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佐川前財務省理財局長の国税庁長官辞任から3月27日の証人喚問へ至る過程で、森友問題の真相解明を求める動きに対して、政権よりのサンケイ、ヨミウリにも若干の変化が見られる。ここではそのことは置いて、森友関係報道に関して、NHKの関係者と見られる人から国会議員へ「通報」があったという新聞報道を取り上げたい。 <トップニュースで伝えるな><トップでもしかたないが、放送尺は3分半以内に><昭恵さんの映像は使うな><前川前文科事務次官の講演内容と連続して伝えるな>というもの。ニュースソースは、https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/226154/1 。 何も根拠はないのですが、官房機密費がマスコミ対策にも相当使われているのではないでしょうか。 報道(日刊ゲンダイ)によれば、参議院の山下議員事務所に通報の手紙が届いたのは、今週の月曜の3月26日なので、通報者は、先週の後半に投函したとみられるとし、ゲンダイは先週19日から29日までの3番組の放送内容を調べた。そうすると、森友問題の取り上げ方がトーンダウンしていることが分かったとしている。 私は、<前川前文科事務次官の講演内容と連続して伝えるな>としているところが重要で、前川さんが、森友文書改ざんの指令が官邸(今井総理政務秘書官)から佐川前理財局長への指令があったのではないかとにらんでいることから、神経をとがらせたのではないかと見ている。27日の佐川氏証人喚問以降も、私も「おはよう日本」「N7」「N9」は見ているが、アレ変だな、トーンダウンしていると思った。 報道各社による調査によって、内閣支持率急落、30%割れの危険水域に近づいたことが判明した局面で、「通報」にあるような指示が、今後も意味を持つとしても決して不思議ではない。 3月27日の佐川宣寿前国税庁長官の証人喚問に関し、立憲民主の枝野代表は「明らかに違法な証言拒絶で、議院証言法違反であるというのは明々白々だ」と述べ、告発も視野に野党各党で証言の分析を進めていることを明らかにし、「偽証、あるいは偽計業務妨害にあたるのではないか」と指摘している。 個人的には「明らかに違法な証言拒否」であるかどうかに関しては識見を持たないが、佐川宣寿前国税庁長官によって土地取引文書が改ざんされ、改ざん後の偽文書が国会に出されて、国政調査権が侵害されたことの重大さに鑑み、偽計業務妨害で告訴することは議会制民主主義擁護のために不可欠な告訴だと考える。(財政民主主義的考察 2018.3.31)
2018.03.31
3/27佐川氏証言拒否の「密約」説 文末に記した「プレジデント」誌のサイトでは、3月27日、佐川氏の国会での証人喚問直後の、新聞各紙の、特に朝日と読売の比較を行なって次のように述べている。「どの新聞もまだ触れてはいないが、安倍首相あるいはその周辺との間に「指示を明確に否定してくれれば、身の保証はしてやる。地検の捜査もつぶしてあげよう」といった約束があるのだろう。そんな「密約」がなければ、あそこまで断言できないはずである」と大胆に推測している。 佐川氏が噓をつくとき断定口調になるという分析は鋭い。ではいったい誰が「密約」を持ちかけたのか、捜査網の焦点を絞る必要がありそうだ。佐川氏は、財務省理財局から論功行賞のかたちで、昨年7月国税庁長官に就任し、そのあと外郭団体等への天下りが約束されていたようだ。「密約」説が正しいなら、この再就職を可能にする「筋」であるのだろう。 議院証言法によって虚偽の証言の疑いがある場合は、過去の事例によっても明らかなように、可能だ。私見ではあるが、首相や官邸ラインから佐川氏に「密約」を働きかける、あるいは暗示する方法はいくらでもある。真相解明には公(検察)権力の介入、偽証罪での告発が不可欠になる。不確かだが、野党筋で告発が検討されているとも聞く。 ここで、日本テレビ系・NNNニュースを見てほしいのだが、「森友学園をめぐる文書改ざん問題で、大阪地検特捜部が、財務省から任意で提出を受けた資料の中に、改ざんの指示が、佐川前理財局長からだったことをうかがわせるメールがあったことが新たにわかった。(近畿財務局の現場担当者で自殺した元職員が残したメモにある、上から指示されたというメモと符合するー筆者)文書改ざんをめぐっては、大阪地検特捜部が、財務省理財局や近畿財務局の職員から任意で事情を聞くなど、調べを進めている。関係者によると、検察側は聴取と同時に職員らの手帳やパソコン、携帯電話なども任意で提出を受けたという。その中に残されたメールの中には、理財局から近畿財務局に改ざんを指示するメールがそのまま残されており、佐川氏が指示したことをうかがわせる記述も含まれていたことが新たにわかった。改ざんの経緯について佐川氏は、27日の証人喚問で証言を拒否している。大阪地検特捜部は今後、佐川氏から事情聴取する方針」と伝えられている。 大スクープと言ってよい。どうも、地検特捜部は、マスコミと連携して首相官邸と戦うつもりなのではないか。この姿勢は「三権分立」にとって好ましいことだ。 佐川氏の事情聴取によって「密約」の真相も明らかになるかもしれない。いずれにしても、首相官邸周辺ー理財局・佐川ー近畿財務局ルートの書き換え・隠蔽工作の真相解明に全力を挙げるべきだ。議会制民主主義、租税国家の根幹にかかわる問題だ。手抜きは許されない。マスコミ、野党各党の真価と存在意義が問われる。<http://president.jp/articles/-/24796>(2018.3.31 財政社会学的考察)
2018.03.31
東日本大震災が起きたのと同じ日、3月11日以来、首相夫人のfacebookの更新がストップしている。ちなみに、筆者は、facebookなどsnsは大人のおもちゃで、使いすぎは、脳の正常機能の劣化・病理学的衰退に繋がると考え、その過剰使用を控えるようにすすめている。もちろん大学の学生にも、そのことは口うるさく言っている。 首相夫人がfacebook依存症に感染したのは、東日本大震災直後からだったように記憶している。facebookの巨大サーバーは、その利用履歴を克明に記憶しており、パスワードを持つ本人が削除しない限り、利用者にはガラス張りのごとくに透視されてしまう。企業の人事担当者が就活学生のfacebookやInstagramを監視しているのは公知の事実だ。首相夫人ももちろんそのことは知っており、その故にフォロワーを増やし、自己顕示欲の充足手段として、昼となく夜となく利用し、自己顕示欲とともに、自己満足欲を満たしてきた。 彼女はsns上で、時にはピエロを時には舞台芸術のヒロインを、また「時には魔性の女」を演じることで、虚構と知りつつも「役者」を実演してきた。この(電脳空間)舞台芸術から得られる喜びは、孤独や空虚さをはるかにしのぐ内面的充足感があり、彼女を牽引してきたのであろうと推察される。内面はもっと深いところにあるのかもしれない。 しかし、このような立ち振る舞いは、「首相夫人」としての立場とはそぐわないし、「リスク」を生じさせる。加計学園や森友学園問題で伝えられる彼女のかかわりからは、彼女のこの想定されるリスクを、彼女自身が想定できず、リスク管理が出来ない、人格発達上の「未熟さ」に起因していると思われる。 2011.3.11以前の彼女のことについては、伝えられていること以外には、筆者はあまりよく知らない。羽田空港だったか、皇室の美智子様から、暗に森友問題への関わりに対する言動を揶揄されたのを、「お褒めの言葉」と勘違いして涙を流したと報道したのは、確か「女性セブン」だったと思うが、この件が示すように「蝶よ花よ」と褒めちぎられ、持ち上げられて育った人間が、このような「社会との関係性」の認識レベルのある種の「発達障がい」を示すということは発達心理学が指摘するところであり、私たち大学の教員が日々直面する問題でもある。 このような社会ー彼女の場合は、夫が住み、従わなければならない、三権分立という現代民主主義の基本的関係性ーとの良好な関係性の欠如という問題は、社会全体のモラトリアム(支払猶予ないし先送り、社会との関係の中で自己の絶対視、関係の回避)現象として、心理学者がつとに指摘してきたところであった。それは、筆者を含む社会の成員全体に指摘できることでもあろう。 首相夫人の「もり・かけ」との関わりは、このような角度から検証してみる必要があるのではないだろうか。このような関係性の中に、首相・夫人の「関与」の実像が浮かび上がってくるように思う。それにしても、あの七年前の東日本大震災の3月11日以来、facebookの更新が止まってしまったことは何を意味しているのであろうか。(3月30日)< http://www.news-postseven.com/archives/20180315_659987.html>
2018.03.30
首相夫人‐谷査恵子ルートの解明 2018年2月23日に開かれた、在イタリア企業メンバーとのシンポジウムで谷査恵子さんは、ローマ日本大使館商工会議所一等書記官(Chief Secretary of the Economic Commerce Office of the Japanese Embassy in Rome)として紹介され、イタリア人学生の日系企業でのインターンシップに関するシンポジウムの議論に参加しています。このことは、3月23日のTBSテレビ「あさチャン!」でも取り上げられています。森友・昭恵夫人付き職員はいま…?イタリアで谷を緊急取材。 紹介したサイトはCa' Foscari University of Venice(ベニス・カフォスカリ大学<https://www.unive.it/pag/16584/?tx_news_pi1%5Bnews%5D=4703&tx_news_pi1%5Bcontroller%5D=News&tx_news_pi1%5Baction%5D=detail&cHash=abb51262da7b228c8d8879d4971caebe>です。谷査恵子さんがネットでこの投稿記事を見たなら、日本の政治経済のために一刻も早く真実を語るようお願いしたい。マルタで取材に応じたそうですが、ここは、パナマ文書の実態を暴いた女性記者が、車を爆破され殺害された危険な場所です。谷査恵子さんは、ローマからマルタまでやってきたのでしょうか。取材に対する回答には、経産省や官邸から縛りが掛けられている匂いがします。国会で森友学園側と価格交渉をした経緯はない、交渉記録はないなどの虚偽答弁をした論功行賞で国税庁長官に出世したのと同じ経緯で、イタリア大使館に隔離されたと推察される谷査恵子さんは、出身の経産省と官邸からいわば保護観察付きにされていると考えられます。ローマクラブのアウレリオ・ペッチェイは、1984年、原因不明のヘリコプター墜落事故で死亡、イタリア国内ではマフィアによる暗殺説などさまざまな憶測がなされ、映画にまでなりました。非常に危険な場所だということに配慮しつつ、取材を重ねたほうが良いでしょう。朝日新聞に対する回答は簡単なものですが、日本の情勢はよく調べているようです。 私もそうですが、日本の多くの方々は、森友問題の真相解明にとって、安倍昭恵氏と谷査恵子さんの参考人招致なり国会特別委員会または第三者委員会での事情聴取が不可欠と考えています。「国会へ出るのは自分では決められない」のはそのとおりでしょうが、自ら籠池さんの意向を汲んで財務省へ働きかけたことのいきさつを語ることは出来るでしょう。 昨年(2017)の2月、問題が発覚した直後の国会で、安倍首相が「妻も私もかかわっていない。もし、かかわっていたら首相も国会議員もやめる」と発言したことを受けて、当時財務省理財局にいた佐川局長が、安倍答弁をかばうかのように、関係文書は存在しない、価格交渉はなかったなどと国会証言をし、今年になって国会に出された改ざん後のもとになる改ざん前の文書が、近畿財務局の職員の手によって書き換えられていたことが発覚し、3月の国会証人喚問では、自分に責任はあるとしたものの、書き換えに至った経緯や理由、書き換えの指示の有無などに関しては、刑事訴追を受けるとして、証言は拒否しています。 書き換えを上司の命令によって実行した職員の方は、自らの命を絶ちました。大多数の国民は、この拒否によってよりいっそう疑いが深まったとしています。これまでの経過の説明では、籠池さんの意向を受け、安倍昭恵さんと連絡を取り、財務省に働きかけていたことが明らかにされています。谷査恵子さんが地球の裏側で沈黙を守り続ける限り、疑惑は増すばかりです。(3月29日)<https://www.asahi.com/articles/ASL3X2T03L3XUHBI00H.html?ref=huffpostjp>
2018.03.30
首相と首相夫人の「関与」 三月二六日、民進党など野党三議員が籠池氏との接見予定を間近にした二三日「日刊ゲンダイ」(後掲サイト)は、森友問題に関する長文の記事を掲載したが、この分析と主張は正しいと思う。しかし、やや楽観的ではないだろうか。文書改ざんは、一部削除、書き換え、前面削除によって内容が全く異質な「虚偽文書」に改ざんされたことが立証されないと、立件は難しいというのが、法律家の意見だ。その意味で、文書改ざんは、周到に計画された、関与隠しだったといえる。 住田弁護士が報道番組で言っていたと思うが、改ざん文書によって、国会が国政調査権を行使することを妨害した「偽計業務妨害罪」での控訴をすべきではないか。そうすれば佐川元長官は、偽計業務妨害罪で告訴することが可能だ。 首相と妻の「関与」は明々白々で、国会議員と首相の座を降りたとしても、それで事件の全貌が解明されることにはならない。「関与」の構造は、現金や圧力だけを意味するのではなく、通常貸し付け相当を、破格の価格で売り払いに持っていくようにさせる間接的な関与も「関与」だ。土地を買おうとする籠池氏の背後に、首相やその夫人、「日本会議」のメンバー国会議員らがいると分かれば、売買に関わる財務省職員ならずとも民間企業でも、大学でも「忖度」せざるを得ない。それを関与と言う。私たち国民も人事(ごと)を決め込むのではなく、積極的に本件の真相究明に関わっていくべきだ。 日本は、数百年に渡って絶対王政の殻を破り、市民革命を成し遂げたイギリスはじめアングロサクソン諸国やフランスとは異なり、封建遺制を引きずりながら、なし崩しに近代化を進め、下からの市民革命を経験していないアジア的生産様式の中で資本主義経済を作り上げた「特殊性」をもつ国家だ。平和憲法は守るべきだが、明治憲法以降、大戦をはさんでの議会制民主主義は、国民が権利として自らが勝ち取ったものではない、未熟な民主主義という制約を持っている。 今私たちが森友・加計疑惑で見ている行政府と政治の腐敗構造は、明治以降の近代化の後進性を克服する「市民革命」の運動ではないかと思う。本事案に対する「市民」の関わり方が重要な意味を持つことは言うまでもないし、そのことが次第に明らかになりつつある。自民党内にも、事態の深刻さに危機感をいだき始めた人たちが出てきたことは、真相解明への追い風と言ってよい。まずは、三月二六日の野党による籠池氏接見と二七日の佐川氏証人喚問の成り行きを見守りたい。(三月二三日)<https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/225672/6>
2018.03.30
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【送料無料】 カシオ 電子辞書 「エクスワード(EX-word)」(高校生向けモデル、150コンテンツ収録) XD-G4800BK (ブラック)[XDG4800BK]価格:24780円(税込、送料無料) (2018/3/16時点) 卒業研究発表会 今年も卒業研究の発表会が終わりました。私の大学・学部では「卒業研究」の名称は「論文」の域に達しないから「研究」でいいということだったと記憶していますが、この制度がはじまってはや二三年。学生もようやくその意義を理解し、真摯に取り組んでくれるようになりました。 今年のゼミ生は11名、大学4年間の「演習」での勉強の成果を踏まえ、全員が「再生可能エネルギー」ビジネスに関して、独自の視点から、「論文」をまとめました。秋口からまとめの作業に入り、一対一のさしで、まるでけんか腰でテーマに関して分析を進めますが、指導する私の側が、逆に教えられることが多いと実感させられます。そのために、まず私自身が考え学生に論点を提示し、ソリューションを開拓していきます。 私は大学の教師として、「卒業研究」の指導ほど「教師冥利」に尽きるものはないと回顧します。卒業研究の作成にかかる作業は、四年次の九月末から一二月末までの実質三か月間ですが、年が明けて早々の提出までの期間に、誤字脱字のチェック、提出後は、発表会用の要約とパワーポイントの作成と続き、期末試験終了直後、二月はじめの発表会の質疑応答の準備などで、慌しく過ぎていきます。 こうして学生最後の「仕事」が成就されるわけですが、この「仕事」は実はゼミでの四年間の勉強の集大成になるのです。ゼミ生のほとんどは一学年のときから面倒を見ているので、私のいい面もよくない面も、合わせて吸収して、専門分野である、環境・再生可能エネルギー分野の最先端の研究の一端を卒業研究に生かすのです。 学生の指導は、教師の研究成果の反映であり、指導によって高められる教育のメンタリティーがまた研究へ繫栄することによって、より時代に即した高度な研究指導へとつながっていくのです。「学生の満足につながる授業がいい授業」だと短絡に考えている人が多いようですが、そんなに単純なものではありません。 そのような対応は、学生に「わかりやすい」、換言すれば低レベルの、結果としては教育の質の低下につながり、大学の劣化につながっていくのです。学生にとってわかりにくい授業がいい授業だというのは行きすぎですが、教育と研究をもっと長期的視点で眺め、教育現場の人材を育てていくことが必要ではないでしょうか。教育・研究のポイント(成果)主義が横行してしまうと、結局は、日本の大学が世界の大学から大きく取り残されていくことにつながっていくことになるのではないでしょうか。
2018.03.16
奴隷大学 ここに記すことは、筆者が経験したことで、あまりにも衝撃的な内容なので、オープンにするのをためらっていたのですが、ついでに記してしまいましょう。腹にためておくと健康によくないですから。と言っても、スキャンダルや殺人事件はないので安心してください。アルコールの入った席での戯言と聞いてください。 数年前の学会のときのことです。終了後の懇親会の席で大学の運営などに話が及び、ある女性が、名前は忘れましたが、「私たちは奴隷扱いされている」と、突然言い出すのです。アルコールが入ると愚痴を言い出すタイプのようで、それを知っている同僚が、「また言い出した。よほど根に持っているのね」と、からかっていたのですが、「最近は、何でも決まった決まったといって降ろして来て、異を挟むことなんて出きゃしないわよ。意見があったら言えと言うから言うけど、上へ上げて検討しますとは言うけど、結局なしのつぶて。決まったことに従えと言うんなら、奴隷のように従うか、無視するかだわ」私は状況がよく分からないので、黙って聞いていたのですが、気心の知れた同僚が、「あんたは賢いから従うよね」と言うと、「見くびらないでよ、私にだって魂と言うものがあるわ。腑抜けのあんたとは一緒にしないでよ」とまあ、こんな具合に盛り上がったわけです。確かこのときの話題は、その女性教員の大学で厳しい論文審査基準が採用されるという事案だったと思うのですが、彼女はその論文審査が言論・表現の自由に反する憲法違反だと主張していたようでした。「論文審査は、形式的なものだから、そうカリカリすることはない」という同僚の意見に、アルコールの勢いを借りて、日ごろの鬱憤を吐き出したのでしょう。私は、彼女の考えがよく理解できます。詳しいことは、また別の機会に論じたいと思います。
2018.03.15
勤労者高等教育機関・国立短大の消長に見る大学問題の実像 国立短期大学での終身雇用 筆者が、はじめて大学で終身雇用の教員の職を得たのが、一九七九年四月のことであった。東京の大学の経済系の大学院博士後期課程で三年が経過し、職が得られなかったので、単位取得終了を一年延期し、博士後期課程四年次の秋に、これから紹介する静岡大学併設短期大学の財政学の教員募集を知り、公募に応募した。それまで、大阪の桃山学園大学などで話はあったのだが、採用には至らず引き続き受け入れてくれる大学を探していたところ、指導教員から「応募せよ」という情報が入った。審査に時間はかかったが、正月明けだったか、面接したいという連絡が入り、悠長な話ではあるが、東京駅で担当者と面談した結果は採用「可」であった。あとで聞いた話ではあるが、このポストに応募したのは三〇名ほどおり、専門分野は経済学、経済政策など近接領域からの応募が多かった。正直なところ、短大ということで多少抵抗感はあったが、経済学の専門が活かせる大学だったし、オーバードクターの就職難が大学院共通の問題でもあったので、将来はまたゆっくり考えるということで、就職することとした。これが、筆者の終身雇用の大学教員のキャリアの始まりであった。 夜間勤労者高等教育機関へ来てみて 爾来、一九九二年三月末に退職するまでの一三年間、静岡市の同短期大学で教員生活を続けるわけだが、今回の小論の表題を考える前に、この新しい職場の概要を紹介しておきたい。この一般的にはあまり知られていない国立短期大学というのは、日本国が設置・運営していた短期大学で、まず工業系の設立の変遷を示すと、一九五一年より国立大学に実業系の夜間短期大学が併設されたのを機に順次設置されていった。この当時は、名古屋工業大学短期大学部、京都工芸繊維大学工業短期大学部、九州工業大学短期大学部、長崎大学商科短期大学部(当初は、長崎大学商業短期大学部)があった。一九五五年に、筆者がまだ小学生に入ったばかりの頃だが、法律経済系の静岡大学法経短期大学、一九六七年には大阪大学医療技術短期大学部を皮切りに、国立大学医学部に併設されるようになった。以上が国立大学に併設されていた短期大学で、独立の短期大学としては、一九五八年の久留米工業短期大学、一九六〇年の北見工業短期大学、一九六一年の宇都宮工業短期大学、長岡工業短期大学、宇部工業短期大学、一九六四年の図書館短期大学、一九八六年の高岡(工業)短期大学、一九九〇年の筑波技術短期大学が設置されている。最後に開学したのは、一九九二年の岐阜大学医療技術短期大学部で、その数一四を数えていた。従って、筆者が国立短期大学に就職したときは、高岡短期大学と筑波技術短期大学それに岐阜大学医療技術短期大学部を除く十一の短期大学で、横の連絡組織として「併設短期大学協会」が組織されており、毎年持ち回りで宿泊込みの会議が開かれていた。私が就職したときの大学数は、私立大学を中心に、少しずつ大学の数が増え始めた時期であったが、それでも、まだ増え方は緩慢だった。静岡県内でも、当時は経済的理由から、なかなか大学進学もままならず、また高卒での就職も一般的な時代だったので、夜間勤労者教育機関への需要も大きく、会社員や公務員を中心として応募者が多く、勤労者教育機関としての体裁は十分保っていたように記憶している。ところが、毎年一〇くらいの数の大学が新設されるとともに、所得水準の向上や経済状況の改善から大学進学率が上がり、それでも狭き門の大学受験に失敗し、国立短期大学の受験者が、勤労者から、昼間大学の受験失敗組みの滑り止めへとシフトして行き、教室の顔ぶれが徐々に変化してきました。それでも、一応は勤労者教育機関ですから、受験前にアルバイト職を得て「勤労者」の資格を得、あるいは入学後に就職すると言う条件で、在学中あるいは三年間の修了時点で正社員として就職するものの割合が増えて行った。もちろん向上心の高い勤労者も入ってくるのですが、大学の増設にともなう進学希望者の最終的な受け皿としての「勤労者」教育機関へと変質し始めたのです。まじめな勤労者に混じって、目的意識のない、しかも大学受験を失敗して疲れきった者との間のギャップが目立ち始めたのが、筆者が職場をやめた頃の状況でした。 夜間主コースへの改組 こうして実業系の夜間短期大学は、時代の流れとともに、四年制大学の「夜間主コース」に改組する方向へ流されていき、最後に残ったのは長崎大学商科短期大学部であったのですが、これも二〇〇〇年に廃止されることになります。医療技術短期大学部も一九九四年度より大阪大学医療技術短期大学部が募集停止になるのを機に、医学部の学科に改組されつつあり、二〇〇三年度には、残り全ての短期大学で学生募集が最後となり、京都大学医療技術短期大学部をはじめ四校は、二〇〇六年をもって廃止された。高岡短期大学と筑波技術短期大学も二〇〇五年度をもって募集停止となり、現在国立の短期大学は全て廃止されている。もしも、筆者が短期大学を辞めていなければ、この「夜間主コース」で働いていたことになるのですが、筆者は、その後、愛知県三好市(現在はみよし市)に開設された東海学園大学経営学部へ就職することになった。話を元に戻します。一九五二年に設置された静岡大学法経短期大学部は、静岡市大谷に本部を置いていた日本の国立大学ですが、筆者が、一九九二年に辞めたあとの一九九九年に廃止された。学生募集は一九九五年度までで、一九九六年度より、静岡大学人文学部夜間主コースへの改組により、法経短期大学部は募集停止され、一九九九年三月廃止された。廃止後は、静岡大学人文社会学部の「夜間主コース」として存続しており、その概要は以下のとおり。 夜間主コースへ 夜間主コースは、静岡大学のサイトでは次のように紹介されている。社会人・勤労者のための大学教育 (法学科・経済学科)を行なう教育機関であり、夜間主コースは、昼間に通学ができない社会人・勤労者に大学教育を提供することを目的として、一九九六年四月に、法学科と経済学科に開設された。夜間主コースの講義は、学生が社会人・勤労者であることに配慮して、月曜から金曜日の夜間と土曜日の午後に開講されている。また二〇一二年度以降は、近年の勤務形態の多様化を考慮して、昼間に開講されている専門科目を「六〇単位」まで修得することができるフレックスタイム制度を採用している。夜間主コースでは、法律学、政治学、経済学及び経営学に関する専門科目の講義だけでなく、一・二年次には、幅広い教養を修得するための共通科目を履修、専門科目については、初めて大学で学ぶ人のための入門的な講義科目を一年次に設置し、二年次には、基礎科目と専門科目を並行して、そして三年次及び四年次には、応用的な専門科目を履修する。さらに、学生自身による報告と議論が中心の演習形式の授業(ゼミ)もあり、四年間の在籍期間の間に、専門演習等の少人数教育を中核とした、多様かつ体系的な法学または経済学を学習することができる。夜間主コースには、年齢、職業、経歴などの点で多様な人たちが学んでおり、昼間コースには見られない社会人固有のネットワークの広がりがあるとされている。 夜間勤労者教育機関の回顧 静岡大学法経短期大学部は、一九五二年に、公立である静岡法経短期大学(静岡県立静岡法経短期大学)として発足し、法経科Ⅱ部を置いていた。先にも述べたように、一九五五年に静岡大学に併設されて国立短期大学となったときは、設置学科は法経学科一つのみで、勤労の傍らで学問に勤しむ人々に対する教育を行うことのねらいとする夜間部のみが設置されていた。最初公立だったものが、国立に移管された唯一の短期大学でもあった。毎年新入生を対象に、大型連休の前後に合宿研修やスポーツ大会のほか、懇親会が行われていたし、もっとあとになってから、カナダにある大学への留学制度があったとされるが、筆者の在籍中にはなかった。学長は静岡大学の学長が兼ねており、実質上の学部長に当たる責任者が「短期大学長」でも「学部長」でもなく「主事」という名称であった。筆者の記憶に寄れば、「主事」は順番制であり、筆者が辞職したのは、その「主事」の順番の直前であったように記憶している。静岡大学の自治会は、基本的に民青系の「全日本学生自治会総連合」加盟であったが、短期大学のみ中核派が握っていた。彼らが、一九九一年のPKO法案反対を叫んで活動していたことを覚えている。自治会室が校舎の地階(駐車場の下の通路)にあり、数人が活動していた。静岡大学人文学部とキャンパスを共同使用していた他、現在は取り壊されたが二階建の所謂「法短校舎」を使用していた。筆者が在籍していた頃は、人文学部の教員の研究室が同じ建物にあり、交流は活発であった。その後、人文学部は、上方の校舎に移転した。学生の大半は勤労学生だったが、在学中はアルバイト程度の職に付き、卒業後に一般企業や公務員に就く人もいた。公務員志望の学生は毎年一〇名程度おり、筆者は、志望者のために模擬試験対策などの講座をボランティアでやったり、実際に模擬試験の受験をさせていた。 再び勤労者教育の重要性 この論考は、国立大学の夜間主コースについて論じる場ではないので、例えば、岡山大学夜間主コースの就職実態を次のサイトで参考にされたい。< https://ameblo.jp/ssasamamaru/entry-12259489887.html> 筆者は心の中では、夜間勤労者教育の歴史手使命は終わったと考えるのであるが、筆者が静岡大学短期大学にいたときの県庁・市役所等の学生との真剣な勉学、合宿、懇親会の記憶を呼び覚ますとき、その後大衆化した大学での勉学や研究へのモチベーションの低下(劣化?)が強く意識されてしまう。今一度かつての夜間勤労者高等教育機関での実践を思い起こし、「働き方改革」の方向をも見極めつつ、広く社会人教育を再構築することが求められるのではないだろうか。(2018.3.14)
2018.03.14
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