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飛騨の円空特別展 (2)下の写真は針桐の立ち木に彫った2.26cmの大きな金剛力士像、千光寺山門の守神金剛力士「ア、ウン」像のウン像で強い決意を表わす口の閉じ方である。金剛力士(仁王)立像 吽(うん)形 150年ほど前に根元が朽ちたため株から切り離されて片割れの”阿形”と共に仁王門に置かれたもの。江戸時代の奇人伝にに下の挿絵と共に紹介されている。立ち木に描かれた顔は口を閉じた”うんぎょう”のそれである。(博物館ホームページより) 下は中央に不動明王、左に烏帽子(男)神、右に烏天狗像。不動明王は等身大で背面が滑らかなことから建築廃材に彫った可能性が有るとされる。小さいが右の像は人身に烏の頭部を付けたもの。この写真からは読み取れないが木目を衣裳紋として巧みに取り入れている。下左は龍頭観音菩薩像、 右は聖観音菩薩像。この2体は丸材を半分に割りそれをさらに二つに割って材心部に彫ったもの。左の観音様はは頭上に龍を乗せている、そして右の観音様は眉間や額・目じりに大きく皺を付けている。これは円空独特の怒りの表現だそうで、観音様の表情としては異例で像の命名には再検討の余地が有るそうだ。の写真左上部は稲荷三尊坐像。一部欠けているがいずれも僧身にキツネの頭部が付いている。左下は護法神立像で法衣の簡素さに比べて顔の造りに手が込んでおり、釣上がった目や目の周りの皺は憤怒の表現だろう。 円空の荒々しい仏像は冒頭に記したように丸材を2つ以上に割裂いて 大きいものはその外皮側に、小さな象は材心部に彫りあげている。 したがって背面は全て平らで墨入れが有るだけでそこにノミの跡はない。 最後は千光寺の秘仏「歓喜天立像」。7年に一度しか公開されない 秘仏だと言う。 雌雄の象が抱き合う姿のヒンズー教から仏教に移入されたインドの神です。一般に抱き合う男女の人物像の頭部を象の顔に二したものが多い。この像を本尊とする祈祷は秘密にしないと効果がなくなるとされており、他の聖天寺院でもl公開されることはない。円空は小さな木片に簡略な彫りで頭部、牙、腕を表していると言うがよく分からない。7年に一度公開されるそうで、それも厨子の中に留まるそうであるが今回は初めて厨子から出しての公開と言うことを後で知った。文字通り後の祭り聖天様(しょうでんさん)については拙ブログに書いたことが有る。
2013.01.28
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上野の国立博物館に円空の仏像展を見に行った。何時でも人生を終えられるように書斎の棚を整理する昨今カタログを購入することも無いのでピックアップしたパンフレットの写真を転載させて頂いてブログを綴る。円空は美濃の国に生まれ法隆寺、園城寺(三井寺)、輪王寺の法脈を受け、傍ら修験道にも励み大峰山、伊吹山、二荒山などで行を行い、立ちよったところで仏像を彫り寺社民家などに多くの作品を残している。作品は一寸大のものから等身大のもの、さらにはそれを凌駕するものもあり、いずれも表面は木を斧で割ったままのようなものからノミの跡が鮮明に残るような作品ばかりで、顔面と言えども磨きをかけた様なものは見当らない。それだけに殆んど傷んでいないと言うか痛みようがないような作品が多い。テレビ番組で見たが民家に残されたものなど家宝として扱われているものが有ったり、中には子供が川遊びの時に浮輪代わりにしていたものまである。行の中で民家に泊り宿泊代として彫ったものなど作品は無数で十二万体の像を彫ることを祈願したと言われ、現在でも大小五千の作品が分かっている。三十三観音立像木を断ち割った切断面を生かしてそのまま法衣とし、木目をそのままその模様に見立てた手法は独創的である。眉や目を細い線で表わし、口を簡潔な彫り込みで表わしている。普通観音像は仏具を持つことが多いが両手を胸の前で組 み合わせて材を効率よく使っている。時間も材も有効に使う手法は感嘆に値する。 不動明王および二童子立像不動明王を中心に左右二人の童子の表情が対照的である。作品は丸太材を二つ割りにして外周部に大型不動明王像を彫り残り半分をさらに二つ割りにして材心部に二人の童子像を彫ったものである。 宇賀神像 20センチ足らずの小作でとぐろを巻いた蛇の頭部に老人の頭を付けている。雨乞いの神様。この作品にはどの位の時間を要しただろうか。 びんずるさん 手垢にまみれており大阪通天閣のびんずるさん同様撫でまわされおでこがすり減っているように見える。 柿本人摩呂坐像 烏帽子や貴人の服装と共に表情が人間そのもの。 千手観音像 脇の手は別材で作られて貼り付けられており円空作品としては稀な例。下部前面に僧の像がある、自分の姿ではなかろうか。
2013.01.27
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25日久しぶりに国立博物館に行ってきた。琳派三代展以来だと思う。大体ここを訪れるのは特別展の時であるがいつも人で溢れていて作品の鑑賞どころではないのでもう絶対くるまいと思って帰って来る。しかし時間が経つと段々記憶が薄れてまた行こうと言うことになる。今回の目的は そうですあの円空の仏像鑑賞です。以前から寺社の仏像とは異なり民衆の中に有って撫でまわされたり、子供に人形代わりにされたり、ひどい時には子供の川遊びの道具になったりしたと言う。時には寺院や民家での宿泊代として、時には仏法説諭の道具として、生涯に12万体もの仏像を彫ったと言う円空の荒々しい仏像である。本で見たり山田五郎さんのTV番組などで画像は見ていたが実物を見て見たいと云う衝動に駆られていた。それにしてもこの国立博物館本館の建造物としての魅力の無さにはいつも悲しくなる。ソウルの博物館と比較しても味もそっけもない建物である。別に西洋かぶれではないけれど横に立つ迎賓館はまだすくわれる。本館の休憩ロビーから池越しに年何回か公開されると言う庭園が望める。寛永寺の庭園が保存されているみたいだ。帰路左側に科学博物館が見える。確かこの建物は飛行機の形をしている筈だ。今ちょうどチョコレート展をしておりバレンタインデー控えて賑わっていることだろう。社会科見学か小学生が多く入って行った、そして玄関前では記念撮影。東京文化会館と日本で初めて野球がされた子規球場の間を通って上野駅山下口に向かっていると日本芸術院の塀越しにスカイツリーが見えた。さらに進むと御存じ西郷さんがこの寒空に裾を風に吹かれて立っている。ここまで来たのは西郷さんに会うためではなく食事を取るためである。丁度公園への階段の上、西郷さんの隣りにに洒落た二階建のイタリアンレストランが出来ていた。この辺り駅前再開発で随分様変わりである。公園の中に洒落たレストランやカフェなどが出現し少しずつ公園歩きが楽しくなってきた。
2013.01.25
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1月19日富士山の日没前日富士山に沈む夕日の写真を撮り損ねたので気にしていると西の空が真っ赤になり富士山の南方に繋がる丹沢連峰の空が真っ赤に染まっている。16.44急いで廊下を走るとその時まさに太陽が富士山に沈み始めるところだった。16.46時刻は4.46pm、山はハレーションで見えないが太陽が一寸変形している。16.47後はもう動画を見ている様な進行具合である。16.4916.5016.515分もするともう半分以上は稜線の下になる。16.528分後にはもう心眼でしか太陽の姿を捉える事が出来ない。日没ショウはもう少し長いと思っていたが10分足らずの出来事であった。地球が自転していることを実感する。24時間で1回転するためにはこんなにも急がなければならないのだ。数年前までこの光景は毎日我が家の居間から眺めていた光景なのだ、それでもうそろそろ太陽が富士の頂上に沈む頃だと思い立って撮りに行ったのだが写真を見て分かるようにもう日没は富士山の北稜に位置していた。数日間遅すぎたようだ。したがって今度ダイヤモンド富士がこの地から撮影出来るのは11月まで待たねばならない。お正月を挟んで太陽は北稜→頂上→南稜→頂上→北稜と沈む位置を移動して旅をしている。太陽から見る地球の景色も季節によって変わるのだろう。------アルジェリアの状況は厳しそうだ、未確認情報を安易に流すわけにもゆかず政府も苦慮している様子が伺える。中世ヨーロッパ・中東で繰り広げられたキリスト教・イスラクム教のコンキスタ・レコンキスタの歴史に見るように民族・宗教のからむ諍いはいつも激しいものになる。殆んどが仏教徒であろう日本人人質の犠牲が避けられない状況であるが、1人でも犠牲者が少ないことを願うのみである。神様・仏様どうか彼等をお守りください!
2013.01.21
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1月18日富士山日没この時期空気が澄んでいて東京か富士山がよく見える。関東には富士見町とか富士見坂などがいくつか存在する。と言っても昔はどこからでも見えたのだろうが、今地上から富士山を眺められる所は殆んど無い。日暮里辺りの富士見坂が都内で最後の富士見坂らしいのだが遠く離れた新宿区新大久保に高層ビルが建築中で富士山がすっぽり隠れるため反対運動が報じられている。最後の富士見坂を守る運動でテレビドラマみたいであるが、法律的には弱いみたいである。マンション8階の拙宅は小さな川を挟んで富士見台(町)で、かっては我が家の居間やベランダから関東一円の山が望め、この時期日没の位置は20年余り我が家のカレンダー代わりにもなった位であったが数年前に下の写真左のビルにですっぽり盗れてしまった。9.50 am今富士山を見るには玄関を出て廊下を20mばかり移動し、他宅の玄関前に立たなくてはならない。18日金曜日雲ひとつない天気に誘われて朝からしばしばこの小冒険を犯して富士山の動きを追ってみた。 1.16 pm太陽が真上から注ぐ昼間は霞んでぼやけてしまっている。油断していたら4.50pm、急いでカメラを持ったが富士の右裾に残照のみで太陽そのものはもう浮き過ぎていた。4.51pmこの日は余りにも冷たく乾いた風が吹き荒れていたのでついうっかりしてしまった。翌日の好天を願って富士のシルエットを撮影してみた。4.51pm4.51pmこの時間のシルエットからは面白い現象が読み取れる。まず山頂付近で右端の剣が峰あたりで雲が発生して強い風に押し流されて駿河(静岡)の山稜に沿って雲が吹き下っている。山頂で湿気を奪われた乾いて冷たい空気が静岡側に吹き下っている。もしこの空気が海を渡って湿気を含んだものなら静岡側は大雪だろう。そう云えば富士山のスキー場は南麓にある。4.58pm暫くするとこの風雲は太陽光の照明を失い見えなくなる。以下の写真は自動露出のため明るく映っているが実景はかなりうす暗い黄昏の景色であった。5.12pm5.26pm5.27pm晴天下の写真を念頭に時間とビルの写り具合を考えると予測できることであるが露出設定など出来ない私の能力を超える話である。
2013.01.18
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今年の初雪今日は成人の日、天気予報ではかんばしくないことを言っていたが晴れ着を着る人も多いことだし夜までもって欲しいと願っていた。新聞を読み終わって外の温度計を見ると1℃少々の寒さ、次いで電子メイルの検分を済ませぐずぐずとパソコンを続けていてふと窓の外を見て驚いた。15分くらい前まで冷たい雨だったのにもう外は真っ白な世界に変わっていた。この位の雪で騒いでは雪国の人に申し訳ないがあまりの短時間の変景に驚いた。8階のルーフバルコニー越しに見えるすぐ先の駅前ビルが霞んで見える。レンガ仕立ての屋上花壇も昨夜の予報で急遽避難したプランターも真っ白な絨毯で覆われている。サツキの小木も樹氷のような姿に変身している。庭園灯も雪の綿帽子を冠って毛糸の正ちゃん帽を冠った子供みたいである。少し大型の庭園灯は子供らしさはないものの北国の兵隊みたいである。東側の屋根付きベランダには寒さにもめげず赤いジェラニウムが咲いている。全くこの花は酷暑にも酷寒にも咲く頑張り屋である。真下を流れる石神井川畔の桜はすっかり裸木で合ったが今日は白装束で切腹前の四十七士の揃い姿みたいである。その対岸の家は一転丸窓に黄色ペンキで北欧の家に見えてくる。まあこのように無理やりこじ付けて今年初めての雪景色を楽しむことにする。
2013.01.14
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みなと未来地区観覧車 横浜みなと未来にはその電飾の多様性で有名な観覧車が有る。ニュウグランドの我々の部屋からは左端が一部隠れるが実にバラエティー豊かな電飾ショウが見られた。コンパクトデジカメに頑張って貰って解説なしでそのショウを採録する。夜中まで花火大会見たいなものである。ただお正月は強風のため観覧車自体は運行していなかった。
2013.01.09
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家族会食 以前新年は我が家で孫中心の新年合宿をしていたがここ数年はホステスにその体力が無くなり、ここのところホテルでの合宿が続いている。孫達はいずれも母方に従兄弟はいない。つまるところ我孫達3人は彼らだけが従兄弟の全てなのである。しかも神奈川と静岡に離れて住んでいて日ごろの交流は難しい。将来助け合える従兄弟の絆を築き、それをケアしておかないとバラバラになってしまう。そんな訳で息子達には遺産は残さず、生前family unionのために使いきることとしてここ数年正月、5月、8月のホリデーシーズンには全員集合でホテル合宿をしている。幸い長男も次男も嫁さんの実家の近く住んでいるのでこの集まりには支障が無い。合宿となれば最重要事項は食事とそこでの会話で、お互いに孫・爺婆のイメージを刷り込んでおかなければならない。第一夜は中華街に繰り出したが2日目は孫達に合わせ、みなと未来・観覧車の横のホテルにあるホテル東急のレストランとブッフェの中間のような所へ行った。ここは中央に透明な円形キッチンが有り料理の様子が見える。室内はハワイアンムードの飾り付け、吹き抜けの窓からは横の観覧車の電飾がよく見える。反対側のガラス壁からはパシフィコ横浜の帆型ホテルも視界に入る。大企業に勤めた訳でもなく、大いなる遺産を受け継いだ訳でもない私には伝統的なホテルのバーなどは無縁の存在であった。しかし今回はホテル内割引券が9名X2で18枚もある。子供達はゲームに熱中しているので大人だけで伝統的なバ― Seaguardianに行った。第二次大戦後このホテルは長い間進駐軍に接収され、米軍将校クラブとして使用されていたのでバーは格式が有る。調度品などはなるべく古いものを使っているらしくインテリアも重厚なオールドファッションである。最初に頂いたのは下の”黒船” と言うカクテル。横浜開港150周年を記念して泡の上にショコラのロゴマークが。勿論これはこのSeaguardianにしか無いエントリーである。2杯目は東京駅が改修されステーションホテルもすっかり改修されて、そこの名物バーテンダー杉本(?)さんの創出した”東京駅” と言う名のカクテルで大人たちのFamily Reunion を手入れすることが出来た。(いずれも携帯電話のカメラでの撮影)
2013.01.08
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横浜マリンタワーの眺望 JTBで予約した今回のプランには日本で一番高い70階建てのランドマークタワーとマリンタワーへの搭乗券が付いている。この正月はとても寒く、風の強い日が続いたので風邪上がりの私はランドマークをパスしてホテルの部屋から眺めていた。マリンタワーはホテルから100m位なので翌日みんなで搭乗した。神戸港ポートタワーや横浜港マリンタワーはいずれも近隣に高層ビルが建ち精彩を無くしているが大阪通天閣にも似た鉄骨タワーは私の好みである。まず、みなと未来地区を見るランドマークタワーは確かに高い、上層部がホテルである。船帆の形の建物もホテルである。手前には観覧車や赤レンガ街が見える。我々が宿泊しているホテルニューグランドは眼下に見える。目を右に転じると横浜ベイブリッジ、橋の下は大黒埠頭。その右には先日工場夜景クルーズで訪れた京浜工業地区、高い煙突は東京電力、JR東日本、企業独自の発電所である。さらに右を見ると巨大なキリンやダチョウが紅白の衣裳を付けて立っている本牧ふ頭、お正月とて彼らは首をすくめたリ羽をたたんで休んでいる。さらに遠く東京方面を見ると紅白の東京タワーが望見出来る。後ろのビル群は新橋・汐留カレッタあたりだろう。さらに右側を望むと東京湾を挟んで千葉の京葉工業地区がよく見える。手前のボールを積んだ船はLNG輸送船の加圧タンク。そして東京湾の中央部に見えるポパイのシャツみたいなのは東京湾アクアラインの換気塔。川崎から木更津まで東京湾をを横断するアクアラインはこのちょっと先の人工島ウミホタルまでは海底トンネルそこから木更津までは橋で結ばれている。眼下を見るとこの寒風下多くのカヌーが漕ぎだしてきた。先日千葉でボート部の船が集団で転覆してニュースになったが、眼下のはカヌーなので転覆は日常の出来事、彼らは自力で起き上がるすべを持っているので大丈夫なのだろう。
2013.01.07
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Hotel New Grand 本館ロビー ホテルニューグランドと言えば文字通り横浜港の山下埠頭。 昭和初期に開業しているが、戦前日本の表玄関は横浜港山下埠頭である。 港と山下公園を挟んでお向かいがこのホテルで、多くの外国著名人の宿ともなった。 あのMcArthur元帥がコーンパイプをくわえて厚木飛行場に着き直行したのが新婚旅行 でも宿泊したことのあるホテルニューグランドである。皇居前に焼け残った第一生命館に GHQが設立されるまではここが占領軍の軍司令部であり、ここからミズーリ号に赴き 重光葵全権特使との間で日本の降伏文書に調印している。 リフォームはされているがその部屋は今でもマッカーサースイートと呼ばれ、値ははるが 誰でも宿泊できる。余談であるが何年か前に訪れた日光のレストラン「明治の館」は終戦 当時重光葵の別荘で重光はここからミズーリ号に出向いて調印式に臨んでいる。日本が その歴史において最大の転換をした日、両巨頭の調印式への出発地を訪れたことになる。本館ロビーは今でもその雰囲気を十二分に漂わせている。特製タイルの階段が重々しい。 階段正面のエレベータも周りは石造りである。 絨毯もクラシックな織模様である。 古いクラシックな家具は居心地悪そうな配置であるが意外と座り心地は良い。 もちろん座り心地のいいソファも配置され人も少なく、くつろぐには最高。 重厚なカーテンと街路樹のの合間から目前に停泊している氷川丸が よく見える。 脇のホールはお正月だけティ―ルームとして使われていて天井の木組みは 見事であった。覗いて見たが大きなホールに客は一組しか見当たらず 我々も遠慮した。 内庭に出て見ると綺麗な刈り込みの中央にイタリアン風の噴水が有る。放射状に 広がる通路に赤絨毯を敷き詰めて結婚式をしているポスターが有った。
2013.01.06
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Hotel New Grand今年のお正月も恒例の家族全員集合で横浜の長男一家3人、静岡県磐田の次男一家4人に東京の我々と合計9人で合宿した。以前は静岡地方で集まるのが恒例であったが最近は首都圏に移りつつある。今年は横浜山下公園前のホテルニューグランドにした。どうせなら日本の歴史に顔を表わす場所を子供達の頭にたたき込んでおくためである。 写真手前が本館、後ろの高層が新館である。本館にはチャーリー・チャップリン、ベーブ・ルースなどの宿泊時の写真が展示されていたりする。またここをもっとも有名にしたのが港に面した3階にマッカーサー元帥の宿泊執務室があったことである。部屋は新館の「みなと未来)側を8月に予約した。部屋からは眼下に山下公園、大桟橋、みなと未来地区の高層建築が望める。アップで眺めるとヨットの帆の形をしたインターコンチネンタルホテルが目立つ。そしてその手前の出島はかってのレンガ倉庫群で今は観光施設の赤レンガ街。目を手前に転じると大桟橋が突き出している。屋上は芝生公園になっているがここには飛鳥2をはじめ世界中の大型クルーズ船が寄港する。残念ながら正月期間にはクルーズ船の寄港は無かった。最近は大きなホテルのキィーはみなカード式であるがここは新館でもクラシックな形、4室連続で泊っているのにキ―番号がまちまちである。聞いて見ると”右から読んでください” なるほど815号室で合っていた。夜はホテルから5分の中華街でこれも8月から予約しておいた聘珍楼で会食、小さい頃絶え間無く喋っていた上の孫はもう高2、今はほとんど喋らない。代わりに小4の孫は一人で喋り立てて皆を笑わせている。母方のお祖母ちゃんに作ってもらった忍者の扮装で刀を挿して秋の市民マラソンに出場し、仮装大賞を貰った話などで笑わせる。引き上げようとした時彼は話に忙しくてまだ2皿も残していて急いで掻き込んでいる姿に皆で大笑いした。中華街の中心に世界中の中華街でよく見る「関帝廟」がある。横浜のそれはひときわ派手である。日本的に考えるとあの三国志の英雄・関羽の墓と言うことになるが中国人は世界中どこにでも「孔子廟」や「関帝廟」を建てて心のよりどころとして生きている。こうしてすぐ自分達の新天地を開いていった。それにしても赤と金で塗りたくられた廟は新年の夜の光に燦然と輝いていた。
2013.01.05
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Greeting from rakuten0811
2013.01.01
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