PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
これがデビュー作か!? とうなりますが、文豪 幸田露伴 の死に際して 彼女 に書かせた編集者がいたことの
幸運! をつくづくとかみしめるかの読書でした。
父はその報告を聴いていたが、にこにこと機嫌よく、おまえは私の葬式がどういうようになると思っているかと訊いた。機会である。子の方からやたらには切り出せない事柄である。狡猾さを気にしながら問を以て答えとした。「どんな風にするのかしら。」「おまえがきょう見て来たものとは凡そ違うものなのさ。溢れるほどに人が来るなんて思っていれば見当違いだ。」と云って笑い、「明の太祖の昔話にあるじゃないか。棺桶も買えない貧乏な兄弟がおやじさんを明き樽に入れて、さし荷いでとぼとぼ行く途中の石ころ道に、吊った縄は断れる、仏様はころがり出す、しかたがないから一人が縄を取りに帰ったなんていうのは、いくらなんでもあんまり厄介過ぎるから、まあ住んでいる処の近処並に極あっさりとやっといてくれりゃそれでいいよ。おまえには気の毒だがうちは貧乏だ、わたしの弔いのためにおまえが大骨折って金を集めたり、気を遣ったりして尽くしてくれることはいらない。傷むなと云ったっておまえは子だから傷むにきまっている、それで沢山なんだよ。」なごやかな心で柔かく話す時の父の調子、まったくいいものであった。よその父親は如何に娘に話すか知らないが、こういう時の父は天下一品のおやじだと思っている。どこのおとうさんととりかえるのもいやだと思う。だから叱られて泣く時にはたまらないが、思い出して我慢するのである。(P82~P83) 知人の葬式に、娘の 幸田文 を名代として参列させ、帰ってきた娘の報告を聞きながら、自らの葬儀について語る 露伴 の姿が思い浮かぶような文章ですね。
私が、父の葬儀は自分一人でしなくてはなるまいと思い込んだのは二十三の秋、たった一人の弟をなくしての通夜の晩に、花環のある部屋で杯を放さぬ父の姿を見て、しみじみ寂しかった、その時にはじまる。父もまだ元気で、頸から肩へよい肉づきを見せてい、私も若くむちゃくちゃで、ただおとうさんの時は文子がするとだけで、ほかには何も思わなかった。 「おとうさんの時は文子がする」 という子供の言葉に弟に対するこころの奥底の哀しみと、父へのいたわりが響いています。
早耳な国葬云々の話が聞こえた。いあわせた下村さんに訊いた。「勝手にしていいの?」「え?」「お受けするようにきまっていることなの?」野太い声が笑って、「あなたの好きなようでいいんですよ。」父はそんなことを話さなかった。文子がお弔いをすることと思っていた。私もそう思っていた。松の多い、苺のできるこの土地、雨風を凌いだこの家には一年有余の馴染がある。国葬は栄誉なことであるが、私がするなら、借りた伽藍より、ここから父を送ることはあたりまえであった。 「おとうさんの時は文子がする」 という小さな気構えを支えに父の最後を看取り、送ろうと生きてきた娘には、思いもよらなかった 文豪 幸田露伴 の死をめぐる世間の大騒ぎです。それ相応に年月も重ねてきた娘が、そんな世間を相手に、もう一度 「若くむちゃくちゃ」 な気持ちに立ち返る姿に、 幸田文 という人の本領があるのでしょうね。
「娘」の気持ち 読んでみませんか。
週刊 読書案内 永井荷風「濹東奇譚」(… 2024.02.25
週刊 読書案内 幸田文「木」(新潮文庫) 2024.01.03
週刊 読書案内 野上彌生子「森」(新潮… 2023.07.16