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「シマクマ君、これ読んだ?ここ、面白いよ」 先生の、あの、ニコニコ笑顔と一緒に聞こえてくるささやき声を聴きながら、ボク自身が、今、どちらの世にいるのか、朦朧たる
至福の読書(笑) ですね(笑)。
第六章「巨匠が対立したとき」 長い引用になりますから端折りますが、結論はこうです。
もう一つ、 お二人がかなりやり合っていつ対談を見つけました。昭和四十八年一月の「別冊小説新潮」なんです が、これが非常に面白いので、最後に紹介することにします。
主題は幕末の尊王攘夷運動をめぐって、なのですが、司馬さんがこの大いなる運動を引き起こした思想的背景に水戸学、すなわち朱子学があったと説き、「水戸学をやらない人でも朱子学をやって、王を尊ぶべし、武力でもって政権をとるやつを卑しむべし、覇王を卑しむべしということがあるのです。ですから、尊王攘夷というのはもう常識としてあって・・・」と言いかけるのを、 清張さんが「ぼくは、それはちょっと従えないな」 と押しとどめて、以下、ちょっと激しい論戦が長々と戦わされることになります。(以下略)
松本 端的にいえば、安政の大獄以前の攘夷は、神国をけがすといった式の、きわめて単純素朴な考えだったと思う。それから以後の攘夷は幕府を倒す武器になる。そこんとこの攘夷論は性格を見分けていわないと、いっしょにいうと、あれはわからなくなっちゃうんだ。 で、 半藤一利 のまとめは
司馬 それは確かにそのとおりですね。
司馬さんの小説は、ということは歴史の見方ということになりますが、司馬さんの言葉を借りれば、 歴史を上から鳥瞰するように捉える 。つまり、歴史を大づかみして読者に示しながら、登場人物の活躍を描くことで、歴史のうねりを手に取るようにわからせる。この俯瞰的な見方が司馬さんが歴史を語る時にも、文明批評をするときにも、見事に適用される。そのことが清張さんとの議論でも発揮されていると、わたくしには思えるわけです。 わざわざ赤鉛筆でひかれている傍線ヶ所を太字にしましたが、フフフでしたね。 司馬遼太郎 は歴史を上からのぞき込んでかっこいい奴を選び出し、 松本清張 は下から見上げて、怪しい奴を追及する。
しかし、清張さんは違った。 清張さんは地べたを這うんです。 草の根を分けるんです。刻々の変化を見るんです。大づかみではなく、ごちゃごちゃと微細に分け入るんです。そのために少々混乱を来たそうが、読者が理解しようがしまいが、一切お構いなしなところある。(P120~P121 )
目次 本書の山場は、 昭和史をめぐる二人のスタンスの相違 ですが、まあ、そのあたりはどこかで手に取っていただくほかありませんね。ボクのほうは、久しぶりの 半藤一利ブーム がやってきそうな予感です。またご案内しますね。
はじめに
一 二人の文豪と私
二 社会派推理小説の先駆者として
三 古代史家としての清張さん
四 時代小説から歴史小説へ
五 『坂の上の雲』から文明論へ
六 巨匠が対立したとき
七 司馬さんと昭和史
八 敗戦の日からの観想
九 清張さんと昭和史
十 『日本の黒い霧』をめぐって
十一 司馬さんの漱石、清張さんの鷗外
十二 司馬さんと戦後五十年を語る
あとがき
参考文献
松本清張略年譜
司馬遼太郎略年譜
追記
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