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「司祭 モーセ原田文雄 2005年9月5日付 金沢聖ヨハネ教会牧師および 富山聖マリア教会管理牧師の任を解 く。 願いによって退職を許可する。」 「糾す会」からの一斉メールに、日本聖公会京都教区の方式ホームページに書かれていることが記されていました。原田文雄司祭の依願退職を2005年9月5日付けで高地主教が認めています。しかし、原田文雄司祭はこの時点でも「事実無根」を貫いていました。退職理由は「一身上の都合により」ということだったそうです。これも、昨年11月23日の高地主教の文書で高地主教自身が認めていらっしゃいます。しかし、この時には既に最高裁判所の上告棄却によって高等裁判所の判決が確定しています。それでもまだ、日本聖公会京都教区は原田文雄司祭の「事実無根」だけを受け入れ、京都教区の信徒である被害者の主張をすべて否定していました。 しかしその後、他にも4人の被害者が現れ、原田文雄司祭の性的虐待行為を事実として認めざるを得なくなり、2005年12月9日に「謝罪の記者会見」を開いて、被害者に対して謝罪しました。(ただしその場には、当然のこととして被害者は出席していません)そして、原田文雄司祭に対して「陪餐停止」の処分を課したと発表されましたが、この「陪餐停止」が原田文雄司祭に対して言い渡された日付に関しては、公にされていないようです。間違いなく京都教区の記録には残っていると思われますが、処分の日付は公にははっきり知らされていません。 そして、これで事件はすべて解決したかのように京都教区内の教会に報告されていたようで、信徒の中には問題は解決したと信じて疑わなかった方々がいらっしゃいます。これは「糾す会」の一斉メールに、たびたび指摘されています。しかし、その後の経過の中で、裁判を提訴した被害者の方やその家族から出されている要求に関しては、未だにまったく答えられていません。要求は下記の二つです。 1) 武藤六治主教と古賀司久幸司祭が教育界及び教会勤務から離れ ること。ただし、教会付属福祉施設は可とする。 2) 加害を認めたにも関わらず、退職を撤回した経緯の詳細を文書 化すること。加害を認め退職が決定された後、古賀久幸司祭が信 徒弁護士から受けた助言の詳細、それを受け復職を決めるまでの、 京都教区常置委員会の詳細な討議内容の提示。 日本聖公会京都教区は未だにこの要求に目を背けています。特に2)に関しては非常に重要なことです。あの時点で審判廷を開き、審判廷において問題を解決していれば、このような情況にはならなかったのではないでしょうか。「甲第4号証の1」と記された、2001年3月10日付の、原田文雄司祭が書いた謝罪文書を読めば、原田文雄司祭が何を考えていたかがはっきりしています。この内容は、キリスト教会の聖職として相応しくないものであることは、誰も否めないのではないでしょうか。こうした手紙が被害者宛に出されている事実を知っていながら、何故京都教区常置委員会は原田文雄司祭を審判廷に提訴しなかったのか。被害者が提訴すべきことではなく、常置委員会が提訴すべきだったのではないでしょうか。 そして、二度目に原田文雄司祭の審判を京都教区の常置委員会が申し立てるチャンスがありました。それは、最高裁の上告棄却が言い渡された直後です。高等裁判所の判決がこれで確定しました。高等裁判所の判決では、被害者の控訴理由書に記されていることに対する、加害者(原田文雄司祭)の反論はすべて退けられています。それでもなお、日本聖公会京都教区は原田文雄司祭を審判廷で審判しようとはなさいませんでした。何故でしょうか。常軌を逸しているとしか思えません。そして、前述した被害者とそのご家族から出されている要求に関しても、昨年の教区会での『常置委員会特別報告を受けて』という高地主教の文書で、2)に対する対応が出来ないでいる理由だけが述べられたに過ぎません。しかも、その理由はあまりにも惨めでした。常置委員会の議事録を提示すればそれで十分なはずです。 日本聖公会京都教区は、12歳以下の児童に対する性的虐待行為を何故裁けないのですか。原田文雄司祭を依願退職のままで放置しておくのですか。それで日本聖公会京都教区は被害者とその家族に、日本聖公会京都教区が心から謝罪したことになるとお考えなのですか。
2008.01.31
「和解申し入れ書」 昨夜遅く、知人経由で2005年11月25日に原田文雄司祭が被害者に対して出した「和解申し入れ書」とでも言うべき書簡が送られてきました。<日本聖公会にもの申す>というブログにあったものを、少し変えて書かせていただきます。 高等裁判所の判決…………………2005年 3月30日 最高裁判所への加害者の上告……2005年 4月15日 最高裁判所による上告棄却………2005年 7月19日 「和解申し入れ書」書簡…………2005年11月25日 京都教区の謝罪の記者会見………2005年12月 9日 「何よりもまず○○さんの心を傷つけましたことを心から深くお詫び申し上げます。○○さんの痛みはご家族の痛みであるゆえ、ご家族の皆様にもお詫びいたします。」と最初に書かれているのですが、この文言からは、原田文雄司祭のしたことが性的虐待という犯罪である認識が原田文雄司祭ご自身の中にあるようには読みとれません。そして、皆さんが問題にしていらっしゃるのは、 「今から一八年前の一九八七年三月○○さんへの英語教室最終日、間もなく京都の教会に異動する事を告げたとき、立っていた私の胸に飛び込んでこられました。二人ともバランスを失いソファーに倒れこんでしまいました。その際、私の片手がズボンの上から○○さんの性器に触れました。私はすぐさま振り解こうとせず、その手を放置しました。かようにして衣類の上から○○さんの性器に触れました。そのことを深く謝罪いたします。」 という第二段落ですが、こんなシーンはなかった、というのが被害者の感想だそうです。この書簡に述べられている性的虐待の具体的内容はこれだけです。裁判記録に残されている被害状況の説明をしている被害者の文書、そしてそれは高裁判決で事実として認定されているのですが、その中に書かれていることとはまったく異なっていますし、管見の限りではこの書簡に記されているようなことはまったく書かれていませんでした。 この文書は2005年11月25日の数日後に被害者宅に送達され、この内容に激しい怒りを覚えてか、原田文雄司祭宛に返送されたのですが、そのコピーが残されているそうです。コピーされたものをコピーし直したものをスキャナーで取り込んだ画像が知人経由で小生の所に届きました。ワープロ専用機もしくはパソコンで書かれ、印字されたものと思いますが、フォントの形からするとワープロかもしれません。これだけ鮮明な画像があれば、その機種を特定できると思います。そして、最後の所にご自身者と考えられるサインが入っていますし、この文書を被害者のご家族が送り返した後、被害者宅へ返送されていないので、間違いなく原田文雄司祭に届いているものと思われます。ただし、これが届いていようと届いていまいと、原田文雄司祭がこうした書簡を書いた事実です。ですから、返送されてきたもののコピーが残っていたことに、原田文雄司祭も日本聖公会京都教区も驚いていらっしゃるかもしれません。 「さて、裁判も私の敗訴で結審し、損害賠償金授受手続きも終え、牧師職を辞任し無職に至った今、和解のお願いを申し上げます。何卒宜しくお願い申し上げます。和解したからとて私が現職牧師に復帰する可能性は皆無であろうことを付記いたします。たとえ望んでも教区主教の許可と教区常置委員会の同意がなければ復職は叶えられません。私としては、ただただ和解をしていただきたいと願う次第です。」 これが後段です。これを、12月9日の謝罪の記者会見の前に書いています。皆さんはこれをお読みになって、どのようにお考えでしょうか。私には、原田文雄司祭がこれを書いた目的が表れているとしか思えません。そして、この文書を原田文雄司祭は一人で書いたとは思えないのです。被害者はそうしたシーンはなかったと断言している出来事を書き、それについてだけ謝罪し、後段に復職に関することが記されているのです。本当に復職なさりたいお気持ちがなかったら、こうしたことは書かないのではないでしょうか。 明らかに原田文雄司祭は、復職の可能性を求めてこの「和解申し入れ書」を書いているとしか思えません。だからこそ、被害者には記憶のないことを捏造して、こうした文書を書いたのではないでしょうか。しかし、捏造したシーンを書くことが、かえってマイナスになるということを何故考えなかったのか。原田文雄司祭は被害者の訴状を読んでいます。読んでいないとは考えられません。にもかかわらず、捏造したシーンだけを謝罪しているのです。これでは、被害者が求めている謝罪になるはずがありません。 もう一つの問題は、日本聖公会京都教区はこの書簡の存在を知っていたかどうかです。つまり、ここに何が書かれているかを投函以前に知っていたかどうか、その時には知らなくとも返送された後で知ったのか、あるいはこの「申し入れ書」に関してはまったく日本聖公会京都教区は知らなかったのか。いずれにしろ、日本聖公会京都教区にもこの捏造文書に関する責任があることは否めません。詳しいことは、またの機会にします。
2008.01.26
私には未だに理解できないのですが、被害者と和解できるまで陪餐停止にするという処分は、一体何を意味しているのでしょうか。原田文雄司祭が司祭であることにかわりはないですよね。日本聖公会では破門の規定がありませんから、司祭職にあり続けているわけですが、陪餐停止になると何が出来て何が出来ないのか、それがまったく不明瞭です。教会付きの牧師ではなくなったことは理解できます。しかし、司祭職に止まっているのですから、教会での早晩祷の司式などは出来るのでしょうか。あるいは、聖公会系のミッションスクールでの礼拝で説教することもできるのでしょうか。 被害者が少なくとも6人いることは京都教区は判っていらっしゃるはずですよね。そして、そのうちの4人に関しては原田文雄司祭自身が認めているのですが、この段階で、何故有期停職処分なり終身停職処分になさらないのでしょうか。原田文雄司祭が犯した過ちは、信仰上の問題ではありません。複数の女子児童に対する性的虐待=準強制わいせつです。にもかかわらず「一身上の都合で」依願退職した原田文雄司祭は、「一身上の都合」の状況が変わればいつでも復職出来るわけですよね。これは、刑法に違反する重大な犯罪行為をした人に対する対応として、あまりに理不尽ではないでしょうか。 日本聖公会の中ではこうした過ちを犯した司祭は、皆さん、依願退職させているのでしょうか。今までにはこうしたことはなかったのでしょうか。東京の世田谷にある聖公会神学院では、神学性の方が自殺されたそうですが、そのことの責任はどうなっているのでしょうか。何でも、民事裁判が行われているそうですが、私も一度部長に行って来ようかと思っていますが、原告のお名前も被告のお名前も判らないので、どの裁判所で裁判が行われているか判りません。どなたかご存じでしたら、是非お教えいただきたいと思います。「FH司祭問題を駁す」にでも、どの裁判所(地裁のどの支部か)をお教えいただけないでしょうか。日本聖公会の聖職者でなければ入れてもらえないわけではないと思います。非公開で行われる類の裁判ではないと思います。 聖公会神学院の中でイジメがあったということを耳にしていますが、真相は一体何だったのでしょうか。ご自分たちの組織の中の一部の人々だけの間で問題を処理しようとすればするほど、組織は崩壊の一途をたどりやすくなるのではないでしょうか。教会は仲良しグループではありません。まして神学院は聖職養成のための研修所ですから、これは極めて重大な問題です。学校法人であろうがなかろうが、聖公会神学院という看板を掲げている以上、社会的責任が求められるのは当然のことではないでしょうか。にもかかわらず、日本聖公会はこうした問題を今までも隠蔽し続けてきています。他にも一般社会であれば大問題になることを隠蔽し続けています。しかも、聞くところによると、ご自分達に都合のいい情報だけを「メーリングリスト」とやらで特定の方々に流されてされているようですね。こうした一連の日本聖公会の動きは、正にカルトであるとしか言いようがないのですが。 ※このブログはリンクフリーです。自由にリンクして下さって 構いません。是非リンクして、日本聖公会京都教区の過ちを 伝えて下さい。
2008.01.24
ある教派の牧師は、複数の女性と交際していたようです。そして、その中のお一人は自ら命を絶たれてしまいました。そのことに関して、その牧師が所属していた教派の中心的な方々は、その牧師をその教派から除名しました。しかし、なかなかその女性のご家族に謝罪されませんでしたが、昨年、その教派の中心的な方々は、自らの教派の中の一員が犯した重大な過ちを悔いて、ご家族に謝罪しに行かれました。問題を起こした牧師は未だに謝罪していらっしゃらないようですが、少なくとも教派の主立った方々は、その女性のご家族に謝罪しに行ったそうです。ここで確認しておきますが、この牧師がしたことは教会的に考えれば、大きな罪を犯していたことになるのですが、日本という国家の中では刑事事件にはなりません。日本では、一夫一妻制が施行されているように見えますが、実質的に一夫多妻や一妻多夫が行われていても、それぞれがその状態を認めていれば法律で処罰することは出来ません。 しかし、日本聖公会京都教区で起こった事案は、明らかに刑法に抵触していることです。「準強制わいせつ」であると考えられています。ただ、掲示時効が完成してしまっているので、刑事事件にはなりませんでした。聞くところでは、こうした事例は多々あるようです。被害者の方は、PTSD発症後に慰謝料請求裁判を提訴されました。そして、一審では敗訴しましたが、控訴審では仮執行宣言付きの全面勝訴判決を勝ち取りました。要求額の全額を被告である加害者に支払い命令が為され、裁判費用は加害者=被告が全額支払えという者でした。そこで加害者は最高裁判所に上告したのですが、一度も公判が開かれることなく上告棄却が言い渡され、高等裁判所の判決が確定しました。この判決は、加害者の側に全面的に落ち度があるということを意味している判決なのではないでしょうか。にもかかわらず、日本聖公会京都教区の主教や常置委員会は、加害者の「事実無根」という言葉だけを受け入れて、加害者を擁護し、高等裁判所や最高裁判所に抗議するという声明を出されました。このこと自体が、被害者の女性に対する二次的加害行為であることではないでしょうか。 裁判の提訴以来、日本聖公会京都教区は一度として被害者の方やそのご家族とお会いになっていらっしゃらないのではないでしょうか。私が知っている範囲では、主教も常置委員もお会いしていないように思えるのですが、如何でしょうか。昨年11月23日の教区会で配られた「常置委員会特別報告」には、 *これまでに行われた被害者(Aさん)およびその関係者への謝罪は 以下の通り。 1 高地主教が、被害者(Aさん)関係者を訪問して謝罪。 2 一昨年12月、奈良県庁の記者クラブでの高地主教に よる記者会見を通しての謝罪。 3 昨年度京都教区会の「宣言」決議を受けての謝罪。 4 武藤主教、古賀司祭がそれぞれに被害者(Aさん)関 係者を訪問しての個人的謝罪。 と書かれていましたが、この4回の謝罪の場に、被害者とそのご家族は居合わせたのでしょうか。1だけは、確実に「被害者関係者」に謝罪されたようですが、2と4には被害者がその場に居合わせたということは聞いておりません。また4ですが、武藤主教や古賀司祭の「個人的謝罪」とは何を意味しているのでしょうか。「日本聖公会京都教区とは関係ない」ということなのでしょうか。また、この「謝罪」がいつ行われた者であるかに関して、2以外は明記されていません。この日時に関しては非常に大事なことだと思えるのですが、日本聖公会京都教区常置委員会は、何故これを避けていらっしゃるのでしょうか。 そして、ここにもう一つ大きな問題があります。それは被害者のお父様の代理人(代理人契約の公正証書あり)が提示されている次の二つの要求は、まったく為されておらず、代理人の意図するところとはまったく異なったことをしているとしか思えません。 1) 武藤六治と古賀司久幸が教育界及び教会勤務から離れること。 ただし、教会付属福祉施設は可とする。 2) 加害を認めたにも関わらず、退職を撤回した経緯の詳細を文書 化すること。加害を認め退職が決定された後、古賀久幸司祭が信 徒弁護士から受けた助言の詳細、それを受け復職を決めるまでの、 京都教区常置委員会の詳細な討議内容の提示。 この1)と2)「が満たされたと代理人が判断した上での謝罪訪問」が代理人から正式に要求されているにも拘わらず、謝罪ということだけが強調されているのは何故でしょうか。私の目から見ると、事件そのものを隠蔽し、被害者とそのご家族を切り捨てているだけでしかないように見えます。皆さんはどのようにお考えでしょうか。 ※このブログはリンクフリーです。自由にリンクして下さって 構いません。是非リンクして、日本聖公会京都教区の過ちを 伝えて下さい。
2008.01.22
【 詩 篇 第66篇 】(日本聖書協会『新共同訳聖書』) 指揮者によって。歌。賛歌。 全地よ、神に向かって喜びの叫びをあげよ。 御名の栄光をほめ歌え。 栄光に賛美を添えよ。 神に向かって歌え 「御業はいかに恐るべきものでしょう。 御力は強く、敵はあなたに服します。 全地はあなたに向かってひれ伏し あなたをほめ歌い 御名をほめ歌います」と。 来て、神の御業を仰げ 人の子らになされた恐るべき御業を。 神は海を変えて乾いた地とされた。 人は大河であったところを歩いて渡った。 それゆえ、我らは神を喜び祝った。 神はとこしえに力強く支配し 御目は国々を見渡す。 背く者は驕ることを許されない。 諸国の民よ、我らの神を祝し 賛美の歌声を響かせよ。 神は我らの魂に命を得させてくださる。 我らの足がよろめくのを許されない。 神よ、あなたは我らを試みられた。 銀を火で練るように我らを試された。 あなたは我らを網に追い込み 我らの腰に枷をはめ 人が我らを駆り立てることを許された。 我らは火の中、水の中を通ったが あなたは我らを導き出して 豊かな所に置かれた。 わたしは献げ物を携えて神殿に入り 満願の献げ物をささげます。 わたしが苦難の中で唇を開き この口をもって誓ったように 肥えた獣をささげ、香りと共に雄羊を 雄山羊と共に雄牛を焼き尽くしてささげます。 神を畏れる人は皆、聞くがよい わたしに成し遂げてくださったことを物語ろう。 神に向かってわたしの口は声をあげ わたしは舌をもってあがめます。 わたしが心に悪事を見ているなら 主は聞いてくださらないでしょう。 しかし、神はわたしの祈る声に耳を傾け 聞き入れてくださいました。 神をたたえよ。 神はわたしの祈りを退けることなく 慈しみを拒まれませんでした。 旧約聖書の出エジプト記第16章3節に次のように記されています。 「我々はエジプトの国で、主の手にかかって、死んだほうがましだった。あの時は肉のたくさん入った鍋の前に座り、パンを腹いっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒れ野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」 モーセとアロンに導かれてエジプトから脱出したイスラエルの民は、そのエジプトを出て、シナイ半島の荒れ野に入った時、すぐさまこうモーセとアロンに不満をもらしました。シナイ半島は砂漠です。水もなく、草さえ生えてはいません。見渡すかぎり、砂と岩の荒野がそこに広がって居ります。彼らには、食べるものもなく、飲む水さえありませんでした。 飲む水が無い。 私たちは、普通はこうした経験をしたことがありません。食べるものがなく、飲む水もない。今の時代、この日本で、そうした試練に陥ることは、本当にまれであろうかと思います。しかし、私たちは、様々なところで、様々な時に、様々な苦しみに出会います。 ものを失った苦しみ。 畑に作物がならない。地震が来て、建物がみな消えていってしまった。洪水や、土砂崩れによって田畑がみな土の下に埋まってしまった。 人を失った苦しみ。 友と遠く離れなければならない苦しみ・悲しみ。家族と別れて住まなければならない苦しみ。そして、人間に背負わされた「死」という別れ。 そうした苦しみのひとつひとつを、誰かに話したい、しかし誰も理解してはくれないかもしれない。 あるいは逆に、あの人の苦しみを理解してあげたいと思う。けれども、同じところで、同じ屋根の下に住んでいるわけでもなく、自分はその苦しんでいる人自身ではない。理解したいと思えば思うほど、理解出来ない苦しみに中で、また苦しみが積み重なっていく。 一方で、他人の苦しみを理解出来ると思い込んでしまう時、逆にその苦しんでいる人を、もっともっと苦しませてしまうことさえあるのではないでしょうか。怪我をした子供を前に、母親でさえ、その子供の痛みを替ってあげることは出来ません。ただ傍らで、じっとその子供の手を握り締めることしか出来ない。そうしたお母さんが、病床で痛みに絶えている子供の横に一日中座っているのを見ていたことがご座いました。私の寝ていたベットの隣の隣に寝ていたお子さんとお母さんでした。一日中、ただベットの横でそのお母さんはお子さんの手を握り締めていらっしゃいました。 「主の手にかかって死んだほうがましだった。」 飲み水さえない荒れ野で、イスラエルの民はそう呟いたのです。 それは、主がモーセによってエジプトからイスラエルの民を連れ出して下さった直後のことでした。主なる神は、あの「葦の海」と呼ばれるところを、東風を吹かせて干上がらせ、イスラエルの民の逃げ道を造って下さり、しかも、彼らがその海を渡り終えた時、エジプト軍の兵士を戦車もろとも海の中に投げ込まれました。 その直後のことです。 「主の手にかかって、死んだほうがましだった。」 「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」 ひとは、ある意味で、過去を忘れることによって、明日に向かって生きていこうとするのかもしれません。しかし、忘れてはならない過去もあるのではないでしょうか。 今日の詩篇第66篇6節7節) 神は海を変えて乾いた地とされた。 人は大河であったところを歩いて渡った。 それゆえ、我らは神を喜び祝った。 神はとこしえに力強く支配し 御目は国々を見渡す。 背く者は驕ることを許されない。 捕えられていたバビロニアの首都バビロンから帰って来た人々は、あのエジプトからイスラエルを導き出して下さった神の御業を想い出していました。しかし、イスラエルの歴史は、常にそうした神への信仰によって進んで来たわけではご座いませんでした。北の国イスラエルがアッシリアに滅ぼされたのも、南のユダがバビロニアに滅ぼされエルサレムの町が破壊されたのも、それは主なる神以外の神々を礼拝したからに他なりませんでした。神以外のものを神とし、人間の力に信頼したからでご座いました。 そして、葦の海を歩いて渡り、エジプトから逃れることの出来たイスラエルの民も、もうその直後には、食べるものがない、飲む水がないといって、モーセやアロンに不満を漏らしたのでご座います。 ひとは、いつも繰り返し繰り返し試練に会います。 「一山越えて、また一山」、そうした試練を乗り越えていくことが、人生であるかのように見えることさえご座います。イスラエルの歴史は、正にそうした歴史でご座いました。 繰り返し繰り返し起こる、満ち足りた時と苦しみの繰り返しの中で、神を見失い、にもかかわらず神に帰る時の繰り返しの歴史の中で、詩人は歌います。 詩篇66篇20節) 神をたたえよ。 神はわたしの祈りを退けることなく 慈しみを拒まれませんでした。 苦しみと癒しの繰り返しの中で、悲しみと喜びの繰り返しの中で、この詩人は神に祈るのです。本当の神を求め、真実の救いを求めて生きるのです。 ローマの信徒への手紙第15章13節で使徒パウロはこう祈っています。 「希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。」 喜びの中にある時も、どうしようもない試練の中にある時も、私共もまた、ただただ「希望の神」に信頼し続けていたいものでご座います。自分の力で、試練を乗り越えようとするのでもなく、自分の力でほかの人の苦しみを拭い去ろうとするのでもなく、互いに痛みを替ってあげることが出来ない苦しみの中で、ただ病床で手を握り締めていることしか出来ない悲しみの中で、にもかかわらず、主がすべての喜びと平和に満たして下さることに信頼し続けていたいものでご座います。 そして、そこにも、あの主イエス・キリストが共にいて下さることを信じて、キリストの希望に生かされてまいりたいものでご座います。【祈り】 すべてを造り、今もすべてを支配して居給う天の父なる神よ、 すべてをあなたにお委ねし、すべてあなたに信頼して生き続けることが出来ますように。試練に会う時、苦しみに会う時、ともするとあなたから離れ、あるいは自分自身の力によってすべてを解決しようとしてしまう私たちを、主よ、どうかあなたの道へと導いていて下さい。そして、私たち人間の力によってでもなく、人間の想いによってでもなく、ただ、あなたへの信仰と希望に満ちあふれて生かされていくことが出来ますように。 今この時、多くの苦しみを背負って生きている人々を、主よ、どうぞ守り、導き、お恵み下さい。 私たちの救い主、すべての悲しみと苦しみを耐え、十字架に死に給うた主イエス・キリストの御名によって、お願い致します。 アーメン。
2008.01.19
2005年12月9日に行われた日本聖公会京都教区高地主教の記者会見時に配布された文書が、2006年1月28日付けのキリスト新聞に載っています。当時のキリスト新聞編集長に電話で問い合わせたところ、日本聖公会京都教区から送られてきた文書をそのまま載せたとのことです。この文書の中には、こう記されています。 「その記事の中で(※2005年8月27日付の三つの新聞に書かれていた最高裁の上告棄却とそれに対する日本聖公会京都教区のコメントを記した部分を指す)日本聖公会京都教区総務局長を通して、『牧師は事実無根と訴えてきた。判決については驚いているし、裁判には憤慨している』などとする教区主教のコメントが掲載されました。しかしその後、性的虐待は事実であったことが判明いたしました。私たちは深い反省の念をもって、このコメントを撤回させていただきます。」 日本聖公会京都教区主教である高地主教は、「性的虐待は事実であったことが判明いたしました」と、はっきりと述べていらっしゃるのですが、昨年の11月23日の教区会で配布された文書には、「原田文雄元牧師については、2年前に一身上の都合を理由とする退職願を受理し、退職が決定しました。このような場合、「終身停職」の懲戒(法規第201条第4項)が相当と一般的には考えられると思いますが、「終身停職」でも5年後には復職願いを提出することが可能とされており(第217条)、一方、「一身上」という事由は止むことがありませんので、実質的な終身停職を貫くためにはこの選択の方が適当と当時判断しました」と記されています。性的虐待は事実であったとお認めになった段階で、何故審判廷を開き、はっきりと「終身停職」にされなかったのか。「また、懲戒を行うには審判廷の審判によらなければなりません(第197条)が、日本聖公会の審判廷への懲戒申立には『3年の時効』(第210条)があって、現行法規では審判廷によって懲戒することは非常に困難であると思われます」とも高地主教はこの文書に記していらっしゃいますが、時効の起算日を教区が「性的虐待は事実であった」と認めた時とすれば、まったく問題はないはずです。これに対して原田文雄司祭の側に異論があれば、審判廷で争えばいいことなのではないでしょうか。 それだけではありません。引用した分の少し前に高地主教は次のように記していらっしゃいます。「Aさんが告発された事柄について、意図的な隠蔽が行われたとは認められませんが、それがあまりにも信じがたい内容であり、原田元牧師の強い否定もあって、告発に耳を傾けることができませんでした。従って被害者側から聴取を行わないなど当然取るべき手続きを怠り、しかも、一旦受理した退職願を原田元牧師に返却するという重大な判断ミスを犯しました。」 確かに重大な判断ミスです。「被害者側から聴取を行わないなど当然取るべき手続きを怠」ったことは、重大以上のものです。正に、被害者不在のまま欠席裁判を行ったのと同然のことです。日本聖公会の中には、こうした中世封建制度的な制度が今でも残っているのでしょうか。それだけではありません。この時に判断ミスを犯した人々に対して、どれだけの処罰があったのかに付いてこの文書はまったく触れていません。この文書は2007年11月23日に配布された文書です。あの2001年の判断ミスも「時効だ」とおっしゃるおつもりなのでしょうか。 日本聖公会京都教区主教の高地主教は、加害者の味方なのですか?それとも被害者の味方なのですか?原田文雄司祭がした性的虐待は明らかに法律に違反する行為なのですが、それをどのようにお考えなのでしょうか。確かに公訴時効が成立していますが、間違いなく刑法に違反した行為です。一般的な常識から考えれば、原田文雄司祭は終身停職を言い渡されても当然のことをしているのではないでしょうか。それを、高地主教は何故回避し続けていらっしゃるのか、私にはまったく理解できません。そして、2005年12月9日の記者会見以降に発表される文書は、あまりにも嘘や苦しい言い訳が多すぎるのではないでしょうか。重大な判断ミスとしておきながら、それの責任を日本聖公会京都教区が教区としておとりになるという姿勢も見えません。日本聖公会京都教区は、教区主教無謬説を堅持していらっしゃるのでしょうか。
2008.01.16
【 主 に 帰 る 】 エゼキエル書33章10節11節(日本聖書協会『新共同訳聖書』) 「人の子よ、イスラエルの家に言いなさい。お前たちはこう言っている。『我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きる ことができようか』と。彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主な る神は言われる。わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその 道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪 しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」 紀元前6世紀のはじめころ、バビロニアの手によってエルサレムは陥落しました。そして、イスラエルの主だった人々はバビロニアの首都バビロンへ連れ去られました。そこで彼らが体験したことは、正に捕囚の境遇であり、バビロニアの文化へ驚愕でありました。彼らはそこで、巨大な富と力に圧倒されてしまったのであります。 それは、エルサレムで彼らが、自らのために偶像を造り、自らを汚したことによる神の裁きでもありました。エゼキエル書第22章1節以下に次のように記されています。 「主の言葉がわたしに臨んだ。『人の子よ、あなたはこの流血の都を裁く のか。それならば、この都にそのすべての忌まわしいことを知らせよ。そ して言いなさい。主なる神はこう言われる。自らの真ん中に血を流し、自 分の時を来させようとする都よ。自分のために偶像を造って、自らを汚す 都よ。流した血によってお前は罪を負い、造った偶像によって汚される。 こうしてお前は自分の日を近づかせ、自分の年を来させる。それゆえ、わ たしはお前を諸国民の嘲りの的とし、すべての国々の笑いものとする。近 くの者も遠くの者も、自分の名を汚して混乱に満ちているお前を嘲笑うだ ろう。』」(日本聖書協会『新共同訳聖書』) ひとはいつも、神に背を向けて生きていくことが、如何にも神に従って生きていることであるかのように見えてしまいがちです。ある意味では、私共のように「聖職」と呼ばれている人々は、自らの想いと神の御旨を同じものであるかのように誤解しがちであります。しかし、ひとは神と同じになることは出来ません。神のように考え、神のように行動し、神のように裁くことは出来ません。あの使徒ペテロでさえ、あの日、大祭司の館の中庭で、三度、「私はその人を知らない」と口にしてしまったのです。 『あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた。』 『何のことを言っているのか、私には判らない。』 『この人はナザレのイエスと一緒にいました。』 『そんな人は知らない。』 『確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。』 そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、 『そんな人は知らない』と誓い始めた。(マタイ26:69以下) 教会は聖者の集まりではありません。教会は神と同じようになったひとの集まりでもありません。そして、洗礼を授けられることは聖者になることではありません。教会は、あのエルサレムと同じように、時として神に背を向けて歩んでしまうことがあります。私共、日本の教会も、かつて大きな過ちを犯し、そして今も弱い人々、苦しんでいる人々、悲しんでいる人々、傷ついている人々、そして孤独と寂寥に包まれている人々を無視してきた歴史を背負っています。 あるいは、教会自身がひとを傷つけ、悲しませ、苦しめ、孤独の中に突き落としてきた自分たちの歴史を背負っています。 エゼキエルはある意味で同じような情況の中で、主なる神から言葉を受けました。 「人の子よ、イスラエルの家に言いなさい。」 ここでエゼキエルに臨んだ神の言葉は、バビロンに連れてこられた人々への慰めではありませんでした。 「お前たちはこう言っている。『我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々 はやせ衰える。どうして生きることができようか』と。」 主なる神はすべてをご覧になっていらっしゃいます。人間には見えなくとも、神には見えることがあります。主なる神はすべてをご存知のお方です。 「彼らに言いなさい。わたしは生きている、と主なる神は言われる。」 神は、生きて今もこの世を統べ治め給うていらっしゃるお方であります。 「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って 生きることを喜ぶ。」 バビロンへ連れてこられた人々を善だと神は語っていません。「この都にそのすべての忌まわしいことを知らせよ」とエゼキエルに語り給うたように、彼らは正に「忌まわしい」世界に生きていたのです。バビロンへ連れてこられたのは、イスラエルが弱かったからでも、エジプトが弱かったからでもありません。そして、バビロニアが強かったからでもないと主なる神は告げ給うのです。 にもかかわらず神はここで赦しがあることを告げます。 「悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。」と、主なる神ははっきりと宣言して居給うのでございます。 「悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。」と。 そして、こう続けられます。 「立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。 イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」 以前使われていました口語訳聖書ではこう訳されていました。 「あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの 家よ、あなたはどうして死んでよかろうか。」 いま、私共の前に、目には見えませんが、苦しんでいる女性がいます。痛み傷ついている女性がいます。その姿も顔も見えませんが、確実に傷ついている女性がいらっしゃいます。そしてその女性の周囲で、その苦しみと痛みを一緒に背負い続けているご家族の方々がいらっしゃいます。 「立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から。 イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。」 主は待っていらっしゃいます。 私共が今、主に帰ることを、主御自身が待っていらっしゃいます。 「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。 呼び求めよ、近くにいますうちに。」 そして今、主イエスは誰の横に居給うのかを私共は知らされています。 主に帰る。 私共に残された道はそこにしかございません。 「神に逆らう者はその道を離れ 悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。 主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。 わたしたちの神に立ち帰るならば 豊かに赦してくださる。」(イザヤ書55章7節以下) (日本聖書協会『新共同訳聖書』)【祈り】 主よ、私共の愚かさ故の罪を、あの主イエス・キリストの十字架の故に既に赦していて下さることを感謝いたします。にもかかわらず、私共はいつもあなたの御旨に反して生きていこうとしてしまいます。主よ、赦して下さい。そして、あなたの道に立ち帰らせて下さい。 あなたが建て給う教会の中で大きな過ちが繰り返されてしまいました。しかし主よ、あなたの道に教会が帰ることが出来ますように。一人々々の想いを越えて、今もすべてを支配して居給うあなたの御力によって、すべての人々が主に立ち帰ることが出来ますように。 そして、傷つき、苦しみ、痛んでいる人々と共にいて下さる主のお姿を、私共が見失うことがありませんように。 あの日、あの丘の上で十字架に死んで下さった、私共の主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。 アーメン。 ※この書き込みは、転載・印字・配布・テキストファイルなどへの変換 は自由にして下さって構いません。 私のハンドルネームは「寺夢」でございます。
2008.01.10
日本聖公会審判廷規則の第19条第1項に次のようにあります。 「数人に対して懲戒申立がなされようとする場合または1人に 対して数個の懲戒立がなされようとする場合において、各申立 事件が相互に関連するときは、それらは併合して申し立てるこ とができる。」 日本聖公会京都教区の原田文雄司祭の性的虐待事案に関する京都教区の対応に関する審判廷では、数人どころかかなり多くの被申立人がいるのではないでしょうか。その中でも重大な過ちを犯している人々だけを被申立人にした場合、また同じことが繰り返される危険性が高いのではないでしょうか。高地主教は勿論ですが、それ以外に京都教区の常置委員だった司祭達や現職の常置委員も、大きな過ちを犯していることに気が付いていらっしゃらないようですから、この際、すべての関係者を審判廷で審判する必要があるのではないでしょうか。 これに関して、大きな過ちは3回あったと思います。 まずはじめは、2001年4月の段階での常置委員です。一旦原田文雄司祭の退職願を受理していながら、原田文雄司祭が「事実無根」を主張し始めたら、その受理決定を覆してしまったことです。同時に、原田文雄司祭自身が加害者であるのですから、この場合、原田文雄司祭は常置委員会に出席させないのが当然のことであるにも関わらず、原田文雄司祭を出席させ発言してしまったことです。出席していない被害者の発言はまったくありません。実に不合理で、アンフェアーな常置委員会を開催した常置委員には、当然大きな責任があります。こんなことは誰でも理解できることであるにもかかわらず、高地主教はいまだにこの問題に関しても正式なコメントを公表されていません。あの常置委員会は、戦前の特高警察の捜査や尋問と同じことなのではないでしょうか。日本聖公会には正義と平和に関する委員会がおありになるのではないかと思いますが、第二次世界大戦時の政府や軍の横暴だけでなく、天皇の戦争責任ということを問題にされるのであれば、あの2001年4月の常置委員会のあり方を徹底的に追及すべきなのではないでしょうか。 次に、2005年7月に最高裁判所が加害者の上告を棄却することによって高等裁判所の判決が確定した後、8月になってから京都教区総務局長名で高等裁判所と最高裁判所に強く抗議する旨のコメントを出しています。これが総務局長の個人的見解であるということは考えられません。京都教区主教である高地主教と常置委員会の見解でもあると考えられます。高地主教はじめ常置委員会は何を根拠にこのコメントを発表したのでしょうか。日本聖公会京都教区の信徒である被害者の申し立てをまったく否定しているコメントなのですから、それなりの根拠があったはずです。しかし、今までにその根拠を明確に提示していません。万が一、原田文雄司祭の「事実無根」という主張を鵜呑みにして、被害者の申し立てを全面的に退けたのだとすれば、これはあまりに愚かであるとしか言いようがありません。日本聖公会の管区や主教会は、このことの重大性を認識していただきたいと思います。 そして3度目は、2007年11月23日の京都教区教区会で配布された「常置委員会特別報告」の内容です。原田文雄司祭の居所に新しく被害を申し立てられてた被害者と付き添いの方をお連れし、原田文雄司祭に性的虐待行為を認めさせ、謝罪文を書かせました。そして、あと3人の被害者の方々に関しても謝罪文を書かせておきながら、残りに2人に関しては「事実無根」を主張する原田文雄司祭の強硬な姿勢に屈してしまっていることです。京都教区は2005年12月の謝罪の記者会見で、この2人の被害者への原田文雄司祭による加害行為をお認めになっていらっしゃるにもかかわらず、何故ここで引き下がってしまわれたのか。6番目に現れた被害者については、原田文雄司祭を予告なく訪問した理由は何なのでしょう。他の5人とは、その対応があまりに異なりすぎています。こうした、被害者による対応の差異の理由は何なのでしょうか。京都教区は明らかに被害者の間に差異を付けています。 京都教区主教である高地主教は、昨年の教区会で配布された「常置委員会特別報告を受けて」という文書の中で、「いずれにせよ、原田文雄元牧師が、真実に悔い改めて、被害者及び関係者に心からの謝罪をし、被害者及び関係者が癒されることができますように、今後も教区を上げて働きかけるつもりです。ご加祷、ご支援をよろしくお願いいたします。」と記されています。「教区を上げて働きかけるつもり」であれば、これまでに何をされてきたのでしょうか。この文書を読んで、事件とそれに対する対応の問題は既に解決していると思っていらっしゃる方はいないでしょうか。解決しているどころではありません。同じ人物による性的虐待を受けた女性の間に、京都教区は明らかに差を付けているのです。ある意味では、京都教区主教と常置委員会は、高等裁判所へ提出した「控訴理由書に対する反論」(乙第18号証)と同じ過ちを犯していることになります。これは、減給処分や陪餐停止で済まされるようなことではありません。
2008.01.09
日本聖公会京都教区の問題に付随して、様々な問題が暴露されているようですが、その中で一番気になっているのは、国会議員選挙の時に牧師(司祭)が自分が牧会している教会の教会員を特定の候補者の選挙事務所に、半ば強制的に派遣し、それも当番表を作って配っていたという情報です。日本聖公会ではこうしたことが許されてきたのでしょうか。この国会議員の方がどの政党に所属されている方か、あるいは無所属の方かに関係なく、特定の政治的意見に教会員を派遣するということは、あって然るべきことでしょうか。そして、それをしたのは原田文雄司祭だという情報もあります。原田文雄司祭はウイリアムス神学館の教授だったはずです。こうした問題に関して、否が応でも神学的にきちんと考えなければならない立場の方だったのではないでしょうか。それとも、日本聖公会もしくは日本聖公会京都教区として特定の政党あるいは特定の国会議員候補者を推薦していらっしゃるのでしょうか。 教会は国家の中に建てられています。否が応でも、国家の法律に縛られています。しかし教会は、にもかかわらず国家を醒めた目で見続けていなければなりません。アメリカの教会の中には、ヒロシマやナガサキを問題にしている教会があります。原爆投下が福音に照らし合わせて正しかったかどうかを問うているのです。しかし、そうした教会の中でも、大統領や国会議員、あるいは州や町の首長や議員選挙に関しては様々な立場の方々がいらっしゃいます。そして、アメリカでは多くの人々が自分の政治的立場を表明されているのですが、しかし、教会の中では選挙などに教会が直接関わることはタブー視されているようです。イギリスでも、大主教がご自分の支持政党を公言されるということがあるでしょうか。 おそらく、日本聖公会や日本聖公会京都教区では幼稚園や学校の関係で、選挙運動を頼まれるのであろうかと思われます。あるいは、自ら進んで選挙などをお手伝いすることがあるのかもしれません。しかし、こうしたことを教会がしてもいいことなのかどうか。特定の問題に対して、積極的に活動することは当然あり得ると思います。現在の教育の荒廃に関しては、教会は叫ばざるを得ないことのようにも思えます。「ゆとりの教育」が生み出したのは、明らかに教育の格差です。学校しか行っていない子供たちと、毎日のように塾に通って、学校では教えてもらえないことを学んでいる子供たちの間には、明らかな格差が存在しています。外国語教育などはその典型です。英文法を学校で学ばなくなって、本当に英語をしゃべれる日本人が増えたでしょうか。日本人が必要としている英語は、しゃべることでしょうか。それとも、読み書きでしょうか。あるいは、「イスラム教とキリスト教の対立」といわれている時代を考えるときに、子供たちは十分な歴史教育を受けているでしょうか。アメリカの独立とフランス革命の時間的順序を知らない高校生が、進学校にもいると知人が話していました。 知人は今でも口にしていますが、"the Statue of Liberty" を「自由の女神」と訳していることを知ったアメリカ人が、「アメリカに女神はいない」と猛烈に憤慨していたそうです。これが完成した1886年以降、アメリカの自由を象徴してきた像なのですが、決して女神ではありません。しかし、ネット上でも「女神」と訳されているのを見ると、日本の歴史教育がいかに不十分なものであったかということが判ります。教会がしなければならないのは、こうした事柄に関する発言であって、特定の政党の候補者の選挙運動を支援することではないのではないでしょうか。日本聖公会京都教区は、こうした基本的なことさえお判りになっていらっしゃらないようです。教会と国家の問題は、歴史的にも非常に重大な問題でした。これに関して日本聖公会は真剣に神学的議論をされてこなかったのでしょうか。幼稚園や私立学校と密接な関係のある日本聖公会は、なぜこうした問題を議論してこなかったのか。「新しい歴史教科書をつくる会」を批判していながら、ご自分たちは教会と国家という基本的な神学を放棄されているのは、私にはどうしても理解できません。
2008.01.02
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