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平家ハ、アカルイ。ともおっしゃって、軍物語の「さる程に六波羅には、五条橋を毀ち寄せ、掻楯(かいだて)に掻いて待つ所に、源氏即ち押し寄せて、鬨(とき)を咄(どっ)と作りければ、清盛、鯢波に驚いて物具(もののぐ)せられけるが、冑(かぶと)をとって逆様に着給えば、侍共『おん冑逆様に候ふ』と申せば、臆してや見ゆらんと思はれければ『主上渡らせ給へば、敵の方へ向かはば、君をうしろなしまいらせんが恐なる間、逆様には着るぞかし、心すべき事にこそ』と宣ふ」という所謂「忠義かぶり」の一節などは、お傍の人に繰返し繰返し音読させ、御自身はそれをお聞きになられてそれは楽しそうに微笑んで居られました。太宰治 「右大臣実朝」(新潮文庫) の最も有名な一節です。以前 「惜別」 を紹介しましたが、同じ文庫に収められていた小説がこの作品です。 「惜別」 と同じく太平洋戦争のさなかに書かれた作品ですが、鎌倉幕府の三代将軍です。
また平家琵琶をもお好みになられ、しばしば琵琶法師をお召しになり、壇浦合戦など最もお気に入りの御様子で「新中納言知盛卿、小船に乗って、急ぎ御所の御船へ参らせ給ひて『世の中は今はかくと覚え候ふ。見苦しき者どもをば皆海へ入れて、船の掃除召され候へ』とて、掃いたり、拭うたり、塵拾ひ、艫舳に走り廻って手づから掃除し給ひけり。女房達『やや中納言殿、軍のさまは如何にや、如何に』と問ひ給へば『只今珍しき吾妻男をこそ、御覧ぜられ候はんずらめ』とて、からから笑はれければ」などというところでも、やはり白いお歯をちらと覗かせてお笑いになり、アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。と誰にともなくひとりごとをおっしゃって居られた事もございました。
とまあ、こんな調子です。箱根の山をうち出でて見れば浪の寄る小島あり、供の者に此のうらの名は知るやと尋ねしかば、伊豆の海となむ申すと答へ侍りしを聞きて
箱根路を われ越えくれば 伊豆の海や 沖の小島に 波の寄るみゆ この所謂万葉調と言われる彼の有名な歌を、僕は大変哀しい歌と読む。実朝研究家たちは、この歌が二所詣の途次、読まれたものと推定している。恐らく推定は正しいであろう。彼が箱根権現に何を祈って来た帰りなのか。僕には詞書にさえ彼の孤独が感じられる。悲しい心には、歌は悲しい調べを伝えるのだろうか。―中略―
大きく開けた伊豆の海があり、その中に遥かに小さな島が見え、又その中に更に小さく白い波が寄せ、又その先に自分の心の形が見えてくるという風に歌は動いている。こういう心に一物も貯えぬ秀抜な叙景が、自ら示す物の見え方というものは、この作者の資質の内省と分析との動かし難い傾向を暗示している様に思われてならぬ。
ところで、 同じ、昭和 18
年
二つとも、さして長い作品ではありません。一度読み比べてみてください。(S)
追記2020・05・28
大昔に高校生を相手に書いていた 「読書案内」
の記事です。読んでくれるのは高校三年生だったと思います。なんだか独り言のようですね。今となっては懐かしいのですが、PCのデータから、時々転がり出てきます。それにしても、古いデータというのは、いつの間にか壊れるのですね。
追記2022・10・03
木田元
という哲学者の 「なにもかも小林秀雄に教わった」(文春新書)
を、久しぶりに読み返していて、この案内のことを思い出しました。 木田元
の新書については、近々、案内しようと思っていますが、新書を読みながら、昭和の批評家の、まあ、 小林秀雄の
ということですが、分厚さに驚嘆しています。いろいろ、あとを追って読んできたつもりでしたが、全く及んでいませんでした(笑)。
週刊 読書案内 永井荷風「濹東奇譚」(… 2024.02.25
週刊 読書案内 幸田文「木」(新潮文庫) 2024.01.03
週刊 読書案内 野上彌生子「森」(新潮… 2023.07.16