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スチュアート・ローゼンバーグ「暴力脱獄」シネマ神戸 2023年の1月24日(火)の夜から25日(水)にかけて、いわゆる寒波襲来で、神戸にも雪が降りました。25日は市バスもJRも止まってしまって、まあ、寒さも本格的ということもあってどこにも出かけませんでしたが、26日は久しぶりに新開地のシネマ神戸にやってきました。お目当ては「名優ポール・ニューマン特集」です。 2022年の秋に、三宮のシネリーブル・神戸でやっていたのですが、なんとなく見損ねたまま終わってしまったので、あきらめていました。ところが、年明けからシネマ神戸で再上映していました。これは見ないわけにはいかないと意気込んだのですが、サンデー毎日の暮らしのシマクマ君に、思いがけない知らせが舞い込んだりして、あれこれと落ち着かないうちに、こちらも最終回で、なんとか「暴力脱獄」の最終回に駆け付けました。 観たのは、監督がスチュアート・ローゼンバーグという人の「暴力脱獄」です。1965年ですから、半世紀前の作品です。 お目当てのポール・ニューマンが、青い目で謎のほほえみを浮かべながら、自らを抑圧するあらゆるものに、徹底的に反抗する映画でした。 夜の街角でパーキングメータに取りついて、太い鉄柱をねじ切っている男がいます。なんだかわからない、まあ、「やってやったぜ!」という(?)笑顔ですが、この男が、お目当てのポール・ニューマンでした。どっちかというと「賢い人」のイメージなのですが、この映画では最初から「おバカな男」のようです。 当然のことながらK察がやってきて公共物破損で捕まり、2年の懲役です。そこから刑務所暮らしが始まりますが、結局「暴力脱獄」という題名の意味が分かりませんでした。原題は「Cool Hand Luke」で、こっちは何となくわかります。もちろん、脱獄の話ですから「暴力脱獄」の「脱獄」の方はわかりますよ。でも、暴力的にふるまうのは看守とか所長(ストローザー・マーティン)のほうなわけで、脱獄を繰り返すルーク・ジャクソン(ポール・ニューマン)は暴力を振るうのではなくて知恵と根性で頑張るわけですからね。ほんと、日本の配給会社って、思い切ったというか、センスがないというか、すごい題で興行しますね(笑)。 印象に残ったのは、脱獄に失敗して帰ってきたルークに所長が言う言葉です。「我々には意思の疎通が欠けていたようだ」(What we've got here is failure to communicate) いや、ホント!権力者が口にする「我々we」だけには、ルークじゃないですが、なんとか抵抗したいものですね。お前と一緒にして一人称で語るな!ウザい! まあ、年甲斐もなく、そういう感想でした。 ああ、それからジョージ・ケネディという俳優さん、いい味出してましたね。当時のアカデミー賞で助演男優賞だったそうですが、こういう役柄の彼は初めて見ました。 もっとも、初めてとか言ってますが、今回、観ていて思い出しましたが、実は、40年ほど前に一度は観ていますね。もっと迂闊なことを言えば、ポール・ニューマンもジョージ・ケネディも、もうこの世の人ではないことを亡失していたことですね。 映画はポール・ニューマンとジョージ・ケネディに拍手!でした。 二十代に、同時代の作品として思入れしていた映画の出演者も監督も、みんな過去の人になっているのを確認するのは、やはり寂しいですね。マア、ボクも、そういう年齢になっているということなのですが(笑)。監督 スチュアート・ローゼンバーグ脚本 ドン・ピアース フランク・ピアソン撮影 コンラッド・ホール編集 サム・オースティン音楽 ラロ・シフリンキャストポール・ニューマン(ルーク・ジャクソン)ジョージ・ケネディ(ドラッグ)J・D・キャノン(レッド)ルー・アントニオ(ココ)ストローザー・マーティン(刑務所所長 )1967年・127分・G・アメリカ原題「Cool Hand Luke」日本初公開1968年8月3日2023・01・26-no011・シネマ神戸
2023.02.07
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シャンタル・アケルマン「囚われの女」シネマ神戸 シネマ神戸でやっていたシャンタル・アケルマン映画祭で見た2本目が「囚われの女」でした。前日に「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」という作品で、わかったようなわからないような、まあ、小説とかではなくて、映画を見るというのは、こういう体験なのかなという感じの不思議な興奮を体験して、早速、二匹目の泥鰌を期待してやってきましたが、まあ、空振りでしたね(笑)。 暗い海原で大きな波がうねっている、まあ、あとから考えれば何とも思わせぶりなシーンから映画は始まりました。恋愛関係で結ばれているのであろう二人の男女が登場します。映画は二人の関係「恋愛」の非対称性を徹底して描いていく趣です。愛し合っている男女という関係において、女が男に対して持っている感情と、男が女に対して持っている感情のずれを描くことは「恋愛小説」の常道の一つだと思いますが、この映画では、男性であるシモンが、その意識の中にアリアーヌという女性を作り上げていくプロセスこそが主題化されているようで、印象的な映像に驚きながら、ほとほと疲れ果てました。 意識が作り上げた虚像(?)が肥大化していき、実像(本物のアリアーヌ)からの不可解とあきらめの眼差しに晒されながら、あくまでも虚像の世界に固執する男(シモン)の姿を見ながら、何とも言えないやな気分になったのはぼくが男だからでしょうかね(笑) アリアーヌを失って海から帰ってくるラスト・シーンにも、ほとんど唖然としました。救助船(?)の甲板に一人立っているシモンの姿になに見たらいいのか、正直わかりませんでした(笑)。 前日に見たジャンヌは、あくまでもカッコつきですが、「女性的視点」で描いた女性だと思いましたが、この作品は「女性的視点」で描いた男性ということなのでしょうか? プルーストの原作は読んだことがあるような記憶がありますが、似た趣向だったかもしれませんが、もっと穏やかだった記憶しかありませんね。 まあ、それにしても、シャンタル・アケルマンという監督の徹底性というか、冷徹というかにはビビりながら拍手!ですね。監督 シャンタル・アケルマン原案 マルセル・プルースト脚本 シャンタル・アケルマン撮影 サビーヌ・ランスランキャストスタニスラス・メラール(シモン)シルビー・テステュー(アリアーヌ)オリビア・ボナミー2000年・117分・R18+・フランス・ベルギー合作原題:La captive2022・07・14・no91・シネマ神戸no10追記2022・07・31 この作品の前日に見たジャンヌを同居人にすすめたところ、結果的は酷評でした。この作品を見た時点では彼女はまだ見ていませんでしたが、こっちはすすめませんでした。しかし、もしも彼女が見てきて、こっちは面白かったと言ったらぼくはどうしたらいいのでしょう。ちょっと、そんなふうに言いそうなところもあってビビりますね(笑)。 ああ、それから「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」の感想はこちらです。
2022.07.19
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シャンタル・アケルマン「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」 シネマ神戸 なんか、すごい映画を見ました。シャンタル・アケルマンという監督の「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」という長い題名の作品です。シャンタル・アケルマン映画祭という特集を神戸では新開地の名画座、シネマ神戸という映画館がやっていました。1975年に公開された映画で、監督のシャンタル・アケルマンという女性は1950年生まれだそうですから、25歳の時の作品です。 まあ、題を読めばおわかりでしょうが、ブリュッセルといえば、ベルギーの首都ですが、その町に住むジャンヌ・ディエルマンという中年の女性の三日間の生活を密着撮影で撮った、あたかもドキュメンタリーであるかの映像が延々と200分続く作品でした。 一日目が、朝からだったかどうか、ちょっと思い出せませんが、二日目は目覚めてから寝るまで、丸一日彼女の生活を映し続けて、三日目はアクシデントが起こって、台所(多分)に座りこんでいるシーンでしたが、そこで映画が終わりましたから、ほぼ48時間の生活シーンが3時間続いたわけです。 カメラが撮り続けるシーンは彼女のアパートの部屋、エレベーター、廊下、買い物に出かけた通りとお店、散歩に出かける暗い夜道です。 部屋の中は台所、食卓のある居間(息子の勉強部屋兼寝室)、彼女の寝室(兼仕事場)、洗面所と風呂場、玄関、玄関からそれぞれの部屋をつなぐ廊下です。 彼女は高校生(多分)の息子と二人で暮らしているシングルマザーで、仕事は売春とベビー・シッター(誰かがお出かけのあいだ赤ん坊を預かる)のようです。 売春は、息子が学校に行っている午後、彼女の寝室に客を迎え入れていました。仕事に要する時間は、台所で、夕食用のジャガイモを湯掻く時間と同じようです。客は帰りに現金を支払い、彼女はその金を食卓兼用のテーブルにおいてある蓋付きの大きな陶器のスープボウルに放り込むと、風呂に入り首筋から始めて、入念に体を洗い、そのあと風呂桶を洗います。で、部屋のベッドカヴァーのほこりを払い窓を開けて換気し、台所に戻り茹であがったジャガイモを火からおろします。 二日目には、ジャガイモが焦げたらしく、近所のお店にジャガイモを買いに行って、そのあと、ジャガイモを剥きなおしているのがポスターの写真のこのシーンでした。 いつもは焦げ付かないジャガイモが、仕事の成り行きのせいか、焦げ付いて食べられなくなったあたりから、何かが変わります。日常生活のルーティーンがズレたということなのでしょうか?なにが、どう変わったのか何もわかりませんが、ひたすら寝ボケた気分で見ている眼にも彼女の雰囲気の変化はわかります。何も言わず、ただ、機嫌が悪いことは確かな同居人を見ているような気分です。 そして、破局の三日目でした。この日、預かった赤ん坊が泣き叫び、何とかあやそうとするジャンヌの、にもかかわらず、無表情なシーンがしばらく続き、「これはヤバイ!」と心配しましたが、赤ん坊は無事でした。しかし、そのあと、ことが終わってもグズグズしている客に対して危惧は現実化してしまいます。 血まみれの姿で暗い台所のテーブルに座り込むジャンヌはなにを考えていたのでしょう?映画は終わりましたが、このラストシーンは記憶に残りますね。 繰り返し映し出されるエレベーターの二重の鉄格子、決して窓やドアから外を映そうとしないカメラワーク、靴音やドアの軋り、道路の騒音、音だけは耳障りなまで響かせる音響、映画は意図的に閉じ込められている「人間」あるいは「女性」の内側を描こうとしているようでした。 年頃の息子との会話とか、頻りに髪の毛を気にする仕草とか、部屋でも履かれているハイヒールとか、不思議な食事の光景とか、折り畳みベッド、何故か一番目立つ処に置かれたスープボウル、送られてきたピンクの寝巻と、まあ、気にかかる細部が山盛りでしたが、一番気になったのは「時間」と「空間」の独特さでした。3時間を超える長い映画でしたがジャガイモを剥く手つきにじっと見入らせてしまうのがこの作品のすごさだと思いました。 ジャンヌを演じていたデルフィーヌ・セイリグには最近、別の映画(ルイス・ブニュエル「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」)で出会った人ですが、全く別人で気づきませんでしたが、彼女のやる気のないジャガイモ剥きに拍手!でした。 変化のない日常のルーティーンを描きながら、細部のゆらぎによってでしょうか、視覚と聴覚にかすかにうったえるイメージの変化から破局を予感させる、眠いのに寝ていられない、「いらだち」とも「不安」とも、いえるようでいえないムードで引き付けていく監督シャンタル・アケルマンの方法に拍手!でした。監督 シャンタル・アケルマン脚本 シャンタル・アケルマン撮影 バベット・マンゴルトキャストデルフィーヌ・セイリグジャン・ドゥコルトジャック・ドニオル=バルクローズ1975年・200分・ベルギー・フランス合作原題「Jeanne Dielman, 23, quai du commerce, 1080 Bruxelles」2022・07・13・no90・シネマ神戸no9追記2022・07・22 これは、きっとチッチキ夫人が喜ぶに違いないと思ってすすめました。「何よあれ!わたし、ああいう映画イヤ!音はやたらうるさいし、家の中でもハイヒールだし、お風呂洗うけど、ちっとも洗濯しないし、お皿は翌朝だし、ジャガイモ無くなっているのが袋覗かないとわからないし、あれで、赤ちゃん手にかけてたらサイテーだったわよ。」 参りましたね、帰って来るや、えらい剣幕で、酷評でした。反論するなんて、もちろん無理です。映画って、やっぱり、見る人それぞれなのでした(笑)
2022.07.18
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中島みゆき「劇場版 ライヴ・ヒストリー 2007-2016 歌旅~縁会~一会」シネマ・神戸 中島みゆきという歌い手がヤマハのポプコンで優勝して世に出てきたのを、まあ、なんとなくではあるのですが覚えています。 「ババ臭い歌を歌いやがって!」 そう思いましたが、同じころ荒井由実という歌い手が、なんというか、異様に都会風というか、シャレた歌で登場しました。「ひこうき雲」なんてすぐ忘れられると思っていましたが、いまだに歌えるわけで、どうなっているんでしょうね。浪人していたころだったか大学に入学したばかりだったかのころで、中島みゆきは2歳年上、荒井由実は同い年でした。サザン・オールスターズが「勝手にシンドバッド」で登場するちょっと前だったと思います。「ニュー・ミュージック」で一括りされていたと思いますが井上陽水の「傘がない」とか「夢の中で」も流行っていました。 中島みゆきの最初のLPが「私の声が聞こえますか」で、荒井由実のLPが「ひこうき雲」でした。荒井由実のほうが少し早かったと思いますが、両方とも買った覚えがあります。バイト代の時給に350円貰えればうれしかった時代に、LPは2000円を越えていました。それを買ったのですから、何を考えていたのかなあと思います。 あれから50年近い年月が流れました。お二人とも「ビッグ」になられましたが、時々聞くことはあっても新しいCDを買うなんてことは考えられなくなって30年は経ちます。 先日、元町映画館で「中島みゆき 劇場版 ライヴ・ヒストリー」の予告編がながれてきて、彼女の「ぼくは」、「きみが」という声を聴いてどきどきしました。「ああ、これは、泣くかもしれない!」 そう思ってやって来たのがシネマ神戸のモーニング・ショー、朝10時30分にはじまる「中島みゆき 劇場版 ライヴ・ヒストリー 2007-2016 歌旅~縁会~一会」です。 ザンネンながら泣きませんでした。 曲目は「糸」「宙船(そらふね)」「ファイト!」「誕生」「地上の星」、「空と君のあいだに」「時代」「倒木者の敗者復活戦」「世情」「ヘッドライト・テールライト」、「旅人のうた」「命の別名」「浅い眠り」「麦の唄」「ジョークにしないか」の15曲でした。 一応、知っている歌ばかりでした。ナショナル・シアター・ライブの中継と同じで、舞台上の中島みゆきが大写しされるので、見ていて飽きることはありませんが、「地上の星」はそんなふうに歌うのかという、ちょっとした驚きは感じましたが、後は冷静でした。どうしてでしょうね。 正直な実感でいえば、泣くはずだった「ファイト」あたりまでの、出だしの数曲の映像を見ながら「老けたなあ」と思ってしまったことが原因のような気がします。彼女が異様に高いピン・ヒールで歌っていたことと、笑わない目でにこやかに頭を下げていたことが印象に残りました。 考えてみれば、あれから50年経って、彼女は70歳になったはずです。まわりまわった時代のコッチ側に来て、大勢の観客をうならせる「芸」の人になったようなのですが、どんなに歌い方が上手になろうが、歌っている人を小賢しく見せてしまう「歌」は変わらないのですよね。 なんか、そのことがとても恐ろしいことのように感じました。しかし、面白く不思議な経験でした。がんばって、声を張り上げていた中島みゆきに拍手!です。2022年・85分・G・日本2022・03・30・シネマ神戸no6
2022.04.01
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ジッロ・ポンテコルボ「アルジェの戦い」シネマ神戸 ここのところの、あたたかい好天続きに気をよくしていましたが、今日はうって変わって朝から雨です。こういう日は活動力ゼロになるシマクマ君ですが、今日はCinemaKOBEの「アルジェの戦い」の最終日です。億劫を奮い立たせて出かけました。 来た甲斐がありました。最高!でした。街の寒さを忘れる興奮でした。 1966年の映画で、その年のベネチア映画祭で金獅子賞の作品です。テレビの洋画劇場でも放映されたことがあるらしいので、案外知られているかもしれない作品すが、ぼくには50年前に、どこかの団体の自主上映で見た記憶だけがありました。 ストーリーも映像も記憶にありませんが、ドキュメンタリー映画だと思い込んでいました。実際の映画は、たしかにドキュメンタリーのタッチではありますがドラマでした。 フランスの植民地だったアルジェリアの独立闘争を描いていた作品で、舞台はアルジェリアの港町カスバです。 民族解放戦線(アラビア語:جبهة التحرير الوطني、フランス語:Front de Libération Nationale)FLNの銃や爆弾によるテロ、フランスの警察、軍による取り締まり、拷問、ギロチンによる死刑のシーン、フランス系住民によるアラブ系住民に対する蔑視、差別、迷路のように入り組んだカスバ街とそこで暮らす民衆の姿、それぞれを描いたシーンは「ドラマ」であることを忘れさせる迫力でした。ドキュメンタリーだと誤って記憶していた自分に納得しました。 映画は民族解放戦線の幹部であった4人の男の死を描いていていて、写真は、中でも武闘派の一人ですが、印象に残ったのは画面に登場するアルジェリアの民衆、フランス系の市民たちの「眼」でした。テロを組織し実行する主人公たちや、それを鎮圧するフランス軍の指導者たちの表情は、いってしまえば演劇的ですが、その他大勢の人たちの表情は、それぞれ「恐れ」、「いらだち」、「怒り」、「哀しみ」のどれなのかを確言することはできません。そういう「目」だとしか言いようのない表情で、映画が描く出来事を支えていました。 この映画から10年あまり後にエドワード・サイードが「オリエンタリズム」(平凡社ライブラリー)で批判したヨーロッパの視線が、この作品では如実に描かれているのを感じました。 金獅子賞を取ったベネチア映画祭でフランソワ・トリュフォー以外のフランス系の人たちが「反フランス」映画だとして、全員退席したというエピソードがあるそうですが、シーンに映し出される表情が「植民地主義」の正当性を完膚なきまでに批判していることは明らかで、フランス系の人びとにとっていたたまれなくなる作品だったでしょうね。 それにしても、今どき、この映画を上映してくれたCinemaKOBEに拍手!です。この映画館は、こういう珍しい作品をやってくれるのですが、館内に「喫煙室」があるというのも今どき珍しい映画館です。がんばって続けてほしいですね。 そういえば、帰り道で思い出しました。この映画のラストシーンは1962年のアルジェリア民主共和国の独立の様子ですが、それを承認したド・ゴール大統領に対するフランスの右派による暗殺計画については「ジャッカルの日」(角川文庫)というフレデリック・ファーサイスの傑作小説と、それを映画化したフレッド・ジンネマンの同名の名作がありましたね。 「民族自決」と「反コロニアリズム」、「ポストコロニアリズム」は20世紀後半の常識になりましたが、「覇権主義」、「帝国主義」は本当に顧みられたのでしょうか。 まあ、「コロナ騒ぎ」に加えて、新たな戦争まで始まりました。国家や民族に関してインチキ臭い物言いが横行していますが、映画が見せてくれた視線を忘れたくないですね。 それにしても、シマクマ君はこういう映画が好きですねえ。20代のころからそれは変わらないようです(笑)。監督 ジッロ・ポンテコルボ製作 アントニオ・ムース ヤセフ・サーディ脚本 ジッロ・ポンテコルボ フランコ・ソリナス撮影 マルチェロ・ガッティ美術 セルジオ・カネバリ編集 マリオ・セランドレイ マリオ・モッラ音楽 エンニオ・モリコーネ ジッロ・ポンテコルボキャストジャン・マルタンヤセフ・サーディブラヒム・ハギアグトマソ・ネリファウジア・エル・カデルミシェル・ケルパシュ1966年・121分・イタリア・アルジェリア合作原題「La Battaglia Di Algeri」配給:コピアポア・フィルム日本初公開:1967年2月25日2022・03・18-no37・シネマ神戸no5
2022.03.20
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アグニエシュカ・ホランド「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」シネマ神戸 邦題は「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」となっていますが、原題は「Mr. Jones」です。この題が実にしゃれているのです。 この映画は、誰かがガラス戸のこちら側の部屋で、何か書いているシーンから始まります。何となく意味深なのです。その、最初のシーンから、ジャーナリストであるいジョーンズの行動に沿って、そのシーンが時々挿入されます。 それぞれの挿入シーンでは書かれている文章が読み上げられて、それが字幕に映るのですが、途中で、「なんか変だな、この文章は、どこかで聞いたことあるような気がするけど」とは思っていたのですが、誰の文章だったのか、なかなか気付けませんでした。 映画も後半に差し掛かり、主人公のガレス・ジョーンズが、資本主義諸国の大恐慌の中、スターリンが社会主義の勝利と大成功を宣伝した、農業国有化の悲惨な失敗というスキャンダルを目撃し、モスクワからイギリスに帰国して、偶然、ブレアという名の人物と出会いますが、その人物のペンネームがジョージ・オーウェルだという会話を聞いて、思わず、ひざを打ちました。(まあ、打ってはいませんが。) 映画は「アニマル・ファーム」(邦題「動物農場」)を書いているジョージ・オーウェルの書斎で進行していたのです。ああ、ぼくは、こういうの好きですねえ。 挿入されていた文章は、それぞれ「アニマル・ファーム」の一節で、その小説中の一節、一説がスクリーンで展開する、ガレス・ジョーンズが目撃するウクライナの想像を絶した飢餓の真相や、偽りのソビエト・レポートでピューリッツァー賞をうけたニューヨーク・タイムズ・モスクワ支局長ウォルター・デュランティのただれた生活、ジョーンズに「真実」を示唆するニューヨーク・タイムズの女性記者エイダの苦悩に重ねられて、なかなか興味深く進行していたのですが、「そうか、この部屋にいるのはオーウェルだったか」と気づいたことがうれしいぼくは、すっかり落ち着きを失って、あるいは、ワクワクしてしまって、歴史的事件とは別の、映画的なオチを期待したのですが、その件に関しては、さほどのことは起こらいというオチで、ちょっとがっくりの結末でした。 で、しゃれていますよと、書き出しに申し上げた理由は、スターリンとかトロツキーを戯画化したブタ諸君が乗っ取った、あの「動物農場」の農場主のお名前は何だったかということですね。 それがミスター・ジョーンズさんだったことを、皆さん覚えておいででしょうか。この映画の原題「Mr. Jones」というのはガレス・ジョーンズさんのことではなかったわけです。だから、どうせなら、邦題は「ジョーンズさんの農場の怖い話」くらいにしていただきたかったというお話なのですが、まあ、それでは、果たして、ぼくが見に来たかどうか、なかなか難しいですね。 ところで、「アニマル・ファーム」は1945年に発表された作品ですが、この映画が告発しているスキャンダルは1930年代初頭の出来事で、実在したガレス・ジョーンズさんは1935年に満州でなくなっているらしいのですね。オーウェルの創作と事件との間の時間差は、ちょっと気にかかりましたが、まあ、ぼくには、いろいろ、面白い映画でしたね。やれやれ。監督 アグニエシュカ・ホランド製作 スタニスワフ・ジェジッチ アンドレア・ハウパ クラウディア・シュミエヤ脚本 アンドレア・ハウパ撮影 トマシュ・ナウミュク美術 グジェゴジュ・ピョントコフスキ編集 ミハウ・チャルネツキ音楽 アントニー・ラザルキービッツキャストジェームズ・ノートン(ガレス・ジョーンズ)バネッサ・カービー(エイダ:ニューヨーク・タイムズモスクワ支局記者)ピーター・サースガード(ウォルター・デュランティ:ニューヨーク・タイムズモスクワ支局長)ジョゼフ・マウル(ジョージ・オーウェル)ケネス・クラナム(ロイド・ジョージ)クシシュトフ・ビチェンスキーケリン・ジョーンズフェネラ・ウールガーミハリナ・オルシャンスカ2019年製・118分・PG12・ポーランド・イギリス・ウクライナ合作原題「Mr. Jones」2021・04・30-no41 シネマ神戸no4
2021.05.07
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