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アジアからの留学生をどう「獲得」するかが二十一世紀初頭、日本の各大学の「生き残り」条件の一つと言って世上かまびすしい。試行錯誤がしばらく楽しくも居心地悪い過渡期の「国際系」に、このところ自分が唱え始めている「新人文学」がいきなり巻き込まれた形である。 読者に向けた開講の辞です。自負と自信を感じますが、ここから、さすが 高山宏 ともいうべき展開が始まります。
面白いじゃないか。日本文学に一定以上の知識もなく、したがって、一定以上の偏見もない、見るところ限りなくまっさらに近い二十男女にいっそ 「ブンガク」とは何か、徒手空拳(のふり)、是々非々で教え、議論してみよう 。いろんな領域をそれぞれ極めたと言われて閉塞気味の自分にも、なにやらん愁眉のひらかれぬでもない気もする。
いきなりその場で当てられたにもかかわらず、巧いバトン・リレーのようによどみなく音読する。よしよしその調子。つい書き写す気になってくれた諸君はいるかねと尋うと、残念これはいない。別に提出しろとは言わないが、次回からは書き写してみること、と改めて指示を出した。
「はなびら」 を 花弁 でなく 瓣 と書く。二つの部分の間に 「瓜」 が入っているだろう、 「実」 として入っている 「瓜」 だろう、 「うりざね」 なんだよ。
この書字の遊びによって、死ぬ前の女の 「瓜実顔」 と女死後に化身した花の 「瓣」 が同じものと知れてこないだろうか。
紙の上にひろがる活字、というか文字と文字のつくる意味の世界も一方にあり得て、これはこれで面白い。
自分で書いてみると分かるかもしれない。ただの偶然、ひょっとしたら遊びと感じられるかもしれないが、表向き言葉の各種の遊びを体系的、強迫観念のように生み出す文学をこの四半世紀、 マニエリスムの文学 と呼んできた。
「百年待つというというのもこの場合にはほどよい気がする。十年では現実味があって合わないし、千年では百合と相性が悪い」とか「百合の百と百年待っていてくださいがかけられていて、実際には百年も待っていなかったのではないか」という答えを紹介して、百年というのは現実に無理とする他の何人かの懐疑派の疑問に答えることをもって九十分の白熱授業は始まった。 これが 「夢十夜」 の 第一夜 、 第一講 のさわり。 老婆心ながら、付け加えると、 漱石 がイギリスで出会ったのは、講義中の 十八世紀イギリスロマン主義 です。
「百」年待って「合」うから「百合」なんだね と。
何だ言葉遊びじゃないか 、それってという感じが何人かの顔にありありだったが、実はそれこそがかの神経医学のパイオニア、 ジークムント・フロイト のいわゆる 「機知語」 であり、二十世紀初頭のそのフロイトの「機知語」「始原語」「言い間違い」の論に絶妙によみがえった十六世紀マニエリスム(と、十八世紀末の「蘇るマニエリスム」)たるロマン主義が得意とした、見掛け上 限りなく遊戯的な「文学」 という表現行為の正体なのだ。
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