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自殺を考える中学生の良一と野球部のエースの徹也と徹也の幼馴染で難病で入院中の直美が三角関係になって、良一と徹也が100歳まで生きて死ぬまで直美を忘れないという15歳の同盟を組む話。主人公の一人称。難病の少女をめぐって三角関係になるというステレオタイプな話なうえに、会話と改行が多くて無駄に場面を引き伸ばしている印象。著書の『天気のいい日は小説を書こう』では三角関係も難病の少女もパターンだと開き直っているけれど、ジュニア小説はこんなもんだろうという作者の手抜きの態度が見えてよくない。物語の展開にも不自然さがある。徹也が野球の試合をビデオにとってもらうことを良一に頼むことが徹也と良一が知り合うきっかけになるものの、徹也は別に親しくもない良一に音楽のレッスンをさぼらせてまでビデオを撮ってもらわずにビデオカメラの使い方だけ良一から聞いて野球部の後輩にでもカメラ回させればよかったんでないか。終盤で同級生がバイクに乗って事故ったという展開も安直。描写も主人公が見聞きしたことを比喩もなく平凡に書いただけで見所がない。プロットは直美の死によって良一はピアノの表現の仕方を発見して人間的に成長するというのがクライマックスになっているものの、ヒロインが死んだから主人公が成長したというより、主人公を成長させるためにヒロインを死なせたというご都合主義な作為が見えてしまうと面白くない。受験と家庭の不和に苦悩して自殺を考える良一はよいとしても、直美のリアリティーのなさが物語を台無しにしている。★★★☆☆【送料無料】いちご同盟価格:410円(税込、送料別)
2011.08.28
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文学や芸術についてのエッセイと短編小説。昭和50年代に書かれたらしいが、今から○年ほど前に云々と書かれてもいちいち巻末の初出誌一覧をみないといつの出来事かわからない。博学な知識を元に端的で情緒ある文章を書いていてよいものの、各エッセイが短くて時代感がつかみづらく話が広がらないのが物足りないところ。★★★☆☆【送料無料】深夜の読書価格:327円(税込、送料別)
2011.08.28
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田舎の高校生や予備校生や教師の友情やら恋愛やらを書いた短編集。主人公視点の一人称で口語の文体。描写のペースが安定していて、そのうえ短編で簡潔にまとまっているので読みやすい。青春小説にありがちなエキセントリックな主人公がいるわけでもなく、誰かが難病で余命何秒とかでもなく、中二病的な比喩をするでもなく、無理に劇的に仕上げずに普通に描写していて日常感がよく出ているのはよい。女性作家はドラマチックな物語展開をしがちだけれど、あえてやらないことでリアリティを出していて、その姿勢はよいものの、それだけだと味気ないのでさらに玄人の技法や思想を上乗せしてほしいところ。主人公=語り手の一人称にするのは悪手。その主人公がなぜ語るのかという物語論的な動機がない。自分語りしたくてしょうがない自意識過剰な人が集う田舎町というわけでもないし、心境小説でも告白小説でもないのだから、全部の短編を一人称で書くのは不自然さが増す。語り手と主人公の距離を置いて三人称でやればいいのにやらないのは三人称の小説が書けないのだろうか。口語の一人称だと主人公=語り手のリアリティが物語の出来を決定付けるけれど、登場人物が作者の視点を上回ることはないので、女子高生は自然に書けても年長男の人物造形には限界を感じる。女性作家の書く男性の目線というのはあちこち不自然だし、そのうえ口語なのが登場人物の幼稚さを増している。この構造だと主人公の見たこと、感じたことの枠内でしか描写できず、表現の幅がせまく文彩がない。例えばクラスメートをオタク男子と描写しているけれど、何に対するオタクなのかも明示されておらず、抽象的で人物像を描写しきれていない。読者が高校生なら表現技法は気にしないだろうけど、高校生じゃない読者にとっては物語展開と登場人物の精神構造の単純さが目立つ。★★★☆☆【送料無料】檸檬のころ価格:560円(税込、送料別)
2011.08.28
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イシャナギ島(石垣島)で500年生きたキジムナーが人間になる話。主人公のキジムナーの一人称。死者が話したりするマジックリアリズムが特徴で、一族の年代記のように世代を追って展開するあたりは『百年の孤独』に似ている。しかし子供のまま成長しないキジムナーがプロットの中心というわけでもなくほとんど傍観しているだけで、かといってコーニーの一家が主人公的な役割があるかというとそうでもない。コレラや標準語運動や戦争などの出来事が島の外部から持ち込まれて島民が右往左往しているエピソードが単発的に語られ、プロットが大きな物語として収束しない。それに視点も人間から距離を置いていて、感情移入しにくい。というのもキジムナーは冒頭である男(興羅)のノートにある物語に自分の記憶を絡めるといっているし、アカハチのエピソードは「樹木たちによれば」と木に聞いたエピソードだし、最後はガジュマルが書物を吸い取っているという落ちになっていて、語り手はキジムナーだけれど物語の視点が一定ではないから誰の視点から見た物語なのかがわかりづらいのだろう。そのうえときおり神の視点になっているのは物語論的にみて技術的失敗といえる。キジムナーが自分だけ歳をとらずに仲良くなった人間と別れるのがいやで人間になる決心をするというのが物語のクライマックスなのだろうけれど、そのキジムナーに感情移入できず、プロットの中心となる軸もなく、読者はマジックリアリズムの世界観に入り込めずに傍観するしかない。キジムナーと死者の存在が物語を異化しているものの、わざわざマジックリアリズムを使って死者をよみがえらせてどんな死生観を伝えたかったのかがよくわからない。表現手法と表現内容がかみ合わなければその表現はただ装飾的なだけで内容を損ねるけれど、これではただ単にマジックリアリズムをやってみただけのように見えてしまう。文章そのものは下手ではないものの、エンタメをめざしたのか純文学をめざしたのか構成が中途半端でどっちにも突き抜けていない印象。★★★☆☆【送料無料】ガジュマルの家価格:1,575円(税込、送料別)
2011.08.24
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声を出せなくなった少年が旅館で働いたらDQNにいじめられて声を取り戻そうとする話。主人公視点の一人称で、現在形で物語が進行する。声を出せないし文字を書くのも嫌という主人公がなぜ物語るのかがまずひっかかる。作者が神の視点で主人公の内面も見透かして書いていて読者が主人公の頭の中を覗いているというようにとらえてもいいのだけれど、そうするとこの主人公の物の見方の不自然さがひっかかってリアリティーを損ねている。まずは言葉が溢れすぎて話すことも書くこともできないという主人公の頭の中で言葉が氾濫せずに理路整然としているのは不自然。それに女性作家が男性を主人公にする場合はどこか不自然さがあるものの、この小説の主人公も思春期らしさがない。主人公から見た他人の存在感がないのがこの小説をつまらなくする一番の原因だろう。旅館に気になる女の子がいても胸も尻も見ていないし、うざいDQNの存在も直視していない。直接DQNに反撃せずに言いなりになった後でうじうじトラウマになったり放火をもくろんだりして女々しい。ちんこをジョニーとかディックでなくペニスと呼ぶあたりも女々しい。女々しい男性がいないでもないが、それなら作者と同性の女性を主人公にしたほうがよりリアリティーのある話になるだろうになぜそうしないのかと思う。こんな中途半端な主人公だと男性読者も女性読者も同情も共感も応援もできないのではなかろうか。旅館の飯がどうだとかやたらと仕事の細部を説明的なほど詳しく書いているものの、これでは障害者の労働体験記になってしまっている。詳細に書くべきなのは仕事内容ではなく人間であって、リアリティーを出すなら細部よりもむしろ文体と構成を改善するべきだっただろう。テーマも突っ込み不足で、主人公が障害者として生きる自覚がない。声が出せないならその旨を書いたカードでも持ち歩くとかジェスチャーや手話をすればいいのに、終盤になっても声がでないことを他人に説明できずにおろおろしているは不自然だろう。また仲間意識の浅薄さに対しても突っ込み不足。主人公が他人の存在を表面的にしかとらえていないことと仲間意識を絡めて物語を展開したらもうちょっと読み応えがあったかもしれない。女々しい少年の自立を書くにしてもファミレスで暴れたり放火をたくらんだりせずに他にやりようがあったのではなかろうか。★★★☆☆夜明けの音が聞こえる価格:1,260円(税込、送料別)
2011.08.22
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女子高生が寝たきりの母親を看病していて女に触れない冠くんと別れて大学生のせっちゃんと付き合うものの、やはり冠くんが気になる話。主人公の一人称。一ページの字数が少ないレイアウトのおかげでごまかせているものの、場面転換や回想のたびに一行空きが多く場面が細切れになっていて、描写が少なく肉付けが足りない。あとで書いた『ナラタージュ』ほど下手じゃないなと思ったら、文庫向けに加筆・訂正したらしい。それでも変な形容や比喩がちらほらある。母一人子一人で母親を看病する男というのは高樹のぶ子の『蔦燃』も出てくるけれど、これを彼氏役にするのは安易すぎる。二人目の男の藤野ときく子の存在は中途半端で、もっと内容を掘り下げて展開するかいっそのこと削ったほうが話がわかりやすい。主人公も併録の掌編小説も主人公が母子家庭だけれど、母子家庭である必然性がわからない。登場人物の生い立ちに物語の展開を頼りすぎている印象。物語の中に大人の男が不在なのは単に書けないからなのかと勘ぐってしまう。それから大学生(18歳以上)が高校生二年生(18歳未満)とセックスをするのは東京都の条例にひっかかるけれど、これをスルーしてるのはリアリティの根幹にかかわる。冠くんという同情をひく少年やはじめという献身的な友人を出して青春純愛物語風にしようとしてるのに、主人公がほいほい外泊とセックスをするビッチで彼氏の藤野とせっちゃんも女子高生にほいほい手を出す節操のない淫行野郎となると、テーマと内容がちぐはぐになってしまう。女に触れない冠の対比としてセックスしまくりのせっちゃんがいるのだろうが、セックスの比重が多くて昔の男の思い出として過去形になってしまった冠くんの存在感がなくなってしまった。ドラマチックというよりはマンガチックな展開。★★★☆☆【送料無料】シルエット価格:440円(税込、送料別)
2011.08.22
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双子の姉妹と暮らしていたらゲームセンターからピンボールがなくなってピンボールを探す話。主人公の一人称。僕が双子と暮らす話の合間に700キロ離れたところに住む鼠の話が展開する構成。しかしただでさえ描写が少なく改行が多くて場面が途切れ途切れなのに、その上に鼠の話を挿入しているので展開が中断されて物語の世界が印象に残らない。冒頭の部分に土星や金星の話が出てくるものの、ごちゃごちゃしていて何を語りたいのかよくわからない。また登場人物に関しては名前が出てこず、双子も翻訳をする友人も事務所の女の子も名前で呼ばれない。その一方で冒頭で直子について言及するものの、それきりピンボール探しの話にはかかわらないし、何のために言及したのかよくわからないし、他の作品を参照しないとその人物についてわからないというのでは小説として不完全。双子についても外面描写がなく存在感がない。脇役の大学講師でさえ髪が薄いだの日焼けしているだのといった特徴が書かれているのに、双子は太っているのかやせているのか背が高いのか低いのか髪が長いのか短いのかも書かれておらず不自然。そのうえ双子がピンボールに関するプロットにかかわるわけでもないので存在意義がよくわからない。双子より直子のほうが主人公にとって重要な存在なら、中途半端に直子に言及したり双子とのどうでもいい会話をだらだら書いたりせずに直子についてもっと掘り下げて書いたほうがましだっただろう。語り手=主人公が鼠について三人称で物語るものの、なぜ語り手=主人公が700キロ離れたところに住んでいる鼠の生活を詳細に知っているのかというナラトロジー上の疑問も残り、全体的にリアリティーに乏しい。『風の歌を聴け』と『1973年のピンボール』が芥川賞の候補になっていて、よく村上春樹に賞をあげなかったと引き合いに出されるものの、これでは賞を取れなくて当然だろう。★★☆☆☆【送料無料】1973年のピンボール価格:420円(税込、送料別)
2011.08.11
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21歳の大学生が鼠と呼ばれる男とバーで会話したり、今まで寝た女について回想したりする話。主人公の一人称。会話が多く描写が少ない文体。場面転換を書けないのか意図的に書かないのか不明だが、改行が多くて話がぶつ切りなうえに構成もごちゃごちゃいていて話のつながりがわかりにくい。Tシャツの絵を載せるのも稚拙で、文字で表現しないのだったら小説にする意味がないし、Tシャツがプロットに重要な小道具というわけでもないのでそもそも絵を載せる意味がない。反小説的であろうとしてわざわざTシャツの絵を出したのなら見当違いの試みだろう。物語のプロットもなくだらだら会話してるだけで、デビューするほどの完成度ではない。読みやすいことを面白いと勘違いしてこの小説を賞賛している人たちは小説なんか読まないで絵本でも読めばいもっと面白く感じられるんじゃないだろうか。★★☆☆☆【送料無料】風の歌を聴け価格:400円(税込、送料別)
2011.08.11
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