PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
平安時代に遊ぶといえば音楽の演奏を意味したことは知っていますね。では、なぜ遊ぶことが音楽を奏することとつながるのでしょう。 この論理展開は 白川静 の漢字解読とみごとにシンクロしています。言葉や文字には、それを生みだしてきた人間の暮らしが宿っており、そのかけらのような言葉や文字の中に残されている古代の人間を想像する強靭な空想力が二人に共通しているのです。 白川静、中西進 。いつか、この二人の世界にあそんでみてください。(S)
楽器とは神降ろしの道具でした、音楽を奏でることは神との出会いの場を作ることだったのです。美しい音楽に心を奪われるトランス状態にあって、はじめて神が降臨し、人に宿ると古代の人は考えたのです。だから「あそ」とは、ウソ、ホントの「うそ」=空虚と同義語であり、狐憑きのようにぼんやりと我を失う状態であり、音楽の中に身も心もとらわれている空っぽの状態こそ「遊び」なのです。
追記
ところで、このブログをご覧いただいた皆様で 楽天ID
をお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)
週刊 読書案内『高等学校における外国に… 2022.02.02
週刊 読書案内 荘魯迅「声に出してよむ… 2021.07.11
週刊 読書案内 山田史生「孔子はこう考… 2021.04.17