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砂糖キビ・沖縄旅行番外編 最後に今回の旅を通してずっと気になっていた光景が上のものである。毎日バスの車窓からこれを眺め続けていた。それは常にサトウキビ畑と一体であった、しかしそれはススキか萱の穂先にしか見えない。最初の二日くらいはキビ畑の雑草と思っていた。 戦中戦後に幼年時代を過した私は祖母が屋敷内に作ってくれたサトウキビをかじっておやつ代わりとしていた。甘いものはそれしかなかった。サトウキビに花が咲くなど見たことも聞いたこともない。しかし日が進むにつれて、ススキに穂が出るのであれば砂糖キビにも穂が出ても良いのではないかと思えるようになって来た。 旅の最後の日ガイドが言った。かって農林大臣が沖縄を視察に訪れ、「沖縄の農民はなまけものだ、キビ畑のススキをなぜ除かないのか」農民は吃驚して答えた。「あれはススキではありません。穂が出るまでサトウキビの収穫は出来ません」 んん・・ やっぱりあれは砂糖キビだったんだ !!! サトウキビは暖地の作物である。本土以北では冬キビが育つことはない。私の おやつがそうであったように、きびは春先に植えられ夏にこれをかじった花など咲く暇はない。一方よく聞いてみると沖縄では一年中育つため、秋に植え付け、一年半近く経って足掛け3年後に冬収穫されるものらしい。花が咲きそろった1月辺りからが収穫期らしい。したがって今の時期収穫が始まっていると同時に隣の畑にはまだ小さくて青々とし成長中の来年収穫されるキビ畑も多く見かける。 キビ畑と書いたが、そういえばこれはキビの類なんだ。キビと言えばキビ団子が思い浮かぶ。桃太郎君の昼ご飯は当然キビの穂から取れる穀物を粉にして団子にしたものだろう。そうすると穂が出て実がなるのも何の不思議でもない。このような誤解を生むのはサトウキビは種をまいて増やすものではないからだろう。私の記憶では砂糖キビそのものを土中に埋めると節から芽が出て茎が成長する。 成長期に収穫するより花が咲く時期のほうが糖度が高いのであろう。このことは今回の旅で一番の発見であった。三つ子の魂百までというが、70年以上生きてきて人生を終える前にサトウキビの真の姿を知った次第。これだから旅は止められない!!!
2009.01.28
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石垣島沖縄旅行最終日、石垣全日空ホテルの前庭に出て見ると結婚式用であろうチャペルが見える。記念撮影用に配置された池や芝生、花壇と厳かな雰囲気は微塵も感じられないが 小奇麗に出来ている。 実は下の植物を探して庭に出たのである。この植物の名はアダン(阿檀)、Jack Fruits のミニアチュアと言った感じであるが、実は硬くてとても食せないとのこと。貧しかった昔、この木の新芽を食したそうで、実は我々が前夜食した沖縄風会席膳に出たので給仕の人に聞き見てみたいと探したのであった。硬い柿かパイナップルの芯のような食感でとても美味しいとは言えずいま食べられていないと言うのが納得できる。 この日のツアーはまず、天然記念物とかで八重山椰子林を見に行った。 何の変哲もなさそうであるが、根が常に生え変わっており、気根状になっているのが特徴だそうである。 バスは石垣島を北上して最後の訪問地川平湾を目指す。途中の小高い所から見下す川平湾は松島湾の水を熱帯の水と入れ替えたような景観。 グラスボトムボートで珊瑚礁の見物に出かける。遊泳も漁も禁止されているとあって生態系は豊に保たれている。惜しむらくはこの世界有数の豊かな珊瑚礁は造礁珊瑚のため色彩に乏しく地味である。魚達も熱帯地方のそれに比べてやはり地味で、家庭の水槽のような訳にはゆかない。 それでも巨大なシャコガイを多く見かけたのは収穫であった。 地味な珊瑚の中で先端が青色発光ダイオードのような軟体珊瑚が美しかった。ただこれは海ホタルや発光くらげのようなBioluminescenceではなく珊瑚の成長点が光っているように見えるだけだそうだ。 ともあれこれで今回の沖縄旅行全ての観光を終えた。川平湾から振り返って見ると、沖縄県の最高峰於茂登岳(526m)が控えている。考えてみると今回の旅で山を振り仰ぐことは無かった。やはり沖縄は海の国なのである。しかしこの山の山容は素晴らしい。あたり一帯はジャングルで登山には向いていないようだ。 今回の沖縄旅行も無事終えて南方への国内旅行がを開始できた。これからすこしずつ南方中心に旅することにしよう。
2009.01.25
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由布島熱帯植物園 水牛車に乗って由布島に渡るとそこは島全体が熱帯植物園と言って良い。かっては小学校もあったそうだが台風被害が島全体にわたり、ほとんどの住民が移住して今は植物園を経営する一族だけが残っているという。 椰子林の中にあるグリーンハウスに色とりどりのブーゲンビレアがある。本来種は紫色だそうだが赤色、紫系、ピンク系、黄ー白系と実に賑やかである。かなりな品種改良がなされているとみえる。 外は椰子やデイゴの林で覆われた心地いい領域で南国情緒十分 赤い鮮やかな花はネムノ木の仲間だろう、オオベニゴウカン(赤カリアンドラ、アカバナブラシマメ、Red Powder Puffなどの別名あり)、漢字で書くと大紅合歓だが、オオベニネムノキが相応しいと思った。 黄花ハイビスカスも珍しいのではないだろうか。 以前アンコールワット地方で巨大なのを良く見かけたが、沖縄でも各地で下のようなガジュマルの木(榕樹)を見かけた。この木は「木を容れる」などと言う大人しいものではなく大木でも絞め殺す獰猛な木である。花の並木を通って牛車の待つ浜へと急いだ。
2009.01.25
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西表島ー由布島ー竹富島昨夕遅く宮古から石垣島へ空路移動した。 朝にはめっぽう弱い我々にとって二日続けて6時にアラームはきつい。日の出が遅い沖縄では目覚めてしばらくしての日の出でまばゆい光景。おかげで午前中はエンジンがアイドリング状態でかったるい。朝8:30のフェリーで西表島へと向かう。空港にはValentineさんの写真。そう言えば2月になると宮古島ではオリックス、石垣島ではマリーンズがキャンプを張る。宮古では今年もイチローが来るかなどと期待されている。 高速艇で西表島に着くとシャトルバスが待ち構えており、仲間川のマングローブ林への小船クルーズ。熱帯でよく見るマングローブ森で定石通り椰子蟹を見たり冠鷲を見たりしてサキシマスオウの木を見物する。 マングローブの森 冠鷲 サキシマスオウの木:この帯状根は船の櫂に適している 由布島 仲間川を後にしてバスで北上し、美原から水牛車で由布島に渡る。かって農耕用に移入された水牛だが今は観光用。熱帯の動物らしくその歩みはあくまで遅いと言うよりのろい。ここではそれぞれ名前を持ち牛車には履歴書が張られている。御者の言葉は人間に話しかけるのと全く同じで鞭は居れない。それにしても数台かと思ったら時刻表まであって渋滞しそうな光景である。島の熱帯植物園はなかなかのもので、別項を設けることにする。 竹富島 この日は忙しい、由布島から大原港に取って返し竹富島へのフェリーに乗る。この竹富島は全体に赤瓦を白い漆喰で固定して台風に備えた屋根、そして屋根には災難や悪霊から守ってくれる怖い顔をしたシーサーが飾られている。彼らは災難が入ってきそうな方向を睨んでいる。暴風から守るため各家は珊瑚岩を積み上げた石塀で囲われている。 シーサー像には特徴があるので作家がいるかと思ったが、瓦職人が作るそうだ。珊瑚砂の真っ白い道路、石垣、家々に溢れるブーゲンビリアの花。個人的には今回の旅でで一番の見所と思っている。この村散歩もひとに追い越され、犬猫に追い越され日陰に入ると休んでしまう水牛の引く車での観光である。御者も決して鞭を入れたりはせず「動いてください慎太郎君」などと話しかける。 それにしてもどうやったらこんなにゆっくり歩めるのだろう。もっとも普通に歩いたらすぐ終わって稼ぎにはならないかもしれない。 島踊りがもようされる島のセンター広場には県木デイゴが花を咲かせる南国の春を待ちわびている。 竹富港から石垣島へはフェリーで10分余の指呼の距離。台風に備えて低層の白いコンクリート建築の町並みが海の色とマッチして11月に訪れた地中海に望むチュニジアの町チュニスを思い起こさせてくれた。
2009.01.25
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池間島ー砂山ビーチー市中ー来間島前回の蝶の数え方、信じられませんが1頭2頭だそうです。 みやこパラダイスの次に訪れたのは西平安名崎。前々回のブログを思い出してください、東平安名崎は東から太陽が上がるのでアガリヘンナザキでした。そうです、日の入りは西の方向です。ですからここはイリヘンナザキです。 そう言えば西表島は・・・・ですよね。 3機の風車の向こう側は池間島です、この岬に平行して右側には美しい池間大橋があります。 岬を引き返して1425mある橋の端から眺めた池間島は霞んで見えます。どこかの引越しセンターのCMでTVに流れていたそうです。 岬や橋から眺めた浅い珊瑚海の色は南国そのものでした。 島から帰り、バスを降りて素足になり2,30メートルの砂山を越すと洞穴と真っ白な砂浜の小さなビーチに出る。なんとそこは無人の海水浴場で、手のひらを砂に押し付けてよく見ると結構星砂が掌についてくる。持参の拡大鏡で見ると簡単に探せる。星砂にも2種類あって、綺麗な星型もあるが多くはずん胴な丸型に突起が生えたU-フォーみたいなの多い。それを数えれば1回手を砂浜に当てると4-5個はついてきた。バスが宮古島市の中心に通ったときガイドの指す方を見ると小さな岩。高さ1.43メートルの「人頭税石」、昔歳に関係なくこれより大きな人は男は粟を女は宮古上布を納めさせられたそうだ。 市中を過ぎたバスはこの日最後の訪問地、来間島へと向かう。この1690mの来間大橋はなんと正式には農道だそうである。観光客以外の通行人の数はまさに農道だろうが、ピンと来ない。良くは分からないが、多分農村振興費とか何とかで農林省の予算で作ったのでそう呼ぶのだろう。海亀も見られると言う珊瑚海のきれいな 素晴らしい観光農道である。宮古島には3年後、もう一本伊良部島との間に橋が架かるそうである。 バスガイドさんは毎日この伊良部島から15分フェリーで通っている相で、家から伊良部の港まで、そして宮古でも港から会社までと2台の車が通勤車として必要だそうである。橋が出来ると車も一台で済み、島民の生活が変わると大いに期待していた。こんなきれいな橋なら少し無駄であっても良いのかななどと思ってしまった。 これで宮古島は終わりであるが多くの島々からなる沖縄県の中で宮古島は特異なのだそうだ。他の島と違い弱アルカリ性の赤土ではパイナップルが全く育たず、土地がフラットで山や川が無いに等しい。この島だけには毒蛇のハブも居ない。これらの特徴は珊瑚礁が隆起して島が生成した後一度海中に没していろいろな成分を堆積し、再隆起したためハブも絶滅したままなのだそうである。もう一つガイド嬢の説明によると、水は豊富で旱魃の心配がないそうである。川のないこの島ではかっては水不足で農作物も限られていたが今は農作物の種類も増え水は有り余っているよぷだ。それは巨大な地下ダムが3つあるためで、今4つ目が建設されており将来的には伊良部島へも給水されると言うのだ。実はこのダムというのは台風のメッカ宮古に降った雨が地下の多穴質珊瑚にたまり、その水脈をコンクリートの人工壁で囲って海への流出を防ぎ留め必要に応じて汲み上げているというのだ。そして家庭や畑に給水され、とてつもなく安く給水されているというのである。サトウキビ畑にはスプリンクラーが設置されており、年間の水道代も千円台で破格の安さだ。島の土質を利用した素晴らしい土木技術だと関心した次第。聞き忘れてしまったが水の硬度はどうなんだろう。
2009.01.25
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みやこパラダイス 東平安名崎を後にツアーは宮古パラダイスという熱帯植物園・蝶々園を訪れた。まず道端に咲いていたのはテイキン桜という5弁の赤い花、花の形が似て入るだけで桜ではない。花びらも散らずに椿のようにどてっと落ちるらしい。 園内では提灯ハイビスカスあるいは風鈴ハイビスカスと言う名の珍しいハイビスカスがあった。 園内では色んな蝶々が舞っている。白に黒の模様はアゲハのオオゴマダラ なかなか人懐っこくすぐ寄ってくる。 驚いたのはオオゴマダラのさなぎ、きらきらと光る黄金色。どう見てもプラスチックにしか見えない。見事な輝きである。 黒い羽に白い紋を有するこれは多分琉球ムラサキ。馴れ馴れしく寄ってきては遊んでゆく。 パンフレットの裏に手書きで豆知識と書かれている。曰く、「ちょうちょを数える時は1匹や1羽ではない」とある。ではなんと数えるか?答えは明日のブログで ・・・・・
2009.01.25
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宮古島・東平安名崎今回のツアーで最初の訪問地は東平安名崎(へんなざき)という名の宮古島最東の長い岬。東は日が上がるので「あがりへんなざき」とも呼ぶそうだ。この太平洋と東シナ海を分かつ細長い岬は確かに沖縄の代表的景勝地であるとともに色んな意味で面白い。岬の右岸はシナ海、そして左岸は太平洋である。さらに左岸には岩礁があるのに右岸にはその影がない。ガイド嬢(5歳の双子のお母さんだと言うがお嬢さんみたい)によると地震による大津波が岬右岸の岩を削り取り左岸に運んだのだと言う。珊瑚礁の色には感嘆。青いブ鯛が多くすむと言うが珊瑚との保護色で発見できなかった。 岬根元より 岬突端より 岬の突端には珊瑚礁の小さな環礁があり白波が円を描いている。右側にはシナ海、左側には太平洋からの白波が寄せている。 もう少し詳しく見てみよう。丸い珊瑚の岩礁が出来、中心に岩陰が見えるであろう。これは珊瑚礁の島が生成する過程のミニアチャーではないだろうか。中心の岩が成長したのが沖縄やハワイなのだろう。海水面上昇で島が無くなることもこのモデルを見るとすぐ理解できる気がする。 そして岬が常にそうである様に強風と霧による多湿は独特の植生を生む。 たとえば下の三つ葉駒つなぎ、2センチくらいの可憐な花 次の花もここで多く見かけたが名前は不明。この時期もう大きなオオゴマダラ蝶が花を渡り歩いていた。次は沖縄で広く分布するタチアワユキセンダン草(立泡雪栴檀草)花は野菊に似ているが5弁で葉は異なり、種は衣服にくっついて離れない。 宮古島夏の風物詩トライアスロンのマラソンコースの折り返し点がこの岬、その頃の岬は一面八重山ユリの白い花で覆われるそうである。
2009.01.24
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宮古島・ホテル周辺朝の散歩 熱帯性植物で覆われたホテルの前庭と隣接するドイツ村を朝の散歩道とした。 名前は分からないが浜辺にどこにでもありそうな木が花と実を付けている。特に魅力のある植物ではないがその実があまりにも芋虫に似ているのでついカメラを向けてしまった。白い部分はガクなのだろうか幼い果実なのだろうか、中央に小さな茶色の花を付けている。 そして黄色い実を付けているがこれはどう見ても芋虫の大群だ。ホテルの庭に続いてドイツ村と言う施設があった。明治6年7月ドイツの商船ロベルト号が嵐のためこの沖で座礁した。島民は船員を励ますため岸でかがり火を焚き続け、翌日危険を冒してクリ船で救助し、村役場を提供して看護し、自分達は掘っ立て小屋に寝泊りした。皇帝ウィルヘルム1世はこの話に感激、島民の博愛精神を伝えるために明治9年軍チクロープ号を派遣して記念品を贈り、この地に博愛記念碑を建てた。これがドイツ村の施設の発端である。 2000年7月の沖縄サミットに来日したシュミット独首相はこの地を訪れ記念碑を建てている。このドイツ村のシンボル的存在は下のMarksburg城のレプリカである。オリジナルは下の写真(Wikipediaより)でRhein下りでコブレンツの少し上流Braubach にそそり立っているのでお馴染みであろう。 博愛橋の向こうには博愛パレス館があり、いづれも資料展示があるようだが今回のツアーには含まれておらず、見る時間が無かったのは残念である。 ホテルとドイツ村の間に琉球作りの瀟洒でモダンな家があった。レストランかカフェかと近づいて見ると、なんと村内にあるコンドミニアムや別荘地を扱う不動産屋さんであった。熱帯の花々に囲まれた住んでみたい気を強くさせる邸宅であった。
2009.01.24
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沖縄パックツアー長い間国内旅行もレンタカーや公共交通機関で済ませてきたが、70歳を過ぎて車の運転を止めたので今回JTBパックツアーをしてみた。北海道や東北はほとんど個人旅行で済ませているので南方の遠い所からと言うことで今回は沖縄の石垣・宮古島方面へ出かけた。 久しぶりに南方へのフライトである。予期に反して関東地方は晴れ、眼下に城ヶ島がはっきりと見える。 今日は富士山もばっちりである。 宝永噴火口が正面に見え南面の駿河側の雪は少なく、北面の相模・甲斐側は下の方まで雪がある。我が家からの富士は宝永山が左の綾線上に位置するので下の方まで白く見えることが理解できる。 飛行機が伊豆半島上部にかかると一見滑らかに思える富士の山肌にも谷筋がはっきりと白く描かれている。北面の大沢崩れの渓谷は有名であるが南面にもお中道くらいまでは谷がはっきりしている。残念ながら私はまだお中道までしか登ったことがないことを思い出した。 那覇で乗り継いで降り立った宮古島空港はモダンな南国情緒溢れる雰囲気をかもしている。それにしても人影が薄くのんびりムード。 今日のホテルはブリーズベイマリーナ、さすがに泳ぐわけにはいかないがやはり東京から来ると暖かい。リーフが望める部屋からの光景も南国気分十分だ。 こんな様子で沖縄・八重山群島への旅が始まった。
2009.01.23
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六本木東京ミッドタウン東京の成り上がり長者が住むという六本木ヒルズ、昨年末イルミネーションが綺麗と言うことで見物に行きこのブログでも紹介した。新聞に六本木ミッドタウンの富士フィルムサロンで日本の名建築と山岳写真展が開催されているとの記事を見て覗いてみることにした。通年パスを使ってほとんど交通費無しでアクセス出来ることが分かり俄然暇つぶしには適していることを知った。ただ文句を言いたいのはそのネーミングである。ヒルズとは旧毛利邸跡に建った大きなビル設備に過ぎず、ミッドタウンとい言ってもこれまた乃木坂周辺のいくつかのビル群に過ぎず、名前負けの点は否めない。 会津サザエ堂、日光東照宮、桂離宮、宇治平等院、安芸宮島などの大きな画面に快感を覚え、白旛氏等の山岳写真に魅せられた。 展示を見る時間はないがここまで来たので新国立美術館を覗くことにした。下の標識を左折すると程なく波打った特異な建物が目に入る。 黒川紀章氏の遺作であるが確かに目を引く建築である ただ広い前庭が寂しい、つつじでも咲けば見栄えがするのかもしれないが美術館にはやはり杜が似合う。上野公園を再開発して建てるべきであった。中に入って見ると高い吹き抜け空間と丸い列柱は素晴らしいのだが柱に今ひとつ装飾がほしい。間に彫刻を配しても良い。 広くて高い吹き抜けには透け透けのエレベーター、そしてなにやら原子力発電所のような丸い部屋、上階はレストラン高級レストランらしいが落ち着いて食事出来るのだろうか。なんだかカフェテリアみたいだ。階下は本物のカフェテリア。どうもこの丸台の中は厨房らしい。待てよ煙はどうして抜いているのか。 美術館を出て昨年末のイルミネーションで銀河系の周りを旅している宇宙船にも見えたものの正体を見るべくミッドタウンのメインビルの裏側に周ってみたら下のようなものであった。 地下鉄六本木駅迄来てもう1ブロック遠回りしてみることにした。リッツカールトンの滞在者棟の裏側に出てみると新しく整備された小公園が目に入った。多くの近隣の長者マンションの住人が身分の高そうなお犬様の散歩に付き合っている。 ここはもと萩・毛利藩の藩邸であったとのこと、池の周りには瀟洒な月見堂の様な建物が有り、景色を風とも感じずただ見つめあう二人の影があったが、この息をしている岩陰を背にしばし殿様の気分を味わった。 冬至を過ぎて間もない冬の太陽は忙しい、我がマンションに帰ってみると5時前だと言うのに茜空にはもうその姿は無く富士のt稜線が鮮やかに浮かび上がっていた。
2009.01.13
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都心散歩正月我が家を嵐に巻き込んだ孫達も去り、五日は台風一過の好天気久しぶりに都心に出ることにして東京駅大丸デパートで催されている笹倉鉄平展を覗くことにした。デパートの展覧会は人いきれがするほどなので敬遠してきたが、今回は姉妹都市のパリ・京都の風景を対比させながら笹倉鉄平が描くという趣向なのでどんな風だかいささかの興味が湧いた。鉄平さんの絵はもう十数年見たことがない。わが相棒の好きな作家であるが私自身jは色彩が明るすぎて敬遠してきた。ところが彼も十数歳の年月を旅してきて落ち着いた色合いの絵が多くなり京都を描くにふさわしい作風になっていて、とても楽しむことが出来た。鳳凰堂とベルサイユ、町屋と古いパリの街、嵐山の渡月橋とセーヌの芸術家橋の対比などのすばらしい展示であった。今回の展覧会はパリ、京都での記念展を経て原画・素描・版画などの商談展示なので人も少なく入場無料だったのでゆっくり楽しめた。 都心に出たついでに目と鼻の先の皇居の周りを歩くことにした。そこでコンパクトカメラを落として写真が撮れなくなった。何とか動画は撮れたので一秒の動画を撮りその冒頭場面を静止画に纏めたのが下の写真である。 皇居前広場から望む丸の内ビジネス街と東京タワー 東京駅から真っ直ぐ来てつき当たる坂下門。この日は宮内庁への出入りの車が結構あり、警備のお巡りさんが双眼鏡で近づく車をチェックしていた。 左折して二重橋に行こうとするが小砂利を敷き詰めた広場は実に歩きにくい。滑って絶対に走れない。やっと砂利敷きの意味を納得した。堀の手すりの形が奇妙なのに気が付く。花にも見えるし木の実にも見える。 やや進んで桜田門に向かう、井伊直弼が暗殺された場所である。門柱の古木は十分に古かった。多分この木は直弼を知っているはずだ。 門を出ると堀には鴨が群れている、ここは鴨の飛来地としても知られているそうである。国会議事堂は指呼の距離。その間に井伊邸跡がある。井伊邸と桜田門は三百メートル位しか離れていない。 その日開会した国会であるがその日は学校の始業式みたいなものなのか午後3時過ぎには警官の姿しか目に留まらなかった。それしてもいつ見ても議事堂はアグリーな形である。どう見てもこれは廟にしか見えない。せめて両翼に側塔を配して中央に主塔を配したイギリスのビッグベンやブダペストの議事堂のように改修したらどうだろう。わずかな金を国民にばら撒くよりはよっぽど景気対策にもなる。
2009.01.07
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