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ここ数日、H司祭の性的虐待問題に関するネット上での議論が静かになっています。あの「[内紛]迷惑団体 聖公会 - 迷惑信徒 聖公会[出て行け]」というブログをお書きになっていらっしゃる方も書き込みをされなくなりました。何かあったのかと思い、京都の新撰組の方々やその他の方々にメールを出したのですが、どなたもその理由をご存じありませんでした。 ただ、あの<主日の御言葉>を書いている方は、何かを知っていらっしゃるようでしたが、お話下さいませんでした。日本聖公会京都教区は何をお考えになっていらっしゃるのでしょうか。あの裁判の原告になられた被害者の方は勇気を奮って証言台に立たれたのです。女性にとって、性的虐待の事案で証言台に立つ辛さを、日本聖公会京都教区の聖職の方々はどれだけ理解しようとされているのでしょうか。性的虐待行為を受けたと申し出ることさえ大変なことではないでしょうか。そして、それを申し宛てた後、一旦はH司祭を退職させておきながら、そのすぐ後でH司祭の「事実無根」という言葉だけを理由に、退職を撤回されてしまいました。その痛みを身に負って、「慰謝料請求裁判」を起こされたのではないでしょうか。 被害者が他にもいることをこの時点で、あの原告の方はご存じだったということも耳にしたことがあります。もう二度とこうした事件が起きないためにと、それ故に、あの被害者の方は法廷の証言台に立たれたのです。だとしたら、何故H司祭の退職を撤回したのかという疑問に対して、日本聖公会京都教区は、あの原告の方に、そしてそのご家族に詳しく説明するべきではないでしょうか。具体的なことを申し上げれば、退職撤回を決めた日本聖公会京都教区の常置委員会議事録をせめて被害者とそのご家族だけにでもお見せすべきなのではないでしょうか。 最近、毎日のように性的虐待事件が報道されています。18歳未満の女性がその被害に遭われています。おそらくそうした報道の水面下には、被害を申し出ていない方々が大勢いらっしゃるようにも思えます。教会では、こうした問題が起きると、二度と教会へは行かないとお決めになってしまわれる方がいらっしゃいます。そうした方々が、また主の晩餐のお恵みに与れるようにならなければ、教会は道を誤っているようにしか思えません。日本聖公会京都教区のために、毎日お祈りをしています。どうか、主の御栄光が日本聖公会京都教区の教会を通して顕れるために、聖職の方々を主がお導き下さいますように。
2008.06.15
高等裁判所がH司祭がしたと民事裁判で認定したわいせつ行為は、裁判記録の閲覧メモを拝見した範囲では、日本聖公会京都教区の内部問題ではないです。明らかに、日本という国家の法律である刑法に違反した行為です。だからこそ、慰謝料の支払い命令が判決として出たのではないでしょうか。そして、あのわいせつ行為に関して、日本聖公会京都教区はほとんど裁判記録を閲覧していません。特に、K主教はその立場上、あの記録を閲覧する義務があるように思えます。 にもかかわらず、K主教のみならず、常置委員の多くは裁判記録を閲覧しに行かないばかりか、「閲覧しに行くか行かないかは私の自由だ」とおっしゃった司祭がいたたそうですが、どうしてそのようなことが言えるのか判りません。日本聖公会京都教区の内部で解決しようとする意志がおありなら、すでに多くの聖職者が閲覧しに行っているのではないかと思えます。H司祭がしたわいせつ行為がどのようなものであったのかということを知らずに、この問題を考えることは不可能です。そして、主教や司祭、あるいは執事という聖職者であれば、閲覧した内容の中で個人のプライバシーに関する部分を生涯にわたって秘匿することはお出来になるはずです。 私は日本聖公会が消えればいいと思って、このブログを書いているわけではありません。日本聖公会の教会に集っている多くの方々が、この一連の出来事に関して心を痛めていらっしゃることが耐えられないのです。また、被害者そのご家族が京都教区に対して要求していらっしゃることが、いまだに何ら進展していないことを憂いています。事案が事案だけに、京都教区は誠実すぎるくらい誠実に対応しなければならないはずなのに、まったく誠実さに欠ける対応しか為さっていないようです。 このままでは日本聖公会は崩壊してしまうのではないでしょうか。神学的にも教会形成という視点からも、あるいは、教会組織と教会法の関係においても、大きな問題が燻り続けているようですが、教会が崩壊したら困るのは信徒の方々です。日本聖公会京都教区はそれをご存じなのでしょうか。明治以降、代々、日本聖公会の信者さんであり続けて来られたお宅の方もいらっしゃるでしょうし、最近になって信仰を持たれた方々もいらっしゃると思いますが、もし日本聖公会が崩壊したら、そうした方々の信仰生活も崩壊せざるを得ないのではないでしょうか。そうした意味では、日本聖公会の管区や主教会の責任は重大だと思い続けておりますが、日本聖公会はどのように考えていらっしゃるのでしょうか。
2008.06.12
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