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太い川がながれている。川に沿って葉桜の土手が長く道をのべている。こまかい雨が川面にも桜の葉にも土手の砂利にも音もなく降りかかっている。ときどき川のほうから微かに風を吹き上げてくるので、雨と葉っぱは煽られて斜になるが、すぐ又まっすぐになる。ずっと見通すどてには点々と傘(からかさ)・洋傘(こうもり)が続いて、みな向こうむきに行く。朝はまだ早く、通学の学生と勤め人が村から町へ向けて出かけていくのである。(P5) 文庫版巻末の解説で、今となっては懐かしい文芸批評家、 篠田一士 が 「思わず嘆声の出るような、素晴らしい描写である」 と、ベタ褒めですが、続けてこんなことを言っています。
太い川が隅田川で、この土手が向島の土手でというような詮議はどうでもよろしい。いや、どうでもよろしいというよりも、読者にそういうことを決して許さないような文章の書き方がしてあるのだ。表面上は観察がよく行き届いたリアリスティックな描写をほどこしながら、その内側には、あえて童話的といってもいいほど、現実離れした、なつかしい情緒がなみなみと湛えられているのだ。だから、読者がもし現実還元したければ、わざわざ手元に東京地図など引き寄せる必要はなく、おのがじし、心の中に眠っているはずの、あの川や土手、さらに、あの四月の雨の朝の感覚を思い出せばいい。(P231) もう破格ですね。現在、どなたかの作品をこんなふうにほめることのできる 批評家 っているのかどうか、なんだか、幸せな時代を感じさせる批評です。
一町ほど先に、ことし中学に上がったばかりの弟が紺の制服の背中を見せて、これも早足にとっとと行く。新入生の少し長すぎる上著(うわぎ)へ、まだ手垢ずれていない白ズックの鞄吊りがはすにかかって、弟は傘なしで濡れている。腰のポケットへ手をつっこみ、上体をいくらか倒して、がむしゃらに歩いて行くのだが、その後ろ姿には、ねえさんにおいつかれちゃやりきれないと書いてある。げんはそれがなぜか承知している。弟は腹をたたているし癇癪お納めかねているし、そして情けなさを我慢して濡れて歩いているのだ。なまじっか姉になど優しくしてもらいたくないのだ。腹立ちっぽいものはかならずきかん気屋なのだ、きかん気のくせに弱虫に決まっている。― 碧郎のばかめ、おこらずになみに歩いて行け、と云いたいのだが、まさか大声を出すわけにもいかないから、その分大股にしてせっせと追いつこうとするのだが、弟はそれを知っていて、やけにぐいぐいと長ずぼんの脚をのばしている。げんも傘なしにひとしく濡れていた。だってそんなに急げば、たとえ傘はさしていても、まるでこちらから雨へつきあたって行くようなものだからだ。左手に持った教科書の包みも木綿の合羽の袖も、合羽からはみ出た袴の裾も、こまかい雨にじっとりと濡れていた。追いついて蛇の目を半分かけてやりたかった。(P6) いくらでも書き写すことができますが、これくらいにした方がいいでしょうね。ここまで、読みづらいスマホやPCの画面の文字を追って来てくれた人は、この後、どんなふうにこの少女が語り続けるのか、部屋のどこかの棚にこの文庫本はなかったのかと気がせくに違いないだろうというのが ぼく の目論見ですが、そこは、まあ、人それぞれです。
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