PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
磧中作 磧中の作 岑參
走馬西来欲到天 馬を走らせて西に来たり 天に到らんと欲す
辞家見月両回円 家を辞して月の両回円かなるを見る
今夜不知何処宿 今夜 知らず 何れの処んか宿せん
平沙莽莽絶人煙 平沙 莽莽 人煙を絶つ
西へ西へと馬を走らせ、地の果てを越えて天にまでたどり着きそうだ。 本書の 「流沙蒼天いずこに宿らん」 と題されて、 岑參(しんじん) という、 杜甫 とかと同時代、盛唐の詩人の詩の紹介の章にあった 「磧中作」 という詩の本文、書き下し、口語訳です。
家にいとまを告げ旅立って以来、もう二度も月が丸くなるのを見た。
今夜はいったい、どこに泊まればいいのだろうか。
この茫々たる砂漠を見渡す限り、人家の煙など全く立っていないのだ。
磧とはゴビ砂漠のことをいう。作品は冒頭から、緊迫した雰囲気を漂わせている。馬を走らせてめざすのは西の果て、高仙芝の舞台の駐屯地。軍務に赴くために先を急ぐが、行けども行けども目に映るのは砂漠と蒼天のみ。このまま走れば天上に行きついてしまうのではないか。 「欲到天」 は、初めて砂漠に身をおいた人間の驚きを如実に語っている。 解説文の一部ですが、たとえば 「満月」 のくだりとかで 「あっ、そうかそうか」 と納得したりするのでした。まあ、ぼくがものを知らないというに過ぎないかもしれませんが、若い国語の先生とかにはおススメではないでしょうか。
ここまでの前半は、「辞家」をめぐって展開されたが、起句が家から砂漠に至るまでの距離(空間)の長さを示すのに対し、承句は出発してから二か月も経つ時間の久しさを表す。だが、それは単に時の経過だけではない。中国では、 満月は団欒の象徴であり 、それを二回も見た詩人の心には、今まさに郷愁が溢れんとしている。
週刊 読書案内『高等学校における外国に… 2022.02.02
週刊 読書案内 山田史生「孔子はこう考… 2021.04.17
週刊 読書案内 阿部公彦他『ことばの危… 2021.02.11