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私のブログに珍しくコメントが書かれていた。私がPCに書き始めたのはHPが個人でも出来るようになってからである。だから、20年以上前からで、その頃から個人的な事や経験した事を書いていたのである。最初の頃はHPを見てくれた方からのコメントを期待していたが殆どコメントは書かれなかった。1年に1~3書かれるくらいで、最初の頃は自分の書いたのを読んでくれる方が居るのはアクセスカウントで分かるのであるが何故にコメントが無いのかと寂しさを感じていたが、良く考えると、コメントを書くような文面でない事を自分で分かった。それからは自分の日記的な存在で書くようになった。そんな事でコメントは来ないものと思って今は書いているがたまにコメントが書かれる事もある。今は、ブログは1つしか書いていないが、前は2~3書いていたがそれでは書く事が思いつかないので、今は1つにしか書いていない。書いてある事は相変わらず、政治批判や時の問題点や思いついた事を書くだけであるが、これを私の若い頃に自分で読んだら何と感じるか考えたら、この親父、説教を書いているだけだと思ったであろう。今だから自分の書いている事を見返すと自分なりに納得する部分があるが、私が若かったら前記のように思いあまり見ないかもしれないし、説教みたいな事より面白い話を書けよと思うであろう。それは経験が浅いし、自分なりの若さの方向性を持っていたから別な部分で認めないし、認めたくない自分が居たのではないかと思うのである。それが若さであり、それで良い事だと思う。若さは実行力の源であるから、反発も必要であるし反骨も必要だ。それが無ければ若さとは言えないと思う。私も色々書いているが、それは自分の経験から来たものでありそれが色々な角度で見る事が出来るようになったからである。若い頃のであれば、自分なりの信念を持っていたから、私の若い頃に読んだら、反発する部分が相当出て来るであろうと思うのである。若い人でも私のブログに同調する部分がある場合はその人なりの経験が豊富な人であると私は思える。私の年代であるから書ける事も多いし、それなりの経験から書ける事も多くなったが、私が若い頃であれば反発心が強かったので相当痛烈な批判文を書いていたと思うし、自分の信念を曲げたくないので反発したであろう。だが最近の人達は、事なかれ主義が多くなった。それは逆に言えば自分の信念を持っていないと言う事に繋がるのではないかと思う。その様に仕向けて来たのが学歴社会を主張して来た官僚であり、私達であると思う。教育制度も官僚が決め、それに沿った私たち親が同調して作り上げたのが、今の若者たちの考え方であろうと思う。そこには平均的な学力を望み、それが最良と見なして来た私達は個人差によって得て、不得手があるのが、人間である事を忘れた教育を行って来たと思う。人は得て不得手があるから、得意な分野を伸ばしてやる事が本当は良いのであるが、不得手を親や先生方が匹敵してそれを修正する事を強いる。子供たちも、それが当たり前の事を思い従うが、果たしてそれだけで良いのであろうか?得意分野を伸ばす事によって、人が社会の出て活用されるのではないか。人間は得て、不得手はあるのは、当たり前であり、それを修正するより得意分野を伸ばしてやる事の方が人として伸びると思うのである。この様に考えると日本の教育制度も考え直すべき時が来た。親も平均的な人物を作るのでは無く、得意分野で伸ばしてあげるべきでありそれが若者を生まれ変わらせる一つの方法のように思う。
2014.10.31
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今は使われなくなった言葉であるが、私達子供の頃から使われていた「お上」と役所関係を指して言っていた。最近の若い人は使わないであろうが、私達の年代(60代)は聴きなれた言葉である。この言葉から日本の民主主義は封建制度の流れを汲んで居ると思う。言葉で上げ足を取るわけではないが、この言葉自体は役所や官庁・政府関係を指して使われた。封建時代には「お上」「上位」等と言われたのが武士であり殿様である。その流れから来ているのであろうが、私達は良く聞かされたし使って居た覚えがある。国民の間では、官僚や役所等を、その様に言う事は当たり前だったのであるが、それは国民の中で封建制度と同じ考え方があったからではないかと思うのである。国民自体が役所や官庁関係を、その様に言う事は日本人自体が民主主義と言うものを知らないで、敗戦とともにアメリカから取り入れるように強いられて民主主義とは、自分の言いたい事が言える事であり、好きな物を買える事くらいから始まった事で本来の国民の声や行動から出来上がったものでない為に今の日本の民主主義と言われるように成ったような気がする。私は日本の民主主義は、封建的な民主主義と前にも書いたがその様に思っている。だから選挙に於いても封建制度の残存が見え隠れしているのが日本の選挙である。基本的に私達世代は、本来の民主主義が分かって居ない為に選挙に於いても世襲制度を重んじて、2.3世の政治家を選択するし政治家も、それが当たり前の考え方で立候補する。それに群がるのが、お金持ちであり、利潤を追う人間である。前記した「お上」の考え方が日本人は、今も抜けきらないでいるのが日本であると思う。だから政治家も誰に選ばれて、誰の為に政治を行うかも分からない人達が多い。それは国民自体が民主主義とは何かを知らないで、封建制度の名残りを引きづて来ているから、この様な政治体制に成ったように思えてならない。海外での、民主主義の始まりは庶民から出て来たものである。日本の維新は武士が改革を行って、新たな制度を作り上げて来た。庶民が決起して維新を起こした物では無いので、その改革に従って来ただけで、声を出したわけではないからその名残が続いているし、今も日本の国民は、それが普通だと思っている。その伝統的な考え方を変えなければ、日本の政治は変わらないであろう。変える為には日本人は何をすべきか、もう一度学ぶ必要があるし官僚や政治家の教育方針でなく、自分たちの教育方針を掲げて行く事を考えなければならないと思う。
2014.10.30
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私は毎日食事を作る。三食は食べるようにしているので、朝は珈琲豆を挽いて入れる。所が夕食など何にするか迷う事が多い。毎日の事で何を食べたいか考えるが、同じ物は食べたくないので工夫して作るが、カレーになるとこれが二日間ぐらいかかって食べきる事になる。夕食にカレーライスだとすると、次の朝は小麦粉を水で溶いてパンケーキ風に焼いて、それとカレーと野菜等で誤魔かして食べて、昼はカレードリヤ風で食べると、夕食はカレー以外の物が食べたくなり、残りは冷凍室に入る事になる。ただ、たら鍋等をした場合は、近所の方にお裾分けでは無いが食べて貰う事が多い。この様にして居ると、今度は近所から煮物などを貰ったりする。私が子供の頃を思い出す。私達の子供の頃は食料に困っていたので、近所に配ったり貰ったりして、それがコミィケーションを保っていた時代である。だが最近は都会では、その様な光景が少なくなった。だが被災地では、まだその様な光景が見られたしお裾わけが当たり前のように行われている。私も被災地に行くと貰ってきたりすると、近所に配っているがそれは一人暮らしなので食べきれないからであるがそこで別な近所付き合いができるのであると思う。だが、都会の方は、その後があまり続かないように思う。それは、その様な事に慣れ居ないないからなのであろう。でも子供の頃は、その様な経験があったであろうがそれから遠ざかっているので、対応の仕方が忘れているのかもしれない。その点、地方は他人同士の繋がりが強いので、家に上がり込んで話が始まるが、私は聞き役で終わる事が多いが被災地などに長年行っていると、あちらこちらからお呼びがかかり都会生活の長い私には、苦痛に感じる事がある。それも私が都会で生活が長いからなので、子供の頃の事を忘れかけているからなのだろうと思う。だが、高齢化が進んだ都会での孤独死等の問題が多くなった昨今ではその様な繋がりも大切なものであると感じる。高齢者の方のお手伝いをして「さみしい」と言われた時に私は返答出来なかった。その後に考えたのであるが、都会での一人暮らしの高齢者の方が昔を思い出して、近所付き合い等で見守る事も必要に感じた。そこには人間同士の信頼関係が必要に思うが、都会では高齢者を狙った犯罪が多いので、その面も考慮した対応を行って行かなければならない時期に日本は成ったのであろう。
2014.10.29
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私は若い頃から、良く「川の流れ」を人生に例えていました。若い頃は貧しさから脱したかったが、自分がモガクと世の中の流れにのみ込まれて行くのが悲しかったのです。今も同じであろうと思うが、知恵が付いて来たので流れに逆らいながら、好きな事が多少なりともやって居ます。でも若い頃は、貧しさから脱したいと言う気持ちと反比例して世の中が動いていたと思っていたのでしょう。そんな私ですから、考え方が左より傾向が強い(今は左よりとは言わなくなったが?)若い頃は世の中が変わらないかと思っていたが、個人の力などタカが知れているのを痛いほど感じていましたが逆にそれが這い上がって自分で掴む事(仕事でも)しかないと思って行動に移してきた時代です。でも最近の若い方、特に男性の弱体化が見受けられるように思うのです。私達の時代は、男は先頭に立って、女性や子供を守るものと教えられていた。それは戦後の日本での教育方針が、変わって来た変長期にあったから敗戦国としての屈辱もあったのでしょう。今の男性に、それを望むのは過酷かもしれませんが、もう少し男性としてのプライドを持ってほしい部分を感じなお自分を押し出す事を考えてほしいと感じてしまいます。これは私が歳を取ったせいなのでしょうが、そこにはそれなりの経験から出て来た部分も多いと思います。私達も言われた事であると思うのですが「今の若者は?」とそれを私が言っているのかもしれませんが、それを置いても、利己主義的な行動が若者に見られる。これは私達世代の責任でもある事は、今まで書きましたがそれを修正して行く事は、難しい状態に成ってしまったように感じてしまいます。基本的な部分で日本人は敗戦により、自分たちの伝統を一部捨ててしまった事もあると思うのです。私達の学生時代は学生運動で抵抗して、政府に抗議したのはまだ、戦う意識があったからなのですが、日本が、経済が潤って来てからは、その戦闘意識が仕事に向けられてしまったのと学生運動が政治家に弾圧されて、無駄な抵抗であると思ってしまったからだと思います。だが抵抗が無ければ政治は変わらないし、政治家は変えようとしないでしょう。抵抗があるから、改革も生まれ新たな道が出来ると私は思うのです。今の政治家は抵抗も新たな道も考えていない、国民を如何に、大人しく封建制度的に黙らせるかを考えている。これでは政治は変化しないし、日本人も政治に対して諦めでは無く、抵抗を考えて行くべきであると思うのです。
2014.10.28
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最近は高齢者の方とのお付き合いが多い。お付き合いと言っても、お手伝いであるが、私の住んでいる団地の方とも、昨日は住居周りの掃除で話をしたり、先日は病院の付き添い、先月は被災地での高齢者の方を車いすで、仮設住宅の集会所等に行ったりした。元来、私は若い人と話す事が多かったのであるが、地元の社協での講習を受けて、高齢者の方のお手伝いをするように成ったので高齢の方との話をするようになった。同時に被災地に行くように成ってから、多くなった。元々、私はガサツな人間なので話し方が下手な部類に入るのと形式バッタ話し方が嫌いなので、敬語を使うのが下手でありザックバランな話し方になる。高齢者の方は私より年上の方が多いのであるが、ため口で話をするタイプなので、私より若い人は話し易そうであるが高齢者の方には失礼な部分があるかもしれない。だが意外と受け入れてくれる事が多いので安心しているがこれで良いのかは分からないが、仕事上では通用しないであろう。私は、この様な性格なので、仕事上でお偉方と話をするのが苦手であり、自分の言いたい事が言えない部分があった。だから、初対面のお偉方とはうまく話が出来ないので営業には向いていないと自分で思っていたので、技術屋を選んだ部分もあると思う。仕事以外では、この性格は得をする部分もあったが別な部分では修正しなければならないと思ったりもしたがもう遅い状態で、これは修正が効かないであろう。今は高齢者の方との会話が多くなって来たが、そこで感じた事であるが都会の高齢者の方と田舎の高齢者の方との違いがある事に気が付いた。都会型の高齢者の方は、孤立型が多く、それなりのプライドが高いこれは都会での生存競争(結婚していた時の生活環境)が違っているからと他人に干渉をされるのを嫌うからなのか、自分なりの子育てと家庭を守って来た部分で近所付き合いが無くなったのだろう。井戸端会議などと言う言葉は、都会ではあまり見受けられなくなった。たまに見かけるが、それも仲間内だけであり、女性特有のグループ化が多く、グループに入らない人とは話をしない。私が短大で教えていた時に、このグループ化が厄介であった。女性はグループを作るが幾つにも別れ、特定のグループとだけ話をすると、突き上げが来るので、平均して話をしなければならない事があった。男の場合はグループ化しても、大きく分かれるので問題解決は早いが、女性の場合は複数のグループ化するので、それぞれに話をして、平均的にして居た事がある。私の住んでいる団地でも同様で、グループが決まっている。私の場合は性格的に誰とでも話をするので、問題は無いと思っているがそれは私だけが思っている事であろう。だが、地方の高齢者の方は家庭と仕事を両立して、互いに助け合うので連帯感は都会の方より強いように思う。確かに仕事も行うが、互いに手伝う事をするので連帯感が必要なのであろうが、一歩間違うと村八分の状態になりかねない。地方は連帯感があるが、情報の流れも速い為に問題があった場合は直ぐに伝わる。被災地でもあったが、私はめんどくさい事は嫌いなので意に介さない事にして居るのと、別な角度で見て確認してから判断する事にしているので、両方の言い分を聞いてから自分なりの答えを出す事にしている。言うなれば自分本位、良く言えば中立であるが、これも必要な事であると思っている。
2014.10.27
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最近また、政治家の問題が出て来ている。お金の問題であるが、これは何年か前にも起きて政治資金を法案化したのではないか。同じ事を繰り返しているのが政治家である、その時に政治とお金の問題を法制化して、国民に納得させようとした。だが綻びだらけの法制化であり、政治家に都合の悪い事は据え置き、表面上だけを繕って、お金の問題は解決しましたと国民に宣言したが、またもやお金と政治家の体質が問われている。この様に政治家は何の進歩もして居ない。ましてや政治家家系から出て、一般国民の生活も知らないから私は何も知りませんでした等と言う。一般国民の生活状態を知って、その為の政治を行うのが政治家と言うのではないか?また、誰が見ても「うちわ」であるのを、文書ですなどと言っているのも常識的に考えられないし、常識は政治家が考えて作って来たものであり、それも分からない人達が日本の政治を行っている事が、日本の政治の終着点が近いと思ってしまう。前にも書いたが日本の政治は封建社会を引きずって来た政治でありそれを国民が当たり前であると思っている事に問題は大きい。世襲政治は、昔の殿さまが世つぎに、次の政治を行わせる。そこには国民の気持ちが分かって居るなら、それでも良いがこれだけ経済が悪く、貧困格差が広がって来たらお坊ちゃま、お嬢様が一般の常識も分からないで育って来た方では、国民の苦しみが分からないであろう。ましてや日本は災害に襲われ、これからも大きな災害が待ち受けているかも知れない状態で、政治家がお金の管理も出来ないで国民の生活が分かるのか疑問である。被災地等の復興も進んで居ない、原発事故の問題も進まず国内の問題も解決出来ないで、クダラナイお金の問題を国会で質問する事や、その様な常識的に考えても当たり前の事を討議しているようでは、政治家として資質を問われる。これは日本の政治が世界でも幼稚であると言われてもしょうがない。それ程、日本の政治家は程度が低いように思う。基本的に政治は誰の為に行うのか、それを分からない政治家が多すぎるし、それを選んだ国民も分かって居ないのではないか。封建社会のまま来た国民性で、政治はお殿様に任せて自分たちが良ければいいや、それも個人的に良ければいいの考え方が、根強いのが国民であると思う。今からでも国民の考え方を変えなければ、日本の将来的な安定は政治家と官僚と大企業に振り回されて行くだけであろう。
2014.10.26
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昨日病院の付き添いに行って来ました。高齢者で足の悪い方なので、私なら歩いて5分くらいの所にある病院にですが、タクシーで行き帰りを行うのです。病院内も高齢化に伴い、多くの高齢者の方が来ています。日本の医療費の負担は、これからも膨らむばかりでしょう。これは避けられない状況に成って来ているのが病院に行くと分かります。だが多くの一人暮らしの高齢者の方が増加している。それも身体が不自由に成った方が多くなって来ている。そこには寂しさを感じている方たちが多いように思います。昨日の方と話をして居て、御主人が4年前に亡くなって子供たちは別な所に住んで居て、たまに来るが、寂しいと私に行った時は、私は返答出来ませんでした。確かに足が悪いので出歩く事が出来ない為、部屋に籠りがちになりストレスがたまるのでしょう。やはり自分の身体が思う様に動かないモドカシさがあり私に本音を言ったと思います。日本は戦後の経済発展に伴い、核家族化が進み、それが経済成長期には問題が起きなかったが、その人たちが高齢化に伴って、経済も低迷して来て核家族化がネックになりつつあるように思うのです。私たちが子供の頃は貧しかったが、そこには家族間の温かみがあり互いに家族同士で助け合った姿があったのですが、それが無くなりつつあるのが日本のように思えるのです。私も海外で仕事をした途上国でも、貧しいが家族同士の絆が強いと感じた事がありました。その時にも思いましたが、日本は経済発展で途上国に援助を行っているが、日本人は家族間の絆が薄れて来たと思ったのです。今は完全に家族同士の関係は繋がりが無くなりつつある。経済の発展に伴い、家族の絆が無くなったとは思いません。これは私達の時代の教育方針が間違っていたように思うのです。今や家族は他人と同じような部分が出て来ている。それは私たちが仕事で家庭を顧みなかった部分と、女性が社会に出て働くようになってから、家庭と言うものを考える無くなった事もあると思います。子供たちに親とは何かを教えなかったし、躾も行き届かない為子供たちが大きくなって親の存在を感じていない。それは日本の経済が発展から低迷期に入った為に両親が働かなければ家庭が成り立たない為にと同時に、学歴社会で、勉強一本やりで子供に対応して来た為に躾の部分が疎かになったからではないでしょうか。同時に物を与えている事が子供の為と考えて我慢させなくなり子供が、有難味が分からない事もあると思います。これからは家族とは何かを教えて行かなければならないと思います。
2014.10.25
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今日は病院の付き添いの日である。高齢者の方で足が悪いので、毎月付き添いで行くが自分も高齢者の仲間なのであるが、まだ身体が丈夫なので付いて行く事に成ったている。私も病院には血圧が高いので、毎月行くが大きな病院になると待ち時間が長い。何時も2時間くらいは当たり前に待つ事になる。その間は色々と話をするが、相手の方の今まで歩んで来た事など聴いていると意外と勉強になる。人はそれなりの歩みで自分を形成するものなのだと思う事が多いし、私の経験した事の無い事を聞く事が出来る。自分なりに相手の経験を置き変えて見ると、又、別な角度で自分を見直す事が出来るので、退屈しないですむ。私も今は元気であるが、何回か入院をしていた時は健康の有難みを感じた事があるが、年老いて来ると自分の行く先は一つしかないと思ってしまう事が多い。私の住んでいる団地でも高齢化が進み、私の周りは私より年上の方が多い。その方達と話をすると、皆さんが言う事は「行く先が決まっているから」と言う事で落ち着いてしまう。同時に私も相槌をして同じ事を言ってしまう。日本の高齢化の速度が速まっている事を感じる事が多い。だが、自分の気持ちは何時までも若く居たいと思っているがそれは体力的に限界を感じる自分が居る。今回の南相馬に行って、お手伝いをしたが、身体の節々が多少悲鳴をあげている事を感じたし、帰って来てからも身体が痛い部分がある。確かに夜行バスで行き、その日の朝から身体を使うので午後からバテ気味になり、帰りのバスの中で筋肉痛を感じていた。元々システム屋なので身体を動かしていない事もありその様になるのであろうが、年齢も関係していると思う。若い頃は多少激しく動いても、筋肉痛などは成らなかったし、元気であったのだが、ここ最近は家でも動く事をしないので尚更なのである。だが動かなければ自分の目標も持てないし、元気が出ないから行動に移す事にしている。被災地に行くには夜行バスを使うので、老体には多少の疲れが出る。多少とは自分に言い聞かせて元気なつもりで言っているがそこが私の悪い部分でもある。素直でない、良い振りこきであり、自分の弱味を見せたくないのである。これは昔からであり、自分の生い立ちから来たものであろう。でもこれで長年生きて来たし、目的を持てるだけ幸福なのかも知れない。見栄っ張りは治らないであろうし、これからも続くであろう。今日は付き添いの方と、おしゃべりをして何かを学んでこようと思う。
2014.10.24
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今回は南相馬の件で、好きな事書き連ねたので一休み。最近、試写会の抽選に当たる事が多いの、映画を見て来ました。空虚感があったので、気分転換に成ったのと私の性格か深く考え過ぎると、一度その事から離れて再度考える事にしているのです。特に悩んだ時は、その様にして、もう一度見つめ直す事にして居ます。好調な時は、物事は順調に進むのは当たり前ですから、継続して行く。これは誰しもが行う事ですが、悩んだ時は私の場合は早めに切り替えて、一呼吸置いて再度考え直すようにしています。 でも最近は歳なのか、多少悩む時間が長くなったのかと思う状況ですが今回の南相馬は自分の新たな目的が出来たと思うので、それに向かう方法論は考える楽しみが増えて、また若返るかな??前にも書きましたが、私は動いていないと駄目なので、行動が早いのですが、それで多くの失敗を繰り返してもこの性格は治りません。行動が早いと言う事は、考えが浅いと繋がりますので考えがまとまって居ない部分が多いので、後からこの様にすれば良かったと思う事が多いです。でも逆な面で行動する事によって、分かる部分が多分にあります。被災地もそうですが、地域の高齢者で障害のある方や障害者のお手伝いをして居ますが、これは両方とも自分に役立っている。人に対する接し方が変わって来ました。私は技術系の仕事をしていたので、人との接点は少ないのとお酒が弱いので、付き合いもあまりしない部分が多ので人との接し方が下手なのですが、今は多少うまくなったと自分で思っています(自分の判断基準では・・)その様になると、今度は年寄の戯言でないですが最近の中年から下の方の行動(礼儀等)に不満を感じるのですがこれは私が歳をとったからなのでしょう。ただ、この様に躾て来たのは自分達世代であり、そのツケが、私達が感じている事は、反省すべきである事は分かって居ますが、自分たちも若い頃はそうだったのかもしれません。だが、全体的に自分本位が目につくように成って来ましたし躾の部分が他人を思いやる事が無い部分が、若い母親に向けられてきました。これはで育った子供は、どの様に成って行くのかと年寄の馬鹿な考で心配しています。
2014.10.23
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今の自分は空虚感しかない。今回の南相馬で見た事に対してのショックが大き過ぎた。何が自分で出来るのか分からないのである。再度、行って見て聞いて再認識をしてからでなければ答えが出ない。あの現状を見たら、原発の再稼働を考えている人の気持ちが私には理解出来ない。確かに原発地域の方には、経済的な利益がもたらされるであろうがもし事故が起きた場合は、あの街と同じようになる事は避けなければ、先祖からの土地も伝統も捨て去らなければならない。それが現実に起きているのである。原発地域の方は、あの状況は見て貰いたいと思う。確かに経済的な効果は原発でもたらされるが、危険も考えるべきである。生活の為に経済の発展は地方では難しい部分が多すぎる事は否めない事であるが、それでも再稼働する場合のリスクはあの現状を見て、安全性を考慮してからでも遅くないように思う。私は原発に関しては反対であるが、地域経済や過疎化の激しい地域には経済が行き届かない部分が多すぎる事が分かっているので地元の住民の考え方を尊重する。それは良いのであるが、政府も政治家も、あの現状をどうするのかまた、官民企業的な事故を起こした企業の責任は?口先だけの処理しかしていないで、ボランティアに頼っている部分は大きいのであり、それに対する優遇処置も取らないでむしろボラセンは閉鎖か縮小しているのが現状であろう。日本国内でも、あの大震災を国民も忘れかけて来ているし、むしろ震災地以外の人達が、放射能とか食料にはと発信しているがあの地域を見たら何と思うのか?それなら政府や政治家に、その部分をぶつけろと言いたい気持ちである。現場を見ないでは好きな事は言える。私もそうかもしれないが、ただ私は現場を見てから意見を言う事にしている。ただ、震災から3年半以上が経ち、風化してしまう事は今の原発事故被災地には打撃となり、復興等は程遠いものになり同時にボラセンも色んな雑音で、最初の目的からの機能的な部分が外れかけているように思えるので、あの地域は震災が始まったばかりと考えて機能して行かなければならないように思う。今回は私の中ではショックが大きく、後、数回行って見てどんなお手伝いが出来るかを見極めたいと思っている。
2014.10.22
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今回の南相馬で感じたのは、原発事故の悲惨さである。ゴーストタウン化した街並みを通るたびに、果たして、この街が事故前の姿に戻るのであろうかと思ってしまうのである。これからも放射線の問題は残るであろうし、ある程度街が整備されても子供たちを育てる事に躊躇するであろうと感じる。年齢を重ねた人達は戻るであろう、自分たちが育って生活して来た街であり自分たちが建てた家があり、畑があるから生活する為には戻る事を考えるであろうが、自分の孫や子供たちには無理強いしないであろう。そうなれば若者のいない街になり、寂れるだけであろうと思う。本当にゴーストタウン化した街並みは、よそ者の私でもショックであった。今回は人間が開発して安全と思っていたものが、それが自然によって破壊され、その事故の当事者に成った人たちの心の中は私には計り知れない物を感じ、同時に人間の無力さも感じてしまった。確かに人は色々な物を作り出し、それによって恩恵を受けて来たがその恩恵も一瞬で破壊となり、人間を破滅に追い込む物もある事をこの原発事故で分かった部分もあると思う。私が6年前にママチャリで通って、湧水を飲ませて貰おうと思いその家の人に断って飲もうと思って頼んだ時に、家の人が「その水は飲めないよ」と言って、オロナミンCとお茶のペットボトルをくれた事を思い出すが、その街が、人が住めないように成っているのは私としては悲しい思いしかない。その時に人の温かさを感じ、田舎の人達の温もりを感じた事を忘れる事が出来ないが、その土地も原発事故で人が住めないようになってしまった。あの人の温かさも無い、ただの無人化した街並みは見た人でなければ分からないであろう。本当に現状を見て感じないと、原発の恐ろしさは分からないと自分自身で思った。これまで多くのボランティアの方が長期に渡り来ている事に頭が下がる思いであり、自分の出来る事は何かと考えて行動したいと思っているが、あの現状を見て、果たして避難されている方が戻って生活をする気になるのか、同時にこれ程の状況を政府はどの様に考えているのか疑問に思った。これは並み大抵の事では解決できないであろう。本当に本腰を入れて考えて行かなければならない問題であると感じた。言葉が出ない、前日書いたボラセンも体制を考えて継続して行かなければ今の国のやり方では、何時になったら終息するか分からないであろう。
2014.10.21
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南相馬の小高地区は原発事故により、立ち入り禁止区域も近いし現に立ち入り出来ない所もありました。そこを復興するには多くの人達の助けが必要である事は分かるのです。その一役を担うのがボランティアセンター(ボラセン)なのであり多くのボランティアの方々である。ボランティアをやる方は、それぞれ自分なりの考え方を持っている方が多いですし、それなりに経験のある方も多いので、私の考え方とは違う場合もあると思いますが、「助け合う」と言う基本部分では、同じであると思っています。私が疑問に思うのは、今回はボラセンの役割が仕事を請け負うだけで被災者住民のケアー無いように思った事で、被災者住民の考え方で互いに意思疎通があってボランティアするべきでありと言うのが、私の持論であり、これはあくまでも私個人の持論なので、正しいとは言わないですが住民の方々と一緒になり、お手伝いするからこそボランティアであると思うのです。それが住民の方が居ない所等では、私は本当に被災者側の人達が町を立て直す事を考えているのかと言う疑問を感じたのです。ただ、住民不在でボランティアの方だけでやる事は、本来のボランティアでは無く、自分たちがやるべき事をボランティアにやって貰うだけのような気がしてならないのです。簡単に言うなら住民が面倒な事を、自費で来て、タダで人を使ってやって貰うだけで、ボランティアを労働者代わり(無償の)使っている。それを請け負ってやっているボラセンは、来たボランティアに寄贈を受けなおかつ次回からは運営費を少額でも払って貰うと言われました。確かにボラセンの運営を行う事は大変な事でしょう。ましてや長期に渡ると維持費等も膨大な経費がかかる事は分かります。だが、それを助けるべき国や自治体が何故に補助しないのか?同時に原発事故の当事者の企業もと疑問を感じます。今回、私が感じたのは、ボラセンの運営もそうですが、住民の方の姿が見えない状況です。それでは復興と言う名を借りた、ていの良い人助け?何かボラセンも震災初期の考え方と違った路線に進み、企業がらみが見え隠れしたボラセンに変化しているように思えてならない事を感じたのです。(ここは原発事故の被災地ですが、その企業との・・・)それが関わって、政府や自治体がやるべき事(資金を出して)をボランティアにやって貰っている風に感じられる部分がありました。これはあくまでも私個人の考え方なので、個人の意見として書いていますので、反論があれば私個人に頂ければと思います。まず、ボラセンの機能が自治体も政府も助けない為に資金的援助をお願いする部分は分かりますが、純粋にボランティア意思で来ている方を、住民も居ない所に派遣してやらせる事は、私には考えられないし、それを斡旋するボラセン自体に問題があると思う。それでもボランティアの方が継続して行ってらっしゃるのでその方たちには頭が下がります。私としては、このボラセンは住民の復興意識は二の次この地域の被災処理を重点に考え、被災者からの依頼を受けてそれをボランティアの方々に振り分けている。これは被災初期の場合なら分かる現象であるのですが、被災から4年近くになった行動としては、疑問が大きく感じてしまう。確かに、この地域は原発事故で手がつけられていない部分が多くあります。そこで初期の頃と同じ要請が出る事も考えられますが、そこには住民の方が再度復興を願った姿が見えるなら、私は納得行くのですが、その可能性が少ないように見えたのです。今回のボラセンとの考え方は、私は納得できない部分があるので私なりの、別な方法を考えた行動を起こすでしょう。今後の私は、そこの住民の方が、自分たちが何かをしたいと考える所に行ってお手伝いをしたいと感じました。帰りに車だけが通れる状態に成った6号線を通って来ましたが、原発事故の爪後が生々しい状態でした、家の前は鉄柵が置かれた状態が何キロか続き、ボラバスの中での放射能濃度は高くなる状態でこれが続いたら、人が住む事を諦めるしかないと感じました。ゴーストタウン化した街並みが国道6号線沿いに続き原発事故の恐ろしさを感じ取りました。これから私の出来る範囲でお手伝いを考えて行こうと思いますが原発事故の周囲を見ると、何が出来るのか悩んでしまう自分がいます。同時に、この6号線は思い出がある国道です。6年前にママチャリで北上して青森から南下して下関まで行った時に通った道なのですがあの時の面影は無くなって悲しみを感じました。
2014.10.20
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昨日は南相馬でお手伝いをして来ました。「お手伝い」と書くのは、ボランティアと言う言葉の日本的感覚と私のボランティアに対する考え方が違うからです。今回は、私は始めてボランティアセンター関連で福島での、お手伝いを行いました。私の今までの行動は、個人的か政府機関法人の海外でのボランティア活動であり、東日本の震災時も個人的に団体を探して動きましたので、ボラセン関係とは繋がりが無い行動が多かったのです。また、南三陸も2年以上行っていますが、ボランティアバスも安い所を探すのが始まりでしたが、後は個人的に行く事が多くなりました。安い夜行バス等を探しては行っていたのですが、最初のボラバス以上に経費はかかりますが、自分なりの考え方で動けるのでその様な行動が多かったのです。今回は福島に関してSNS等でのボランティア関係の方の情報を見て疑問を感じたのと、その情報では私の考え方と違う部分があったので何時も使うボラバスが日帰り(前日の夜行で次の日の夜に帰京)をやると言うので行って来ました。今後の私の福島でのお手伝い方法を模索したいと思い、SNSの情報の確認と、どの様な体制で行っているかを自分の目で確かめたからなのです。前にも書きましたが、自分が感じた事を書くには政治的な事はニュースなどで見て書きますが、自分が行動に移す場合は他の情報も参考にしますが、自分で確認して自分の意見を書かないとただの批判に成りかけないので、その様にしたくないので自分の目で見てから行いました。情報でも良い事や悲しい事は情報で意見は書きますが、違う部分は確かめてからが自分の考え方なので。前置きが長くなりましたが、今回のお手伝いの場合は住んでいる方のお手伝いなのです。SNSの情報ではそこの住民が居ない状態でのお手伝いが多く書かれていましたが、今回は違いましたが、お手伝いに行くボランティアセンターの説明には疑問を感じました。何処にお手伝いに行くかはセンター側が手配すようです。これは当たり前ですが、その前に多くの要望が来ているとの説明があり、その処理が出来ない状態が続いているので、多くのボランティアが必要であると言われていましたがそれは理解で来るのでるのですが、基本的に被災者の方たちのお手伝いや心のケアーなどで触れ合ってこそのボランティアと私は思っているので、その説明には多少の疑問を感じました。長くなるので続きは明日か来ます。
2014.10.19
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今回、南相馬に行って来ます。原発事故で日中は入れるが、夜間は入れない地域になると思います。明日のブログは休みます。今までは宮城県と岩手県には、この3年半行っていて、ある程度の自分なりのケジメが付いたので、今後は福島県を主体として見たいと思っていました。宮城は多くの友達が出来たので、今後も行く事があるでしょうが福島で私の出来る事(お手伝い)を探しに行く手掛かりにしたいと思っています。だが、今回行く所は原発事故での被災地の範囲です。私は原発事故で避難された方のお手伝いは考えていました。ただSNS等で情報を受けると、私自身が疑問に思う事があったりするので、それもどうなのか確認したいと思っています。SNSなどで発信された情報を信じないわけではありませんがもし、その情報が本当なら、私自身の考え方と違うので別な自分なりの方法を探そうと思っています。元来、私は現場を見て判断するタイプなので、今、疑問に思う事は書きませんし、現場を見て、聴いて自分の疑問を書きたいと思っています。同時に自分なりに何が出来るのかも調べて来たいと思っています。基本的には自分の信念を通したいだけなのですがその信念も正解なのか不正解なのかは、現場を見てからでしか答えが出ませんし、自分のやろうとする事も妥当なのか分かりません。私はシステム構築もそうですが、現場に入って同じ仕事をして分析するタイプなので、現場が分からないで聞くだけで分析は行わない主義であり、現場に入ると、そこに必要事項が沢山埋もれている事があり、聴いただけでは自分は理解出来ないから必ず一緒に仕事をさせて貰ってから分析を行う事にしていました。それは使う立場で考えてシステムを構築しなければ、システムが生きないからです。現場の使う方の知識によって、分析を行い使いやすさを優先する事がシステムを生かす事であり、作る側も満足するからです。この信念は今でも変わりませんので、今回も福島で何が自分でお手伝いが出来るかの手掛かりを作って、再度行ってもっと状況を知る為に第一歩にしたいと思っています。この主義を、今でも変えないのは、ただの頑固ジジィに成っただけかもしれませんが、変える気はありません。だから今回も行って見て、聴いて疑問に思っている事を書こうとは思っています。現場を見てから書かないと気がすまないので、それを実行するだけですが、それは現場の状況で行っている人にも色々聞いて自分で判断して見たいと思うのです。これは私の悪い所であり、良い所でもあると自負していますが悪い面では他人の情報を信じていない所でしょうし同時に自分なりの考え方を通したいので、自分で動く所が協調性に欠ける部分だと私自身は分かっているのですが変える事は出来ませんでした。良い面は状況を見る事によって、色んな発想が出来る事です。今の状況なら、この様な事を行えばとか、この状況ならこの様に変化させて行かなければ使いこなせないとかを考えて計画を作れるのが良いのと、状況の変化にも対応できる事が早く出来るのが良いと思います。自己満足ですが???
2014.10.17
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最近、自分て見栄っ張りなのだなと思う事が多い。確かに日本人は見栄っ張りな所があると思う。特に日本の男性は見栄っ張りだと思う。私もその一人であるが、自分でも思うが買い物をしても買わなくて良い物を薦められると買ってしまう。そこには私なりの見栄があると思う。今回もスマホの機種変更に行って、相手から薦められてそれ程必要で無い物も「いいよ」と言って買ってしまった。後から考えると必要性は低いのであるが、断らなかったのは自分が見栄を張ったからなのである。それ程余裕がある生活をしているわけでは無いのに余計な物を買ってしまう。自分は性格的に単純なのであり、嫌とは言えない部分もあるが別な角度から考えると、見栄っ張りなのである。男は会社などでも、見栄で生きている部分がある。仕事上では見栄も必要な時が多い。見栄を張らなければ男は仕事が出来ないと思われる部分も多々ある。そこは仕事をしている男性は持っていると思う。私も若い頃は、今よりももっと見栄っ張りであった。それで仕事を乗りきった部分も沢山あったし、そうしなければならない立場にもなった事がある。特に自分で会社をやって居た時には、見栄の張り通しでありそれが自分のストレスにもなった事もある。その頃は、そうしなければならないと思ってそのような行動に出たのである。見栄も人の通る道であろう。特に日本は見栄の文化が強いように思うのである。それは私が海外に居た頃は、最初の頃は日本と同じ考え方で仕事を行っていたが、ある時から、この国で見栄を張っても何の徳にもならないと思う様になった。彼らは自分たちの思うがままに生きている。一部の人は見栄で生きている人達も居たが、私の周囲ではその様な人が少なかったから、私もそれに感化されて自分なりに生きて見ようと思ったのである。その様に考えると気楽に生きられるものだと感じた。日本では見栄を張って、自分を背伸びしていたように思う様になったのである。それは自分を評価させる為には、その様な態度に出なければ日本では自分を相手に分かって貰えないからである。男は働いて「疲れた」と家庭で言うのは、その様な見栄を仕事上で行うからであるからなのだが、それを奥さんは分かってくれない部分が多い。それで揉める部分が私たちの時代であった。海外では自分なりに見栄を張らないで、生活していたらストレスも無く、気楽な気持ちで生活出来、永住したと思ったほどであるが、任期があるので無理であった。海外から帰国したら、また、日本での生活で見栄の文化に自分も戻り、そうしなければ自分を表現出来ないでいるが年齢とともに見栄を張る事は少なくなったが、日本での生活が長いので、まだ見栄を張る部分が多いと思う。見栄も文化なのであるが、ストレスの根源でもある事が分かって来たし、それを取り除こうと思っても自然に見栄を張っている自分がいる。
2014.10.16
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私は年齢が行く毎に、自分は後どの位生きているのかと思う時がある。これは誰しもが思うであろう。40代、50代の時は思わなかったのであるが、60代後半になると思うものである。父よりは長生きしているし、父も癌で亡くなったが、私も癌を患った。だが転移していなかったので、今だ生きている。40代頃から1年間が早く感じる事が多かった。何故なんだろうか、1年が短く感じて、あれも、これもと色々考えて行動に移すが、時間が何か足りない感じを持っていた。そのうちに50代に成り、尚更早く感じるのである。人は年齢や経験を蓄えると、欲望が出て来るので、その欲望を満たす為に、行動するが、行動と実施したもののバランスが取れないから、時間を短く感じるのであろうか?確かに行動力は年齢とともに低下するが、考える力は上昇している。そのバランスが取れていないから、時間を短く感じるのかもしれない。アンバランスな事に、欲望は増えると同時に体力の衰えを感じるが諦めが無いのが自分である。若く居たいし、何かを求める事がしたいと思う。それが自分の若さなのだと思って、行動に移しているがそこにはポンコツの車の悲しみがある事を感じている。ポンコツは部品が、ガタが来ているが、部品交換は無理なのである。交換出来ないなら、それなりの対策を取れば良いが、薬などの厄介にはなりたくないし、それでは自分らしさを失うと思っているプライドだけ高い自分が居る事に気が付いて来た。だが、プライドと体力が反比例している事も分かっているがこれが男の生き様だと自分に言い聞かせているのである。私は若い頃から男の生きざまを良く考えた。それは父に反発した事から始まったのであろう。家が貧しかったのであるが、父は病弱を理由に母が働き家を支えて、私達子供を食べさせてくれた。その母が小学6年の時に父の暴力で亡くなり、父に反発した時から、このプライドは始まったのであろう。男は家を守るもので、それが男の使命だと感じるようになった。私はそれがあったから、自分なりのプライドを持てたと思う。別な面で父にも感謝しなければならないと思っている。それが無ければ、今のような行動的な人間に成れなかったであろう。それは、それとして体力は低下する。そのジレンマが私を別な行動に導く事が、今までは多かった。それがママチャリで東京から東北を通り、日本海沿いで山口県まで行かせたのである(62歳の時)その時は大腸がんの手術をした3年後に、胃に影があると健康診断で言われた時に、どうせなら誰もがあまりやらない事をやってやろうと思い。9800円のママチャリで行ける所まで行こうと無謀な事を考えての行動であった。その様に自分は自分なりの考え方で行動する。だから協調性には乏しい部分があるが、それが男と言うものと自分なりに思っているから、手がつけられない自分が居る。目立ちたいわけではない、行動したいだけであり、それが自分なりの男としての考え方なのであり、これも前記に書いた事から生まれ出たので、もう治らないであろう。治す気も無いし、この生き方を変える気も無いが、体力の衰えは悲しいかな変える事が出来ない。
2014.10.15
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日本人はシガラミを重んじる。そう言う私も日本人なので、その様な部分はあると思う。これは日本人の伝統的なものであるが、それがよき部分で残ると良いのであるが、悪い部分で残ると政治不安にも繋がりかねない。伝統は残すべき物と残さないで、改革すべきものに別れるものなのだと私は思っている。残すべきは芸能や建築物等のものであるが、伝統的な習慣や風習等は残すべきものと変えて行かなければならないものがあると思う。私が良く書く政治的風習は、変えなければならないと思っている。これはシガラミが付きまとうのと、色んな部分で弊害が出て来る。だから全部を変える事は無いが、良く部分を残し、悪しき部分を変える事が大切であると思う。だがその判断は難しい部分が伴う事が多い。シガラミは人と人の間に生じるものであり、古くから受け継がれて来ている部分が多々あるから単純に変える事は出来ないであろう。ただシガラミの利潤を追う部分と、人間的繋がりの部分に別れると思うので、利潤を追う部分は変えて行くべき部分が多い。人間的繋がりの部分は日本の良き伝統として残す部分があると思う。思うと言うのは、人間的部分で利潤の部分が生じる可能性が出て来る事が否めない部分があるからで、人間は欲望がある限りこれは消える事が無いであろうと思える。人間の性であろうし、それが人間だと思うが、利潤だけを考える人だけではない事も確かにいる。だが高度成長で日本は部分的に変わった、これは人間の欲望であり人間の性であろうし、経済が良くなり国民が潤うと人は伝統を忘れて来るように思えるのである。潤いに酔いしれて、現状しか考えない、次の展開はどうなるかも考えないで酔いしれて来たのが、我々であろう。その為に多くの物を置き忘れて来た事を、今に成って気が付いた。だがそれは遅きに至りである部分が多いように思う。政治もそうであるが、その夢の中で育ったから、又取り戻せると思って経済と叫んで、大企業オンリーで立て直そうとして来た。最近の政治体制は「夢をもう一度」的経済政策である。それを認める国民も、経済の良い頃に育った人種であるからその夢に乗りたい気持ちがあり、同時にシガラミで利潤を求める。だが世界的に見ても、今の状況ではあの頃に戻れない事は皆は分かっているが、何も出来ないで喘いでいるだけである。政治家も官僚も改革を忘れ、シガラミと利潤だけを求めて新たな対策を行わないのと、将来像をになった改革を考えていない。今あるものと、今までのシガラミで物事を行っているだけにしか見えない。将来的に起こりうる状況を把握していないのが、日本の政治家と官僚であろう。これからは内部的な改革を行って行かなければ、今までのシガラミ的な流れでは、日本は変わらないように思う。改革は良き伝統を残しながら、悪しき物を変えて行く事が大切であり、今までがそうであったから、その流れを受け継ぐ物ではないし、組織的な物は特に改革が無ければ衰退するし、変化しないであろう。これも私達が考えて行かなければならない事なのでなかろうか。伝統的な良き部分を残しながら、修正する時に来たのが今の時代なのかもしれない。
2014.10.14
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人は子供の頃に受けた影響が強く残るものだと感じている。私の場合は特にそれが強い傾向がある。私はある事故で母を小学6年で亡くした。それにより一時的な反抗を父に行い、反発を繰り返して自ら施設を望んだのであるが、それが私の自立心を強くした面が大きく影響している。子供の頃の差別や虐待的行為、偏見等が私自身に影響を与えた事は間違いない事である。それを生かすかは、本人の心がけであると思うが、私の場合は良い面に出て来た部分があったと思う。それは周りの環境にも影響されたし、自分自身の考え方によって変わるものであると感じている。私は10代後半から、よく人間とはと考える事が多かった。それは人間らしさであるが、人それぞれに違う考え方なので一概に人間らしさとは言えないであろうが、自分の中の人間らしさを求めていたのだと思う。その様に考えるように成って、何かの状況に突き当たると私は他人ならどう考えるであろうと思う傾向が出て来た。私の行った行為によって他人が喜ぶのか悲しむのかを考えてしまう。これは子供の頃に受けた自分の経験が、一瞬頭をよぎるのである。自分の行おうとした行為は、他人を傷つけないであろうかと思う。だが、逆の自分も居る事に気が付く。それは自立心が出て来て、自分の事を優先しようとするのである。子供の頃に受けた差別や偏見に立ち向かいたい為に、負けたくないと思う気持ちが強く出る。それが他人を思う気持ちと自分が葛藤する事が多かったのが若い頃であった。若い頃は負けたくない気持ちが強かったので、自分優先に考えて、仕事でもやられたら仕事で返して這い上がって行ったがそれも半端でないほどの行為で行った事もある。商売は下手であるが、仕事での出世は早いが、陥落も早いある程度になると上にタテを突くタイプで、下を守りたいと思っているのであるのと、ある程度まで行くと出来る奴が居ると譲ってしまうのである。それは自分では譲っているのではなく、次のステップアップを考えた行動なのである。出世の早い行動は上に立たなきゃ、自分のやろうとする事が出来ないからであり、その為に自分は出世を望むがやりたい事が無くなると、面白味が何ので、次の自分を探しに出る。そこの行為が譲る事に変わっただけなのである。これも子供の頃の父に対する反発精神が出ているのであろう。父は口の達者な人で、口では負けない人であった。そんな父のようには、なりたくかかったので口より行動が先に出てしまうのである。だから私と結婚した人は苦労したと思う。これも子供の頃の経験が、人の生き方を変えるものであると思っている。それが良い面に出るか、悪い面に出るかは人それぞれであろう。子供の頃の教育は大切なものと感じている。親の影響は子供の中に自然に入り込むものなのであろう。それが人の方向性を決める一部分であると感じている。
2014.10.13
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最近、私のブログが動きか可笑しい。可笑しいのは、時々見る人が増えるのである。だから可笑しいと書いたのであるが、私のブログは前にも書いたが、自分の思っている事を書く事が殆どである種の日記的存在なので、あまり連動させる事はしていないが多少なりの人が見てくれるので、書いているのである。基本的には個人攻撃的な事は書かないし、私自身の自己防衛なのかも知れないが、殆ど自分の事と政治批判を書く事が多いので、面白いものではないはずである。そのブログが最近、読む人の数が急に増える事がある。はっきり言って、批判文が多いので面白くは無いはずである。確かに一時、海外滞在記を連載した時に、月間7000近くの人達のアクセスがあった事はあるが、その掲載が終わると50以下にダウンしたのでる。これは滞在記で途上国の知らない部分が分かるから面白かったのでアクセスされたのであろうと思うし、途上国に赴任している時に、報告書を3カ月に1回書いていたのであるが、その報告書の「その国の感想」の私の書いたものが面白い、楽しみにしている言われた事がある。その報告書に書いてある内容は生活での出来事が主であった。だが日本に帰国してから、しばらく書かなかったブログを再開して連載したのであるが、思った以上にアクセスが多かった。その連載が終わって、ブログを書かなくなった時期があった。それは大腸がんの手術や、そのリハビリで書く気力が無かったから1年以上は書かなかったのである。私はブログを書きだすと、毎日書く。それはこれと言った仕事をして居ないので暇もあるからでそれと義務的に思うのと、日記変わりに書くのである。それで自分のストレスを発散しているのかもしれないし、同時に自分のこれからやりたい事を確認している部分もある。書いて置くと自分の目標として、自分なりに確認できるし実行に移す事が出来ると思っている。私の性格で言った事は実行すべき、実行できなければ言わない事同時に表には出たくないし、自分なりの満足があれば良いがこれまでの考え方なので、その様に進めて来た。だから批判(政治的)は書くだろう、私個人的な考え方でそれは私が書いた事に自己責任を負えばよいのであるから、これからも書き続けるであろう。でも最近のブログのアクセスには、本人も驚いている。これが多くのSNSと連携しているなら分かるが、連携させていないので、自分なりに驚いている。
2014.10.12
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Yahoo問題で私は好きな事を書いている。私もシステム屋を40年以上やっていたので、ある程度はシステムに詳しいと自負しているが、今のネット社会の加速度は、私にも付いていけない部分も多く出て来ている。これはハードに関しては、私のようにシステムを行って来た人間には進歩が激しいので分からない部分が多い。そんな人間が生意気にもシステム問題を書いているのはおかしいと思うであろうが、コンピュータの発展と供にシステムを手掛けて来たので、その工程が、ある程度分かるから、言える部分がある。今の簡易言語やルーチン化されたパッケージは、私たちがシステム構築を行っていた頃に効率化を図る為に行って来た。私たちの時代はシステムを1から構築していては、発展の早いハードとの対応が取れなくなるし、システムを効率良くするためには部品化して安価にシステムを構築しなければならないと思ってその様な行動に出た部分もある。時代と供に変化して行かなければならないのは、どの世界でも同じであろう。それとネット社会が発達して、色んな面で便利さを求められるようになった。人は便利によって、その上を目指すし、求めるのが心理であるしそれに対して速効性も求められる。そうなると、それを行う為に時間との戦いになるのである。そこで今までのシステムで構築された多くのルーチンを使い効率化を図る事になった。効率化はシステム構築を安価に行う事になり、それと同時に色んな方面でコンピュータの発展が出来た。そこにはルーチンと簡易言語の組み合わせで、システムの速効性が生まれるが、問題は各ルーチンの詳細部分を理解していない。詳細部分とは開発された言語と、ルーチンの工程等の動きである。開発は開発者独特の計算式や工程動作を考えて作る物でその工程により、ルーチンの善し悪しが決まる。工程要素は個人的な経験も含まれるので、一般的には分からない。この様に作られる物を、現在はルーチンごとに組み合わせて使う事が多いのであり、そこにはルーチンの動きは理解しているが開発工程を理解しないで、組み合わせている部分が多いと思う。そうなれば、ある程度の部分はAルーチンとBルーチンは相性が良いが何処かで多少なりの違いも出て来る可能性がある。両方とものルーチンが、開発者が同じであれば、その様な問題は少ない。だが、ルーチンを開発する工程で、同じ人間が開発しても論理的ミスが出る場合が多い。それは、システム屋は逃れる事が出来ないものである。同時に論理的ミスが小さい場合ほど、後からの問題が多く出る率が大きいのである。私の経験ではシステムを構築して、早く出来たから安心して稼働させると時間が経ってから論理的ミスが出て来る。その場合、システムを追いかけて論理ミスを探すのであるが、自分なりには、システムは動いていたので追跡が論理ミスの部分に集中して解析を行うが、見つからない事が多い。私の場合は、その時は解析を止める。ぜんぜん違う事を行うか、遊びに行ってしまうのである。こんな事を書いたら無責任人間に思われるが、システムから1度は離れる事によって、新たな気持ちで再度解析すると意外な場所で論理ミスを探し出す事が出来るのである。集中的に論理ミスを追いかけていると、問題部分に偏った所しか見ていないので、その別な関連を追及しない傾向がある。それによって無駄な時間を費やすし、無駄な労力を使う。それを避けるためには、開発工程の1から見直す事が大切なのである。人は初心に帰れと、昔の人は言っていたが、システムも構築した、始めに戻って見直す事も大切である。
2014.10.11
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又もや何かが起こりそうな前兆がある。何であろうと思うでしょうが、Yahooであるがメール関連の動きがおかしい動きをしている。これはシステムトラブルなのかもしれないし、ハード系なのかもしれないが、私はシステムだと思う。まず前回のトラブルから回復した直後に、メール関連画面にお詫びの文面が貼り付けられた。それをクリックすると、Twitter画面が最初の頃に出ていた。それをPCの左上の←をクリックすると、初期の頃の誤り文面の画面が表示され、最近は文面をクリックすると本来の誤り画面が出る。これに関してはシステム的に作業工程での動きであると思うで問題は無いが、メール関連画面と、Yahoo本体画面の連動がおかしい。これはメール削除してYahoo本体画面に戻ると、削除したはずのメール数が残存している。この動きは本体画面とメール関係画面が連動していない事になる。これは作成担当者が違う場合は起こりうる現象である。ただ稼働状況がマッチする時とアンマッチの差があるから多少の時差でハードがと思うが、今のハードでは考えられない状態であるのでシステムの誤差が出ているのであろう。次はメール関係の動きであるが、毎日多くのメールが来るので削除を行うのであり、削除されたメールは削除項目に入る。トラブル回復時の頃は、その残存がメール項目に残って居たのであるがこれはYahoo側の二重対応で、トラブル防止で行っていたのであろう。それはシステム的に問題があった場合の対応であるが、それは消えたが、今度は迷惑メールに入るべきメールが直接に削除項目に入っているのである。私自身は何も操作していないので、削除項目は空にして居て操作を中断していたら、メールが削除項目に入って居た。それも同一メールが2件であり、内容も同じである。上記のメールは迷惑メール項目に入るべきメールであるのはこちらで確認できたが、それが最初から削除項目に入る事は考えられないし、迷惑メールが削除項目に入る事は今までなかったが、今回は最初から削除項目に入って居たのである。これはシステムの設定を変えたか、システムの変更で項目ミスをしたかであるが、ハード的要素では考えられない動きである。上記の動きは、今までは無かった事であり、システム的に変更を行ったのであれば、その様な動きをするであろうが、Yahooの言っているハードトラブルであれば、その動きは問題があると思うが、これはシステム的な問題でシステムの連動がうまく行ってない時に起こる現象のように思えるのである。メール関連画面と本体画面は別々なので作成者も別であろうし同時にシステムは一人で構築する事はないので、連動させる部分でトラブルが起きている状態であろう。基本的には今回のトラブルは、ハード関連でないように思える。システム連動がYahooの画面変更に伴って、時間が経ってから起きたバグなのではないであろうか。システムは変更時にバグが付きものであるが、安定したと思って安心した時に想定外の問題が起きるのであるが、それを探し出すには、相当な時間が要するものである。ただ、問題が再度起きない事を願っているし、自己防衛策を構築して行こうと思っている。
2014.10.10
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私には縁が無い物が2つある。一つは「お金」であり、これは縁が無いので「お金」が寄って来ない。確かに商売センスはゼロであるから、お金が相手にしてくれないのであろう。ただ仕事だけは、今までは付いてくるのである。付いてくるのか分からないが、自分なりに積極的に向かって行く。前にも書いたが、落ち着きが無いから、何かをやって居ないと気が済まないのである。だから、何時も何をやろうかと考えているが。それで「お金」が付いてこないのはおかしいのであるがどうも私は「お金」より行動する事が好きなので、それで自然にお金が付いてくると思っているタイプなので商売人向きでは無いのである。技術屋が商売に向いていたら技術屋で無くなってしまうだろうが?そんな事で若い頃から面接に行くと、給料の希望はと聞かれ私の答えは、私の仕事を見てから、そちらで決めて下さいと生意気な事を言っていた。だが、面接で落ちた経験は若い頃は無かった。今は年齢なので電話で年齢を言うと、断られるが。次に縁が無いのは女性である。2度も離婚しているのだから、当たり前と言われそうであるが女性心理が分からない人間なのである。意外と女性とは気さくに話をするのであるが、いざ恋愛となると発展しないし、自分の行動がギコチ無くなり、過剰意識になるのである。そうなると今までの話し方と変わり、あまり話をしなくなる。相手が気があると思っても、自分の取る行動は一歩離れてしまうので相手も考えてしまうのであろう。同時にあまり好きでは無い女性に好かれる傾向が強い。私は女性に縁が無いわりには、好みのタイプが決まっている。決められるほどの顔もスタイルも良くは無いが、生意気に決めているのである。女性なら誰でも良いとは思っていないので、タイプがあるから自分のタイプな女性には、近ずきたいと思うのであるが、旨く行きそうになると前記した行動を取り、さて自分から行動に移そうと思うと何かが起こって離れてしまう事が殆どであった。本当に女性に関しては、それが多い。今回も交流会なる事で出席を求めたが、メールトラブルで連絡が来なかったので駄目になり、諦めていたら電話が来たが私は既に出席出来ないものと思い、違う行動を取っていたので行く事が出来なかったし、ある時は親にまで会いに行ってが私が海外に行く事になってしまったり、旨く行きそうになると必ず何かが起きるのである。これは縁が無いものだと思ってしまう。ただ、女性に対して臆病な所も影響しているのかもしれない。母を小学6年で亡くし、その後、本当に愛した人を20代で亡くしてその気持ちがふっ切って居ない自分が居るので、縁も遠のくのかも。女性と意識しないと、男性と話しているタイプなので意外と軽く乗って話してくれるのである。良く行く店でも気楽に話をするので、相手も客扱いでなく友達扱いにになる事が多い、自分もその方が気楽だからその様に話をするし、初対面でも同じような話し方である。それが、縁を遠ざけているのかも????自分が意識するから悪いのか、縁が無いのか、今後は流れに任せようと思っている。
2014.10.09
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前には良く政治関係の事を書いたが、ここ最近は書かなくなった。自分が国会討論や政治関係のニュースもあまり見なくなったからである。これでは今まで書いた、国民は政治に無関心すぎると言っていた自分に反しているように思うが、最近の政治討論(国会)は、見ているだけで幼稚過ぎて腹が立って来る。政治課題も本来やるべき事を後回しにして、クダラナイ部分を討論課題にしているのであり、国民が知りたい事、やってほしい事は選挙が近くなるとやり出す、何時もの手口であり、それが政治家の幼稚さに繋がっているのが、見え見えなので政治家を信頼していないのが今の私なのである。今の政治課題は統一地方選挙を考えて、本来国民が心配している事は後回し、挙句の果ては人事で選挙の顔等と言っている。AKBじゃあるまいし、顔で政治をやるのか、それを認める国民も政治家も問題が大きい。これでは駄目だと、幾度も自分で書き起きながら、自分の気持ちは政治家は「馬鹿か」と思っているのであるが、SNSをやって居ると自然に政治関係の事が入って来るが、それもクダラナイ内容で政治家の幼稚さだけが目立つ内容が多い。基本的に今の政治家を選んだのは国民である。同時に国民を思う政治を行って貰うには、国民自体が考え方を変えなければ、今まで通りの「おぼちゃま」や理念のある政治家など選ばれない事を、国民が自覚しているのか分からない。私は海外(途上国であるが)で生活した事があるが、選挙は国民のお祭り的存在である。それは国民が、それぞれ関心を持っているから、その様になる部分も出て来ると思う。SNSで海外の友達が情報を流して来るが、海外の選挙の情報もある。それは私が見た海外の選挙の状況と同じであり、これほど騒ぐのかと思うほどの内容であり、日本では見られない光景である。だが海外の場合は当選すると、選挙前に言っていた事を守らなければそれなりの反発がデモ等で示されるが、日本では「諦め」が先であり次は政治家などは、こんな物だろうで終わる。これが日本国民の政治に対する考え方であり、前にも書いたが封建社会の名残を挽きずっている日本の政治なのであろう。またSNS関係を見ていると、確かにこんな政治家ではと思う行動や発言などもあるし、SNSに発言する事は自由である。だが、日本国民の考え方を基本から変えて行かなければ、次の選挙でも同じような人たちが議員になって、今と同じ政治をおこなって行くのであろうと思う。政治家は契約社員と同じで、契約を延長する為には嘘も方便口で言う事はタダで守らなくても当たり前なので、契約が延長されれば内部での掟に従って、自分の政治理念は捨てるのが日本の政治家である。それを選んだ国民は昔からの繋がりやシガラミ等を優先して選んだら自分たちの、それなりの報酬があるだろうと期待している。地方議員は、その典型的な例であろう。これこそ封建社会のままの国民のように感じる。
2014.10.08
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最近、体重を毎日測るが一向に減少しない。運動も涼しくなったので、やり出したが減らないのである。確かに運動の後は多少減るのであるが、夜に食事をして再度測ると増えているのである。スマホ関係から月3円で使える体重計は、スマホと連動していて色んな項目が出て来るので、楽しみに測るが、体重が減少した時に測ると身体年齢が1から2歳増える、体重が増えた時には自分の年齢より10歳若いのであるが、何故か体重が減ると増えるのか?今の所自分の年齢より10歳若い身体年齢である。だが、夏場の暑さで運動をしなかったので、体力は落ちているのは自分なりに分かるのである。確かに後2カ月で69歳となり、気持ちは若いつもりであるが最近は疲れが取れないし、直ぐに疲れが来る事に気が付いて来た。これでは駄目だと思い、運動を始めたが、運動後の反動は大きいこれでは自分のやりたい事が出来ないと思って、体力増進を考えるが、今はやりのプロテインには興味が無いので運動で体力アップを考えているが、それも持続性が無くなって来た。これだけは新たに部品を交換して、弱った部分を補強出来ないので仕方が無いと思っているが、気持ちと身体のバランスが取れないのは色んな面で支障をきたす。ただ、体重計で身体年齢が10歳若いと表示されると気持ちも若返ったように成るが、逆にこの体重計は本当に正確なのかと疑問に思ってしまうのである。今度、販売店に行って聞いてみようと考えているが自分の年齢を若いと表示されて疑心暗鬼になっているようでは今後の自分の行動も出来ないので、気持ちをふっ切って新たな事に挑戦しようと思っている。
2014.10.07
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最近思うのであるが、人間が絶対勝てない物がある。それは自然である。だが、その自然を人間が変化させて来た部分もある。それは森林や山などを切り崩して、自分たちの住む物に変えた。これは確かに人間が生きて行く上で必要なものであるが、それ以外で経済発展の為に自然を消滅させて来たのである。同時に、人間は経済によって成り立っている社会で生きて行く行為である事は自覚しているし、人間が自然に挑戦して色々な物を作り上げて来た。だが、そこには自然破壊は付き物であるし、そうしなければ生活できない事は分かっているが、人間の欲望で環境を変えた部分も大きいと思う。私は途上国に行っていた事があるが、国の貧しさを助ける為に先進国が援助を行っていたが、そこには自然を破壊する部分があった。そうしなければ途上国は潤わないからなのであるが、私はそちらの関係では無かったが、自然破壊の悲しさを感じた。前にも書いたが経済発展と自然破壊は正比例している。自然を壊して、そこから得る事によって人間は潤いを求めそれが経済として成り立ち、次の何かを求めて行くのが人間の知恵であろう。そこには先だけを見ていた為に、自然の変化を考えて来なかったのが人間である。そのツケが最近の地球に起きているように思える。人間が、知恵がある限り、自然を変えて行くであろうがそれに比例して自然は人間に対して変化している。だが欲望がある限り人間は自然に挑戦するであろうが、勝ち負けは決まっているのではないかと思う。最近の異常気象現象も早くから言われていたが、人間はそれより経済を優先して来たし、貧困国では経済の安定を求める為に、そんな事に関わる事も出来ないのが現状である。私の行っていた国も、日本では考えられないほど排気ガスが充満していたし、そうしなければ生活できない為に自然保護などに関わる事が出来ないのである。人は生きる為に何かを壊しながら、新たな物を作り上げているがそれは自然との闘いであったのかもしれないと考えてしまう。今の自然は何か変化してきているが、人間が修正出来る状態では無い。この変化にどの様に対応するか人間と自然の知恵比べが始まったのであると思う。
2014.10.06
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今回のYahooの問題はネット社会の落とし穴かもしれない。Yahoo側はハードトラブルと言っているが、それなら全体の8%だけが問題があったのか疑問に思う。受信用サーバが受信できなくなり、その為に起こった現象であるとYahoo側からメールが来た。内容は【現時点で判明している原因】システムの冗長性やデータの保全性を維持できないレベルのハードウエア障害が発生したためだが、受信用サーバでも問題であれば、全体に影響する事であろうと思う。それが8%のみ問題が生じたと言う事は、Yahoo 側の言い分で考えると受信サーバを複数台で業務を行っている事になる。なおかつ原因が解明できないとの説明である。基本的にハード上でのトラブルであれば、全体に影響するであろうしそれが部分的にだけ問題が起きたと言う説明は納得できない。これによって4日間の復旧不可能状態であった事は、Yahooは今後信頼出来ない事になったが、その前に問題状況の発信もルーズであり説明時間の間隔も長過ぎて、ユーザーを蔑ろにした事が問題である。これでYahooがスマホを販売しても、この様な問題が起きた時に今回のような対応であれば、売れないし信用が出来ない事になる。何回も書いたがYahoo 事態の技術力は低いと感じた。システムはハードとソフトが一体化して、システムになったが私たちがシステムエンジニアの場合と、現在のシステムエンジニアの考え方が変わって来ている。私たちの時代はソフト開発が主であったので、ハードとの相性などを考慮してソフトを開発していた。だが今は私たちの頃のオペレーター的要素が強い人たちがシステムエンジニアと呼ばれている。私たちはソフト開発の為に1から言語を使って開発を行い計算式も自分たちで考えて作って来た。処理も自分たちで考えてルーチン化しなければならなかったので業務分析を初期から行って来たので、分析能力が必要であったが今は簡易言語が主流になったので、自分たちで作る計算式やルーチンも少なくなった。言うなればコンピュータを如何に使いこなすか、如何にOSの内容を知るかそれによって思考する事が少なくなったのと、色んなパターンを覚えなくなったと同時に、考えなくなった為に操作性が主である。今のシステム構築はハードとソフトの組み合わせが如何に出来るかでシステムエンジニアとして成り立っている。私たちのようにハードを如何に動かす為に業務分析を行い分析能力が必要であったが、その為には、どの様なルーチンでソフトを作るかと考えた時代は過ぎ去ったのである。今はそれが少なくなったのでシステムの稼働で違和感があっても見逃す事が多くなったのではないかと思う。分析を多く手掛けると操作で違和感があった場合、何処かがおかしいと分析する力になるのであるが分析経験が無い人たちは見過ごす可能性が高い。業務はどれもが同じであるが、経験で分かる部分が多いしシステムも分析して作成していなければ、見過ごすであろう。同時にネットの場合は多種多様の人達が使うので、多くの問題点が出て来る事が多いし、それを全部考慮するには自分たちの分析能力を伸ばさなければならない。私も40年以上コンピュータをやっているが、分析に関しては問題は少ないが、操作に関しては今の若い人たちには負ける。ただ、操作性だけを主に考えると、今回のような問題の解析が出来ない事になるので、その面を考えて行かなければならないであろう。私もまだ、学ぶべき部分が多いと思っているし、それだけネット社会の進歩が激しいのである。
2014.10.05
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今回のYahooでのトラブルでメールが9月30日分から10月3日分までメールは無い状態で回復した。私の場合1日多い時で200通ほどのメールが来るので、4日分は消えた。この状況を見ると、ハード的に一時的にアドレスが消滅したのであろう。そうでなければ、これだけの時間が掛かって修復は考えられない。私も多くの大手のシステムを手掛けてトラブルを経験したがこれだけの時間がかかったと言う事は、初期段階でアドレスが消えていた状況である為、受信メールも受けられない状況であったと推測される、その為に30日から3日までのメールが来ないのであろう。そうなるとYahooの冗長性に問題がある。前日に書いたように冗長性はトラブルの場合のバックアップ体制であるからその体制が整っていない事になる。他のバックアップデータから、再登録を行ったので時間がかかったのでは無いかと思えるので、今後も同じような問題は起こるであろう。上記の事を考えると、自己防衛策も大切であるから、今後はその対策を考えて行こうと思っている。まず問題は、個人的な事である。コンピュータ関係の仕事をしていたので、ネットは不可欠な状態の生活をしているので、今回のような問題が起きた場合は対処できない。その面は自分なりの反省をしなければならないが、これほど長きに渡りメール関係が途絶えると色んな面で生活に支障をきたす。今後はその対策案を考えなければならない事になる。私自身はYahooを初期の頃から使っているので、信頼を置いていた。この様な状況は想定していなかったので、メールのやり取りはYahooが主であり、他のアドレスは持っているが殆ど使わない。同時に買い物等もYahooのメール関係にチケット等を入れているのでメールがストップするとチケットも使えない。チケットはYahooメールのフォルダーに入れているのをスマホで開き、それで提示する方法を取っている。同時に色んな関係の出欠もメールで行っているので、PCのメールアドレスだけで処理するようにしている。スマホ自体でアドレスを持っているが、スマホで迷惑メール等が嫌なので殆ど使わないし、教えない状況である。だが、この状況になると、ネットの弱点を感じてしまった。ネット社会の現在で、この様な状況が起きた場合私たちの生活が遮断されてしまう事が、今回の事で充分に分かった。そうなれば、それに対する対策を考えなければならない。簡単に言えば電気が使えないのと同じ状況である。日本人は、電気は当たり前にある物と考えているであろう。確かに日本では原発事故があっても、電気は問題ない状態を保っている。これは日本の良い所でもあるが、私の行っていた途上国では毎日のように停電があり、貧しい人達は盗電してテレビ等を見ていたただ、高級住宅街は停電が殆ど無く、私達見たいな外国人は電気料金が高かった。(日本より高い金額を払っていた)話は脱線したが、電気が無い生活は今の日本人では考えられないであろう。急に電気が無くなったら、冷蔵庫も動かないし工場も動かない。そうなれば一般人は戸惑うだけで、何も出来ない状態になりパニック状態が続くであろう。それと同じようにネットに依存傾向が強くなった今、自己防衛も考えなければならない時期に来た事を、今回のYahooが教えてくれた。Yahooでも信頼出来ない状況がある場合、他のブロバイダーも同様の事が起きる事を考えなければならない。そこにはネット社会の落とし穴がある事を自覚した。確かに私のように長年コンピュータに携わって来ているとネットで殆どの事をやるようになるし、管理関係もネットを使用する事が多い。そこには信頼関係で成り立っていたが、今回のような問題が起きるとその信頼は消える。これは当たり前のことであるが、ブロバイダーは信頼しては逝けない。ネットに頼っても逝けない。対応処理を考えてネットを使う事であり、依存するのではなく道具として使う事として考えて、問題が起きた場合の対策を自分なりに作る事が大切である。さて、ここからは対策であるが、PCとスマホ等ネットに関連する物は自分なりの方法で自己防衛する。まず1ブロバイダーのメールアドレスだけでは、問題があるので複数のメールアドレスを持つ、ただしこれには自己管理が必要になる。簡単な方法論としては、重要事項などは二重防御でブックマークに分類して入れる。この場合はメールで今回のような問題が起きても、ブックマークから相手側に連絡が付けられる。ブックマークに重要度毎のフォルダーを作って、それでネット処理を行う方法が、今の所考えている。他の方法論は、ある程度調べてから行おうと思っているが緊急の対処方法で思いつくのはこれだけである。
2014.10.04
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今日で3日間であるが、昨日ブログを書いた後に、9時に状況を説明すると、前日に書いてあったが10時30分に発表された。対応の遅さに問題があると思う。内容は「9月30日(火)午前9時20分頃より、Yahoo!メールのシステムにおいて、システムの冗長性やデータの保全性を維持できないレベルのハードウエア障害が発生し、3,794,777IDの方々にサービスを提供できない状況が続いています。現在も原因は特定できておりませんが、サービスの復旧に向けてシステム安定化やデータ保全を優先的に行っております。」であった。10月3日中に回復を約束している。冗長性とは「冗長化(じょうちょうか)とは、システムの一部に何らかの障害が発生した場合に備えて、障害発生後でもシステム全体の機能を維持し続けられるように予備装置を平常時からバックアップとして配置し運用しておくこと。冗長化によって得られる安全性は冗長性と呼ばれる。」である。保全性とは「不具合の発見・修復のし易さ、不具合によるアイテムの休止時間を最小にすることも評価の尺度となる。ソフトウェアプログラムの場合、バグなどの不具合要因を修正したり,性能や使い易さといった特性を改善したり、製作当初に想定していなかった機能の追加や変更を少ない手間やコストで実施・改変が行える容易さを表す」である。今回、ハードでの問題点であると言われているが、この様な状況が起きる前に、前兆があったはずである。Yahooは最近表示画面と操作を変えたのである。一つはビジネスタイプ、もう一つは一般タイプであり、その画面を統一した。その時に私が使っていた一般タイプも変わったのであるが、私だけかもしれないが、操作性に違和を感じたのであり、今までのタイプと動きのスムーズさが無くなっていた。私は変更の初期段階であるから、操作の部分でシステム的にバグが生じていると感じていたのである。確かにシステムの変更では、必ず論理的な適合が出来ない部分が出て来る。これは初期段階では仕方が無いものである。この様な場合もシステムを作成した人が、変更するのと新たな人が作成するのでは問題の起こり具合が違って来る。Yahooも何回か立ち上がり画面は変えているが、問題は無かったが今回は動きも悪く、ハードに負荷が掛かっている動作を感じていた。それはあくまでも私だけであったかもしれないが、長年システムをやっていた勘みたいなものである。その感覚から、抜けきらないままに操作を続けたが、動きが鈍いアクセスも時間が掛かり、システム的にもスムーズでない状況であった。システムを変更した場合は、幾度もテスト稼働を行い、偽装ミスを作り上げて、動作確認を行うのが普通である。この偽装ミスを、どの程度まで考慮して作成するかによって、システムの安定を図れるのであるが、ネットでは多数の人達が使うので偽装ミスを完全には考慮できない。だが、私は画面変更後に不安な要素を幾度も感じたし、動作がおかしいと感じていたのである。ただこの場合はOSとの関連もあるので、一概にはシステム変更での問題点とは言えないが、その様な状況下であった事はYahoo 側もある程度は分かっていたはずである。それに対処したかが問題である。動いているから、安心していたのか、不安定要素の解明していたのかそれによって問題が拡大する事をYahooは分かっていなかったのであろう。現在も原因が分からないと言う事は、Yahooの基礎部分の技術力がないと言っても過言でない。システムの変更時に、どれだけの問題が起きているか把握できていないしシステムの動作確認を行っていなかった、いたとしても安易な方法で行っていたとしか思えない。システムは完全は無い、ハードとの相性もあり、ハード側の状況を把握してシステムを構築するはずであるから、今回の問題はハード側だけではないように思える。
2014.10.03
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昨日に書いたブロバイダーであるが、2日間経っても動かない。これで大手ブロバイダーと言えるのであろうか?私の場合は日に200通以上のメールが来る。だが、今は静かである。メールの整理を行うのに、数時間かかる日々であったが何も出来ないので、この問題が解決した場合は大変であろう。基本的に、この問題でブロバイダー側の報告は同じ事を繰り返し書いているだけであり、道義的責任を感じていない。Yahooも地に落ちた感じである。問題も処理経過も何の説明も出来ていない。これで大手ブロバイダーと言えるのか、疑問に感じてしまう。これだけ多くの人達が信頼して使っているのに、問題が起きた状態で説明は「大変迷惑をかけています、引き続き処理を行っています」であり時間も10時間ごとの報告であるが、内容は前回と変わらない。これで使っている人が納得するであろう?経過報告もなし、状況もなし、稼働までの予定もなし挙句の果ては5000万IDの400万IDに問題があり全体の8%であるのでと言って釈明しているが、この数字で400万IDを持っている人が迷惑しているし、何時動くかも分からない状況である。ネット社会ではYahooは古参であり、初期の頃からのインターネットを行っていた人達は、Yahooを使っていた人が多い。同時にそれはコンピュータを知っている人たちも多いのである。その状況で、あのような説明と経過報告時間の取り方は大手ブロバイダーのやる事ではないし、信頼を失うだけであろう。今回の経過での説明内容から推測すると、問題があるIDにはメールも届かないとの事であるから、IDのメールアドレスがハードで損傷したか、ハード上で記憶されていたアドレスが消滅したか何らかの内部での処理に於いて消えたかであろうと思われるがYahoo側はハードのシステムトラブルとだけしか言っていない。私の推測範囲の考え方であれば、バックアップ体制も整っていない事になるが、それはコンピュータのシステム上では考えられないし、それをやっていないブロバイダーであればシステムを運営できないはずである。だが、大手ブロバイダーであれば、銀行のシステムと同様に問題が起きた場合、自動的に待機システムが稼働する事をすべきであったが、それはYahooでは遣っていないのであろう。確かに待機システムを持つのは資金的に負担が大きいだが銀行等は大衆のお金を預かって出し入れしている為にバックアップとして稼働しているシステムと同じシステムを待機させる。これはハードを2台持つ事になるので、資金的負担は大きい。ハードの単価も億単位であるから、半端な金額では無い。これは問題が起きた場合に敏速な対応を迫られるからである。今やネット社会になって、大手ブロバイダーが2日間以上対応出来ないのは、このブロバイダーの信用問題になる。今後もこの様な問題は起きるであろうし、その対応の速度によってユーザーとの信頼関係が出来るのであるが、これでYahooは多くの信頼を失うであろう。この様に問題が起きて、私もネット社会の問題点を見たように思う。それまで信頼していたが、ここで新たな考え方が必要になった。それより個人的な情報が来なくなったので、問題が大きい。メールのやり取りを行っているのは、Yahooのみであったから私の考え方にも問題があった事を反省している。ただ、Yahoo側の対応の悪さは許せないし、400万IDで8%だけとの弁解説明も、大手ブロバイダーとして恥ずかしい事である事を自覚していないと同時に、経過報告も同じことの弁解文だけで最低の説明であり、これが大手ブロバイダーとしてやる事かと疑問に感じる。
2014.10.02
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今、私はネットでメールのやり取りが出来ない状況である。昨日の午前中から今朝になっても復旧していない。Yahooであるが、この大手ブロバイダーが、このような状況で手間取っているのは問題が大きい。この様な状況になる前に、前日にも同じような状況が発生した。それは数時間で復旧したが、それが今回の前兆であったのだろうと推測できるが、その状況で普及したと感じたのか、安心したのか分からないが、今回の状況は丸1日過ぎても復旧できていない。これは大手ブロバイダーとしての、技術力が問われる。Yahooは、私が使って20年以上経つが、これまでには多少の問題はあったが、この様な長期の問題は少なかった。Yahooがスマホの販売に関連して機種を大きくしたか、システムも変更を行った為と推測するが、これでYahoo自体の技術力のなさが露見したと思うし、今後は使用者からの信頼を失う事になる事は間違いない。私もシステム屋であるから分かるのであるが、Yahooの技術力は信頼出来ない、今やこれだけの大手のブロバイダーとして多くの人が使っている状況では、メンテナンスや開発等の人材はそれなりに居るであろうが、その技術力に疑問を感じる。あくまでも推測であるが、社内体制に問題があると思う。まず、システム自体を分かった人が居ないか、それだけの技術力が乏しいかである。長期に運営して来た場合は、システムは安定するが、それはシステムの内容を分かった人間が居るからである。ただ、システムのレベルアップを行う場合は、稼働中のシステムと新規システムの結合で多少のトラブルは起きる。これはシステム変更につきものであり、仕方が無い事であるがそれは前システムを理解して、新規結合システムを構築するの両方を理解して行う。それなりの技術力があれば、問題が起きる率は低い。だが、今回のように長時間の復旧が出来ない事は、技術力が無いと断言できる。Yahooの説明では外部からの侵入が無く、システムトラブルであると説明しているが、そうなれば内部にシステムを把握している人間がいないので、解析を行っているので時間が掛かるのであろう。確かに私たちも古いシステムから新たなシステムを構築する場合に、前のシステムを分析するには時間がかかった経験がある。それは人によってシステムの内容が変わるからなのである。私が一番嫌ったのはパッケージソフトとの結合システムであった。それはパッケージソフトを解析するのは、新規に開発するより時間もかかり、項目名もそれぞれ違った使い方をするので解析して結合させるが物理的項目も同時に理解しないと新たなる結合のシステムが出来ない。 パッケージソフトを作製した人が居れば、解析も楽なのであるがパッケージになっている場合は、権利はメーカー側になっているので自分たちで解析するしかないのである。上記の場合は新規で行う場合であるが、今回のYahooでは既に稼働しているシステムなので、内部の技術力が無いとしか言えない。内部システムを把握していない為に、対応が遅れているのであろう。はっきり言って、Yahooは技術力が低下していると言える。これだけ多くの人が使っているのに、この状況では私たちもYahooだけに頼る事は避けなければならないと思っている。20年以上使って来たが、今後は他のブロバイダーとの併用しなければ同じような問題が起きるであろう。企業が使っていた場合は業務停止になり、裁判沙汰になりかねない。日本だから、その様な現象は起こる事は少ないが、外国であれば裁判沙汰であろう。我々、個人的に使っていても、問題は大きい。これもNET社会の弊害であり、私たちも考えて、それに対処しなければならない事になる。
2014.10.01
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