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私的最近パソコン事情ここのところ寒くて外出することも少なくブログ種にも事欠いており、必然的にコンピュータの前に座ることが多い。考えてみると最近ブログはデスクトップで書いていたがメイルやWebはタブレット型で済ますことが多くなった。そこでここ一年位の私のコンピュータ巡り、特にモバイルコンピュータ遍歴を振り返ってみることにする。最近はタブレット型パソコンや無線WiFi通信が話題になることが多い。人生の持ち時間が少なくなった現在、私的にも今いろいろ経験しておかないともうチャンスが無いかもしれないと思い最近はタブレット・無線WiFiという二つのカテゴリーで格闘している。そんな訳で一段落した今、この間の事情を回想しておくことにする。これらの期間、役に立ったのはYahoo知恵袋である。 Yahoo知恵袋と云えば丁度去年の今頃京大の入試で試験会場に正解が届けられたことで有名になった、あの知恵袋である。大抵の質問には誰かが答えてくれるし、過去の問答集も実に役に立つことが多い。ITには「お婆ちゃんの知恵袋”よりは”Yahoo知恵袋”の方が優れているみたいである。丁寧なWeb上の記事を見て各種設定をするにしても後期高齢者に属する歳並で新しいシステムに慣れるには時間がかかる。ただ時間はたっぷりあるのでインターネットで調べてはトライアンドエラーで設定してゆく。取り付く隙間も無かったものでも時間をかければ何とかなるものである。 さてモバイル端末が欲しくなり最初に手に入れたのがSharpのPC-T1、格好良いデザインで丁度ゲーム機をもっと恰好よくしたような外観である。Web,Mail,画像、動画、音楽、読書、Word, excelと何でもござれである。 PO-T1はLinuxを基本にしたUbuntuと云うOSで動かしている、Sharpらしく7インチのカラ―ディスプレイは鮮明で片手に収まり、デザインは合格。画面は感圧式のためスタイラスペンでしか使えず、画面切り替えや拡大にも手数が多くて年寄りには辛い。高いゲーム機のような気がして、もうオジサンに近い息子に押しつけた。手元に有ると次の機種に乗り変えられないためである。次に通販でAndroidの9インチChina PAD(iPADの模倣品)を買ってみた。デザイン的には表も裏も95% iPADの模倣である。ヒット商品が出ると間髪をいれずすぐ壊れる模造品を出す、これもChina Padと蔑称されるものだが冷やかしとGPSまでついていると云うことで通販で求めてみた。この時点ではマニュアルも付いて来ず、まだiPADも未経験でAndroidも初めてだったので電源の入れ方から苦労した。 これも感圧式であるが9インチサイズで大きく指で操作が出来る。とは言っても所詮は模造品、堅くて動いたり動かなかったり、フリーズするのは日常茶飯事で使い物にならない。これでは人にあげるわけにもゆかないと困っていたところ都合よく故障で充電出来なくなってしまった。まあ一寸した道草と浪費をしてしまったが良い教訓になった。
2012.02.29
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小田原の名店駅前の商店街アーケードには小田原北條家の家紋である三つ鱗紋をはじめ重臣たちの家紋と思われる文様が付けられている。その先に“お菓子のういろう” の看板があり名古屋の名物 ”ういろう” が小田原にもあった。その塀の上を見ると今度は同じ字で薬局とある。それにしても駅前商店街にいきなり変わった家紋を付けた瓦屋根である。 写真だけ撮って家に帰り調べてみると私の無知がばれてしまった。何と”ういろう” はここ小田原が発祥なのだ。中国の元が崩壊した時一人の難民が九州にたどりついた。陳と云う人物で元朝で礼部院外郎職であった。礼部は医務局のようなもので外郎は職階だろう。この外郎(がいろう)を”ういろう“ と読ませて姓として名乗った。彼の作る秘薬は評判を呼んで評価を高め室町時代将軍にも愛用されたが後に北條早雲の招きにより小田原に移り住み、その薬”透頂香” や外郎家が創案した菓子がその家の名から”ういろう”と呼ばれ小田原名物となった。印?に詰めた”透頂香”が東海道を旅する人の人気となり全国に広まった。弥次さん喜多さんの東海道中膝栗毛にも詳しく書かれているみたいである。この薬は今も市販されており、薄荷を含んだ仁丹様の銀粒である。”ういろう本家” のホームページを見ると量産できないため本家でのみ販売し、町の薬屋や通信販売でも売っていない。その外郎家が破産した時職人たちが各地に広がり”ういろう” 菓子が広がった由である。これで" ういろう"をなぜ外郎と綴るのかの謎が解けた。現在も外郎家は薬屋兼お菓子屋なのである。薬と言っても医者が使う医薬ではない。調剤薬局とは外郎家の誰かが薬剤師になって開いたのだろうか。前に記した三の丸小学校裏にはお城造りの外郎家本店があり、Webには頻出している。全ては後で知ったことで文字通り後の祭りである。でも小田原探索をしていなければ永遠に知ることは無かったであろう。その外郎屋の隣りがかまぼこの「篭清」である。表通り側のウインドウには伊豆地方やこの地の名物吊るし雛しか飾っていないが店内はズラリと飾りかまぼこが並べられている。何とこれがみなかまぼこなのである。そう云えば小田原のういろうを知らぬ人でも小田原のかまぼこは誰でも知っている。横丁は長い篭清の店でよく見ると”篭清の梅しんじょ” のポスターも目に入る。 隣りは梅ぼし専門店、これまた驚いたことにひな壇のように見事に飾られた各種の梅干し商品である。そう云えばあの曽我兄弟の仇打ちで名高い曽我梅の里は小田原である。篭清と云えばもう一軒の名物かまぼこ屋の鈴廣も数軒隣に有る。お正月の関東大学箱根駅伝の中継所は箱根登山鉄道で一駅先の風祭に有る鈴廣の本店前であった。ここは駅伝のために施設や人員を提供して正月の箱根路に活気をもたらし、年の初めには必ずテレビで見なければならない場所であった。近年往路中継点は変更されたようであるが箱根駅伝と鈴廣との関係は広く知れ渡っている。 此処の店内も花盛りである。やはり梅とかまぼこの融合が多く見られる。 写真を撮った時は気が付かなかったが(買わないので)この日はバレンタインデイの前日であった。 ”大切なあの人に” とか”?印かまぼこ” とかピンクのコーナーはほとんどバレンタイン仕様である。いやいや驚いた。確かにチョコレートよりはインパクトがあるかもしれない。 道路を渡って店を振り返ると大きなポスターが目に付いた。”描いて伝えるプリかまdeバレンタイン”とある。オリジナルの絵や文句で自分の気持ちをかまぼこに託すらしい。んーんこれも斬新な手ではある。
2012.02.19
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小田原街歩きヒルトン小田原に行った際チェクインには少し早いので小田原城を訪れたことは前ブログに記した。その際まだ歩いたことのない小田原の市街を歩いて見た。かっては地元住民しか乗り降りしなかった北口も新幹線の駅が出来てバスセンターを備えた駅前広場となり、そこには当然のように小田原の開祖北條早雲の像が立っている。かっては地方の豪族武士からの成り上がりとされていたが近年は伊勢平氏の出身とする説が強いようである。駅のコンコースにはこれも当然のように”おさるの駕籠屋でほいさっさ” の小田原提灯がぶら下がっている。上下の枠を金属で作りたたむと蛇腹部分が丸くて薄い円筒にすっぽり収まり袋に納めて懐に入れ旅の携帯品として貴重なものであったらしい。とくに箱根の山越えには必需品であった。さて城から出るときお堀の向こうに和式の近代建築が目に入った。小田原提灯様の街灯を備えたその建物は市役所だろうと思って近ずくと本館から張り出した格好良いファサードに何やら小学校の字が見える。 ズームアップしてみると市立三の丸小学校の字が、何とこんな立派な小学校を見たことが無い。窓ガラスには桜の古木や城の石垣が映っている。街中に入ると黄花南天だろうか綺麗に紅葉した植木が目に付いた。また近くには千両でも万両でもなさそうな赤い実の黄葉木が見事に色付いていた。マンホールは相模湾、箱根、小田原城、お姫様を乗せた早川の渡しらしき図柄。昼食は二階に小田原提灯をかざした橋本屋で由比から取り寄せた桜エビの?き揚げそばを頂いた。 その隣に面白いうなぎ屋を見つけた。ショウウインドウを見ると190gうな重が1365円、あと200g、230g、250g、300gとあり、300gのは2835円である。消費税を別にするとそれぞれ1300、1800、2100、2300、2700円となる。200-300gのうな重は大体100g当たり900-920円につくが190gのうな重だけは100gあたり684円である。小さいのを2杯頼むと380gのウナギを食べて2730円で済むが一番大きいのを頼むと300gで2830円払わなければならない。それにしても貧乏人に優しいこの値段設定は嬉しいではないか。店主の気持ちが伝わってくる小田原の人情である。
2012.02.18
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小田原 Hilton Resort and Spa昭和30年代エネルギー源が石炭から石油に変わった。政府は炭鉱離職者のため雇用促進事業団を作って離職者を援助した。財団は使命を終えても天下り先確保のため職業訓練施設・勤労者住宅の外に保養施設をつくってきた。現在でも経営体形は変わっても xxハイツ、テルサ、いこいの家、サンプラザなどの名で続いているものが多い。小泉時代1万円、10万円、100万円などで民間に売却された。1980年代、果物の輸入自由化協定が発効した。 小田原市はオレンジ畑の転作を考え保養施設の建設を事業団に働きかけた。こうして450億円余りの巨額を投じてスパ・運動・散策路などを擁した泊施設が出来たが小泉改革にひっ掛った、小田原市に只同然の価格で売り払おうとしてマスコミにたたかれた。再評価後8億円で市民の保養施設として売られた。それでも建設費の50分の1以下である。市は運営をヒルトンホテルに丸投げしているのが現在のHilton Resorts and Spaなのだ。 5階の部屋からの朝の相模湾。この日は見通しが悪く房総半島や大島は見えない。教会風の建物は総ガラス張りの結婚式場。丸い建物は色んな種類の浴槽を備えたバーデゾーンとリラックス用のスパゾーン散策のため下に降りて見たホテルの前庭先に記した式場の祭壇と参会者席。 祭壇は海を背にして出席者はそれらの景色を前にする。散策路入口のモニュメント3つのコースがある散策路の冬景色、冬は見通しがきいて枯葉を踏みしめる音が心地いい。サルノコシカケもこれだけ揃うと見事、天への螺旋階段みたいである。冬の花と云えばこれ、香りは森の散歩を豊かな気分にしてくれる梅は花びらに艶が無いので余り好みではないが蕾と香りは良い。今年は寒く開花が大幅に遅れている。散策路からズームレンズで見ると前日訪れた小田原城と三の丸小学校が認められる。普通ススキの穂は白っぽいものだがここのは黄色の絵の具の色そのものだ。 散策路の終点から見上げたホテル全景、今でも小田原市民には優遇制度があるみたいである。お役所が始めた保養施設とはどうしても想像しにくい威容である。
2012.02.17
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小田原城2月の新聞休刊日は13日。恒例の一泊旅行は小田原ヒルトンホテル。新宿から特別料金の要らない小田急で約1時間半の旅程、昼ごろの到着で駅から歩いてすぐの小田原城に行った。すぐ横を東海道線で通った回数は数えきれないがまだ一度も城を見物したことが無かった。関東の桜名所の一つなのでその時期以外はなんとなく小田原は箱根に行くときも下車することは無く、何時もホーム to ホームの乗り換えだけである。勿論戦後再建されたものであるが、鎌倉時代関東の戦国大名・北條早雲に始るこの城は上杉謙信や竹田信玄の攻勢に耐え、秀吉の関東制覇により落城するまで(後)北條家の拠点であった。この秀吉の小田原攻めへの対処を相談する軍議が評定のみで何も決まらないことから 「小田原評定」の語が生まれた,さしずめ西洋版「会議は踊る、されど進まず」と同じ起源の慣用句である。江戸時代には大久保・阿部・稲葉・大久保と城主は代わり、この間幾度かの地震に痛めつけられ、さらに明治以降は散々な目に遭い、櫓や門・天守閣も売り払われ、移築などではなく”破却”とある。要するに単なる建築材として売られたらしい、惜しいことをしたものである。最上階の天守台に登ると平城とはいえ相模の国がよく見える。まずは箱根の山々、富士山型の山は箱根の最高峰駒ケ岳、先月の休刊日にはここに登った。その少し左方向には秀吉が小田原攻めの時築いた一夜城があった。一夜城と言っても一晩で建つはずもなく山の高木を隠れみのにして築城後一晩で木を切り、姿を見せたという。城と言っても砦城なので低層ではあるが小田原城の天守からも見えなかったというのは信じがたい話である。 一夜城の方向から少し目を左に転じると駒ケ岳の左に2個のおにぎりのような双子山が見える。そのひとつには無線アンテナが林立しておりかなり見苦しい様相である。天守を下り本丸広場から見上げると木立が深くなかなかその全体像を捉え難い。 本丸広場の出口近く常盤木門の前に一本の巨松(おおまつ)が立っている。城主も仰いだ古い松らしい。普通古木を支えるのは木の棒であるがここではそんな柔なものでは支えきれないらしく鉄骨造りである。手術痕も人工皮膚でもあてがったように滑らかだ。人間だけでなく樹木も最近は医療の発達でなかなか往生するのが難しくなってきているみたいである。 近くに有る楠の巨木も身をよじらせて生きている。樹木も人間も年を取ると素直な容姿でいることが難しく、どうしても捻くれてくる。心せねば! 本丸広場からの出口は下の常盤木門でここを出ると二の丸広場。その二の丸広場への出入りは銅(あかがね)門、通常城門は鉄で保護されているが、この門は銅で補強されている贅沢なもの。ひときわ目を引くのが見事な梁で規則正しい芸術的な手斧(ちょうな)の斫(はつ)リ模様である。日本の城特有の防衛的構造である枡形門は一度敵を塀から門内に誘導し枡形のたまり場で攻撃を仕掛け次の侵攻を防ぐやり方である。隅櫓も復元された石垣も濠と美しく調和している。最後に馬出門からの天守の雄姿、とに角ここは大木に満ちた城だ。後世観光用にかけられたと思われる学橋も美しい景観。
2012.02.15
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聖バレンタインデイ今日は 聖Valentine day である。午前中に思いがけず宅急便が届いた。贈り人欄に孫娘の名がある。包装を解くと地味な箱に小さくClub Harieの字が見える。包装紙が無い所を見るとあの近江八幡の”たねや”の洋菓子部”Club Harie” のチョコレート箱の再利用であろう。蓋をあけると手紙が出てきた。小4の娘は私よりはるかに上手な字で自作のバレンタインチョコだと書いてある。料理や細かな手仕事、そしてピアノが得意なただ一人の孫娘である。 去年のクリスマスには下の写真に見えるケーキの縫ぐるみを送ってくれた娘である。 さて箱の中からは2袋のチョコレートクッキーが出てきた。 丸いクッキーにハート模様を描いたものとハート形の2層のクッキーである。 さっそく紅茶を入れて頂いたらお茶によく合って実に美味しかった。 余り貰えなかったひがみか今までバレンタインデイを蔑視ししてきたきらいがある。でも今年のバレンタインデイは豊かな気分で過ごしている。なんと現金なことか自分で驚きである。世の青年たちが秘かに思う人から貰ったらさぞ嬉しいことだろう。またそうでない人から貰ったら一種のストレスになるだろう。もっともほとんどは義理チョコなので”有難うございます” の一言で済むのかもしれない。最近の世相は私の想定外である。 女性の守り神であるローマの天空神Juno(ギリシャ神ヘラに相当)の祭りを翌日に控え、娘たちは自分の名を記した札をカメに投げ入れる。翌日戦士達は札を引き当て祭りの期間中その娘と過ごす。これが昔の聖バレンタインデイの由来だそうだ。この一種の婚活行事を聖人バレンタインに結び付けキリスト教が利用したのが西洋での起源とするならば、日本の習慣はコマーシャリズムがその起源であろう。 小学生の女の子が手造りのチョコレート類を贈るのはお爺ちゃんでもお父さんでも先生や同級生でも本当に清らかでその思いが伝わる気がする。Happy St.Valentine !!
2012.02.14
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