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みなさんはまだしばらくしかお勤めになっていないから、そういうことをお思いにならないでしょう。私は中学校にいてじっと子どもを見ていますと、非常にすぐれたほれぼれするような力を持った子がいます。私はときどき子どもといっしょにいながら、「同じ年だったら、この人に友だちになってもらえるかしら」と思うことがあります。 「教えること」 という本に収められている、同じ題の講演の一節です。短い引用ですが、ここに 大村はま という、その時代に生涯教員であり続けた女性の「性根」のようなものを、ぼくは感じました。
たぶんなってもらえないと思うのです。彼はあまりに優秀で、非常なひらめきを持っていて、私なんかほんとうにこの人の友だちになれないといったような、してもらえないというような気がしてきて、心から敬意を表してやまないことがあります。
教師はやはり子どもを尊敬することが大切です。さしあたり年齢が小さくて、先に生まれた私が「先生」になりましたが、子どもの方が私より劣っているなんていうことはないのです。劣ってなんかいないので、年齢が小さいだけなのです。子どもたちを大切にするということはそういうことを考えることです。
「卒業生がいつでも先生、先生と慕ってくれるのが、なによりもうれしい。」とか、「そういうとき、先生ほど楽しい職業はないと思う。」とかいうことばを聞くことがあります。 ねっ、ムキになって言いつのっているところが、やっぱり暑苦しいのですが、職業としての教員の肝というか覚悟というかが宣言されていて爽快です。おそらく、多くの卒業生や教え子たちが彼女のことを 「忘れられない」 と思ったに違いないし、 「何か言ってきた」 に違いないのですが、仕事を支える梃子を、そこに求めることをきっぱりと拒否する態度は、ちょっとかっこいいと思いませんか。
わたしが受け持った卒業生は、「先生のことを忘れない」と言ったこともないし、また、私も忘れてほしいと思っています。わたしは渡し守のようなものだから、向こう岸へ渡ったら、さっさと歩いて行ってほしいと思います。後ろを向いて「先生、先生」と泣く子は困るのです。
「どうか、自分の道を、先へ向かってどんどん歩いて行ってほしい。私はまたもとの岸へもどって、他のお客さんを乗せて出発しますから」。卒業した生徒が何か自分で言ってこない限りは、私はあとを追いません。
『優劣のかなたに』 大村 はま
優か 劣か
そんなことが 話題になる,
そんなすきまのない
つきつめた。
持てるものを
持たせられたものを
出し切り,
生かし切っている
そんな姿こそ。
優か劣か,
自分はいわゆるできる子なのか
できない子なのか,
そんなことを
教師も子どもも
しばし忘れている。
思うすきまもなく
学びひたり
教えひたっている,
そんな世界を
見つめてきた。
一心に 学びひたり
教えひたる,
それは 優劣のかなた。
ほんとうに 持っているものを生かし,
授かっているものに目覚め,
打ち込んで学ぶ。
優劣を論じあい
気にしあう世界ではない,
優劣を忘れて
持っているものを出し切っている。
できるできないを
気にしすぎていて,
持っているものが
出し切れていないのではないか。
授かっているものが
生かし切れていないのではないか。
成績をつけなければ,
合格者をきめなければ,
それはそれだけの世界。
それがのり越えられず,
教師も子どもも
優劣のなかで
あえいでいる。
学びひたり
教えひたろう
優劣のかなたで。
同僚だった彼女たちの心をどのくらい推し量れていたのか。そんな僕が言うのも不遜ですが、こんな詩をつぶやきながら仕事をしている教員が、まだ、教室にいることへの期待が僕にはあります。
追記2019・11・10
職場での 「優劣」
をいちばん気に病んでいるのは、教員だったりすることがあります。子供は道具でしかない。職員会議や、校内でデモクラシーをつぶし続けてきた教育行政は、教員同士のいじめの責任をどう取るつもりでしょうね。ポジションごとの権力主義の横行が、教員のいじめ事件の、一つの、大きな原因であることは、明らかだと思うのですが。
教員は意見の言えない 「学校」
でなにをしてしまうのか、よく考えたがいいと思いますね。意見の言えない教員は、今、意見の言えない子供を育てているのではないでしょうか。
追記2022・05・03
今年も、国語の教員を目指している人たちと出会っています。 「役に立つ知識」
を、いかにわかりやすく伝達するか、という効率至上主義の教育方法によって10年以上育てられてきた人たちを前にして、すぐには役に立たないし、ひょっとしたら永遠に役に立たないかもしれない、 「本を読んで考えこむ」
ことや、自分もよく 「わからないこと」
を教室で生徒に向かって伝えることの大切さとかについて語り掛けるのは、ちょっと勇気がいります。
それでも、ボタンを押したら答えがわかることしか問えなくなっている社会に 「なんか、変だな」
と感じる教員になってほしいと、わけのわからないことを繰り返し問いかけている日々です。
たとえば、世界のどこかで戦争がはじまったのを見て 「戦争放棄」
を謳った、世界でたった一つの憲法を変えなければと宣伝するやり方は 「なんか、変だな」
と思いませんか?
「なんか、変だな」
と感じる力は 「役に立つ知識」
から生まれるわけではなくて、 「わからないこと」
を考える態度のようなものが育てるんじゃないでしょうか。学生時代に 「わからないこと」
をたくさん見つけてほしい一心の日々ですが、ボタン世代は 「わからないこと」
に拘泥するのはお嫌いなようです。トホホ・・・ですね(笑)。
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