ゴジラ老人シマクマ君の日々

ゴジラ老人シマクマ君の日々

PR

プロフィール

シマクマ君

シマクマ君

カレンダー

カテゴリ

カテゴリ未分類

(1)

読書案内「日本語・教育」

(21)

週刊マンガ便「コミック」

(83)

演劇「ナショナルシアターライブ」でお昼寝

(33)

徘徊日記「日帰りでお出かけ」

(58)

演劇「劇場」でお昼寝

(2)

映画「元町映画館」でお昼寝

(98)

映画「ちょっと遠くの映画館」でお昼寝

(14)

映画「シネリーブル神戸」でお昼寝

(108)

読書案内「映画館で出会った本」

(17)

読書案内「翻訳小説・詩・他」

(49)

読書案内「漱石・鴎外・露伴・龍之介・百閒・その他」

(19)

徘徊日記「垂水・舞子・明石」あたり

(51)

読書案内 「医者や科学者の仕事、まあ科学一般」

(25)

読書案内「現代の作家」

(106)

徘徊日記「お泊りでお出かけ」

(63)

徘徊日記「神戸・元町・三宮」あたり

(84)

読書案内「絵本・児童文学」=チビラ君たちへ

(46)

読書案内「社会・歴史・哲学・思想」

(67)

読書案内 「芸術:音楽・美術・写真・装幀 他」

(31)

読書案内「近・現代詩歌」

(51)

徘徊「港めぐり」

(4)

バカ猫 百態

(21)

読書案内「橋本治・加藤典洋・内田樹・高橋源一郎・他」

(17)

読書案内「水俣・沖縄・アフガニスタン 石牟礼道子・渡辺京二・中村哲 他」

(20)

読書案内「鶴見俊輔・黒川創・岡部伊都子・小田実 べ平連・思想の科学あたり」

(15)

映画「OSミント・ハーバーランド」でお昼寝

(3)

映画「こたつシネマ」でお昼寝

(14)

映画「パルシネマ」でお昼寝

(41)

読書案内「昭和の文学」

(23)

読書案内「BookCoverChallenge」2020・05

(16)

読書案内「くいしんぼう」

(9)

映画「Cinema Kobe」でお昼寝

(6)

週刊マンガ便「ちばてつや・ちばあきお」

(8)

週刊マンガ便「石塚真一・浦沢直樹・ハロルド作石」

(33)

週刊マンガ便「原泰久・鈴ノ木ユウ・野田サトル」

(32)

ベランダだより

(133)

徘徊日記 団地界隈

(109)

徘徊日記 兵庫区・長田区あたり

(26)

徘徊日記 須磨区あたり

(26)

徘徊日記 西区・北区あたり

(8)

徘徊日記 灘区・東灘区あたり

(37)

徘徊日記 美術館・博物館・Etc

(4)

週刊マンガ便「吉田秋生・高野文子・やまだ紫」

(7)

徘徊日記 芦屋・西宮あたり

(10)

読書案内「大江健三郎・井上ひさし・開高健 他」

(12)

読書案内「古井由吉・後藤明生・他 内向の世代あたり」

(3)

読書案内「谷川俊太郎・茨木のり子・大岡信 あたり」

(19)

読書案内「啄木・白秋・晶子 あたり」

(4)

読書案内「丸谷才一・和田誠・池澤夏樹」

(9)

読書案内「吉本隆明・鮎川信夫・黒田三郎・荒地あたり」

(13)

週刊マンガ便 「松本大洋」・「山川直人」

(13)

読書案内「リービ英雄・多和田葉子・カズオイシグロ」国境を越えて

(5)

読書案内「村上春樹・川上未映子」

(13)

映画 パレスチナ・中東の監督

(6)

読書案内「近代詩 賢治・中也・光太郎 あたり」

(7)

映画 韓国の監督

(22)

映画 香港・中国・台湾の監督

(36)

映画 アニメーション

(13)

映画 日本の監督 ア行・カ行・サ行 是枝・黒沢

(48)

映画 日本の監督 タ行・ナ行・ハ行 鄭

(25)

映画 日本の監督 マ行・ヤ行・ラ行・ワ行

(14)

映画 イギリス・アイルランド・アイスランドの監督

(36)

映画 イタリアの監督

(18)

映画 ドイツ・ポーランド他の監督

(14)

映画 ソビエト・ロシアの監督

(6)

映画 アメリカの監督

(81)

震災をめぐって 東北・神戸・原発

(5)

読書案内「旅行・冒険」

(3)

読書案内「本・読書・書評・図書館・古本屋」

(13)

映画 オーストラリア・ニュージーランドの監督

(4)

映画 フランスの監督

(42)

映画 スペイン・ポルトガルの監督

(10)

映画 カナダの監督

(3)

映画 グルジア(ジョージア)の監督

(9)

映画 ウクライナ・リトアニアの監督

(6)

映画 イスラエルの監督

(3)

映画 マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、スロベニアの監督

(3)

映画 オランダ・デンマーク・ベルギーの監督

(7)

映画 フィンランド・スウェーデン・ノルウェイの監督

(5)

映画 トルコ・イランの映画監督

(8)

映画 ギリシアの監督

(2)

映画 アルゼンチン・ブラジル・ペルーの監督

(2)

映画 ハンガリーの監督

(4)

映画 セネガルの監督

(1)

映画 スイス・オーストリアの監督

(3)

読書案内 戯曲 シナリオ 劇作家

(1)

読書案内 ジブリの本とマンガ

(5)

週刊マンガ便「小林まこと」

(6)

読書案内「野口武彦・前田愛・橋川文三・藤井貞和」

(1)

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2019.04.14
XML
​​ ​​ 「2004年《書物》の旅 (その9)」
中西進「ひらがなでよめばわかる日本語」(新潮文庫) 松岡正剛「白川静」(平凡社新書)
​  ​ 中西進​ という人は、今となっては昔のことですが、朝日新聞の夕刊紙上で 「万葉こども塾」 という子ども向けのコラムを連載していた 「万葉集」研究 の大先生ですね。​
 ​​​​一方、人や本の紹介者として驚異の博覧強記男、 編集工学の 松岡正剛 が論じている 白川静 は漢字研究の大家。一般の人に 「常用字解」(平凡社) という 「字書」 が評判になったのが2004年。​​​​  ​​​この案内を初めて、高校生に向けて書き始めて、最初に案内した本が 「常用字解」 でした。もう十数年も昔のことですが、当時、入学したばかりの一年生に 《高校の入学祝で、もしも買う人がいて、ずっと大切に使って、読んでくれたらいいなと思う。》 と紹介しましたが、その、 白川静 は既にこの世の人ではありません。​​​
​ 高校や中学校で国語の先生をしようと考えている人には、一度は手にとってもらいたい 「字書」 です。先ほどから 「字書」 と書いていることに 「あれっ?」 と思って出会ってほしい辞書です。​
 ​使ってみるとすぐに気づきますが、この字書は不思議なことに 難しい漢字はひとつも載っていません。 誰でも知っている常用漢字が載っているだけなのです。それはなぜなのか、それが 松岡正剛「白川静」 のメインテーマだといっていいでしょう。​ ​​ ​ 松岡 「白川静」 によれば、漢字本来の姿に如何に迫るか、失われた文字や言葉の起源を如何にたどるか。そう考えた 白川静 が中国の古代社会を読み取るために重要視したのが 「万葉集」 だそうです。​​​
​​​​  「万葉集」 には中国でいえば漢字が生まれてきた時代の社会の姿が、中国から見れば辺境の地、列島の社会の姿として残されているはずだと 白川さん は考えたというのが 松岡正剛 の説明です。 柳田國男 の方言周圏論なんかの考え方と共通しているかもしれません。​​​​
​​​ 漢字を知るために中国のもっとも古い詩集、 「詩経」 を読み、 「詩経」 を読むために 「万葉集」 を読む。そこには中国の古代を、日本の古代を読み解くことによって知ろうとするという、意表をつく学問観があり、その結果、万葉仮名解読が漢字解読をたすけ、漢字理解が万葉理解を深めたというのです。​​​
​ ここに ​白川静​ ​中西進​ をつなぐ鍵になる 「万葉集」 が浮かび上がってきます。​
​ 中西進​ のこの本は、私たちが当たり前の言葉として使っている、「め」とか「みみ」といった身体にまつわる言葉から、「いわう」「まつる」「あそび」といった言葉を神とともあった古代の人々の暮らしにさかのぼり語っています。
 日常の言葉の中に古代の世界が宿っていることを教えてくれる本です。
​​ たとえば 「あそび」 という言葉について 中西 はこんなふうにいいます。​​​
 平安時代に遊ぶといえば音楽の演奏を意味したことは知っていますね。では、なぜ遊ぶことが音楽を奏することとつながるのでしょう。
 ​楽器とは神降ろしの道具でした、音楽を奏でることは神との出会いの場を作ることだったのです。美しい音楽に心を奪われるトランス状態にあって、はじめて神が降臨し、人に宿ると古代の人は考えたのです。だから「あそ」とは、ウソ、ホントの「うそ」=空虚と同義語であり、狐憑きのようにぼんやりと我を失う状態であり、音楽の中に身も心もとらわれている空っぽの状態こそ「遊び」なのです。​
​​​ この論理展開は 白川静 の漢字解読とみごとにシンクロしています。言葉や文字には、それを生みだしてきた人間の暮らしが宿っており、そのかけらのような言葉や文字の中に残されている古代の人間を想像する強靭な空想力が二人に共通しているのです。 白川静、中西進 。いつか、この二人の世界にあそんでみてください。(S)​​
  2018/11/26

​​ 追記
​ 2​019-04-14​ ​​
 先日新しい元号が発表され、ここで取り上げた 中西進 が深くかかわっていたニュアンスが広報されています。ぼくは元号を必要だとする国家観に疑問を持っていますが、それとは別の意味で、これは、なにかおかしいと感じたことがあります。
​ というのは 中西進 がどこかのカルチャー講座で「令」という字は「美しい」という意味だと論じたとテレビニュースで報じられたからです。
​  白川静 「字統」 によれば、「令」とは装束を整え神の声を聴く形です。ここから「美しい」に意味を変えるためには、どうしても神の声の崇高さを持ってくるしかないのではないでしょうか。漢文訓読では代表的な使役の助字への使用も、そのルートでしょう。​
 二文字の組み合わせで元号化すると、どうしても熟語として読みたくなりますが、本来、熟語的、つまり漢語的意味がない言葉を固有名詞化する無理と、万葉集中での一例に過ぎない意味を普遍化する無理。
​「中西さん、少し無理筋を押していませんか。」​
それがぼくの感想でしたが、 白川静 が生きていたらなんというか、少し寂しい中西進の映像でした。  ​​
「2004《書物》の旅」その1 金城一紀「GO」 ​。こちらからどうぞ。

追記
 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で 楽天ID をお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)​​

​​​​ PVアクセスランキング にほんブログ村

にほんブログ村 本ブログ おすすめ本へ
​ボタン押してね!​

にほんブログ村 本ブログへ
​ボタン押してね!​





ゴジラブログ - にほんブログ村 ​​


​​








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.05.24 23:52:35
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: