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まっさきに現れたのは黄色である。 語っているのは 藤原志津 、父は諫早藩という、幕末に進取の誉れの評判で名を残した佐賀藩の親類格とはいいながら、一万石に足りない小藩ではありますが、吉田流砲術師範 藤原作平太 、叔父は蘭学を学んだ藩医 藤原雄斎 という武家の娘です。
黄色の次に柿色が、その次に茶色が一定のへだたりをおいて続く。
堤防の上に五つの点がならんだ。
堤防は田圃のあぜにいる私の目と同じ高さである。点は羽をひろげた蝶のかたちに似ている。河口から朝の満ち潮にのってさかのぼってくる漁船の帆が、その上半分を堤防のへりにのぞかせているのである。
ゆっくりとすべるように動く。
朝は風が凪いでおり、さもなければ西の逆風が吹く。けさはいつになく東の風である。帆をはるのはめづらしいことだ。
川岸に群れつどう漁師の身内どもが見える。先頭の船が帆柱にかかげた大漁旗をみとめてどよめいていることだろう。今しがた私が遠眼鏡で確かめたものである。舟付場に女子が近づくのはかたくいましめられている。去年までは私が舟溜りへおりて魚の水揚げを見物していても母上はだまっておられた。しかし、去年の暮、嘉永の御代が安政となりかわってからは、母上は何かにつけて口やかましく女子の心得を説かれる。十五歳といえば、男子なら元服する年齢である。いつまでもし志津は子供のつもりであってはならぬと申される。(P11)
それにしても私はいつ蛍を見たのであろう。茶道具をととのえるとき、少将様をお待ちしているとき、蛍など一匹も目に映じなかったようである。少将様が四面宮から慶巌寺へ移られたのち、私たちは道具をしまい、慰労として拝領した佐賀最中をふところに帰宅した。そのどこで蛍を私は見たのであろう。 お上や大人たちが、家中の少女たちの大人の世界への顔見世として、その場をあつらえ、期待を込めて美しい着物を着せられ、化粧を施されてその場にいることは百も承知しているのです。しかし 「少女」 であり 「娘」 でもある視線は、緑色に点滅し、群がる 「ホタル」 の淡い美しい光を捉え、その光の明滅する淡々しい世界へ彷徨いこむかのように捉えられながらも、やがて我に返ってきて、頂き物の最中に思いを戻してゆく描写です。
淡い緑色の光を放つ点が、木立から草むらから漂い出し、墨色の闇をうずめる。綾様のえりくびで光る蛍もいたように思う。光る虫は宙にむらがり、ちらばるかと思えば一つによって、暗闇に大小さまざまな光をともしたかと思われた。きりもなく水面からわき出し、川辺を縦横無尽に飛びかい、水にそのかげをうつした。
帰ってから私は母上に少将様のご様子を申し上げることかなわなかった。おぼえているのは川原のそこかしこで息づくように点滅している青みがかった微光のかたまりのみである。お叱りをこうむらなかったのであるから、手落ちはなかったと思う。かりにいささかの手落ちがあっても、ほしいままに見た蛍どもの景観にくらべたらそれがなんであろう。私は青緑色に輝く光のなだれを全身であびたように感じた。母上は私がいただいた佐賀最中を仏壇にそなえられた。(P143~144)
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