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今年も明日を残すのみ。 この1年ありがとうございました。 来年も素晴らしい年になりますように。 正月期間中はブログ更新をお休みします。 それでは皆さま、良いお年を!
2007.12.30
塾生雪ん子ちゃん(小5女子)の最近書いたもの。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【KY意識しすぎて】・・・・・・信濃毎日新聞投書欄から 今年の流行語に「KY」があります。「空気が読めない」という意味です。 私はこんな経験があります。体育の時間に剣道をしていた時のこと。二人一 組になり面の練習をしていたのですが、竹刀で相手をたたくのでみんな遠慮し ていました。私はある男子とペアになりました。するとその男子が「遠慮する な」と言ったのです。何気ない言葉ですが、ストレートに心に響き、何だかと てもホッとしました。 私は相手が痛い思いをしないか、とばかり考えていました。彼の言った言葉 がすごく新鮮で、本気で向かっていくことも礼儀の一つなのだと教えられまし た。それからは、剣道の面打ちでいつも気にして使っていたのが、とても楽に なりました。 私がこの男子の行動をうれしく思った裏には、「KY」が関係していると思 います。誰かと話をしていても相手に不快感を与えないように空気を読もう読 もうとしてしまっています。今私たちに足りないもの、それは怖がらずに本気 で本音で向かっていくことではないでしょうか。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 【要約】 今年の流行語に「KY」があります。空気が読めないという意味です。 体育の時の剣道は竹刀でたたくので、みんな遠慮がちです。でも私は ある男子に「遠慮するな」と言われてとてもホッとしました。 今私たちに足りないものは、怖がらずに本音で向かっていくことだと思 います。 【感想】 その男子はちゃんと言えたけど、私だったら絶対に言えません。すごい 勇気があるんだと思います。でも、少しずつ勇気をもらおうと思います。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。小中の塾生数名には投書写しをさせている。原則は週1回。 その日の投書を全部読み、そのうちから自分が書きたいものを1つ自由に選び、書き写して要約・感想を添えること。今回のは、雪ん子がこの投書を選んでくれたのがうれしかった。中学生が選びそうな内容だ。小5くらいでも、すでに「KY」をかなり意識しているんだな。全員とは言わないが、この雪ん子やその仲間たちでは。そして「それに埋没してしまってはいけないんだな」、そんな意識もあるから、この子はこれをとりあげたのだろう。投書写しでは、「その子がどの投書を選んだのか」に、今のその子の程度と関心が表れる。雪ん子は、要約はいつもうますぎるほどうまい。感想はいつも手抜き気味だが、今回は短いながらもよく本文の意図を読み、自分が出せていると思う。このことは感想文だけからではわからないが、ふだんの雪ん子の言動を見ていると感じる。雪ん子の受け取り方が何か変わった。
2007.12.29
歴史を勉強していた野球我が命君、いきなり 野: “先生、ごようせいとうって何?” ウ: “はぁっ、何それ?” 野: “先生、僕がきいてるの。” ウ: “だから何それ?” 野: “これこれ。”見たら「政府は時の御用政党を・・・・」 ウ: “ああ、これね。御用の政党さ” 野: “御用ってあの「御用だ~御用だ~、神妙にいたせ!」っていうあの御用?” ウ: “そうさ。お前、時代劇見てるんだな~。今どき感心感心。” 野: “そうか、あの御用か。 ・ ・ ・ ・ んなわけない。先生、何?” ウ: “お~、お前国語力上がったぞ。よくぞおかしいことに気がついた。” 野: “ほんで本題は?” ウ: “おお、よく聞けよ。・・・・・辞書引け~~~!” 野: “やっぱり~。言われると思った。” ウ: “おう、御用が済んだら御用を調べい。” 野: “なにそれ、ひょっとして洒落のつもり?”あっちゃ~。 受けなかった (-_-;; (-_-;;
2007.12.28
ウリ子(中3)から質問・・・学校の宿題プリント“先生、これやっぱりいけませんか?” 【問題】 太陽の回りを楕円軌道で回っている天体をなんと言うか。 ウリ子の答え ・・・・「惑星」 正答(になっていたもの)・・・・「すい星」むむむむ・・・・困った。出題者の意図はわかるんだけど。中学の問題文って、不確かな文章が多くて (-_-;;「円に近い楕円軌道」とか「細長い楕円軌道」とか、もうちょっと明確にとれる表現をしてくれないものか?惑星を正答でないとしたら、その理由付けが難しいぞよ。まさか惑星は円軌道だなんて言わんでしょうな!ま、この質問からいろんなことを話せたからいいけどね。
2007.12.27

ヴァージャー・"うかる~る"・岡本先生から“娘さん用に!”と推薦をいただいた本がアマゾンから届いた。 知る人ぞ知る(いや、皆さんご存知だと思いますが)論客であり、時には軽妙、時には重い変幻自在な独特の筆致はファンが多い。私のようにストレートな表現しかできない者にとっては、あの自在な筆致はなんともはや不可思議な世界である。とはいえ、それは岡本先生の過去のもの凄い読書量に裏打ちされていることは間違いない。その岡本先生が高校生用にと推薦してくださった本、娘用と塾生用に2冊注文した。今の高校生には全体的に現国弱い病,小論文ハテナ病が蔓延している。トップ高校の一部の生徒を除けば、近代や現代(ポストモダン)について論壇ではどのように論じられているのかあまりに知らなすぎるのである。小中の国語と高校の現国はまったく別次元だ。論壇時評は時の大学入試現国や小論文の出題に色濃く反映している。活字に親しんでこなかった者からいきなり“先生、何を読めばいいの?”と言われてもなかなかねぇ (-_-;;「何を読むか?」だけでなく「どう読むか?」もくっつかなくては字面を追っただけで終わってしまうし、現国の入試問題は解けない。また入試には入試用のテクニックというものがある。ただ、テクニックというのはその前段階、内容理解がなされていて初めて効果的に使えるしろものだ。まだざっと目を通しただけだが、「現代世界の諸状況に鋭く切り込んだ評論を幅広く集め・・・」と編者が語るとおり、31の選び抜かれた評論に脚注や読解の設問が付けられている。 この解答編の解説がなかなかよさそうだ。執筆者はいずれも高校教師。高校生が入門としてor知識の再整理として使うには、もってこいという感じがする。学陽舎備え置き本の1冊に仲間入り。岡本先生、いつもいつもありがとうございます。
2007.12.27
中3生は15歳。いわばこれから3年間の居場所を懸けた人生初めての戦い。そして高3生。社会に出る前の4年間の猶予を懸けた戦い。この受験直前の数ヶ月で、子どもたちはみんな何年分もの急激な精神的生長を遂げる。何に迫られているか?それは毎日不安と同居し、日々否応なしの自己省察に。勉強していて、何もかもが自分の思い通りに進むものではない。時々思う。受験生を前に、受験生を取り囲む大人は受験生に自己肯定感のみを植え付けようとしすぎていないか。「自分を信じて頑張るんだ!」の連呼。そのような自己肯定は確かに必要だ。だが私はその連呼はしない。連呼の世界に夢遊病のように入り込まれる方が怖い。いわば無批判に教祖を信じ、従って動くような、一部の安っぽい宗教の世界に入って欲しくない。試練には素直な気持ちで挑戦して欲しいのだ。思い通りにならないとき、そこでは素直に原因を見つめて欲しい。時には完全な自己否定だって必要だ。自己否定のないところに今までの自分と違う新たな自分は生まれない。批判をし、克服方法を考え、それを実行していって初めて日々の進歩が生まれる。批判は退行のために行うのではない。進歩への脱出のためだ。非難と批判は区別せよ。他者の過度な暗示に酔ってのがむしゃらな行動は、自己利益のみしか考えられず、自己と同一歩調をとる人間とのみしか同調できず、極論すれば、知らず知らずのうちに他者を排斥する全体主義的な色彩を帯びる世界に入いることがある。そのような場面は、歴史に数多く登場してきただろう。自己を見つめ、自己と対決する日々。今までの自分の精神世界の狭さに愕然とするだろう。それでいい。それに気づくからこそ、自分の精神世界が広がるのだ。苦しいけれども同時に湧き出る充実感。それが君たちを人間的に大きくしていくのだよ。だから私は君たちに酔わせるような言葉は連呼しない。
2007.12.27
高校生の現国・小論文用でちょっとしたこと。現代文、特に小説文では、古くは使っていたが今ではほとんど目にしなくなった言葉が出てくることがある。たいていは脚注がついているものだが、すべてに付けられているというわけではない。中学生の国語でもそれは同じだが、中学の場合は明治や大正、昭和中期くらいまでの生活の中で日常的にあったものが、今では生活様式の変化でなくなってしまったものがわかりにくい。「いろり」「藁打ち仕事」「はぜ」・・・・高校生程度になると、昔は普通に使われていたが今ではあまり目にしなくなった言葉が、文の中で出てくる。主として倫理的観点から報道機関で「自主規制」されている言葉である。読む上では知っておいた方がいい。そして小論文などでは、「使うに慎重さを要する言葉」として放送自主規制言葉リストはちょっと一見して承知しておいた方がいいだろう。そんな参考のためにこちらやこちらを。この他にも、同名でネット検索をかければたくさん出てきます。
2007.12.26

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~無題 投稿者:はる 投稿日:2007/12/25(Tue) 20:33 No.4650 お久しぶりです。高1のはるです^^ 2次関数が分からないので教えてください。 2次関数f(x)=ax^2-4ax+4a+b-5がある。 ただし、a,bは定数で、a≠0とする。 a=1/2, b>2とする。点O(0,0)、A(2b,0)、B(0,21)、C(b,21)に対し、 y=f(x)のグラフが平行な2本の線分OA、BC(ただし、両端の点を含む) のいずれとも共有点をもたないとき、bのとりうる値の範囲を求めよ。 解法が全然浮かびませんでした; よろしくお願いしますm(__)m ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~おっ、はるさん久しぶりの登場だな!では早速 Let's Go !関数問題は、とにかくグラフをかいて考えることだ。問題文だけ読んでいても解き方が浮かばないだろうけれど、グラフにすれば「目に見える」ようになるだろ。次に放物線の頂点がx軸よりも上に来たときのことを考えよう。そして更に頂点がy=21よりも上に行けばそれだけでOKになる。となるね。 どう? グラフで考える威力はすごいでしょう! ということでござる。自分で再現してごらん (^-^)/
2007.12.26
教室に来たら、12月から入塾した子のお母さんからメールが。 “すわっ、お叱りか!” (@_@;; メールを開いたら・・・・なんとまぁ (^-^)。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 12月よりお世話になっております□□です。 おかげ様で○○は順調に通わせていただいております。 初回から本人の言葉を借りれば 「イスを動かす音さえ遠慮したくなる」静けさの中で 皆が勉強している姿に驚き、 スラスラと文章を書く先輩に感心し、 誰かが先生に質問する内容に耳を傾けて なるほどな~と自分なりに考えた事など話してくれました。 その後も帰って来る度に 今日はこんな事をしたと(頼んではいませんが)報告してくれます。 だんだん慣れてくると私語が増えて お友達に迷惑をかけるのではと多少心配ですが、 今のところ本人は前向きに頑張っている(つもり)ようなので、 このまま見守っていこうと思います。 今日もよろしくお願い致します。 一応メリークリスマス!です。 □□△△。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ふっふっふっ、そんなところもあるかも。だんだん慣れてくると思うけど、笑うときは笑いの渦、凍りつくときは凍りつくんだぜ。ともあれこれがこの一ヶ月で○○の感じ取った学陽舎の雰囲気だね。 お母さん、素敵なメールをありがとうございました。 Merry Christmas !!
2007.12.25
特別支援学校の先生、namiママ先生の記事です。本当に重いテーマ。私も前の前の前の記事、『最近の子ども』を書くには本当に疲れました。まだ社会的認識が薄く、プライバシーも絡み、どこまで書いていいのか悩みつつ・・・・私の頭にあったのは、子どもだけではなかったのです。発達障害を負っている子。そのほかにも大人社会でのアスペルガーについては見逃しやすい問題で、その認識がないまま特定分野で特別な才能を発揮している方々が多数います。本人にその認識があれば気をつけることもできますが、周りの方々に認識と理解があれば大きな軋轢が生じないで人間関係が円滑に回るようにできる。 > 自分の子がそうかそうでないかは別にしても、 > 親も教師も現代だからこそ、こうしたことについて知っておきたい。 > 差異についての無知・誤解が偏見に結びつくことが避けられ、 > 差異が全域にわたって区別した扱いを必要とする差異なのか否かの認識も > 変わることができるだろう。 > 教師では、 > 詳しい方と全く知らないのではないかという先生の差が > あまりに大きいような気がする。私は上のように抽象的に書くのが精一杯。namiママ先生には、私もあてはまる子について何度か相談に乗っていただきました。その中で、隠れた問題として、アスペルガー症候群であると思われる先生も少なくない割合で学校現場にいるという話しも出ました。アスペルガーにも軽重はありますが、周りの人たちがそれへの配慮をした接触をすれば、むしろ普通の人以上の仕事を成し遂げることも可能なのです。そうした配慮無しにただ非難をぶつけても何も好転しない。配慮するには、周りもそれなりの知識を持っていなければならない。人と人のつながりをより良いものにするために。
2007.12.24

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~微分 投稿者:くろ 投稿日:2007/12/24(Mon) 09:46 No.4648 こんにちは。高2のくろです。 微分の問題がわからないので、おねがいします。 f(x)=5x^2+ax/x^2-1に対して f'(2)=ー5/9 が成り立つ時、 (1)aの値 (1)からまったくわからないので後続の問題も解けません よろしくおねがいします! ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~くろ君いらっしゃい。掲示板で分数入力を表すとき、分子や分母が整式になっているときはややこしくなってたまらん (-_-;;このf(x)の2番目の項の分数は、分母がx^2なのかx^2-1なのかはっきりしないので困る。この場合はx^2-1なんだろうね。x^2なら分子と約分できてa/xになってしまうから。だから分母はx^2-1として解説していくよ。次回から分子や分母が整式なら、例えば今回の問題ならax/(x^2-1)のように、整式部分は( )してくれると助かる (^-^)解説でも分数が多くなるので、こちらで回答することにしました。さて、この計算をするには分数の微分(or積の微分),合成関数の微分が既習でなければできません。高2でどこまで習ってあるのかわからないけど、公式を出して解説していくので、わからない部分があれば追加質問してきてくださいね。ということです。高2範囲だけで計算するにはちょっと難しい感じもするけれど。 じゃあね~ (^-^)/
2007.12.24
科学坊やから出た質問。科: 先生、夏はなぜ暑いんですか? 冬はなぜ寒いんですか?ウ: う~ん、暑いから夏、寒いから冬って言うんじゃないのか。科: と、先生冗談抜き。僕は真面目。 今天体をやってるでしょ。 夏は太陽の光と熱がたくさんあたるから暑い、 冬は少ししかあたらないから寒いって習ったので、 理科の先生に質問したんですよ。 僕の考えでは、気象でやったように、 夏は小笠原気団が発達して、 そこからの暑い空気が日本に押し寄せてくるから暑い。 冬はシベリア気団からの 冷たい空気が押し寄せてくるから寒いのではないかと。ウ: で、その先生の答えは?科: 考え込んじゃって・・・・ 「気象の単元ではそういうことになってるが、 天文の単元ではこうなっている」。 でそそくさと逃げられちゃった。ウ: はっはっはっ、確かに間違っちゃいないよな。 うまいうまい \(^o^)/科: 先生感心してないでさ、本当のところは?ウ: 逃げていい?科: ダメ。 しゃ~ない。それはな・・・・説明するハメに。 逃げ上手にならにゃいかんな~! (-_-;;
2007.12.23
子どもについて語るとき、的を絞らない書き方はつくづく難しいと思う。 “昔の子と今の子は変わったか?” という問い1つにしても、答えるのはきわめて難しい。表面的には明らかに変わっている。(対自然界,対人間関係での)子ども世界の常識の点、生活実感と勉強で学ぶ事との乖離意識、マナーの点、その他諸々。大人がそのような現象を語るとき、昔の自分の体験を語り、“だから~したほうが良い”と提案しがちだ。それで解決できる事柄もある。だがしかし、今は自分たちが子どもだった頃とは明らかに生活環境が変わっているのである。生活環境を昔に戻し、且つ同じ体験をさせるなら、子どもたちも親の子ども時代コピーにできるかもしれない。だがそれは不可能なことである。大人の提案が功を奏さない事柄の多くは、環境変化によって生まれた新たな問題点だ。消費万能的進化と社会構造の複雑化は、子どもたちにも多くの利便をもたらすと同時に、じわじわと数多くのストレスをももたらしている。プレモダンのような、共同体組織に入り込めば大人扱いされた時代と、機械化や家電製品の普及などで共同体が濃密な共同体である必要がなくなり、いずれその共同体を離れて自分が新たな生活環境を見つけなければならず,そこで新たな人間関係を構築しなければならないことを運命づけられている時代では、ストレスの質と量がまったく違ってくる。ある意味情報産業が時代を支配している現代。溢れる情報をどのように受け取っていいのかわからない不安。子どもたちは、昔の子よりも早く情報の洪水に晒される。自己を制御するためには、それに鈍感になるか敏感になるか。はけ口を何に求めるか。溢れる情報をうまくコントロールできるならよいが、そうでない状況では、その中にいるだけでストレスは高まる。ストレスは、昔なら顕在化しなかった or 顕在化しても問題にされなかった事でも子どもたちの人間関係において今では無視できない問題にさせた。例えばLDやADHD,アスペルガーと診断された子たち。重度軽度を問わず肉体的なハンディを負う子たち。周りと少し違う考え方をする子たち。そのような子たちは昔からいたはずである。ただ、昔の単純世界ではそれが子どもたちの世界でもわずかな差異にすぎないとして容認され色目で見られることが少なかっただけのことだろう。今の時代、多くの子どもたちは差異に過敏だ。と同時に鈍感な点はおっそろしく鈍感になっている。その差異の原因や差異を認めた上でうまく協調する方法を知らない。大人だって、自分や自分の子がそのようなことになっていなければこの方面の知識はほとんどないだろう。「12歳の壁」とよく言われるように、幼児期・青年期・大人期の過程で、この12歳までは、いわゆる子どもとしての共通部分までを考慮して対応できる範囲の他、現代社会が生み出した新たな現象には、注意深い「個々の対応」が必要になることが多い。例えばLDやADHDと診断された子であっても、小学生時代なら、過度なストレスを与えないようにしながら且つその能力開発をしていくことはかなり可能になっている。その研究も進んでいる。診断名がついた子の親は、みんな真剣に事実をそして克服法を研究している。我が子を守ろうと必死なのだ。守るために、それらの知識が無い人に知ってもらい、理解を求める。対応の仕方がわかれば、共に育む協調ができる。だからその子はたいてい守られる。問題なのは、症名がつかない、いわゆる「グレイゾーン」に属する子が多くいるということである。多くの親は、このような問題についてall or nothing、障害か健常かの二者択一で捉えている。人間とはそんなものではないだろう。両側の間には常に無数の段階がある。無理をさせた方がよい子もいれば無理をさせてはいけない子もいる。それもまた時期や場面による。自分の子がそうかそうでないかは別にしても、親も教師も現代だからこそ、こうしたことについて知っておきたい。差異についての無知・誤解が偏見に結びつくことが避けられ、差異が全域にわたって区別した扱いを必要とする差異なのか否かの認識も変わることができるだろう。教師では、詳しい方と全く知らないのではないかという先生の差があまりに大きいような気がする。
2007.12.22
1つのありようの提案・実践例のブログ記事です。 保護者は自分の子供に的を絞り、必死に勉強していくわけで、 その出発点はミクロですが、そこからマクロにつながっていける。 逆に先生方は多人数を相手のマクロから入っておられるわけですが、 そこからミクロにせまる。。。 なんだかそんなイメージです。 どちらが上とか下とか、そういう話じゃないですね。最後の方で、こう淡々と語っておられます。そらまめさん、無断紹介ごめんなさい。前提事情を知っていないとわかりにくいかもしれません。私はずっと以前から拝見していましたので承知していますが、そうでない方は、お時間ある時にそらまめさんのブログを過去ログから読んでいただけるとうれしいです。あとで関連記事をアップさせていただきます。
2007.12.22
1.海遠くして塩辛きを好む 2.水清くして面洗わず 3.木多くして生木を焚く 4.茶の木なくして茶を好む 5.良き仏あれど仏心少なし 6.畑少なくして子だくさん 7.理(ことわり)多くして事進まず 【ウロコ…意訳】 1. 海が無いのに干物や塩分の濃い漬け物など、塩辛いものを好んで食べる。 2. 山からの清流やわき水などの水が豊富なのに、顔を洗わない。 3. 山だらけで燃料にする木がたくさんあるのに、しっかり乾燥させないで 生のまま焚く。 4. 茶の木が無いのに、やたらお茶を何杯も飲む。 5. 良き仏(善光寺)があるのに、信仰心は薄い。 6. 山がちで平野部(水田)が少なく、食料が豊かとはいえないのに、子だくさん。 7. 理((屁)理屈)が好きで、議論ばかり。肝腎なことが全然進まない。子どもの頃家にあった郷土紹介の本で読み、“えっ、なにこれ!?”と思ったものです。子供心に・・・“ありゃりゃ、けっこう当たっているかも” (^-^)/その後経済的に豊かになる(たぶん)につれ、生活様式がすっかり変わって、当てはまらないだろうことも出てきましたが、信州人の気質を突いているかも (-_-;;(5.と7.は今でも色濃く・・・)どこのお国にも、このような「○○の七不思議」と呼ばれるものはあるようで。なぜみんな『七』なんじゃろ?ちなみにこの七不思議は、江戸時代に長野善光寺に来ていた越後の修行僧月性という人が信州人を見ていての印象というか揶揄というかを書き残したものだそうで。この月性は、もちろんかの幕末に吉田松陰の松下村塾と並び立った長州の私塾時習館創始者の骨太僧月性とは別人です。
2007.12.21
昨夜(今朝)帰宅するとき雪がちらちら。昼も日陰の地面には雪がうっすら残っていた。平野部でも本格的な雪は近いのかもしれない。とにかく連日冷え込む。“やるっきゃない”と言った連中の雰囲気が自然にみんなに伝染し、ピリピリした雰囲気。年末ともなると毎年のこと。本とノートを開いたままこっくりこっくりしだす者も。そんな時には、“15分くらい寝るか、眠気を覚ますかどちらかにせい!”と声かけ。めちゃくちゃ疲れていれば寝るもよし。そうでなければ眠気を覚ます。眠気の原因もいろいろ。机に長時間向かったままの姿勢では肩と腰が凝るもので、それがだるさ→眠気になることが多い。肩の凝りをほぐしてやってからちょっと外に行かせる。冬の寒さが一瞬に眠気を覚まさせてくれる。市内故に空が明るく星座を楽しむわけにはいかぬのが残念。そしてまた戻る。ここからが、実力がどんどん変動する時期だ。中3生の場合はどこまで行ってしまうか予想を超えることも多々。高3生も、英数国以外の科目での実力が大幅に変動する。模試の判定など文字通り参考程度。入試に向き合い、受験生の心は確実に変化する。やらない言い訳など、もはや考えてはいない。そこにあるのは、やり遂げようとする己の意識のみ。毎年感じる。この三ヶ月での凄まじい生長ぶりを。眼光の変化を。さ、頑張ろうぜ。
2007.12.21
今日は教室に来てから電話→来客→電話→授業(それも次から次へと質問攻め,延長)、めちゃ忙しかった。やっと一息、このあとまた雑用が・・・で、ちょこっと。今日のほっぺちゃん。ほっぺ: 先生、ここ。見ると 【問題】・・・次の( )に適語を入れなさい。(都立大) I ( ) my money stolen in the park.ほっぺ: 先生、使役の make と have の使い分けがよくわからない。ウ: “よく”わからんちゅうなら、わかっていることを言ってみろ。ほっぺ: 訂正、わかりません m(_ _)mウ: 使役で同じ訳し方をしてるからじゃろ。「させる」な~んてな! make の意味は? ほっぺ: 作る。ウ: haveの意味は?ほっぺ: 所有する。ウ: で、大切なことは、 日本語に置き換えられること以上に、その意味がわかることだ。 『作る』って言葉の意味を説明してみろ。 ・・・・・(あれこれあれこれ)→全部却下・・・・・ (^-^)ウ: なっ、『作る』ってことの意味をわかるだけでも大変なことなんだ。 もっと言葉をいろいろな要素に分けて分析することが大切だぞよ。 作るってのはな、 (1)原料から (2)別の意図する完成品に (3)意図的に手を加えること だ。 haveの『所有する』ってのはどういうことだ? ・・・・・(あれこれあれこれ)→全部却下・・・・・ (^-^)ウ: なっ、これもまたわかったようでわからん言葉なのさ。 『所有する』ってことは・・・・・・・ で make と違って強制的なニュアンスがずっとずっと薄いし、むしろ状態に近い。 そのニュアンスがこの「使役」にもそのまま出てくるのさ。 make は(意図的に・強制的に・力ずくで)~させる, have は(何もなしにorお願い程度に)~してもらう,~になる、 くらいだと思えばいい。 で、問題に戻る。 言葉だから make と have のどちらかが正しく、 どちらかが絶対に間違いということはないよ。 どちらを使うかでその内容が変わるということさ。 I ( made ) my money stolen in the park. なら、私は意図的に or 誰かを使って自分のお金を盗まれた状態にした ・・・・保険金詐欺を企んでいるような感じかな。 I ( had ) my money stolen in the park. なら、疑わずにそのまんま。 文字通り「盗まれた」・・・・悲しい,残念だって感じじゃろ。 テストっちゅうのは特別な状態ではなく 「通常」の状態を想定して答えるもんだから、 この場合はどっちが適切じゃい?ほっぺ: もちろん had。 わ~、パチパチパチ。 先生、すっきりした~ \(^o^)/ おいおい、そうたいしたことじゃないぜ。 これだけうれしがられると、照れるが (-_-;;
2007.12.20
「先生、やるしかないから俺やるよ。」 「先生、ここまできたらやるしかないから、私やる。」 今日4人の子から聞いた。 みんなきりりとして、いい顔。 そうだよ。 自分のその気持ちに忠実にな。 人間、黙ってとことん見守ってくれる人は一人でいい。 船頭多ければ、船、山に登るかも
2007.12.20
塾生のトッポ(中3男子)。県内最大手の○○会の模試でN高校志望者中50番以内。しかしまだまだ彼の実力からしたら甘い。数学など、答案用紙に書き写す際に間違えたのが数問。 “先生さぁ、またポカやっちゃって” と頭を掻く。トッポよ、お前のやってることは自己満足のお勉強なんだよな。お前は天才肌のところがある。それは先生が認めている。だがよ、甘いんじゃ。テストってのはな、自分が解けたで終わりじゃないんだよ。解けたことを採点者に示さなければ終わりじゃないんだ。採点者にわかってもらって初めて仕事が完了と言える。お前は何事も“自分がわかればええ”と自己完結してしまう。普段からの豊富な読書量。理解力も抜群だよ。だがな、その自己研鑽は何のため?人間ってのはな、不便なことに社会的な生き物だ。将来社会に出たときに人との関わりを持って生きていくものだ。わかってもらえなければ不自由なものだぞ。青春期・青年期って言葉があるよな。甘酸っぱい、感傷的な響きがある。しかし歴史にも詳しいお前なら当然わかっておろうが、この言葉は近代になって誕生した。複雑高度化した社会では、前近代のように子どもからいきなり大人社会に入るわけにはいかない。社会に出るまで、あるいは社会に出てからも、一人前の社会人として認められるまでの猶予期間として時代が、制度が承認したものだ。お前は今その猶予待遇生なのだ。では今勉強していることをどうしなければならないか?テストというものでは、出題者が問うことを出題者に返して初めて人間としての行為が完了する。「伝える」ということに、一番心を砕かなければならんのではないかな?重視しなければならないのは、解けたことよりも、それを解答欄に書き写す行為だろう。相手に対する配慮、他を尊重する心があれば、当然そのようになるはずだ。『ポカ』という言葉が安易に口から飛び出すのはお前が自分だけのために、自分だけの世界に、生きているということを表明したことにほかならない。近代という時代を歴史で学んだなら、単なる知識的なことだけにとどめるな。そこにおける人間観も学べ。現代は近代の延長線上にある。現代をどう捉えるかについては、見方がとても錯綜している。だがな、まず近代が要求する人間像くらいには追いつけ。一方的に言ったが、反論があれば・・・さぁ言いな。 先生、俺・・・・軽かった。はっはっはっ、ま、こんな説教の仕方をできるのもお前がそれだけ勉強していることを先生が認めているからだがな。 先生、ありがとう。 いい生徒に恵まれとるよ、わしゃあ (^-^)
2007.12.19
帰宅前に短く。今日の中3「野球我が命」君からの数学質問で、整数の個数を問題にするのがあった。最終的に「12から72まで、整数がいくつあるか?」に帰着するのだが、 これをなんと 「72-12」 とやった。 “やっぱり~!” (-_-;;たぶん他の連中もそうだろうと、「焼け火箸君」に振ると 同じく「72-12」。 “お前ら~そこになおれ~! 引き算の意味がまるっきりわかっとら~ん!! 小学校の算数を解説したる~!!!”これを“1から10までで、整数はいくつあるか?”と問えば、即座に“10個”と答えるくせに、そのとき「10-1」とやるかいな!? 引き算の意味だって、 割り算同様にけっこう難しいところがあるんだぜよ。 なめたらあかん。
2007.12.18
赤虎先生のこの記事。 「中学生の小論文+現代文の相乗効果」。すごいですよ。私の処ではこれは高校生に語っている内容です。まったく同感というよりも、高校生についてはこうでなくては現代文、特に評論分の読解ができません。昨夜ウチの一人の塾生に一時間かけて言ったことと同じ内容。“赤虎先生の記事を読ませた方が早かったかな!?” と微苦笑。 ※ 尚、「バラダイム」という言葉に馴染みのない方はこちらを。
2007.12.18

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~相似比と面積比(高1) 投稿者:韋駄天 投稿日:2007/12/17(Mon) 21:18 No.4635 お久しぶりです。韋駄天です。 しばらく来ないあいだに、色々あったようですね・・・ 閉鎖にならなくてホントに良かったです。 えっと早速問題ですが これは、相似比と面積比のところで、先生が出した問題です。 角A=120度、角B=20度、角C=40度の鈍角三角形ABCを 全ての三角形が、鋭角三角形になるように分けなさい という問題です。 線は何本引いても、良いみたいです。 よろしくお願いします。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~韋駄天君、ホンマ久しぶりだね。ま、確かにいろいろあってね。マナーを守ってくれない質問は本当に困る (-_-;;ご配慮ありがとう。さてではこちらも早速解説だ。作図方法はいろいろあると思うけど、次のようにすれば必ず全てが鋭角三角形になるように分けることができるよ。∠Aが鈍角なのでまずここを分ける線を引かなければならないことは確かだが。(1)その前に△ABCの内接円をかき、内心をIとする。そしてAIを結ぶ。(2)次に∠B,∠Cを含む三角形がそれぞれ二等辺三角形になるように、 内接円に接線を引く。 内心はそれぞれの角の二等分線の交点だから、これは容易だろう。(3)内心Iからそれぞれに図のような線を引く。(4)できあがり。7つの鋭角三角形ができる。 ちなみに、気になるところはそれぞれの角度を入れておいた。 それ以外の角がどれも鋭角であることは明かだろう。 この三角形だけでなく、 どんな鈍角三角形を鋭角三角形に分けるにも通じる方法だよ。 とまぁ・・・・こんなところかな。 じゃ、またおいでね~ (^_^)v【追記】韋駄天君ごめん。あとから気付いたが、∠Bと∠Cの40°,20°が逆(左右反対)になっていた。作図方法には影響ないからね~! 許してくんろ m(_ _)m
2007.12.18
哲学坊やから土曜日に1つきかれた。 “先生、もしも先生が学校の先生になるとしたら、 どの教科を教えたい?” むむむ、学校の先生になろうと思ったことなど一度もないからなぁ。 でも、強いて言えば・・・・ 社会かなぁ。 先生はね、そりゃぁ教科としては数学や理科関係が得意だよ。 だけどなぁ、 学校の先生方に時々言いたくなることがあるんだよ。 先生、貴方は数学を通して、結局生徒たちに何を伝えたいんですか? 貴方は理科を通して、結局生徒たちに何を伝えたいんですか? 貴方は社会科を通して、結局生徒たちに何を伝えたいんですか? お前は、そのすごいピアノを通して何を表現したいか、それとの格闘だろ。 『何』が問題なんだよな。 音楽の先生に対しては、 貴方は音楽を通して、結局生徒たちに何を伝えたいんですか? って。 うん、僕は先生と同じだけど、 “ピアノがうまいね”って言われるのが一番嫌いだ。 そりゃあ同年代の連中と比べたら圧倒的にうまいよ。 でも、世の中にはもっとうまい人がいるわけだし、 プロから見たら、僕のテクニックなど話しにならないレベルさ。 そもそも音楽ってテクニックを学ぶのが目的じゃなくて、 テクニックは自分を表現する手段にすぎないんだよね。 テクニックを超えたところに音楽ってものがあるんだから、 それを語るならともかく、 “うまい”なんて・・・・、 いやな言葉だよね。 先生がいつも嫌っている“頭がいい”ってのと同じ。 で、先生はどうして社会なの? 教科内容と伝えたいことが、わりとストレートに結びつきやすいからかな。 でも学校の先生になるのは、やっぱりいやだな。 教科の内容やワクにとらわれずに、みんなの年齢に応じて、 小学生には・・・中学生には・・・高校生には・・・ 好き勝手に伝えたいことを伝えたいよ。 自分の塾だからそれができる。 先生は、学校の先生らしくないっていうだけじゃなくて、 塾の先生らしくもないね。 はっはっはっ、そんなこと、どうでもいいじゃないか。 ここはここなのさ。 哲学坊やとの、休憩中の会話の1コマ。
2007.12.17

具合良く晴れてちょっとポカポカ陽気。昼前に懸案の障子張りにとりかかる。障子は、貼った人はわかるが、貼るよりも前のものをきれいにはがすのに手間がかかる。今回は初めてはがし剤を使う。これ、かなり効く。こんなにきれいにはがれるとは・・・3年に1回くらいは張り直しする。紙は茶色っぽくなり、ちょっと触っただけでも破れやすくなっている。はがすのがラクだったので、桟をきれいに拭いたり紙を貼っていくにはそれほど手間取らなかった。娘の部屋の障子もついでに貼り替えて・・・・終了。真っ白にピンと張った障子は気持ちよい。そしてまだ次の仕事。カミさんの軽自動車のタイヤ交換。ジャッキアップ4回。スタッドレスに換えた。 これでいつ雪君がきても大丈夫だ。夜。いただいたあたご梨を私と娘が注視のもと、カミさんが切った。剥いた。おいしかったですよ~、そめいよしのさん \(^o^)/1回で食べきれないと思いきや・・・・なんと3人で食べきってしまいました (^_^)v そのあと録画してあった風林火山の最終回を見る。 ついに山本勘助が山本道鬼に。 以前書いたことがあるが、 この山本勘助の墓は、私が高1の時の郷土史レポートに選んだもの。 当時は郷土史愛好家のごく一部しか知らない、誰も注目しないものだった。 この近くの郷土史研究家で有名な方を尋ね、案内していただいたときには、 千曲川の土手の下、畑の中の木の下に、 それこそ誰の墓かもわからない状態でポツンと立っていた。 それが今では案内標識やボランティアの説明おじさんまで控える観光名所。 ひょうさんやゴジラ先生ご夫妻をお連れした所だ。 元々ここにあったのではなく、移転してここに。 道鬼よ、その名のとおり鬼籍に入った後も、ここで安らかに眠れ!
2007.12.16
長い土曜日が終了。中3は次々と学校での個別懇談報告が入ってくる。こちらの入試は3月。それまでにはまだ約3ヶ月ある。高3生と違い、まだまだ幼いほとんどの中3生がせっぱ詰まって目が野獣の如き真剣さを持ち出すのは個別懇談のあと。中学内容は、高校と違っていわば「お勉強」。その気になれば2ヶ月でかなりのことができる。今までの総合テストの結果から割り出した順位などこれからの真剣な勉強次第でいくらでも変動する。“大丈夫だ” と言われた中からポツリポツリと不合格者が出、“合格しっこない” と太鼓判を押された子が合格するのは不思議な現象ではない。「合格した子は入試の時点では合格する力をつけていた」というだけのことだ。個々に3ヶ月のノビシロの可能性を判断せずに“今までこうだったから”というのみで生徒に決めつけ進路指導はして欲しくないものだ。一昔前と違い、決めつけ、強要の進路指導をする先生は少なくなってきたが、カチカチ頭の先生は今以てカチカチ山だ。さて、明日日曜日。カミさんご下命の『障子張り替え』作業 etc. のため、また一日教室には来ません。メールチェック,ブログ更新はできませんがよろしくです。
2007.12.15
こうした提案を読むと、塾ブログの意義をすごく感じてしまいます。 かち~先生のご意見。 1 → 2 → 3
2007.12.15

先ほど塾生のお母さんからいただきました。 “先生、アタマナシ(=頭無し)ってご存知ですか?” って聞こえて一瞬ギクリ。 “とってもおいしい梨なんですよ。お裾分けに。”見たら『あたご梨』の表示。初めて見、初めて聞く、しかもこんな超~特大梨。うへ~、知らなんだ~・・・・しかも、産地は・・・・かの有名楽天ブロガーが取り仕切る、ス○○プ御大の地元ではござらぬか!?頂き物はすべて、すべからくそのままカミさんに渡す我が家のしきたりになっておりますのでカバーは取らずに撮影。大きさ比較の眼鏡は私のもの。お母さん、ありがとうございました。すごいっす!
2007.12.14
毎年のことだが、天体分野になると“わからない”という声が続出する。昨夜も多くの中3生が・・・・東,南,西,北の空の星の動きを撮った4枚の写真。それぞれどこの空の星の動きかを問う問題すら。北だけはわかるようだがあとは・・・ “日の出って見たことあるか?” “正午に太陽がどこにあるか見たことあるか?” “日の入りの太陽を見たことあるか?”の問いに、いずれも “ありません” という答えが圧倒的。太陽や星の動きを継続的に見てた子なんて皆無。見りゃわかる問題を、理屈を噛ませて頭で理解させにゃならん。身振り手振りを使ったり図を使ったり。ほかの天体問題も同じで、日周運動や年周運動、金星の見え方なども同様にするしかない。見て感覚的にわかっていたことを、あとから理屈でわかるのとは大違い。頭に入ったはいいけどさ・・・頭に入って、だからどうなったっていうの?生物でもそのような場面に多く遭遇する。この前“先生、亜鉛ってどんなものですか?”ってきかれて、“ほら、トタンの表面にメッキしてあるあれさ” って答えたら、“先生、トタンって何ですか?”って言われてしまった、そういえば屋根のトタンも今はすべて塗装済みになっているし・・・こういうのと違って、動物や植物,岩石,星などは、見ようと思えばいつでも見られるもの。そこにあるのに、関心がないから見ていない。だからそこにあるもののことがわからない。元自然児としては寂しい限り。
2007.12.14
そして政友会の勢力を広げるために、 多数党に有利な小選挙区制を導入したことだ。 1919(大正8)年には、直接国税10円以上を3円以上に引き下げ、 小選挙区制導入とセットにした選挙法改正を行った。 これならまだまだ地方地主の利益は守られる。 無産者には選挙権が無いからね。 しかし完全な普通選挙を求める無産者階級からは当然不満が沸騰する。 「『平民』宰相」は「『無産者』宰相」ではないのだ。 ところが1920年、 遂に中途半端な選挙資格要件撤廃を要求する、 男子普通選挙制度導入法案が憲政会や立憲国民党から出されると、 原敬はこれに対抗して衆議院を解散し、 小選挙区選挙のもとで大勝利を収めて、 単独過半数を手にする第一党になった。 原敬は当時の世界情勢(ロシア革命など)に鑑みて、 こうも早急に普通選挙を認めてしまうと、 公衆でない大衆は急激な社会変革を望み、 下手すると社会主義革命に発展してしまうこと を怖れたんだ。 対自由主義国との協調外交路線だったからね。 そうした急激な変化にその時の日本はついていけるだけの力を持っていない。 その前にやらなければならないことが山積している。 原自身は、時代の流れから、 いずれ男女平等の普通選挙権になる時が来ると思っていただろうね。 しかし、原は、 「今はそれは抑えなければならない」 と考えたんだよ。 公衆的発想だ。 以上がお父さんの見方だ。 確か、「原敬日記」に原の本音が書かれていたと思う。 あとで資料集にあたってみな。” 注.【 参考資料・・・原敬日記 】 漸次(少しずつ)に選挙権を拡張すること何ら異議なきところにして、 また他年の国情ここにいたれば、いわゆる普通選挙もさまで憂うべき にもあらざれども、階級制度打破というがごとき、現在の社会組織に 向かって打撃を試みんとする趣旨より、納税資格を撤廃すというがご ときは、実に危険きわまる次第にて、この民衆の強要により現代組織 を破壊する様の勢いをつくらば、実に国家の基礎を危うするものなれ ば、むしろこの際、議会を解散して政界の一新をはかるのほかなきか と思う。 (1920年2月20日)頷いて聞く娘。 “そっかぁ、政治背景を読み取らなければ、政治の表面のことはわからないんだね。 原敬にすれば、あったりまえのことだったんだ!? 偶像が一人歩きするって・・・こわい。”話しはそこから、これに関連する国語や小論文に関係する前提知識に及ぶ。「前近代と近代と現代」,「公衆と大衆」,「ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ」,「個人・共同体(世間)・社会(国家)の区別」・・・・こうした社会学の知識は、センターや二次国語の評論文を早く読み取る予備知識として持っていた方が内容理解が容易になる。小論文には欠かせない。一時間弱。娘につきあい、そして風呂に入って一人で寝酒。塾での仕事とは別の充足感に満たされて、気持ちよい酒だった。
2007.12.13
昨夜は午前1:00頃帰宅。珍しく娘が起きていて、久しぶりの顔合わせ。顔を合わせるなり、 “ねぇねぇお父さん。 『平民宰相』って言われた原敬は、なんで普通選挙に反対したの? 「金権政治」って言われたことも含めて、 『歴史が動いた』ではまったく触れていなかったよ。”センターと二次の両方で日本史が必要になるので、最近は日本史詰め込みにハイピッチだ。私は、自分が好きというだけでなく、将来娘が必要になったら役立てられるようにという思いから、娘が小学校時代からNHK教育TVの「高校化学」「高校物理」「高校生物」「高校地学」、NHKの「その時歴史が動いた」をビデオに録り溜めてある。「その時歴史が動いた」だけでも、3倍モードで一巻6~7本として、全部で20巻以上保管してあるだろう。だけど娘がそれらを現実に見ることは全くなかった(泣)。しかし最近は「その時歴史が動いた」を夕食時に見ているらしい (@_@;;カミさんからそれを聞いていた。顔を合わせた時くらいは役立ってやろう。いつもすまんな。原敬。 “あのな、「平民宰相」というのはみんながつけた勝手な呼称。 原敬は元盛岡藩家老の家の出の、誇り高き男だ。 その意識は大衆ではなく公衆だった。 知ってのとおり、後の藩閥政府の中心となる薩長から見て「朝敵」。 東北諸藩出身者は、明治以後それはもう中央政府からいわれなき蔑視を受けた。 原は、持ち前の反発心から勉強に勉強を重ねて、 紆余曲折を経、 陸奥宗光の引きを得てからスポットライトを浴びて のし上がっていったのはビデオのとおりだ。 そして最後には立憲政友会の党首→内閣総理大臣となる。 原敬は、最も日本的風土の日本的政治家だとお父さんは思う。 政治家が最も怖れること、それは選挙で落選すること。 党首なら、選挙で自党が大敗すること。 だから自分たちへのコアな支持基盤となる人たちの 利益に反することはまずできない。 当時の立憲政友会の支持基盤は、地方の地主層だ。 この政友会系の系譜を引くのが自由党→自由民主党で、 支持基盤もそのまま受け継いでいるのは知ってのとおり。 「原が日本的政治家だ」と言ったのは、 地方地主層の利益になる「地域密着型…ばらまき」政治を第一に行ったこと。 昭和でもいたね、田○○栄という人が。 ・・・・続く
2007.12.13
赤ちゃんの泣き声。いろいろな表情がありますよね~。元気にわんわん泣いているときは、お~いいぞ、元気に元気にもっと泣けもっと泣けって、こちらも笑っちゃう。だけどせつな~い泣き方ってのもあって、そんな泣き方をされたときにはこちらも本当にせつなくなってしまう。赤ちゃんが笑ったとき親の至福を感じる時かな。はじめはみんなそのようにして親としての生き方が始まったんだ。その後は子どもと親との生長レース。子どもが変化するように親も負けずに変化しなければ。子どもの発達段階を見つめながら。よく見極めながら。時機を失しないように。
2007.12.12

大学生さん、通りすがりさん、ありがとうございました。帰宅後PCを開いてお二人のコメントを拝見し、 “えっ、分子は因数分解できなかったはずだが・・・・!?” が第一感想。そして “あっ、なんてことを!”錯覚というか、アホの正体はこれでした。なんと・・・・“分子で差がすべて11になってくれれば和と差の積の形が出る”という見込みをたてながら、22-11のほかに「82-41=11」と決めつけ、52と-71でどうやっても11は出てこないぞと悩んでいた次第。お恥ずかしい限りですが、疲労で思考力がゼロ近い状態では「引き算ができない」+「決めつけに気付かない」のダブルバカをやっていました。お二人からいただいたコメントをもとに、みなさんに見やすいように、ここに指数入力を普通に戻して書き直させていただきます。 大学生さん、通りすがりさん、本当にありがとうございました。 お礼を申し上げます m(_ _)m
2007.12.12

帰宅前にだけれど・・・・何か落ち着かない。何を見落としているのか?今日の勉強応援掲示板で次の単なる計算問題の質問が来た(No.4632)。このように解いたが、これじゃろくなテクニックを使ってない。こういう問題は、普通はもっと目の覚めるような方法があるはず。ご覧の数学自慢(でなくてもいいですが)の方々、何か気付かれたら、コメントいただけるとうれしいです。う~むむむむ、眠れるか???
2007.12.12
中3S。ちょっと異色で天才肌。ちゃらんぽらんな勉強で、フラフラしながらもそれなりの成績は保持してきたが、ここ数ヶ月はどういうわけか真剣に勉強に向き合っている。休憩中には教室に置いてある高校世界史や倫社の参考書・読み物に読み耽る。 先生、俺さぁ、最近わかんなくなってきちゃった。 勉強して何になるんだろう。 勉強すればするほどわからないことが多くなってくるんだよ。 そりゃぁさ、勉強すればしただけテストの点は上がっていくよ。 でもさ、テストの点は上がるけど、 それはテストできかれていることには答えられるっていうだけのことだよね。 僕の頭の中では、 テストできかれていないことで疑問がどんどん増えていくんだ。 それにさぁ、勉強して知ったことを誰かに言うじゃん。 「わからない」って言われちゃうんだよ。 先生さぁ、勉強すればするほど、 人間って孤独になっていくんじゃないのかな? それでいかんのか? もっともっといろいろ勉強してみろ。 本当にそうなるのか、その流れに身をまかせてみろ。 孤独になったら否応なしに対話の相手は自分になるさ。 そしてなぁ、孤独って意味がわかるときがいずれくるさ。 世の中なぁ、孤独ってことがわからない人間の方が多いんだ。 孤独って本当にわかったら、そのときは孤独ではなくなるよ。 世の中広いもんでなぁ、お前と同種の人間がまたいるものさ。 そうだよね。 僕なんかまだ勉強し始めたヒヨッコだもんね。 あ~あ、わからないことが多い。 哲学坊や誕生の巻かな。
2007.12.11
親がいろいろ気を回さなければならないのは、子供がまだ言葉を覚えていないとき、或いは片言言葉しか言えない段階までに限られるだろう。そのあとの話し方の訓練は、その子の年齢に応じて本来親が家庭で行うべきもののはずだ。私の娘も、私からかつて 「相手はお前の頭の中などわかりはせん。まず事実を説明しろ」 「次に理由つきでどうして欲しいのかを明確に言え。」 「それから相手の意思を問え」 とさんざんやられてきた。塾生も同様だが、自分の子ほどそれが当然のようにはいかない。“先生なんだからわかるでしょ” ・・・・・・・・・あたりまえだ、こちらは伊達に歳はとっていない。極論すれば、言ってくる前から何を言いたいかはわかるさ。ただな、親に向かって「親なんだからわかるでしょ」友だちに向かって「友だちなんだから、わかるでしょ」じゃ・・・自分と無関係な相手に向かって「~なんだから」という言葉が使えるか?世間に出たあとは、「~なんだから」と言える相手と言えない相手と、どちらと話さなければならない方が多いのか?そのとき、聞き手が不完全さを補ってくれていた未熟な話し手が、きちんと話せるか?親のする教育は、学校の算数や国語のテストに出る問題の解き方・点数を気にすることよりも、「いずれ社会に出た時にこの子に必要なことは?」 という長期的視点で考えるべき事柄だ。その中で、家庭教育が分担すべきことを分担することだ。そんなこと考えたら、ごうまじ先生の書かれたことは当然すぎるほど当然と思う。しかしまた、それを書かなければならないほど、多くの親が自分の子に気をきかせすぎて、話し方の鍛錬には無頓着のようにも感じる。子どもを言葉遣いの面まで王様扱いしてはならない。大切にすることと、(変な)気を利かせすぎることは別である。ちなみに・・・・こうしたある意味の意地悪をしているだけで、子供の長文読解の得点は必ず上がっていくし、高校での小論文の書き方がよくなります。しかしそれはあくまでも付録にすぎません。 ・・・・・了
2007.12.10
長くなったので、2回に分けてアップします。いろいろなブログを拝見している。「ハッ」とするものもあれば、「うん、そうそう」とにんまりしてしまうものも。今日一番にんまりしてしまったのは、ごうまじ先生のこれ。 「子供から会話力を奪わない・・・」このことは、小さな子どもについてだけ気をつけなければいけないことではなく、中学生や高校生についても当てはまる。高校生ですら、今は親の過保護に起因する会話力不足の子が多いのだ。ウチの塾でもそう。ウチの中学生や高校生。“先生、ここらへんがわからない”とか“先生、この問題がわからない”と言ってきても、“ああそう、それで?”と返される。“だからどうせいっちゅうの?”“だから教えてください” と言うと、“じゃ、この文章の中のどこの部分がわからないのか、 キミなりにはどう解釈したのか、それを言いなさい”とやられる。「今の子たちは自分でものを考えない」とか、「論理的にものをしゃべることができない」とか、そう批判する大人は多い。でも、日常生活の中で、親は子に気をきかせすぎてきたことが多すぎるのではないか?手取り足取りで来すぎたのではないか?家庭で論理的に話す必要がない環境に子供を置いてきて、勉強の場で突然「わかるように順を追って話しなさい」と言われても、子供はきょとんとするばかり。あたりまえだ。学校教育をあれこれ言って教師を批判する前に、「今の子は・・・」とあれこれ文句を言う前に、親が気を利かせることによって自分の子をそのような絶好の機会から奪ってきたことがなかったのか思い直して欲しい。その前に、親自身が論理的な話し方をしているか自省してみて欲しい。学校教育批判記事のブログに寄せられる賛成コメントの多くは、自分が批判対象としているもの同様の考慮不足なものが多くはないか? ・・・・・続く
2007.12.10
午前は前半晴れ。さてカミさんの軽自動車のタイヤ交換をするかと思うと“ちょっと買い物に”帰ってきたときには小雨が降り出し、タイヤ交換は延期。午後は碁会所の年間チャンピオン大会。点数制はうまくできていて、段位差(一段差1目の置き碁)ではないので、二段差でも2目の置き碁ではなく、4目の置き碁になったりする。置き石のハンディでモロに実力差をカバーするので、誰にでも優勝のチャンスはある。私の結果・・・2勝2敗の五分。まぁ、妥当な成績だろう。低段者が優勝。碁会所での切磋琢磨にはこの方がいい。そのあと気が合う仲間3人で居酒屋に飲みに行った。碁会所発展のためにどうしたらいいか?アイデアを出し合う。ヒカリの碁ブームが去り、子供囲碁教室の参加者は小学校卒業者が減り、新たな小学生の新入者も減った。囲碁界も、碁会所では会員減と老齢化が進む一方だ。私がまだ若手の方に数えられている (-_-;;幹事長が親友、できるだけの協力はする。そのあとお定まりの麻雀に。昨夜は珍しく12:00前にお開き。帰宅後、風林火山の録画を見る。舞台は妻女山と霧の川中島。(ロケ地は娘をよく連れて行った長門牧場)来週はいよいよ最終回。山本勘助の死を迎えるはず。久しぶりにずっと見ていた大河ドラマ、一年間ありがとう。
2007.12.09
長い土曜日、終了間際に豪傑から。“センセ~イ、これあわない。”見たら、 「和が2,積が2の2数を求めよ。」a+b=2,ab=2として、それを連立方程式で解いている。おいおい、この問題、ページのタイトル「解と係数の関係」ってあるでしょ。解と係数の関係は二次方程式で使うものだぞ。出題者の意図を読まなくちゃな!意図、意図、意図・・・どんなことでも。明日(今日)日曜日は、晴れていたら午前中にカミさんの車をタイヤ交換。雪よ、まだ降らんでくれよ。午後は碁会所で今年一年の月例大会優勝者によるチャンピオン大会に出場。一日留守にします。メールチェック、ブログ更新ができませんがよろしくです m(_ _)m
2007.12.09
番長から 番: 先生、Y高校の前期試験の志願理由書を書いたので 添削して欲しいんですが。私は途端に嫌な顔をした。 ウ: なんじゃと~! なんでそんなもの、先生が添削せにゃあかんの? 番: 言うと思った。 先生どうせ嫌がるものね、Y高校なら。 ウ: 当たり前だ。 たとえ宝くじの確率とはいえ、 合格したらY高校に行かにゃならんのよ。 なんでお前がY高校なんだ!?この子、中2で来たときには、「4番手のH高校に入れればいい」と言っていた子。筋の良さからどんどん頭角を表した。今では模試で2番手のY高校にも志望者中トップクラスになっていて、私は途中から一番手のN高校を目指させていた。N高校にはまだ一歩届かないが、入試まではあと3ヶ月ある。 番: じゃいいよ。 学校の先生に添削してもらってあるから。これを聞いて、不安がムクムクと湧いてきた。 ウ: おいちょっと待て。見せろ。 ・・・・・ありゃ、おいこれ全くダメ。 書き直せ。 番: どうして? ウ: あのな、これどこの高校への志願理由書だ? 「4年生大学に進学したいから」とか、 「入学後も生徒会活動や班活動に励みたい」とか、 「充実した高校生活を送りたい」とか・・・・ いいか、Y高校の先生たちは今N高校にうんとライバル心を燃やしている。 お前の書いた志願理由書、 これY高校でなくてN高校に出してもそのまま通用するよな。 そのくらい“Y高校に!”という具体性がない。 書いてあるとおりなら、「ではN高校へどうぞ!」と言いたくなるぜ。 「これこれこういう理由で、N高校よりもY高校へ入りたいんです。」 ってような内容なら、読んだ側が感激するけどね~。 例えば校訓を持ち出すとか、親父を持ち出すとか、 特定の班や体験入学のときの気に入ったことを持ち出すとか。 番: そういうの、ないもん。 ウ: ばっかもん、なけりゃ作ればええんじゃい。 頼まれて、先生が以前何人かの高校の志願理由書を書いた。 それを参考に、事実は自分に合わせて、 「だから貴校でなくてはならないんです」という志願理由書にしてこい。 そうしたら添削してやるわい。 番: は~い、書き直しま~す。大きな声では言えない話し。でも ・ ・ ・ ・ 書いちゃった (^^;)
2007.12.08
ここで紹介した子の第2弾。今回から鈴子(仮名…学年は内緒のまま)としておきますね。学校の宿題ではなく、私からの宿題でもなし。鈴子から“作文を書いてみたい。”と言い出したので、“ああいいよ。じゃ書いたら持ってきな。”となり、鈴子が書きたい気持ちになった時だけ書いているものです。 ~ 誕生日について ~ 私は11月24日に誕生日をむかえた。ケーキ を食べ、ごちそうを食べた。そして、プレゼ ントを買う。 誕生日は、生まれてきた日のお祝いでもあ るし、産んでくれた人への感謝の日でもある。 自分の生まれてきた日だといって、ついい ばってしまうこともあるのだが、産んでくれ た人にも感謝しなければならない。なので、 自分の生まれた日だからといっていばらない ように気をつけたい。 誕生日は人それぞれがちがう日だ。生まれ るには、おなかの中にいる自分の競争あい手 と、いっせいに赤ちゃんができるところにつ っ走る。 そして、頭が一ばん良くて、一ばん足の速 いものが入れる。そうして、競争に勝ってで てきたのがこの自分。もう○さいなので、○ 年も生きてきたということになる。事故や、 重い病気にかからないで、よくやってこれた なぁと自分でも思う。 誕生日はとっても大切なもの。これからも ずーっと大切にしていきたい。そして、生ん でくれた人、その姿を見まもってくれた人に も感謝したい。 「生んでくれてありがとう。」 (400字詰め原稿用紙1枚+6行) 注. 年齢は伏せて○にしました (^-^)【ウロコ先生の寸評】 内容がとてもおもしろい。 鈴子の考えていることがありのままに 書かれていて、先生はこういう作文、大好きだよ! ウロコ先生
2007.12.07
ふ~、ようやく一段落。今日の質問ではRから出たこれが。R: “先生、今日学校でやったところがよくわからないんですが、 1ドル───400円 と 1ドル───100円 を比べれば、 1ドル400円の方が円高なんじゃないですか? 400円なんだから”毎年これだ (-_-;;ウ: おい、1個400円のりんごと1個100円のりんごではどっちが高い?R: そりゃぁ1個400円のりんごの方が高いっす。ウ: 何が高いんだ?R: りんごがですよ。ウ: ああ。何かを買うとして、その「買おうとする物(商品)」が高いか安いかだ。 じゃ円が高いか安いかは、円を買おうとするときに円の値段が高いかどうかだよな。 円を何で買うか? ドルで買うのさ。 1ドルで400円(商品…100円玉4個)買えた。 1ドルで100円(商品…100円玉1個)しか買えない。 こうして比べてみな。 上は、400円を買うのに1ドルですんだのに、 下では同じ400円を買うには4ドル必要になる。 さあ、どっちの方が円(商品)が高いんだ?R: そりゃあ下です。円の値段が4倍になっちゃった。ウ: なっ、それが「(ドルから見た)円高」さ。R: あっ、そうか・・・・ウ: 逆についても考えよ。 要は、ドルで円を買うときには・・・「円が高いかどうか」 円でドルを買うときには・・・「ドルが高いかどうか」 相手の通貨を商品の値段と見ればいいんだ。 1ドルを買うのに400円かかったのが、1ドル100円ですむなら、 こちらの方がドルがぐっと安くなったと言えるだろ。つまりドル安。 逆にドルで円を買うなら400円分を1ドルで買えたのが、 1ドルで100円分しか買えなくなったら、 “うわ~円が高くなっちゃった!” ・・・円高ということだ。 同じ現象でも、「どちらを商品と見て」の方向を決めるとわかりやすくなる。で、もう一度図をかいて整理。だけど、「ドルや円その物が商品である」と言うと、びっくりするようだ。
2007.12.07
今朝の帰宅4時。夏なら空は明るい。冬はいい。自宅の空は暗い。見上げると満天の星。玄関の前にしばし佇んだ。オリオンは既に西空に移り、獅子座などの春の星座がもう東南に見える。全天の一等星の約半分が冬に集中する。冬の星座、魅了する。吐く、真っ白い息。空気が凍てつき、星はぎらつく。1つ1つの星がどこか攻撃的だ。そんな中、悲しげなプレアデスの羽子板。青白い霞の中に、さめざめと泣いている。背後に星雲を映すからなのだが。ペルセウスは肩をそびやかす。野が雪に埋まれば、山が雪化粧をすれば、星はまた違った顔になる。家に入る前の一時の漂流。中の温かい電灯の光で人の世界に戻った。
2007.12.06

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~二項定理の応用 投稿者:ピーチ 高1 投稿日:2007/12/05(Wed) 18:34 No.4621 久しぶりです( ゜∀゜)ノこんばんゎ 部活めっちゃ楽しいですょヽ(*´∀`) 遊んでばっかで勉強についていけなくなりました。。 (2x^2-1)^8の展開式におけるx^6の係数をもとめよ。 ってぃぅ問題がわかりません。教科書ょんでもわかりません ( ;∀;) 教えてください。。 あと、 重複を許してつくる組み合わせの問題で3個の異なる文字x,y,zから同じ文字を くり返して用いてもよいとして、8文字取り出してつくる組み合わせの総数を 求めよ。 という問題がわかりません。 なぜ10C8×2C2=45とおりという式になるのでしょうか。 教えてください。よろしくお願いいたしますm(__)m ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~1問目は掲示板の方に解説しておいたからいいね。こちらでは図があった方がわかりやすい2問目の重複組合せを解説する。普通は「縦棒式」とか「敷居棒式」と呼ばれるやり方で説明されていることが多いんだが、あれはわかる子にはわかるけど、わからない子にはわからん。だから別の考え方でやるよ。 さあ、これでどうだ~ (^-^)/
2007.12.06
プライバシーが絡むので、少し脚色を加えています。中3のC。両親共、自分の学生時代には、家庭の事情でやりたいと思ってもできなかったことがあった。やれないことがあった。そのことがどうしようもない一因となって、就きたい仕事にもつけなかった。その後、家庭を持ち、子どもを持った。自分と同じ思いを自分の子には味わわせたくない、その思いは強かった。しかし子どもは子ども。親とは別人。子育て中もそこを混同することは無かった。しかし、Cはその夢とするところに一歩届かない。親は、親の夢を押しつけることはしなかったが、Cの夢は実現させてあげたかった。親から見ると、Cの頑張りがいつもほんの少し足りないように見える。歯がゆくてしかたがなかった。真面目すぎ、融通が利かないところがある。それをからかい、数人がいじめまがいのことをしだした。Cは学校へ行きたくないことが度々になった。ストレスがたまり、異常行動に走ることが現れた。親は“この大切な時期だ。学校へ行きなさい。くじけないで頑張るのよ!”と叱咤激励した。或る事件が起きた。母親はCのストレスの大きさに驚いた。涙がこぼれ落ちた。いじめについて、担任に事実を告げ相談した。“もういいのよ。そんなに苦しければ学校を休んでもいいのよ”Cに言った。Cはポツンと答えた。“もうちょっと早くそう言って欲しかった”と。このあとCは学校へ行き続けている。母親が言を変えたことにより、また心に秘めていたことを母に告げたことでストレスが何%も軽くなった。母子に心の一体感が生まれた。Cはもう一人じゃない。理解者がいるとき、何かに耐える力は何倍にもなる。私はもちろんCが希望高校に入れるように、勉強の総指揮と精神面を支える補助役だ。主役はあくまでC自身。
2007.12.05
しんた先生が考える学習をすすめる会の「無料DLテキスト図書館」からデビューしました。小冊子「お子様の合格可能性が高くなる良いお話」(A4版,25ページ)です。執筆したしんた先生がこう語っておられます。昨日公開してから、DLされた方は既に72人、ハイピッチです(14:34現在)。 しんた先生のコーチング、これまでの集大成と言えるでしょう。 どうぞご覧ください。
2007.12.05
先ほどのねこまんまの記事では女性陣からの総スカンを覚悟していたのに、あたたかいお言葉、ありがとうございました。日本の伝統色は、立派に生き続けております♪って、調子に乗ると叩かれるかな?さてさて今日のB子(中3)の質問から。 “先生、今日学校でやった英作文なんだけどね。これはどうなの? ケーキって料理だから、a はつかないんじゃないんですか?” 【問題】 私はケーキの作り方を知っています。(英文に) B子の答案。 I know how to make cake.・・・× 〔解答〕 I know how to make a cake.料理だから a がつかないという理屈もちと???たしかに〔模範解答〕の形が普通だろう。だけどこの問題では、下の全部を○にしたくなる。 I know how to make cake. I know how to make cakes. I know how to make the cake. I know how to make the cakes.cakeは可算名詞,不可算名詞の両方で使うし、この場合には、冠詞はそれをつけたつけないで、言いたいニュアンス(内容)が変わるだけなんじゃなかろうか?ネイティブにきかなけりゃわからんか?それとも私がおかしいのか?どなたか教えていただければありがたいです。 m(_ _)m
2007.12.04
(1) じゃがいもの焼き芋(2) じゃがいもの千切り炒め(3) ナスの味噌炒め(4) 卵焼き(5) ネコまんま“お子ちゃまだね~!”と笑わば笑え。(5)のネコまんま、地方によって指すものが違うようだが、私の好きなのは味噌汁をあったかご飯にかけたもの。(鰹節かけご飯をネコまんまと呼ぶ所もある)ご飯の量の調整が難しい。固目のご飯をちゃわんに六分目くらいに入れ、味噌汁を縁ギリギリまでかける。味噌汁の具は白菜とじゃがいもの2種類だけがいい。こうすると、ちょっとかき混ぜたときにご飯がバラバラになり、程良い浮き加減が生まれる。目玉焼きの焼き加減に100人100様の好みがあるのと同じだ。思い通りにキマッタ時には限りない満足感。まさに芸術を追求している心境。味噌汁にご飯を入れたんではダメなんだな。本当は(5)を第2位にしたいのだが・・・・カミさんの目の前でネコまんまにするのはけっこう勇気がいる。娘からも共々胡散臭い目で見られること必定。 言わずもがな、目で語っている。 “お行儀がわるいね~!?”, “品がないね~!?” 女性陣はどうしてこうも「日本の伝統食」を敵視するのか? なんでよ~! 手順を変えれば、「おじや」とあまり変わらんじゃないか (-_-;;
2007.12.04
こちらではほとんどの中学の中3が「天体」に入ったところ。おかげで天体についての質問が相次ぐ。自分でも小学校の時以来の趣味だから、ついつい深入りしてしまう。時々“勘弁してよ!?”ってのもあるが、ほとんどは“言葉にこだわれ!”から、いつの間にか「漢字」と「国語」に鞍替わりして楽しい。今日の“勘弁してよ!?”はフリちゃんの“先生、地球は何故自転しているのですか?” “そんなこと知るか。神様がそう創ったんだ!”瞬間的にそう言ってしまったが、あまりに悲しそうな顔をするので慌ててフォロー。 “じつはね、太陽系の天体は、出来はじめのときは 太陽を中心とする回転するガス体と考えられてさ。 そこにまた星屑も加わり、衝突や爆発を繰り返し、 いくつかの惑星にまとめられ、 慣性の法則で初めの回転方向に自転も公転も揃ったんだよ。 ほんの少し例外の惑星(自転が逆向き)もあるけど、 それは後天的原因と考えられている。 自転してるのは地球だけじゃないんだぜ。 詳しいことは高校地学でやるからね。 忘れていなければその時説明してあげるさ。”楽しいのは、今日はめっちゃんの“先生、『南中』ってなんですか?” “読んで字の如く。南・中だ。” “先生、意地悪しないでさ~” “へへへ。南はわかるな。 『中』は真ん中に来ること。また「当たる」という意味もある。 天体が真南に来る、真南に当たるってことだ。 さてさて、真南って普通は地平線の一点だろ。じゃ、その天の方向では? そっ、真南と天頂と真北を結ぶ線上に来ることだ。 その線をなんで『子午線』と言うのか?” “さぁ。先生、話しを続けてどうぞ” “十二支を知っとるよな。 昔は時刻にも方角にも十二支を当てはめた。 方位では、北がネズミ(子)。 そこから東回りに「ね~」「うし」、「トラ」、「う~」・・・ ほら、南は「ウマ」になる。 ウマは馬じゃなくて午の字。 牛との違いは縦棒が上に突き出るかどうかだけど、 牛は角があるから突き出る。 馬は角がないから突き出ない。” “本当? また、担いでるんじゃ~?” “ははは、まあいい。 ほんでもって、子(ね)と午(うま)を結ぶ線だから 「ねうま線、つまり子午線」さ” “わぉ、そういう意味か!” “これもおまけ。 午前、午後って・・・午(正午)より前か後。 正午って、正(まさ)に太陽が午。 こういう言葉を最初に創った人って、天才かな。うまくできているよなぁ” “わっ、楽しい” いったい何の授業なんだろうね! (^-^)
2007.12.04
石原千秋氏の「秘伝 大学受験の国語力(新潮選書)」,「教養としての大学受験国語(筑摩選書)」,「大学受験のための小説講義(筑摩選書)」の三冊を繰り返し読んでいる。読む度に、なんともはや・・・という気分である。国語力を考えるとき、「国語力ってなあ~に!?」という疑問が自分では崩れては立ち、崩れては立つ。小・中・高と一貫指導している場合、一応の最終目標は評論文・小説文共に大学入試問題が解けることである。塾としての国語指導の役割は、それができるように塾生を持って行ければそれでいいのかもしれない。だがしかし、それは「問題作成者の意図に沿った読み方ができるか否か」のかなりの部分がテクニックに依存する問題である。要求される読み方、それはそれで割り切り、それとは別に自分の読み方もできていかなければ、受け身の読解からなかなか脱皮はできない。大切なことは、要求される読み方はそれと知り、且つ自分の読み方はまたそれと認識していることだろう。両者の区別ができなければちょっと具合が悪い。よく言うところの「小さい時からたくさんの本を読め!」というかけ声は、必要条件の一部を満たしているけれど、十分条件ではない。本をたくさん読んだということは、それなりに他人の文章を視覚化でき、且つそれなりの感情移入ができるということしか意味していない。小中の間は、いわゆるよい子なら、よい子を想定した国語の発問しかないから、それなりの視覚化能力と感情移入能力があれば、読解問題でそれなりの点はとれるし、まま国語の成績で悩むことは少ないだろう。かく言う私は、中学の時はけっこう読書量は多いにもかかわらず、国語の読解問題は苦手だった。自分流の解釈(へんくつ流)に片寄っていたからだ。高校でそれに気付いて、「自分はさておき・・・」という気になってからは、自分流の本の読み方と国語のテストは別物だというように割りきった。そうしたら、現国は途端に成績が上がった。また、テスト問題の解釈能力と小論文を書くのに要求される能力というのも別物だ。小論文を書くには、普段の学習において「自己や社会事象への謙虚な批判精神」がいつも自分になければならない。文学的文章だけをどんなに読んでいたところで、社会科学系の小論文が書けるようにはならない。高校での小論文指導で、国語教師よりも、概して社会科教師の方が評判が良いのはそれを物語る。また、上位校では生徒に人気がある国語教師というのは、ほとんどが理科・社会科教師と間違うほどに社会問題についての教養範囲が広い。国語力を語るとき、国語という教科について狭い縄張り意識、専門性を持ち出すと、小中範囲でしか通じないものになりがちだ。国語力が他教科理解の基本だということ自体は正しいが、他教科理解がまた国語で扱うテーマに戻って関係する。ここらへんが渾然一体。国語の指導は国語で扱う範囲で事足れりというものではない。国語指導というのはやっかいなものだ。
2007.12.03
12月2日、日曜日。カミさんは実家、娘は模試。暖かい午前中に、自分の車のタイヤをスタッドレスに交換する。四輪だけなら、ジッャッキアップも4回だけなのでそれほど苦にならず(笑)。腰痛にもならなかった。年内にはカミさんの軽自動車もタイヤ交換せねばカミナリが落ちる。まっ、軽は文字通り軽いので腰に負担はほとんど来ないが。午後は碁会所の月例会受付当番。そのあと役員会。大会に参加しながら参加者の対戦成績の表付けもする。結果? さんざん・・・・2勝2敗の五分。前々回の優勝で一気に持ち点が10点はね上がってしまったため、今回など四段相手に4子(最初から4目を置かせる)。ちときつい。これが外の正式大会なら向こうが先の勝負。月例大会は、なるべく低段者に優勝してもらった方が盛り上がるので、段位に関係ない点数制の方がいい。さてさて来週の日曜日は年末恒例の「年間チャンピオン大会」。各月の月例大会優勝者と準優勝者が年間チャンピオンを争う。私も6月に優勝しているので強制参加。ということは・・・・今年はやらなければならない我が家の「障子張り替え」。一日仕事になるが、どこでやるか?障子も3年もすれば紙が茶色っぽく変色し、破れやすくなる。貼り替えた真っ白な障子は紙がピンと張り、確かに気持ちがいいものだ。正月はそんな障子と共に迎えたいが。“○○と障子は新しい方がよい”そんな言葉はなかったよね~!○○は古い方が良い。
2007.12.02
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