~さわやかに香る風~

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「んじゃ、俺も帰るわ」
 希色の家から巧の家に戻ってくる途中、いつもの分かれ道で、亮介は巧とは別の道に歩みだしながら振り返って言った。
 亮介の家は巧や希色の家よりはそこそこ北に坂を上ったところにある。その辺りは山が近いので、巧の家の辺りよりさらに静けさの増した環境である。
「あぁ、うん。親父さん、相変わらずなん?」
 巧が言うと、亮介は苦笑いをした。
「まぁね。最近じゃ口も聞かないし。俺にとってはその方が楽だけど」
「う~ん、俺は良くないと思うけどな…色々言われてる時の方がまだいいよ。会話がなくなるのはまずいんじゃ…」
「何でか知らんけど、親父は俺にばっかつっかかってくるしな~、母さんはすでに俺を諦めてる感があるし」
 と、そんなことを亮介は笑顔で言ってのける。

 巧も亮介の家に遊びに行った際、彼の父親と対面したが、近づくことのできないオーラを放っていた。巧が笑顔で挨拶をしても、「どうも」というだけで笑顔は返ってこなかった。しつけに厳しい父親らしく、生活面において衝突することがしばしばだという。言われてみれば、キャラに似合わずフォークやナイフの使い方が完璧だったのが印象にのこっている。
 一方勉強面で悩んでいるのは母親である。お互い話はするようだが、亮介は成績が悪い(学年で下から五本の指に入る)ためか、最近は期待されることがなくなってきたとのこと。その代わり、小学生の弟は勉強もできるようで、今から英会話に塾など、過度な期待をかけられてかわいそうだ、と亮介は以前に話していた。
「でもさ、亮介は勉強以外で頑張ってたんだしさ、俺はそれでいいと思うんだけどな~」
 巧は本当にそう思っていた。陸上部では1、2を争う実力の持ち主だったし、部活以外でも自主トレに励む姿を見かけていたからだ。
 巧の発言に亮介は首を振る。
「ま、そうは言っても部活はもう終わったし?受験が近づくにつれて、母さんはだんだん機嫌が悪くなってくるわけよ…あ~嫌やなぁ期末とか受験とか」
「まぁその辺はおばちゃんの気持ちもわかるけどね。マジで頑張んないと亮介ヤバいんじゃない?」
 と、ハッパをかけるつもりで言ったのだが、このあたりはさすがというか、亮介は得な性格をしている。亮介は尚も笑顔で言ってのけた。
「あー、多分大丈夫だって。陸上の推薦で行けるし」
「は?大丈夫って言ったって…そりゃ可能性はあるけど、お呼びがかからなかったらどうするんだよ?」
「ははは、そんなことタクが心配しなくていいって。それにタクだって推薦もらえるんじゃないの?生徒会とか入ってるし、成績もいいしさ」

「え?…全然そんな期待してないよ。成績いいって言ったって、定期テストがそこそこいいだけで、模試は全然だしなぁ。要するにその場しのぎってだけ?頑張らなきゃなぁ」
 実際、推薦入学なんて全く考えていなかった。まぁ推薦がもらえるものならもらいたいけれど。みんなが塾に通っている手前、模試の成績が最近下がり気味なのは焦りを感じる。
 巧はそこまで考えて思い出した。
「そうだよ、今日は元々勉強会が目的だったのに」
「あ…そう言えばそうだなー。今思うとアレが本当に起きたことなんかどうか、俺も自信ないや」

 巧が謝ると、亮介は眉をしかめて、
「…ほんとだよ。全くタクのせいで」
 とそこまで言うと意地悪くニヤリと笑った。
「…って言うのは嘘だけど!タクの方が被害者なんやし、俺のことなんか気にしてる場合じゃないやろ?今から家帰ったら大変そうだなー。あぁかわいそうなタクちゃん」
 それを考えるのは意識的に避けていたのに。途端に帰るのが億劫になり、黙り込む巧。
「ま、二人ともいい奴そうだし?タクならなんとかできるって!んじゃ俺も早く帰らないとマジで怒られそうだし、明日無事に学校来るように祈っとくよ。んでもって立花さんも言ってたように、マジョンナとか言う先生を拝まなきゃな!じゃ、また明日!」
 亮介はそこまで言い切ってしまうと、そのまま家へと向かって走って行ってしまった。
「…」
 無責任な奴。
 一瞬はそう思ったが、いざという時は亮介も協力してくれる。場を和ませてくれる亮介には感謝していた。それを思い返して、巧は一人、ニンマリとした。

        7

 自分の家の前まで戻ってくると、二階部分に明かりが灯っていた。
「はぁ…」
 今日は寝付くことができるのだろうかという不安を抱きつつ、ドアを開けて中に入る。
 チヂミのにおいがまだかすかに残るリビング、一連の出来事はやはり現実だったのだと、複雑な気持ちになった。
 そのまま二階に上がろうとしたが、
「あ…」
 テーブルの上の、今回の事件の元凶となった物を見つけ、そちらへと方向を変えて歩む。例の、二人の「もう一人の自分」を生み出した手鏡である。
 触ろうかどうしようか迷ったが、これをどう処理してよいかミクタに聞いておいたほうがいいと思い、手鏡を手に取る。もちろん、鏡の面は見ないように注意を払いながら。
 もし面を見てしまって自分がもう一人増えてしまったら…などという恐ろしい考えが浮かんできて、巧は慌てて首を振る。
 手鏡を手にし、明かりが漏れている自分の部屋を目指し階段を上る。
「ミック?」
 呼びながら部屋へ入ったが、応答もなければ部屋には人っ子一人いない。
「あれ?」
 他の部屋にいるのかと思ったが、ベッドの上に何か書かれた紙切れが置かれているのを見つけた。誘われるままに手に取り、読んでみる。
「帰ってくるのを待っててもよかったけど、
 ボク達がいるとどうせ寝られないだとか何とか
 文句を付けられちゃかなわないし、
 ロッキーとも話しとかなきゃならないこともあるしね。
 また例のように鏡の向こうに行っとくことにするよ。
 聞きたい事は山ほどあると思うけど、また今度。
 今日のところはボクの気遣いを有難く受けて
 ゆっくり休んで。
 それじゃ、また気が向いたら出てくるよ。      」
 ミクタからの伝言だった。
「何だよ…」
 相変わらず引っかかる言い回しにむかつきながら、
「どうするんだよ、これ。無用心だなぁ…」
 持っていた手鏡の面の方を無意識に見そうになり、慌てて裏を向けると、そのまま自分の机に伏せておいた。
「ふわぁぁ」
 大きな欠伸が突いて出る。
 時計を見ると、まだ十一時前である。
 いつもならもう少し起きて勉強でもするところだが、今日一日で色んなことが起きすぎて、今になってどっと疲れも出、とてもそれどころではない。
 今日は寝てしまおうと思いベッドに横になろうとしたが、まだ歯を磨いていなかったことに気付き、急に重くなった足取りで一階の洗面台を目指した。
「そういえば…」
 ミクタが出てきてから今日一日、まだ鏡を見ていない。
 そのことに気付くと、途端に洗面台へ行くのが恐くなった。
 もしかして、鏡を見てももう自分の姿は映らないのではないか?
 巧は心臓をバクバク言わせながらも、部屋へと引き返すことなく洗面台の前へと来ると、心を決めて電気を付けた。
 ポチッ。
 蛍光灯が点滅しながら辺りを照らし出す。
 そして恐る恐る鏡に向けて顔を上げる。
「……!!」
 ……。
 鏡の向こうには、今の自分そのままを映した巧がそこにいた。
 ……?
 鏡の向こうの自分が違う動きをしていないか、まじまじと見つめて確かめてみる。
「大丈夫…みたいだ」
 そう言った巧の口の動きもそのまま鏡は映し出している。
 (いつでも同じ動きはしてあげられるんだし。別にそれでいいんじゃない?)
 途端にミクタがそう言ったセリフを思い出した。
「まさか、ねぇ」
 疑問に思いながらも鏡をコンコンと叩きながらミクタの名を呼ぶ。
「ミック!?本当に真似してるんじゃ…?」
 鏡を叩いておいて、その自分の手が鏡の向こうへとすり抜けた時のことを思い出したが、これも頭を振り、自分を落ち着かせようとした。
 ミックはロッキーと話をしているんだし、こんな真似をいちいちやっていては話などできないはずなのに。
 何度も名を呼び反応を確かめてみるが、目の前の自分が変化を起こすことはなかった。
 巧は諦めて歯を磨くことにした。
 もしかしたらこれは、全部夢だったのかもしれない。
 磨きながら、今日一日起こったことに考えを巡らし、明日からの生活への大きな不安と、もしかすると朝起きたら何事もなかったようにそのまま過ごせるかもしれないという期待が、心の中で巡り巡った。

 歯を磨き終わり、自分の部屋に戻った時、再びミクタの残したと思われる紙切れを見つけた。巧はその日最後の大きなため息をつくと、何も考えないようにして、そのまま眠りについた。

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最終更新日  2006.06.25 02:19:55
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