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大学が急に増えたわけ 仲村教授は、その遠因を「戦後体制(レジーム)」にあると考えています。ここでは、多少ヒントを述べておきたいと思うのですが、こういうことです。団塊の世代という言葉をご存知でしょうか。それは、太平洋戦争後の昭和二二年、二三年、二四年に、戦争から復員してきた人たちが、なんとか生活が落ち着いて、妻の元へ帰り、または結婚して、子どもがこの三年間に集中して出来たために、人口構成の中で突出して多いことを指す年齢階級構造です。作家の堺屋太一氏が、同名の本を書いたことから、名づけの親のように言われているのです。 この世代は、後の高度成長を支え、また大学紛争を経験し、左翼の潮流を形成し、この塊が年齢構成の上位に達し、超高齢化社会の団塊として、年金、社会保障、医療の大きな負担を社会経済に強いているわけです。この団塊の世代が大学に大量に入ったのが、昭和四一年から四三年で、大学を卒業して会社に入るのが昭和四五年から四七年です。大学に進学しなかった団塊の世代は、すでに工場や商店などの会社員になっていましたが、五人に一人の大学進学者と、高(中)卒者が日本の人口構成の非常に大きな割合を占めていたのです。【TOSHIBA海外パッケージ】【USBメモリー 16GB】THN-U202W0160A4 当時の定年は概ね六〇歳から六三歳位でしたから、一方で定年を延長して、団塊の世代を収容できる枠を大きくすることと、大学の新増設を加速させて、団塊の世代後の出生率の低下後の第二次ベビーブーム(団塊の世代ジュニア)世代を大学に収容して、団塊の世代の雇用を守る必要があったと仲村は考えているようです。 簡単な図式化を行なえば、団塊の世代が生み出す膨大な税収を新規の大学や学科・学部増設に振り向け、若者の新規労働市場への参入を引き伸ばす、そのために見境なく大学定員を増やしたと言うのです。確か、『第三の波』で有名なA・トフラーも、そのようなことを言っていたように思います。 この仮説は、団塊の世代の人口構成比の推移と、大学入学定員の増大の推移をクロスさせれば証明できると言うのです。仲村から言わせれば、目を閉じていてもグラフが目に浮かぶ「一八歳人口と進学率等の推移」に、大学新増設(進学率と収容力の急上昇)がパラレルに進んだことが、そのマクロレベルの証明だと言うのです。つまり、仲村は、基本的に年功序列を基本とした雇用構造を、大学・学部の増設で維持してきた、戦後レジームの構造問題だという訳です。左の資料に最新のデータがあるので、じっと眺めてみてください。仲村の言わんとすることが理解できると思います。 仲村の言わんとすることを理解するために、比喩を用いてみよう。毎年、毎年、中学ないし高校から、そして短期大学や大学から労働市場へ排出される学生を大河の流れにたとえよう。その大河の流れ着く先が海洋で、その労働市場という海洋が、大河の水の流れを十分に収容できるだけの収容力を持っていれば、何ら問題はない。しかしながら団塊の世代という大量の労働力をこの海洋が収容しきれないとすると、大河の中間地点辺りに、一時的に堰を作って滞留させ、労働市場の逼迫や過剰傾向を見極めながら水量の調節をする必要があった――それが大学設置の増加の遠因であったと、仲村は考えているようである。多様な大学院修士課程の設置も含めて考えると、仲村の仮説はあながち的外れとはいえないであろう。
2018.01.31
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楽天さんは海外旅行でお世話になっているので、販促に協力することにしました。アフィリエイトなんて、何のことか分からないので、知らん顔していましたが、無料でブログを使わせていただいているので、とりあえず私の仕事に欠かせないデジタルカメラを紹介させていただきます。【送料無料】 コダック コンパクトデジタルカメラKodak PIXPRO FZ43BK (ブラック)価格:7538円(税込、送料無料) (2018/1/31時点) デジタルカメラは小型・軽量化して、気軽に撮影でき画像も昔に比べると格段に綺麗になりました。しかもパソコンに接続し、windows装備のペイントなどで編集が出来ます。スマホのカメラ機能もすばらしいとは思いますが。デジカメは、もっともっと利用価値があると思います。ちなみに、私は私の楽曲をyoutubeへアップする際、画面につかっています。アフィリエイトですが、この画面から商品を買っていただけると、ポイントがいただけるそうです。(2018.2.1)
2018.01.31
大学生のIQを調べた教授 もう何年も前になるのですが、仲村の友人で、ある経済団体と共同で学生の「IQ(Intelligence Quotient知能指数)」を調査した結果を「他言無用」という条件で見せてくれた教授がいるというのです。仲村は、「ここだけの話だが」という条件で教えてくれました。 固有名詞は控えるとして、縦軸にIQ、横軸に人数の二次元グラフで示された山型の全国平均の分布の中で、その教授の大学の大学生は、最低ライン(人数は少ない)から平均(人数が最も多い)の所に分布しているというのです。被検者は大講義室の授業の学生なので、その学部の学生の傾向を表しているといいます。「そんなもんじゃないですか」と言うと、「これじゃ教育にならん」とその御仁は言うのです。「よくもまあ公的な経済団体がこんな調査をするなあ」と思いながら、その場はすんだのですが、じつは、式部准教授の友人の件(くだん)の准教授は、そのような水準の学生たちに囲まれて教育をしているのです。余談ですが、これは昔の話で、現在はどこの大学でも、このような調査は「研究倫理委員会」にかけなければ、実施は出来ません。「研究倫理審査委員会」は、どこの大学でも設置されており、大学以外の研究所や企業にも設置されていますから、ネット検索してみてください。仲村教授も、この研究倫理審査委員会に携わったことがあるといいます。「頻繫に案件が審査の遡上に出てくるので息つく暇もない」と、ぼやいていたのを思い出します。しかし、詳細は語ってくれませんでした。守秘義務があるのだそうです。 最近、教育現場で「アクティブラーニング」の必要性が叫ばれていますが、アクティブラーニングが成立するためには、必要最低限の知識とコミュニケーション力が必要で、それを欠いた集団の中で成立するアクティブラーニングは、本来求められる「問題解決能力の涵養」とは、似て非なるものになります。 先ほどのIQの山の左側の裾野から平均の山の頂上辺りまでの集団が支配的な、いわゆる「底辺校」では、このアクティブラーニングは成立しないというのが、仲村教授や式部准教授たちの考えです。筆者は、あるとき電車の中で、一杯飲んで上機嫌の高校の先生が、「一定の知識とコミュニケーション力を備えた集団でなければ、アクティブラーニングは無理だね」と、大声で喋っているのと聞いたことがあります。その先生方の乗車した駅からどこの高校かは分かるのですが、これは伏せておきます。この問題に関しては、また別の機会に検証します。 これもまた、ある大学の教授の話ですが、ある就活支援業界の主催した非公式の座談会で、企業の採用担当者が、「とにかく大学を増やしすぎた。本来なら、高校を出たら職人になって、そこで親方にどつかれ、叱られて一人前になっていくべき高卒者が、「蝶よ花よ」と甘やかされて育てられ、学士様になって企業訪問しにくる。この子たちのほとんどは、使い物にならない。採用活動の予算の無駄遣いだ、と言うのももっともだ」と、本音を言っていたのを思い出しました。「それは言い過ぎだろう」と笑ってすましたのですが、とても、人ごととは思えません。ではなぜ、文科省は、大学をこれほどまでに増やしたのでしょうか。次に、仲村教授の「仮説」を紹介します。(2018.2.1)
2018.01.31
作りすぎた大学 式部麻美准教授を紹介しましょう。彼女は仲村教授の出身高校の後輩に当たる宇宙文学が専門の星涼大学の准教授です。宇宙文学は、複雑系の仲村教授が提唱し、学会組織にまでなった研究集団です。ある国立大学に「宇宙倫理学研究会」というのがありますが、宇宙的スケールでの人間の文学表現を探究する新しいジャンルを開拓する、ちょっと怪しい感じの研究グループで、大学の教師だけでなく、サイエンスフィクション作家から、ミステリーまで、色々なジャンルの人たちが参加しています。式部麻美は、その研究グループの事務局を担当しています。 彼女は、仲村教授の後輩であるだけに、何かと連絡を取り合って情報交換をしているようです。その式部麻美准教授が、仲村教授へ電話をしてきたと言うのです。彼女の携帯へ、何でも打ち解けて話せる仲の友人から、意味不明のメールが来たので、携帯に電話をしてみると、「今日も授業をやったけど、学生が好き勝手なことをやって、私の教え方が悪いのかもしれないけど、もう嫌になった」というのです。 こういう話は、今に始まったことではないので、「ほう、ほう」と聞いていたというのですが、どうも少人数のゼミの話で、スマホは勝手にするは、後ろの者と話はするは、注意はするけど無視するはで、収拾がつかないというのです。ちょうど時期的に、新しいゼミ編成で授業が始まったばかりなので、「まだ授業のやり方がわからないので、学生も手探りじゃないですか」と、宥めてはみたらしいのですが、どうもそれだけではないようなのです。式部の友人は、研究室を留守にしているときの伝言板(ホワイトボード)を、ドアにぶら下げてあるのですが、それに悪口雑言が書いてあるというのです。学生がいたずら書きをしたようなのです。式部の友人は、首都圏のある新設私立大学に勤務しているのですが、もうベテラン教師の域に達しており、学生の扱いはうまいはずなんですが、毎年、毎年繰り返される学生にあるまじき言動には、これまでにも、うんざりするくらい愚痴を聞かされたというのです。 私立大学の底辺校に位置する大学に、彼女は勤務しています。大学の実情に疎い一般読者のために、「底辺校」という言葉を紹介しましょう。三角形の「底辺」なのですが、ピラミッド型に形成される上から有名校、真ん中の中堅校、その下の偏差値が低い底辺校というふうに理解してください。最近では「限界大学」といういやな言葉を使う人がいます。「限界集落」の「限界」です。仲村教授はこの「限界」という言葉を毛嫌いします。 それはともかく、式部の友人の大学は、定員割れをしている学部もあるようで、ほぼ全入の状態だそうです。「うちの大学はいつまでもつか」が口癖で、「よその大学へ移ったら」という式部の提案に「それが出来たら苦労はないわよ」が、お決まりの返事だそうです。式部の友人は、大学の研究者としてみれば、学会で一緒しているので、実に優れた研究者です。教育者としても、申し分のない資質を持っています。 実は、友人の准教授の憂鬱は、問題児のことだけではないようなのです。彼女の忍耐も「限界」のようです。そういう意味での「限界」大学はたくさんあります。経営が持たなくなる「限界」ではなく、教育の担い手の教員スタッフが限界に来ているというのが仲村のお説です。とにかく、仲村は変わった人間なので、多少割り引いて話を聞く必要がありそうです。「とにかく大学を見境なしに作りすぎたんだよ。高等教育には、それを受けるに値する一定の資質や能力、マインドが必要だ。働き蟻をいくら集めてきても働くのは三割だ」と、仲村教授がため息をつきます。
2018.01.30
環境破壊の最高学府 2016年11月30日水曜日。 教授会が開かれるのは、原則月に一回、仲村教授の脊梁大学の場合は、第三水曜日と決まっているのですが、ものすごい数の資料が配布されて、それに基づいて開かれます。教授会のメンバーは、30人ほどなので、机の上にタブレット端末を置いておけば、ぺーパーレスになるのに、まだそこまでいっていません。学会などで聞いてみると、どこの大学でも同じことです。仲村教授は、複雑系の専門家で、資料を準備するのに要する時間と紙代のコスト計算をしたことがあるそうです。仲村によれば何と一回辺りの教授会のコストは、十万円なんだそうです。年間10回の教授会とすると、100万円になり、そのほか主要な会議の回数をかけると、200万円になると言うのです。「個人情報や秘密にしておかなければならない文書は回収するけれども、どういう形で漏洩するかもわからない金銭評価できないリスクをしょっていることを忘れてはいけない」と、仲村教授は言います。企業では機密文書をシュレッダーで処理していますが、1箇月当たりの処理費用合計を、約12200円/月とはじいているサイトもあります。仲村は言います。「ガバナンスとコンプライアンスの定着と浸透に伴って、やたら配布される資料が増えてきた。ガバナンスは紙の無駄遣い。つまり環境破壊なのだ」と。仲村教授は続けます。しかし、最近では「溶解処理」といって、一箱あたり千円くらいで溶かし、再利用するサービスもあります。「こうした資料は、保存しておかないと、後々業務の執行に支障が出るので、研究室に保存しておくが、教授会での配布資料以外にも、毎日のように学生関係の配布資料や、パンフレット類が教師用のメールボックスに入れてあるので、こうしたものを保存しておくわけだ。それで、こうした文書類は不用意に捨ててしまうわけには行かないので、研究室の片隅に積んでおくのだが、毎年年末に丸秘文書をシュレッダーにかけて処分するときにどれくらいの量になるか見てみると、なんと一・五メートルの高さになる」いやはや、驚きましたね。ごみとして処分する紙については、清掃のスタッフに頼んで処分してもらうのですが、これが年末の年中行事になるのです。私の大学には、120人の教員がおりますから、単純に計算して、積み上げると180メートルの高さになるわけです。これだけの量の紙が、毎年大学の中で使われているわけです。これに事務部門で使用・廃棄される紙をくわえると、おそらく2倍3倍の高さになるのではないでしょうか。メールでの連絡ですむ物はメールで済ませますから、紙の節約にはなっているのでしょうが、おびただしい紙資源の消費が行われているわけです。前置きが長くなりましたが、それでなくても忙しい教育、その他の業務をこなさなければならない教員にとって、瑣末な話であるのですが、毎回の教授会の議事録まで教員が作成している大学があることを、皆さんはご存知でしょうか。青森大学では「教授会規程」を公表しており、「(議事録及び報告)第8条 学部長は、教授会の開催都度選出された二名署捺印し議事録を作成保管する。(庶務)第9条 教授会の庶務は、事務局が処理する」となっています。「そんなこと、事務スタッフがやればいいのでは?」という声が聞こえてきそうですが、そうは行かないのです。仲村教授の情報では、C大学では議事録の作成が始まったのは、10年ほど前からで、やはりガバナンスの浸透と機をいつにしているというのです。
2018.01.29
本書の趣旨 このような書物は、「さあいざ書くぞ」とペンを握ってみても、簡単には書けるものではないし、また、極めてつまらないものになってしまうこと必定です。なにせ、筆者自身高校を終わってから大学に入学し、大学に終身雇用の職を得て、はや五〇年の歳月が流れています。五〇年は半世紀です。やはり、日記(雑記)風に、感じたことあったことを、丹念に書きとめていき、最後に文献・資料的な裏づけと検討を踏まえて整理し、加筆修正を加え完成させるしかないと思います。コンサルタント業を営む著者が書くような、「大学は生き残れるか」の類ではなく、また、教育行政論の専門家が書くお固く理想高き専門書でもなく、経験したままありのままの大学の実像を探りたいと考えています。 そこで、本書の完成までに残された二年――定年まであと二年という意味です――の最期の一年を加筆修正にあてると、残り一年間に書き溜めていくというのが、進行スケジュールとなります。ストーリーがどういう展開になるのか、筆者にもよく分かりませんが、少なくとも、言えるのは、今の大学のおかれている現状は、尋常ではないこと、いわゆる二〇一八年問題が現実味を帯び、何らかの不測の事態が生まれ、それが引き金になって、あとはスパイラル式に事態が急変していくような深刻な事態だと思われます。大学は作りすぎたのです。では何のために。それはゆっくり考えていくとして、まずは、とっかかりになることから始めましょう。 安倍内閣総理大臣の「お友だち」の加計孝太郎氏が経営する岡山理科大学の獣医学部新設が二〇一七年春以来の疑惑追及をのらりくらりとかわしながら、二〇一八年四月「めでたく」開学にいたったことが、今後の大学のあり方を考える上でのひとつの反面教師になるかとも考えます。加計学園は既設の千葉科学大学を中心に、公費投入(土地の無償譲渡含む)を梃子に、学部学科の新設を繰り返し、定員充足割れ学科をスクラップしながら、経営を展開してきたように見えます。同大学のホームページで「経営計画」が公表されていますから分析してみてください。それはともかく、まずは突破口を開きましょう。
2018.01.29
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研究の自由・独立 本書は、大学の現状と方向性を、筆者の経験をもとにエッセイ風にまとめたものです。筆者は、まだフルタイムの現役の大学教授をやっているので、所属する大学や付属機関のことの詳細に関しては、守秘義務がありますから、一般論で書くしかありません。私たち大学の教員とスタッフが、日々業務をこなすときには、膨大な量の個人情報や機密事項を扱い、そのようなことまで、軽々しくオープンにすることはできないからです。と言っても、問題の所在をはぐらかすわけではありません。 現に、毎年年度末になると、シュレッダー専門の車両が来て、各スタッフは、機密書類などをダンボールに入れて持ち込み、処理してもらいます。仲村輝彦の場合だと、機密書類は大きめのダンボール三か四つに相当するといいます。個人情報や機密文書をUSBに入れて持ち歩くことは原則禁止で、メールに添付することも同様です――仲村がそう思っているだけで、規程上どうなっているのかは、実際のところ知りません。先日、仲村がある自治体関係の方と雑談していたら、「うちの職場はUSBの持ち歩きと、メール添付は禁止」と言っていたと言います。先日、ある学会で、仲村教授が懇意にしている人と雑談していましたが、その時の会話です。相手は早坂一郎と言います。「仲村先生、大学の研究って、こんなものでいいのでしょうか」早坂準教授は、キャンパスの大きな銀杏の木の下のベンチに腰かけて、ため息ながらに言います。「うーん。早坂先生。業績を積み重ねて、上位の職階に登るのが使命ですから。大学の教師といっても、普通のサラリーマンと、職能的、形式的には何ら変わりはありませんよ。女房、子どもを養わなければならないし、こういう言い方は問題ですか、何かとお金が必要な世の中、大学の方針に従うしかないでしょう」「そうはっきり言われると・・・・・・でも、点数稼ぎで研究発表をやると、研究の質が低下します。データ改ざんにつながるのは、基本的にそういう原因からではないでしょうか。研究がポイントに換算されることを考えて論文を書くのは邪道です」 研究正義感の強い早坂準教授は語気を強めて続けます。iPS細胞の中山教授の研究室でも、ついにデータ改ざんが発覚しました。新聞報道によれば、人工多能性幹細胞(iPS細胞)に関する論文で不正が見つかり、論文の図が捏造・改ざんされており、京大は掲載した出版社に論文の撤回を申請したというものです。(2018年1月22日)「先行研究を並べ立てて、しかも学会の重鎮の説には逆らわないように。それを無視すると、いかに社会のニーズに対応した研究でも価値がない、けしからんとなる」 仲村教授は、この準教授の青臭さに多少腹を立てて、「まあ、しかし、それは有名になるために払わなければならない有名税みたいなもので、教授になったら、自由に自説を唱えることが出来るのではないですか。先生の仰る正義感はポストを手にしてからでも十分じゃないですか。先生の言うことはごもっともだと思いますがね」仲村教授よりも若い早坂準教授は、顔を曇らせます。「学会の研究の枠の中でしか、世界を見ることができなくなってしまいます。そういう癖がついてしまうと、もう足を洗えません」 准教授は自説を曲げません。仲村教授は、教授職にありますから、早坂の悩みはもう過去のことです。「大学の研究は、世間の下世話から自立していないといけないと思うのです」 准教授は、食い下がります。「仰るとおり。学問の独立・自由ですね」 このあと会話が続きますが、いきなり、深みに入るのはやめて、次に、この本の趣旨を述べたいと思います。もうお分かりでしょうが、以下、ノンフィクションとフィクションの中間のような形で、話を続けることになります。(続く)【TOSHIBA海外パッケージ】【USBメモリー 16GB】THN-U202W0160A4
2018.01.29
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漂流する大学―その50年の軌跡をたどる― 英知と正義の巨塔を求めて ①瀬川久志 目次はじめに銀杏の木下で本書の趣旨環境破壊の教授会作りすぎた大学大学生のIQを調べた教授大学受験九月病セメスター制の虚・実アドミッション・ポリシー2018年問題FD 研究会IRと大学2018年問題教育現場への影響論文売買の実態文科省・東京(二三区)の定員・大学新設を制限加計学園の認可について期末試験顛末記 はじめに本書の登場人物は次の通りです。 仲村輝彦 私立大学教授(専門 複雑系)スミス・アンダーソン(Smith Anderson)アメリカ・カリフォルニア州のK大学の教授で日本へ遊学中。超弦理論研究家。式部麻美 仲村輝彦のパートナーで、星涼大学の准教授。宇宙文学学会波久礼純情 仲村輝彦のパートナー 準教授(歴史文学)多羅尾敏内 仲村輝彦のパートナー 助教(経済学)吉永百合子 学生(社会学部)夏光一郎 神奈川県警警部(捜査一課)夏蜜柑 国際刑事警察機構職員 これらの人たちが繰り広げる、大学アドベンチャーとして進めていきますので、よろしくお願いします。仲村輝彦が所属する私立大学の名前は脊梁(せきりょう)大学、もちろん実在しない大学です。本書は、仲村輝彦とパートナーたちとの情報交換と、熱心な議論によって構成されています。脱線することもあるかもしれません。個人情報など、配慮が必要な情報に関しては、一部設定を創作してある点お断りしておきたいと思います。一九九五年から二〇一四年までの大学改革を巡る年表が、<https://tsukuba.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=35330&item_no=1&page_id=13&block_id=83> に公表されているので参考にしてください。また、その後の動向については、< http://www.jihee.or.jp/seminar/pdf/meeting/seminar26_07c.pdf >が参考になります。また、その他の参考文献やサイトは巻末に一括して示します。 本書は、仲村輝彦と三人のパートナーが、交遊・旅行・学会など、さまざまな人間関係を通じて得た情報や経験、知見などを元に、大学とは何か、大学と教員は何をしなければならないか、そのためにはいかなる制度設計と改革が必要かなどを、大学で起きる様々な日常的な出来事・事案・事件を通して、大学に学生、教員として在籍した半世紀にわたる経験の回顧と展望を記した物語です。キヤノン デジタルカメラ IXY 190 ブラック 1086C001 1台 【送料無料】
2018.01.28

母の遺言書 私の母は今年で90歳になります。私は母が20歳のときに生まれたので、ちょうど70の年の開きがあります。母の記憶があるのは、私が5歳くらいのときなので、70年間一緒に生きてきたというリアルな感覚はないのですが、母からいわせれば「70年間お前を見てきた」と言うに違いありません。 しかし、私は18歳で大学で勉強するために東京へ出たので、この間、度々母親のもとに帰っていましたから、70年間母親を見てきたという言い方もあながち不正確ではないと思います。年がら年中顔を見ているよりも、適度な距離があって、そのほうが良かったのかもしれません。大型連休と夏休み、それに正月くらいしか故郷に帰れない普通のサラリーマンに比べれば、大学教授という仕事は、土日を使って気軽に会いに行けるので、母親と一緒に暮らしてきたという実感は十分にあります。 私は、母親が元気で70年間も一緒に暮らしてこられたことを大変ありがたく思っています。まだ、あと10年もそれ以上も一緒にいたいと思っています。ところが、これまでに母と会うのもこれまでかと思った事が二度ありました。一度...目は2013年3月、私の体にガンが見つかったとき、そして2016年、ガン摘除後の検診でPSAの値が上昇、し再発ではないかと思ったときです。前者のときのことは、私の本「昭和と平成 ジェンダーを生きた孤高の人(Ⅳ)」で細かな心境を書いたので、ここでは書きませんが、後者のときに、前立腺がん摘除生存可能年数からして、母よりも私が先に死ぬ可能性があるので、先に墓を立てたのです。 転移先が悪いと、例えばすい臓へ転移すると、長くは持ちません。この写真は、そのときに母が私にあてて書いた遺言書です。2016年の秋、私は自宅近くに墓地を求め、2017年秋には墓を立てました。それは、私が入るためと、いずれ父母の遺骨を葬るためです。これを「改葬」と言います。いま「墓じまいが」大きな課題になっていますが、私の場合も例外ではないのです。 私はジェンダーをテーマにした「昭和と平成 ジェンダーを生きた孤高の人 碧空日記(Ⅰ)~(Ⅳ)」を書いてきましたが、(Ⅴ)を書かなければと思っています。facebookやブログに綴っていけば、自動的に概ね仕上がるように進めていますが、完成がいつになるのかまったく分かりません。しかし、母が生きているうちに仕上げたいと思っています。幸い、前立腺がんのPSAは低位安定しており、今のところ転移、再発の兆候はありません。 私は、母は偉大な人だと思っています。私と妹の二人、それと戦争遺児の私たちのいとこを育て、4人の孫と3人のひ孫を育ててきたからです。くっついてはすぐに別れる、今の若い人たちの忍耐のなさは全く理解できません。それはともかく、この「遺言書」の中に、何が書いてあるかは、私には想像がつきます。でも、そんなことはどうでもよいのです。今の私の願いは、母親が百まで生きてくれることと、天が私をこれからも生かしてくれることです。(2018.1.25)
2018.01.25
期末試験顛末記 期末試験の試験監督は、どこの大学でも見られる風物詩なのですが、一般の皆さんはどのように実施されているか、あまり、いやほとんどご存知ないでしょう。とはいえ、大学を出た方ならご存知です。しかし、ここでは裏話、といっても危ない話ではありません。標題にもあるように、ここではちょっとした失敗談をお話しします。 2018年1月23日。私は、この日の試験監督と教授会が終わったら帰宅するつもりで、車で大学へ来ていたのですが、実施表をよく見ると、何と翌日の「待機者」に、私が割り当てられているではありませんか。待機者というのは、試験監督に何か事情があって出られない場合のピンチヒッター役で、研究室にいなければならないのです。 あまり詳しくは書けないのですが、「これは大変」というわけで、あわててホテルの手配をしました。いつものホテルに電話を入れて「今晩部屋は空いてないでしょうか」と聞くと、喫煙ならありますという返事。やれやれです。ちゃんと実施表を見なかった私が悪いのですが、こういう形で、「期末試験待機」という、以前ならなかった仕事が最近急に増えてきています。私が国立の静岡大学にいた頃の試験は、全て受けもちの先生の自己責任、つまりどんなに人数が多くても一人で実施していました。カンニング対策は性善説でした。 しかし、大学の先生は授業だけやっていればよい時代は、もう遠い過去の話なのです。そんなの当たり前だと言われればそれまでなのですが、こういう小さな変化の中に、戦後の大学の構造的な変化と変質を見ることができます。不正行為対策も基本的には性悪説です。 大学の批判はあまり言いたくないので、これはあくまでも一般論での話ですが、最近の大学におけるガバナンスとコンプライアンスの浸透は、自治組織つまり教授会の意味を空洞化させ、ナレジマネジメントノの通過点ないし伝達機関としての変節を進めているように思われます。学会で色々な大学の話を聞くと、この傾向は年々強くなっています。 ここで述べていることはあくまでも、昭和平成史の検証をおこなうための、学術的な意味合いからであることをお断りしておきます。昭和平成史において、大学の変質と適応の問題はきわめて重要な課題です。 蛇足ですが、私は週二回のホテルの予約はじゃらんでやっているのですが、今回の「今晩部屋は空いてないでしょうか」は、電話つまりアナログで予約がとれたということが重要だと思います。じゃらんから予約をとろうとすると「空き部屋無し」なのです。世の中アナログの方が便利だということもあるのですね。教育もアナログに戻したらどうでしょうか?
2018.01.24
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