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安藤 ※ 第一章 「読解力」とは何か:「読めていない」の真相をさぐる からの引用です。
「文学」と「論理」を区分する発想の背後には、論理的思考能力は社会に役立つ実用的なトレーニングであり、文学は人間の情緒にかかわる情操教育に関連するものである、という、なにか 誤った先入観 があるのではないでしょうか。
むしろ、人間の感情、心理にかかわる領域を言葉で対象化していくこと、これを分析していく能力を磨くことこそが、実践的、論理的な思考力の向上、スキルアップにつながるのではないでしょうか。
安藤
近年の「読解力」の危機を説く改革論議においては「人文知」を閉域に囲い込もうとする傾向がますます強くなっています。
おそらくその背後には、答えが一義化できないもの、情報として処理しづらい、可視化ししくいものへの無意識の“畏れ”があるからなのではないでしょうか。
理解しがたい他者や価値観との対話を避け、明快に説明のつくもの、ただちに役に立つことが明らかなものを優先していく風潮が蔓延していくのだとしたら、それこそが 真に恐ろしい 。
コミュニケーションの手立てである言葉は当然、他者への敬意と想像力を含むはずですが、多義的なもの、異質なものへの敬意を失いつつある状況こそが、実は現在の 「ことばの危機」 にほかなりません。これは AIの進化 、 SNSの普及 などに原因があるのではなく、むしろそれを使いこなしていく人間の知性のあり方や覚悟にかかわる問題なのです。
安藤
人類が培ってきた普遍的な財産、つまりいかに巧みに“処理”したとしても残余が残る、言葉が本質的に持っている豊かさ、あるいはそれに思いを馳せる想像力が軽視されることがあってはならないと思うのです。
阿部 ※ 紹介はここから哲学者の 納富信留さん の 「哲学からの考察」 へと移ります。それは (その3) へ進んでください。また、 (その1) はこちらをクリックしてください。
「読み」をめぐるこの奥深さは世界の奥深さとも直結しています。「読み」がただ一つの正解を求めるための作業だと勘違いしている人は、世界に対しても同じような態度をとり、世界を一義的にまとめようとしがちです。そうした態度がどうしても必要な局面があることは否定しません。しかし、実際に生きていく上では、「世界はいろんな顔を見せるものだ」ということをいやでも突きつけられることがある。必ずそういう状況が訪れます。それに備えるためには、 世界の多義性や意味深さに対する畏怖 は大切です。
「そもそも文章というものはそう簡単にはわからないものだ」という覚悟のようなものが必要だが(中略)この心情は「諦め」や「放棄」とは異なります。
むしろ、「そう簡単にはわからないけれど、それをわかろうとするところに喜びや発見がある」ということです。
そうした姿勢を養うためには、読み手におののきを与えるような文章を読ませることがおおいに役に立ちます。国語科目でこれをやらずして、どの科目でやれるでしょう。
わけがわからないけれど、すごく歯ごたえのある文章と、感動的な文章とは地続きです。そうした文章を生徒に提供し、それらと取り組むための入り口を示したい。むろん「文学」にこだわらなくてもいい。(中略)
他者とどう付き合うかは人間の永遠の課題です。「人間というのはわからないものだ」「謎に満ちている」「いったい何するかわかりゃしない」という状況を、言語的な「感動」として体験させる。これこそが 国語という科目の芯 となるべき理念ではないでょうか。
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