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咳をしても一人 この句が、いわゆる、人口に膾炙した代表作のようで、高校の国語の教科書にも出てきます。
足のうら洗えば白くなる とか
墓のうらに廻る というのが、ぼくの好きな句ですが、
春の山のうしろから烟が出だした というのが、辞世というか、最後に残された句だったようです。
放哉が小豆島の土を踏み、その島で死を迎えるまでの八ヵ月間のことを書きたかったが、それは、私が喀血し、手術を受けてようやく死から脱け出ることのできた月日とほとんど合致している。 吉村昭 といえば史実にこだわる 「歴史小説」 の作家といっていい人だと思いますが、この作品の 「面白さは」 は、むしろ創作された描写にあると思いました。
中略
放哉は四十二歳で死んだが、それを私なりに理解できるのは放哉より年長にならなければ無理だという意識が私の筆を抑えさせた。そして三年前、「本」に十五枚ずつの連載型形式で放哉の死までの経過をたどり、二十九回目で筆をおくことが出来た。私がその期間の放哉を書きたいと願ったのは、三十年前に死への傾斜におびえつづけていた私を見つめ直してみたかったからである。(「本」は講談社の雑誌)
放哉は、目を開きシゲを見つめたが、すぐに視線をそらせた。自分には到底言えそうになかったが、厠で座りこんでいた時のことを思うと、頼みこむ以外にない、と思った。 作品の前半は社会的な人間関係に対する、不信と猜疑、わがままと傲慢の経緯が詳しく語られ、放哉の人格的破綻と句作の関係が描かれてきた作品ですが、ついに、虚勢を張って立つこともならぬ病状の窮まりにおいて、作家が 「主人公」 を救っている場面だと思いました。
「まことにすまんのですがね、その・・・、折り入ってきいてもらえまいか、と思うのですよ」
「なんですね」
「実に恥ずかしいことなのですが、厠に行けなくなってしまいましてね。それで・・・・」
放哉は、また言葉を切ったが、天井に目を向けると、
「便器を買ってきてもらえないないものでしょうか」
と、低い声で言った。
便器を買うということは、それをシゲに仕末してもらうことを意味している。血のつながりもなく謝礼も出していないシゲに、そのようなことを頼むのは不当にちがいなかった。シゲが、そのまま庵から去ってしまう予感がした。排泄物の処理までするいわれは、シゲにはない。かれは目を閉じ、シゲの反応をうかがった。
シゲの声が、すぐに聞こえた。
「なにを今さら水臭いことを言いなさいます。下のものを今日からとりましょうよ。病人なら病人らしくわがままを言って下さいな。」
かれは、胸を熱くした。ふとんの中で、手を合掌の形でにぎった。(文庫P281)
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