全10件 (10件中 1-10件目)
1

思い出の名選手前ブログでさんざん毒ずいてしまったこと反省しているなにしろ野球少年だったころ野球は多くの夢や生きがいをくれた大人になれた栄養源は一部野球にあったかもしれない 博物館には現役選手やつい10年くらい前まで活躍した人ゆかりの品もあったが王さんのバットと長島さんのユニフォームはやはり特別一度南海入りを入りを表明した立教の長島が最後の最後にドンデン返しで巨人に行き、その前にはいつも捻られていた40勝投手別所を引き抜き40勝が無くなった南海と40勝がプラスされた読売は勝負にならなかった。そんな次第でアンチジアイアンツになった私にとってもこの二人は特別だ、まことに尊敬に値する偉人である。少年時代の英雄はまさしくスタルヒン投手、ロシア革命避難民として渡日した両親、旭川中学での活躍、確か大戦中須田と改名させられ戦前は読売(忙中閑話:私は巨人軍とは言わない。巨人はGiantsの和訳。それを言うなら鷹軍、獅子軍、龍軍、虎軍、燕軍、鯉軍、湾の星軍、鷲軍、海人軍、戦士軍、青波軍と言うべき) 戦後は弱小球団を渡り歩き日本で始めての300勝投手。悲劇的な死。偉大な人! 日本の学生野球にとっては忘れがたい人 安部磯雄先生社会人野球の恩人久慈次郎さん天才バッター大下弘さん。川上の赤バットと並び称される大下の青バット川上が常に読売の4番、全日本の4番、リーグ8連覇監督として陽の当たる道を、稀代の天才バッター大下は常に綱渡りの人生私の中では最高のプレイヤー 取りとめも無い回顧話はこの位にして 展示品に戻ろう日本の野球は第一高等学校のアメリカ人教師によって持ち込まれついで慶応義塾が続いて早稲田専門学校がそして二次大戦まではプロよりも早慶戦が人気を博す。その始まりがこの文である 早稲田のこの申し入れが受け入れられ慶応の三田綱町運動場において伝統の一戦が始まったとされている。 最後に半世紀余りの間、グラブの変遷を見てみよう 私が少年時代まだ活躍していた真田投手のグラブ、五本の指が独立に動いた破けるともちろん糸で縫った。私が最初に手にしたのもまさしくこれであった 前記スタルヒン投手晩年のグラブになると親指と人差し指の間が紐で繋がっている、また指の間に紐が通り五指が自由に動かない私が中学時代選手として使ったのはこのタイプであった 下左のは日本で始めてスライダーを投げ、初めて完全試合をした読売の藤本この頃になると軍手ではなく薄皮の手袋を付けてグラブを付ける様になった現在のグラブは昔の素手で取ると痛いので手袋をつけて取るというよりは玉をつかむ装置になっている。 最初の真田投手のグラブ(当時はグローブと言った)を見て欲しいボールは常にスイートスポットに納め5本の指で掴むのである。したがって人指し指を外すなどはとんでもない。そんなことしたらボールはそこから抜けてゆく したがって左手のグラブに収まった玉は右手で押さえ込む。キャッチボールの基本は両手取り、片手取りは厳しく叱られた少年はタイミングをはずし右手の指先を球に当てる、激しい付き指である指の太さは倍以上に腫れ上がり紫色、痛いなんてもんじゃない箸などとても握れない。 昔少年だった私の右人差し指はいまでも左手よりはかなり短い。 野球博物館は随分昔の追憶を呼び起こしてしまったようだ
2009.02.22
コメント(0)

野球博物館後楽園へ梅見物、余り感動しなかったそこで隣接する野球博物館なるものを覗くことにした特に何を期待するでもないが、60年前の野球小僧である野球の歴史は良く知っているつもりであるが実際の資料など見てみたい 野球博物館は世界ラン展で賑わう東京ドームの一角に有った 最初の展示物は今話題の侍ジャパン原監督のユニフォームである 今はWBC(世界野球の伝統)って実態は分からないが世の中沸いている世界野球連盟ってあるのだろうか、それとも何処かの法人の主催する興行なのだろうか。WBCをまえに景気を煽っているのかWBC の展示が目立つ 2年前の王ジャパンの選手のユニフォーム そして彼らのサイン(Autograph)を記した国旗とボール そして国璽まである表彰状何時見てもこの国璽押すのが大変だろうと思う。重そうだ、確か金製?小泉さんの名も久しぶり さて本来の野球史展示一部複製品らしいが、最初はキャッチャーだけがミットをついでピッチャー、野手とグラブをつけるようになったと説明この写真を見るとまさしく野手は手袋を、捕手はミトンを付けていたのだ 野球という語は正岡子規の作と聴いたこともあったがそれよりも古く下の辞書(明治5年)には”玉遊び”とあるそうだいずれにしてもBaseball(塁球)よりは野球が好きだ 世上野球の持つ社会的位置、人気度、経済的要因、ニュースとして時として外交問題よりも先に報じらる異常さなどを考えるときこの野球博物館の展示法のなんと貧弱なことかパネルや写真など多用してもっと博物館らしくして欲しい人気選手の契約金の1-10%も掛ければもっとまともになるだろう プロ、社会人、大学、高校とばらばらの連盟、ボスの意向に支配されるコミッショナー。まだまだ日本の野球界を治めているのは村の論理なので立派な博物館をデザインする余裕がないのが現状か
2009.02.22
コメント(0)

小石川後楽園昨日は雨明日も雨予報今日もうす曇、丁度梅祭りというので近場の後楽園に出かける 入ってすぐの光景、野球場の屋根、東京ドームホテルそもそも水戸藩邸の一部に建てられたのが球場であり公園だこの後楽園こそ主人であることを忘れないで欲しい ここは実のところチャッチすぎて感動を呼ばないが、中国や日本の名景色を表現しており、黄門さんもまだ見ぬ地を漢詩や和歌で偲んだものらしいまずは唐の架け橋、そこに広がる大海と島々、はてまた水に映る円月橋の作りなす満月に映るこの世の風景 梅祭りと入っても水戸の偕楽園のそれ津は大違い、数十本も無い梅ノ木 あくまでもここはミヌアチャーの世界、諸国漫遊ではこのうちいくつの実景を心に刻んだのなろうそれでも華麗なクレハシダレ梅や苔むしたうえへの花びらの落下はやはり哀れを感じさせてくれる 水辺の玄景を写そうとしても文京センターのガラスが鏡中鏡になる それでも鴨たちはV字飛行を気取っているがこの暗さでは敗走の姿に この日は梅祭りとて江戸丸一座の獅子舞と寄席芸が披露されている実を言うとこの寄席芸大変楽しかった。小さい子供も大いに昂奮していたただ惜しむらくは園内に太鼓が響くと静かな梅見だ台無しになる。出口には藁だけで出来たオブジェが飾ってある。福寿草とフキノトウであろう。春が待ち遠しい。春は今何丁目の角を曲がった辺りだろうか
2009.02.22
コメント(0)

トルコ文化会館 トルコ文化会館の入り口ホールにはいろいろな飾り物が展示されている額物は全てアラビア文字なので読めないが何時見ても美的センス抜群館員の方と挨拶していると女子高生らしい5、6人グループ入ってきた予約してあったのか館員が説明し出したので一緒に回らせて頂いた下額の一行目はコーランに頻出するアッラーを称えるものらしい次の額物も意味は分からないがアラビア文字を図案化して美しい次のものは誰かの紋章であろう、こんな落款を持ってみたいものだ さらに礼拝用の立派なコーランの本、その美しさにうたれる 文化センターであるから集会室・セミナー室があるがここもホテルの宴会場のようにきれい。礼拝にも使えるようにメッカに向かっている ここにはさらにイスラムを開系する本や格言集、トルコの案内書、絵葉書トルコに関する日本語の著書などが展示・配布・販売されている。ここの内装はすべてトルコから輸入した材料で作られており、イズミックタイルで修飾された素晴らしい部屋があるここの階上のジャーミーは日本最大のものであり、トルコの要人が訪日した際ここに礼拝のため来場するとのことである、その際記念品を持参するそうで立派な工芸品が展示されている。これらを見るだけでも訪ねる価値がある ここには文化センター長、僧、事務員らしき人がいて、事務員が 我々を案内する間所長の息子らしきこの少年やっと出来るようになった駒回しを見せたくて付きまとっては回し、旨く行くと私の顔をのぞいてにやりと得意満面。案内役は上司の子供なのだろう注意も出来ない女学生も余裕が無く、子供は唯一の男性老人の私にアピール私ももウインクして励ましてやった。 実は展示品をゆっくり見ようと思っていたのだが、一日5回もあると言う礼拝の時間になってしまった。この時間帯は文化センターはロックアウトである礼拝も最後までは付き合わなかったので後日また訪れることにして退散した
2009.02.20
コメント(0)

東京ジャーミージャーミーとはトルコ語である一定以上の規模の礼拝所のことらしい東京トルコ文化センターの二階はジャーミーである改築後10年も経ていないこのジャーミーは清潔で実に美しいイスラム寺院では必ずメッカに向かって祈るため敷地の方角とは関係なく建てられる。世界の中心はもちろんメッカだ 正面の美しい天窓の下にはもちろん決まり文句のレリーフがあるこの文字確かコーランやモスクのの随所に実られる神への賛辞 天井を見ると実に均整の取れたアラベスク。ただ古典的な中にもやはり中世の紋様とは違う近代性が伺えるこの丸天井部分は外から見るとモスク特有の丸屋根そして周りを固める小円はやはりメインドームに付随する脇ドームでここも見事に装飾されている 前方右側には小階段を備えた特別席、かってトルコのモスクへ行ったとき説明されたが忘れた。スルタンの座る貴賓席か祈りのコーラン奏者(リードボーカル)席かだろう 後部2階にはバルコニー席もある。たぶんこちらが貴賓席なのだろう。特異な紋様があるところを見ると決まった人の席のようにも見える。 上の写真や下の物を見て感じるのはモスクらしからぬ明るさである今まで見てきた古いモスクにはほとんど窓が無かった。一方この東京ジャーミーこは窓が多いだけでなく、それぞれの窓には鮮やかなステンドグラスがはめ込まれているキリスト教の聖堂でもこんなに多くのステンドグラスをはめ込んだものは見たことが無いバラ窓も見えるがバラ窓と言うより飾ったスポーツ車のホイールのようであるドーム下部の漆喰模様もモスクと言うよりはキリスト教会を思わせる 置物も素晴らしい出来栄えのトルコ工芸品が飾られている 今まで外国で見てきたモスクは歴史的なものばかりだったので窓の無い薄くらい空間、装飾紋様もすべてタイルのモザイックだったアジアやエジプトで見たモスクは何か薄汚れていた、しかし東京ジャーミーは明るく、イスラムにこんな近代性を見たのは大発見であった見学していると突如コーランが朗々と響いてきた。振り返ると後ろのほうで黒衣の人が浪々と誦じている最初礼拝かと思ったが、そうではなく、これから礼拝が始まるぞと言うおふれらしかった。ややあって前に進みコーランを唱じ、手を合わせて無言お祈り、また絨毯に座し両手と額を絨毯に付けて祈り後方で我々と居合わせた数名の女子大生も正座して頭をたれ自然と祈りの姿勢になっていた。ジャーミーの入り口にはちゃんとスカーフが用意されており、彼女達もみなこれを頭につけていた。かってエジプト・ルクソールでモスクを見学中礼拝となり大勢の男達に混じって礼拝に参加したことがあるが、その様式は細部において少し違っていた とにかくこの東京ジャーミー、一見の価値は十分である
2009.02.20
コメント(0)

トルコ文化センター・東京ジャーミー 代々木公園から山手通りを越えて井の頭通りの坂道を登ると遠くに尖塔が見えてきた。ズームしてみると確かにモスクのミナレットである。 じつは先週小田原からの帰途電車が代々木上原を過ぎる頃ミナレットといくつかのドーム屋根のモスクらしいものを目にした昨年末イスタンブール(コンスタンチノープル)を訪ねていたので気に係り、できるだけ早く訪れてみたいと思っていたのである近景を見るとまさしく立派なモスク 日本にこんな立派なモスクがあるとは思いもよらなかった通りに面して建っている塔は見れば見るほど美しい 今まで多くのミナレットを見てきたがどれも黒くすすいけていたが小さいとは言えこれほど新しくて清楚なミナレットは始めて見た ドームの内部装飾も気になるところだ 回廊の縞模様も昨年の東地中海旅行でトルコ、チュニジア、シシリアなどの寺院でよく見かけた この建物の2階が礼は礼拝堂(ジャーミー)になっており通りから直接階段があって下の写真のバルコニーに登れそこは礼拝堂の入り口でもある。通りからすぐ礼拝に駆けつけることが出来るように工夫されている。一日に何度も礼拝するためにはそんな工夫も必要なのだろう。とはいってもここ日本ではそんな人も稀だし、まあ小さな絨毯さえあれば自宅でメッカに向かって祈ればいい訳である いずれにしても東京にこんな立派なモスクがあるとは夢想だにしていなかったので、きょうの散歩は大きな成果であった
2009.02.20
コメント(0)

代々木駅から代々木公園へ 少々風邪気味で躊躇したが次の日は雨の予報とかで郊外は諦め都心へ散歩に出かけることにした 年二万円のシルバーパスを有効利用するため地下鉄大江戸線で代々木駅へ、駅前に聳えるのはこのNTTビル、質素ではあるが私が東京で一番好きな建物で私はひそかに東京のエンパイアステートと呼んでいる。この電波ビルは将来四角い箱型になると言われ心配していたが幸い十年以上経っても多くのパラボラを付けてまだ健在である。 このビルの下にあるベトナム料理店でランチバイキング(\980)ベトナム式春巻きを巻いたり、自分で麺を茹でたりタイ料理のように辛くなく、強烈な香草の匂いもなく、経済的で楽しめる。入り口にはメニューボードの横にシクロがあり入り口ロビーはベトナム民芸品で飾られている 2日前にヒラリークリントンが詣でた明治神宮を北参道から入り 本殿には向かわず境内を原宿の表参道へ、鳥居から街を見ると またなにやら醜い建物が出来つつある。困ったものだが仕方がない 散歩の足は明治神宮に隣接する代々木公園に向かう ここはNHKの隣でもあるためテレビでよく見かける公園であるが 半世紀以上東京に住んでいながらまだここには足を踏み入れていない 私が若い頃はここは進駐軍の宿舎でワシントンハイツと呼ばれていた それが返還されて1964年東京オリンピックの選手村となり その後、代々木公園となったものである。年を取って訪ねる公園は 若い頃の馴染みの地ばかりなのに気付く、甘い想い出もないのになぜだろう ともあれ、桜やバラにはまだ早くこの不況下、公園の人(以前、公園の管理人 が面と向かってホームレスとは言えず「公園の皆さん」と呼んでいたのを 目撃したことがある)たちがやけに多い。 それでも数少ない梅の花は今が盛りである。 ここから眺めるとNTTビルのクラシックなスタイルがよく映える 私はこの佇まいが気に入っている。 公園の一隅に大きな記念碑がある。 ここで日本人がはじめて空に舞ったらしい。所沢市にある航空公園にも 似たようなことが書いてあったような気がするが、どちらかが本当なのだろう ここで代々木公園を出て井の頭通りを上りトルコ文化センターを目指した。
2009.02.19
コメント(0)

小さな春ここのところ少々風邪気味であるそれに明日は年一度の成人病検査の日風邪を悪化させたくないので外出を抑えている一昨、昨日の馬鹿陽気(24℃)も明日は真冬に逆戻りの予報今日は午前中の曇り空から午後陽が差してきたのでベランダに出てみるなにやら馴染みの空に思えてコンパクト・ディジカメで撮る思い出した、これはこのブログのタイトル写真に似ているテンプレートからの借り物であるが、今日の雲は春霞のせいでとても優しい真冬にはこんな優しい姿や動きの雲は見なかった気がする。季節はまさに光の春、あまつほのけ(大気)を引っ張って光はもう春の気配 足元のベランダ花壇を見ると、昨年暮から咲いていた紅色ジギタリスそして水仙が残り香を放っている 外植えのシクラメンもまだ頑張っている 何年か前散歩の途中で拾った一株のキバナジギタリスが今花壇のあちこちにコロニーを作ってこれから春の連休辺りまで咲き散らかしている よく見るとピンク色の野草ジギタリスが一輪だけ花を咲かせているいつの時代にも早とちりすりする人や花がいるものである
2009.02.16
コメント(1)

江戸城・内堀一周 週末・祝日は込み合うので老者は週日の外出を旨としている。金曜日秩父宝登山へ蝋梅を見に行く予定であったが曇天模様蝋梅は花びらが日の光に透けて見えるところに価値があるのでその日は断念そんな訳で夕刻春一番の予報にもかかわらずと都心中の都心皇居へ 老人パスを使い地下鉄で市谷から千鳥が淵へ、実は途中に美味しいインドレストランがあるのでそこでランチを食べ、皇居・内堀を一周することに丁度昼時サラリーパーソンで一杯のムンバイと言う名の地下レストランインド大使館近くのこの店、従業員は全員インド人で味は十分合格「Arigatougozaimasu」はインド人には「アリガトウゴジャイマス」らしく全員「~ジャイマス」といっていた。 桜の名所千鳥が淵はきれいに整地され、華やかさが想い描ける桜の老木列写真を撮ろうと来る前まで充電していた大型カメラを取り出してファインダーをのぞくと《メモリーカードがありません》、SDカードはまだパソコンのスロットカメラをしまい少し進むと戦没者記念碑に出る。私たちが生きてきた戦後の安寧期を生み出すための犠牲者に礼をしてなかったことを思い出し、一輪の菊花を捧げて感謝した。それにしてもすぐ隣の靖国神社に比べてなんと質素・貧弱な施設だろう。神道以外の宗教を信仰する人たちを無理やり靖国に祭るのは無理がある彼らは拉致されて靖国神界をさ迷っているだろう、出来れば貧しくとも自分達の神界領土を安住の地にしてあげたい。どこの国にも戦争や内外の紛争の歴史がありその犠牲者を奉る施設がある。わが国にもどの宗教にも加担しない慰霊碑が必要である。 この時刻無風、桜田濠にはカルガモ、キンクロハジロ、カイツブリなどがのどかにV字型の波紋を描いている。そして皇居の緑に包まれた土盛り、高い石壁とさらにその上の松などが濠の水面に美事に写されている気が付いたら老年の婦人が携帯電話で写真を撮っていたはっと気が付き迫力のない下の写真が出来た 曇天だけにそれらの陰影中の木の葉や幹の揺らぎがはっきり捕らえられる 半蔵門をへて桜田堀に沿って三宅坂を下ると国立劇場・最高裁・議事堂を望んで桜田門へ、このあたり井伊大老の屋敷跡、井伊が邸門を出て桜田門外に至るには2,3百メートルしかないことが分かる。二重橋、坂下門、桔梗門を経て大手町にかかる頃、突如として一陣の風急に汗が出てコートを着ていられなくなった、春一番に体を持っていかれそう 汗とともに急に疲れてKKRホテルのラウンジで一杯のカプチーニで休憩平川門・竹橋・清水濠を経て九段下へ、あと靖国神社に沿って九段坂を登れば完全に内堀を一周したことになるが、この坂は都内有数の長くて急な坂道である。足の悲鳴に気を配り地下鉄九段下へと急いだ。
2009.02.14
コメント(0)

吾妻山公園ここ数日天候が優れずくすぶっていたが昨日は久しぶりに青空少し遠出をして小田原の手前、二宮に菜の花を見に出かけた以前なら前もって計画して出かけるようなところだが、湘南新宿ラインの開通で池袋からでも直通運転の電車に乗れば一時間少々で行ける急に思い立ち11時前の電車に乗る。 降り立ってみるとここは春の気配駅前からすぐ坂道があり、まもなく石段と登り歩道を休み休み登る目の前が開けて芝生の吾妻山頂上公園がぱっと開ける 広場からは正面に大きな富士の麗姿が空に雲は見当たらないが強い春霞が懸かっているでもやはりこの対象性の良い形と純白の山容は心に安定感をくれる芝生広に覆われた頂上周辺は菜の花畑に囲まれている目前に菜の花、蕾が生長した桜木、箱根の峰、正面に富士を望む石垣に腰を下ろしてコンビ二弁当をいただく、景色のスパイスが効いて美味いこの公園は360度の眺望がある富士の左には箱根、天城のかすんだ遠景が小田原の街の上に望めるさらに目を左に転じると大磯、そして小田原側では逆光でくすんでいた相模湾が本来の青い海色を取り戻している海際の巨大なプールと白い建物は大磯プリンスホテル下山時振り返ってみると絵を描いている一団の熟年男女が賑やかだ下山道には婚期を逃したキャリアウーマンのごとく水仙の花が咲きまだまだ山全体を包む芳香と色香を撒き散らして来訪者に幸を運んでいる相模湾沿岸の丘陵南面はもう春の陽気である早春の野花、おおいぬのふぐリ、ひめおどりこそうが可憐な花を咲かせている おおいぬのふぐリ ひめおどりこそうそれにしても大体同じ時期、同じ場所に咲く二つの野草の命名がこんなに大きく運命を分かったのはなぜだろうかおおいぬのふぐり(大きな犬の陰嚢)と、ひめおどりこそう(姫踊り子草) 前者には「ひめわすれなぐさ(姫勿忘草)」が相応しい名であろう。
2009.02.07
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1


![]()