2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2005
全30件 (30件中 1-30件目)
1
評論家の鶴見俊輔さんは、かつて戦争に勝つことのコストということを語っていました。 それは戦争に勝つと、軍が政治的に力を持ち、やらなくてもいい戦争をやるようになるということです。 アメリカのベトナム戦争はまさにそれでした。 しかも、そのコストは、今のイラク戦争にまで続いており、アメリカの軍需産業は敵を捏造し続けることで生き延びています。 しかし、僕にとってアメリカを代表するものは、そうした軍需産業ではありません。 ボブ・ディラン、ソロー、ホ-ソーンetc・・・。今こそ、そうしたアメリカのリベラルとの連携をはかるべき時でしょう。
2004年09月30日
日本全体の米軍基地の75%が沖縄に集まる現状はやはり異常だ。別に普天間が特別危険ではない。すべての基地が危険なのだ。タッチ&ゴーなど、危険な訓練をするからやはり基地は普通の空港とは違うのだ。アメリカ軍自身が七~九年置きくらいの確率で普天間では事故が起こることを予測し、実際今年の夏起きた。それは結局そこに住む住民たちの本当の役には立たない。だから、基地を(ジュゴンのような貴重な動物の泳ぐ)辺野古沖に移せばいいというものでもない。 今後は、沖縄のエコツーリズムなどを応援して、平和産業を育てていけばよい。その最たるものがサッカーだ。かりゆしFCが失敗したからって悲観することはない(今は歌や踊りに若い人材が流れているが、サッカーに人が集まる日も来るだろう)。 普天間基地跡は芝生の張ってある、子供も遊べるようなサッカー場にするといい。
2004年09月29日
先に報告しましたが、9月9日に国連大学で開かれた、9LOVE沖縄特集のレポートがUPされましたので、URLを御紹介します。http://9love.blogtribe.org この中で、染織作家の石垣昭子さんは『大和(日本)が沖縄に復帰すればいい』と語っています。 以前も書きましたが、沖縄はアジアの中心にあると考えていいと思います。 沖縄の基地問題を解決するためには、大型リゾートではなく三線奏者でもある石垣金星さんが推進するようなエコツーリズムを応援したり、昭子さんの染め物のような循環型の平和産業を応援することによって、たとえ小さくても経済的基盤をつくっていくことが必要だと思います。
2004年09月28日
以下は、プルードンによる、系列弁証法の観点から位置づけられた「相互性」(「矛盾」に続く第二の法則)の解説であり、また「相互性」という交換銀行の基本理念の表明である。後者に関してはより具体的には定款を見るべきだが、その論旨は明解なものであり、現代にそのまま通じるものでもある。 「・・・相互性は、創造物においては、存在の原理である。社会秩序においては、相互性は社会的現実の原理であり、正義の公式である。それは、思想、意見、情念、能力、気質、利害の永続的な敵対を基礎とする。それは愛そのものの条件である。 相互性は、『自分にしてほしいことを他人にたいしてなせ』という掟において表明される。経済学はこの掟を『生産物は生産物と交換される』という有名な公式に翻訳した。 ところでわれわれを貪り食う悪は、相互性が無視され、破壊されることから生じる。救済策のすぺては、この法の公布のなかにある。われわれの相互関係の取扱化、ここに社会科学のすべてがある。 したがって今われわれが必要としているのは、労働の組織化ではない。労働の組織化は、個人的自由の本来の対象である。労働をうまく行なうものは、利益を得るだろう。この点では、国家は勤労者にたいしてこれ以上言うベきことをもたない。われわれに必要なこと、私が勤労者の名において要求することは、相互性すなわち交換における正義であり、信用の組織化である。」(阪上孝訳、「信用と流通の組織化と社会問題の解決」、1948年3月31日発表のパンフレット、『資料フランス初期社会主義二月革命とその思想』河野健二編、平凡社、p338より) 上記の文章の中で、相互性の定義を「生産物は生産物と交換される」「交換における正義」「信用の組織化」と書いている部分が有名であり、また重要だと思う。「生産物は生産物と交換される」という部分はマルクスの言うように労働価値と労働生産物とを混同しているのではなく、労働の価値を明確にしているのであり、相対(あいたい)での契約を重視することによって、交換の理念的土台を明瞭にすると共に、統制された計画経済ヘ陥る危険を回避するという知恵でもある。 また次に、前回引用した「政治問題と経済問題の同一性、解決の方法」(「人民の代表」1848年5日9月発表分、『資料フランス初期社会主義二月革命とその思想』河野健二編、平凡社、p344)より、社会全体をいかに捉え、改革の方向性をどうするかという彼の思想の核心部が明確にされている、その後半部を紹介したい。 「・・・人間の王権を廃止したように、貨幣の王権を廃止することが重要である。市民間の平等を樹立したように、生産物間の平等をつくり出すこと、全員に選挙権を与えたように各商品に代議能力を与えること、われわれが王権や大統領制や執政官(ディレクタトワール)の仲介なしに社会の統治を組織しようとしているように、貨幣の媒介なしに価値の交換を組織することが、重要である。要するに、政治的次元で行なおうとしていることを経済的次元で行なうことが重要なのである。それがなければ、革命は重要な部分を欠くことになり、不安定になるであろう。 したがってこの二つの改革、すなわち経済的改革と政治的改革は緊密に結び付いている。両者はそのどちらが欠けても実現されえない。政治組織を経済組織から分離することは、絶対主義に後退することであり、現実ではなくて意見を法とつねに取り違えることである。それは、進歩を妨げることである。 真に革命的であるためには、新しい基本構造が、この学派の言葉を用いることを許していただければ、主観的であると同時に客観的であること、それが人間と同様に物のあいだにおいても平等の組織であることが必要である。生産物間の均衡は市民間の正義と同じものである。こうして正義は、われわれにとっては、具体物であると同時に理念的存在である。そして一八四八年革命はとりわけ経済的革命であるから、われわれはまさに経済科学にたいしてこそ、新しい共和的原理を求めなければならないのである。 信用と流通を組織すること、一言で言えば銀行を創出すること、これが、経済的基本構造と同時に政治的基本構造の出発点である。同じ等式が社会問題と国家の問題の解決に役立つであろう。同じ定式がこの二つの解決を表わすであろう。」(阪上孝訳) 上記の文章からはプルードンの、政治革命ではなく社会革命を重視するスタンスがより明瞭にわかると思う。当時、人々が政治革命に熱狂的する中で、プルードンのこの態度は特筆すべきものだった。 技術的な点をより具体的に言うと、同年発表された交換銀行定款によれば、貴金属貨幣は交換券で払いきれない端数にのみ使用される予定だった。 プルードンの論旨は題名を見れば明らかだが、8日発表分の文章よりも、その後半部に当たる9日のこの文章の方が、プルードンの経済重視のスタンスをより鮮明に表していると言える。また、「こうして正義は、われわれにとっては、具体物であると同時に理念的存在である」という箇所は、「イデア=レアリスム」というプルードンの方法論を示していると言えよう。 先にプルードンのアイデアとLETSの理念との類似性を指摘したが、「信用と流通を組織すること、一言で言えば銀行を創出すること」という部分を見るならば、当然ながらこれらは今日の市民バンクの試みとも繋がるものであり、交換銀行案が却下された後にプルードンが提出した、広く出資者を募る形にした人民銀行案においてはよりその傾向が強くなる。 ちなみに、「貨幣の王権を廃止する」という方向性は、マルクスの価値形態論から見ても、正しいのではないだろうか。
2004年09月27日
1848年5月8日「人民の代表」に発表されたプルードンの文章、「政治問題と経済問題の同一性、解決の方法」を資料として紹介します。LETS(地域交換取引制度)の原理との近さがわかると思います。「自由経済研究」vol.20.2001.12より、森野栄一さんの訳です。「・・・誰もが認めることは、異なった場所に居住する三人以上の交換者が、同じ時に、それぞれ他の人間の生産物を知り、欲するならば、彼らの生産物と役務を直接に貨幣の助けなしに交換するような方法で交換することができるということである。 (中略) 交換銀行は交換者に対して、諸国のあらゆる生産者や消費者の事業状況や能力、支払い能力、生産の重要度、そして特に重要な彼らのもつ欲求を個人的に知っているかのように現れる。 いかなる政治上の激動も決して生産者と消費者の関係を断ち切り、生産物の交換を中断しえないにしても、交換銀行がお互いに関わりあうには時間がかかるすべての生産者と消費者に無償で生産物と販路を提供するのは、この知識によってこそなのである。 交換銀行はその組織によって交換銀行なのである。随所に現れ、誰にでも情報を与え、交換銀行は各交換者にこう言うのである。当行に諸君の請求書、交換券、約束手形を与えよ、当行に諸君の商品針委託せよ、当行のもつ無数の関係によって、補償金もいらず、割引料もなく、利子もなく、諸君のあらゆる取引を引き受けましょう。 従って、ここでは貴金属貨幣の銀行が交換の銀行に転換され、間接的交換は直接的交換に代えられ金属の役割は廃止され、一種の振替に転換される。否定が肯定に転換されるのだ。 我々はこの改革からどのような利益を引き出すことができるのであろうか。これが労働者にもたらすものはなんであろうか・・・。」 さらに付け加えるなら、プルードンの交換銀行の計画では、銀行が特権的なポジションに立つのではなく、会員が相互に価格を決め合うという点が画期的であり、計画経済的な同種の試みとの違いであるということも追記しておきます。言うまでもなくそれはLETSに共通する考え方でもあります。
2004年09月26日
「軍人は小児に近いものである。(中略)この故に軍人の誇りとするものは必ず小児の玩具に似ている。」と芥川龍之介は『侏儒の言葉』で述べています。 これは逆に子供に可哀想な比喩です。僕の解釈だと軍事オタクは幼少の時、心のゆくまま遊んでおらず、充実した子供時代を通り抜けていないから、大人になって代補対象を探すことになるというものです。 上記の芥川の思考は断片的で、資本の分析を含んでいませんから、石橋湛山などの現状分析には及びませんが、以下の記述などは昭和二年にしては鋭いものだと思います。 「日本の労働者は単に日本人と生まれたが故に、パナマから退去を命ぜられた。これは正義に反している。亜米利加は新聞の伝へる通り、『正義の敵』といはなければならぬ。しかし支那人の労働者も単に支那人と生まれたが故に、千住から退去を命ぜられた。これも正義に反している。」(『侏儒の言葉』芥川龍之介、1927年より)
2004年09月25日
昨日(23日)、友人と横浜のJR桜木町駅高架線下を歩いていて衝撃を受けた。80年代から、市民が落書きを描いていた数十メートルにわたる壁が白く塗りつぶされていたのだ。 落書きと言っても、ヒップホップカルチャーではグラフィティーといって、重要な要素とされる文化である。 渋谷などで横行するような民家への落書きではないし、桜木町のそれは広く知られるようにレベルの高いものだった。 壁のそばを見ると横浜市による「アート再生」のプロジェクトだというチラシが貼ってある。だが、卑猥な落書きが描いてある柱には何の手も加えていないところを見ると、街を愛していない単なるお役所仕事であることが明白だ。 かつて、イタリアの映画監督パゾリーニは消費社会によるイタリア文化の均質化を、「大量虐殺」と呼んだ。それに倣って言えば、これは横浜の文化の大量虐殺だ。僕はペンキ代の一円でも税金が使われているかと思うと、憤りを覚える。 白塗の壁の後には、上品な絵が描き始められていた。しかしそれらはまったくストリートの強度に見合っていなかった(書類審査あたりでパスしたからだろう)。 グラフィティアーチストやヒップホップ愛好家は怒りの声を挙げて欲しい。そして冷静に新しいスプレーを用意して欲しい。
2004年09月24日
ヘンリー・ソローは『市民としての反抗』(岩波文庫)の冒頭で、小さな政府ヘの志向を表明した。それはもはやアナーキスト宣言と言ってもいいものだが、そうした思考をガンジーが受け継いだのは有名な話である。 彼の思考法を知るいい例が「太陽」をめぐった記述である。 『森の生活』のラストで、太陽とは明けの明星にすぎないと彼は書き、別の場所で彼は自分の体の中に太陽を感じると書いている。 一方は複数化によって相対化し、もう一方は能産的自然を持ち出すことで太陽という絶対的なものを相対化しているのだ。二種は思考法は異なるが、ともに相対化に寄与することには変わりはない。そして、そうした二種の思考法を使い分けることができるという点が、ソローのアナーキストたる所以なのだ。 ここで、ソローが、(ステート批判として)メキシコヘの戦争に抗議し、(経済的な分析に基づき)納税を拒否した罪で逮捕された際、牢獄の外から「どうしてそんなところにいるのか」と聞いた友人に「君こそなぜここにいない」と答えた話が思い出される。 そうしたまぜっ返しというよりユーモアに満ちた相対化は、彼の思考法に基盤を持ったものであり、その場限りのものではない。 権威に頼らないアナーキーな思考を、その生き方において体現し、尚かつ言説化したという点で、ガンジーの先駆者としてのソローは今日的に見直され得るし、今現在もアメリカ内外で(ネーションの枠を越えて)、志を持つ人達の精神的支柱というよりも独立精神を持つ人達を照らす「太陽」であり続けている。
2004年09月23日

柄谷行人の『トランスクリティーク』は単行本化される際にプルードンの影響が特に顕著になったことが指摘できる。『トランスクリティーク』はそうした理由でプルードンの再評価の基盤となるべき本の一つである。 ベネディクト・アンダーソン、カール・ポランニ-の影響とされるが、実は柄谷の四つの交換レベルの分類もほぼプルードンのアイデアと言えるものである。 ネーション/ステート/キャピタル/アソシエーションという柄谷による四つの交換のうちの最初の三つの交換レベルの分類は、プルードンの言葉ではそれぞれ、教会/政治/資本ということになる。プルードンの方法論では、それぞれ、ネーションにはトルストイ『戦争と平和』で受け継がれたような集合力理論が対応し、ステートには能動的に参画するために「イデア=リアリズム論」(プルードンによる用例は一つしかないが、公認の社会・現実の社会と共に後の研究者から重要視される用語)が対応し、キャピタルには系列弁証法(これはもっとも主要なタームの一つ)が対応すると言うことができる。 アソシエーションに関しては、プルードンはそこにも上記の分類分けを分析する際に当てはめて分節化するので、決してユートピアとしてあったわけではないし、後年の彼自身によるアソシエーション批判はそこに起因する。 アソシエーションを「第三項」(第四項?)として美化していない点でプルードンの方が現実的とさえ言える どちらにせよ、今後、日本の柄谷読者がマルクスだけでなく、プルードンに眼を向けることが望まれる。追記: マルクスとプルードンについては、筆者は以前書いたが、今となっては両者の違いよりもマルクスからプルードンへの影響、及びその類似点を強調したい。 一例を挙げれば、プルードンが初期に提唱した「漸進的アソシエーション」は、マルクスが『ドイツ・イデオロギー』で述べた、「進行中の運動」に他ならない。 今後、『貧困の哲学、経済的諸矛盾の体系』の翻訳(斉藤悦則さんの訳で藤原書店から刊行予定)が望まれるし、向学心のある方は『プルードン研究』(岩波書店)をネット古書店で取り寄せることをお薦めする。 以下、その『プルードン研究』より、作田啓一作のプルードンの社会学的構造図(四つの交換図)を引用掲載させていただきます。 『プルードン研究』(岩波書店)より
2004年09月22日
>アナーキズムと言うと 聞こえがいいですが自警団やリンチなど、負の遺産も大きいんじゃないでしょうか。アナーキズムの印象はバクーニンなどのイメージが先行した日本では大変悪く暴力的なものです。意識的及び無意識的な情報操作によってテロリズムと同義になっているくらいですから。こうした「負の遺産」は全く無知に基づくもので、僕はそれを変える必要があると思います。そうでなければここ200年の社会運動が無に帰してしまいますから。プルードンの言うアナーキズムは何より自主管理ですし、マルクスが一時期提唱したような、暴力的な政治革命(議会主義を含む)を否定するものでした。その産業民主主義を基盤にした経済革命のヴィジョンは、交換銀行定款などを読んでいただきたいと思います。ただ、一般的に先駆者プルードンの紹介の遅れている日本では、柄谷行人も指摘するようにアナーキストたちは概して資本の分析において遅れていると思いますし、その暴力的イメージを避けるためにアソシエーショニズムと呼びたくなるのも仕方がないことだと思います。ただ、そうした言い換えだけで社会的に当たり障りをなくすのでなく、アナーキズム、特にプルードンの再検討によって「アナ-キズム」の歴史性に真正面から立ち向かう必要があると思います。>フランス思想史上の問題ではなく、アソシエーションを自称するフランス思想史上の問題ではなく、アソシエーションを自称するクズ、カス、ゴミどもが実際にやってしまっていることではないんですか?おっしゃることは判りますが、状況認識が僕と違います。フランスかぶれの知識人が、知的遊戯に耽っている間に、大衆の無関心を誘発し、本質的な部分であるプルードンの紹介が遅れてしまっています。プルードンはまだしも、クロポトキンが平塚らいてうなどに与えた相互扶助の影響なども歴史的なものであり、そうした成果がその場限りのゴシップ記事に埋もれてしまっている現状を憂慮します。(上記文章は9月19日の日記のコメント欄に書いた返信コメントに加筆し転載したものです。)
2004年09月21日
ジル・ドゥルーズは『意味の論理学』におけるセリ-的思考において、本人は明言していませんが明らかに系列弁証法をプルードンから借りています。 また、欲望する諸機械と器官なき身体というアンチノミーの設定は、考えようによってはプルードンを発展させたものと解釈することも出来ます。 明らかにドゥルーズはニーチェ経由であり、それと同時にマルクス経由の思考の持ち主(構造への視点において)ではありますが、プルードン的アナーキズムを体現しており、ガタリとの「連合」がその最たるものでした。 柄谷行人はフランス現代思想が、プルードンを黙殺して来たと語っていましたが(*注)、そうした系列弁証法はフランス人の彼らに染み付いているということは言えるかも知れません。
2004年09月20日
『グラマトロジーについて』におけるデリダはルソーの持つアンチノミー(言語における使用価値/交換価値)を矮小化した上で脱構築するので、「敵の歌を歌う」というデリダの戦略は理解出来ますが、本当にルソーを脱構築したことにはならないと思います。 その点、『十九世紀における革命の一般的理念』においてプルードンは、主権移譲的なルソーの社会契約説に対して体ごとぶつかっているので、社会契約説に歴史的にも明確にアンチノミーを突き付けることに成功していると思います。ここでその誠実さというより律儀さ(正確さと言いたいところですが)をどう評価するかは分かれるところでしょうが、社会学的に画期的であることは確かです。 ただ、デリダに対して好意的になるなら、現在、社民的発想が善くも悪くもヨーロッパに(テクスト内外に)蔓延していると云うことは理解出来ます。
2004年09月19日
『汝の敵、日本を知れ』という1945年に戦争が終わる直前に完成したアメリカの反日プロパガンダ映画があります。「実録第二次世界大戦」という映像シリーズの最後に入っていたので購入して見てみました(映像シリーズでのタイトルは『アメリカの敵、日本』)。 監督のヨリス・イヴェンスとフランク・キャプラの最良の仕事とは言えませんが、それでも日本の権力構造を図解したシーンなどはよく出来ていたと思います。後半ラストの米軍礼讃は、一元主義への批判が一元的になってしまう典型で稚拙なものでしたが、この部分は改変されたものだという説もあります。封建時代を描いた多くの映像が日本の時代劇映画から取られており、はからずも日本映画の第一期黄金時代を振り返る映画体験となりました。ドナルド・キーンなどが実例ですが、戦争が日本研究者を生んだという話もこの映画を見れば頷けますし、当時の日本が自分の敵を研究しようとしなかったというアメリカと正反対の態度にも考えさせられるものがありました。 映画の題名は見終わってみると、「汝の敵、日本軍国主義を知れ」の方がしっくり来ます。石油輸出禁止という戦争の原因の分析や、国家神道と民間神道を分ける視点が必要だとは思いますが、この映画は1時間という枠でコンパクトに日本の権力構造をまとめており日本の若者にも特に授業などで見るにはいい教材だと思います。(なおこの映画は、沖縄戦の記録フィルムを買い戻す運動「1フィート運動」の中で買い取られた映像で、1985年テレビ放映されて話題になった。)
2004年09月18日
エイゼンシュテインには「『資本論』映画化のためのノート」(全集4、キネ旬所収) という論考がある。 1920年代後半まで、エイゼンシュテインは本気で『資本論』の映画化を考えていた。 詳細は全集に譲るとして、彼のアイデアの形式面での特徴を要約すると、資本主義という構造の中に取り囲まれた場合、その対抗運動は意識の面では反復にならざるを得ないということだ。 資本主義という構造の外に容易に立つことは出来ない。そして、資本主義の内部で闘うこと、しかも日常(という交換の場)で闘うこと自体に意味があるのだ。 したがって、ジョイスの意識の流れを形式面で採用することは必然なのだ(「形式面はジョイスに捧げられる」ノートより)。 もちろんエイゼンシュテインが言うように、『資本論』は「社会民主主義」(資本主義により拡がる貧富の格差を、民主主義的な議会主義という外観を装いつつも国家による収奪・分配によって補完する)に対する外部からの最大の批判である。しかし、そもそも資本論の素材は国家の側から提出されたものであるから、はじめから完全な外部はあり得ない。また、その説得力ある映画化を実際に起こった出来事(ニュース)に素材を得た形で行なうとすれば、1997年のアジア通貨危機など後年の素材を待たなければその説得力は十分なものにならなかったかもしれない。 山田和夫(『日本映画の歴史と現代』)が指摘するように『全線』の冒頭の財産の分割が利益にならないといった教訓をあらわす描写は、『資本』を描くという意味で成功しているし(このシーンは何よりも同一化への欲求を表しているのだが、このロシア人特有の主題に関しては別稿が必要だと思う)、『イワン雷帝』などの経済分析は、資本論の映画化の構想の延長と言っていいと思う。 ちなみに価値形態論の図式をエイゼンシュテインが『十月』でやったように逆モーションにするとほとんどLETS(通帳式交換システム)の理念になるのではないだろうか。 意識の流れということであれば『アメリカの悲劇』の構想も資本論の延長である言っていいだろうし、晩年の立体映画論(「立体映画について」1947年)こそは、『資本論』映画化のアイデアのうちの、階級闘争としての映画を理念的に発展させ得たものだと思う(この論文を要約すれば、映画における四次元は技術的にも思想的にもプロレタリアートのために開かれる、というものである)。 ただ、『ストライキ』における映像表現などを見ると、エイゼンシュテインの作品群は実はアナーキズムの発露としても見ることができるのではないか?(ドゥルーズ『千のプラトー』における『ストライキ』内の複数の穴の描写の指摘を参照。また、メイエルホリドの身体論や空間演出もコミュニズムからアナーキズムに転回し得るものだ。) われわれに残されたエイゼンシュテインの遺産(黒澤はエイゼンシュテインの影響でカラー映画を撮り、タルコフスキーは『イワン雷帝』を見て映画監督を志した)は、まだまだ可能性を秘めていると思う。
2004年09月17日
9月9日、慶応大学三田校舎で中国から二人の文学者を招いて講演会が開かれた。 中国淪陥期(日中戦争期に日本帝国の支配下にあった北京を中国側はこう呼ぶ)を代表する梅娘さんという女性作家の講演だった。張泉さんという男性の評論家も一緒に講演した。 最近、北京でのサッカーアジア杯におけるブ-イング問題等、日中関係は冷えきったものになっている。民間で経済活動は盛んになっていても政治家たちはアジアにおけるヴィジョンを持っていないことが問題の根本にあると思う。 日中関係に関しては、僕には国交正常化から数十年でよくここまで来たという思いもあるが、日中戦争期の文学者の営みがもっと知られていいと思う。 梅娘さんにせよ、彼女より若いその時期を研究する張泉さんにせよ、親日とレッテルを張られた中国人作家達の苦闘は、今の日本人の想像を絶するものがある。最初の張泉さんの講演も梅娘さんを含む親日とレッテルを張られた中国人作家めぐる評価の議論を現在進行形で伝えるものだった。 そうした苦労(上記のように現在進行形でもある)を少しでも知ってもらうことと、そうした苦難の歴史を忘却しないことが、次の世代の真の友好をつくり出すと思う。 梅娘さんに関しては、中国におけるフェミニズムの嚆矢でもあるので、より重要な位置にいる作家であるのは確かだ。そして、その評価のすべてを政治的な権力のもとで左右されることがないようにしたい。 講演は、彼女の日本文学翻訳家としての側面を明確な記憶とともに振り返るものだった。御高齢にもかかわらず、梅娘さんは瑞々しい感性を持っていた。日本の若い女性聴講生から携帯電話で写真を撮らせてくれとせがまれて、笑顔で受け答えしていた姿が印象的だった。 追記: この時期の文学に関しては、僕は『交争する中国文学と日本文学』という研究書に共同研究者の一員として参加した際、武田泰淳に関連して少し書いたことがあります。
2004年09月16日
昔読んで印象に残った小説に、阿城という中国の作家(『子供達の王様』という映画の原作者)が書いた『樹王』という小説があって、文化大革命当時の自然破壊をあくまでファンタジックにですが、うまく伝えていました。 無論、当時の中国の指導者も人民を幸福にしたいと思って、よく考えていたのだとは思いますが、そうした一方的な思いはかえって、自然を破壊してしまうという話でした。 そこで大事になるのは「て~げ~」という感覚だと思います。 沖縄では適当にやろう、と言う時の「適当」を「て~げ~」と言うそうです。 て~げ~。 この言葉は、人間が本来持っているはずの、自然とのバランス感覚を体の中に呼び覚ますような響きを持っています。「て~げ~え~やっさ、て~げ~」(ネーネーズfirst-albumより)付録:沖縄の言語における五母音から三母音への音韻変化 aiueo → aiuiu コメ(米:kome) → クミ(kumi) ココロ(心:kokoro) → ククル(kukuru)
2004年09月15日
14日、『明日を創る人々』という映画をフィルムセンターで見て来ました。 この映画は東宝争議のあった1946年のメーデーの翌日公開するために急遽作られた組合映画です。黒澤明は演出の三人に名を連ねていますが、この作品は自分の作品として認めていません。 ただ、僕が見た限り、群集シーンや撮影所のシーン(高峰秀子と藤田進が本人役で出演)に黒澤らしき演出の特徴が見られましたし(効果的な移動撮影が多々あった)、黒澤ファンは見るべき価値のある映画かと思います。(黒澤がエッセイで披露した、「綺麗な夕焼けだなあ」「馬鹿、あれは朝焼けだぜ」という徹夜明けの撮影所で実際にあったというセリフが使われていました。) この映画に関しては『天皇と接吻』(平野共余子著)という研究書に詳しいのですが、その本に書いてあったラストと微妙に映画のラストは違いました。映画では、主人公たる家族(これは任意に抽出された家族なので説得力というか面白みはあまりない?)がメーデーの前日の夜、会話をしたあと、メーデーのイメージで終わります。 その家族の会話で母親の「私が参加するとしたら井戸端組合かね」という映画のラストを締めるセリフが面白かったと思います。 他には、資本家も手をつないでいるのだから、われわれもそれ以上に手をつながなければといった内容のセリフがよかったと思います。また、合唱団を主役にしていたので、善くも悪くもプラカードを掲げたような作品にはなっていなかったと思います(シナリオが東宝コンツェルンを前提としている点や、多分実際にあった出来事なのでしょうが組合員の子供の死を無理にドラマに取り入れている点、組合運動に戦時中の国民総動員のイメージを引きずっている点、「敵」というよりも「資本家」の描写が弱いという点、また上記の母親の会話に見られるコーポラティブとユニオンの縦横の関係性の把握が弱いところなどが欠点かと思います。) プロ野球合併問題と考えあわせても奇妙なリアリティーがある映画でしたが、コアな映画ファンはこうした見方をしないかも知れません。ブレヒトの『クーレ・ワンペ』など同種の映画との歴史的比較検討がなされていないからだと思います。 黒澤は、確かにこの映画のあと、撮影現場で部所を越えて互いに手伝いあえないようなユニオンに否定的になりました。ただ、この映画に懲りて共同監督をやろうとしなかったかというとそうではありません。例えば銀行からの出資を募った『どら平太』は市川昆、木下恵介監督らとの共同監督を前提に書かれたものでした(のちに市川監督が映画化)。 『明日~』は、10月2日にもう一度上映されるようです。
2004年09月14日
結局、ドゥルーズは思考における最小単位を発見したのだと思う。それは『アンチ・オイディプス』においても『差異と反復』においても得られなかったものだ。その思考はあらゆる「事件」(本来「良いリトルネロ」も「悪いリトルネロ」も混交している)を記述可能にするもので、あらゆるニ項対立を横断するものだ(この運動には終わりがないから結果的に思考それ自体が音楽になる)。 その思考の最小単位をドゥルーズ自身に倣って、微粒子と呼んでもいいし、それはガタリの言葉なら分子革命ということになる。 リトルネロに話を戻すなら、それは12章の遊牧論における「数える数」(能数)と「数えられる数」(管理される数)とも繋がっており、やはりあらゆるジャンルを飛び越える思考ということになる(だから、ドゥルーズの記述するリトルネロの宇宙への飛翔は比喩ではないのだ)。 ただし、あらゆる二元論を横断しつつも、子供(冒頭の描写が素晴らしい)や民衆の主体化(生成変化と言うべきか)への契機として、リトルネロという概念(というより行為)はドゥルーズによって無条件に肯定されているようにも思える。 P.S. 音楽理論史的に言えば、ドゥルーズは転調を現代音楽の課題として、理論的に位置付けた最初の人間と言うことになると思う。以下、資料としてドゥルーズの思考と呼応するニーチェの『悲劇の誕生』の中の言葉を引用します。 ~観照せざるを得ないとともに、同時にまたこの観照を越えて憧れて行く、というこのことを体験したことのない者は、この両過程が悲劇的神話の考察に当たっていかに明確かつ瞭然と相並んで存し、相並んで感ぜられるかを、想像することは困難であろう。それに反し真に審美的な聴衆は、悲劇に固有の作用のなかでこの並立こそもっとも注目すべきものであることを、私に証言してくれるであろう。ニーチェ『悲劇の誕生』24章(筑摩文庫版p194)より ~音楽は事物の、あらゆる形式に先立つ最奥の核、換言すれば心臓を与えるからである。同16章(p137)ショーペンハウアーの言葉より ~音楽の精神から、われわれははじめて固体の破壊に対する歓喜を理解するのである。同16章(p139)より
2004年09月13日
以下、最近ある掲示板に書いたコメントより。 ジル・ドゥルーズが『千のプラト-』のリトルネロの章で引用した、民衆が足りない、というクレーの言葉が僕は重要だと思います。 (*注) 思うに、最近の戦争及びテロのニュースに、デモのニュースに、オリンピックの国歌斉唱にそれらは呼応しています。 この時、領土化、脱領土化、再領土化は、内在的な差異化及びマスメディアからの情報の分節化ということになりますし、リトルネロはそれらに対抗する民衆の側からの抵抗の武器、または論理ということになります。 携帯電話の着信音もまた、小さなリトルネロであり、小さな個人主義的な領土化が街のあちこちで行なわれているということになりますが、これらは多分、資本による再領土化だとドゥルーズなら言うでしょう(電話代も馬鹿にならない)。 以上、恣意的な読みに基づいた、リトルネロの読解及び展開でしたが、繰り返すなら、民衆という視点を現代思想に、音楽論によってドゥルーズが再び取り戻したことが重要だと思います。 (昨今の日本の憲法改正論議、郵政民営化の論議にもまた、民衆が足りない、と言うことが出来る・・・) (*注) 先に書いた「民衆が足りない」という箇所は、『千のプラト-』日本語版では正確には「~この力が欠けている。われわれは民衆の支えを求めているのだ~」(p388)となっています。
2004年09月12日
先日(9日)に青山の国連大学に辻信一さんを招いて、沖縄を考えるシンポジウムがありました。 自然とともに充実したスローな生活を楽しむ持続可能型の「快楽」を大切にするべきだとして、西表島より石垣金星さんも御一緒に招いてその具体例を知ることができました(もはや沖縄は日本の最西端というよりも、アジアの中心として考えるべきだろう)。 そうした見直されるベきスローな「快楽」がある一方、大型リゾート開発など破壊型の「快楽」もあり、現在多くの人はそちらに眼が奪われているという辻さんの指摘でしたが、こちらの破壊型の「快楽」を僕は、ルネ・ジラールに倣って「欲望」と呼びたいと思います。 ジラールは、そのドストエフスキー論の中で欲望の三角形という、他者の欲望に喚起される形で、人々の欲望がつくられる様子(恋愛における嫉妬などがその典型)を指摘しました。 僕の意見では、今日のキャピタリズムが人の欲望を喚起する様は、まさにこれだと思います。ただし、現在の消費社会の下でそうした三角形は重層化していますし、ジラールのように三角形の頂点にキリストを持ってくればいいと言うわけではないようです。 本来の人間のからだが持っているはずの「快楽」(この用語はエピクロスを想起させます)と資本主義下で不純な媒介によって増殖される「欲望」。 両者の区別があらゆるレベルで求められていると思います。 そして、破壊型の「欲望」に対してはボイコットという対処の仕方があり得ます。
2004年09月11日
9・11以前にイスラエルがパレスチナにしていた行為を考えるなら、9・11は決して始まりではなかったし、記念日でもない。 亡くなった方々の冥福をお祈りするが、その中にパレスチナの人民も入っていなくてはならないし、洗脳されたテロリストも入っているべきだ。 ビン・ラディン自身が自爆した訳ではない。彼はただの資本家だ。 その政策と発言からみればイスラエルのシャロンこそがテロリストなのだ。 また、パレスチナ問題はユダヤ問題である。つまり、ヨーロッパのユダヤ問題が転移したものだ。理論的にはユダヤ思想をシオニズムから奪い返す必要がある。 ベトナム戦争が終結し、朝鮮戦争の再燃を恐れた北朝鮮は軍事訓練の一環として拉致を繰り返した。諸悪の根源はアメリカにあるが、だからといってアメリカは一枚岩の悪の帝国ではない(アメリカ合衆国はインディアンの連合を模倣して作られた!)。 今こそ、アメリカのリベラルと連帯しなければならない。 アジアで平和条約を締結しなければならない。 明治公園に集まらなくてはならない。 蝋燭に灯をともさなければならない。 資本と国家を揚棄しなければならない。 「何も憎むな、憎しみをのぞいては」Bob Dylan (BE-INサイトへの書き込みより)
2004年09月10日
郵便局の民営化が現実的になっていますが、そもそも郵便局は地方分権の問題であるはずです。民営化と地方分権化は併行した、またく違う課題であり、商業主義との思想的格闘が必要とされます。地方の郵便局を資本の論理によって淘汰することはするべきでありませんし、またそれは自民党がやるような官僚制に頼った補助金の分配によっても成し遂げられません。 小泉首相らの世代の政治家は、アジアにおける日本の位置付けというヴィジョンもありませんが、地方分権に関しても、思慮が足りないと言わざるを得ません。
2004年09月09日
アワテルナゆっくりやるんだ、ものごとはだんだん良くなってゆくアワテルナゆっくりやるんだ、兄弟喧嘩は犬でも喰わないぜアワテルナゆっくりやるんだ、プライバシーなんて持ったこともないしアワテルナゆっくりやるんだ、プライバシーなんて持ちたくもないがアワテルナゆっくりやるんだ、倫理と経済を両立させるんだアワテルナゆっくりやるんだ、くじ引きはまだはじまったばかり アワテルナじっくりやるんだ、スローフードならスローに食べればいいさアワテルナじっくりやるんだ、顔の見える取り引きを始めればいいさアワテルナじっくりやるんだ、ネットをつないでべッドに寝転んでアワテルナじっくりやるんだ、僕らはまだ出会ってさえいないアワテルナゆっくりやるんだ、スローフードならスローに食べればいいさ泡立ったビールを飲んで、君はホットのコーヒーを飲んでアワテルナくじけずゆこう、くじ引きはまだ始まったばかりアワテルナゆっくりやるんだ、僕らはまだ出会ってさえいない 「地域通貨の夢を見た 千葉のピーナッツ ハワイのココナッツ 人間の煩悩は百八つ 僕は裸足で大地に立つ」 「地域通貨の夢を見た 多摩ニュータウンのcomo 僕は永遠の子供 君を愛し過ぎて傷つけてしまうかも」 「地域通貨の夢を見た ケンブリッジのケモン 地域を通過する新幹線の騒音と疑問 読みかけの漱石の『門』 いつだって世界は君のモン」 「地域通貨の夢を見た ナマケモノ倶楽部のナマケ あいつは彼女に首ったけ 詩の朗読はイベントのオマケ」 「地域通貨の現実を見た 批判しかしない人間を批判するワナに僕ははまったみたい ただの資本家ビン・ラディンと体が資本主義者ボブ・ディランの 違いを見極めたい 今ここで僕は根本をチャンポンでぶつけるしかない」 「地域通貨の夢を僕はもう一度見た ちょっと人騒がせなQ イマじゃ男たちが取る産休 今僕はみんなに伝えたいサンキュー」アワテルナゆっくりやるんだ、ものごとはだんだんよくなってゆくアワテルナゆっくりやるんだ、兄弟喧嘩は犬でも喰わないぜアワテルナゆっくりやるんだ、籤引きはまだ始まったばかりアワテルナゆっくりやるんだ、僕らはまだ出会ってさえいない 僕らはまだ出会ってさえいない 僕らはまだ出会ってさえいない
2004年09月08日
アメリカ先住民族(イロコイ連邦)の知恵が、今日のアメリカ合衆国憲法に採用され、活かされたという説があります(貢献説)。その「知恵」をより具体的に言うなら、「連合」「連邦」という理念を謳った複数の部族間の憲法であり、その内容はプルードンの言うような、契約後も個人が捨象されない相互契約ということになります。 その貢献が事実であることは、最近の研究の成果で、ほぼ歴史的に証明されています。以下、この問題に詳しい、星川淳さんの著作より引用させていただきます。星川さんのその後の指摘では、その理念は日本の平和憲法、第九条にも受け継がれていると云うことになります。 大いなる平和の樹---イロコイ連邦のシンボル いまから一〇〇〇年ほど前にイロコイ五部族(のちに六部族)連邦が結成されたとき、連邦の末永き存続を象徴するために一本の常緑樹(ホワイトパインという五葉松の一種)が選ばれた。父(引用者注:共著者ポーラ・アンダーウッドの父親)の説明によれば、たくさんの松葉は各部族内の大勢の個人を表わす。松葉のまとまりは家族、それを支える小枝(クラン)は氏族、それらが大枝に結束したものが部族全体である。大いなる樹の幹は連邦を表わし、私たちを育む生命の二側面である大地と大空の合一を象徴する。 樹がなければ個々の松葉は生きていけないし、また逆に個々の松葉がなければ樹が死んでしまう。ホワイトパインの常緑たるゆえんは、松葉が永遠に生き続けるからではなく、三年間枯れないからだという。一族にとって、これは祖父母と両親と孫の三世代を表わす。先立つ世代に生えた針状菓は樹から落ち、根の養分になった。まだ生まれぬ未来の世代は新芽で表わされる。そうして、この(大いなる平和の樹)は生き続けてきた。 この樹から四つの方角を象徴する四本の(平和の白い根)が伸び広がった。五部族はそれぞれ根の下に戦闘用まさかりを埋め、互いに二度と戟をしかけないことを誓った。一族はこの樹のてっぺんに鷲をとまらせたが、それは空高く舞い上がる鷲が、変化を遠くから見通して一族に教え、互いに相談して適切な行動をとる時間を与えてくれるからだ。 主な決定はすべて、七世代後への影響まで考えて下された。いま行なう決定が孫のまた孫たちにどんな影響をおよぼすだろう? そして、そのまた子どもたちには? この生きた常緑樹は、イロコイの連邦組織を象徴していた。それは(亀の島---アメリカ先住民が北米大陸を呼ぶ名)の東海岸ぞいに存在したいくつかの民主的な先住民同盟のうち、もっとも高度な発展をとげていた。イロコイ連邦に通じていたベンジャミン・フランクリンは、それを手本に一七五四年のオルバニー連合案を作ったとされる。この案がニューヨーク植民地(のち州)憲法の下地となり、十三の植民地が団結する合州国の連合規約につながっていった。連合規約の多くの要素が現在の合州国憲法に取り入れられ、イロコイの平和の法と私たちの憲法とを一本の糸でとぎれなく結びつけているのだ。『小さな国の大いなる知恵』ポーラ・アンダーウッド、星川淳共著、翔泳社(p161-162)より他の参考書:『アメリカ先住民の貢献』(パピルス社)、モルガン『古代社会』、エンゲルス『家族・私有財産・国家の起源』他
2004年09月07日
今日9月6日は黒澤明の命日(1998年に脳卒中により逝去)です。そこで、最近出版された黒澤明の娘である和子さんの著作の中から、黒澤の晩年の言葉をいくつか紹介させていただきます。「僕にはもう、あまり時間がない。いつの世も人間は懲りずに馬鹿なことをやっている、そう言ってしまえばそれまでだけど、うまく言えないけどね、チャンスはあるんだよ。これからの時代にこそ、哲学が必要なんだ。もう一度、人間はなぜ生まれて、どこへ行くのか、何のために生きているのか、見詰めなければいけないときが来たんじゃないかね。倫理だよね、人の心だよね。資本主義、利益至上主義でさ、自分だってそれを享受しているわけだけれど、どこかで反旗を翻さなければいけない。豊かに暮らすことがね、イコール幸せに暮らすことにならずに、歪みが出てきていてさ、弱いところにますます追い討ちをかけて、悲劇が生まれる。ある意味では進歩したさ、でも昔の物のほうが精魂込めて作られているじゃないか」「まず、これぞと思う日本の映画監督に、一人一人会ってみる。いろいろな話を聞いてみるべきだしね。ともかく、今の日本映画界も、排他的だからね。会社とか組とか、自分の今までの映画の作り方とかに執着しすぎだ。もうそんなこと言ってる場合じゃない。一回全部取っ払って、どうすれば日本映画が再生できるか、囚われているものを払いのけて、力を合わせて進むべき方向を話し合いたい」 「自分の育った映画界を改革しなければ、世の中をどうこう言えない気がするんだ。日本映画界の良いところは残して、悪いところは切り落として、初心に戻って、しつかりしたプロトタイプ(原型、模範)を作らなければ。僕の代わりにやってくれる若い人がいればいいんだけれどね。でも日本人はすぐ、経験や権威が足りない、前例がないとかでね、やらせてみるっていう勇気がない。どうしたらいいもんかね」「日本人はおとなしすぎる。もっと噛みつかなければ駄目だよ。怒らなければ、反抗しなければ、日本は良い方向に向かえないんだよ。先送り先送りで、玉虫色なんて、もう嫌だね」 以上、「反抗する」『回想 黒澤明』(黒澤和子著、中公新書)より 上記に見られる、資本主義を逆手にとる考え方や、産業民主主義の考え方、とにかく人と会って連携をはかろうとする態度は、まるで今日のNAMの運動のようである。 若い時、黒澤は左翼運動をやっていたし、彼の愛読書『戦争と平和』は同題名のプルードンの著作や集合力理論というプルードンの理論の影響を受けているので、黒澤の世界観が間接的、直接的にプルードンに響き合うのは当然かも知れない。 なお、9月14日に京橋のフィルムセンターで黒澤が参加した組合映画『明日を創る人々』が上映されます。
2004年09月06日
『アナキズムの美学』(アンドレ・レスレール著、小倉正史訳、現代企画室)より、プルードンの芸術論を紹介します。「」外のコメントはレスレールのもの(p35~)。/////////////////////// 「デッサンを学んだ一万人の生徒は、一つの傑作の生産よりも芸術の進歩としての価値がある。」 プルードンは量と質とを秤にかけない。 「デッサンを学んだ一万人の市民は、一人の人間よりもはるかに勝る集団の芸術的な力、思考、エネルギー、理想の力を生み出し、その力は、いつか自分の表現を見いだして、傑作を凌駕するだろう。」(中略) 「美術館は芸術作品の目的地ではない。単なる研究と通過の場所、古美術品と、場合によっては、どこにも置くことのできない物のコレクションであるにすぎない。進歩する文明が廃用にした結構な物の遺品陳列館である。」 人為的に生命が引き延ばされる歴史的産物としての<人為的>芸術に、プルードンは、集団の生き生きした精神から生まれる<状況芸術>を対立させる。///////////////////////・・・引用ここまで。 プルードンは歴史的にはじめて、形式的な音楽会、硬直した美術館を批判していることによって、オノ・ヨーコ、ジョン・ケージらの果敢な挑戦の現場である現代美術に理論的出発点を与えたと言える。 しかし、誤解を避けるために付記すれば、プルードンは偶像を壊すだけではなく、到達点としての芸術作品が、歴史に残り、人々に受け継がれることも視野に入れていた(プルードンは、過去の集合力にも可能性を見いだしていたことが凡百の近代主義者と一線を画すところであった。「前進すること。しかし、すべてを保存しながら」が、プルードンのモットーであり、これは柄谷行人が多用する「揚棄」という言葉の定義でもある)。(*注) 以下、再び引用。「文学の発展の法則に従えば、原則としてあらゆる精神的作品は、詩でも散文でも、言語と同じく、そして素材として、後につづく著作家たちのものでもある。後に続く者はすべて、内容についても形式についても、先人たちの創造物を同化して、それを自分たちの創作において自由に用いる権利を有する。」 また、トルストイ『戦争と平和』によって展開された彼の集合力理論は、個人が捨象されるべきではないと考えるがゆえに、『ポチョムキン』『ストライキ』といったエイゼンシュテインの初期傑作以上に黒澤の『七人の侍』にその典型を見いだすこともできる。(ちなみに、トルストイは1861年にブリュッセルで亡命中のプルードンと会談し、自分の書く同名の小説『戦争と平和』について相談したとされる。また、主人公ピエールの名をプルードンから借用したという説もある。こうして書かれた小説が、後に黒澤やタルコフスキーの思考の基盤になったのだと考えると、芸術が独自に持つの持つ水脈の深さと大きさに関して感慨深いものがある。) プルードンの芸術論に影響を受け、なおかつ彼と同窓の画家クールベの、プルーソンの家族達を描いた傑作を見れば判るように(クールベはプルードンの妻の肖像画、プルードンのデスマスクも描いている)、プルードン自身の芸術論は、その現実(レアル=イデアル)指向において、それが社会主義リアリズムであろうとブルジョアイデオロギーだろうと、もしくは資本主義イデオロギー内においてであろうと、脱イデオロギー化を可能ならしめるものでもある。P.S.(*注記) 「プルードンはコルネイユの詩句について、おののきもせず、それらは『花崗岩に彫られていて、パルテノンやテ-ベのピラミッドよりも長く残るだろう』と言う。」(レスレール) 上記の文章におけるコルネイユを、筆者は黒澤明の作品群、特に『乱』に置き換えて考えてみたい。 黒澤の作品を民主化(国粋主義的な立場からではなく「左翼の側」から再評価)すること・・・そうした課題に関しては別項を持つべきであろう。 しかし、現在、黒澤の映画の画面をただ絵として全身で対峙し両目で把握することのできる「市民」が、全世界ではたして一万人いるかどうか・・・
2004年09月05日
行っちまったのは景色の方で俺は電車の中に取り残されたいい男とみるとすぐによろめくあんたを見てるのはつらいけれど心の支えを誰かに求めるよりも自分でつり革をつかんだ方がはやいぜ時代 時代 時代時代とうい名の電車が走ってゆく時代 時代 時代行き先も分からず走ってゆくだけさ永遠に続くと云うわけじゃないただ最初から最後まで突っ走るだけさ色褪せた栄光が色褪せたままだとしても子供たちよトレイントレインを歌い続けておくれ国会議事堂まで聞こえるようにふるさとに残した母さんに聞こえるように時代 時代 時代時代とうい名の電車が走ってゆく時代 時代 時代カラッポの荒野を走ってゆくだけさつり革広告が誘っている疲れたサラリーマンが眠っているトンネルを抜ける時の轟音が僕らの会話の邪魔になるとしても窓は開けっ放しにしておいとくれ汚れた空気でも風を感じていたい時代 時代 時代何処へ着くのって君が聞くけれどアナウンスは何にも応えてくれない時代 時代 時代何のために生きてるのって君が聞くけれど時代 時代 時代殺し合うためじゃないとしたらもちろん愛し合うためさ時代という名の電車が走ってゆくだけさ
2004年09月04日
以下、ボブ・ディランの興味深いインタビュー記事から引用します。ここには先の日記で触れたアレゴリカルな思考があるように思います。(質問者)これまでに、書こうとしても、どうしても書けなかったようなことは? ディラン あるとも。どんなものでも、書こうとすると書けないものなのだ。僕が何かについて書こうとしたとする--「馬について書きたい」とか「セントラル・パークについて書きたい」とか「グランド・キャニオンについて書きたい」とか「コカイン産業について書きたい」--ところが、それじゃ、何もうまくいかないのだ。いつも肝心なものを除外してしまうのだ。ちょうど、あのHurricaneの歌のように。僕はハリケーン・カーターについて曲を書きたかったし、そのメッセージを広めたかった。ところが、ハリケーン・カーターについてなど、どこにも出てこない。ほんとうなんだ、その曲の本質というものは、何かについてではない。つまり、すべてはきみ自身についてなのだ。きみが誰か他人の靴をはいて立っているかぎり、きみにはその感触がどんなものかわからないだろう。それが何についてかさえわからない。 映画を観に行って、「何についての映画だったんだ?」ということはできる。映画というのは、きみに時間を止められるという幻想を抱かせるものなのだ。きみはどこかに行って、しばらくのあいだじっと坐っている。きみは何かを観ている。わなをしかけられたも同然だ。すべてはきみの脳の中で起こり、いま世界ではそれ以外に何も起こっていないように、きみを思わせる。時間はとまっている。外では世界が終末を迎えようとしていたとしても、きみにとって、時間は止まったままだ。その時、誰かが「何についての映画だったんだ?」と聞く。「うーん。よくわからないな。同じ娘をものにしようとしていた、二人の野郎の話だろ?」あるいは「ロシア革命についての映画だよ」そうだ、それは映画が何についてだったか説明しているが、映画そのものではない。きみに、ずっと座席に坐ってスクリーンに見入ったり、壁のライトを見つめたりさせたのは、それではないはずだ。他のいい方をすれば、きみは、「人生とはいったい何なのだ?」ということもできた。それは、いつだって映画のように過ぎていくだけだ。きみがここに何百年もいようが関係なく、それはただ過ぎ去っていく。誰にも止めることはできない。 だから、それが何についてかなどということはできないのだ。ただ、きみにできることは、その瞬間の幻を与えようとすることだけだ。だが、それにしたって、それがすべてではない。きみが存在していたという単なる証なのだ。 どれが何についてだって? それは何についてでもない。それはそれなのだ。(『ロックの創造者たち』より)
2004年09月03日
周知の事実ですが、縄文時代は1877年にモースが発見した縄の模様のついた土器に由来するし、弥生時代は1884年、今の文京区弥生町で発見された遺跡の土器に由来します。 ここで強調したいのは、両者共に明治時代の東京で発見されたものであり、あえて言うなら、明治時代まで、縄文も弥生もなかったということです。少なくともその概念と名称はなかった。 こうした指摘で何が言いたいのかといえば、シンボリックに自明のものとして使用される縄文、弥生といったタームの背後に隠れてしまっている、そのアレゴリカルな思考(縄文に関しては通常食糧備蓄の有無が身分制度を分けたことが特筆されますが、ここではケルトの渦模様と思考が共通しているという意味で、縄文的な思考とあえて言いたいところですが)を取り戻す必要があるということです。 多くの場合、反近代的思考自体が近代に依存しているし、社会的錯乱は反権力的な身ぶりをシンボリックに指し示してはいますが、その責任能力のなさゆえに結局は権力を強固なものにしてしまいます。 プルードンの交換銀行などの試みは、そうした責任のがれを許さない自助的及び自立したものでしたし、スピノザがデカルトとの格闘の中で得たものは、反体制的な身ぶりなどではなく、身体そのものの概念だったと思います。 ベンヤミンが、命懸けで得たアレゴリーとしての認識の必要性を、言い換えれば、歴史認識それ自体の歴史性に自覚的であるということの必要性を再確認したいものです。(あるMLヘの投稿より)
2004年09月02日
フランチャイザーとフランチャイジー。 これらの上下関係をどう脱構築(セブンイレブンの日米関係はまさにこれだった)するかが現在の日本で課題となっているようなので、以下、理想論を書きます。 ジーとザーは本来ポジションチェンジ可能であり、僕にとって協同組合はそうしたトータルフットボール的なシステムを可能にする組織構造の代名詞です。 例えば、同業種間でもデザインに優れた店主(A)とパソコン(ロジステックス開発)に優れた店主(B)、商品開発に優れた店主(C)はたがいに各分野に応じてジーとザーを入れ替えてもいいはずです。 そして、(ひとり一票で)協同組合的に経営している店Dは、そのノウハウを他の店に公開しても言い訳です。 この場合、看板というよりも純粋な同業種組合の基金を各店は共有することになり、その口座管理をEの店が担当してもいいでしょう。 ちなみに、A~Eの間で市民通貨もしくはポイントがやりとりされることはもちろんあり得ます。(そうでなければ資金不足解消及び営業の効率化につながらず、資本制経済のもとでの競争の際のプラスになりませんから。) ただ、話を元の木阿弥に戻すようですが、地域に拠点を持ち、その地域に多様性をもたらすような異業種間の協同が今もっとも求められていることを付け加えておきます。(『重力(1)』内藤裕治インタビュー参照。) 各お店で働くフリーターも、地域における多様性が実現すれば、その雇用も安定すると思います。P.S.ナマケモノ倶楽部の辻信一さんが提唱した『スローカフェ宣言』↓はゆるやかですが、そうした可能性をもったものだと思います。最近、それはスロービジネススクールで培われた人脈により実質的意味を持ちはじめて来ました。http://www.sloth.gr.jp/aboutus/csmanifesto/csmanifesto.html
2004年09月01日
全30件 (30件中 1-30件目)
1