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AO 古きよき時代のノスタルジア アドミッション・ポリシーAO(Admissions Office アドミッションズ・オフィス 入学管理局の意)は、入試の面接試験で聞かれることが多く、高校ではどう答えるか、事前に練習しているはずです。あるサイトでは、親切にも「AO入試で問われるのは、受験生が大学のアドミッションポリシー(受け入れ方針)に基づいた「求める学生像」に合致しているかどうかという点。そのために、各学部・学科が求める学生であることをアピールする『志望理由』が重要です」としています。あるキャリアサポート・サイトでは、文章の作成代行・代筆を1文字当たり7円~文章の添削・リライティング1文字当たり5円でサービス提供を行なっています。予備校へ通っている場合は、予備校で教師がチェックしてくれます。ある高校生が八〇〇字の志望理由書の代行を依頼するとしたら、五六〇〇円で理想的な志望理由書が手に入ることになりますが、このサービスは「受験に失敗したときは、損失補てんをするのか」と、仲村教授はご立腹です。AOを初めて導入したのは、慶応大学ではなかったでしょうか。エントリーや出願のときに提出する「志望理由書」は、選考を左右する材料になります。パンフレットや大学のホームページを見たり、オープンキャンパスに参加するなどして学校を理解し、「どんなことを大学・学部で学びたいのかを明確にして、しっかりと伝えることが合格への第一歩です」と、高校生をサポートする情報を流しており、面接での応答がよければ高得点をもらえます。 大学の中でのFD研究会のことから大分脱線してしまいましたが、大学としてこのような「受け入れ方針」を表明している以上、FD研修会や研究会と称して、教職員の資質向上が求められているのです。話が回りくどくなりましたが、こうして教授会終了後、忙しい時間を割いて、または仲村教授はストーブリーグと言うのですが――一月末で期末試験が終わり、成績を出した後の授業のない期間という意味で、プロ野球のペナントレースが終わり、ドラフト会議が終了したあとのストーブリーグと似ているので、仲村教授が造語した――研修が続行するのです。ところで、余計な話ですが、7月末で授業と試験が終わり、8月の第一週で成績を出してから、9月中旬にガイダンスが始まり、事実上の秋学期が始まるわけですが、その間、追試験、オープンキャンパス、関連した教授会、研修会と予定が目白押しですが、じわじわと自由な研究時間が確保しにくくなってきているのが現状です。これから大学教員になろうというお方、大学教員は「気楽な家業」(クレージーキャッツ)だなんて思ったら大間違いです。私事ですが、高齢になって健康に何かと不安を抱える筆者にとって、この夏に検査を集中させます。とてもじゃないけど、落ち着いて研究など出来ない状況になっていますが、このことを仲村教授に話すと、「もう大学で落ち着いて研究など出来る時代は終わった。幻想を捨てよ。教育と研究が一体などということは、古きよき時代のノスタルジアである」と、一蹴されてしまいました。さて皆さんはどう思いますか。私はアナログ派で未だに利用しています。【中古】迅速発送+送料無料+動作保証!! Panasonic パナソニック DMR-EH73V-S シルバー DVDビデオレコーダー(HDD内蔵VHSビデオ一体型)(HDD/DVD/VHSレコーダー) HDD:200GB 地デジチューナー非搭載【@YA管理1-53-KT5IA009248】
2018.02.11
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オーム電機 VHSビデオヘッドクリーナー AV-M6026私も愛用しています。効果抜群です。 アドミッション・ポリシー FD 研究会の内容に入る前に、この聞き慣れないアドミッション・ポリシーなる言葉について触れておかなければなりません。アドミッション・ポリシー(AP)とは、一般に「大学の入学者受け入れ方針で、自校の特色や教育理念などに基づき、どのような学生像を求めるかをまとめたもの」とされ、今では、ほとんどの大学が、その内容を定めて、ホームページなどで公開しています。今から20数年前、まだ、この入試選抜概念がアメリカから日本に持ち込まれたばかりの頃、仲村教授の大学で、職員からその言葉の意味を聞かれて、彼は、一所懸命に説明したことを今でも覚えているそうです。 例えば〇〇大学のAPを引用すると、まず、入学を希望する人に求める能力について、「学生はこんな人物であって欲しい、と願う人物像とも言えます。このアドミッション・ポリシーに基づいて、入試を行ない、大学教育を受けるのにふさわしい能力や適性を判定して選抜します」とされています。具体的には、「建学の理念であるキリスト教精神に基づく国際人の育成を理解し、人間として幅広い教養を身につける、あるいは高度な専門性を追求するという教育目標に応え、『自分探し』、『自分づくり』を目指す人が本学に相応しい人物、特に、積極的に学ぶ意欲と能力を有している人物、また学業・技術・文化・芸術・スポーツの分野で実績のある人物が望ましく、さらに本学での学習を通して、これからの社会で通用する実力を身につけ、将来それぞれの分野で活躍したいという強い意志と意欲を持つ人物を募集します」とされています。 そして、学群ごとに、さらに具体的に求める学生のイメージが提示され、グローバル・コミュニケーション学群では、「本学の教育理念のひとつである教育を通して国際社会に貢献する人材の育成を目指すため、次の三点の能力と意欲を主体的努力によって伸ばし、グローバル社会の形成に貢献しようとする学生を受け入れる、としています。引用が長くなりますが続けます。・ 外国語、特に英語・中国語・日本語(外国人留学生)の高いコミュニケーションスキルを修得しようとする意欲とそのための基礎的な学力を持つ人・ 国際社会における異なる価値観や様々な地域や人々に対して共感力と理解力を持つ資質を有する人・ 国際社会の一員として国際協力や国際貢献、国際事業に意欲を持つ人 上記三つの能力と意欲を支える基礎学力が、体系的に備わっていることから、以下の教科科目を履修しておくことが望ましい。「外国語、国語、地理歴史、公民、理科、数学」と書かれています。 私の大学にも、アドミッション・ポリシーは、もちろんあります。ある高校の先生が言うには、「AOにももちろん失敗する場合もあるわけで、第一志望のAOで失敗すると、今度は第二志望のAOを受験する際、キリスト教系の大学から仏教系の大学のAOに、考えを身売りするようなことになって、高校生がいささかかわいそうになる」ことがあるそうです。「高校生の主体性は、一体どこにあるのでしょうか」と、その高校の先生は言います。アドミッション・ポリシーは、日本語に直すと「学生受け入れ方針」となるのでしょうが、性格には大学の使命を広く社会に開示した言葉で、ミッションつまり指名をアド(広告)するポリシー(政策)です。このようにどこの大学でも、高校生や高校の先生、保護者等に向けて、あらかじめ受験対策になるように、教育方針を具体的に定めているのです。会社でいえば「社是、社訓、経営戦略」に当たるものでしょう。大いに結構なことです。 そして、学群ごとにさらに具体的に求める学生のイメージが提示され、グローバル・コミュニケーション学群では、「本学の教育理念のひとつである教育を通して国際社会に貢献する人材の育成を目指すため、次の三点の能力と意欲を主体的努力によって伸ばし、グローバル社会の形成に貢献しようとする学生を受け入れる。・ 外国語、特に英語・中国語・日本語(外国人留学生)の高いコミュニケーションスキルを修得しようとする意欲とそのための基礎的な学力を持つ人・ 国際社会における異なる価値観や様々な地域や人々に対して共感力と理解力を持つ資質を有する人・ 国際社会の一員として国際協力や国際貢献、国際事業に意欲を持つ人 の能力と意欲を支える基礎学力が、体系的に備わっていることから、以下の教科科目を履修しておくことが望ましい。 「外国語、国語、地理歴史、公民、理科、数学」と書かれています。 アドミッション・ポリシーは、日本語に直すと「学生受け入れ方針」となるのでしょうが、正確には大学の使命を広く社会に開示した言葉で、ミッションつまり使命をアド(広告)するポリシー(政策)です。このように、どこの大学でも、高校生や高校の先生、保護者等に向けて、あらかじめ受験対策になるように、教育方針を具体的に定めているのです。会社でいえば「社是、社訓、経営戦略」に当たるものでしょう。一応、大いに結構なことです。(つづく)
2018.02.10
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FD研修会「漂流する大学 ―その50年の軌跡をたどる―」―仮題であって書籍として出版するまでに変わる可能性はありますがーと本書を題した理由は、至極簡単な理由で、筆者が今年でちょうど50年間大学に在職した節目に当たる年だからです。大学に入学したのが19歳の春、卒業後は大学院に進学し、ポスドク*も経験せずに、大学(三年制短期大学)に終身雇用の職を得、途中3年間大学の籍から離れましたが、再び大学に復帰し、今日に至っています。*ポスドクとは、博士研究員(Postdoctoral Researcher)のことで、博士号(ドクター)取得後に、任期制の職に就いている研究者や、そのポスト自体を指す語です。博士後研究員とも呼ばれます。 そういうわけで、あまり具体的には書けないことをお許しください。―とはいえ、ブログの作成者は調べれば分かってしまいますが―現役の大学教授ですので、周囲に迷惑をかけるのは忍びないことですし、また、良心の衝動によって事実や信念を述べたとしても、それによって、関係者に少しでも影響が及ぶのは、筆者の本意ではありません。 そういう訳で、本(ブログ)書は、事実をもとに執筆はしていますが、設定や情況を変えて文章を組み立ててあります。しかし、真実を伝えようという筆者の意図は、微動だにしていないと確信しています。副題に、「英知と正義の巨塔を求めて」とありますのが、そのささやかな証で、筆者が大学に入学したころから見て、大学は社会経済状況の流れに身を任せて、また同じく鴨長明よろしく、川のように漂流し、一体どこへ向うのかを案じるわけですが、「真理と英知そして正義」の大海へと向っていると信じて本書は書かれています。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」という無常観に囚われることなく、未来を見据えて生きたいと考えています。ここで、仲村輝彦のパートナーの多羅尾敏内を紹介します。彼は式部准教授と同じ、仲村教授の大学の後輩で経済学専攻の助教ですが、国立大学法人へ勤務している前途有望な若手教員です。仲村は後輩の面倒見がよいらしく、後輩からは信頼され、しょっちゅう情報交換をやっているみたいで、筆者も、時々誘われては雑談に興じます。国立大学の情報は主に多羅尾助教から仕入れています。 これは確か東京の御茶ノ水だったか、その時の話です。2015年11月。教授会終了後に、急遽FD(ファカルティー・ディベロップメント)研究会が開かれることとなったと言うのです。急遽というのは不正確で、あらかじめメール配信で通知があったので、予定通りというのが正しい。ここ最近、メールによる通知(多羅尾敏内に言わせると、強制力を伴うので「通達」と言った方が正しいと)が、頻繁に行われるようになり、多羅尾から言わせれば、人をバカにした扱いが横行しているとしか言いようがないそうです。一体、人にモノを頼んだり誘ったりする際の礼儀は、面と向かって口頭で行うのが古来より行われてきた、正しい作法だ。何も一対一である必要はなく、一対多数でもよい。しかし、人をモノ扱いする風潮が進行するにしたがって、電話になり文書になり、最後はメールになる。人事管理が進化――実は劣化――すると、以上のような連絡手段が進行すると、何かにつけ、過激な発言をする多羅尾は語気を強めて言います。 もちろんわれわれ教師も、学生に対して、大事なことをメールですましているから、このような悪口を言う資格などないことは、重々承知しています。コミュニケーションが、メールによって行われる時代であることは、子どもでも知っている。また社内や官公庁などのメールは、公式メールである限り、公文書扱いになるので、そう目くじらを立てることはないでしょうが、多羅尾敏内助教の言い分も分からないではありません。しかし、筆者の経験でも、毎日おびただしい数のメールを受信し、見落とすことだってあるし、設定次第では、自動的にゴミ箱に入ってしまうこともあるのです。メールによる、指示・徹底は良いことなのではあるが、多羅尾先生の言うように「人を馬鹿にした『通達』」なのかもしれません。だったら、その通達に従うことはないわけですね。そうは行きませんか? こう言うのを古めかしい哲学で「疎外」といったのでした。(2018.2.8)私も愛用しています東芝32GB【USBメモリTHN-U202W0320A4】型番違いUHYBS-032GHと完全同一品
2018.02.06
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九月病とセメスター制 前回は、大学生の「九月病」について記しました。ひとつだけ忘れていたことがありますが、それは「セメスター制」との関係です。セメスター制というのは、分かりやすく言うと、2学期制のことで、大学の場合は4月の春学期と、9-翌二月の秋学期の2回に分けて授業を行い、評価するしくみです。夏休みの八ー九前半にも追試験や補修、履修登録、インターンシップなどをやったりしていますから、間で「中間セメスター」みたいなものが動いているわけですが、中心は春と秋のセメスターです。 仲村の大学では「即戦力養成」をセメスターの意味に挙げていますが、現場感覚から言うと、セメスター制のデメリットもあります。これは仲村の個人的な考えですが、今から20年以上前に通年制が一般的だったときには、夏休みは、1年間通して聞く授業の中休みみたいな位置づけがあって、勉強する側から見ると、1年間の勉強の中間で、授業に関連した本を読むとか、あるいは宿題を出す先生がいて、それに取り組むとか、とにかく長丁場ですから、冬休みもはさんで、一年間に学ぶことの成果は、セメスター2プラスセメスター2、イコール4以上の勉強内容であったように思います。 逆に言うと、今の学年4(春2プラス秋2)単位は、以前の通年4単位以下の内容・水準であるように思います。4月に授業が始まって、7月下旬には試験が始まりますから、しかも大型連休を挟んでロスが出ますから、短期決戦の戦力養成とは名ばかりで、ろくな授業になりません。はっきり言うと「教えた気にならない」(仲村の友人の話)のです。 学生は、こうして大学の授業とは隔離された、長い夏休みをバイト、遊びで過ごしますから、大学生であることを忘れてしまい。「九月病」にかかります。先日も、筆者の友人とこのことが話題になりました。友人の大学の学部定員は、200人くらいですが、なんと、九月に秋学期が始まる前の履修登録を、70人がしないのだそうです。正確にいうと、60人が履修登録せず、10人が休学・退学の申請中なんだそうです。大阪のある大学とだけ言っておきましょう。四学年で学生総数は800人ですから、約一割が履修登録をしないことになります。この履修登録をしない学生は「退学予備軍」です。次のサイトは帝京大学のサイトで、学年別の退学者数が三年間について公表されています。https://www.teikyo-u.ac.jp/university/upload/ 一流大学で退学率が五%程度だと思いますが、底辺校では10%、いやもっとそれ以上に達するのではないでしょうか。ここで、仲村教授の言うように、セメスター制が退学や授業の質を低下させているという主張は、一面的かもしれませんが、もっと深く掘り下げてみる必要があるかもしれません。(2017.9.30)スマカメ CS-QR220 高感度センサー PLANEX プラネックス カラー カメラ 防犯カメラ 本体 新品 送料無料 光コラボ 回線セット販売 インターネット新規加入 光 インターネット光 申込み セット キャンペーン Jan18
2018.02.03
五月病と九月病 五月病という言葉は、インターネットで検索してみると、ちゃんと出て来る常用語です。wikipediaには「新人社員や大学の新入生や社会人などに見られる、新しい環境に適応できないことに起因する精神的な症状の総称」と定義づけられており、一般にはあまり知られていないようですが、私たち教育関係者には昔からよく使われていた言葉であったように思います。5月頃に出てくる、女性特有の体調不良を指していう場合もあるようです。「対策本」も出版されています。 意味は、読んで字のごとしで、毎年大型連休明けのころに、新しい環境に入った大学生や新入社員が、ストレスを受けて、大型連休明けになると体調や精神的不調を訴えて、大学や職場を休みがちになる現象を言うとされています。実際、仲村教授の大学でも、5~6月の授業で欠席が見立ちはじめ、教授会に退学願いが出たりするといいます。新入社員の場合は、入社後3ヶ月で会社を辞めて、新たにやり直す人がでてきますが、調査をしたところ、多い順に「入社前の情報収集」、「最初に内定がでたので入社してしまった」、「やりたいことが明確にならないまま入社してしまった」とつづいています。(「キャリコネニュース」)https://news.careerconnection.jp/?p=37475 この情況は、ある意味、大学生が大型連休明け、または夏休み明けに退学してしまう理由と似ています。暑い夏の日差しが透き通るような青空に変わり、体調もよくなって来る9月半ばから、大学生がやる気を失って長期欠席になったり、退学するケースが多いのです。何のために大学にきたのか、その目的も意思も曖昧なまま大学生になってはみたけれど、最初の夏休みまではめまぐるしく大学生活を送り、長い夏休みを、勉強するでもなく、やりたいことに打ち込むでもなく、ぶらぶら生活し、気づいて見ると、また黙阿弥の履修登録と面白くもない授業。 ここでやる気を失って、授業に出てこなくなるといった感じです。文部科学省が退学の理由を調査しており、それによると全体の32パーセントが、「学業不振」、「大学生活不適応」、「就職」を占めています。しかし、本当の理由はもっと深く考察する費用があります。なぜなら、文科省のあげる理由は、大学の学生課ないしは学生支援センターが調査したもので、基本データは学生の申告による表向きの理由だからです。退学理由の欄に書けない理由があって、それは支援センターも文科省にも分からないからだと、老獪な仲村教授は言います。「経済的理由」も20パーセントを占めていて、これが最近増加傾向にあり、別途、問題にしなければなりませんが、「その他」が25パーセントで、全体の57パーセントが、卒業までの4年間になんらかの「不適応」でやめていくのです。(「文部科学省、平成26年レポート」 <http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/26/10/__icsFiles/afieldfile/2014/10/08/1352425_01.pdf>) 仲村や筆者のような団塊の世代の経験で、比較にも教訓にもなりませんが、私の大学時代のクラスで4年間に辞めたのはたったの1名でした。みんな頑張って大願成就し社会人になったのでした。中途退学率は、同レポートによれば、国公私立全体で2.65パーセントですが、「限界大学」では、もっと比率は高いようにおもわれます。仲村の大学のデータで、それを証明することはできますが、企業秘密なので出せません。 いま「導入教育」の必要が叫ばれ、高校生が大学生になって円滑に大学生活になじめるようss(スチューデントスキル)教育の充実の必要性が叫ばれています。いずれこの「導入教育」について論じてみたいと思いますが、まずは、大学への「不適応症候群」が十分癒やされないまま、問題が先送りされ、「新入社員早期退職症候群」となって再発している現状を述べました。古い言葉ですが、モラトリアム社会の再現です。それは見境のない大学増設の結果引き起こされた「社会問題」ともいえます。(2017.9.12)お勧め万年筆(参考)モラトリアム人間 アメリカの精神分析学者エリクソンは、ライフサイクルにおける青年期の延長を説明する際に、モラトリアム(支払猶予という意味)という語を使用している。彼は、青年が自己を確立するまでの数年間は、大人への準備期間として心理的にも社会的にも責任を免除され、試行錯誤的に様々な司能性にチャレンジする期間とした。社会の側がそのような余裕を青年に提供するわけだが、最終的には青年が社会的責任を果たせる大人となることを前提としている。しかし、最近使われている「モラトリアム」という言葉はエリクソンがいったようなニュアンスで使われなくなり、以下に挙げるような意味で現在は使われることが多いようだ。 モラトリアムという語を使って、日本の精神分析学者小此木啓吾が、1970年代以降の日本の若者たちの大人になろうとしない傾向を、その著書『モラトリアム人間の時代』において以下のように指摘した。「このような若者たちの特徴としてつぎの5つがあげられる。 ①「お客様」意識をもち続けて、いつまでも社会に対して責任をとろうとしない。②将来の自分の可能性をつねに留保しておくために、特定の組織や集団にかかわることをさける。③アイデンティティの確立に際してさけられないはずの「あれか、これか」といった選択をさけて「あれも、これも」と欲ばるため、具体的な出来事に対して確固とした対応ができない。④社会によって責任を猶予されているという意識が薄く、あたかも権利であるかのように自己の置かれた立場を正当化する。⑤友人関係においても、社会に対しても一時的にしかかかわらない。彼らにとって、現在の自分は「仮のもの」であって「本当の自分」は常に未来のものとして大切に保存されているのである。」他に似たような言葉として、「ピーターパン・シンドローム」という表現で大人としての責任から逃れようとする若者を指すものがある。(Jinkawiki)(2017.9.12)
2018.02.03
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明日は卒業研究の発表会。「卒業研究」の名称は「論文」の域に達しないから「研究」でいいということだったが、この制度がはじまってはや23年。学生もようやくその意義を理解し、真摯に取り組んでくれるようになりました。今年のゼミ生は11名、大学4年間の「演習」での勉強の成果を踏まえ、全員が「再生可能エネルギー」ビジネスに関して、独自の視点から、「論文」をまとめました。 秋口からまとめの作業に入り、一対一の刺しで、まるでけんか腰でテーマに関して分析を進めますが、指導する私の側が逆に教えられることが多いと実感させられます。そのために考え学生に論点を提示し、ソリューションを開拓していきます。3年生はすでに就活本番に入り、内定が出たら卒業研究の「まとめ」に取り掛かります。私は大学の教師として、「卒業研究」の指導ほど「教師冥利」に尽きるものはないと回顧します。sedia/セキセイ 書見台 ブルー BH001-10
2018.02.01
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