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江藤淳 の 「漱石とその時代 第五部」 を読んでいます。その中に 「銀の匙」 という章立てがあることに、はっとしました。
どうして、 中勘助 が?
というのがぼくの驚きの理由でしたが、実は 中勘助
のデビュー作にして、永遠の名作 「銀の匙」
は、朝日新聞に連載していた 漱石
の 「行人」
中断の 埋め草原稿
だったというのです。
夏目漱石
はのちに 後期三部作
と呼ばれることになる連作長編の第二作、 「行人」
を 1912
年(大正 2
年)
1
2
月
に新聞連載として書き始めますが、胃病の悪化のために 3
月で中断します。その際、 漱石
が 朝日新聞
に推薦したのが 「銀の匙」
だったのだそうです。これが、まず一つ目の
「そうだったのか!」
ですね。
ところで、推薦にあたって、 漱石
は 中勘助宛
に手紙を書いています。その中に、こんな一節があるそうです。(もちろん孫引きです)
追白 あれは新聞に出るやう一回毎に段落をつけて書き直し可然候(しかるべくそうろう)。ことに字違多く候故御注意専一に候、夫から無闇と仮名をつづけて読みみくくも候夫には字とかなと当分によろしく御混交可然か、 この手紙の内容をめぐって 江藤淳 はこう言っています。
彼(漱石) の 「銀の匙」 への打ち込み方はなかなか尋常一様のものとは思われない。段落のつけ方の指示といい、一回分の分量の見当を教えているところといい、いたれり尽くせりで、ほとんどよく書けた自作に対してと等しい愛着を、 漱石 が無名の新人のこの処女作に注ぎ込んでいるように感じられるからである。
手紙で、 「無闇と仮名をつづけて読みにくくも候 夫には字とかなと当分によろしく御混交可然か」 という苦言を呈している 漱石 は、実は、 「銀の匙」 の作者が多用する仮名の効果に、少なからずたじろいでいたのかもしれない。 「字とかな」 とを等分にした方がよいという 漱石 の考えは、当然小説記者の常識であったに違いないが、次のような箇所に示されている仮名の力は、おそらく 漱石 の想像を絶するものがあったに相違ないのである。 こう書いた 江藤淳 は 「銀の匙」 から、次のような引用を行っています。
「ひいらいた、ひいらいた、なんのはなひいらいた、れんげのはなひいらいた・・・・」 「銀の匙」 を見出した 漱石 の手紙の中に、 江藤 は 漱石 の 「驚き」と「たじろぎ」 のようなものを読み取ったようです。 「銀の匙」 という作品の、珠玉ともいうべきこのシーンを引用しているのは 江藤淳 です。
「ひいらいたとおもったらやつとこさつうぼんだ」 といって子どもたちは伯母さんのまはりへいちどきにつぼんでいったもので伯母さんは 「あやまつた あやまつた」 といつて輪からぬけだした。
「つうぼんだ つうぼんだ、なんのはなつうぼんだ、れんげのはなつうぼんだ・・・」
つないだままつきだしてる手を拍子につれてゆりながらうたふ。
「つうぼんだとおもつたらやつとこさとひいらいた」
江藤 は 漱石 の 「銀の匙」 への評価の理由を、
「 漱石 は 『銀の匙』 の世界が、おそらく裏返された 『坊ちゃん』 の世界であることに気付いていたかもしれない」
と喝破したうえで、この愛と安らぎの小宇宙が、 「仮名」
によって成立していることにたじろいでいる小説家 漱石
を描いています。
これが、ぼくにとっての二つ目の
「そうか、そう読むか!」
という驚きです。舌を巻くのは、何よりも、引用部分のすばらしさです。
なにげない、師匠と弟子のやり取りの中から、それぞれの文学の本質に迫ろうとする 批評家江藤淳
の、こういう手つきが、ぼくは好きです。ただ、これには、好き嫌いのあることでしょう。
それならば、どうでしょう。まず、 中勘助「銀の匙」
。お読みになっては。がっかりすることのない作品だと思います。 「仮名」書きの秘密
に触れてみませんか。
( S
)※投稿の 「中勘助」(ちくま日本文学全集)
は蔵書の写真です。
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