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スポーツ資本主義と芸能資本主義の共通性ー資本主義の最高の発展段階としての情動資本主義についてー 平成最後の時代、表向きは未曾有の景気が続いているとされる。実際、リーマンブラザーズショックの後遺症によって、長期の景気停滞が生じ、その後上げのミクスが功を奏して、戦後最長の好景気を記録したとの論説も出ている。しかしこの解釈は皮相すぎる。実際は、バブル以降経済界とそれを後押しする政治が、剰余価値の果実の運用方法について知恵を絞り、投資の運用先をスポーツと芸能の世界へ巧みに絞って利益を上げることに成功した結果だと言うのが、事の本質をとらえていると思う。資本主義は、今新しい発展段階に入ったと言うべきだろう。 資本主義はこれまで、重商主義(初期資本主義)、産業資本主義、資本主義の最高の発展段階としての帝国主義と呼ばれた金融資本主義、国家が経済に介入し両者が超独占体となって支配する国家独占資本主義、これが地球規模へ広げられたグローバル資本主義云々と。こうした発展段階の解釈を踏まえながら、いま資本主義はその剰余価値搾取機構を最大限に稼働させた、スポーツ資本主義と芸能資本主義(アート資本主義)、それらが融合して展開しつつある情動資本主義の段階へと姿態転換を遂げつつあるというのが本稿の問題意識だ。 アベノミクスが想定した、剰余価値の生産者・所得階層を基礎にして形成されるピラミッドの頂点のワイングラスから、財政・金融・成長戦略の三つの矢が放たれた結果、あふれたワインが所得階層の最下層へ滴り落ちた結果の好景気であるかどうかは、はなはだ疑わしいが、この疑義は一応おくとしよう。剰余価値の現象形態である利潤や利子、配当所得、投機資金がもたらす利益が、果たして剰余価値生産者に還元されるかどうかは、また別の問題になるので、このことを置けば、表面的に見れば、有効求人倍率の高さのような指標で、確かに景気は沸き立っているように見える。外国人労働者の確保法案が強引に可決されるなど、待ったなしの景気対策が取られることは、やはり中小企業の人手(人材ではない)不足を物語っている。しかし、外国人労働者の強引な確保は、その低賃金、労働諸条件から見て、それは総資本のための剰余価値生産体制の強化策である。 見た目の良い経済成長はは、アベノミクスの成果というよりも、長すぎた景気循環の底からの脱出が、いくつかの好条件に支えられて、「泡」を生じているために生じているのであって、泡の一つは言うまでもなく東京オリパラを引き金にする、一過性の設備投資と最近の芸能資本主義の大躍進だ。この景気循環型好景気は、設備投資が一巡すると経済が下降曲線をたどることは、過去のオリンピックとその後の反動不況の経験から明らかだ。ただ例外はアトランタオリンピックのケースだが、なぜ反動型不況にならなかったのかは、筆者にもわからない。 しかし、今回の東京オリンピック・パラリンピックと経済の関係は事情が異なる。経済の中に構造的体質変化が起きており、それがスポーツと芸能関係への投資の急拡大であるように思うのは、私だけであろうか。スポーツ資本主義の台頭の中に、資本主義の構造変化を見つける人は、私だけではなく何人もいる。オリンピックを目指して、まっしぐらに「スポーツ関連業界」は「感動と情動」を売り物にするスポーツビジネスが急成長していることに気付いている。 情動とは「身体的表出を伴うような、一時的で急激な感情の動き」を意味し、「情緒」に近い言葉である。スポーツも芸能も、その基本的な立ち振る舞いや構造と機能面では異なるものの、共通した人間活動の表現であり、担い手と鑑賞者を結ぶエイジェントが存在している。 農業と製造業の省力化が進み、サービス業への余剰人員と資金の移動が進めば進むほど、資本主義は、マルクスの『資本論』が想定していた剰余価値生産の在り方から離れて、情動を生産する方向へ姿態変換を遂げていると言えよう。それは、サービス業に於ける価値創造よりも、はるかに次元の異なる欲望を再生産する経済構造の出現であるとは考えられないだろうか。 産業資本主義段階の資本主義には、「禁欲」や仏教用語でいう「勤倹誠実」という倫理観とモラルがあり、アダムスミスの道徳情操論の倫理観が経済の暴走にブレーキをかけていた。時たま起きるバブルも資本主義に内在化されていたモラルによって、ブレーキが掛けられていた。昨今の情動資本主義は、かつての倫理観を「欲望」という倫理観に開放し、それを原動力として回転する駅馬車と化したのだろう。情動資本主義は「経済のソフト化サービス化」の延長線上に位置してはいるが、より高次元の感情と情動を備えたサービス経済の出現である。それをもっとも端的に表しているのが、いわば「芸人化」された資本主義、スポーツ資本主義と表裏一体の関係をなし、それと融合して強力なエンジンとなりつつある資本主義の発展段階である。 スポーツが大衆化すればするほど、またその競技種目が増えれば増えるほど、その本来持っていた娯楽や楽しみといった牧歌的な価値を超えた、見る者の「情動」へと昇華し、競技者はその担い手となっていく。フェンシング競技の最近の動向は、これを端的に示している。このようなものとして、私たちはスポーツ資本主義の構造規定を行うことができるし、従来からの音楽ビジネスのような、提供者と消費者をエイジェント(芸能事務所または芸能プロダクション)が結びつける経済構造が、資本主義の特徴を彩りつつあると考えてよいのではないか。両者を併せて「情動資本主義」ないしは「芸能資本主義」ということができよう。 この情動資本主義の中では、生産されるのは、単なる商品ではなく感動と情動を生む肉体の商品であり、人工知能AIが一役買う。将棋はスポーツではないが、AIから学んだ棋士が新たな手法を開発して勝負を仕掛けていると言う。肉体自体が商品となるのではあるが、かつての奴隷労働における「肉体」ではなく、芸術的表装を施した「肉体」である。 工場労働者は、労働力として剰余価値を生むものとして、資本家にやとわれ工場の中で剰余価値生産に携わったが、情動資本主義においては、労働者(スポーツマンと芸能人)は、競技場やライブ会場もしくはスタジオに於いて、剰余労働(過酷で危険な長時間労働)をして「資本」のために働くのである。 労働者の再生産費用を超える剰余価値は、スポーツ及び芸能資本によって獲得され、資本の自己増殖が行われていく。このように情動化する資本主義は、政治や行政そして大学の中にも入り込んで、社会全体の情動化を進めているように見える。最近のオープンキャンパスは、明らかに人集めのイベントである。しかし、政治・行政、大学教育の「情動化」に関しては、別の機会に譲らざるを得ないが、「嘘」「忖度」「改ざん」の政治行政がまかり通っている現状は、この「情動資本主義」によって、容易に説明できるのではないだろうか。(2018年12月26日)
2018.12.24
バブル景気が終わり、失われた20年を経て、21世紀もすでに20年。疾風怒濤の時代があっという間に過ぎ去った感じがする。12月24日、天皇陛下が美智子妃殿下とともに、最後の記者会見をされ、昭和平成の時代を涙して振り返り、新しい時代が平和であるようにと、国民に語りかけました。 こんな平成最後の時代、表向きは未曾有の景気が続いているとされる。アベノミクスが想定した、所得階層のピラミッドの頂点のワイングラスから、財政・金融・成長戦略の三つの矢が放たれた結果、あふれたワインが所得階層の最下層へ滴り落ちた結果の好景気であるかどうかは、はなはだ疑わしいが、この疑義は一応おくとしよう。有効求人倍率の高さのような指標で、確かに景気は沸き立っているようだ。外国人労働者の輸入法案が強引に可決されるなど、待ったなしの景気対策が取られることは、やはり中小企業の人手(人材ではない)不足を物語っている。 それは、アベノミクスの成果というよりも、長すぎた景気循環の底からの脱出が、いくつかの好条件に支えられて、「泡」を生じているのだろう。泡の一つは言うまでもなく東京オリパラを引き金にする、一過性の設備投資だ。この景気循環型好景気は始めると、経済が下降曲線をたどることは、過去のオリンピックとその後の反動不況の経験から明らかだ。ただ例外はアトランタオリンピックのケースだが、なぜ反動型不況にならなかったのかは、筆者にもわからない。 しかし、今回の東京オリンピック・パラリンピックと経済の関係は事情が異なる。経済の中に構造的体質変化が起きており、それがスポーツと芸能関係への投資の急拡大であるように思うのは、私だけであろうか。スポーツ資本主義の台頭の中に、資本主義の構造変化を見つける人は、私だけではなく何人もいる。オリンピックを目指して、まっしぐらに「スポーツ関連業界」は「感動と情動」を売り物にするスポーツビジネスが急成長していることに気付いている。 情動とは「身体的表出を伴うような、一時的で急激な感情の動き」を意味し、「情緒」に近い言葉である。スポーツも芸能も、その基本的な立ち振る舞いや構造と機能面では異なるものの、共通した人間活動の表現であり、担い手と鑑賞者を結ぶエイジェントが存在している。 農業と製造業の省力化が進み、サービス業への余剰人員と資金の移動が進めば進むほど、資本主義は、マルクスの『資本論』が想定していた剰余価値生産の在り方から離れて、情動を生産する方向へ姿態変換を遂げていると言えよう。それは、サービス業に於ける価値創造よりも、はるかに次元の異なる欲望を再生産する経済構造の出現であるとは考えられないだろうか。「経済のソフト化サービス化」の延長線上に位置してはいるが、より高次元の感情と情動を備えたサービス経済の出現である。 スポーツが大衆化すればするほど、またその競技種目が増えれば増えるほど、その本来持っていた娯楽や楽しみといった牧歌的な価値を超えた、見る者の「情動」へと昇華し、競技者はその担い手となっていく。このようなものとして、私たちはスポーツ資本主義の構造規定を行うことができるし、従来からの音楽ビジネスのような、提供者と消費者をエイジェント(芸能事務所または芸能プロダクション)が結びつける経済構造が、資本主義の特徴を彩りつつあると考えてよいのではないか。両者を併せて「情動資本主義」ないしは「芸能資本主義」ということができよう。 この情動資本主義の中では、生産されるのは、単なる商品ではなく感動と情動を生む肉体の商品である。肉体自体が商品となるのではあるが、かつての奴隷労働における「肉体」ではなく、芸術的表装を施した「肉体」である。 工場労働者は、労働力として、剰余価値を生むものとして、資本家にやとわれ工場の中で剰余価値生産に携わったが、情動資本主義においては、労働者(スポーツマンと芸能人)は、競技場やライブ会場もしくはスタジオに於いて、剰余労働(過酷な長時間労働)をして「資本」のために働くのである。 労働者の再生産費用を超える剰余価値は、スポーツ及び芸能資本によって獲得され、資本の自己増殖が行われていく。このように情動化する資本主義は、政治や行政そして大学の中にも入り込んで、社会全体の情動化を進めているように見える。しかし、政治・行政、大学教育の「情動化」に関しては、別の機会に譲らざるを得ないが、「嘘」「忖度」「改ざん」の政治行政がまかり通っている現状は、この「情動資本主義」によって、容易に説明できるのではないだろうか。(2018年12月24日)
2018.12.23
2018年12月2日 久しぶりに休暇を利用して、旧東海道ウオーキングを楽しんで来ました。実は数か月前に、旧東海道はあまり意識はしていなかったのですが、京橋を起点に新橋までを歩いたことがあり、新橋から品川までは飛ばして、品川から生麦までを何とか歩きたいと思い立ったのが12月に入ってからのことでした。 藤枝を朝8時30分に車で出発、お昼頃に親せき宅へ着き、昼食を済ませて、京浜急行の生麦駅から新馬場へ向かいました。北品川の本宿・本陣跡を目指すのですが、宿場跡は一つ手前の京急新馬場で降りることがわかりました。タブレット端末のgoogleに、品川宿本陣跡を入力すると、自動的に目的地を案内してくれます。場所は東京都品川区北品川2丁目7-21、聖蹟公園内の新馬場側入り口に案内板があります。新馬場駅から進行方向右へ400mのところに聖蹟公園があり、そこが品川宿本陣跡になっています。詳細は次のサイトをご覧ください。http://naemon.jp/tokyo/shinagawashukuhonjin.php 新馬場―北品川商店街を交差点から歩いて南下する道が旧東海道です。写真で分かる通り、道はきれいなペーブメントで整備されています。 交差点の下を流れるのは目黒川。この辺りには市場が開けていたといいます。海苔販売を営む商店へ寄り、創業を尋ねると大正年間で、最初は海苔の製造をやっていたそうです。東海道をもう少し下ると駄菓子屋があり、中は東海道の案内所のようになっています。女性スタッフが一人店番をしていて、案内の地図を入手、てくてく歩いて京急青物横丁まで歩きました。途中で気が付いたのですが、寺院がたくさんあります。品川の宿は江戸城下への入り口です。城下 町の防衛と宿場の経済とのかかわりで、金融業を営んでいたことから、市場と寺院の関係を物語る街づくりの名残なのでしょう。市があれば物が売れ、貨幣経済が徐々に発達し、金銭需要が次第に大きくなっていったに違いありませんそうした金銭需要にこたえるために、当時の寺院は、金融業を営んでいたと言われています。その名残なのでしょう。 京急八丁畷(はっちょうなわて)を目指して歩きます。京急八丁畷を下車すると、複雑な交差点になっているのですが、品川方面へ100mの線路沿いに、芭蕉の句碑があります。看板には、芭蕉が友との別れを悲しんで詠んだ句が紹介されています。詳細は、川崎市教育委員会の次のサイトをご覧ください。 http://www.city.kawasaki.jp/880/page/0000000039.html 芭蕉の句碑の所在は、〒210-0024 神奈川県川崎市川崎区日進町9−11です。元の駅へ戻り、鶴見へ向かいます。鶴見川にかかっている鶴見橋には、米(よね)饅頭(まんじゅう)を売る店がたくさんあって、昔、旅人が腹ごしらえに、ここでお饅頭を買ったそうです。 昭和40年代になって、清月という店が鶴見駅前にできて、この米饅頭を復活させたと聞き、店舗を尋ねましたが、その日はあいにく休店でした。それで、ネットで米饅頭を買い求め、職場の人にも食べてもらったところ、とてもおいしいとほめてくれました。掛け値なしの美品です。 鶴見駅からJRの乗り場へ行き、鶴見線の国道という駅へ行きます。ここで下車して、子育て地蔵尊、生麦魚河岸通りを歩き、冬木森稲荷神社で手を打ちました。神社は浄土宗の寺院が維持しているのか、寺院の前に鎮座していました。この道も旧東海道で、実は、私は大学院生のころに、この道を歩いて国道駅まで行き、大学院へ通っていました。なので、とても懐かしい道です。生麦事件発生の沿道にあります。事件発生の史実を説明する看板が、民家のフェンスに掛けられています。すぐ北に、私が住んでいたマンションがいまでもあります。マンションのベランダから、ちょうど見下ろす位置にあります。ここから生麦事件の碑を見て、生麦事件参考館を訪ねました。参考館には事件の関係資料が展示保存されているというのですが、事前に連絡をしないと見学できないそうです。京急生麦駅を出てすでに6時間、疲れたことと、日がすっかり暮れてしまったので、親戚のマンションへ戻り、みんなで話をして別れました。この日は、羽田空港のJALシティへ宿泊しました。歴史を訪ねる旅は、過去にも幾度となく経験しているのですが、これからも事前の準備をして続けたいものです。(2018年12月21日)
2018.12.20
警視庁は、日大アメフト部反則タックル事件に関して、かねてより、事件解明のために設置された第三者委員会が判断した、監督とコーチによる「つぶせ」指令は、宮川泰介選手が、反則指示と勘違いしたために起きたと判断したようだ。 今後の裁判で、第三者委員会の主張が通るのか、不起訴になるのか予断を許さないが、本来、選手のスポーツと勉学を守るべき立場にある監督とコーチが、選手たちを嘘つき呼ばわりするようでは、ご両人と二人をかばう日大大学当局の腐敗ぶりは、医学部の入試での女性差別問題と絡めて、単なる小手先の改革では治療できない病に侵されているとしか言いようがないと思うのは私だけだろうか。 筆者は、本年度の秋学期の演習(1,2年生)で、「スポーツ資本主義の現状と問題点」を取り上げたが、その学生たちの意見の多くが「選手を守るべき立場にある監督とコーチがあるまじき逆のことをやっている」と異口同音に述べていた。参考:https://www.jstage.jst.go.jp/article/sabo1973/44/6/44_6_63/_pdf
2018.12.19
授業妨害の学生に法的措置を考える大学教師 是か非かhttps://oshiete.goo.ne.jp/qa/7511433.html?fbclid=IwAR1lGoqLt0dIq3kFnUDj0_qyifUhqjcnaX0XBTjxF5lccAuTvYwYihgxoXI 上のブログは、最近の大学生の授業妨害を見るに見かねて、法的手段も辞さないとする、ある大学の先生の意見です。 この先生の気持ちは痛いほど分かります。文科省の役人たちは、今の教育現場がどれほど荒廃しているか、全く分かっていません。一度、15週の授業を全部受けてみるべきですね。授業妨害をする学生がいる、いない、ではどうするといった些末な問題よりも、上の先生には気の毒ですが、もっと深刻な問題が、高等教育の現場にはあります。このことに、まずは現場の教職員が自己に対する省察も含めて気づくべきです。 先日も、関西のある私立大学の友だちの教授と赤提灯で一杯やりました。酔いが回った勢いで、入試シーズンということもあり、自ずと話が入試に及びました。及川(仮名)君は、声を潜めて言います。「先週の日曜も入試やったんけど、例の入試前の教職員集まった訓示で、うちの学長、こう言うやんけ。「先生方、面接で高校生のプライバシーや不利になることを聞かないで下さいって、もう今年になって5回目の日曜の入試に、同じことばかり言うんで、あほちゃうか思ってたら、女のセンセが急にゲラゲラ笑い出すんや。自分の話が受けたと勘違いした学長が、「やあそんな感じで高校生に笑いを誘うような、いい雰囲気で面接をやって欲しい」って、まあ聞いてる側からすると惨めなもんやで……」で、私が「その女のセンセなんで笑ったの」と聞くと、「このあほ学長、永年東京の大学の教授をやっていて、いろいろと噂があり、件の関西の私立大学の学長に誘われて収まったらしい」。それで、友人の教授が言うには、嘘か本当か、「兎に角やな、この学長、イエスマンばかり自分の周辺に侍らせて、次第に横暴な態度をとるようになった言うんや。植木等みたいな調子のいいのばかり集めて、関西人はそれでなくても権威を嫌うっちゅうことお前も知ってるやろ。あほちゃうか言うのはそういうことで、女のセンセがこれ見よがしにゲラゲラ笑った言うんやな。お前どう思う? この女のセンセいうのはテレビにも出てるセンセやで。笑われて気をよくするのも無理ないで」 まあ、こんな顛末でした。そのあと二人でカラオケで歌って、私は自宅へ戻ったのですが、どこの大学も大変なんだと思った次第です。話を、元へ戻します。授業妨害をする学生にはらをたて、内容証明を送り、それでも反省が見られず妨害が続くようなら、告訴をするとするセンセの気持ちも分かるのですが、問題の本質の所在は他にあるのではないか、と考えた次第です。「どこにあるんだ?」「はい、これからよく調べ分析して本にしようと考えています。まだ現役の教授なので、あまり過激な話はできませんので、悪しからず」(2018年12月18日 風邪をひいて自宅で休養中)
2018.12.19
ポツダム宣言受諾直前比島にて散華した日本兵の物語 はじめに 昭和二〇(一九四五)年、二月二八日、フィリピン・プンカンの激戦で、瀬川一成死亡とされる。瀬川一成は私の叔父で、岡山県津山市に生まれ、東京商科(現一橋)大学を卒業後、大牟田に本社のある三井財閥の三井三池炭鉱へ入社、満州を転戦しフィリピンのプンカンの激戦を戦い戦死した。 七月二六日のポツダム宣言受諾に先立つ、七月二二日に日本に戻った一成の部下二人は、後に、厚生省で瀬川上官の娘・正子の倉敷市の居所を確かめ、正子のところへやってきて言うには、七月二十二日まで、一成は生きており、一成は部下二人に山を降りることを命じ、自ら自害したとされる。山を降りた部下は、ふと山を見上げると、先ほどまでいた山の洞窟のあたりから煙が昇っているのが見えたと言う。手榴弾がさく裂した煙だったに違いないと、元戦友は語ったという。フィリピンでの出来事は、帰国以来長らく口外無用とされてきたが、年を重ねて意を決して会いに来たと言って、遺品を手渡したという。正子は、訪ねてきた部下二人のことをあまりよく覚えていないと言う。子どもがまだ小さいころに訪ねてきたのだが、なんでも岡山市の池田動物公園の近くに住んでいると言った記憶がある。正子は、私より四つ年上の従姉弟ということになる。戦死した一成の妻・恒子は、一成の死亡によって寡婦となり、いろいろと考えた末、正子を一成の実家の妙勝寺へ預け、離婚手続きをとった。一成の弟の一行が満州から引き揚げてきた年の翌年、昭和二二年のことであった。正子は数えで三歳になっていた。私の母の江見冨美子は、学進が住職を務める妙勝寺の檀家の娘で、親の勧めで戦地から復員した一行と一九歳で見合い結婚した。「私を一行さんと早う結婚させたのは、母親に見捨てられた正子を私に懐かせるためじゃったと思う。一成さんが死んだと分かったら、手のひらを反すように正子を置いて出て行った恒子さんを、学進は許せなかったんじゃろう。わたしゃ百姓の家へ嫁ぐのが希望じゃったが、泣く泣くお寺へ嫁に来た。でも、これでよかったんじゃと思う」 母の冨美子がこうつぶやくのを、私は何度聞いたことか、戦争は大勢の人の命を奪ったが、また大勢の人の人生をも変えてしまった。私と妹は、そのような歴史のはざまで生まれてきた戦争の申し子なのだ。私もまた、母の子どもとして生まれてきたことをよかったと思っている。母は今年で九一歳になり、私は七一に達した。「人生古稀稀なり」を過ぎてしまった。七〇歳になる妹の延子と母と三人で、温泉地のホテルへ一泊旅行をしてきた。 延子と正子を連れて、一成が戦死したフィリピン・ルソン島のプンカンを訪ねたのが、東日本大震災の被害の記憶がいまだ消えやらぬ、二〇一三年の夏のことだった。一成が所属していたと思われる、歩兵第十連隊内藤大隊がほぼ全滅したプンカンにある記念碑に、花を手向け供養してきた。北のバレテ峠でも、日米比の戦士たちに手を合わせてきた。戦後を引き継いだ我々の世代にできることはこれくらいなことしかない。しかし、なぜか腑に落ちないことがあった。「一成は、なぜ部下を下山させ、一人山にこもり玉砕したのか」という疑問が、もし「一成さんが帰ってきていたら、私は寺へ嫁がなかった」という母の言葉と入り混じって、夜ごと夜ごと私の脳裏をかすめて消えることはなかった。ルソン島を訪問する前年に、私は前立腺癌の摘出手術を受け、再発の恐怖感に苛まれる日々を送っていたが、幸い再発もなく二〇一九年春、二四年間務めた大学を定年退職することになり、筆を執る時間的・精神的余裕ができたことから、表題の文書を後世へ残す決心をした次第だ。まずは、ブログに草稿として筆を走らせ、夏の終戦記念日に間に合うように出版を計画してみた。計画倒れになるかもしれないが、母が生きているうちに書き終えることが、唯一の親孝行と信じて、書き進めていく次第だ。(二〇一八年一二月九日)
2018.12.10
最近のコンビニエンスストアは、実に品ぞろえが良く、日常の食生活から衣と言っても下着やタオル程度だが、文具、お菓子やドリンクまで、実に幅広い商品をそろえているから、スーパーマーケットや酒屋、八百屋、量販店がなくても生活に事欠くことは、まずないと言ってよい。コンビニエンスストアと比較するのは、不謹慎かもしれないが、対学生サービスメニューの豊富さは、コンビニと同じく、まずまず学生が満足するのに十分なほどに充実してきている。 私が大学生活を過ごした昭和40年代の前半、大学から受けるサービスは、授業を受けることと、学食でご飯を食べること、就職するのに必要な求人情報を、小さな張り紙で見る程度で、学生相談室もあるにはあったが、大学院生が対応してくれる程度で、あとは何もなかった。今の大学生は実に恵まれた環境で「勉学」に励んでいる。それで、卒業した学生は、右肩上がりの日本経済をさらに発展させ、今日の日本の礎を築いた。 今の学生はどうか。その答えはそう簡単に答えを出せるものではないし、仮に大学生が増えすぎたと言っても、それが何か意味ある回答になるとは思えない。しかし、それでは大学で40年間教鞭をとったことの意味がなくなる。しばらく、実態を調べ考えながら答えを見つけ出すことにしよう。 大学の事実上の新年度は3月末に始まる 大学教員の1年を語る時、入学式をもって始まるとするのが、一番自然ではあろう。大学の歳時記で年頭に来るのが入学式であることにだれも異論はない。それは、大学だけでなく、その他の学校も会社も、役所もみんなこの年度歴に従っているからだ。会社の入社式も4月1日に行われる。とはいえ、最近は帰国子女のために9月入学、9月入社を設けるところも増えてきて、多様化してきていることは事実だが。しかし、新入生を含む大学生の新しい年度は、3月に始まると言ったら驚く人も多いだろう。新年度を準備する事務局の仕事に限定して言うと、3月いや2月が年度の終わりであると同時に、新年度の事実上の始まりと言ってよい。いくつかの大学の関係者への聞き取りも踏まえて、まずこの点を述べてみよう。 2月から3月にかけて、旧年度の幕引きが行われると同時に、新年度の幕開けが始まるのだ。一般入試3次試験、センター試験利用入試といった、まだ大学の行き先が決まっていない高校生相手の、実は定員不足を穴埋めすると同時に、将来発生する退学者を見込んで「水増し」する入学試験が残ってはいるものの、2月から3月にかけて、卒業要件充足者の決定、不足者への補講や再試験、そして卒業者を決定し、卒業式の準備が相整い、無事卒業式が執り行われるのが3月の中旬から下旬にかけてだ。 卒業要件を満たさなかった学生への救済措置は、どこでもやっていることではあるが、早稲田大学社会科学部では、「成績発表で卒業が決定しなかった者は、卒業に必要な科目の成績評価が「F(失格)」であり、かつ不足単位数が合計8単位以内(116単位以上修得済)であれば再試験を受験することができます。ただし、外国語科目は不足単位数が3科目合計6単位以内であることが受験条件となります」とされている。http://www.waseda.jp/fsss/sss/assets/uploads/2015/02/03_enchosei.pdf 昔は、大学の卒業式と言えば、3月の末に行われるのが通常だったような気がするが、最近は3月の中旬には行われる。それは、新年度の準備を3月末に行う必要があるからだと筆者は考えているが、学年歴の1年間の設計を精査しないと何とも言えない。情報の開示に積極的な立命館大学の学年歴を見ると、2018年は3月21日が入学式となっている。ちなみに私の大学では3月14日に即業式が挙行される。学年歴は、もちろんPDF形式で公表されている。ただ言えることは、各大学は学生の獲得に汲々としており、入試を中心に年間学年歴を組んでいるふしがあり、その影響ではないかと考えられるが、また後程言及しよう。この点は、各大学の「学年歴」を見れば一目瞭然なので、別に機密事項でも何でもない。学生は、スマホからこの学年歴を自由に閲覧できるし、年度の初めにコンパクトにまとめたものを配布してもらえる。保護者の方は、ぜひともご子息の大学のスケジュールを熟知し、日常の健康管理や生活の指導に配慮するとよい。もちろん私たち大学教員も、一人前になるには、まずこの年間スケジュールを体で体験し、骨の髄までしみこませて、教育や研究に精進することが必要である。その苦労たるや,尋常ではない苦労とストレスとが伴う。 ところで連載の今回のポイントは、3月末には新年度が始まるということだ。どういうことか? 4月の頭に入学式があり、4月1日が新年度とされてはいるのだが、3月末には、新2年生から4年生までのガイダンスが行われ、すでに修得した単位数や必修科目の過不足を学生ごとに把握し、4月から始まる授業の履修登録の準備を行う必要があり、それは、もちろん学生の仕事であり、彼らの自己責任で行わせるのだが、ゼミ担当の教員は、所属学生(筆者の大学の場合だと15名前後)45名程度(新年度にさらに10数名が加わるから、受け持ち学生数は60名前後となる)の学生の個人ごとの修得状況と、次年度に履修すべき単位数は,まずこの時点で把握しておく必要がある。 ということは、在学生の成績内容は、この時点で個別に把握できるから、教員も独自に確認作業をして、準備をしておかなくてはならない。一人一人の履修内容と卒業要件は異なる。ただ単に単位数を増やせばよいというものではない。大学によって異なるが、大まかに言って2月の1週には試験と成績提出が終わるから、4月の入学式までは、いわゆる「春休み」と考えられ、「大学の先生っていいなあ」ということになるのだが、とんでもない誤解。この間―この期間を大学教員のストーブリーグと呼ぶことにしよう―こそ、大学教員がまじめに、落ち着いて翌年度の授業の準備をする時期なのだ。研究に割くことのできる時間は限られている。 そのために、シラバスの作成や教材づくりに、どれだけ大学教員が悪戦苦闘しているかを、他大学の友人の話も交えながら記していこう。これから大学教員になることを考えている方には、実に気の毒な話をしなければならないし、実に胃の痛くなるような話だ。大学教員(助手)のストレスに関しては、少し古い論文だが、次のようなものがある。https://ci.nii.ac.jp/els/contents110000988186.pdf?id=ART0001166836 また、「大学教員のストレス測定尺度の作成 一 大学固有の職場環境・対人関係の視点か ら一」も参考になる。https://ci.nii.ac.jp/els/contents110004633215.pdf?id=ART0007346990(2018年12月1日)
2018.12.01
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