った事は抜けきらないのだ。それを、そのまま引きずっている、自分が居る事を忘れていたと思うよ。ただ、無鉄砲に行動して居たに過ぎないのさ、お前は」と説教を始めた。私は確かに40数年以上日本で生活して、海外と言えば旅行くらいでそこに住みついていたわけではないので、日本の習慣が抜けきれなかった。その為に、あちらでは騙されて、いくら損したか分からない。私は2年契約であったから、2年たったら帰りたいと思っていた。こんな国で生活は出来ないとも、最初の頃は思っていたが最初に知り合った良き友の家族に、大いに助けられて持ちこたえていた部分が多かった。「でも、俺は仕事だけは終わらせたいと思っていたから、我慢したな」と答えると奴は「お前、違うな、お前は最初に良き友を見つけたから仕事が出来たと思うよ、そうでなければ任期途中で帰国していたかも知れないと俺は思っていた。」「そうかもしれない、最初に騙された時は派遣先の別な部署の知り合いからだったからな、“アミーゴ”という言葉に騙されたのかも日本語に訳すと、誰もが“友達”であると感じるのだがそれが曲者なのだよな、俺は日本的感覚で友達と思っていたそれが違っていたし、そこで大損をしたな」「例の自動車事件か」と奴が言って来た。『海外珍滞在記』に書いてある事件である。「そうだ、だが、あちらの国では個人的問題に関係部署の連中や上司は関わらない。日本だと注意などするが、注意もしないし、俺と、そいつの間で起きた事なので、自分たちで解決するのが当たり前、他の同僚も知らん振りが当たり前、相談にも乗ってくれなかったな」「ま~、最初だからしょうがないにしろ、お前は日本的感覚で生活していたのだよ、お前の周りはドミニカ人ばかりだろう。そんな中で仕事をするという事は、その環境に慣れないと出来ないだろうに、それでも2年契約が、4年に成ったのは、おかしいな!そんなに騙されたりして、良く4年も居たな」と怪訝そうな顔をして問いかけて来た。
2014.05.13
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奴は「お前、今日はずいぶん分かった事を言うじゃないか。お前がドミニカ共和国で貧困の、若い子たちに援助して学校へ行かせたりしたが、それが何処まで自分自身に満足できた自分では満足できなかっただろう」と言って来た。私は「確かに満足出来なかった、むしろ中途半端な事をしているように思えた、本当に面倒をみるなら最後まで見届けるべきだと思った。私の場合は任期が決まっていたから、その間だけは見て上げられるけど最終的に任期が終了すると日本に帰ってしまう。本当にやってあげるなら、最後までやって、初めて、やって上げた事に成るのだとおもった、中途半端にやるなら、はじめから手を出さない方が良いのかともと思ったが、それにも限界があるよな」と自分が反省していた事を、奴に言った。私は『海外珍滞在記』にも書いたが、貧しさから家庭の為に働く子に援助して学校へ行かせるが、最終的に、お金が手っとり早く稼げる風俗に戻ってしまうのが殆どだった。それには日本の戦後間もなくの頃と同じで、社会環境が整っていないので働く所も少ない。その為に貧困格差が大きく、良い所に就職するためにはコネを使うしかない。結果的に貧しさから抜け出せない環境なのである。私が経験した日本の戦後と同じような環境である。奴は「お前は幸運にも、最先端の技術を取得したから良かったが世の中は、そんなに甘くは無いのだよ、お前の場合は日本のコンピュータの初期の頃だから色んな面で得をしたが、お前が、そこまでに辿りつくには、どれだけ努力した他人の倍は努力したろう。それを他人に押し付けても駄目なのだよ」と分かった振りをした返答が返って来た。私は、またもや頭にきた。「お前ね、俺の努力した事を他人に押し付けていると言うが俺は押し付けていない、ただ、その苦労を自分なりに知っているから相手にも援助して助けたいと思っているだけだよ」と多少語気を荒げて言い返した。「そうかな、俺には自己満足にしか見えないけど、相手は貧しいから援助は受けるよ、きとくな人も居る者だと思って受けるさ、だが、お前は相手が学校に行くまで見たか?見ていないだろう相手からすると良い金ヅルだったかもしれないよな、気前良く、お金を出してくれるのだもの俺だったら、こんな人の傍によるよな」とせせら笑う様に言うのである。私も腹が立ったが、自分なりに思うと、相手の言う事を信用してお金を出していた部分があるので、それには言い返せなかった。奴の言う様に本当に、良い金ずるだったのかもしれないと思える部分はあったからだ。
2014.05.12
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私も、それには弁解できない。自分でも金銭感覚に関しては、考え方が甘い事は分かって居たから奴に言い返せないのである。私は良く「蝦夷っ子は、宵越しの金は持たない」と江戸っ子に例えて北海道生まれなので言っていた。他人の金銭に対しては厳しくするのであるが、自分の事に関してはカラッキシ駄目なのであるから、奴には言い返せない。奴は嵩にかかって来て「お前は、あればあるだけ使うよな、計画性が無いから、企業のトップには向いてないと自分でも分かったから、会社を渡したのだろう、確かにお前はNO2向きNO1には向いていない、そんな奴だから金も逃げて行くのさ」言い放って来た。「海外に居た時も、貧困層の住んでいる所に出入りしていたな危険を感じないのか、皆に言われていた“危険だから一人で出入りしないように“と言われても、懲りないで出入りしていた」「俺も危険だと思ったよ、でもお前は止めなかった」「確かに貧困層の所に出入りしていた、そこには自分の経験からくる危険か危険でないかの、匂いを感じるのだよ、俺も餓鬼の頃は悪だったから、自分なりの壁を作りながらそこへ行くのさ、前にも言ったが経験は貴重だよ経験しないで理論だけで行動を起こしても、相手の気持ちが分からないし、表面的な物しか分からないと思うのだだから私は相手の中に入って行って、相手を理解するようにしているし、システムを構築する時も、必ず現場に入って現場の仕事をさせて貰ってから、分析するようにしている。途上国でも、そこに溶け込まないと駄目だと思うのだ。それで初めて相手を理解して、どの様な環境なのかどの様に私たちと生活習慣が違うのかを肌で感じるべきだと思う」奴は「お前、屁理屈か、確かに経験は大切だが、危険を伴ってまでやる事か疑問に思う」「お前はドミニカ共和国で、2度ピストルを突き付けられているよなそんな危険を冒すのも問題だ、人は命があるから仕事も色んな事も出来るのだぞ」と、またもや説教をはじめて来た。「確かに命があるから物事が出来る、俺の考え方が変なのかもしれないが、本当の仕事や物事をやる時は、その中に入り込んでやるべきだと思っているそうしなければ自分自身にも学ぶ面が無いのではないか?」と私は奴に問いかけた。奴は「だから駄目なのだよ、お前は、確かに入り込む事は悪くないだが相手の考え方も尊重しなければ、お前だけの考え方で進めるべきではないと思うよ、お前は真面目なのだけど、その真面目さが相手を傷つける可能性もある事が分かってない」「お前の考え方で行くと、お前は満足するかもしれないが、相手にとって負担を感じる場面も多いと思うよ」と返答して来た。「確かにな、自己満足しているのかもしれないな~自分は」と反省の言葉を言うと、
2014.05.11
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奴は「待てよ、話は終わっていないぞ、お前が海外でボランティアとして行った状況を説明しただけで終わりか?」「そんな中途半端な事だから、俺に馬鹿にされるのだよ」と何時もの奴に戻った言い方をして来た。私も立ち去ろうと思ったが、奴に突っ込まれるのが嫌なので改めて奴と向き合って話を始めた。「だから説明したように、確かに行き詰った部分もあったが技術屋が、これが俺の最大の仕事だと思ってやろうとした事がクダラナイ事で駄目になった事と、人間関係に疲れていた自分が新たな知らない土地で、やるのも良いかなと思ったから海外に応募したのだよ、それと短大や専門学校の生徒たちに色んな面で学ばせて貰った事も生かせると考えたのだ。」奴は「ていの良い逃げ口上を言っているな、そこがお前の悪いとこ、結果的に逃げたのだろう、素直に逃げましたと言えよ。」私は内心腹が立ったが彼の言っている事に一理あるので言い返す事ができなかった。基本的には逃げたのかもしれない、日本の会社組織に対して自分は合わない傾向はあった。一匹狼で仕事をやって来ていたし、若い時に独立もして会社も興したが自分はトップの器でない事も分かり、人を育てる事も出来なかった。自分は技術でしか仕事が出来ない、お金儲けなど出来るタイプではないのである。それを奴は知っているから、私にキツイ事も言えるのである。「確かに、お前の言う通りかもしれないが、自分は金で動くタイプではない事は知っているだろう。同時に金儲けも出来ない、取り得は、仕事に対して真面目だったから仕事は付いて来た。同時にやはり母親の影響が強いのかもしれないな。」奴は「確かに、お前の母親は“馬鹿が付くくらいお人好しだったからな”それに似たのだろう」「そうだな、それが俺の基本なのかもしれない、俺は母を尊敬していたからなだからボランティアのような事も考えたのだと思う」奴は「お前の良いとこは、苦労した事を生かせている事かも知れないが駄目な所は家庭を守れない事だな、二回も離婚するのだから」私はこの野郎、好き勝手な事、言いやがってと思いながら「分かっている、家庭を守れなかった分、他人に尽くして自分自身でチャラにしているかもしれない、でも自分の為には何も残していないし貧しさだけが残ったな」奴は「それで金を残していたら、ただの悪党だよ、お前が言う“金は天下の回り物”そんないい加減な事言っているから何時まで経っても、金に縁が無いのだよ。」「お前、それは俺の弁解で言っているだけで、本心は金が欲しいよでも、俺の場合、金を持つと使ってしまうし、困っている人が居ればその人に使った部分もある」「確かに海外でも随分、仕事以外で援助していたな、それは知っているが、お前は計画性が無い、金に対しては特に駄目だね良くそれで、システム計画を作成して居たね、あきれるよ」と馬鹿にした顔をして言ってきた。
2014.05.10
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「そうだな、日本での嫌な事をふっ切れたようだったな、あの忌まわしい人間関係から、今度は人種も習慣も違う国に行けるので、気持ちは楽だった」奴は「でも、言葉の問題があるだろう、それにお前はあの時3週間の語学研修を1週間サボったじゃないかそれにスペイン語なんて、日本じゃ、あまり使わない言葉なのにサボるとはケシカランやつだよな、お前は」私は「確かにサボったよ、1日、缶詰状態でスペイン語ばかりやらされていたのはキツカッタ」「でも、サボっても行けたのだ、お前は楽天家で変な所にルーズだよな、それだからシステム屋を長くやれたのかもな・・」「確かにシステム屋は、何時もシステムを考えていてバグが出るとそれが頭から離れない、なぜ、なぜと頭の中で回転していて寝ている時に急に眼が覚めて、起きだして考えたりする。それが続くのだよ、それで身体を壊した奴を沢山見て来た。私も最初はそうだったな~、でも、それでは身体が持たないと思ってある時から変えたのだよ」奴は「どの様に変えたのだ、簡単に変えられるか?」と問うてきた。「確かに簡単ではないよ、自分の思考環境は、人間は仕事ではある程度固定化されていると私は思う。だけど、変えなければ身体が参ってしまう。それを考えると、やり方を変化させるしかないだろう。」「お前、屁理屈かよ・・」「いや、屁理屈では無くて、自分の身体の事を考えてだよ」技術屋は考えると一直線になり、周りが見えない傾向があると私は思う。そこには車のブレーキに遊びが無いのと同じで、ブレーキを踏むと急激に止まる、その反動から前のめりに成るように、自分の身体をブツケテしまう。それによって自分自身をコントロールできないで身体を壊すのだと思う。だから、私は仕事で問題が起きて空回りしている時は完全に仕事と違う事をやるようにした。それによって思考を変えて見ると、意外と問題だった事が解決する事が多かったのである。そんな事を考えながら、奴に言ってやった。「お前みたいな奴居たから、俺は自分を見直せたのかもな~?」すると奴は「そうだろう、俺はお前の為を思って、何時も一緒に居てやっている、感謝しろよ」とホザキヤガルのである。私は「感謝はしている部分は多少あるが、自分を見直す事は出来たな。だけどウザイ奴だと思っては居るよ」「何だとウザイとは失礼な、お前は俺が居るから反省したり自分を見直す事が出来るのだ、それを、その言い方は無いだろう」と怒った口調で言いだした。私は「何時もの、うるさい奴に戻ったな、それがウザイのだよ」と言い返して、立ち去ろうとした。
2014.05.09
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奴は「お前は、企画力はあるな、でも、それが実行されなければ何にもならないけど」と、何時もの嫌味を言いだした。「そうだな、企画は実行されて初めて生きるよな、でも今回の大手ゼネコンで学んだ事は、企画が採用されるのもバックがあるからさ、そのバックが無ければ、どんな良い企画でも生きないし、採用されない」奴は「それは、どんな意味だ」と不可思議な顔をした。「それはね、あの企画でも大手ゼネコンだから企画案が採用されたのさ、会社と言うバックがあったから通産省も採用した、採用された時に通産省の人が言ったのは“大手ゼネコンさんだから、良い仕事をやってくれるでしょう”それは会社が大きいから大丈夫でしょうと言う意味だろう」「確かに、会社と言う名前で仕事をするのだから当たり前だよな」奴は、うなずいた。「そうだろう、仕事は企画力も必要かもしれないが、会社の名前も必要なのさ」「特に日本はそうだな、俺は今回、海外で仕事をしたが海外は意外と企画が先行している感じがした。」「そうか、確かに日本は大手企業に勤めていると、それだけで信用するもな、それが辞めたら、見向きもされないのが現状だろう。お前の言う通りだな」と奴はうなずきながら言った。「でもODAの企画案は、お前が考えて採用されたのだろう」「うん、そうだけど俺たちの関係で(シニア専門家)では採用されたのは、初めてだった見たい」と私は答えた。「この関連は日本政府の外部機関で初めて行う試みだったので私たちが最初で、それまでは青年と専門家は長くやっていたみたいだが、シニア専門家と言っても専門家との格差は大きかったな、俺たちには資金的援助は少なかったよ、同時にODA関係も専門家が重点的に採用され俺たちは青年と同じような扱いだった」奴は「それでもやったのだろう、お前の負けず嫌いの面が出ているよな、日本を離れてどうだった」と問いかけて来た。
2014.05.08
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奴はあきれ顔で「大手ゼネコンだな、メンツもあるのだろう」「そうだな、通産省もOK出しているし、システムは俺の頭の中で相手はどうする事も出来ない。」「俺からすると、俺に仕事だけ、やらしてくれればいいものをあんな、くだらない事でイチャモン付ける馬鹿な男も居るのだよな」「あいつの頭の中は、女と酒と出世だけだったのではないか、建設関係しかやって無い人だから、孫・ひ孫等下請けを苛めていただけだったのだろう、あの人は」と嫌な思いをした事を考えながら奴に答えていた。奴は「その後はどうしたの?」と問いかけて来た。「俺は悩んだよ、考えたシステムは俺にとっては最大の仕事だしそれは今後出来るか分からないから、諦められない部分があった。でも人間関係で疲れていた部分もあり、自分の気持ちが崩れかかっていたな、あの頃は」と、ボーとした目をして言った。奴は「行ったのか東京に?」と問いかけて来た。「いいや、どうせ行っても、また揉めるような気がしたし自分自身の中で気力が薄れていたから行かなかった。それと仕事上の人間関係に疲れていたから、どうしても来てくれと言われたが、断った」奴は「そこまで揉めて行っても、上手くは行かないだろうな」と慰めるような眼をして言って来た。私はこいつにしては珍しいと思いながら、奴を見た。奴は「それからどうしたのだ? それでシステム計画はどうなった」「うん、俺も自分の計画したシステムには未練があったが、後は相手にしなかった、その時に新聞でシニア専門家の募集が目に入ったのだ、それで日本が嫌になったから外国に行こうかなと考えたのさ」「それで海外に行ったのか、考えが単純だな」「もともと、俺は単純さ、自分でも思うけど餓鬼が大きくなっただけの人間なのかもしれないと思う時があるも、自分で、俺、思うけど男は餓鬼だよ、考えて見れば、あの上司だって大人げないよ、ただ、駄々をこねてるだけで、大きなシステムを駄目にしたのだから。」奴は「それで、システムはどうなったのだ?」「うん、俺はシニア専門家の試験を受けて、1次。2次、語学、面接で合格してドミニカ共和国にシステムを教えに行く事に成って、1か月スクーリングや語学研修が東京であったので、問題になった彼女に聞いたら、あの計画から撤退したと言っていた、どう考えても詳細部分は、俺の頭の中にしか入っていなかったから出来ないだろう、だから100万でもOKしたのだろう」奴は「そうかシステムは駄目になったのか、それで、お前は海外行きか」「そうだ日本で、あんなクダラナイ事で、自分の最高のシステムを作りたかったのに、駄目になった事は、俺にはショックだった。会社組織の中で生きて行く為には、そんな事も我慢しなければ組織の中で仕事が出来ない事は分かっているが、あんな奴にオベッカ使って仕事はしたくなかったし、俺も技術屋としてプライドがあるからそれなら教えていた経験を途上国の人に、生かして貰う方が良いと思った俺も学生に教えて自分なりに教える喜びも味わったし、学生から多くを学んだ部分もあったので、海外で教えようと思ったのさ」「おい、お前も少しは大人になったな、でも、企業なんて色んな人が居て成り立っているのだから、お前も自分ことだけを考えてるのは少し大人げないぞ」と、またもや、何時もの奴に成って説教を始めた。私も負けずに「お前、今回は俺に全部聞いて来たな、前はお前が説教じみた事を言っていたくせに、今回は全部俺に言わせたな」と切り返した。すると奴は「お前に言いたい事を言わせないで、説教するとお前は口をつぐむだろう、そうすると今後、説教出来ないからなそれで今回は、お前に言わせたのだ」「そうだ海外での事は『海外珍滞在記』を、お前書いたのだよな、200ページと長いな」「良く書いたよな、お前みたいな奴が、海外でもODAの計画案作成して、それが通ったので2年契約が4年に成ったのだって」「そうだ、ODAの計画案でドミニカ共和国の政府機関と国内の大学をオンラインで結び、業務の簡素化と速効化を行う計画案を作成して外務省からOKが出た。」
2014.05.07
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私は「本当に頭にきて、札幌に帰ったのだ、その頃は札幌にマンションを借りていた。函館に帰って車いす人達にボランティアやっていたが、私財も無くなり、仕事をしなければと思ったが函館じゃ仕事が無いので、札幌の専門学校から話があって、移り住んで働いていたが、そこで問題があり専門学校を辞めて商工会議所が運営している専門学校から、情報処理の国家試験の請負役的で教えて、実績を付けたら他の専門学校と短大から口が掛かって来て教えていた。」奴は「そこで東京のシステム会社からハンテングされて札幌の支店長をやってたのか」と私の過去を言いだした。「そう、でもハードだった、札幌と湘南の2か所を任されて1週間ごとに東京、札幌の生活を繰り返していたので体力的に大変だったし、もともと血圧が高いので体力的に問題があったが、何とかやっていたな、あの時は」奴は「それが、何故に大手ゼネコンなのだ?」「オイルショックがあったろう、あの頃、多くのシステム関係の会社が窮地にたって、倒産や撤退するのが多かった。私の勤めていた会社も札幌から撤退した。その頃、専門学校で教えていた情報処理試験に合格した連中を会社に入社させていたのだが、皆、東京には行きたがらず私も入社させたのに、責任を感じていたし、自分なりのけじめを付けたくて他の会社などに紹介したりしていたのだ。その頃、懇意にしていた会社に紹介したりしていたので私の住居地は札幌だった。その中の取引している会社から、東京で仕事をしてくれないかと頼まれて、東京に出たのだ。」奴は「そうだよな、急成長したコンピュータ業界は体質的に固定的な資産を持てないというか、人材が資産だったから価値のある資産を持っていないから、倒産や縮小して我慢した時期だったよな、お前が良く知っているか、お前は“この業界は紙と鉛筆と自分の頭があれば稼げると”良く言っていたよな、だけど、お前は金儲けが下手なので自分の会社は手放したよな」「それは余計なお世話、俺は技術屋なので、自分の技術を伸ばしただけだよ」と不貞腐れて言った。奴は「話は前に戻すけど、例の大手ゼネコンはどうしたのだ?」「俺は頭にきて、札幌に帰って来たのだ」奴は「それではシステム未完成か?」「うん、でも札幌まで迎えに来た。」奴は「馬鹿か、また、迎えに来たのか?」「俺も、相手にしたくなかったので、断った、それでもしつこく言うので、分かりました月100万くれるならやりましょうと言ったのだ」「お前馬鹿か、月100万て、20年以上前で100万と言ったら相手が出すわけないだろう」とあきれ顔で言って来た。「俺も断る為に言っただけだ、相手は1度、東京に帰って相談すると言って来た、当たり前だよな、そんな膨大な金を即答できないからな」「でも、それで良いと返事が来たのだ」
2014.05.06
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「ところが、また、会社から迎えに来たのだ」「え~、またか」「そう、システムが開発できないからだろうが、同時に通産省が絡んでいるので、大手ゼネコンの立場が無くなるからな」私は「お前、知っているか、大手ゼネコンのやり方」奴は、好奇心の目で「何だ、大手ゼネコンのやり方って?」と問いかけて来た。「それはね、各大手ゼネコンは省庁に無給の人を張りつかせているのだ。それで各省が出す公共事業を貰い受ける、各大手ゼネコンが談合の前に省庁から出る公共事業を振り分けているのさ、同時に各省庁はその連中に詳細部分を作らせて、自分たちが作成したように思わせている。これが省庁のやり方、大手ゼネコンは、それを当たり前にやっているし各省庁も、当たり前だと思っている。言うなれば癒着だよ、この現実は国民には分かっていない。官庁が関わる公共事業は、事前に大手が計画案を作成して省庁が公表する。受注は大手ゼネコンが直接受けて、実行するのは、ひ孫請け等である。談合の前に各大手ゼネコンの話し合いが行われているのが実情なのさ」と私は自分が見た事を奴に言った。奴は「え~、それ本当か、各省庁に大手の社員が入っているのか、それも無給で?」「俺が仕事を、やっていた頃はそうだった、今も変わらないだろうな」と私は答えた。奴は「本当か、でも国民は分かっていないよな、そんな事」「当たり前だろう、分かったら大変な事に成る」奴は「所で、話は前の戻すが、お前はどうなったのだ」「うん、システムを完成させたいから、会社に行った、そこで私の上司は昇進に成り、私の直接の上司は変わったのだ、私はこれで仕事もうまく行くと思った」奴は「思ったって?」「俺と直接の上司は、うまくやっていたし、気があった。所が逆に、それが前の上司は、面白くないのだろう。会う毎に俺を睨んでいたな、でも俺は、仕事さえ出来れば良かったので知らん振りをしていたが、前の上司に会議室に呼び出されたのだ。」「何で前の上司に呼び出されたのだ?」と奴は怪訝な顔をして問うてきた。「俺にも分からなかった」「なんか言われたのか」「うん、会議室で前の上司は“俺はお前が嫌いだ、お前と会うのも嫌だと“と言って来た」「それは、何故に、そんな事言うのだよ、お前とは直接の上司で、なくなったんだろう」「そうだよ、私が今の上司と、楽しそうにやっているのが面白くないのだろう、本当に気があっていたからな」奴は、「それで、お前は前の上司になんて言ったんだ」「うん、私もあなたが嫌いです、そんなに嫌いなら私は出て行きますと答えた」奴は、「またか、お前も懲りない奴だな、今の上司とはうまくやっているんだから、そんな相手、うまくいなして置けば良いのに」と“お前はどうしようもない、融通利かずだな~”という顔をして言って来た。私は「確かに、いなして置けばいいのだが、毎日顔を合わせるのは間違いないし、そこまで言うなら、こちらも意地があるからな、それで今の上司に、会議室の事と前の事件の事を説明して会社を出て来たのだ」「またかよ」奴は、お前は馬鹿かという顔をして、あきれた口調で言って来た。
2014.05.05
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奴は「そうだよな。お前は仕事人間の融通が利かない男だからな」と私を見透かした目で言って来た。確かに奴の言う通り、私はどちらかと言えば仕事人間であろう。それは前にも書いた彼女の死から、自分は逃げていた。その逃げ道が仕事であったような気がする。奴は「それでお前の計画案が始まったのか」「うん、プロジェクトも作られて、俺の肩書もシステム副部長になり始まったのだが、プロジェクトの中に上司の腹心の部下が数人入れられたが、私は、これは想定していたので、システムさえ開発できればと思っていた」奴は「そうか、始まったのか、でも、やりづらく無かったか腹心の部下が入っていて」「想定していた事だから、計画案は私の頭の中にあるから、詳細部分まで来たら、私をお払い箱にしようと思っているのは分かっていたし、ただ、このシステムだけは完成させたかったから受け入れた、同時に俺の名前が残れば良いなとは思っていたけどね」奴は「それは無理だろう、大手なんて契約社員なんて切り捨てだよ」「分かっているが、自分の計画したシステムが動けば満足じゃないかシステムは全国規模で使う事を想定していたので」奴は「お前が、そう思うなら良いじゃないか」と、あきれ顔をして言って来た。私はプロジェクトが立ち上がった時に、上司の腹心の部下が2~3名いたその時は腹心の部下を入れたのは、詳細設計が出来上がったら私をプロジェクトから外すなと思っていたし、それまでは私から計画案と詳細設計書を作らせるだけであろうと思っていた。それでも、これほどの大きな仕事は、今までやっていなかったのでどうしても完成させたかったのである。奴は「それで始まったのか」と問いかけて来た。「うん、でも、またもやトラブルさ」と私は答えた。「え~、またトラブルか? どんなトラブルだ?」「その頃、俺は月額50万貰っていたんだ」「え~、50万、20年以上前だよな」「そうだよ、それが40万しか寄こさなかったんだ」奴は「何でだよ、10万少ないじゃん」と怪訝そうな顔をして問う。「俺も分からないから聞いたのだ、そうしたら、あきれた返事が帰って来たのだ」「何て返って来たのだ、それも10万は大きいな」「うん、あの10万はペナルティ分だって言うのだ、何のペナルティですかと、俺は聞いた、ペナルティを受けるような事はしていなかったので」奴は怪訝そうな顔をして「何のだよ」と聞き返して来た。私は、またもや嫌な事を思いをしながら「彼女の問題で、私が憤慨した事でと、ぬかしやがるんだ」“俺は悪くないし、間違った事をしていないのにペナルティは無いでしょう、それに、銀座で飲んで、その件は終わったのに、これは問題ですと言って“俺は会社を出て来たんだ。」「え~、また会社に行かなくなったのか」とあきれ顔で奴は言い「その上司、彼女が好きだったのでないか?良く飲みに連れて行って言ってたよな」「そうかもしれないが、俺は悪くないと、思っていたから会社に行かなかった」「それで、システムの方はどうなった」「俺が行かないし、まだ始まったばかりで概要も出来あがって無い状態であったから、動いてないも同じ」「それで、お前は会社に行かなかったのか」「行く気がしないよ、あんなくだらない事を引きずる奴と仕事がしたくなかった」「じゃ、システムは終わりか」と奴は言いながら「お前の意気込みも、そんなものなのだな」とあきれ顔で言って来た。
2014.05.04
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奴は「行ったのか?」と問うてきた。私は「仕事があるし、俺の立案した計画も通産省と面接も終わっていたので俺が行かないと進まないから行ったよ」とぶっきらぼうに言った。奴は「お前、会社に行って、怒鳴った上司とは、どうなったのだ?」「別に俺は悪と思っていないから、誤りもしないし普通に仕事をしていた、だけど上司はエレベータの中で二人きりになると嫌味を言っていたが」奴は「どんな嫌味だ」と、せかして聞いて来た。「お前、彼女と、どんな関係だとか、よく話をしているよな、仲が良いのか」と言っていたな。「俺は友達だし、プロジェクトで一緒に仕事をしていたので」とはぐらかして答えていた。「そうしたら上司が、俺も悪かったから、今晩、飲みに行こう」と誘って来たのだ。奴は「上司からか?なぜ、お前を誘ったのだ」と問いかけて来た。私は「通産省の案件は、俺が計画案を作成したから、その案件の為俺が必要だからだと思うよ」と答えながら、あの時の案件を思い出していた。確かに、あの案件は難しい計画であったし、その頃では最先端を行っていた将来的展望も考えていたので、時間はかかる案件であった。だから年間1億で、3年間で構築するシステムであった。案件計画者の私しか詳細部分は、分からなかったのである。奴は「それで飲みに行ったのか?」「うん、行った、それも銀座の一流クラブに・・・」「え~、銀座のクラブにか・・・」「そうだよ。でも俺、そんなところ行った事が無いので落ち着かなかったし、早く帰りたかった」「お前ね、めったに行けない所で綺麗どころが揃っているに、早く帰りたいは無いだろう」「俺には似合わないよ、その辺の居酒屋あたりが似あっている」と謙遜ではなく正直に、その時はそう思っていた。奴は「それで手打ちと言う事に成ったのか?」「うん、俺はそう思っていた」「だが、会社で会う毎に、彼女との事を話すので、俺は言ったんだ」奴は「何て言ったんだ」「私は仕事のことしか考えていませんから、それに彼女とは友達だし、彼氏が居る事も話したりしますので彼女とは関係ありません、だから仕事をさせて下さい」と上司のしつこさに、うんざりしていた。
2014.05.03
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そうすると奴は「おい、それからどうなったのだ」とせついて来るのである。私は重たい口調で「それからが問題さ、新宿に出て2次会の2軒目で大揉めに成った」奴は「何、何、どんな事で揉めたのだ」と嬉しそうに聞いてくる。奴は聞いて楽しいかもしれないが、私は思い出すのも嫌な気分であった。私は重たい口調で「2軒目で上司は、お酒も相当飲んでいたので酔った勢いなのか分からないが、俺たちに絡み出した」「何て絡んで来たのだ」と、奴は好奇心旺盛に聞いてきやがる。「上司がお前ら二人、なぜ帰ろうとした、二人でラブホテルに行こうとしたのだろうと言いやがったのさ」と私は吐き捨てるように答えた。「それから、どうなったのだ」と奴はニャつきながら私を促す。「そうしたら、彼女が泣きだしたのだよ、私は頭にきて“なんて事言うのですか”と怒鳴った」確かに彼女とは、プロジェクトで一緒に仕事をしていたの事もあるので会社でも良く話をしていたのである。上司は彼女を気にいっていたのか、よく飲みに連れて行っていたのは私も知っていたが、彼女には彼氏が居て、どんな人かも話を聞いていたので女性としては、私は見ていなかったし、彼女も私を男性として見ていないが仲の良い同僚の関係で、その頃はプロジェクトも別々だったのであまり話をする事は無かった。そんな内容を奴に説明しながら「俺は頭にきて上司を怒鳴りつけて帰って来た」奴は「お前もやるね、そんな勇気あったのだ」と馬鹿にした口調で言って来たのである。私は「彼女が泣きだしたから、俺も我慢できなくなって怒鳴ったのさ俺と彼女が、関係があるなら何も言わないよ、ただの親しい友達なのだから、彼女がかわいそうだろう」と言うと奴は「かっこいい事、やるじゃん」と茶化すのである。私は「それに協力会社の人たちも居る前で、そんなこと言うか、普通言わないよ、だから尚更、腹が立ったのさ」と言って私は興奮気味になっていた。奴は、それが面白いのか、またもや、けしかけるように「お前ね、契約社員だろ、それが本社員の上司を怒鳴るとは自分がどうなるか分かってやったのか」私は「俺の問題より、彼女が泣いているのがかわいそうだったので」とその時の状況を思い出しながら興奮していた。奴は「お前が怒るのは分かるよ」と珍しく慰めの言葉を発した。「それでどうなったんだ」私は「俺は、そのまま店を出て来たから。その後の事は分からない」と答えた。「俺は次の日から会社行かなかったのだ、そうしたら会社から2日くらいしたら迎えに来た」
2014.05.02
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あの時はシステム開発を任されていて建設省などの仕事をしていたのだ、大手ゼネコンだから仕事は官庁関係が多かった。俺の上司はシステムが分からない建築関係から来た人で、その人は官庁関係に顔が効く人であったし、システムには疎い人だが接待は、うまい人だった、その人は女性好きで毎日のように、女の子を連れて銀座や新宿に飲み歩いていた人だったよ」奴は分かった振りをして「そう言う奴居るよな、女好きで酒好きな奴ってさ、特に建設関係は多いかもしれないな、そいつが、どうしたのだ」「うん、酒が駄目な私でも、その頃は練習して少しは飲めるように成っていたのだ、大手だから協力会社も多くある日、協力会社との飲み会を自社ビルの中にある接待会場で飲み会を行っていたのだよ」「それで、どうした」と奴は好奇心満々で聞いて来た。私は面倒くさいなと思いながら、話を続けた。「俺は前の日にプロジェクトの仲間と飲んだので、2次会は行きたくないので、早めに抜け出したのだ、その時エレベータの前で、前にプロジェクトで一緒にやっていた女性が鉢合わせしたのだ、その子とは良く話をするので、“あれどうしたの”と問いかけたのだ」彼女は「ここの所続けて飲んだので、今日は帰ろうと思って」と答えが返って来た。その子は上司に良く飲みに連れて行かれる子だったので昨日も上司と飲んだ事を、話をしながら、「そうだよな、前の日、飲んでいたから、俺も今日は逃げるよ」と言ってあとは取りとめない話をしながら、二人で、エレベータで降りて出口のエスカレータに乗って、話をしながら来たら上司がエスカレータの上の階から何か叫んで居るのだ。俺も彼女も“何を叫んでいるのか”分からずポカンとして居たら上司が、「これから2次会に行く、お前ら二人でもう帰るのか」と言って来たので、私は「昨日、飲んだので今日は帰ろうと思って」と答え、彼女も「私も3日間位飲むのが続いているので、帰ろうと思っています」と答えていたが、上司は怒り出して「お前ら勝手だな、俺はこれから協力会社の人と飲みに行くから、お前らも来い」と強制的に言われたので私たち二人は2次会へ付いて行った。私は、そこから話が重たくなるので、あまり話したくなかった。
2014.05.01
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