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<「内省」とはいくぶん異なるが、圧巻は「東伏見」だろう。まるで短編小説だ。> 『のりたまと煙突』 って 「短編小説のようなエッセイ」 を含んでいるのですね。それなら、その逆で
「エッセイのような小説」 はいかがでしょうか。うーん。苦しいこじつけですが。
「幸福な家庭はみな同じように似ているが、不幸な家庭は不幸なさまもそれぞれ違うものだ。」を思い出します。 「幸福な家庭」 の物語は読者に読む気を起こさせないというのが常套でしょうが、どうしてこの単調な小説がこれほど売れたのか。それでも、今となってはもう読む気をそそらなくなっているのか。そんなことも気になりました。
目次 巻頭の 「萩」 より一部抜き出してみます。風当りの強い家に引越した当座の困惑を他人事のような余裕とユーモアで書いています。
萩 / 終りと始まり / ピアノの上 / コヨーテの歌 / 金木犀 / 大きな甕 / ムカデ / 山茶花 / 松のたんこぶ / 山芋 / 雷 / 期末テスト / 春蘭
何しろ新しい彼等の家は丘の頂上にあるので、見晴らしもいいかわり、風当りも相当なものであった。360度そっくり見渡すことが出来るということは、東西南北、どっちの方角から風が吹いてきても、まともに彼等の家に当るわけで、隠れ場所というものがなかった。 強い風に悩まされているのかいないのか、目線が自他や時代や状況をあちこち行き来するユーモア、それと、自然におかれた状況が理解できる文体が読みやすかったです。
前からこのあたりに住んでいる農家をみれば、どういう場所が人間が住むのにいいか、ひと目で分る。丘のいちばん上にいるような家はどこを探してもない。往還から引っ込んだところに丘や藪を背にして、いかにも風当りの心配なんかなさそうな、おだやかな様子で、彼等の藁葺の屋根が見える。
農家の人たちがそういう場所を選んで住んでいるということは、この人たちの先祖がみんなそうして来たことを物語っている。多分、それは人間が本能的にもっていた知恵なのであろう。丘がいいか、ふもとがいいかということで迷ったりする者はいなかったのだろう。
こういうことを大浦が考えるようになったのは、この家を建ててしまって、家族5人が引越して来て少し経ってからであった。今更どこへまた移ることが出来るだろう。キャンプをしているのではないのだから、ここで具合がよくないから、あっちは変ろうというわけにはゆかないのだ。
古代人が持っていた知恵を持ち合わせていないことが分って、大浦はがっかりした。これでは、古代人以下ということになる。
しかし、そんなことを恥じていても始まらないから、何とかこの家を大風で吹き飛ばされないようにしなくてはならない。自衛の手段を講じなくてはいけない。大風で、というのは台風のことで、それを大風でというのは、台風が来た時のことをあからさまに考えたくないからである。
家ごと空に舞い上がって、その中には寝間着をきた彼と細君と子供がいて、
「やられた!」
と叫んでいる。
そういう場面を空想するのなら大風の方がよく似合う。台風では、そうはゆかない。
大浦はどちらかというと、せっかちな人間であったが、小沢と話をしている間は、自分がせっかちであるということは暫く棚上げにした。何の木を植えたらいいか、相談をするには、暇がかかる。だが、結論を急いではならない。 こんなふうに偶然の出来事や出会いを淡々と穏やかなおかしみをもってつづられています。ここでは書きませんが子どものことを書いているところも、とても細やかな慈しみが感じられます。そして、そこから 大浦自身 の子どものころを思い出して、丁寧に語ってゆきます。自分にとってもかけがえのない子どもの時代があったことを目の前の子どもによって思い出すことになり、再び記憶で経験します。
こちらがほしがっている木でも、小沢は、
「それはいい。それにしなさい」
とはいわなかった。そういってくれれば助かるのだが、決してそういわないのであった。まるで小沢のいうのを聞いていると、買わせまい、買わせまいとしているような話しぶりなのであった。
(中略)
「夏蜜柑(の木)、ほしいですね」と細君がいった。
「ああ、あれは、この辺では、どうですか。冬蜜柑は、寒がりますから、無理ですが、夏蜜柑の方も、やっぱり、この辺では苗木を育てるのが、無理、なようですね。うちでも前に買って、鉢に植えたのが、一本あったんですが、二年くらいは、まあ、育っていましたが、そのうち花が咲かなくなって、どうも、これが、到頭、駄目になっちまって、抜いてしまいました。あれは、育てるのになかなか辛抱の要る木で、一人前になるのは、五十年と言います」
「それなら」と大浦はいった。
「一人前になったころには、こっちがもういなくなってる」
みんな、一緒に笑った。
(中略)
紅梅の話が出ると、小沢はこんな風にいう。
「どうも、紅梅は、大きいものは少なくて。あれは植替えが弱いんです。うちの紅梅も、年々小さくなってゆきます」
何だか心細いことをいう。それで、聞いている方では笑ってしまう。小沢も笑う。
(中略)
「おかめ笹は、どうですか」と大浦の細君が尋ねる。
「そう、あれも先から先へひろがるからね」
小沢がそういうと、おかめ笹は止めた方がいいという気持になる。
「桃は?」と大浦がいうと、
「桃も、あぶら虫がついちゃってね。」
(中略)
「かりんっていうのは、どうですか」と大浦は尋ねた。
「あれもねえ、えらい棘の木でね」
(中略)
小沢はおしまいに、
「木はいろいろあるけれど、さてこんもりしたので手頃な、いい木となると、なかなかないもので」と言った。
そういうことをいわれると、せっかく意気込んでいる大浦は、がっかりしてしまう。この人は、植木が商売でありながら、なぜこっちの気分に水を差すようなことをいうのだろう。つい、そういいたくなる。
だが、小沢に植木を頼むようになってからもう三年になる。大浦や細君が「あの木、ほしい」
と思って、小沢も反対意見を述べないで、すっときまった木は、これまでにもう植えてしまってある。小沢が「手頃な、いい木がない」というのも、無理はなかった。
それに、何でも向こうでほしいというのなら、持って来て植えてしまえばいいという植木屋なら(そういう植木屋がいるか、どうかは知らない)、事は簡単であろう。小沢は、そうゆかないのであった。小沢は、自分がお金を出して買って、この家に植えるような気でいるのではないか。それで、「あの木はまずい、この木もまずい」といっては、思案しているのではないか。そんな気がするほどであった。
追記
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