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とうとう黒澤明について語るべき時が来た。 黒澤明には通常の人間とは違うものが見えている、、、、普通そうした言説はありふれた神話化にすぎないだろう。しかし黒澤がその映画のストーリー上のわかりやすさと芸術的到達点の高さとで、一般大衆と選ばれた人間とをつなぎとめていることは確かだ。その娯楽性はアメリカ映画に、芸術性はヨーロッパ映画に、社会性はアジア映画に受け継がれたと評論家の佐藤忠男はかつて的確に指摘していた。 生前、黒澤は、アメリカの批評家が最近複数のカメラを使っていることがわかるようになって来たと嬉しそうに語っていたという。渋谷陽一はインタビューで自分一人だけが見えていることについて黒澤に質問をしていたが、黒澤は『まあだだよ』における空襲後の焼跡のシーンの準備を例にわかりやすく語っていた。焼ける前の立体的な建物の構造を頭に入れていないから、美術スタッフのつくる「焼跡」が不自然になるのだ、と。 黒澤が左翼運動をしていたことや、のちに現場での協同作業を疎外するユニオンの弊害についての言説を考えても、黒澤について考察すべきことはまだ膨大に残されている。そうした考察の前提となるスタッフに対するインタビューが活字化されているのは喜ばしいことだ。(ただ、後期の作品のタイトルを担当した書家の今井凌雪に対するインタビューがないのが残念だ。) 世界が「焼跡」になる前に、『乱』を頂点とする作品群を、64億いる人類の何パーセントが理解できているのか? そのパーセンテージは子供達によって増える傾向にあるのか? 不遜かも知れないが僕はその統計が知りたい。
2004年06月30日
プルードンにとって思想的な最大の敵は、マルクスではなくジャン・ジャック・ルソーだ。 無論、ルソーの功績は大きいが、その社会契約論は、その民主主義的外観にもかかわらず主権を社会(集合的存在)に委譲してしまうので、プルードンの望む双務的な契約ではあり得ない。 プルードンは、ルソーの社会契約が「持てる者の持たざる者に対する攻撃的および防御的な同盟」だと指摘したのち、以下のように言っている。「人民だけが主権者であり、人民は自分自身によってのみ代表されることができ、また法は全体の意志の表現でなければならないということをはじめ、すべての煽動的雄弁家たちが利用する、その他のすばらしいきまり文句を原則的に確立したのちに、ルソーはひそかに彼の命題を放棄して、わきに逃げてしまう。まず彼は、集団的で不可分な一般意志のかわりに、多数派の意志を代位させる。(中略)それは、約言すれば、巧妙な欺瞞の助けによる社会的無秩序の合法化、人民主権に基礎づけられた貧困の聖化なのである。そのほかには、労働、財産、産業的諸力----それらを組織化することこそ社会契約の目的なのであるが----については、一言も述べられていない。ルソーは経済のなんたるかを知らないのだ。」(世界の名著53『十九世紀における革命の一般理念』中公バックスp164-165) ここでプルードンがその相互主義の前提として人民の経済的基盤を重視している点が重要だ。 プルードンの相互主義はカントのアンチノミーに対応していて、決して解決されない矛盾の両極として個人と個人、あるいは個人と社会がある。その個人が、社会契約を通じて解消されてしまうことは、具体的には社会民主主義的な政策の中に、コミュニズム(アソシエーションのアソシエーション)が埋没することを意味する。プルードンにとって、あくまでも個人と社会は、契約を通じて対等であり続ける。 また、ルソーと同じ集合力に着目しているとはいえ、前述したようにプルードンはそれを経済的な諸力 に規定し直したところに特徴がある(経済学的な価格論に範囲を限定したのではなく実質的な力として測定し直したのだ)。 プルードンの初期の著作に文法書があるのだが、その中で彼は、「私」という単語がもっとも重要だと語っている。プルードンの思考の特徴がここにも現れていると言えよう。
2004年06月29日
白い埃だらけの道をバスの上に乗りコタカチまで走り続けている黒い肌に黒い瞳彼らの両手を見てごらん本物の暮らしがここにはあるんだ* 女達はセニョールに恋をした 俺は居場所をまだ見つけていない 貧困と平等について考えながら エクアドルを旅しているエクアドルってどういう意味だい赤道直下っていう意味かいそれとも平等にするっていう意味かい?片言のスペイン語でどうやって聞こうどうやって君に語りかけようキトでは笑い方を教わりフニンでは踊り方を教わったこれ以上何を学べばいいオタバロでは先住民に荷物の背負い方を教わった生きる知恵がここには沢山あるんだ*(リピート)民衆議会に間に合うように急がなくては誰も俺を待ってはくれないが籤引きが民主主義を実現するのだと彼らに言って聞かせなければ農業の未来について語りたいのなら外に出て山に登ってみればいい多様性だとか持続性だとか難しい言葉がここでは一目瞭然だ*大自然を破壊する日本の大企業は誰の役にも立ってはいないどこにでも転がっている欲望や抑圧と今すぐおさらばしなければ感じることと考えることが一つになればいい資本と国家が揚棄されればいい思いつく僕にできるたった一つのことは君に愛を捧げることだけだ*Dios la page.神のみぞ知る俺は信じ続けてる彼らの頭上の太陽のようにいつの日か、今にだって、彼らに栄光が輝くことを俺は祈り続けている*栄光と平等について考えながらエクアドルを探している
2004年06月28日
26日に三鷹地域通貨seedsの参加店をめぐるツアーに参加しました。三鷹台駅近くの西野園さんにはじまって、途中の吉田農園さんで昼食を取り、room1022さんまで、暑い中、半日歩きました。みなさんお疲れ様でした。地域通貨の運動が、実質を持ちはじめたことを体感することができました。コーディネーターの森岡さんにはこの場を借りてお礼を述べさせていただきたいと思います。ありがとうございました。
2004年06月27日
はじめにプルうどんの作り方レシピ:まず物々交換で、肩たたきと引き換えにうどん粉を手に入れる。つぎに肩たたき券から発展した地域通貨でうどんのこね方を習う。そして、地域通貨で知り合った仲間と協同組合を作り店を構えて、ブザンソン産のチーズの代わりに地域通貨で知り合った牧場のオッさんからチーズの作り方を教わり、うどんの上にかける。地域通貨で手にいれた焼き物のどんぶりにいれればできあがり。フランス料理のはずがイタリア料理と連合した味です。あなたの近所の有機農場から、野良仕事で手にいれた野菜を入れて召し上がれ。1、プルードンの生涯 プルードンと言う人間がいた。その名前は、つねに批判の渦の中にあった。今もそうだ。その名前が引き起こす先入観とはまったく逆に、今日の資本主義の矛盾を生き延びる知恵と、資本の自己増殖を止めるヒントがそこにはある。 職人の生産を守ろうとしたプルードンは、1848年に交換銀行、人民銀行の計画を打ち出した。それは受注生産を可能にする職人の生産を守ろうとしたものだった。無償信用と交換券の発行による流通の組織化、交換の遍在化の計画はしかし、約1800フランの資本金を集めたまま、実現されなかった。プルードンはルイ・ナポレオンへの侮蔑罪で、ベルギーへの亡命を余儀無くされたからだ。 そして1849年には、人民銀行の清算をするためにパリに戻ったプルードンは逮捕され、獄中で『革命家の告白』を書く。 プルードンとナポレオンの一騎討ちは、後に、ナポレオンの失脚によって歴史的には終わるのだが、理論的にはさらに、マルクスとの対峙がある。(マルクスにはプルードンのアイデアが理解できなかった。あるいは理解できないふりをした。プルードンを認めれば、マルクス自身のつくった体系が内側から壊れるからだ。その意味でマルクスとプルードンの関係は、数学におけるヒルベルトとゲーデルの関係に似ている。) 1846年にマルクスから通信員の役目を頼まれたプルードンは、コミュニズムがドグマとなる危険をそこに察知し、その危惧と政治革命ではなく社会革命の必要性を指摘した返事を書く、、、 今日でもプルードンをプチット・ブルジョアジーとして批判する向きがあるが、これは誤解である。まず、生産の自立分散化を職人たちは実現しており、この生産方法は大量生産、大量消費の見直しが迫られた現在、先駆的なものとして評価されるからである。 その相互主義は、オンデマンドの受注生産に応用することができるのだ。 1838年、ブザンソン・アカデミーからの奨学金(フランス政府からではない)をうけてパリに留学したプルードンは、パリでヘーゲルに触れた。しかし、プルードンのアンチノミーはヘーゲルのそれとは違うものだった。プルードンの弁証法は二項対立が決して融合されることはないのだ。 そしてプルードンはカントを読み、アンチノミーをカントから受け継ぎ、その宗教批判を政治批判に転化している。 後に、サルトルは、『文学とは何か』でパリ・コンミューン以降の理論的現状について、以下のように言っている。「マルクス主義は敵対者に打勝ったが、その勝利は(……)純粋に単純に二律背反の一方の項を押えた外力によるものであった。その光栄のない勝利がマルクス主義にどういう代価を意味したかは、何度いってもいい過ぎない。すなわち矛盾する相手が欠けたときに、マルクス主義は生命を失った。」次回からプルードンの波瀾にみちた生涯をたどる(不定期連載)。
2004年06月26日
神に捧げられた秘密の音楽さえお前はろくに聞いちゃいないそれはこんな風に響きを変えてダビデが歌い上げたハレルヤハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ信じた見返りをお前は求めてた月明かりに心奪われ椅子に縛り付けられ髪の毛を切られて彼女にせがまれたハレルヤハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤお前の名前さえ俺は知っちゃいない知ったところで同じことさどんな言葉にだって輝くものがあるそれが私なりのハレルヤハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤベストを尽くしたがまだ何か足りない心はもう何も感じられずたとえ罵られても真実を語ろうそれが私へのハレルヤハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ、ハレルヤ(原曲、レナード・コーエン)
2004年06月25日
エルヴィスは言った"that's all right,ma" 俺は言った「人生なんてあっちゅう間」 彼女は祈って言った「お願い神様、 世界はまだまだ狂ったまま」 大切なものを見つけたいのなら踊り続けろ あいつは言った「復讐するは我にあり」 俺は言った「そいつはちょっと問題あり」 マルクスは言った「団結せよプロレタリアート」 黙ったまま未だ彼等は踏んだり蹴ったり 大切なものを守りたいのなら踊り続けろ ガンジーは言った「暴力反対」 俺は聞いた「そいつは一体何だい?」 ガンジーは再び言った「わかるまでひたすら忍耐」 俺の結論は今すぐ君を抱きしめたい 大切なものは君自身なのさ踊り続けろ ディランは言った「時代は代わる」 沢山の声が聞こえてくる 「あいつは善であいつは悪(ワル)」 俺は引きはがしたいすべての間違ったレッテル大切なものは眼に見えないのさ踊り続けろ (間奏) 俺の憧れは木を植えた男 緑の蟻の夢見るところ 不可能だなんて言わせないでおこう 無理矢理誘ってみるのさイカしたあの娘を 大切な人と手を繋いだまま踊り続けろ大切な人と手を繋いだまま踊り続けろ
2004年06月24日
その日暮らしは気ままなものさだけどお前の心は、かたくなになってゆくひとり息子じゃないけれど母さんのお気に入りだったお前が家を出る時彼女は泣いた今もそれを夢に見るパンチョは強盗で、馬を乗り回し世界と立ち向かうために、銃を持ち歩くいざこざに巻き込まれたのはメキシコの砂漠でのことさ彼の最後の言葉を聞いたものはいないそんな風に死んでった*役人たちは言う 開かれた世界さ 優しさに満ちた世界を彼から 奪い取ったそのあとでレフティーはもう今は昔のようにブルースを歌わないパンチョのこころは彼に受け継がれオハイオに渡っていったのはパンチョの葬式のあとのこと生き延びるために流れ続けてゆく見知らぬ世界へ*役人たちは言う 開かれた世界さ 優しさに満ちた世界を彼から 奪い取ったそのあとでパンチョは歌に歌われレフティーはその日暮らし冷たい砂漠の中でこの物語も終わるパンチョのために祈っておくれレフティーのためにもついでに少しはやるべきことを彼はやっただけさそして、年老いてゆく*役人たちは言う 開かれた世界さ 優しさに満ちた世界を彼から 奪い取ったそのあとで/////////////////Pancho and Lefty(Townes Van Zandt)DLivin' on the road, my friend AWas gonna keep us free and clean GBut now you wear your skin like ironD AAnd your breath's as hard as keroseneGYou weren't your mama's only boyD GBut her favorite one, it seems BmShe began to cryG AWhen you said good bye G BmAnd sank into your dreams Pancho was a bandit, boys Rode a horse fast as polished steel Wore his guns outside his pants For all the honest world to feelPancho met his match, you know On the deserts down in Mexico No one heard his dyin' words But that's the way it goes GAnd all the federales say D GThey could have had him any day Bm G AThey only let him slip away G BmOut of kindness, I suppose Now Lefty he can't sing the blues All night long like he used to The dust that Pancho bit down South It ended up in Lefty's mouth The day they laid old Pancho low Lefty split for Ohio Where he got the bread to go Well there ain't nobody 'knows But all the federales say They could have had him any day They only let him slip away Out of kindness, I suppose Now poets sing how Pancho fell Lefty's livin' in a cheap hotel The desert's quiet and Cleveland's coldAnd so the story ends, we're told Pancho needs your prayers, it's true But save a few for Lefty, too He only did what he had to do And now he's growin' old And all the federales say They could have had him any day They only let him go so long (slip away)Out of kindness, I suppose Yes a few old gray federales still say They could have had him any day They only let him go so wrongOut of kindness, I suppose "Pancho and Lefty" performed by Bob Dylan
2004年06月23日
ある晴れた朝のこと、私は旅に出たなくした金の穴埋めをどこかでしようと街は栄えたけれど暮らしはきつくなり私は思い憧れた、あの麗しの湖を朝の日ざしの中、列車に乗り込んだ日暮れまで乗ったあとで大地に身を横たえ見知らぬ人ばかり友達もいない彼女と知り合うまでは、あの麗しの湖でお嬢さん、この街では私は歓迎されません危険さえなければあの森で眠るのにいらっしゃい旅人よ、歓迎しましょうだれひとり追い出したりしない、あの麗しの湖では彼女は家へ招いてくれ、親切にしてくれた彼女の肩の上に輝く黒い髪どんな偉い画家も描くことはできないそれほどまでに美しかった、あのうるわしの湖で「結婚しよう」私は言った、でも彼女は首を横に振り「私には海へ行った恋人が今もいて、彼の帰りを待ってる、裏切ったりできない、彼が帰ってくるまではこの麗しの湖へ」お別れさ、お嬢さんもう二度と戻らないでも決して忘れないあなたの親切はグラス傾けるたびに、私は祈るでしょうあなたが元気でいることを、あの麗しの湖で
2004年06月22日
台風といえば、『台風クラブ』という映画を思い出す。 『台風クラブ』は相米慎二監督作品で、僕は一度東京学生映画祭の打ち上げで相米監督と会話をしたことがある。 「若い人達が映画を撮れればいい」と、自分のことを考えていない姿勢に衝撃を受けた。その後、彼は若手のオムニバス作品の制作を手掛け始めている。 相米監督のワンシーンワンカットは、結論からいえば、観念的(時間論及び身体論的なそれ)だったと思う。それは同一性への欲求とそれに対するアンビバレンツな感情(居心地の悪さ)の二つに同時に基づいたものだ。 相米監督作品の『お引っ越し』に突然雨の振るシーンがあるが、黒澤の『八月のラプソディー』のように事前に突風が吹かないので、そのシーンは不自然だ(自然を観察していればにわか雨の前に突風が吹くのがわかる)。 これは相米批判ではない。彼のようにひとつのカットを凝視するいい意味での観念論が(それも自然に対峙して逆らうような観念論、つまり意志の力が)、現在、映画及び世界に欠けているのだ。
2004年06月21日
戦場で僕は最後に死ぬ時いったい誰の名前を呼ぶのだろう?僕を殺す兵士にもきっと家族や恋人がいてその人たちを優しく愛してるんだろうたくさんの旗や人の命が燃え落ちるのを見る僕の顔を月明かりが真っ赤に照らし出してる月明かりが真っ赤に照らし出してる
2004年06月20日
川は流れ 日差しがさして来る風はそよぎ 風車は廻るだろう必要のないものは罪深いと誰かが言った電子計算機電気洗濯機自動販売機僕の一人歩き歌が流れ 終わりを告げるだろう人はいつか 戻る道を知るだろう必要のないものは罪深いと誰かが言った合成洗剤完全犯罪環境汚染僕の独り合点(間奏)僕のとなりには君がいてくれるこれ以上いったい何が必要だと言うのだろう?電子計算機電気洗濯機自動販売機僕の一人歩き合成洗剤完全犯罪環境汚染僕の独り合点それでも僕はごきげんここが折り返し地点
2004年06月19日
ガイドラインよりはセカンドラインセルアルアウトよりはドロップインそんなにでかい顔がしたいんかい?それなら自分の言葉持たんかい?僕らの可能性どこまでも無限この声聞けばみんなゴキゲンジャーに守られお上に睨まれ歌っておくれよ加川良*命はひとつ人生は一回だから命を捨てないようにねあわてるとついふらふらとお国のためと言われるとね結局武器は武器を呼ぶだけ憎しみは憎しみを呼ぶだけ声をからして叫ぶ思いのたけ平和への誓い・・・何だったっけ?聞いて欲しいのさ御機嫌なトラック教訓ナンバーどこまでも続くジャーに守られお上に睨まれ歌っておくれよ加川良*腐った女も悪くない狂った男達よりはマシきな臭いにおいはいつだってあるさ聞きたいのは本当のアンサーアジアの心日本の心知りたいのは本当のところジャーに守られお上に睨まれ歌っておくれよ加川良*公と私の素晴らしい世界がきっといつか手と手をつなぎ光り輝くように大切なのは現実から逃げないこと眼をそらさないことそれでも悪魔の誘い断る人たちと加川良にリスぺクト*青くなって尻込みなさい逃げなさい隠れなさい青くなって尻込みなさい逃げなさい隠れなさい(この曲は、MUSIQESTから視聴出来ます。)
2004年06月18日
ヴァレリーが嘆いていたように、プロセスそれ自体を誇るような思考構造を現代美術(または現代)はとるようになってしまった。だが、ダンサーとダンスは区別しなければならない。最近の窪塚洋介に関する報道を見ると、彼の演じたエキセントリックな役柄と彼自身が混同されているケースが多い。広末涼子に関しても同じことが起こったが、マスコミはダンサー(表象)とダンス(概念)の区別ができていない。 これは表象の問題というよりも、集団による創造の問題につながる。現代において、ダンサーとダンスの区別がつきにくいのは、観客(客観的立場)と役者(主体的立場)の区別が無効になったことを顕わしているということに早く気づかなければ。
2004年06月17日
悲しみばかりが確実で苦しみばかりがやってくる未来はまだまだまだぼんやりしてるからお前と二人で咲かせたい薔薇の形をした未来色は自分で塗らなきゃならない本当は土から作らなきゃならない水を撒くのが取りあえずの仕事お前と二人で咲かせたい薔薇の形をした未来埃だらけの道を抜けて苦しみばかりの夜を越えてやっておいでよ恥ずかしがらないでお前と二人で咲かせたい薔薇の形をした未来ひざまづいて祈る前にすべてを棄ててしまう前にやっておかなきゃいけないことがあるお前に今すぐ捧げたい薔薇の形をした未来薔薇の香りをした未来ホントは誰にもわかっちゃいない棘に刺さって苦しんでいるのならお前と二人で咲かせたい薔薇の形をした未来(間奏)悲しみばかりが確実で苦しみばかりがやってくる未来はまだまだぼんやりしてるからお前と二人で咲かせたい薔薇の形をした未来薔薇の形をした未来
2004年06月16日
踊り狂ってた女の子たちはパパの迎えで帰っていった床は壊れたままだけれど直す必要なんてありはしないよだからもう今日はおやすみどこかで火事がおこったらしい君の頭が燃えているのさ水浸しになってもかまわないなら僕が今すぐ消してあげるよだからもう今日はおやすみ昔話には聞き飽きてしまった悪魔はどこかへ消えてしまった明日のことは分からないけど夢の中でなら会えるはずさだからもう今日はおやすみだからもう今日はおやすみ
2004年06月15日
参考までにNAMのプログラムを引用します。このプログラムの著作権は現在柄谷行人さん個人に帰属しています。多次元的所属(p20,68)と、くじ引きで代表を選ぶこと(p18,61,64,68)と、組織内運営対価をLETSで払うこと(組織原則C3に明記されているが、下記バージョンのプログラムには明記されていない。『原理』p24,30,61参照。)が画期的な点です。全体的にマルクス主義者側からのプルードン再評価と考えることも出来ます。////////////////////////// プログラム われわれが開始するNew Associationist Movement(NAM)は、一九世紀以来の社会主義的運動総体の歴史的経験の検証にもとづいている。そのプログラムは、極めて簡単で、次の五条に要約される。これらに関して合意があれば、それ以後の活動はすべて、各個人の創意工夫に負う。(一) NAMは、倫理的-経済的な運動である。カントの言葉をもじっていえば、倫理なき経済はブラインドであり、経済なき倫理は空虚であるがゆえに。(p17,25-29)→TCp181,200#(二) NAMは、資本と国家への対抗運動を組織する。それはトランスナショナルな「消費者としての労働者」の運動である。それは資本制経済の内側と外側でなされる。もちろん、資本制経済の外部に立つことはできない。ゆえに、外側とは、非資本制的な生産と消費のアソシエーションを組織するということ、内側とは、資本への対抗の場を、流通(消費)過程におくということを意味する(p18,29,39)→TCp448,442,446(三) NAMは「非暴力的」である。それはいわゆる暴力革命を否定するだけでなく、議会による国家権力の獲得とその行使を志向しないという意味である。なぜなら、NAMが目指すのは、国家権力によっては廃棄することができないような、資本制貨幣経済の廃棄であり、国家そのものの廃棄であるから。(p18,39-61)→TCp457,458,459#,274#(四) NAMは、その組織形態自体において、この運動が実現すべきものを体現する。すなわち、それは、選挙のみならず、くじ引きを導入することによって、代表制の官僚的固定化を阻み、参加的民主主義を保証する。(p19,61-68)→TCp285#(五) NAMは、現実の矛盾を止揚する現実的な運動であり、それは現実的な諸前提から生まれる。いいかえれば、それは、情報資本主義的段階への移行がもたらす社会的諸矛盾を、他方でそれがもたらした社会的諸能力によって超えることである。したがって、この運動には、歴史的な経験の吟味と同時に、未知のものへの創造的な挑戟が不可欠である。(p19,68-72)→TCp9.339.412,413,437#『原理』(太田出版2000年11月9日)p17-19よりTCは定本『トランスクリティーク』の参照頁数。#は重要。//////////////////////////NAM原理・目次A序論(p11-16)、B プログラム(p17-19)、C 組織原則1~3(p20-24)、D プログラム解説(p25-72,p17,25,p18,29,p18,39,p18,61,p19,68)、E 当面のNAMの形態と問題(p73-78)解説(一~三)はプルードンの原理、(五)はマルクスの原理、(四)はギリシア・アテネの原理である。よってNAMの原理は、3/5がプルードン、1/5がマルクス、1/5がギリシア・アテネに思想的基盤を持つと言える。
2004年06月14日
鼻にピアスを開けた天使が近づいてきて俺は天使じゃないよだなんて歌ってるここには東京には物語なんてないんだよベイビーだけど君と二人物語を作ってみようか今夜あたり、高田馬場でシナリオライターは終わりのない物語を紡ぎ出しドカジャンを着たあの娘はソルティードッグなんかを飲んでいる小津安二郎が好きなあいつはもう終わりだなんて言うけど黒澤明好きな俺はまた負け戦だっただなんてつぶやいている今夜あたり、高田馬場で中国から来た留学生は流暢な日本語を喋っていて俺は簡単な日本語でさえ忘れてしまった今度芝居を見に行こうだなんて言うけど君の一つ一つの仕種の方が俺には興味深いんだ今夜あたり、高田馬場で三社祭りあたりで俺は汗を流すとするさあんたは相変わらず彼氏に酒でもおごってもらいなよ隅田川あたりの花火で俺の頭は吹っ飛んで気がついた先きはやっぱりもとの場所さ今夜あたり、高田馬場で串カツ定食には飽きたから寿司でも喰いに行こうぜ酔っぱらった大学生はみっともないだけど他人(ひと)のことは言えない俺の頭の中はこんがらがってファーストシーンとラストシーンが見つからないよ今夜あたり、高田馬場で(間奏)ここには僕達の踊れる場所なんてないんだだけどいらないものは残らず質屋に入れてしまえばいいんだそしたら何もかもがせいせいする程スッキリしてしまったよこのまま君と二人時間を止めてしまいたい今夜あたり、高田馬場で 高田馬場で 高田馬場で(この曲は、MUSIQESTから視聴出来ます。)
2004年06月13日
レイ・チャールズの死に際してなんて言ったらいいだろう?彼はサム・クックと並ぶソウル、R&Bの創始者で、ヴァン・モリソンやスティービー・ワンダー、ビリー・ジョエルらに絶大な影響を与えた。サッチモのように黒人側から誤解を受けていないのは、ゴスペルの力もあるが本人の人徳だろう。盲目で黒人という二重の制約は僕の想像をはるかに越える。いろいろ代表曲はあるが(Unchain My Heart,etc)、日本人好みの湿ったバラードではなく、What'd I Sayのようなちゃめっけたっぷりなコール&レスポンスが今も忘れ難い。オ~(オ~)ウ~(ウ~)フ~ン(フ~ン)ウッ(ウッ)、、、、、ベビワッタセイ~♪
2004年06月12日
新聞等で報道されましたが、大江健三郎さん、加藤周一さん、鶴見俊輔さんらが「九条の会」を結成したそうです。僕も参加している「9LOVE」の人達は、日本の<長老たち>の決断に刺激を受けている様です。なお、鶴見俊輔さんのインタビューが「9LOVE」内の下記サイトから見れます。revolution9関連記事http://www.asahi.com/national/update/0610/042.htmlhttp://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-06-11/01_01.html
2004年06月11日
森とのつながり人とのつながり川とのつながり風とのつながり大事なつながりを守るために私はコーヒーを入れましょう海を越えたつながり時を越えたつながりあらたなるつながりあなたとのつながり大事なつながりを探すために私はコーヒーを入れましょうミルクは要りますか?どれくらい待てますか?永遠の愛は可能ですか?私の声が聞こえますか?森とのつながり鳥とのつながり川とのつながり風とのつながり大事なつながりを守るために私はコーヒーを入れましょうあなたにコーヒーを入れましょう一杯のコーヒーを入れましょう(この曲は、MUSIQESTから視聴出来ます。)
2004年06月10日
最近、日本のサッカー界では審判の質が問題になっています。そこではルールについての考え方がポイントになります。ルールには二つの考え方があって、あるべき理想ととらえるか、今あるゲームをわかりやすく展開するためにあるととらえるか、です。日本人審判は前者をとる例が多く、罰則自体が自己目的化し、ゲームが混乱することが多いです。外国人審判は後者の例が多く、ゲームがスムーズに進行します。そこでルールとしての憲法第9条は後者ととらえてもいいと思います。平和憲法は自由な文化交流(サッカーの試合!etc)をスムーズにさせるものとして考えるわけです。P.S.今日、国分寺カフェスローで僕もスタッフで参加している「9love」という団体が主催のトークライブがあったので、それにちなんで書いてみました。
2004年06月09日
今日は130年ぶりに金星が太陽の前を通ったそうですが、僕は残念ながら見逃しました。次回は8年後だそうです。 以下、めずらしく政治的なことを書きます、、、 住井すえが言ったように、天皇制はそれ自体がある特定の「家族」に対する人権侵害であり、最近の皇太子の発言はこの構造を隠蔽し続ける日本国民すべてにその意識化を求めるものだと思います。これはもうひとつの、未解決の拉致事件です。 また、北朝鮮の拉致はアメリカのベトナム戦争が終わったあと、北朝鮮が急いで軍事訓練を日本で行なったもので、この件に関してはアメリカが諸悪の根源なのです。アメリカとの交渉に、拉致された家族の問題が修練されていくのは、歴史の皮肉です。 すべてのものがその本来の姿を暴かれ、試されているということでしょうか。「顕わるるためならで、隠るるものなし」(マルコ伝4:22)
2004年06月08日
6月7日、新橋ヤクルトホールで柄谷行人と福田和也の対談を聞いて来ました。 話はテクノロジーとハイデッガーの話が軸になりました。福田和也の話す、テクノロジーによる民衆操作の話は教科書通りのものでしたが、柄谷さんがナチとNAMを冗談で重ねていたところが爆笑を誘っていて印象的でした。 会場で質問は出来ませんでしたが、僕が思うにはNAMはその理想主義的な側面においてワイマールと較べられるべきで( 『ネーションと美学』p88参照)、たとえ冗談でもその反動であるナチと較べるのは誤解を生むと思います。(とはいえ『TC』索引をつくっていた時、ナチズムとNAMがとなりになっていることが気になってはいましたが、、、、ちなみに索引では「柄谷行人」は「神」のとなりでしたが。) ヒトラーがヘンリー・フォードを手本にした話などが逸話として想起されますが、テクノロジーとファシズムの問題はもっと考えなければならないと思いました。 なお、対談は「新潮」8月号に掲載されるそうです。
2004年06月07日
月明りに照らされながら夜の清里を歩いたポール・ラッシュさんがこの場所を気にいった訳が少しわかったような気がした
2004年06月06日
心と心が結びつき暗闇と暗闇がキスをした地上の法則は破られたどっちにしろ素晴らしい朝がくる電信柱が君に恋をしたごらん花が歌いだす古臭い言葉をミキサーに入れ新しい言葉を取り出したごらん何処にも退屈なんてないごらん何処のも善悪なんてない君は中国語を喋ってばかりいる僕は愛の言葉を探してる昆虫採集に飽きたなら僕の言葉を拾っておくれ道に迷ったソルジャーが言う疲れ切ったサラリーマンが言うサヤインゲンが食べたい本当の人間に会いたい(間奏)心と心が結びつき暗闇と暗闇がキスをしたごらん残りカスが輝いている君と僕のようにダイヤモンドのお茶を入れようか寂しさが透き通ってゆくよ君と僕とまだ出会わぬ誰かのために今日も地球は廻る君と僕とまだ出会わぬ誰かのために今日も地球は廻る(この曲は、MUSIQESTから視聴出来ます。)フリーダ・カーロの瞳 (PM 09:45)清らかな里で君は小さな一歩を踏み出したいつの日かこの世界にゴスペルを響きわたらせるためにこの草はどうやって食べよう?この道はどっちへ行こう?世界最後の日がきても君となら生きて行けそうだフリーダ・カーロの瞳ポール・ラッシュの志(こころざし)いにしえの殉教者たちの魂とともに君といればいつのまにかゴスペルは世界に響きわたっている鳥と虫たちの声とともに君はあるがままの姿を思うがままに解き放てばいい僕だって歌うさ君が望なら僕の魂とともにフリーダ・カーロの瞳ポール・ラッシュの志(こころざし)いにしえの殉教者たちの魂とともにフリーダ・カーロの瞳ポール・ラッシュの志(こころざし)いにしえの殉教者たちの魂とともに
2004年06月05日
君の指先から出る炎でこの世のすべてを燃やし尽くしておくれ君へのよこしまな思いは夏の嵐に既に吹き飛ばされた千人のキリスト百人のブッダ、たった一人の君がいる千人のキリスト百人のブッダ、たった一人の君がいる先生のその問題の答えに探し求めるだけの価値がありますか?他人をすべて蹴散らして自分一人だけ生き残る価値がありますか?声もなく立ち上がる人たちは力に満ちている声もなく立ち上がる人たちは力に満ちているカラ元気でもいいから表を歩いてみよういつものように見知らぬ人に話し掛けてみよう何かヒントが見つかるかも知れない最後までたどり着けないかも知れないけれど見守っていてくれないか?抱き締めてくれなくていい励ましてくれなくていい見守っていてくれないか?(間奏)君の指先から出る炎で僕の悩みをすべて焼きつくしておくれ僕の理想と言葉で君の悩みをすべて焼きつくしてあげる最後までたどり着けないかも知れないけれど見守っていてくれないか?抱き締めてくれなくていい励ましてくれなくていい見守っていてくれないか?先生のその問題の答えに探し求めるだけの価値がありますか?襲いかかって来る不条理を蹴散らすだけの言葉はありますか?声もなく立ち上がる人たちは力に満ちている声もなく立ち上がる人たちは力に満ちている声もなく立ち上がる人たちは力に満ちている
2004年06月04日
新宮にも新宿にも自由なんてありはしない途方に暮れたこの俺にお前はもう応えてはくれない日本のフォークナーは没落した貴族なんかじゃない赤い血の流れた路地裏のヒーロー歩きながら考えたことはたいしたことじゃない中上健次に僕は会いに来たんだ火祭りに行ったあの娘は物語の秘密を見つけたろうか退屈なホームランとスリリングなピッチャーゴロのどっちをお前なら取る?もちろんお前はスリリングなホームランを打つだろうこの俺はスリリングな一塁打を狙っている歩きながら考えたことはたいしたことじゃない中上健次に僕は会いにきたんだ心優しき人を罪人に仕立て(落とし入れた)あげたでっちあげ大逆事件は全く被告人が逆なんだマルコムXを呼んで人権について語ろうかガンジーでも呼び出して非暴力について語ろうか歩きながら考えたことはたいしたことじゃない中上健次に僕は会いにきたんだ世界を動かしているのは暴力かい?それとも愛かい?消しさられた路地を俺は探し歩いていたアジアの連帯のニュースは明日、ニュースで流れるだろうだけどそんな明日は永遠に来やしないだろう歩きながら考えたことはたいしたことじゃない中上健次に僕は会いにきたんだ予言者はいつだって故郷には受け入れられないものだけどお前は最初から予言者づらなんかしちゃいない地域通貨と籤引きの夢を見たお前の友人がいてお前のことを語り続けている永遠の現在として歩きながら考えたことはたいしたことじゃない中上健次に僕は会いにきたんだある日、お前の方からこの俺に会いに来るはず太ったじゃがいもを持って繊細なガラスをたたき割ってドクトルはお前を天国に招き入れるだろうボブ・マーリーはお前と記念写真を撮るだろう歩きながら考えたことはたいしたことじゃない中上健次に僕は会いに来たんだ歩きながら考えたことは決して嘘じゃない中上健次に僕は会いに来たんだ
2004年06月03日
白い埃だらけの道をバスの上に乗りコタカチまで走り続けている黒い肌に黒い瞳彼らの両手を見てごらん本物の暮らしがここにはあるんだ* 女達はセニョールに恋をした俺は居場所をまだ見つけていない貧困と平等について考えながらエクアドルを旅しているエクアドルってどういう意味だい赤道直下っていう意味かいそれとも平等にするっていう意味かい?片言のスペイン語でどうやって聞こうどうやって君に語りかけようキトでは笑い方を教わりフニンでは踊り方を教わったこれ以上何を学べばいいオタバロでは先住民に荷物の背負い方を教わった生きる知恵がここには沢山あるんだ*(リピート)民衆議会に間に合うように急がなくては誰も俺を待ってはくれないが籤引きが民主主義を実現するのだと彼らに言って聞かせなければ農業の未来について語りたいのなら外に出て山に登ってみればいい多様性だとか持続性だとか難しい言葉がここでは一目瞭然だ*大自然を破壊する日本の大企業は誰の役にも立ってはいないどこにでも転がっている欲望や抑圧と今すぐおさらばしなければ感じることと考えることが一つになればいい資本と国家が揚棄されればいい思いつく僕にできるたった一つのことは君に愛を捧げることだけだ*Dios la page.神のみぞ知る俺は信じ続けてる彼らの頭上の太陽のようにいつの日か、今にだって、彼らに栄光が輝くことを俺は祈り続けている*栄光と平等について考えながらエクアドルを探している
2004年06月02日
マルクスがロシアの農村共同体(ミール)に期待を寄せた証拠とされる手紙を紹介します。定本『トランスクリティーク』の274,488頁でも言及されています。マルクスが、よりその共同体に対する期待を示した記述のある第一草稿はこちらから英語で読めます。http://www.marxists.org/archive/marx/works/1881/03/zasulich1.htm「ヴェ・イ・ザスーリチへの手紙」 一入八一年三月八日 ロンドン、北西区、メートランド・パーク・ロード四一番 親愛な市民。 一〇年このかた周期的に私をおそってくる神経病に妨げられて、私は、二月一六日付のあなたの手紙にたいして、もっと早くご返事をさしあげることができませんでした。あなたが私にご提出になった問題について、公表を予定した手みじかな説明をお送りすることができないのは残念です。私はすでに数カ月まえに、この同じ論題について論文を書くことをサンクト-ペテルブルク委員会に約束したのでした。しかしながら、私の学説と言われるものにかんする誤解についていっさいの疑念をあなたから一掃するには、数行で足りるだろうと、思われます。 資本主義的生産の創生を分析するにあたって、私は次のように言いました。「資本主義制度の根本には、それゆえ、生産者と生産手段との根底的な分離が存在する。……この発展全体の基礎は、耕作者の収奪である。これが根底的に遂行されたのは、まだイギリスにおいてだけである。……だが、西ヨーロッパの他のすべての国も、これと同一の運動を経過する。」 (『資本論』フランス語版、三一五ページ) だから、この運動の「歴史的宿命性」ほ、西ヨーロッパ諸国に明示的に限定されているのです。このように限定した理由は、第三二章の次の一節のなかに示されています。 「自己労働にもとづく私的所有……は、やがて、他人の労働の搾取にもとづく、賃金制度にもとづく資本主義的私的所有によってとって代わられるであろう。」(前掲書、三四一ページ) こういうしだいで、この西ヨーロッパの運動においては、私的所有の一つの形態から私的所有の他の一つの形態への転化が問題となっているのです。これに反して、ロシアの農民にあっては、彼らの共同所有を私的所有に転化させるということが問題なのでしょう。 こういうわけで、『資本論』に示されている分析は、農村共同体の生命力についての賛否いずれの議論にたいしても、論拠を提供してはいません。しかしながら、私はこの問題について特殊研究をおこない、しかもその素材を原資料のなかに求めたのですが、その結果として、次のことを叫確信するようになりました。すなわち、この共同体はロシアにおける社会的再生の拠点であるが、それがそのようなものとして機能しうるためには、まずはじめに、あらゆる側面からこの共同体におそいかかっている有害な諸影響を除去すること、ついで自然発生的発展の正常な諸条件をこの共同体に確保することが必要であろう、と。 親愛な市民よ、あなたの忠実な カール・マルクス『マルクス・エンゲルス・アルヒーフ』第一巻一九二四年にはじめて発表手稿によるフランス語の原文から翻訳(平田清明訳) 『マルクス=エンゲルス全集』第19巻p238-239大月書店より
2004年06月01日
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