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池袋界隈の散歩正月の食事で体重のゲインが有った。何とかしなければならない。そこでまた近郊の散歩をしようということになった。しかしわざわざ電車代を払って行くわけだから何か食べたいと二律相反することになった。そうなると当然外食になる。幸いJRの「大人の休日クラブ」で貯まったホテルメトロポリタンの飲食券が5千円分あるのでこれで食事をし、申し訳ないので多めの散歩をすることにした。歩き始めてみると写真のような家並があった。大阪の文化住宅- 分かるかな大阪では昔二軒長屋をこう呼んだらしい -ふうでもあり、もっとモダンなオランダの町並み風でもある、一階が車庫、2、3階が住まいの見事な列である。このような家並はイギリスでも見かけるがその場合はバックヤードが付いている。 目指すは池袋駅の近くにある自由学園明日館。ここは羽仁もと子創立の 自由学園で、キリスト教に基づく自由で自立心の強い人格教育を目指して創立された学園、そのため文部省令に迎合せず各種学校として存続していた。今も多分そうだと思う。卒業生も大学受験資格が得られず国立大学受験は困難であったと聞いている。もっとも多くの一流私立大学はその意義を認め独自に受験資格を与えているところが多かった。せつ子・吉一、説子・五郎、羽仁進・左幸子と続く系譜も我々の年代には興味深い。学校自体は現在東京東久留米に引っ越しているが、今日訪れる明日館はその発祥の地の建物でフランク・ロイド・ライトの設計。近年修復され重要文化財に指定されている。 ライト設計の明日館 そして道路を挟んだ反対側には講堂がある。これは礼拝堂を兼ねているようでライトの弟子である遠藤新の設計によるもので温かみのある木造建築である。 自由学園講堂 現在もいろいろな催しに使われているが、木の椅子や長い座布団が印象的である。 講堂の長椅子と座布団 次の目的地は豊島区立目白庭園である。ここは大正期に雑誌「赤い鳥」を発行してわが国に児童文学を興した鈴木三重吉の邸宅跡である。立派な回遊式池を配した見事な日本庭園である。鈴木は夏目漱石、小山内薫、久保田万太郎、芥川龍之介、有島武朗、北原白秋、坪田譲治などと親交があり、童話雑誌「赤い鳥」の発行は大成功だったようだ。もっとも九州出身の貧乏小説家がどうしてこのような邸宅を手に入れたのかどうにも理解できなかった。 居合わせた子供たちは池の周りを駆け巡ったり、手を取り合って何やら昔のわらべ歌を歌いながら遊びに興じていた。 50年位前まではよく見られた光景である。どうやら同好会のお母さんがここで集会をしており、子供たちはそのお母さんに連れられて来ているらしかった。真ん中に一人目をつぶった子がいたが、わらべ歌は私が知っている”かごめかごめ”ではなかった。 昔の遊びに興じる子供たち雪釣りの池の周りの光景は戦前にタイムスリップをしたかのようである。大都会の真ん中の静かな住宅街、そこに忽然と現れた童話の世界。よく見ると水面の影が実物のそれよりもはるかに濃い画を描いているのである。曇り空の作る雪釣りや浮見堂の佇まいは邸にトランキライザーを含ませたような情景を作り出していた。 我々はさらに新宿区立おとめ公園へと足を向けたが、すぐに旧式な一軒の家を認めた。門標を見ると「滔天」とある。中国の孫文の友人で後援者として共に辛亥革命に尽くした宮崎滔天と、その子供龍介と歌人柳原白蓮の住まいだったところであった。大正昭和期、柳原伯爵の娘で炭鉱王の妻の柳原白蓮は龍介と不倫出奔、封建社会にあって世紀の大恋愛ロマンスである。戦前にも映画化され、確か20年位前にも樋口加奈子主演でテレビ放映されたことを思い出す。そんなことを思いながらさらに下落合のおとめ山公園へと歩をすすめた。ここには武蔵野台地にところどころ見られる小さな崖から湧き出る湧水を水源とする池と森があった。 かっては多く見られた武蔵野台地の湧水源、この水で蛍が育つそうだ。 「おとめ山」公園とあるので「「乙女山」と信じていたが、ここはもと徳川家の猟場で一般人はここから中へは入れず、”留めおかれた”ところからの命名だそうだ。ともあれ流れるほどではなかったが武蔵野の湧水源を確認できたのは嬉しかった。何気なく出かけた今日の池袋界隈、思いのほか多くの史跡に出会い歴史や文学史の教科書を回想する機会が得られたのは予想外の収穫であった。
2008.01.11
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都内散歩昨日10日はちょっと変わった散歩をした。70歳以上の老人に毎年練馬区が何かのプレゼントをしてくれる幾つからか選べるのだが昨年度は豊島園にある温泉スパ「庭の湯」の入浴券を頂いていた。ずっと放って置いたのだ年度末も近くなったので散歩がてら寄ってみることにした。と言うわけで我が家の下を流れる石神井川の河畔側道を下ること50分の散歩で温泉着。初めての利用なので今日は保養どころではなく、施設探訪である。まず水着に着替えて温泉プールへ、小さな円形プールは歩いたり、打たせ湯をしたり、吹き湯に足裏を当ててマッサージしたり、中央部の浅い部分に腰掛けて半身浴したり。横の小さなプールではインストラクターがいて水中体操、もうひとつの小さな「死海プール」は要するに塩湖、なるほどよく浮くが室内でどんな効果があるのだろうか。小さな森の庭園には汲み上げ温泉水と軟水の屋外ジャグジーバスに大きなフィンランドサウナが付いている。作務着のような施設着で散歩もできるがこの季節はまだちょっと寒い。2階に上がると椅子席と座敷の和食レストラン、スナックバー、みやげ物店、エステチック、マッサージコーナー。読書したり、囲碁を打ったり、プライベートディスプレイ付きリクライニングチェアーでテレビに見入っている人もいる。隣のディムライトの部屋では耳元にプライベートスピーカーを備えたリクライニングチェアーですやすやの人、中には轟音を響かせている人もいる。最後は肝心の温泉、東京都内の汲み上げ温泉に特有の茶色、効能は調べ忘れた。浴室内には大きめのフィンランドサウナと小さ目のローマ式スチームサウナがある。こちらは最近あまり見かけないが、へプバーンの「昼下がりの情事」という洒脱な映画の場面が思い出された。もちろん露天風呂もある、特に大きな信楽焼きの一人用桶に入って樹の下で浴びるのは風情があったが、こちらは温泉水ではなかった。以上とても「スパ」の入浴体験とは言えず単なる探訪記になってしまった。冬枯れの年頭の木曜日、散歩がてらの暇つぶし、がらがらの様子を予想していたが、なんと年寄り中心とはいえ、若い夫婦やカップル(未婚の意)が多く、レストランも順番待ちとは驚いた。これだけの体験ツアーをするともうへとへとである。帰りは目前の豊島園駅から電車に乗って帰宅となった。短い冬の一日わが駅に降り立ったのは太陽が富士の向こう側に沈む時間であった。裸でカメラを持ち歩くわけにもいかず、拙い文だけであるが、老夫婦のある一日の体験記録である。
2008.01.11
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新年の孫たち今日はもう正月10日、幕の内と言われる日もあとわずか何かと言われる大相撲も3日後には始まる。お屠蘇の味も忘れかけたと言うよりもお屠蘇など頂かなかった人の遅れ来た正月報告である。まず元旦の遅い朝、我がマンションからの富士の姿は美しいいつもと同じなのだろうがことのほか美しく見える。にっくき左側の新築マンションがなければこの姿毎日8階の我がリビングルームから望めたものだ。今は廊下を少し移動しなければならない。富士の前に控える御前山の姿がいい。富士の左端からは丹沢山塊の蛭が岳、塔が岳、そしてさらに大山、箱根の山々へとつながっている。今はちょうど富士の南側に日は沈みたなびく雲を黄金色に染めてくれる。これに南へ渡る雁の列を成す長い列でも加われば申し分ないのだが渡り鳥も首都圏の汚い空は避けて通るようだ。 我が家の正月は例年2日に横浜と磐田からやってくる孫たちの襲来で始まるが彼らはまず年末の出来事を報告してくれる。今年で小学校を終える子は幼稚園から続けている空手で黒帯となり、団体戦で銅メダルを取ったことを報告してくれる。今までにもいくつかメダルを得ているがオリンピックにも劣らない立派なメダルだ。 中の孫娘は幼稚園年長組であるが絵が好きで今年も地元信用金庫の主催するコンクールで3千人中30人の入選者に選ばれたとか。その絵で作ったカレンダーをプレゼントしてくれた。翌日早速近所の御岳神社へ初詣、孫三人それぞれ大きな願い事をしたらしいがないようは秘密だとか。下のA坊は年3回会えるおにいちゃんと長く一緒にいられますように、だそうで小さな小さな願い事である。 そして帰り道の公園では家の中でのもやもやを思いっきり発散していた。 家に帰るとおなじみ任天堂ゲーム、11歳と4歳が2台のゲーム機を使って共同戦線を張り、共通の敵と対戦しているのだそうだ。お姉ちゃんも弟の応援に回ってにぎやかなことである。爺は目を細めて眺めているのみ、それでもこの三人にとって従兄弟と呼び合えるのはこの3人だけでもう増える可能性もほとんどない。できれば歳をとっても仲良くしてもらいたいものである。 と言うわけで孫はまさに”来てよし、帰ってよし”。毒気に当てられた爺婆2,3日は腑抜けてすごした年頭であった。
2008.01.10
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新年の念 今日は私にとって71回目のお正月である ◆ よく 「一年の計は元旦にあり」 と言う ◆ 確かに若い頃はいつも何か 「よーし今年はこれをやるぞ」 と言うものがあったが今日はあまり大きな望みが湧いてこない ◆ 初詣に行っても家族の健康以外にたいして大きなお願い事も無い ◆ 我々凡人は神社仏閣にお参りするとまずお願い事から始まるがこれは邪道らしい、まず初めにこれまでのご加護を感謝し、その気持ちを何らかの形で表し、ついでに一寸お願いをするものらしい ◆ 現役時代は始末に困った大型カレンダーも今年はほとんど送られてこない ◆ 昨日まで使った卓上のカレンダーを始末しながら毎月のページに書かれた我が菩提寺管長の墨書を挙げて一年を省みることにする。 ◆ 1月 千里の道も一歩から (私も昔は赤ん坊 だった、 いや今も?) ◆ 2月 あふむくも、うつむくも梅の、浄土かな (少々難しい。形は見なくとも香りはあるもの。 幸福の 探し方と見た) ◆ 3月 桃花笑 春風 (待てばいつか人生の春 を運ぶ風も吹こう) ◆ 4月 母が呼ぶ 声かも知れず 散る桜 (盛者 必衰、 願わくは花の下にて春死なん・・・ 西行の心境か) ◆ 5月 天に星 地に花 人に愛 (三界の美) ◆ 6月 草庵に 花なき時の 実梅かな (花は姿 かたちを無くしても大きな恵を授けてくれる、そし てこの時期青い梅も花に見える。感謝、感謝) ◆ 7月 嵐 翠 (嵐と木々の実り、苦難は生長を もたらす)◆ 8月 白雲 起峯頂 (エネルギーが湧き立つ のは精神の高陽時) ◆ 9月 朝の来ない夜はない (辛い時は我満 しなさい。晴天と雨天はかわるがわる。天気予報は その交代を告げているだけ) ◆ 10月 清風 萬里秋 (たまには心の掃除を してすがすがしい時を過ごそう) ◆ 11月 裏を見せ 表を見せて 散る紅葉 (見て見て!! 葉の裏側も、そして歩道を彩る 最後の 努力も認めてよ) ◆ 12月 祈りをこめて なにごとも (そう、 祈りには感謝の気持を込めるのですよ) ◆ 見事な墨書である。ここに転載したいが、 これも一種の著作・作品であり、知的財産権に触れ るかと思い、味気ない文になった ◆ 元旦に何か なさねばとの一種の義務感のなさしめた所業 ◆ 一種のつれずれの記。乞許 ◆
2008.01.01
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