2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全21件 (21件中 1-21件目)
1
英文を作成するのは骨が折れますが、実際に英文を読むとなるほど、そうだった!と思ったことはありませんか?読めば分かるのですが、それを自分で作文しようとするとスムーズに頭に浮かんできません。苦労しながら自分なりに良くできたと思っていても、実際に相手にその内容が伝わらなければ意味がありません。口にする英語も難しいですが、文字にするのもそれ以上に困難です。簡単に済ませられるはずでも、結局はダラダラと長い文章になってしまい収拾がつかない結果に終わってしまうこともあります。同じ事をネイティブに書いてもらうと、なるほどこんな表現で良かったのかと納得させられることもたくさんあります。文章力をつけるには読むことも大事ですが、自分で書いてみることももっと大事だと思います。読むのは受身ですが、書くのは自主性が問われるため頭を使って書くことにより、体を使った一つの体験になるからです。英語の小説を読んでいる人をたまに見かけます。かなり読み古されたような表紙で、誰からか借りたのか自分のものなのかは分かりませんが、電車の中でそういう人を見かけると、感心してしまいます。留学で語学学校以上のレベルの学校へ通うと、自分の文章力のほどを思い知らされます。頭の中で、日本語ではちゃんと構成されているのですが、適切な表現で英語にしようとするとたった一つの文でも時間を要してしまいます。ですからネイティブや他の自分より英語力のある人たちに比べると、数倍の時間をかけて課題をこなさなければなりません。人前で発表となると尚のこと。例えばプレゼンテーションなどです。最低限、他の人たちに意味の通じる内容になっていなければ場違いの空気を感じることでしょう。授業中にノートを取るのも同じです。講師が説明したことを自分の言葉に直して書かなければなりません。その文章をどうやって書こうかとじっくりと考えている暇はありません。次々に授業は進んでいきますから、とっさに日本語でメモを取ってしまうこともあります。そうでもしなければ、その授業そのものを復習することが不可能になってしまうからです。課題、課題、課題。。。これでもかと課題が提供されます。期限がありますから、それまでにこなそうと思ったら想像を絶する勉強の量になります。課題を提出できなければ、その単位を落としてしまうかもしれないくらい重要なウエイトを占めています。英語を勉強する目的によりますが、大学や専門学校へ留学しようとするならこの文章力も十分に力を入れて勉強しておく必要があると思います。
2006年10月31日
アンティークという言葉を聞いた事はあっても、それがどんなものなのか改めてじっくりと見たことがありませんでした。日本では骨董品と呼ばれるものです。単に古い家具や古美術品かな、という程度の認識でしたから実際にシドニーで色んなアンティークの店に足を運んだときは、かなり感動したものです。店の中に入った瞬間に古びた家具の匂いが立ち込めています。ちょっと埃っぽいような店もあれば、いかにも高級品ばかりを集めましたと言わんばかりの物が並んだ店もあります。その店のオーナーの趣向やセンスが活かされる場だと思います。何か特別なものを捜し求めている人や単に興味本位で冷やかしている人もいます。私はどちらかというと、後者に当たります。とても高級すぎて手が出せないような物ばかり目にしていたので、見ているだけで自分の物になったような気がしていました。幸せなものです。仕事をしていたので行ける日は大抵土曜日か日曜日。土曜日は午前中だけ営業しているというような店もあり、何箇所か回った後に素敵なお店を見つけた時は本当に残念な思いがしたものです。手書きの年代や産地がラベルに並び、商品一つ一つにつけられていました。オーナーにどのくらいまで値段の交渉ができるのか聞き、考えるような素振りをして結局は考えます、と言って店を出る。そんなことを繰り返していました。そんな私でも一度だけお気に入りのものを見つけ、購入したものがあります。古いイギリスのタイプライターです。埃かぶっていて、あまり目立たない場所においてありましたが、私の目を引くものがあったのでしょう。最初は値段だけチェックして、次に来た時にがどのくらいの値段だったら買おうと心に決めていました。思ったような値段まで交渉でき、つい手に入れました。オーナーはかなり渋っていましたが、またその店で何か他の物を買うという半条件付きでした。その場限りの理由だったとしても、引き際がとても気持ち良かったものです。日本では物を買う時にあまり値段交渉をしません。地域によっては珍しくないかもしれませんが、一般的には提示された値段が全てです。そんな日本の中でも、現品限りのものだったりすると更なる値段の交渉が可能な場合があるのです。聞いてみるものだなと思いました。駄目でもともと、結局はその値段で自分が納得するかどうかなのです。オーストラリアではこの値段交渉が日常茶飯事でした。キャッシュで買うかどうかでも変わってきます。最近、日本でも現金払いかどうかで値段が違ってくることがありますね。人によって価値観は異なりますから、自分はこの値段でOKでも他の人にとってみれば、そんなに価値はないと判断されることもあります。値段交渉とは、買い手と売り手の駆け引きだと言えるでしょう。
2006年10月30日
幼い頃に学んだ言語は簡単に忘れないと言います。これが本当かどうかは、これから娘たちを観察していけば明確になるかなと思っています。単語力はそこから先は簡単に伸びないと言われました。小学校4年生で英語環境から日本語環境へ変わったとすれば、英語力は小学校4年生レベルでそこから勝手には伸びていかないそうです。娘の日本語の先生から聞きました。ですから、ボキャブラリーは自力で伸ばしていかなければならないと思っています。その先生の家庭は大学生の娘さんがいて、その娘さんが小学校を終えた頃に家族でドイツへお父さんの仕事の関係で赴任したそうです。英語の勉強を事前にしていたのかを聞くと、全く勉強してなくレベル的には中学校の英語程度だったとか。それでドイツではそこのアメリカンスクールへ6年間通ったそうです。学校を出るとドイツ語、家庭では日本語、学校ではドイツ語とフランス語と英語の3カ国語。聞いただけで、頭の中がごちゃごちゃになってしまいそうです。最初の時期はかなり苦労したそうで、毎晩午前2時くらいまで勉強する日々が続いたとか。娘さん一人だけではなく、家族全員でサポートしてあげなければ到底学校の勉強についていけなかったと思います。ですから、高校を終えて日本へ帰ってきてみれば小学校レベルの漢字は分かりますが、そこから先の難しい漢字が分からなく、親ながら情けなくなったこともあったそうです。ですが、これは仕方の無いことだと思います。現地では日本語を勉強するより、日々の生活で必要な言語を学ばなければ意味がなかったのですから。。日本へ帰国してからも努力の日々が続いたことでしょう。バイリンガルではなく、それ以上のレベルですからその全ての言語の読み書きまで完全に習得しようとすると、並大抵の努力では済まなかったと思います。それを考えると、日本語に英語を勉強するのは何でもないことのように感じてきます。いろんな人がいるんだなと思いました。見た目は日本人ですが、必ずしも日本語を完全に理解しているとは限らないかもしれないんだと。新たに見聞が広がった気がした話でした。
2006年10月29日
耳に入ってきた単語音が自分の知識の中のそれと上手くマッチした時から、ヒアリング力が伸びていきます。ここまでが長い道のりですが、一旦この要領を掴んだら後は楽な道を辿っていきます。聞こえた音が認識できなかったら、会話そのものが成立しません。ですから、単語音に慣れるまでは忍耐強く繰り返しそれを聴くことが大切だと思います。自分の中で認識した音がその文の中で意味を成さない時は、間違った解釈をしていると思って間違いないでしょう。イライラしてしまいますが、そこが新たな音を習得するベストチャンスです。和製英語というものが存在する限り、このハードルは必ず越えなければならないものだと思っています。日常の日本語会話の中でも、カタカナ英語がたくさん登場します。これは良くも悪くもあり、外来語に対する免疫は上がりますが逆に本物の英語(ネイティブ英語)を聞いたとき、素直に聞き取れない邪魔者になってしまうのです。10年前の日本と比べて身の回りで触れる英語の数は本当に増えたものです。読みの後に、注釈として正しい英語のスペルでも書いてあればマッチしやすいかもしれませんが、完全な日本語読みの英語は英語を勉強している人たちにとって、決して嬉しい存在ではないでしょう。日本語読みが頭の中に入っていますから、それと同じか似たような音でなければ認識できません。実際にネイティブに正しい音を聞いてみると、全く違った発音だったという経験、たくさんの人たちが経験していると思います。学校の英語の授業の中でも、もっとヒアリング力を高める方向へ力を注いでくれると良いなと感じています。一旦覚えてしまった音はなかなかその思い込みが訂正されにくいため、完全に自分のものにするまでは何度か同じ間違いを繰り返してしまうかもしれません。辞書を引けば正しい発音が書いてありますが、これを自力で読み取得しようと思ったらかなりの努力を要することでしょう。それよりもネイティブから直に本当の音を聞ければ、もっと効率的に英語のヒアリング力を高めることができると思います。
2006年10月26日
日本人とオーストラリア人の仕事に対する考え方は根本的に異なっています。自分が希望する条件のポジションが募集されていると、案外すんなりと転職するのがオーストラリア人。自分が勤めた職場を離れることに対して、思いとどまることはないようです。ステップアップの手段として、転職は決して珍しくないのです。転職する時が年俸アップのチャンスでもあるため、その機会を狙っている人もたくさんいます。そんなわけで、自分の会社の顧客という立場から同僚になるということも決して驚くことではないのです。どれだけの経験を積んできたのか、こちらの要求に応える事ができるのか、そこを一番に求められます。転職の回数が非になることはあまりありません。日本の転職事情とは違う点だと思います。働く側も雇う側も、根本的に仕事に対する考え方が異なっているのでしょう。履歴書の規定用紙などありませんから、自分のスタイルで用意します。そこに何を含むのかは、ほぼその当人に任せられているのです。ですから、アピールしたいポイントはとことん強調して書くことができます。生年月日を書くかどうかはオープンですが、学歴や職歴から推測することは可能ですからその点は自ずと知れることでしょう。日本でも職務経歴書があります。これと似たような用途ですが、さらに自由なスタイルで書くことができるものと考えると良いでしょう。いろんな職場で経験があればメリットになるでしょう。ただ、全く違う業界で多種多様の仕事をしていた場合、これは別問題です。・・の経験が3年以上の方を求めるこういった求人広告をよく見かけます。このように、基本的には一貫した職務経歴が望まれることでしょう。長年、その職種を色んな職場で経験してきました、というような経歴です。
2006年10月25日
英文が一つの長い単語のようにくっついて聞こえる体験、誰にもあるかと思います。そうなると本当は一つ一つの単語の羅列ですが、早口で言われると聞き取れないため正しい意味を理解できなくなります。この時期が結構長いもので、意味の分からないことを言われてもチンプンカンプンですから、ストレスが溜まります。単語が区切れて聞こえるようになるには、何度も繰り返し英語を聞くことしか解決法はありません。全く時間のかかる作業です。しかし、そうやって聞き取れるようになれば後は楽になります。むしろ、はっきりとした単語として耳に入ってくるので分からなかった単語の意味を辞書で調べることもできます。区切れて聞こえない時は単語が聞き取れないので、辞書で調べようにも聞こえたままの単語を推測することしかできません。何度も繰り返し似たような単語を調べてみるのですが、思った単語にぶつかりません。そうなると、聞き間違っているのは確かです。どうやったら正確な単語を聞き取れるのか、奮闘しなければならないでしょう。推測して調べた単語の意味を当てはめてみても、文全体の意味がしっくりこない場合は最初からやり直しです。イライラが募ります。自分自身との根競べです。この最初の辛い時期を乗り越えれば、後は緩やかな坂道を登っていくだけ。単語そのものの意味が分からなくても調べて分かるのであれば、その単語も自分のものにすることができます。そして似たような場面で使ってみて相手に通じた時こそ、本当の意味での習得になるのではないでしょうか。人によってその時期の長さは異なってきます。早い人であれば数ヶ月で聞き取りができるようになるようです。一般的には1年くらいを目処にすると良いと思います。それも毎日英語を聞いて耳を慣れさせることが前提です。ヒアリングができてこそ、次へのステップが待っているのです。ネイティブの英語をコピーすることによって、様々な言い回しを使いこなせるようになります。それが本当の意味で最適な習得方法だと思います。何しろネイティブスピーカー達は全て英語の先生なのですから。。所謂スラングのようなものは、ビジネスの場では通用しません。職場環境や職種にもよるでしょうが、一般的なオフィス環境では公用語(アクセントのないもの)を使うべきでしょう。ですから、友人同士の会話は別です。仕事を離れた場面での会話は、言ってみればカジュアルな表現を用いて互いのつながりを心地良いものにする方が良いでしょう。状況に応じた英語の使い方を習得することも大切だと思います。
2006年10月23日
癖のある英語を話すのは日本人だけではありません。母国語が英語でない人であれば、誰であれ多少のアクセントがついた英語を話すものです。それはネイティブからすると、ほとんど100%はっきりと聞き分けることができます。英語を第二ヶ国語とする人同士が会話をする際、意外とネイティブの英語より分かりやすいことがあります。もともと英語を聞き慣れていないため、ネイティブであろうがそうでなかろうが、私たちにとっては英語に何ら変わりないからでしょうか。。意思疎通さえ取れれば、それが完全にネイティブの英語でなくても会話本来の目的を果たすことはできます。アクセントを気にしすぎて話ができないようにならないよう、気をつけなければなりません。緊張のあまり、また間違いを恐れすぎて言葉にならないようなら、それの方が問題でしょう。相手が理解できているかどうかは、その雰囲気やりアクションで分かります。分かってもらえないのなら、もっと文章を細かく区切って話すようにすると良いと思います。ダラダラと長い会話になると、本来伝えたかったことが正しく伝わらないことがあるからです。素人英語に聞こえても、それは自分が気にしているだけで相手はこちらが口にする言葉を一句一語聞き漏らさないよう、一生懸命に神経を集中してくれているのです。ネイティブスピーカーたちは、そのほとんどが英語を母国語としない人たちに接することに驚きを感じていないようです。むしろ私たちが一生懸命に伝えようとしているその姿勢に共感して、理解しようと努力さえしてくれます。オーストラリアを初めとする英語圏の国には、数多くの移民が住んでいます。生まれも育ちもその国でないケースがたくさんあります。ですからネイティブだけではないという認識が、国民全体に広がっているように感じます。それは私たち外国人にすると、とても嬉しいことでその期待に応えるべく意思疎通を図る努力を惜しまないようにしなければ、と思わせてくれるのです。一旦度胸が見につけば、それから先は怖いものなしです。間違ってもまた最初からやり直せばよいだけの話ですから。。。間違いを繰り返して、たくさん会話の経験を積んで成長していければそれで良いのだと思います。英語を勉強している人は私たち日本人だけではありません。そう思うと、自然に勇気が沸いてきませんか?
2006年10月21日
シドニーの町の至るところに公園があります。ノースシドニーと呼ばれる、シドニー市内から北へハーバーブリッジを渡った所にある地区は大きく分けてLower North ShoreとUpper North Shoreに区別されています。前者はシドニー市内に近い部分で、ハーバーブリッジを渡ってすぐの辺りになります。そして後者は更に北へ行った所になります。このノース地区は緑が多く、緑の中に住宅地があると言っても過言ではないでしょう。そして緑がある所には公園あり。芝が敷いてあるところやプレイグランドが中心となった公園など、様々なスタイルです。元々の自然を利用して公園を造った所もあります。国立公園です。その壮大なスケールには、行く度に心を洗われる気がします。私にとってはストレス解消にも最適でした。太陽の紫外線が気になる季節でも、こういった緑が多い公園であれば必ず日陰がありますから、木陰の下にマットを敷いてピクニックというのも素敵です。時間を気にせず、あくせくと場所取りをする必要も無い公園。駐車スペースも気になりません。大きな国立公園であれば整備された駐車場があり、入園料を取られることがあります。National Parkのガイドブックを見て、どこの公園が目的に合っているかを確認して行くと良いでしょう。ガイドブックは公園内の案内所などで無料で入手できます。天気の良い週末に、お弁当を持って出かけるのは何ものにも変えられません。。
2006年10月19日
他言語を勉強するには、その言語環境に身を置くことが最適だと思います。もちろんこれは理想で100%その環境にするには、もうその国へ行くしか方法はありません。それが果たして可能かどうか、今の自分には到底叶えられない夢と現実の狭間に心が揺れ動くこともあるでしょう。日常の中で使わない言葉は、私たちにとっては死語と言っても過言ではありません。その単語本来の意味を、使い勝手を、十分に理解できないし活かしてあげることができないからです。知っての通り一つの単語にも複数の意味があります。暗記で覚えた単語の意味は、リラックスした状況では問題なく頭の中から取り出すことができるかもしれませんが、緊迫して瞬時の回答を求められる時には活用できない可能性があります。いわゆる、過度の緊張による度忘れです。日頃から使い慣れている単語であれば、スムーズに口から出てきます。知らない単語や身近でない単語は、即座に言葉として発することができないのです。会話とは事前に期待していた時に成り立つものと、突然不意に発生するものとがあります。前者は気の会う友達同士での会話だったり、面接だったりします。それに比べて後者は、道端で突然声をかけられたり緊急事態の場合だと考えられます。前もって用意していた言葉であれば、ある程度心の準備ができていますがそうでなければ言葉に詰まってしまいます。緊張すると頭が空白になるのは、その良い例だと思います。私たちは互いに言葉を学んでいます。知らない単語を教えてもらったり教えたり、その度にその単語を自分のものにしていくことができるのです。自分自身もまた言葉の先生になりうるわけです。使われる単語もそのシーンごとに変わってきます。職業上使われる専門的な単語は最も分かりやすい例でしょう。日頃の生活では必要の無い単語が多く、でも仕事上は必要不可欠といったものです。これはもう単純に覚えるしか方法はありません。業務をこなしながら覚えていくものもあります。大変ですが、こうやって覚えた単語というのは簡単に忘れるものではありません。見に染み付くということでしょう。私たちの一生の中で、覚えられてしかも十分に活用できている単語はどのくらいあるのでしょうか。自分が知らないだけで、本当はもっと使い勝手の良い単語や言い回しが存在している可能性があります。いつもと違った表現をしただけで、より自分の意思に沿った内容を相手に伝えれるかもしれません。そう思うと、まだまだ日々の努力は必要とされ続いていくのです。。
2006年10月18日
シドニー時代の知人が最近パースへ移ったと聞きました。ご存知の方はいるかと思いますが、シドニーとパースはオーストラリア大陸で全く反対の位置にあります。日本国内を旅するより、よっぽと遠いのです。国内というより、ちょっとした海外旅行の感覚です。日本に居ると他県の人と知り合う機会は限られています。東京のような中心部へ行かないと、自分の身近で日本全国から来た人たちと出会うチャンスがありません。それを考えると、シドニーというオーストラリアの一都市で知り合った日本人同士は日本をぎゅっと凝縮したような感覚でしょう。さて、海外から国内への持込物チェックが厳しいオーストラリアですが、分かっていながらあれこれと工夫を凝らして日本の食べ物を持ち帰っていました。スーツケースの中を見せなければいけない場合もあれば、ちょっとした手荷物を見せるだけでOKとなる場合もあり、それは検査する検査官によってかなり違ってきます。厳しいことに変わりありませんが、所詮人間の手を要するもの。日に何度も同じ事を繰り返していると、だんだんとその検査も甘くなりがちです。毎度のことですが、荷物をおく台のところへ来ると、緊張感が漂います。きっと大丈夫だろうと、たかをくくっていますが”そのカバンの中も見せてください”と言われると、”これには何が入っていたかな?”とドキドキしてきます。私の知人は見事に全てを検査され、目の前で日本食をゴミ箱へ捨てられたそうです。思わずその場で”ここで全部食べます!”と言いたかったそうです。それに比べて日本の入国検査はそれほど厳しくなく、”申告するものは無いですよね?”という問いかけに”はい。”と答えるだけ。こんな検査で良いんだろうか?とこちらが申し訳ない気分になったものです。法律は度々変わりますから、またこれからもっと厳しくなる可能性はあります。これから渡航する方は、こまめにチェックして最新の情報を入手しておく必要があるでしょう。
2006年10月16日
日本人が英語を学ぶのも、外国人が日本語を学ぶのもその苦労にさほど違いは無いと思っています。外国人がぶつかる日本語の勉強の最難関ポイントは、読み書きのようです。アルファベットはそれだけですが、日本語はひらがな、カタカナ、漢字と3種類ありしかも漢字には音読みと訓読みがあります。熟語は組み合わせの漢字によってその読みに微妙な変形があり、これはもう覚えるしかありません。日本人の私たちですら時にその読み方が分からなかったりするのですから、日本語を母国語としない外国人がごちゃごちゃになってしまうのも無理ないでしょう。それでも努力する人は半年くらいで1000文字は暗記してしまうようです。先日、娘の小学校に来たオーストラリア人の先生は日本語を勉強中で、今年の3月に日本へ来て以来3000文字は覚えたそうですが、今確実に覚えているのはその中でも1000文字ほどだとか。。それでもそんな短期間で漢字を覚えたなんて凄いと感心してしまいました。私にはきっと無理だろうと想像がついたからです。文法が違うという根本的な事実があったとしても、この文字さえ覚えればどうにか読み書きができるというのとは大違いです。互いに言い分はあるでしょうが、努力を積み重ねた人だからこそこれだけの結果が残せるのだと思います。娘たちは今日本語の習得、特に読み書きに苦労しています。漢字の読み書きは私ですらどうやって覚えさせたらよいのか、ほとんど検討もつきません。ですが、ただ言える事は何回も書いて読んでを繰り返すこと。それしか覚える方法はないのです。本を読むのも良いでしょう。簡単な絵本程度のものから徐々に文字数が多いものへと移行していきます。最初から読む気が失せてしまう様な本は与えないようにしています。本屋へ行って本人たちが好きな、読みたいと思わせるようなものを選ばせるように心がけています。決して私自身が読んで欲しいと思うような本ではなく。。言語習得への道は長く、そして根気がいるものです。自分の生活に全く関係のないものであるケースが多いので、ついついダラけてしまいがちです。英語が無くても日本では生活できます。そこまでして勉強するほどの強い意思が無ければ、到底継続することは不可能ではないでしょうか。私たちは生きるか死ぬか追い詰められて、初めて一生懸命に物事に取り組もうとする(重い腰を上げようとする)動物のようです。どうしても楽な方へと動きがちです。私自身、現在独学で勉強していることがあり、それも毎日の生活で決して必要不可欠というものではない(生きるか死ぬかの死活問題ではない)ため、ついつい怠けてしまう時があります。今日は疲れているから、とか自分なりの理由を正当化し明日へまわそうとしてまいます。そして翌日には大きな後悔の念が押し寄せてくるのです。。そんな経験、誰でもあるのではないでしょうか。明日の仕事に必要不可欠だという理由でないのなら、別に今日疲れているのを必死で眠い目をこすりながら勉強する必要性はどこにもないのです。そう思いませんか?結局、どこまで究極の状況へ自分自身を追い詰めることができるかだと思います。
2006年10月15日
とにかく日本は何でも物が安く、とことん安く生活をしようと思ったら手段はたくさんあります。考え付く物は何でもあると言ってもよいかもしれません。そんな国から海外へ行くと、そのギャップに驚きと戸惑いを感じるても決して珍しくありません。これまで何不自由なく生活してきた私たちにとって、海外生活とはある意味試練の場かもしれません。我慢する、妥協するという点がかなり鍛えられます。元々忍耐強い人はそれほど違和感を感じないかもしれません。日本と同じような感覚で行ってしまうと耐えれないことがあるでしょう。と、ここまではかなり現実的な目線で書きましたが、もちろん忍耐ばかりではありません。楽しいこと、日本では経験できないような事もたくさんあります。生活スタイルの違いがとても新鮮で、それが自分の求めていたものに近ければ天国のようだと感じるかもしれません。その両方を体験して初めて海外生活の本質を実感できるのではないでしょうか。国が違えば歴史や文化、生活習慣も異なってきます。当たり前のことで頭では十分理解しているのですが、実際に自分がそんな環境に身を置くと”こんなにも違うんだ”と改めて感じることでしょう。私はこんな経験をより多くの日本の若い人たちに経験して欲しいと思っています。気を引き締めるという意味では、違う世界を垣間見て自分なりの結論を出して行動していける海外生活は、人生においてお金では買えない貴重な体験になることと思います。
2006年10月14日
語学留学をすることを諦めきれずに、新たな決意をする人たちがいます。一旦は社会人になったものの、このままで自分の人生は終わってしまうのだろうかと感じた時からその決断への道を歩き始めているのだと思います。仕事を始めて間もない頃は、覚えることが多くオフィスの雰囲気が今までの自分の生活環境にはなかったということもあり、ひたすらと仕事に打ち込む人が多いのではないでしょうか。その一段階を終えた頃が、気持ち的にもゆとりができ仕事中にも様々な事に頭が回る時だと思います。私は仕事に就いた時に漠然とした目標を持っていて、でも具体的でないその夢に現実味を感じることができませんでした。無計画ではないけれど、計画的でもなかったとても中途半端な時期でもありました。実家から通っていたので、収入のほとんどは自分の為に貯蓄していました。いつか叶うかもしれない夢への準備。。それがやがてだんだん現実味を帯びてくるようになったのです。毎日の仕事が淡々としていて、このままでは突発的なことでもない限り自分は一生この会社にいることになるだろう。そしてそれは私の人生そのものを意味するんだと。そう思った途端、やっぱり私はこのままでは嫌だと思ったのです、自分の夢を諦めきれないと。その当時の私の夢、それは海外へ行って英語環境に漬かり英語を習得する事、そして現地生活を体験するという事でした。異文化体験にもとても興味がありました。今となって思うのは、やはり自分のやりたいことに忠実に行動したのは良かったということです。どんな結果が出るかは分かりませんが、夢へのチャレンジです。若かったからできたことかもしれません。今は、あの時にもしそのままその職場に留まっていたらきっと後悔していただろうな、と思います。無計画はいけませんが、行動をしないことには何も始まりません。日々の英語の勉強もそうでしょう。いつも考えてはいるけれど、なかなか自分に厳しくなれない人はたくさんいると思います。そしてその気持ちはよく分かります。いつかはやってみよう、そう思っている人もたくさんいることでしょう。"One day will never come."私がよく使う言い回しです。いつかは、という気持ちはすでに逃げの体勢に入っているような気がします。私自身、自分にそう言って聞かせていました。そして自分の行動へと結びつけるのです。今でなくていつやるの?そういう気持ちで、常に、自分の気持ちを最高の場所に維持しておくことが大切だろうと思います。具体的な時期を決めれなくても、ある程度の時間的目安は必要だと思います。当座、最終期限はブランクになっていてもその間を埋めることはできます。そこが大切なポイントだろうと思います。一旦期限を決めてしまえば自分の中で踏ん切りがつきます。口に出して公言してみるのもよいでしょう。人に言ってしまえば、それをやらない限り自分の信用性にかかってきますから。。自分で自分をどんどん追い込んで、やらざるを得ないような状況に持っていくのです。私たちはプライドがありますから、そのプライドを上手く利用するということでしょう。勉強に躓いたら、今日の日記を思い返してもらえればと思います。。
2006年10月13日
オーストラリアはワインの産地としても有名です。知っている人は知っている事実です。私自身、それほどワイン通というわけではなく楽しくお酒が飲めると良い方なのであまり詳しくありませんが、シドニーから車で約3時間ほどの所にあるハンターバレーというワインの産地には結構通いました。ノースシドニーからフリーウェイでひたすら北西へ進みます。その名のごとくフリー(無料)で乗れる高速道路です。日本の高速のように途中”P”が頻繁にありません。簡単なトイレ休憩のような場所はあったりしますが、きちんと食事もできるようなところは数か限られています。その休憩所に多く見られるのが”M"マーク。日本でもあちこちにありますね。そうです、マクドナルドです。普段あまり行かないような店でも、こういう時は何の抵抗も無く足が向いてしまいます。さすがに大人気で、家族連れがたくさん食事をしています。シドニーからCessnockという出口まではほとんど休憩所がありません。もちろんマクドナルドも見かけません。私が居た頃はそうですが、今は進展があるかもしれません。。ワイナリーとはその名のごとく、地区一体にブドウ畑が広がっています。傾斜した道を進んでいき、名前に惹かれて立ち寄ることもあれば雰囲気で魅了されることもあります。事前にどこのワイナリーが有名かを調べて行くなんてことはしません。行き当たりばったりで、その時に立ち寄ってみたいと感じた所へ行くのです。ワイン通でないからこそできることだと思います。 笑ワインというよりは料理をメインに行くこともあります。夏はブドウ畑も青々として目にとっても良い季節です。涼しそうなデッキが作られてあるレストランへ寄って遅めのランチを取ります。他の訪問客はそんなにいないようなところでも、ゆっくりと落ち着いて食事ができ、そこのワイナリーで製造されたワインを注文します。ただしそうなると日本では最近益々厳しくなっていますが、飲酒運転の危険性が出てきます。常識的に考えてワイナリーへ行く人がワインを飲まないわけが無い、という訳で警察も馬鹿ではありません。ワイナリーをちょっと出たところで待ち伏せして、飲酒運転を検挙することがあります。ですから、飲んだ後にすぐ出発するのではなくランチ時間をゆっくりと取って酔いを醒ますようにしていました。ただ、思いっきりは飲めないので多少量を考えながらですが。。オーダーストップの後は、お喋りを楽しみながら広々としたブドウ畑の眺めを楽しみます。観光客がたくさん立ち寄るワイナリーがあります。地元の人たちにも人気です。ワインテイスティング(試飲)をせずに、ただお気に入りのワインを買いにくる人たちもいます。試飲はたいていどこのワイナリーでもやっています。準備されてなくても、その店の人へ聞けば”どれを試してみたいの?”と聞かれ、体験することが可能です。ただし、どの種類でもOKとはいかず、試飲できるものは限られているケースがほとんどです。試飲のワインを全部飲んでいると、次のワイナリーへ行く前に酔っ払ってしまい大変なことになりますから、正しい試飲方法を知っておくことが大切でしょう。本当に楽しい一日を過ごすことができます。ゲストハウスを兼ねている所もありますから、週末に1泊してもよいかもしれません。私の中では、考えれば考えるほどまた行きたい、と思える場所の一つになっています。
2006年10月12日
思い込みとは時にはとても大きな間違いとなって、相手に迷惑をかけてしまうことがあります。日本語ですらあるのですから、英語であれば尚の事。自分の勝手な想像で問題を解決してしまい、それで満足していたら後から大事になってしまっていた。。そんな経験ありませんか?その瞬間にちょっとおかしいな、と感じても自分なりの理由がつけばそれ以降は問題を追及しようとしません。勝手に自分の中で解決してしまっているのです。だいたいがおっちょこちょいの性格なので、小さい頃から似たような経験はしていたのですが。。英語であれば聞き取れてなかったり、違う意味に解釈してしまってたりで、相手の意思を間違って解釈してしまうことがあります。日本語よりその可能性が大きいと言えるかもしれません。そこで疑問に感じなければ仕方ありませんが、少しでも不安が残るようなら絶対に相手に聞き返すことが必要だと思います。逆に日本語がたどたどしい外国人に、何を聞いてもYESの答えが返ってきて二進も三進もいかないということがあります。分かっているようで実はちゃんと理解できてない証拠だと思います。それと同じ事を私たちもしてしまっているかもしれないということですね。私は一つ間違うと、その後しばらく尾を引いてしまっていることがあります。なぜあの時にこうしなかったのだろう、なぜあの人はあの時こう言わなかったのだろう。。その答えが絶対出るわけではないのに、気になって仕方ないのです。完璧主義者かもしれません。間違っていること、間違いを起こしてしまった自分にとても腹が立ち、責めてしまいます。冷静になって考えてみると分かることかもしれません。ですがその時はそんな気持ちの余裕がなかったり、体裁を気にしてしまってたりで、正しい方向へ進めてなかったのです。母国語でない言語だからこそ、互いに気を使いながら話を進めていく必要があります。難しいことであれば、一つ一つ確認しながら話をすべきでしょう。中途半端で分かった振りをした答えだと、いつか化けの皮が剥がれますし、何より相手に迷惑をかけてしまうかもしれません。公的なものであれば、取り返しのつかない事態にまで発展してしまうかもしれません。言葉は表情や行動以外で一番相手に意思を伝えやすい方法です。その言葉を伝えるときに、嘘であれば相手に顔を見てばれてしまうこともあります。顔が物語っているということです。行動が挙動不審になったり。。自信が無いときも分かってしまいます。私はこれを何度と無く経験しました。そんな身構える相手の態度を見ると、また余計に緊張が高まってくるのです。ここまでくると悪循環の繰り返しですね。
2006年10月11日
子供にとって第二の言語を学ぶということは、大人が想像するように難しいのでしょうか。年齢が低ければ低いほど、その吸収速度が速いというのは私自身の娘たちの姿を見ていると、実感できます。うちの場合、オーストラリアで生まれ育って小学校の低学年を向こうで経験して日本へ帰ってきたので、全く逆の立場ではあります。ですが、第二言語を学ぶという点では類似する点がたくさんあるように思います。個人差ももちろんありますが、妹の方が小学校二年生という低学年で漢字などもそれほど難しくないからでしょうか、カタカナを含め日本語を気持ちよいほどスムーズに習得していっている気がします。お姉ちゃんを見ていると、ちょっと可愛そうなくらいその差が歴然としていて、比較するのは良くないと分かっていながらもついつい気がついたら比べてしまっている自分がいます。自分はどうせ分からないから授業を聞いてなくても関係ない。そう思っているふしがあります。今はまさに悪循環の真っ只中で、親として本当に悩まされ続けています。現在日本の教育システムでは帰国子女に対する日本語教育が提供されており、他の生徒たちが授業を受けている中で別室にて個別で日本語の授業を受けることができるのです。もっと早くに知っていればと思いますが、早速学校へ相談してその先生を派遣していただくことになりました。まだ実際に授業は始まってませんが、先生が決まると親と担任とその先生で面談をし、どういった方向で授業を進めていくかを話し合うそうです。確かにシドニーにいた頃、小学校で英語を母国語としない子供たちのために英語の特別授業が行われていました。父親の都合で海外赴任をする家庭の子供たちや家族揃って移住してくる家庭の子供たちを対象に行われています。日本にもそれと似たような制度があることに驚きましたし、感謝したい気持ちでいっぱいです。聞いているだけで単語は耳から入ってきます。意味が分からなくても周りの生徒たちの反応を見たり、教えてもらったりして授業中はどうにかやりくりしているようですが、本当に本人の身の為になっているかと言えば、ちょっと疑問視していた矢先のことでした。どこかで歯止めをかけないと。。。一旦そんな焦りが沸いてくると、後はとどまるところを知りません。益々心配になってきて、単に学校での時間が過ぎているのでは?と思わずにいられなくなりました。シドニー時代、次女のクラスに日本から来た女の子が転入してきたことがありました。英語の英の字も全く分からない子でしたが、見る見るうちに英語を吸収していっていたのを覚えています。最初は学校に行きたくないといって親を困らせていたそうですが、やがてそんな学校にも慣れてきて少しずつ英単語が口から出てくるようになりました。ある日突然その子と話をしたら、日本語ではなく英語が出てきたのには本当にびっくりしましたし、感心もしました。子供の吸収力というのは本当に凄いなと実感したものです。今日、学校で授業参観がありました。不定期で行われている英語の授業でした。オーストラリアから来た先生を中心に授業が始まり、子供たちは楽しくゲームをしながら英語の発音などを学んでいました。子供が勉強する上で大切なのは、楽しみながら学ぶことかもしれません。特に低学年の子供たちはそうではないでしょうか。。今は親が心配するまでもなく、自分が興味を持てば自ずと学びたいという気持ちが芽生えることに気がついてくれることを願っています。
2006年10月10日
言語は耳から入っていくものだと、常々感じています。聞いて理解してそして応答する。その流れはいつも変わらないと信じています。耳で聞いて理解できないとき、それを分かった振りするのではなく理解できるまで努力することが大切だろうと思います。自分が英語に触れ初めた時のことを思い返してみます。最初は知らない単語が次々と耳に入ってき、頭の中がパニック状態ですがそれを乗り越えた時にスムーズに英語が耳に入ってくるようになったと記憶しています。ある時を境にそれは始まり、気がつかないままいつの間にか英語が苦でなくなっている自分に気がつきました。分からない時は英語に触れることが恐怖とさえ思え、先に進むことが怖かったものです。また聞かれて分からなかったらどうしよう。。。何度も聞き返すと相手が諦めて会話が続かないのでは。。。その恐怖から逃れることができなくなり、次第に口数が少なくなってしまった時がありました。オーストラリア人は移民が多い国柄からか、英語をスムーズに話せない人たちとの対話場面が数多くあります。そんな社会で、一個人の私が英語を上手く話せなくても何ら問題はないわけです。人によってはかなり親切に忍耐強く話しに耳を傾けてくれます。これはオーストラリア人だけではなく、他の英語圏の人たちでも同じかもしれません。私はオーストラリアにしか滞在したことがないので偉そうなことは言えませんが、自分が体験したことは自分自身が良く分かっています。日本にいる外国人は日本人が日本語社会だということを分かっているのに、なぜか英語で話そうとする傾向があります。もし日本人がオーストラリアで現地の人に日本語で道を尋ねようとしても、首を傾げられるか呆れられるかするだけでしょう。英語が全世界で共通の言語だという認識が完全に間違っているとは言えないかも知れません。ですが、郷に入れば郷に従えと言います。その国で使われる言語を話そうとする努力は見せるべきでしょう。何の為に滞在しているのか、その意味が分からなくなってしまうし、分からないのは最初から知っていることだからそこを努力しないのでれば、最初から来るべきではなかったのかもしれません。。ですが、私たちは中学から英語を学びますから多少理解できる部分はあります。ですから英語で聞かれて英語で答えようとします。これは日本人の気質から来ているとも言えるでしょう。相手に合わせようとする集団行動の意識です。凄いことだと思います。忍耐強い国民性だと言えます。決して日本に滞在している外国人を悪く言ってる訳ではありません。私たちが英語圏に身を置いた時にどういった行動を取るべきか真剣に考えると、おのずとその答えが出ているように思うのです。言語は使わないと記憶から遠のいていきます。完全に忘れてしまうことはできないでしょうが、瞬時にして頭の中に出てこないことがあると思います。これは度忘れとも言えます。耳から入ってくる音を聞いて、頭の中でそれにマッチする意味を取り出す作業。これが最初の一歩。そしてそこからは自分の番です。記憶の中にある知っている限りの単語を並べて会話を成立させようとする努力が始まるのです。
2006年10月09日
オーストラリアから福岡へ帰国して就職探しをしました。結局地元で英語を使った仕事につけたのは、すでに半年くらい過ぎてのことでした。その間の長かったこと。。まず私自身に欠けていたのは日本社会での実務経験だろうと思います。日本で社会人経験をしたのは2年足らず。その後はオーストラリアでの職務経験の方が長くなってしまい、日本人として求められる常識や謙虚な振る舞いが欠如していたのではないかと、今振り返って実感しています。長年の海外生活から得た独特の考え方は、福岡のような地方都市ではあまり歓迎されないのかもしれません。”お茶くみが毎朝の日課で、決して業務内容の一つではありませんがやはり女性ですから、その辺は分かっていただけますよね?”といった説明をいただいたこともあります。もちろん面接時は肯定しますが、結果は。。。どんな質問にも前向きに答えていたと自負しています。しかし、面接する側は見るところはちゃんと見ているのでしょう。。オーストラリアでは転職する時が年俸が上がるビッグチャンスと考えられており、私も例外なくその習慣に従いました。それが返って日本では”この人はあまりに職を転々としすぎる。”と取られてしまった可能性もあります。確かに断られた理由にそれがあったこともありました。それでは海外生活をした人は日本での就職は難しいのかというと、そうも言えません。大阪より東の方では英語を必要とする職がたくさんありましたし、その中には外資系の企業や海外とのやり取りが頻繁に行われているところもありました。そういった企業は外国人のボスがいたりするケースがあり、採用時の方針も100%日本企業とは異なってくるでしょう。今となっては想像の域を出ませんが、就職に失敗した背景にはやはり私自身に何か合点のいかないところがあったのでしょう。以前就職活動をしていた時、派遣会社の人から”福岡で英語を使った仕事を探していた人が普通の職につき、やっぱり自分には合わないと言って辞めていきました。そして東京へ引越しをしたんですよ。あちらの方は、ここよりもっとたくさん英語を必要とする職があるんですよね。”と聞きました。本当の話ですが、そこまでしなければやはり地元では就職は無理なのかなと落ち込んだ時期でもありました。その派遣会社の方は私のためを思ってアドバイスしてくれたのでしょうが、結果逆効果になってしまったのです。私のようなケースはそうそうあるとは思えませんが、留学すれば比較的簡単に仕事につけると決め付けるのは安易な考えではないでしょうか。日本国内でも就職難でフリーターやパートで仕事をする人がたくさんいて、無職の人たちもまたたくさん存在するわけです。英語という武器だけでは勝てない時があるんだという認識をしていた方が良いと思います。何といってもここは日本語を公用語とする日本国ですから。。数的には圧倒的に日本語を話す職務が多いと思います。今の仕事は英語を必要としますが、面接時に”英語のレベルはどのくらいですか?何か証明するものありますか?”と聞かれました。しかし、私は英語の実力を証明する資格など全く取ってなかったのでその返答にはかなり苦労しました。考えた末、ありのままのことを伝えた方が良いだろう、それで駄目ならまた他を当たろうと決心し、”英語はオーストラリアに10年以上住んでいて資格を取る必要性がなかったため、特に習得していません。ですが、前回の職場は取引先が現地の会社がほとんどで、社内にもオーストラリア人スタッフがいたので、コミュニケーションを取るに何ら問題はありませんでした。”と答えたのです。ものは言いようだと思いました。資格を所有していないと明らかに不利な立場に追い込まれそうですが、そこをマイナスのイメージとならないような回答をし、特に取り上げられませんでした。採用、不採用の理由は面接官にしか分かりませんが、何度も面接を繰り返していくうちに面接慣れしてきます。そうすると、自然と面接官の考えや気持ちが読めるようになってくるのです。何事も慣れでしょうか。。私のケースはあまり胸を張って言える様なことではないと思いますが、転職を重ねた結果経験として面接時の受け答え方を学んできたようです。面接で緊張することはほとんどありません。これが駄目なら次を、というプラス思考で取り組めばきっと求める職につけるはずです。病気と同じで気持ち次第で良いようにも悪いようにもなります。駄目だと思えば、とことん自分は駄目人間だというレッテルを自分自身に貼ってしまいます。私のような人間ですら日本で再就職できたのですから、今一生懸命に英語の勉強を頑張っている人たちにできないわけはありません。落ち込むこともあるかと思いますが、是非とも前向きな姿勢でいつも頑張って欲しいと願っています。
2006年10月05日
工業製品が割高という印象は全くありませんでしたが、実際にシドニーに住んでみるとシャンプーやコンディショナー(リンスとは呼びません)、ボディーソープ、ティッシュ、歯磨き粉、歯ブラシなど、日本ではあらゆるドラッグストアで安価に手に入るような物が思った以上に高価で、日本から送ってもらう物があればその箱の隙間を埋めるようにポケットティッシュを入れてもらっていました。それや日本へ一時帰国した時に、持てる限りの物をスーツケースに詰めて帰ってきてました。たまに帰る日本はお買い物パラダイスで、実家の近所のスーパーへで一日潰せるほどでした。それだけオーストラリアが健全な国なのかな、とも感じていました。日本では物が溢れ過ぎており、その大切さを実感できないまま次の新しい物へと目移りしてしまいます。先進国の中でもトップを行く日本ですから当たり前の話でしょうが、そんな国からオーストラリアへ行った当初、カルチャーショックを実感しました。”そんなもの薬局へ行けばあるはず”そういった安易な思い込みがあったために、失敗した経験はたくさんあります。10数年以上前、ブリスベンのホームステイ近辺にあった小さな薬局。そこに日本から輸入したのか、個人的に購入したものを店頭に置いてあったのか定かでありませんが、たった一箱のサロンパスが並べてあったのを覚えています。しかもうっすらと埃をかぶっていました。そんな田舎で今まで一度もサロンパスを見たことがなく、そういったものが存在することすら知らない人たちがいる中で、一瞬ホームシックにかかりかけていた私の心を暖かくしてくれた物でもあったのです。日本では当たり前のように販売されている物でも、海外では存在自体を知られていない物もあります。無ければ無いで生きていけます。実際にその現地の人たちは、何ら日常生活に困った様子も無く、現実を純粋に受け止めて彼らなりの生活を楽しんでいるのです。なかなかできない体験をさせてもらったなと、今では良い思いでとなって私の心の中に残っています。
2006年10月03日
娘が学校の図書館から絵本を借りてきました。表紙を見てその本の題名を普通に読んだ所、”どうしてどっちから読むって分かるの?”という質問が返ってきました。状況を説明しますと、その本の表紙にはタイトルが右読みで二行書かれてあり、日本人の感覚から普通に右の行から読んだのです。それがとても不思議だったのか、上記のような質問が返ってきたのです。私は単純に”日本語の文法はそういう決まりだからね”、と答えました。英語は左から右へと読んでいきます。日本のそれとは全く逆の感覚です。本にしても右開きですが、英語の場合は左から右のページへと読み進めます。当たり前のように読んだところ、思わぬところで娘から尋ねられ私も適当な答えが思い浮かびませんでした。本であればその表紙からだいたいどっちが1ページ目か推測できます。それにページ数が記載されているので、大抵の場合問題ありません。読み慣れていると当たり前に感じますがこれも文法の違いといったところなのでしょうか。縦書きができるのも日本語と英語の大きな違いです。アルファベットを縦書きにすると、いかにも読みにくそうな気がします。これもまた慣れてしまえば、何でもないことなのでしょうか。。習慣とは恐ろしいものだな、と感じました。英単語は単語ごとにスペースを必要としますが、日本語の場合句読点で区切らない限りどこまでが単語なのか間接後なのか、外国人には分かりにくいだろうと想像できます。初心者に親切なのは英語の方かな、と個人的に思ったりしています。
2006年10月02日
言葉とは使わないと度忘れすることが多々あります。オーストラリアに居た頃は漢字や熟語を度忘れすることが多く、もう少しで出てきそうだけど出てこない、すっきりとしない気持ちになったことがたくさんありました。日本へ帰ってきたら、日常の生活が日本語主流になりふとした単語やスペルが出てこないことがあります。言葉は使わないと記憶の中で薄くなっていくんだな、、と感じている今日この頃です。ですから日本で英語の勉強をしていると、日々の生活で使わない為、必要な時にさっと口から出てこないことがあります。その単語を勉強していた時は、はっきりとスペルの一つ一つを覚えていたのにいざとなるとスムーズに出てきません。これは至って当たり前の現象で、それに対して落ち込む必要はありませんがせっかく覚えた単語を活かせないのでは、それに費やした時間がとてももったいないと思います。英会話は、そんな場を提供されない限りなかなか継続して定期的に使う機会がありません。本来なら、苦労なくして自分の周り全てを英語環境にすることが理想的ですが日本に住んでいるとなかなかそうもいきません。そんな環境の中、いかに日々英語に触れるかがポイントとなってくることでしょう。忘れかかっている単語を耳にすると、その時の状況が頭の中によみがえってきます。それを再度忘れないよう頭の中で準備万端の状態にして、次に使う機会を待つことができれば文句なしだな、と思っています。
2006年10月01日
全21件 (21件中 1-21件目)
1