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マレーシア航空370便(MH370)が3月8日から行方不明になっている。乗客227名のうち152名が中国人。インド洋で墜落したということになっているが、今、インターネット上で流れている噂は「ディエゴ・ガルシアに降りた」というもの。ディエゴ・ガルシアはインド洋に浮かぶ島で、イギリスが所有しているが、実態はアメリカの重要な軍事基地だ。 この事件では、行方不明から数日後でも乗客の携帯電話がコールしていたようで、墜落していないのではないかという話が広がった。しかも旅客機の残骸が明確な形では発見されていない。 ハイジャック説も出たのだが、何者かがコックピットに押し入ったなら何らかの連絡があるはずだが、ない。そこでパイロットがハイジャックしたという説も出たのだが、可能性のひとつという程度のことだ。 今回の出来事から過去に起こったふたつの事件を思い出した人も少なくない。ひとつはニューヨークの世界貿易センターに立っていた超高層ビルへ航空機が突入、アーリントンにある国防総省本部庁舎が攻撃された2001年9月11日の出来事。この時も航空機から緊急連絡はなかった。 もうひとつは1987年11月29日にあった出来事。イラクのバグダッドから韓国のソウルへ向かっていた大韓航空858便が今回と近い海域で消えたのである。朝鮮の工作員に爆破されたことになっているのだが、「朝鮮ならやりかねない」ということで納得した人が多く、真相が明らかになったとは言い難い。 1960年代の前半、アメリカ軍の好戦派はキューバへアメリカ軍が直接、軍事侵攻するため、「ノースウッズ作戦」を計画していたことがわかっている。キューバ人を装ってアメリカの諸都市などで「偽装テロ」を実行、最終的には無線操縦の旅客機をキューバ近くで自爆させ、キューバ軍に撃墜されたように見せかけようというもの。こうした「テロ」への「反撃」という形で軍事侵攻しようというわけだ。 9/11もMH370も旅客機が遠隔操作されたのではないかと考える人もいるが、現段階では想像の域を出ない。MH370の場合、乗客の中に中国人研究者20名が含まれ、この研究者を拘束することが目的だったのではないかという話も伝わっているが、これも真偽不明だ。
2014.03.31
ネオ・ナチを使ってクーデターを実行したのはオリガルヒ(一種の政商)や「西側」の「国境なき巨大資本」。彼らは「融資」という形式で資産略奪の仕組みを築き始めた。ウクライナ政府が保有していた金塊もアメリカへ持ち去られたと言われている。ウクライナ議会は「危機対策法」を承認、緊縮政策、つまり庶民から搾り取る準備が進んでいる。とりあえず庶民の年金を半減させるようだが、当然、それだけではすまない。 こうした「西側」の傀儡ファシスト政権を拒否する動きはクリミアだけでなく、ウクライナの東部や南部、かつてロシア領だった地域に広がっている。元軍人、治安部隊「ベルクト」などウクライナ内務省の元職員などで武装グループを構成、その人数は7万人とも伝えられている。 クーデターの際、ネオ・ナチは棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に石や火炎瓶を投げ、途中からピストルやライフルを撃ち始め、ベルクトの隊員を拉致、拷問したうえ、殺害している。目を潰された状態で発見された隊員の死体もあるようだ。このベルクトを内務大臣は解散させた。こうした事情があるため、軍や警察の内部には暫定政権に対する怒りを持っている人は少なくないはずで、暫定政権としては手強い相手。 それに対し、議会は6万人規模の国家警備軍を創設する法律の制定を採択したというのだが、メンバーはネオ・ナチになり、ナチスの「親衛隊」に近い存在になるだろう。反キエフの勢力を鎮圧するため、こうした部隊を創設するほか、アメリカの傭兵会社アカデミ(旧社名はブラックウォーター)などから戦闘員を雇い始めているようだ。イスラム教スンニ派の戦闘集団が入ったとも言われている。 反クーデター派の動きが最も素早かったのはクリミア。ネオ・ナチやイスラム教の武装勢力が侵入するのを防ぐために自衛軍を編成、外部からの侵入をチェックしていた。すでにイスラム教スンニ派の戦闘員がタタール系住民を装って潜り込んだとも言われたが、大きな混乱はなかった。 自治共和国最高会議はロシアへの編入を全会一致で議決、3月16日には住民投票が実施され、投票率は83.1%に達した。96.7%がロシアへの編入に賛成している。ロシア系住民云々というような次元の話ではない。非ロシア系住民もファシストやオリガルヒの体制下で生活したくはないということだろう。 しかも、ここにきてネオ・ナチの一部と暫定政権との関係が悪化している。右派セクターなどは自分たちがファシストであることを隠さず、「民主的勢力」を装いたいオリガルヒ、そして後ろ盾になっている「西側」の巨大資本としては、目障りな存在になっていた。 そうした中、右派セクターを率いていたひとり、アレキサンダー・ムージチコ(別名、サーシャ・ビリー)が警官隊に射殺された。1994年にチェチェンでロシア軍との戦闘に参加、その残虐さで有名になり、95年にウクライナへ戻ると犯罪の世界へ足を踏み入れたという経歴の持ち主。クーデター後、検察官事務所に押しかけてスタッフを罵倒、暴力を振るったり、武装解除を求めてきた暫定政権の人間を恫喝している。 内務省の発表では、3月12日にムージチコは警察に指名手配され、ウクライナ西部のレストランにいることをつかんだ特殊部隊が踏み込み、銃撃戦の末に容疑者は射殺されたということになっている。 それに対し、ウクライナ議会のアレキサンダー・ドニ議員によると、ムージチコの乗った自動車が2台に自動車に止められ、彼はそのまま拉致され、後ろ手に手錠された状態で外へ放り出され、心臓へ2発の銃弾を撃ち込まれたのだという。 仲間を殺されたということで、右派セクターはアルセン・アバコフ内務大臣の解任と殺害に関与した特殊部隊員の逮捕を要求している。彼らによると、殺害を支持したのは内務大臣だという。このアバコフはオリガルヒのひとりだ。 ムージチコ自身も自分が命を狙われていることに気づいていたようで、その辺の事情を説明する映像を残し、10日前にYouTubeへアップロードしている。検事総長室や内務大臣が彼の処分を決定、殺害するか、捕まえてロシアへ引き渡し、全ての責任をロシアの情報機関になすりつけて非難する段取りになっているとしていたという。 クーデターの際、その指揮官はアンドレイ・パルビーだったと言われている。話し合いでの解決を不可能にした狙撃もパルビーがコントロールする場所で始まった。後に暫定政権を作る勢力の中にスナイパーを使っていた人物がいることは、EUも早い段階で知っていた。ネオ・ナチのメンバーは棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を投げ、トラックやブルドーザーを持ち出し、ピストルやライフルを撃ち始めるが、現場を修羅場にしたのは2月22日の狙撃開始。 25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相は翌日、EUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で次のように報告している: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」「新連合はもはや信用できない。」 しかし、「西側」が支援している勢力を守るため、つまり「西側」の巨大資本へウクライナの利権を提供するため、この報告をアシュトンは封印する。ネオ・ナチを守ったということにもなった。この事実を報道しないメディアも同じことだ。 パルビーはアメリカの特殊部隊ともつながっているようで、右派セクターが反旗を翻した場合は鎮圧側につくのだろうが、戦乱に発展する可能性はある。そこで「国際治安支援部隊」と称してNATO軍がウクライナへ入って来たなら、ロシア軍も黙ってはいないだろう。 「西側」がウクライナでクーデターを実行したひとつの理由は、ロシアからクリミアにある軍事拠点を奪うことにあった。この目論見は今のところ、失敗。ロシアを制圧するためには、どうしても潰しておきたかったはず。 ビル・クリントン米大統領はロシアを属国扱いし、あのボリス・エリツィン露大統領を怒らせたそうだが、アメリカ支配層の精神構造に変化がなく、クリミアを奪おうとするなら、第3次世界大戦に発展する可能性がある。
2014.03.30
キエフを「西側」の傀儡は制圧した。その制圧で中心的な役割を果たしたのがネオ・ナチ。「西側」の政府、メディア、あるいは「革新勢力」は、キエフを制圧した勢力に全ウクライナが従うべきであり、それこそが「民主的」だとしている。キエフを制圧して暫定政権を樹立したのはネオ・ナチや同盟者のオリガルヒ。そのオリガルヒを操っているのは「国境なき巨大資本」だ。 かつて、日本は中国を侵略した。その際、首都の南京を制圧すれば中国を支配できると考えていたようだが、都市を支配しても周囲は支配できず、逆に囲まれる形になった。首都のキエフを支配した勢力がウクライナを支配するという思い込みは、当時の日本人と似ているが、現実と双六は違うのだ。 ひとつの国を治めるためには、庶民から支持されなければならない。ウクライナの西部では「反ロシア感情」や「西側」のプロパガンダによる「EU幻想」もあり、これまでは巨大資本にとって都合の良い状況もあったが、実際に巨大資本の政策が実行に移され、その本性が表れれば反発が出てくる。かつてロシア領だった東部や南部ではすでに反キエフの動きが出ている。 支配者はそうした反抗を暴力、恐怖で押さえ込もうとするが、それには限界がある。ラテン・アメリカでは巨大資本の傀儡である軍事独裁政権が「死の部隊」を編成、そうした資本のカネ儲けにとって邪魔な人びとを拉致、監禁、拷問、殺害して支配したのだが、結局は崩壊している。 ラテン・アメリカではアメリカの軍や情報機関から訓練を受けた軍人がクーデターを起こし、そのまま独裁者になったが、ウクライナではネオ・ナチをオリガルヒが使うという形になっている。問題はネオ・ナチをコントロールできるかということだが、すでに、それが困難だということが明確になってきた。そのひとつの結果が右派セクターを率いていたひとり、アレキサンダー・ムージチコの「処刑」だ。ところが、この殺害に対する報復を仲間は叫びはじめた。 こうした右派セクターの抗議行動をEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)は批判しているが、彼女はネオ・ナチが行ってきた残虐な行為、狙撃を隠蔽したひとりだ。 エストニアのウルマス・パエト外相から「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」「新連合はもはや信用できない。」という報告を受けた際、「議会を機能させなければならない」と応じたのである。議会を機能させ、「西側」の巨大資本にとって都合の良い政策を推進させようとしたわけだ。実際、そうした法案を成立させている。アシュトンに右派セクターを批判する資格はない。 シリアでも真相が発覚すると、「悪玉」と「善玉」を作り上げ、「悪玉」を処分する形で問題を誤魔化そうとした。これは「西側」の常套手段。ウクライナでは右派セクターを「悪玉」にして粛清するつもりかもしれないが、簡単にすまない可能性がある。 選挙で民主的に選ばれたビクトル・ヤヌコビッチ大統領を「西側」の「国境なき巨大資本」に支援されたネオ・ナチがキエフを火と血の海にして倒し、憲法を無視した形で出現したのがウクライナの暫定政権。ウクライナ国民に選ばれた政権ではないわけだが、勝手に「西側」の金融資本と取り引きし、「新自由主義化」を進めている。キエフ以外の地域で違法政権に反旗を翻し、クリミアのように本来の所属国、ロシアへ戻ろうとするのは自然なことだ。 この自然な流れを変えるためにはロシア軍に侵攻してもらいたいのだろうが、今のところ、そうした動きは見せていない。クリミアにロシア軍が攻め込んだという話は嘘だった。1990年代から部隊が駐留しているだけ。このことを本ブログでは説明済みだ。「西側」は挑発に乗らないウラジミール・プーチン露大統領に手を焼いているに違いない。
2014.03.29
ウクライナ議会は3月27日、「危機対策法」を承認した。IMF、つまり巨大金融資本の代理人が140億ドルから180億ドルの融資をする条件としていたもので、緊縮政策を受け入れ、通貨フリブナの対ドル相場をこれまでより自由に変動できるようにし、天然ガス価格を引き上げ、エネルギー部門の財務を見直すことなどが求められている。とりあえず庶民の年金を半減させるようだが、ほかのケースと同じように、国の資産は私有化され、「西側」の「国境なき巨大資本」の食い物になる。 前にも書いたように、「西側」の金融資本はすでにウクライナ政府が保有していた金のインゴットをアメリカへ秘密裏に運び去ったようだ。3月7日の午前2時、ポリスポリ空港に4輌のトラックと2輌の貨物用のミニバスが現れ、そこから40個以上の箱をマークのない航空機へ運び込まれたという。その時点でウクライナ政府が保有していた金塊は42.3トンだとされている。つまり20億ドル弱。 2004年から05年にかけて実行された「オレンジ革命」でも新自由主義化が進められ、IMFは2005年に166億ドル、10年には151億ドルを融資しているが、ウクライナ経済の状況は改善されていない。この「革命」で実権を握ったビクトル・ユシチェンコは銀行の世界にいた人物。1993年にウクライナ国立銀行の頭取を務めている。ちなみに、暫定政権で首相に就任したアルセニー・ヤツェニュクも銀行出身で、ウクライナ国立銀行のトップを経験した人物だ。 こうした融資で私服を肥やし、巨万の富を手に入れてオリガルヒは出現したが、庶民は苦しい生活を強いられている。この「革命」を推進した黒幕が「西側」やロシアからイギリスへ亡命したロシア系オリガルヒのボリス・ベレゾフスキー(後にプラトン・エレーニンに改名)だということを考えれば、当然の帰結だった。ロシアでもウクライナでもオリガルヒの多くはイスラエル系で、仲間意識はあるだろう。 アメリカの巨大資本はラテン・アメリカの利権を維持、拡大するために軍事クーデターで独裁体制を樹立させてきた。この体制の独裁者は「北」からの「支援」を懐に入れ、資金は「北」の金融機関に還流、庶民が借金の返済を強制されるわけだ。緊縮財政も庶民から富を搾り取る手段として導入される。 ウクライナではアグリビジネスやエネルギー産業が食指を動かしている。この国は穀倉地帯であり、東部には工業都市も存在する。そこで、モンサントやカーギルなどのアグリビジネス、そしてシェブロンのような巨大石油企業が暗躍してきた。 これまでIMFが融資に乗り出した国は多いが、成功例はほとんどないだろう。やっていることは「高利貸し」と同じ。借金漬けにして骨の髄まで吸い尽くそうということだ。すでにウクライナは悪循環に陥っている。昨年11月21日、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領はEUと「連合協定」の締結に向けた準備を停止、天然ガスの価格の30%値下げ、150億ドルの支援を提示したロシア政府との協議を始めようとしたのだ。 この決定を「西側」はネオ・ナチを使い、ひっくり返した。これを「西側」のメディアや「革新勢力」は「民主化」と呼ぶ。アジア侵略を「大東亜共栄圏」の建設と言ったようなものだ。 勿論、ネオ・ナチが行ったキエフのクーデターについて「西側」が知らなかったわけではない。市街を火と血の海にするため、「何者か」が狙撃を始めたのだが、それについてエストニアのウルマス・パエト外相はEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)に対し、次のように報告している: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」「新連合はもはや信用できない。」 パエト大使は「新連合の誰か」が狙撃の黒幕だとしているが、クーデターの前までウクライナの治安機関SBUの長官だったアレクサンドル・ヤキメンコはアンドレイ・パルビーという名前を出し、アメリカの特殊部隊と接触しているともしている。このパルビーは1991年にネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党」を創設したひとりで、現在、国防省や軍を統括する国家安全保障国防会議の議長に就任している。 クーデター前、ウクライナ国民の過半数はEUへの加入に反対していたようだ。ヤヌコビッチが大統領選で当選した一因はそこにあるのだろう。「EU幻想」を抱いている人も緊縮財政を強制されてくると、目を覚ます可能性が高い。そうなったとき、その不満を利用してネオ・ナチが再び暴れる事態も考えられ、先手を打って粛清しようと「西側」が考えても不思議ではないが、勢いづいたファシストを押さえ込むことは容易でないだろう
2014.03.29
3月23日、トルコ軍のF-16戦闘機がシリア軍のミグ23を撃墜した。トルコ政府はシリア機が領空を侵犯、警告を無視したので撃ち落としたとしているのだが、シリア政府は反政府軍をシリア領空で爆撃中に撃墜されたと主張している。ミグ23はシリア領内に墜落、脱出したパイロットはシリア軍が救出しているので、シリア側の主張が正しいと見られている。 18日にはアル・カイダ系のアル・ヌスラ戦線、さらにシャム・アル・イスラムとアンサール・アル・シャムがシリアのラタキアを攻撃したという。こうした攻撃をトルコは支援しているとも言われている。撃墜されたシリア機は、シリア領内にいたアル・ヌスラの部隊を攻撃していたようだ。 トルコ政府は、2011年3月にシリアで戦闘が始まった当初からバシャール・アル・アサド体制の打倒を目指す勢力に拠点を提供、米空軍インシルリク基地ではアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員がFSA(自由シリア軍)を訓練している。シリアでも戦争の切っ掛けは「何者か」の狙撃だった。 現在のトルコ政府やカタールはムスリム同胞団と関係が深く、アル・カイダを動かしているのはサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官だが、昨年秋の化学兵器問題の際にスルタン長官とアル・カイダとの関係が広く知られるようになり、最近、長官は表に姿を見せていない。 最近、アル・カイダとサウジアラビアとの関係を示す膨大な文書をシリア政府が国連へ提出し、ロシアはシリアでテロ行為を支援している全ての国に制裁するように求めるとアメリカ政府からサウジアラビア政府へ警告があったともいう。サウジアラビアが動きにくくなり、トルコに頼っている可能性がある。 そのトルコ政府を揺るがす会話が3月26日、YouTubeにアップロードされた。トルコのアフメト・ダブトオール外相、情報機関MITのハカン・フィダン長官、参謀副長のヤシャール・グラールらが話し合っているのだが、その中でフィダンはミサイルをトルコへ撃ち込んで戦争の口実を作り、またシリア領の中にあるトルコの飛び地にスレイマン・シャー廟があるのだが、必要ならここを攻撃する準備もできると語っている。 要するに、偽旗作戦を使い、シリアへの反撃という形でトルコがシリアと戦争を始めるという話だ。言うまでもなく、トルコはNATOの一員であり、トルコとシリアの戦争になればNATOが介入する道筋ができる。 サウジアラビアが仕掛けた「化学兵器攻撃」はロシアから真相が明らかにされ、アメリカ政府も攻撃する姿勢を改め、NATOの直接的な軍事介入はなかった。ウクライナでロシア政府とアメリカ政府との間に対立が生じている今、シリアの現体制を軍事的に倒そうとしている勢力には「好機」だと思えるかもしれないが、戦争になればロシアが出てきて、核戦争に発展する可能性もある。
2014.03.28
キエフでクーデターの「第2幕」が始まったようだ。クーデターで中心的な役割を果たしたネオ・ナチに属する右派セクター、そのグループを率いていたひとりであるアレキサンダー・ムージチコが3月25日に射殺されたが、それに抗議して右派セクターは示威活動を開始、アルセン・アバコフ内務大臣代行の解任を求めている。 「西側」の「国境なき巨大資本」を後ろ盾とする暫定政権は「民主化」や「民意」という看板を掲げ、「西側メディア」を使って宣伝しているのだが、右派セクターは自分たちがネオ・ナチであり、暴力で相手を威圧して物事を決めるという手法を隠そうとしなかった。スボボダは党名や党旗を変更し、正体を隠す妥協はしている。 しかも、右派セクターとイスラム教スンニ派武装勢力(アル・カイダ)との協力関係もインターネット上で知られるようになった。クリミアに潜入していると見られるアル・カイダも動きにくいだろう。「西側」としては、ムージチコをいないことにするより、消してしまった方が良いと判断した可能性がある。 ムージチコ自身が殺される10日前にYouTubeへアップロードした映像によると、検事総長室や内務大臣が彼の処分を決定、殺害するか、捕まえてロシアへ引き渡し、全ての責任をロシアの情報機関になすりつけて非難する段取りになっているとしていたという。暫定政権で検察を統括しているのはネオ・ナチ政党のスボボダに所属するオレー・マクニスキー。スボボダもムージチコの「処刑」を容認していた可能性がある。 ムージチコが射殺された後、右派セクターの問題が話し合われた会合にはアバコフ内相代行のほか、アメリカ軍と連絡を取り合いながらクーデターを指揮し、今は「国家安全保障国防会議」の議長として国防省や軍を統括しているアンドレイ・パルビー、スボボダを率いているオレー・ティアニボクが出席、パルビーは規制に賛成したという。 この会合でティアニボクは立場を明らかにしなかったようだが、ムージチコの「処刑」を検事総長室と内務大臣が決めたという話が本当なら、メンバーを検事総長として送り込んでいるスボボダも右派セクターの規制、あるいは粛清に反対していないことになるだろう。 かつて、アドルフ・ヒトラーは巨大資本との関係を強化する過程で親衛隊(SS)と正規軍を使い、エルンスト・レームが率いる突撃隊(SA)の幹部を粛清/虐殺している。いわゆる「長いナイフの夜」だが、これは一種の奇襲攻撃。今回は事前にムージチコも暗殺計画を知っていた。 ムージチコはアル・カイダと一緒にソ連軍と戦った過去がある。彼と同じように右派セクターを率い、今は国家安全保障国防会議の副議長を務めるドミトロ・ヤロシュもアル・カイダと友好的な関係を結んでいる可能性が高い。今年1月、シリアから約350名の戦闘員がウクライナ入りしたという情報も流れているが、今後、アル・カイダの戦闘員がさらに流れ込んでくると考える人もいる。すでにアル・カイダの戦闘員がクリミアに潜入している可能性は高いが、キエフなどに活動範囲を広げることもありえる。 EUも潜在的なライバルだと見ているアメリカの支配層、特にネオコン(親イスラエル派)から見ると、ヨーロッパが火と血の海になっても構わないのだろう。が、EUにとっても深刻な事態。すでにネオ・ナチはロシアからEUへ石油を運んでいるパイプラインを破壊すると警告している。EUのリーダー格であるドイツのアンゲラ・メルケル首相がネオコンに屈し、ウクライナにファシスト政権を作ってしまったひとつの結果だ。 ウクライナの問題で、ネオコンに振り回されているもうひとりの政治家がバラク・オバマ米大統領。シリアやイランの問題ではウラジーミル・プーチン露大統領に歩み寄って戦争を回避、ネオコンの逆鱗に触れた。ウクライナの制圧はオバマの「師」であるズビグネフ・ブレジンスキーの意思でもあり、ロシアと話し合いで解決する余地はほとんどない。ここでプーチンとの関係がこじれると中東での協力関係も崩壊、ネオコンにとって好都合だという見方もある。
2014.03.28
ひとりの死刑囚が釈放された。「重要な証拠は捏造された疑いがあり、その必要と能力があるのは捜査機関のほかにない」と静岡地裁の村山浩昭裁判長は批判、再審を決定したという。なお、事件の内容は、ジャーナリストの高杉晋吾が書いた『地獄のゴングが鳴った』(三一書房、1981年)などに詳しい。 事件は48年前、1966年の6月に起こった。静岡県清水市にあった味噌製造会社専務の自宅兼事務所で4名、つまり専務、その妻、次女、長男が殺され、家屋が放火された事件である。4名はそれぞれ6〜十数カ所を刺され、死体は焼け焦げていた。 事件の経過は次のようになっている: 専務の長女は6月25日から友人と旅行、29日の午後10時10分頃に家へ戻った。表のシャッターを開けようとしたが、閉まっていて動かない。そこでシャッターを3、4回叩くと草履で歩く音が聞こえたので「今帰った」と言うと、父親の声で「わかった」と返事があったのだが、そのまま立ち去る音がしたという。そこで、離れに向かう。長女はそこで祖母と一緒に住んでいた。 午前1時35分、隣の家の住人がトイレに行こうと起きたとき、材木が倒れるような音を聞いている。家と家との間は30センチしか開いていないので、音はよく聞こえたようだ。その10分ほど後に通りかかった急行列車の運転手は石油の燃えるような強い焦げ臭さを感じたと語っている。 その数分後、煙に気づいた隣人がシャッターを叩いたが、すでに熱くなっていた。そして消防小屋のサイレンが鳴り出し、少しするとシャッターが開けられた。そのとき、裏木戸は閉められ、扉は動かなかったという。後に死刑判決を受ける袴田巌は近くの味噌工場にある寮に同僚と住んでいた。 犯行時に着ていた着衣のひとつだと検察が主張する白い半袖シャツの右肩についていた血痕のDNA型鑑定が行われ、検察、弁護、双方の鑑定ともシャツの血と袴田のDNA型は「一致しない」という結果が出て再審につながった。 事件の現場見取り図を見ても、袴田がひとりで4名を殺したとする検察のシナリオがありえないことはわかる。ひとりの犯行だとするならば、4名を殺害するためにある程度の時間が必要で、立ち回りの音、叫び声などが周囲に聞かれないはずはない。有罪判決どころか、起訴、いや逮捕されたこと自体がおかしいのである。それにもかかわらず、警察は逮捕し、マスコミは逮捕を賞賛、検察は起訴、裁判所は死刑の判決を出したわけだ。 事件の直後に警察は「ボクサー崩れで身持ちも悪く、妻と別居中でカネに困っていた」袴田に目をつけたと記者は伝えている。その予断を正当化するために「科学捜査」という演出をしたわけだ。そうした警察の姿勢に記者は疑問を持っていない。今回の事件でも、マスコミ、警察、検察、裁判所は共犯関係にある。
2014.03.28
アメリカの支配層が民主的でないことは歴史を振り返ればわかる。先住民を虐殺しながら東海岸から西へ向かって侵略を続け、その先住民を「保留地」に強制収容して土地を奪い、「アメリカ」なる国は出来上がった。シャイアン族とアラパホー族に対して行った「サンドクリークの虐殺」は1864年のことであり、スー族が犠牲になった「ウンデット・ニーの虐殺」は1890年のことだ。 その後、目を向けたのがスペインの支配下にあった南の地域。1897年にウィリアム・マッキンリーが大統領に就任、キューバの独立運動を支援するという口実で介入を始め、1898年の「メイン号爆沈事件」を利用して軍隊を派遣し、スペインと戦争になる。 この戦争で勝利したアメリカはキューバの「独立」を認めさせただけでなく、ハワイを支配、フィリピンも手に入れた。メイン号の事件はアメリカの自作自演だと考える人が少なくない。フィリピンは中国市場へ乗り込む橋頭堡になる。 1900年の大統領選挙で再選されたマッキンリーは再選されるが、翌年に暗殺され、副大統領のセオドア・ルーズベルトが跡を継ぐ。そして始められたのが「棍棒外交」。対外債務で苦しむベネズエラに内政干渉、ドミニカやキューバを保護国化してしまう。こうした侵略政策は、フランクリン・ルーズベルトが大統領に就任、善隣外交を打ち出す1933年まで続いた。 この1933年にウォール街、つまりアメリカの巨大金融資本は、ルーズベルト大統領を引きずり下ろしてファシズム体制へ移行させるため、クーデターを計画した。この事実は本ブログで何度も書いてきたことだ。ちなみに、ウォール街は関東大震災が日本の首都を襲った1923年以降、日本に大きな影響力を及ぼしている。 その当時、ウォール街と最も強く結びついていたと考えられている人物が井上準之助。1920年に行った対中国借款の交渉でJPモルガンを率いていたトーマス・ラモントと親しくなったようだ。 JPモルガンの総帥、ジョン・ピアポント・モルガン・ジュニアの妻と親戚関係にあるのが駐日大使になり、戦後はジャパン・ロビーの中心メンバーとして日本を「右旋回」させたジョセフ・グルー。彼も日米関係を考える上で忘れてはならない人物である。 第2次世界大戦後、アメリカは破壊活動を実行させるために極秘機関のOPCを創設、後にCIAへ入り込んで「計画局」(後に「作戦局」へ名称変更、さらにNCSになる)の中核になる。その一方、西ヨーロッパでもイギリスと共同で秘密の「残置部隊」を設立、後に西ヨーロッパの「左翼」を潰す工作を開始、「NATOの秘密部隊」と呼ばれるようになった。 この秘密部隊の中でも最も有名なイタリアのグラディオは1960年代から1980年頃にかけて「極左」を装った爆弾攻撃を繰り返して「左翼陣営」に大きなダメージを与えた。フランスのシャルル・ド・ゴール大統領の暗殺未遂、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領暗殺、あるいはイタリアのアルド・モロ元首相の誘拐/殺害などでも名前が浮上している。 そして1980年代、ロナルド・レーガン大統領の時代にアメリカの一部支配層はクーデターの準備を始める。COGだ。この計画を起動させたのが2001年9月11日の出来事である。このプロジェクトについては本ブログでも何度か書いたことなので今回は割愛する。 ラテン・アメリカの軍事独裁政権にしろ、「NATOの秘密部隊」にしろ、「元ナチス」やネオ・ナチと深く結びついている。リビアやシリアでの戦争でイスラム教スンニ派の武装勢力(アル・カイダ)を今でも戦闘員として使っていることが確認できた。ウクライナの体制転覆プロジェクトでネオ・ナチが中心的な役割を果たしたのは必然だと言えるだろう。ウクライナのネオ・ナチを率いてきたひとり、アレキサンダー・ムージチコ(別名サーシャ・ビリー)を殺害したところで、本質的な変化はない。
2014.03.27
ウクライナの戦いは二重構造になっている。ひとつは西部と東/南部の地域的な対立であり、もうひとつは「国境なき巨大資本」の支配を受け入れるか、ロシアにつくのかという経済的な対立である。地域対立には人種差別がからみ、巨大資本はネオ・ナチと結びついている。 大まかに言って、暫定政権を支えているのは西部に住み、巨大資本に好意的な人びとなのだが、作り上げたのはネオ・ナチ。棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を投げ、途中からピストルやライフルを撃ち始め、警官隊(ベルクト)の隊員を拉致、拷問したうえ、殺害している。目を潰された状態で発見された隊員の死体もあるようだ。 事態を悪化させたのは狙撃だが、アレクサンドル・ヤキメンコSBU(ウクライナの治安機関)元長官によると、最初の狙撃はアンドレイ・パルビーなる人物が制圧していたビルから。このパルビーはネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党」を創設したひとり。この政党は後に党名を「スボボダ(自由)」へ名称を変えている。今は国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の議長だ。 キエフでクーデターの拠点になった広場への出入りを管理していたパルビー。武器の持ち込みも彼の許可が必要で、スナイパーが彼の指揮下にあったことは間違いないと見られている。しかも、狙撃チームはアメリカ大使館を根城にしていたという。 エストニアのウルマス・パエト外相がEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)に電話でキエフの状況を報告する電話が盗聴され、インターネット上に公開されたのだが、それによると、パエト外相は次のように言っている: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」「新連合はもはや信用できない。」 「アノニマス」と名乗る集団がハッキングで入手した「電子メール」なる文書が公開されているのだが、その中にはアメリカの駐在武官補佐官ジェイソン・グレシュ中佐とウクライナ参謀本部のイーゴリ・プロツュクとの間で交わされたものがある。 それによると、ロシア軍の軍服を着せた戦闘員にウクライナ軍基地を襲撃させ、ロシアがウクライナへ侵攻しているように見せかけようとしていた。ロシア軍の特殊部隊を装ってメリトポールのウクライナ空軍第25基地を3月15日までに、つまりクリミアで住民投票が行われる前に襲撃するよう、グレシュ中佐は指示している。 ネオ・ナチはアメリカ/NATOと結びついているのだが、「EU幻想」からビクトル・ヤヌコビッチ大統領に反対した人びとの中にはネオ・ナチを嫌う人もいる。パエト外相にキエフの状況を教えたひとりは、そうした人だ。 ネオ・ナチが目立つと、暫定政権は「民主化勢力」とは言いにくくなる。そこで右派セクターを率いていたひとり、アレキサンダー・ムージチコが「処刑」されたのかもしれない。殺された本人が死の直前に録画した映像によると、自分を殺そうとする人間がいて、ロシアの情報機関に責任をなすりつける計画もあるとしている。 暫定政権はネオ・ナチのクーデターで成立した。治安機関は勿論、軍の内部にも離反者がいるようで、東部や南部の都市でクリミアの後を追う動きが出てくると、対応できなくなりかねない。そうなるとネオ・ナチに頼るか、傭兵会社の戦闘員を雇うことになる。実際、ネオ・ナチで「親衛隊」を編成するようで、数百人規模の傭兵がウクライナに入っているとも言われている。 国家安全保障国防会議の副議長を務めるドミトロ・ヤロシュは右派セクターを引き入れいるひとり、つまりムージチコの仲間だが、アル・カイダのドッカ・ウマロフなる人物に支援を求めた可能性がある。アル・カイダがウクライナにも入り込むかもしれない。 オリガルヒや巨大資本のカネ儲け、ネオ・ナチの暴力、場合によってはアル・カイダの参戦、そしてアメリカの傭兵・・・。ウクライナの暫定政権を「民主的」だと主張することは難しくなってくるだろう。それでもマスコミは「大東亜共栄圏」的な物語を語り続けていくのだろうか?
2014.03.27
ウクライナの憲法を無視して「西側」が作り上げたキエフの暫定政権が民主主義とほど遠い存在だと言うことを、右派セクターのアレキサンダー・ムージチコ(別名サーシャ・ビリー)は身を以て示していた。彼は1994年にチェチェンでロシア軍との戦闘に参加、その残虐さで有名になり、95年にウクライナへ戻ると犯罪の世界へ足を踏み入れたという経歴の持ち主。そのムージチコが殺されたのだが、その状況がよくわからない。 内務省の発表では、3月12日にムージチコは警察に指名手配され、ウクライナ西部のレストランにいることをつかんだ特殊部隊が踏み込み、銃撃戦の末に容疑者は射殺されたということになっている。 それに対し、ウクライナ議会のアレキサンダー・ドニ議員によると、ムージチコの乗った自動車が2台に自動車に止められ、彼はそのまま拉致され、後ろ手に手錠された状態で外へ放り出され、心臓へ2発の銃弾を撃ち込まれたのだという。 仲間を殺されたということで、右派セクターはアルセン・アバコフ内務大臣の解任と殺害に関与した特殊部隊員の逮捕を要求している。彼らによると、殺害を指示したのは内務大臣だという。このアバコフはオリガルヒのひとりだ。 ムージチコ自身も自分が命を狙われていることに気づいていたようで、その辺の事情を説明する映像を残し、10日前にYouTubeへアップロードしている。検事総長室や内務大臣が彼の処分を決定、殺害するか、捕まえてロシアへ引き渡し、全ての責任をロシアの情報機関になすりつけて非難する段取りになっているとしていたという。 暫定政権は治安機関を解体、情報機関や軍も割れているようで、ネオ・ナチのメンバーで「親衛隊」を組織するという話になっていた。そうした中、右派セクターのリーダーを誰が実際に殺害したのかは興味深い。1934年6月30日から7月2日にかけてナチスではSA(突撃隊)の幹部などを粛清/虐殺するという出来事があった。いわゆる「長いナイフの夜事件」だが、今回の殺害をそれに準える人もいる。 現在、国防省や軍を統括する「国家安全保障国防会議」の議長はネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党(スボボダの旧党名)」を創設したアンドレイ・パルビー。副議長は、ムージチコと同じ右派セクターを率いてきたドミトロ・ヤロシュだ。ヤロシュはムージチコの殺害を非難、報復を口にしている。 問題はパルビーで、クーデターの際もこの人物が指揮、アメリカの特殊部隊とも接触していたと言われている。今回の殺害劇をアメリカやパルビーが知らなかったとは考えにくい。ヤロシュも裏で承認していた可能性がある。そうでなければ、今後、収拾がつかなくなりかねない。
2014.03.25
キエフのクーデターでリーダーのひとりだったアレキサンダー・ムージチコ(別名サーシャ・ビリー)が「警官隊」に射殺されたという。何度も書いてきたが、チェチェンでロシア軍と戦い、その残虐さで有名になった人物。ウクライナのネオ・ナチとチェチェンのイスラム教スンニ派の武装勢力(アル・カイダ)を結びつける存在で、クーデター後には検察官事務所に押しかけてスタッフに暴力を振るったり、武装解除を求めてきた暫定政権の人間を恫喝している様子がインターネット上に流れている。 ムージチコのような人間がいなければ、クーデターが成功しなかったことは確かだろうが、暫定政権を使って儲けようとしている「西側」の「国境なき巨大資本」としては、公然と暴力を振るう人間を放置しておくことはできないだろう。邪魔な存在になってきたということだ。 「西側」のメディアは隠しているが、暫定政権がファイストの集まりだということは広く知られるようになりつつある。ムージチコのような集団が暫定政権の正体を明らかにすることになり、「西側」が描くウクライナ乗っ取りからロシア制圧へというプランを壊しかねない状況になっていた。 現在、国防省や軍を統括する「国家安全保障国防会議」の議長はネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党(スボボダの旧党名)」を創設したアンドレイ・パルビー。副議長は、ムージチコと同じ右派セクターを率いてきたドミトロ・ヤロシュだ。 パルビーはネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党(スボボダの旧党名)」を創設した人物で、クーデターで戦闘集団を指揮、ビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒そうしていた人びとや警官隊、双方を狙撃させていたのは彼だとアレクサンドル・ヤキメンコ元SBU長官は語っている。アメリカの特殊部隊と連絡を取り合っていたともいう。ネオ・ナチに含まれるUNA-UNSOも2006年頃、エストニアにあるNATO系の施設でメンバーが軍事訓練を受けたと言われている。 こうした情報が正しいなら、ウクライナのファシストを操っているのはアメリカの特殊部隊だということになる。ヤロシュの性格はわからないが、パルビーやUNA-UNSOはムージチコのように愚かではないだろう。今後、キエフのファシストはムージチコのような「荒くれ者」からパルビーやUNA-UNSOのような組織化された集団が主導権を握ることになる可能性が高い。
2014.03.25
ウクライナの元首相でオリガルヒ(一種の政商)のひとり、ユリア・ティモシェンコが電話で話した内容が盗聴され、YouTubeにアップロードされた。彼女自身、こうした会話があったことを認めている。 会話の相手は国家安全保障国防会議の元副議長、ネストル・シュフリチ。英訳が正しいとするならば、クリミア情勢について知人と話した内容をシュフリチがティモシェンコへ伝え、それを聞いて彼女はロシア人を殺すと繰り返している。自分の人脈を動員し、全ての手段を使って全世界を立ち上がらせ、ロシアに焦土さえ残らないようにするというのだが、こうした発言をする政治家は戦前の日本にもいた。 ティモシェンコの人脈には投機家として有名なジョージ・ソロスが含まれている。「アジア通貨危機」に関し、原因はソロスなどが率いる「ヘッジファンド」の投機行為にあるとマレーシアの首相だったマハティール・ビン・モハマドから批判されたこともある。このマハティールとは違い、ティモシェンコはソロスのアドバイスに基づく政策を実行していた。そうした行動によって自身も巨万の富を手にすることができたのだろう。 ソロスは1979年に「オープン・ソサエティ基金」を開始、84年にはハンガリーでも基金を創設した。東ヨーロッパを制圧する下地作りを始めたということだろう。1993年には旧ユーゴスラビアなどへ「人道的援助」を始め、その年に基金を率いることになったアリエフ・ネイヤーは「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のエグゼクティブ・ディレクターだった人物だ。 この「人権擁護団体」は1978年に「ヘルシンキ・ウォッチ」として誕生、ソロスから多額の寄付を受けていることで知られている。現在の団体名になったのは1988年。アメリカはユーゴスラビアへの先制攻撃以来、「人道」を口実にした侵略を繰り返しているが、その背景にはこうした団体が存在している。 さて、話はティモシェンコとシュフリチとの会話に戻る。 シュフリチからウクライナにいる800万人のロシア人をどうすべきかと尋ねられ、ティモシェンコは核兵器で殺すべきだと答えているのだが、そうなるとウクライナで核兵器を使うことになる。彼女はロシア人を核兵器で殺したいということで頭が一杯で、シュフリチの言っていることを理解できていないようにも聞こえる。もっとも、ここの部分は編集されているというのが彼女の主張だが。 彼女はモスクワを核攻撃したいと考えているのかもしれないが、そうなれば核戦争になる。アメリカ/NATOがついていると思っているのかもしれないが、核戦争に勝者はいない。飲み屋でおだをあげているサラリーマンならまだしも、ティモシェンコは違う。ウクライナは、このような人物が首相になってしまう国だ。そして今、ネオ・ナチが治安や軍を統括する立場にある。 ティモシェンコの政党は「祖国」。暫定政権のアレクサンドル・トゥルチノフ大統領代行やアルセニー・ヤツェニュク首相も「祖国」のメンバー。その政党が手を組んでいる相手がネオ・ナチの「スボボダ(自由)」だ。今回、外に出てしまったティモシェンコの発言で、両党の中身は大差がないことがわかった。違いは腕力だけだ。 前にも書いたことだが、ロバート・ゲーツ元国防長官の回顧録『任務』によると、副大統領時代にリチャード・チェイニーはロシアという存在自体を抹殺するべきだと話していたという。ソ連やロシア帝国といった国が消滅するだけでは不十分だというのだ。ティモシェンコも同じ考え方をしている。つまり、正気ではない。
2014.03.25
ナチスの「親衛隊」は「SS」とも表記される。ドイツ語の「Schutzstaffel」からきていて、本来の意味は「防衛隊」だ。1934年6月30日から7月2日にかけてナチスの中で労働者系で反資本主義的な傾向の強いSA(突撃隊)などの幹部を粛清/虐殺(長いナイフの夜事件)してからSSは大きな力を持つようになり、ゲシュタポや強制収容所もSSの傘下に入った。 SSを率いたハインリヒ・ヒムラーは「エリート集団」を演出する意味もあり、入隊の条件として、長身、金髪、碧眼、北方人種を掲げた。北方人種を優良だとし、その優良な人種が人類を導くべきだと考えたようだ。貴族階級のSS隊員も少なくなかった。SAの粛清には軍部も協力したが、その軍部も幹部は貴族階級が占めている。 ナチスの母体になったとされているのは「トゥーレ協会」だが、この名称は北方神話の土地であるウルチマ・トゥーレに由来している。協会のシンボルはナチスと同じように鉤十字だったという。 この親衛隊を防衛的な組織だと言うことはできない。SSと同じように、名称と実態が相反することは珍しくなく、アメリカの「国防軍」は多くの国を侵略、民主的に選ばれた政権を軍事クーデターで倒し、また自由でも民主的でもない政党が「自由民主党」を名乗ったりする。 アメリカが保有する核兵器を「抑止力」と表現することもあるが、その実態は逆。日本が連合国に対してポツダム宣言を受諾すると通告した直後からアメリカの統合参謀本部(JCS)は核先制攻撃を想定、1948年になると「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」、翌年に出されたJCSの研究報告では70個の原爆をソ連の標的に落とすという内容が盛り込まれていた。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年) テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、1957年初頭にアメリカ軍はソ連に対する先制核攻撃の準備を開始している。当時、そうした攻撃に積極的だったのは空軍だという。 その3年前、第五福竜丸をはじめとする日本の漁船がアメリカの水爆実験で被曝した年に、日本では原子力予算案が国会に提出されている。その中心にいたのが中曽根康弘。その前年、ドワイト・アイゼンハワー米大統領が国連総会で行った「原子力の平和利用」という宣言を受けての動きだった。1956年1月には原子力委員会が設置され、初代委員長に読売新聞社主の正力松太郎が選ばれた。 アメリカ軍が核先制攻撃の準備を始めた頃、偵察機から得た情報でソ連が保有する長距離爆撃機は20機から30機程度にすぎないことがわかっていたほか、ICBM(大陸間弾道ミサイル)でもアメリカが圧倒していた。「ミサイル・ギャップ」や「爆撃機ギャップ」という話は嘘だったのである。 ソ連が反撃するためには中距離ミサイルを使うしかないわけだが、そのためにはアメリカ本土の近くにミサイルを配備する必要がある。アメリカもソ連も目をつけた場所は同じで、キューバだった。アメリカはキューバへの軍事侵攻を計画、アメリカ軍の直接的な介入を正当化するため、キューバ軍がアメリカを攻撃しているように見せかける「ノースウッズ作戦」を計画、その一方、ソ連はキューバへミサイルを持ち込む。 このノースウッズ作戦で中心的な役割を果たしたひとりはJCSの議長だったライマン・レムニッツァー。この人物は1955年から57年にかけて琉球民政長官を務めている。その任期中、1956年に公表された「プライス勧告」の中で沖縄は制約なき核兵器基地として位置づけられている。この勧告の背後には、具体的な核戦争プランがあった。 1963年10月、アメリカが保有するICBMは300基に達し、レムニッツァーやカーティス・ルメイといった好戦派はソ連を核攻撃する準備が整ったと判断するのだが、その前にジョン・F・ケネディ大統領という壁が存在した。その年の6月、ケネディはアメリカン大学の学位授与式(卒業式)でソ連との平和共存を訴える。そして1963年11月、大統領はテキサス州ダラスで暗殺された。その際、CIAは暗殺の黒幕はソ連、あるいはキューバだと宣伝するが、FBIからの情報でリンドン・ジョンソン大統領はソ連攻撃を承認しなかったとも言われている。 つまり、アメリカの好戦派にとって核兵器は先制攻撃の手段なのであり、「抑止力」ではない。防衛的ではなく、攻撃的な兵器なのである。現在の好戦派、ネオコン(アメリカの親イスラエル派)はロシアとの核戦争を目論んでいると疑われている。ミサイル防衛やNATOの拡大も、そうした計画を実行するための布石だと推測する人は少なくない。アメリカは侵略的で覇権主義の国であり、世界、いや人類の脅威になっている。このアメリカの嘘を口写しする人びとは、メディアであろうと、「革新勢力」であろうと、やはり人類にとって脅威である。
2014.03.24
ウクライナで実行されたクーデターの目的は「西側」の「国境なき巨大資本」にとって都合の良い体制を築くことにあり、その実行部隊はネオ・ナチだった。だからこそ、キエフに成立した暫定政権がオリガルヒ(「西側」と結びついた一種の政商)とネオ・ナチで成立している。 ネオ・ナチはヨーロッパ各国で規制されているように見えるが、裏では国家機関、国際機関、巨大資本などによって守られ、育てられてきたのだ。以前にも書いたことだが、ナチスの母体はロシア革命の翌年に創設された「トゥーレ協会」というカルト色の濃い貴族主体の団体だと考えられている。ロシア革命で国を追われた帝政ロシアの貴族も関係していたようだ。資金面を支えたのはドイツやアメリカの巨大資本。 そして1919年に「ドイツ労働者党」が結成され、翌年には「ナショナル社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」に改称された。当初の支持者は労働者階級が多く、「反ユダヤ」は主張されていたものの、「反資本主義」でもあった。そうした中から1921年にSA(突撃隊)が作られる。 ドイツでは「左翼」のSPD(社会民主党)とKPD(コミュニスト)が反目、その間隙を縫ってナチスが勢力を伸ばして1932年には第1党となり、翌年にはアドルフ・ヒトラーが首相に選ばれた。そして引き起こされたのが国会議事堂の放火事件。ナチスはKPDが実行したと宣伝、同党を非合法化した。続いて労働組合が解散させられ、SPDも禁止されてしまう。そして1934年、ナチスの中で労働者系だったSAの幹部がSS(親衛隊)によって粛清/虐殺され、巨大資本とナチスとのつながりが強まる。 この当時、アメリカ国務省の内部ではファシストを敵視するニューディール派とコミュニストを敵視するリガ派が存在、対立していた。リガ派とは、ラトビアのリガ、ドイツのベルリン、そしてポーランドのワルシャワの領事館へ赴任していた外交官たちが中心で、ジョージ・ケナンやジョセフ・グルーも含まれていた。第2次世界大戦後、日本を「右旋回」させたのは、このリガ派に連なる人びとだ。 大戦後、アメリカの反コミュニスト派はローマ教皇庁の協力を得てナチスの大物を逃走させるルートを築いた。いわゆる「ラット・ライン」だ。1947年からアメリカの第430 CIC(米陸軍対諜報部隊)のジェームズ・ミラノ少佐が統括することになる。この逃走工作には、現代版の「神聖ローマ帝国」を夢想していたクルノスラフ・ドラゴノビッチ神父も参加していた。 また、ナチス親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーは大戦の終盤に仲間を逃がすために「ディ・シュピンネ(蜘蛛)」を組織、スペイン、アルゼンチン、パラグアイ、チリ、ボリビアなどへ逃がして人数は約600名と言われている。やはりナチスの逃走組織ODESSAにも関わっている。 後にスコルツェニーは拘留されるが、1948年に脱獄、バイエルンの農場に隠れる。その農場を所有していたのはイルセ・リトイェなる女性で、後にふたりは結婚する。彼女のオジにあたるヒャルマール・シャハトはナチス時代、ドイツ国立銀行総裁や経済相を務めた人物。彼自身も戦後、非ナチ化法で有罪になって収監されたが、高等弁務官のジョン・マックロイに助け出されている。マックロイはロックフェラー財閥と関係が深い。 ドラゴノビッチのルートでアルゼンチンへ逃れ、ボリビアで活動したクラウス・バルビは1947年にCICに雇われるが、ジャーナリストのアレキサンダー・コックバーンとジェフリー・クレアーによると、「死刑になる可能性があるバルビをフランスに引き渡すことはない」とマックロイは語っている。 その頃、アメリカ国務省はナチスの残党やソ連の勢力下に入った地域から亡命してきた反コミュニスト勢力、つまりファシストを助け、雇い始める。いわゆる「ブラッドストーン作戦」だ。当然、スコルツェニーたちの逃走工作とリンクしている。ファシストを戦後のアメリカ政権は守った。ここにニュルンベルク裁判と東京裁判の本質が示されている。前にも書いたことだが、アメリカとファシストを結ぶ「深層海流」を隠し、責任の追及を止めることが最大の目的だったと考えるべきだ。 大戦中、アメリカとイギリスはゲリラ戦を目的としてジェドバラという部隊を編成、その人脈は戦後、OPCという極秘の破壊工作(テロ)組織を作り、ヨーロッパではソ連との戦争を想定して「残置部隊」を編成した。後にNATOが創設されると、その内部に入り込み、「NATOの秘密部隊」とも呼ばれるようになる。中でもイタリアのグラディオは有名。NATOへ加盟するためには、秘密の反共議定書にも署名する必要があるともいう。こうした秘密部隊のネットワークはOPCと強く結びついている。 1960年代から「NATOの秘密部隊」は西ヨーロッパの「左翼勢力」を潰すために動き始める。その一例がイタリアで実行された「極左」を装った爆弾攻撃。左翼への支持を減らし、治安体制を強化、ファシズム化を推進することが目的だった。いわゆる「緊張戦略」だ。 1950年からスペインで保護されていたスコルツェニーは1970年、アメリカのジェームズ・サンダース大佐と「パラダン・グループ」を創設、元親衛隊の隊員のほか、右翼やナショナリスト団体からメンバーを集めて軍事訓練、ネオ・ファシストのネットワークを築く上で重要な役割を果たしている。 ウクライナのネオ・ナチはOUNのステファン・バンデラ派を源流としているが、このグループが合流してできたWACL(世界反共連盟、現在の名称は世界自由民主主義連盟/WLFD)にもパラダン・グループは関係している。 そうしたネオ・ナチに含まれるUNA-UNSOは2006年頃、エストニアにあるNATO系の施設でメンバーが軍事訓練を受けたと言われているが、NATOの秘密部隊に属していると主張する人もいる。この辺は真偽不明だが、ネオ・ナチの歴史を振り返ると、そうであっても不思議ではない。ナチズム/ファシズムは戦後も生き続けてきた。ウクライナにファシスト国家が誕生する意味は大きく、人類存亡に関わる。
2014.03.23
ウクライナの経済は破綻している。EUと「連合協定」の締結に向けた準備を停止、ロシアとの協議を再開するとビクトル・ヤヌコビッチ大統領が11月21日に発表した最大の理由もここにある。天然ガスの価格の30%値下げ、150億ドルの支援をロシア政府が提示し、それを受け入れたのだ。EUとの協定が導く先にはギリシャのような状況が待ち受けている。 ロシアにとってウクライナは地政学的に重要な意味を持っている。1990年に東西ドイツの統一が問題になっていた際、アメリカの国務長官だったジェームズ・ベイカーはソ連の外務大臣だったエドゥアルド・シュワルナゼに対し、東へNATOを拡大することはないと約束、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領はそれを真に受けた。 ところが、1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニア、そして翌年にボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラビアからの独立を宣言、それに対してセルビア・モンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国を結成するのだが、そこからコソボが分離独立を図る。一連の独立を「西側」は支援、NATOは東へ拡大していく。そして1999年にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃するのだが、その際、爆撃を正当化するために流された話はことごとく嘘だった。 旧ソ連圏からのNATO加盟国は、1999年にチェコ、ハンガリー、ポーランド、2004年にブルガリア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニア、2009年にアルバニア、クロアチア。エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国にはNATO系の軍事訓練施設があり、ポーランドやリトアニアなどにはCIAの秘密尋問(拷問)施設が設置されている。 グルジアでは「バラ革命」、そして到達したのがウクライナ。「オレンジ革命」でビクトル・ユシチェンコが大統領に就任するが、いずれも「西側」の支配層や、その同盟者であるオリガルヒが仕掛けたものだ。ウクライナを「西側」が制圧すればロシアを弱体化させることができ、世界支配が実現するのだが、逆にロシアが押さえたなら、ロシアの影響力はEU、そして世界へと広がっていくと考える人は少なくない。つまり「唯一の超大国アメリカ」は実現できない。ウクライナは重要な位置にある。 軍事的に最も重要視されているのは、クリミアのセバストポリにあるロシア海軍黒海艦隊の軍港。クリミアが住民投票を経て独立、ロシアへ編入されたなら、ネオ・ナチを使ってクーデターを起こした意味が半減してしまう。 ロシア軍が実際に軍事侵攻してくれば軍事的に対応することも可能だが、今のところロシアは演習で威嚇しているだけ。そこで「経済制裁」という声が出てくるわけだが、経済戦争になるとEUは勿論、アメリカも崩壊する。アメリカの財務省証券を投げ売りし、ロシアの石油や天然ガスを購入している国々に対し、ドル以外の通貨を要求するだけでもアメリカには致命的なダメージになる。 立場上、アメリカ政府はロシアに対して強く出なければならないのだろうが、全面核兵器だけでなく、経済戦争も避けたいと考えているはず。イスラエルのモシェ・ヤーロン国防相はアメリカ政府を弱腰だと批判、それに同調している人もいるようだが、あらゆる意味で、そうしたことのできる状況ではない。ウラジミル・プーチン露大統領は「西側」の制裁を相手にしないとしているが、すでに「西側」が報復を恐れていることを理解しているから出てくる発言だ。ロシアのウクライナ救済策を取りやめるだけでも大きな影響が出ている。 地政学的な重要性だけでなく、「西側」にとってウクライナには経済的な魅力もある。有名な穀倉地帯であり、東部には工業都市も存在する。そこで、モンサントやカーギルなどのアグリビジネスやシェブロンのような巨大石油企業も食指を伸ばしてきた。EUと結びつくと、巨大資本の食い物になるということだ。 シェブロンは11月5日、ウクライナ西部で石油と天然ガスを50年間、開発することでウクライナ政府と合意、昨年12月13日にヌランド次官補が米国ウクライナ基金の大会で演壇に登場した際、彼女の背後にはシェブロンのマークが飾られていた。 ところが、11月21日、ウクライナ政府はEUと経済や政治などでの関係を強化する「連合協定」の締結に向けた準備を停止、ロシアとの協議を再開すると発表する。ロシア政府が天然ガスの価格を30%値下げし、150億ドルを支援すると提案、その好条件を受け入れたのだ。EUの実態を見てもわかるように、巨大資本は所詮、ターゲット国を食い物にするだけで、ロシア側の提案に乗ったのは当然だった。 そして、キエフではビクトル・ヤヌコビッチ大統領に対する抗議活動が始まる。2月21日に平和協定が調印され、事態が収束に向かいそうになったところでネオ・ナチが狙撃を始めて死者が急増、クーデターを成功させたわけである。その「功績」で現在、キエフではネオ・ナチが主導権を握ったようだ。アメリカはアル・カイダに続き、ネオ・ナチというモンスターを育て上げた。 その一方、キエフの暫定政権は「西側」との関係を強化する方向へ動いている。IMFが支援すると言われているが、カネを貸すというだけのこと。そのカネは支配層の懐へ入ってしまい、「西側」の金融機関へ還流していくのだろう。そして庶民は借金の返済を迫られ、緊縮政策を押しつけられる。 いわゆる「オレンジ革命」を経て大統領になったユシチェンコにしろ、今回のクーデターで首相になったアルセニー・ヤツェニュクにしろ、銀行出身でウクライナ国立銀行のトップを経験している。「西側」の金融機関にとっては好ましいのだろうが、ウクライナの庶民にとっては最悪。庶民の不満をネオ・ナチが抑え込むことになりそうだ。「西側」の支配された状態で自由や民主主義を実現することは困難で、庶民が豊かさを実現することも不可能に近い。
2014.03.22
クリミアのセバストポリはロシア海軍の黒海艦隊が拠点にしてきた。1991年にソ連が消滅するとクリミアはウクライナ領になり、セバストポリはウクライナ政府直轄の特別市になる。1997年にウクライナとロシアが結んだ協定でロシアは20年間の基地使用権を与えられ、さらに25年間の延長が認められた。またロシア軍は2万5000名を駐留させられることになり、協定が結ばれた当時から1万6000名が駐留している。 キエフではネオ・ナチによるクーデターで「西側」が支援する暫定政権が憲法の規定を無視する形で成立、ウクライナの東部や南部ではそれに反発する声が高まり、クリミアでは独立、ロシアへの編入が決まった。暫定政権や「西側」の政府やメディアはロシア軍が軍事侵攻したと宣伝していたが、クリミアにいるロシア軍は以前からそこに存在していた。ロシア政府がクリミアへの軍派遣に踏み切ったとする表現は正しくない。「西側」では「ロシア軍の派遣」が想定されていたのだろうか、それとも単なるイメージ戦術なのだろうか? ネオ・ナチを使い、強引にクーデターで「西側」の傀儡が実権を握った大きな理由はロシア海軍の拠点を潰すことにあったと見られている。危機感を持ったロシア政府が軍隊を派遣して制圧、それを軍事介入だと批判してロシアを追い込む、というようなシナリオを描いていた可能性がある。 ウクライナのNTU(ナショナル・テレビ)のCEO(最高経営責任者)代行、アレキサンダー・パンテレイモノフに辞表を書かせようと暴力を使い、脅しているのはネオ・ナチの中心的な存在であるスボボダのメンバー。 このスボボダとは「自由」を意味するのだが、ある年齢以上の人はルドビク・スボボダを思い出すだろう。ソ連圏に含まれていたチェコスロバキアでは1960年代の後半に自由化が進み、「プラハの春」と呼ばれるようになるのだが、その象徴になった政治家のひとりだ。この社会状況は1968年に14万人以上のソ連軍が侵攻することで終わる。 政党のスボボダは2004年まで「ウクライナ社会ナショナル党」と呼ばれていた。ナチの正式名称「ナショナル社会ドイツ労働者党」を連想させるので変更、スボボダとしたのも計算だろう。中東や北アフリカにおける体制転覆運動を「アラブの春」と「西側」のメディアが呼んだことも偶然とは思えない。キエフのクーデター派は1968年と同じ展開を望んでいた可能性がある。ロシア軍が入れば、自分たちが支持されていない現実を誤魔化すことができ、ロシアを真に孤立させることができる。今は「西側」の支配層と対立しているにすぎない。 現在、ウクライナ軍は東部へ移動していると言われているが、国境に近づくのを住民で編成された集団が阻止しようとしているとも言われている。そうした人びとを押さえ込むためにネオ・ナチのメンバーを送り込む一方、新たに創設を決めた「親衛隊」の訓練も始まっているようで、ロシア軍を引き出す挑発を始めても不思議ではない。挑発に失敗してネオ・ナチがコントロール不能になった場合のことも考えておく必要がある。
2014.03.22
2011年3月11日に東北地方の太平洋側を巨大地震が襲い、東電福島第一原発は「過酷事故」を起こしてメルトダウン、それ以降、多くの人は原発の「安全神話」をマスコミが広めて危険性を隠してきたことを知った。 地震/原発事故が起こった頃、リビアやシリアで反政府活動が相次いで活発化している。「西側」のメディアは平和的な民主化運動を独裁政権が弾圧、多くの死傷者が出ているというシナリオで報道していたが、しばらくすると事実は違うことが判明する。 その辺の事情は本ブログで繰り返し書いてきたので詳細は割愛するが、「西側」やペルシャ湾岸産油国のメディアが情報源にしていた「活動家」や「人権擁護団体」が嘘を発信していたのだ。 シリアにおける化学兵器の使用も「西側」やペルシャ湾岸産油国のメディアは政府側に責任を押しつけていたが、しばらくすると、そうした主張が科学的に成り立たないことをアメリカの学者が指摘、サウジアラビアが配下の戦闘集団(アル・カイダ)に遣らせていた可能性が高いことがわかる。 さらに、さかのぼって2003年、アメリカはイラクを先制攻撃したが、その際に宣伝された「大量破壊兵器」の話は全くの嘘だった。攻撃前からアメリカ政府の主張する情報が信頼できないことは知られていたが、「西側」のメディアは「大本営発表」を垂れ流している。 アメリカが戦争への道を暴走し始める切っ掛けは2001年9月11日の出来事、つまりニューヨークの世界貿易センターにあった超高層ビル2棟への航空機突入と国防総省の本部庁舎(ペンタゴン)に対する攻撃だった。この攻撃があった直後、アメリカ政府は実行犯としてアル・カイダの名前を繰り返し、そのリーダーとされたオサマ・ビン・ラディンを多くの人が知るようになった。 しかし、この攻撃を実際に誰が行ったのかは未だにはっきりしていない。雰囲気的に多くの人が「アル・カイダ犯行説」を信じているだけだ。アメリカ政府の内部が実行に関与した、あるいは犯行を事前に知っていた可能性をうかがわせる情報も少なくない。ビン・ラディン自身は攻撃に関与したことを否定していた。 さらに前、1999年にNATO軍がユーゴスラビアを先制攻撃しているが、そのときに攻撃を正当化するために流された情報も嘘だったことが判明している。続いて起こったコソボでの戦争も「西側」での報道は嘘だった。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) こうしたことを書いているときりがない。小説家の高見順は1945年8月19日付の日記に次のようなことを書いている: 「新聞は、今までの新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない。」 「政府の御用をつとめている。」 「度し難き厚顔無恥。」 現在の「西側」有力メディアにも当てはまること。ウクライナ情勢を伝える際にも、「西側」のメディアは重要な情報を隠している。隠された情報の中で、最も重要な事実はキエフの暫定政権においてネオ・ナチが大きな影響力を持っているということだ。ロシアとの友好的な関係が壊れ、しかもロシアとEUとの間にウクライナというファシズム国家ができたことで、EUはエネルギー源をアメリカのシェール・ガスに頼らざるをえなくなり、環大西洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)に取り込まれてアメリカの巨大資本に支配されると予測する人もいる。 しかし、それで収まる保証はない。ネオ・ナチと緊密な関係にあるネオコン(アメリカの親イスラエル派)、あるいはモシェ・ヤーロン国防相のようなイスラエルの好戦派、つまりウラジミール・ジャボチンスキーの信奉者たちは軍事力を前面に出すように要求している。善意に解釈すれば、ロシアを力で屈服させようとしている。そうでなければ、アメリカにロシアを核攻撃させようとしている。ネオコンに屈服したEUは、きわめて危険な状況の中に置かれた。ヤーロン国防相の発言を肯定するということは、核戦争を望んでいることに意味している。 今のところ、バラク・オバマ政権はロシアに対し、口先だけの「制裁」にとどめているが、要するに核戦争はしたくないということ。経済的な「制裁」でも報復されれば、EUほどでないにしても、大きなダメージを受ける。この報復で「ドル離れ」を実行されると、アメリカという国が崩壊しかねない。それでもロシアと戦えと言っているのがネオコン/イスラエルである。 少なくとも国際問題、社会問題などに興味を持っている人なら、メディアのプロパガンダ機関的な実態を知っているだろう。にもかかわらず、メディアの報道を信じているかのような発言をする「知識人」がいる。メディアが突然反省し、ジャーナリズムに目覚めたとでも思っているのだろうか?日頃、民主主義を尊重しているかのようなことを言う「リベラル派」、あるいは「革新勢力」も、実際はファシズムが大好きなのかもしれない。
2014.03.20
ウクライナの全国民が投票しない国民投票でクリミアの将来を決めることはできないとアメリカ政府は主張しているらしいが、日本にも同じことを言う人がいる。クリミアの独立を認めるなら沖縄の独立を認めなければならなくなると考えているのかもしれない。全当事者の合意が必要などというルールは、少なくともこれまでなかった。例えば、少なからぬ人が指摘しているように、「西側」がコソボをセルビアから切り取って独立させた際、アメリカはセルビア人の投票を認めていない。 ロシアへの「併合」という言葉に囚われている人もいるようだが、ロシアへの「復帰」という見方も存在する。クリミアなどロシア領だった地域をソ連の一部指導者が独断でウクライナへ贈呈したのであり、全ロシア国民の投票などなかった。住民にしてみると売り飛ばされたわけで、今回、本来の国へ復帰したことになる。 キエフの暫定政権が「西側」支配層と結びついたオリガルヒやネオ・ナチで構成され、資産略奪、人種差別、言論弾圧、さらに親衛隊まで創設しようとしている。キエフではユダヤ教のラビがユダヤ教徒に対し、できたらウクライナを出るように呼びかけていた。ロシア政府が「ロシア人保護」を口にしても不思議でない状況にあるということだ。 ウクライナ情勢を語るとき、「西側」の政府、メディア、そして一部「左翼」は暫定政権ができた経緯を無視、「暫定政権あれ!」と言ってから議論を始める。キエフは反ロシア派が多いと言われているが、それでも選挙で民主的に選ばれたビクトル・ヤヌコビッチ政権を「平和的」に倒すだけの力はなかった。そこでネオ・ナチが前面に出てクーデターを実行したわけだ。 戦闘集団は棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルを撃つだけでなく、警官隊(ベルクト)の隊員を拉致、拷問、そして殺害している。目を潰された状態で発見された隊員の死体もあるようだ。 さらに、ネオ・ナチはリビアやシリアで使われた手法もキエフで繰り返している。反ヤヌコビッチ派と警官隊、両方を狙撃したのだ。この件について、エストニアのウルマス・パエト外相がEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ報告している: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」「新連合はもはや信用できない。」 クーデターの前までウクライナの治安機関SBUの長官だったアレクサンドル・ヤキメンコによると、狙撃の第1発目は、アンドレイ・パルビーなる人物のグループが制圧していたビルから発射されたという。パルビーは「ウクライナ社会ナショナル党(スボボダの前身)」というネオ・ナチの政党を創設したひとりで、「オレンジ革命」では指導者のひとり。現在は国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の書記に就任している。 「西側」が正当性を認めたコソボで「独立運動」、あるはい「アルバニア併合」を主張していたKLA(コソボ解放軍)とは麻薬業者に毛の生えたような存在だった。そして成立したコソボ政権は誘拐や殺害を行い、違法な性的産業や人間の臓器売買にも深く関与していると言われている。やはり「西側」が正当性を認めているキエフの暫定政権は憲法の規定を無視、ネオ・ナチの暴力で誕生した。このファシスト政権に反対、ロシアへ復帰しようというクリミアを批判することに道理はない。
2014.03.20
クーデター後、キエフはナチズム色が濃くなっているようだ。テレビ局のトップを挿げ替えるにしても、遣り方が暴力的。そうした様子が知られることにも無頓着だ。これまでも、右派セクターを率いているひとり、アレキサンダー・ムージチコ(別名サーシャ・ビリー)が検察官事務所に押しかけてスタッフに暴力を振るったり、武装解除を求めてきた暫定政権の人間を恫喝している様子がインターネット上に流れているが、今度はスボボダのメンバーらが、ウクライナのNTU(ナショナル・テレビ)のCEO(最高経営責任者)代行に辞表を書かせようと脅している場面だ。 言うまでもなく、キエフでネオ・ナチがこれほど傍若無人に振る舞えるのは、暫定政権の内部で力を持っているからだが、その背景には「西側」が存在している。表面的にはネオコン(アメリカの親イスラエル派)が後押し、裏ではアメリカの特殊部隊と協力関係にある。 暫定政権で大統領代行や首相を出している『祖国』はオリガルヒや「西側」の「国境なき巨大資本」を後ろ盾にしているが、オリガルヒの大半はイスラエル系で、ネオ・ナチを支援している「反ユダヤ」のネオコンに近い。キエフの政権では「反ユダヤ」と「親イスラエル」が同居している。 ネオコンはウラジミール・ジャボチンスキーの系譜に属し、イスラエルの軍事強硬派と一心同体の関係にある。現在のイスラエル政府内で最も好戦的とも言われている国防相のモシェ・ヤーロンもウクライナ情勢に関し、アメリカ政府がロシアに対して弱腰だと発言、ネオコンやネオ・ナチと同じ立場だということを明確にしている。 キエフで主導権を握ったネオ・ナチはスボボダを中心に右派セクターとしてまとまっているようだが、UNA-UNSOも注目されている。アフガニスタンで戦った元ソ連兵が中心になって結成されたというのだが、2006年頃、エストニアにあるNATO系の施設でメンバーが軍事訓練を受けていると言われている。1991年からチェチェンやグルジアなどでNATOの汚い戦争を担当、「NATOの秘密部隊」に属しているという情報もある。 NATOに秘密部隊が存在することは1970年代から明らかになっていたが、公式に認められたのは1990年。判事の要求でジュリオ・アンドレオッチ首相はSISMI(イタリアの情報機関)の公文書保管庫の捜査もこの年の7月に認め、8月に部隊の存在を確認、10月に「いわゆるパラレルSID - グラディオ作戦」という報告書が公表されたのである。この後、NATO参加国には必ず秘密部隊が存在することも判明した。 前にも書いたことだが、中でも有名なイタリアのグラディオは1960年代から1980年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、左翼勢力の評判を落とすと同時に、治安体制を強化する環境を整えていた。いわゆる「緊張戦略」だ。 ジャーナリストのフィリップ・ウィランらによると、NATOへ加盟するためには秘密の反共議定書に署名する必要があり、「右翼過激派を守る」ことを義務づけていると言われている。NATOに新規加入した国も例外ではないだろう。 NATOはアメリカとイギリスが中心になり、ソ連に対抗するだけでなく、西ヨーロッパを支配する仕組みとして組織された。ソ連が消滅してもNATOを存在させる理由はあるということだ。 そして現在、NATOは全世界にネットワークを広げようとしている。中国が存在するアジアは特に重要で、ネオコン系のシンクタンク、PNACが2000年に公表した「米国防の再構築」でも強調されていた。1995年に国防次官補だったジョセフ・ナイが出した「東アジア戦略報告(いわゆるナイ・レポート)」も同じ戦略に基づくものだろう。 すでに、太平洋には1951年からアメリカを中心とするふたつの軍事同盟が存在していた。9月1日にアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの3カ国が結んだANZUS条約、その1週間後に安保条約だ。 この2同盟に参加する国々がNATOと一体化する道を歩み始めるのは2007年。この年、安倍晋三首相がNATO本部の訪問、要するに呼びつけられたことが節目になっている。このうちニュージーランドは反核政策のために離脱しているので、日本はアメリカ、オーストラリア、インドと「日米豪印戦略対話」を開催することになる。安倍晋三政権が集団的自衛権に固執する理由もここにあり、NATOの拡大を推進している勢力はロシアや中国との核戦争を厭わない。彼らは核戦争で完勝できると信じているのだ。 そして2008年、朝鮮半島では緊張緩和を目指していた韓国の盧武鉉大統領がスキャンダルで失脚、李明博が大統領に就任すると、日米同盟と米韓同盟が一体化していく。その翌年には韓国海軍の艦艇と朝鮮の警備艇が交戦する。 韓国側は朝鮮が領海を侵犯したと主張しているが、朝鮮側は「国籍不明」の艦船が朝鮮の領海を侵犯したので押し返そうとしていたとしている。交戦の前月、つまり韓国の艦艇が1日に10回も領海を侵犯していると朝鮮は抗議していた。 そして2010年、南北で境界線の確定していない微妙な海域で韓国の哨戒艦が爆発、沈没したのである。例によって日本では「朝鮮犯行説」が一方的に宣伝されていたが、ロサンゼルス・タイムズ紙はこの発表に疑問を投げかける記事を掲載している。 例えば、(1)なぜ「朝鮮犯行説」を沈没から2カ月後、選挙の直前に発表したのか、(2)米韓両軍が警戒態勢にある中、朝鮮の潜水艦が侵入して哨戒艦を撃沈させたうえ、姿を見られずに現場から離れることができるのか、(3)犠牲になった兵士の死因は溺死で、死体には爆破の影響が見られないのはなぜか、(4)爆発があったにもかかわらず近くに死んだ魚を発見できないのはなぜか、(5)調査団の内部で座礁説を唱えていた人物を追放したのはなぜかといった具合だ。 この年、「日中漁業協定」を無視する形で石垣海上保安部は中国の漁船を尖閣諸島の付近で取り締まり、日本と中国との関係は険悪化する。日本政府は田中角栄が日中共同声明に調印した際、尖閣諸島/釣魚台群島の問題を「棚上げ」にしたのだが、これ以降、この合意は存在しないと日本側は主張する。 この出来事は2011年3月に「東北地方太平洋沖地震」と東電福島第一原発の大事故でうやむやになりかかるが、翌年の4月に石原慎太郎が「ヘリテージ財団」主催のシンポジウムで講演、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南児島を東京都が買い取る意向を示し、消えかかった火を燃え上がらせている。 日本をNATOに組み込むためには日本人に好戦的な感情を起こさせる必要があり、そのために政治家もマスコミも努力している。NATOを太平洋地域まで広げる大きな理由は、ロシア、中国、イランというアメリカの思い通りにならない国々を包囲し、窒息させることにある。こうした動きに中国が反発するのは当然。ウクライナの状況とも深く関係している。「西側」がロシアの軍事的な拠点であるクリミアの独立に強く反発している理由は言うまでもないだろう。 ウクライナでネオ・ナチが台頭していることと、日本で安倍晋三や石原慎太郎のような人間がもてはやされることも根は一緒だ。
2014.03.19
「西側」やその傀儡である暫定ファシスト政権は住民投票を嫌がっていた。その前にクリミアをキエフのように火と血の海にし、ロシア軍が介入せざるをえない状況を作り、そうした中で住民投票を行わせ、その正当性を否定しようとしているのではないかと推測する人もいたが、クリミアでは早い段階から自衛軍を組織、外部からの侵入をチェックし、そうした事態は防いだ。 しかし、それでも完全に戦闘員が潜入するのを防ぐことは難しい。チェックを始める前から潜入しているしている人間もいるはずだ。ロシアからクリミアという軍事拠点を奪い、ロシア攻撃の準備をしたいとネオコンなど「西側」支配層の少なくとも一部は考えている。そうした人びとが活動を開始した可能性を示す出来事が起こった。 ウクライナ軍によると、クリミアの同軍基地が襲われて将校がひとり殺され、反撃の許可が出されたという。BBCは目撃者の話として、武装した一団がマークのない2台の車で乗りつけ、シムフェロポリの基地に自動火器を撃ちながら乱入したと伝えている。それに対し、インディペンデント紙によると、最初の銃撃はマンションから「ファシストの狙撃手」が撃ったもので、負傷したひとりは自衛軍のメンバーだったと地元の役人は主張している。別の報道では、基地近くのビルから狙撃が始まった後、自衛軍の兵士ひとりとウクライナ軍の兵士ひとりが殺された。スナイパーのひとりは拘束されたが、もうひとりは逃走中だという。 クリミアで住民投票が実施される直前、「アノニマス」と名乗る人物、あるいは集団が「電子メール」を明らかにした。自分たちでハッキングしたもので、ウクライナに駐在しているアメリカの駐在武官補佐官ジェイソン・グレシュ中佐とウクライナ参謀本部のイーゴリ・プロツュクとの間で交わされた通信とされるものも含まれている。ロシア軍の特殊部隊を装ってメリトポールのウクライナ空軍第25基地を3月15日までに襲撃するよう、グレシュ中佐は指示しているのだ。 この通信が本物だとしても、漏れたことがわかれば襲撃計画は中止になるだろう。とはいうものの、偽旗作戦、つまりロシア軍、あるいはクリミアの自衛軍を装った何らかの軍事行動をやめることは意味しない。別の作戦を実行すると考えるのが自然だ。 ふたつの対立している勢力が存在する場合、その両方を狙撃して事態を悪化させるという手口を「西側」はリビアやシリアでも使っていた。キエフのクーデターでも同じことが行われている可能性が高いことは、本ブログで何度も書いているように、エストニアのウルマス・パエト外相からEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)への報告も示している: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」「新連合はもはや信用できない。」 パエト大使は「新連合の誰か」が狙撃の黒幕だとしているが、クーデターの前までウクライナの治安機関SBUの長官だったアレクサンドル・ヤキメンコはアンドレイ・パルビーという名前を出している。 パルビーは1991年にオレフ・チャフニボクと一緒にネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党(スボボダの旧党名)」を創設した人物で、現在は暫定政権で「国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)」を率いている。パルビーはアメリカの特殊部隊に接触していたとヤキメンコは信じている。 第2次世界大戦前、ドイツは議事堂に放火して責任をコミュニストの押しつけ、日本は中国を侵略する口実を作るために柳条湖の近くで満鉄の線路を爆破したが、アメリカもベトナムへ本格的に軍事介入するため、特殊部隊に北ベトナムの施設を攻撃させ、トンキン湾事件をでっち上げたことがわかっている。 ジョージ・W・ブッシュ政権は「テロとの戦争」を宣言したが、庶民を操る呪文を「アカ」から「国際テロリズム」へ変更したのは1972年のこと。当時のCIA長官、リチャード・ヘルムズがそう指示している。1979年7月にはアメリカとイスラエルの情報活動関係者がエルサレムで「国際テロリズム」に関する会議を開催、その後、テロの黒幕をソ連だと主張しはじめる。「テロ」をソ連攻撃の口実にするという宣言だが、当時、イタリアで爆弾テロを実行していたのはアメリカの情報機関を黒幕とする「NATOの秘密部隊」。イタリアではグラディオと呼ばれていた。 アメリカでは電子情報機関NSAの監視活動を正当化するため、「テロ対策」を主張しているが、内部告発者のエドワード・スノーデンも「テロ対策」のためにNSAが活動しているわけでないと指摘している。「西側」の支配層にとって「テロリズム」とは、庶民の感情的な反応を引き出し、操るために必要な手段だということだ。 偽旗作戦のような詐術が有効な理由のひとつは、「強者」を正当化するストーリーになっているからだろう。つまり、体制に批判的なことを言っているような人びと、一般に「左翼」と呼ばれるが、その中の相当部分は「体制内左翼」、つまり「左翼風体制派」にすぎず、体制と真っ向から対決するつもりはないのだ。そこで、偽旗作戦は彼らにとっても好都合。インチキだとわかっても、騙された振りをした方が「利口」ということだ。 例えば、1933年から34年にかけて計画されたウォール街によるファシズム政権樹立を目指すクーデター、ベトナム戦争において反米的な傾向の強い地域で住民を皆殺しにしたり、都市部で「爆弾テロ」を実行したフェニックス・プログラム、西ヨーロッパでアメリカの巨大資本にとって都合の悪い勢力を潰す目的でも使われた「NATOの秘密部隊」などに「左翼」も触れたがらない。 こうしたアメリカの行為を認識したならば、アメリカ支配層がファシズムを支援、計画的に人びとを虐殺、「テロ部隊」を使って工作していることを認めなければならず、「左翼」を装うためにはアメリカの巨大資本と対決しなければならなくなる。当然、そうなれば「社会的地位」も「安定した生活」も危うい。「知らん振り」するのが一番、ということになる。
2014.03.19

ネオ・ナチが主導するクーデターで暫定政権がキエフに出現、それに反発するかのようにウクライナの東部や南部ではロシアへの復帰を望む声が高まっている。その先陣を切る形で3月16日にはクリミアで住民投票が実施された。投票率は83.1%。96.7%はロシアへの編入に賛成したという。 アメリカ政府など「西側」がクリミアで住民投票が実施されることを嫌がった大きな理由のひとつは、ロシアへの編入に賛成する人が圧倒的に多いことが予想できていたからだろうが、今回の投票結果はそうした予想以上に賛成は多かった。非ロシア系住民の人口は41.7%だからだ。 暫定政権ではネオ・ナチの影響力が大きく、東部の工業地帯ではオリガルヒ(一種の政商)が知事として乗り込んで略奪の準備を始めている。そうした状況に対する危機感が編入に賛成する人を増やしたと考えるのが自然だ。ウクライナ系もタタール系もネオ・ナチとオリガルヒの体制を望んでいない。 しかし、キエフのクーデターを正当化したい「西側」の政府やメディアは、「民主化を望む人びとをビクトル・ヤヌコビッチ政権が弾圧した」というストーリーを変更するわけにはいかない。クーデターの結果と「民意」は一致するということにしないと、クーデターの正当性は崩壊してしまう。 これまで「西側」のメディアは、つい最近まで自分たちが言っていたことまで否定して「民主化幻想」を広めてきたが、クリミアの住民投票はその工作を台無しにしかねない。そのため、「ロシアの武力による脅しと威嚇」のためだと言わざるをえないわけだ。嘘は嘘で支えるしかない。 暫定政権で治安や軍を統括するポジションはネオ・ナチが支配している。少数の支持者で体制を転覆しようとすれば、暴力を使うしかなく、数の不足は強度で補うことになる。そこで、「西側」はファシストを使い、その代償としてポストを提供したのだが、その副作用はすでに現れ始めている。 それでも、カネ勘定はオリガルヒが押さえている。言うまでもなく、オルガルヒの背後は「西側」の「国境なき巨大資本」。そのオリガルヒを象徴する人物が暫定政権で首相を名乗るアルセニー・ヤツェニュクだ。ビクトリア・ヌランド米国務次官補が高く評価していた人物で、「祖国」に所属する前、ウクライナ国立銀行の頭取や外相を務めている。 ヌランドはネオコン(アメリカの親イスラエル派)に属し、話し合いで問題を解決しよとしていたEUに対し、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にするほど下品で暴力好き。そうした考え方の人物がアメリカのウクライナ政策を動かしているようで、ネオ・ナチに頼ることになった。その結果、キエフは火と血の海になったわけだ。 このクーデターで指揮を執っていたのは、ネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党(スボボダの旧党名)」を創設したひとり、現在は暫定政権の「国家安全保障国防会議」で書記を務め、国防省や軍を統括する立場にあるアンドレイ・パルビー。 クーデターの前までウクライナの治安機関SBUの長官だったアレクサンドル・ヤキメンコによると、狙撃の第1発目が発射されたのはパルビーに制圧されていたビル。パルビーはアメリカの特殊部隊に接触していたとヤキメンコは信じている。 2月22日以降、屋上からの反ロシア派や警官隊、双方を狙撃したのが反ヤヌコビッチ派だということはEUも2月26日には知っていた。エストニアのウルマス・パエト外相がEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ次のように報告しているのだ: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としたうえで、「新連合はもはや信用できない」としている。 しかし、「西側」は「信用できない」暫定政権をあくまでも使おうとしている。ネオコンが後押ししているネオ・ナチはバルト諸国にあるNATO系施設でメンバーを軍事訓練、中にはチェチェンやシリアでの戦闘を通じてアル・カイダ(イスラム教スンニ派の武装集団)と緊密な関係にある人物もいる。そうした戦闘員を動かしているのはアメリカの特殊部隊だとする情報も流れている。 ネオコンはあくまでも軍事的にウクライナを制圧したいと考えているようで、アメリカのジョン・マケイン上院議員やディック・ダービン上院議員はバラク・オバマ大統領に対し、武器を暫定政権側に送るように求めている。 ウクライナでは治安機関や軍の相当部分が暫定政権に忠誠を誓っていないようで、6万人規模の親衛隊を作るらしい。武器を送るとなると、ネオ・ナチの親衛隊が手にすることになりそうだ。さすがに、こうした流れを危険だと感じる人が「西側」支配層に出てきたようで、ネオ・ファシストの危険性をメディアも取り上げるようになってきたが、手遅れのようにも見える。 こうしたキエフのファシスト体制をウクライナの東部や南部が拒否、自治、あるいは独立への道を歩もうとするのは当然のこと。選挙で民主的に成立した政権をネオ・ナチの暴力を使って潰して誕生した暫定政権を認めている「西側」が、クーデターで成立したファシスト政権から離脱する動きに対してどのように対応するのだろうか? 「自由」、「民主」、「人権」を掲げている「西側」の本性が今、明らかになりつつある。
2014.03.18
ロシアの構成主体としてロシアに加盟するかどうかを問う住民投票が3月16日にクリミアで実施された。投票率は80%を超え、そのうち95%以上が加盟に賛成したという。棄権した人も含め、全住民の4分の3以上が賛成したということになる。住民の意思は明確に示された。 アメリカや日本では最近、投票の不正が指摘されているが、クリミアは国外からの監視団もいて、日米に比べれば遥かに公正なものだったようだ。その投票結果を「西側」は受け入れないという意思を示している。ネオ・ナチのクーデターで実権を握ったキエフの暫定政権を正当だとする一方、「民意」を認めないというわけだ。 言うまでもなく、その「西側」には日本も含まれる。その日本では面積で全体の0.6%にすぎない沖縄にアメリカ軍基地の74%が置かれ、この状況に沖縄人は抗議、基地を県外へ移設するように求めている。そうした沖縄人の要求を正当だと認めた鳩山由紀夫首相は「最低でも県外」と言ったのだが、この発言を日本のマスコミは激しく攻撃し、最終的には辞任に追い込んだ。沖縄の「民意」をマスコミは潰したわけで、そのマスコミがクリミアの「民意」を否定するは必然だと言える。無惨な必然。 マスコミは「民意」を否定する、つまり民主主義に反対するという点で筋が通っているのかもしれないが、沖縄の米軍基地を県外へ移設すべきだと言っているにもかかわらず、クリミアの「民意」を否定する人もいる。クリミアの住民を差別しているのか、沖縄の基地問題に対する姿勢がまやかしなのだろう。 今回の住民投票でロシア加盟に賛成する人がこれだけ増えた一因は、キエフの暫定政権でネオ・ナチが大きな影響力を持っていることに対する危機感がある。クーデターでそのネオ・ナチが何をしたのか、東部の地域で何をしているのか、といった情報が入っているはずで、拒絶するのは当たり前だ。ネオ・ナチのクリミア侵入は何とか阻止され、投票での混乱は避けられたようだが、これからも暫定政権の「テロ工作」は続くだろう。 暫定政権で首相を名乗るアルセニー・ヤツェニュクは、ビクトリア・ヌランド米国務次官補が高く評価していた人物で、「祖国」に所属する前、ウクライナ国立銀行の頭取や外相を務めている。そのヤツェニュクは東部の工業都市へオリガルヒを送り込んでいる。言うまでもなく、オリガルヒは政府の要人と手を組み、不正な手段で国民の財産を盗んで巨万の富を手に入れた人びとだ。この露骨な略奪政策も住民を怒らせている。
2014.03.17
ウクライナには「西側」が憲法を無視して作った暫定政権と、その暫定政権に国を追われた大統領が存在している。暫定政権はクーデターで誕生したのだが、その実戦部隊がネオ・ナチだということは本ブログで何度も書いたこと。その主要ポストを眺めると、「西側」の「国境なき巨大資本」と結びついたオリガルヒとネオ・ナチで構成されている。 クーデターの前までウクライナの治安機関SBUの長官だったアレクサンドル・ヤキメンコによると、狙撃や火焔瓶などで市街を火と血の海にしたのはアンドレイ・パルビー。現在は国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)を統括している人物だが、このパルビーはアメリカの特殊部隊に接触しているとヤキメンコは信じている。 「アノニマス」と名乗る集団がハッキングで入手した電子メールとされるものが公開されているが、その中にはアメリカの駐在武官補佐官ジェイソン・グレシュ中佐とウクライナ参謀本部のイーゴリ・プロツュクとの間で交わされたものがある。この電子メールが本物なら、キエフのクーデターにアメリカ軍が関与していることになる。 スナイパーを使って多くの人を死傷させたのは暫定政権側だということをEUも認識していることは、エストニアのウルマス・パエト外相とEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)との会話で明らか。2月26日、パエト外相はアシュトン上級代表に対し、次のように言っている: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としたうえで、「新連合はもはや信用できない」としている。 このネオ・ナチにはネオ・ナチの思惑があるのだろうが、彼らを使っている勢力の目的は別だ。ズビグネフ・ブレジンスキーは1997年頃からウクライナを制圧することでロシアを潰す戦略を立てていた。 また、ロバート・ゲーツ元国防長官の回顧録『任務』によると、リチャード・チェイニーはジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領を務めていたとき、ソ連やロシア帝国が消滅するだけでは不十分で、ロシアという存在自体を抹殺するべきだと話していたという。そのためにもウクライナの制圧は重要な意味を持つ。 こうした地政学的な視点だけでなく、巨大資本のカネ儲けもウクライナ支配の大きな動機だ。その点を露骨に口にした人物がアメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補。 昨年12月13日、ヌランド次官補は米国ウクライナ基金の大会で演壇に登場、1991年からウクライナを支援するため、50億ドルを投資したと発言している。その際、彼女の背後には巨大石油企業シェブロンのマークが飾られていた。 そのシェブロンは11月5日、ウクライナ西部で石油と天然ガスを50年間、開発することでウクライナ政府と合意している。同社の総投資額は100億ドルになるとウクライナ政府は語っていた。 現在、ウクライナはロシアの石油に頼っているが、アメリカ企業がウクライナで油田を開発することで、ロシアから自立させようという思惑もあるようだ。これは、ジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使の話だ。EUもウクライナ経由でロシアから石油を輸入しているわけで、EUに対するロシアの影響力を弱められるということにもなる。 ヌランドとウクライナ政府の閣僚人事について話し合った会話が盗聴され、内容が公表されたジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使は、ウクライナのエネルギー自立を強めるため、ウクライナ政府に協力すると固く決意していると語っている。 エネルギーだけでなく、モンサントやカーギルなど、アグリビジネスもウクライナに食い込もうとしてた。 ところが、11月21日、ウクライナ政府はEUと経済や政治などでの関係を強化する「連合協定」の締結に向けた準備を停止、ロシアとの協議を再開すると発表する。ロシア政府が天然ガスの価格を30%値下げし、150億ドルを支援すると提案、その好条件を受け入れたのだ。EUの実態を見てもわかるように、巨大資本は所詮、ターゲット国を食い物にするだけで、ロシア側の提案に乗ったのは当然だった。 そして、キエフではビクトル・ヤヌコビッチ大統領に対する抗議活動が始まる。2月21日に平和協定が調印され、事態が収束に向かいそうになったところでネオ・ナチが狙撃を始めて死者が急増、クーデターを成功させたわけである。その「功績」で現在、キエフではネオ・ナチが主導権を握ったようだ。アメリカはアル・カイダに続き、ネオ・ナチというモンスターを育て上げた。
2014.03.17
エドワード・スノーデンの内部告発により、アメリカとイギリスが電子情報機関を使って全世界の人びとの通信を傍受、記録、分析していることを多くの人が知るようになったが、ここにきてアメリカの悪事が盗聴で明らかにされている。「西側」のメディアは知らない振りをしているが、インターネット上に広がった情報を消し去ることはできない。 最近の例では、「アノニマス」と名乗る集団によるハッキングがある。彼らがハッキングで入手した電子メールの中には、アメリカの駐在武官補佐官ジェイソン・グレシュ中佐とウクライナ参謀本部のイーゴリ・プロツュクとの間で交わされたものも含まれていた。 それによると、ロシア軍の軍服を着せた戦闘員にウクライナ軍基地を襲撃させ、ロシアがウクライナへ侵攻しているように見せかけようとしていた。ロシア軍の特殊部隊を装ってメリトポールのウクライナ空軍第25基地を3月15日までに、つまりクリミアで住民投票が行われる前に襲撃するよう、グレシュ中佐は指示しているのだ。 この電子メールの真偽は不明だが、キューバへの軍事侵攻を正当化するために立てられた偽旗作戦「ノースウッズ」と基本的に同じだとは言える。(この作戦については、拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) 昨年11月2日から9日にかけてNATO(北大西洋条約機構)が行った軍事演習「不動のジャズ」にウクライナも参加していることを考えると、少なくともウクライナ軍の一部上層部はNATO/アメリカの指揮で動いていると考えるべきだろう。 シリアの化学兵器を「西側」が問題にしているときにもウクライナの名前が出てきた。カタール政府がイギリスのセキュリティ会社「ブリタム防衛」に対して送ったという電子メールなるものが公表されたのだが、それによると、シリアのホムスに化学兵器を持ち込み、ロシア語の話せるウクライナ人を使ってロシアに責任をなすりつけられないかとカタール政府は相談している。シリアでの工作にウクライナが出てくるのは興味深い。 その後、イギリスやフランスはシリア政府軍が化学兵器を使ったとする主張を繰り返したが、国連独立調査委員会メンバー、カーラ・デル・ポンテは反政府軍が化学兵器を使った疑いは濃厚であり、政府軍が使用したとする証拠は見つかっていないと発言している。 また、ジョージ・W・ブッシュ政権でコリン・パウエル国務長官の首席補佐官を務めたローレンス・ウィルカーソン退役大佐はこの件に関し、イスラエルが「偽旗作戦」を実行した可能性があるとしていた。 「西側」の政府やメディアは触れたがらないが、インターネットでは広まっているものもある。例えば、アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補とジェオフリー・パイアット駐ウクライナ大使との謀議。ふたりはウクライナの閣僚に誰を入れるかと相談しているが、その後、ヌランドはパイアットに対して次のように語っている: 「あなたにも話したか、ワシントンに話しただけなのか覚えていないんだけれど、今朝、ジェフ・フェルトマンと話した際、新しい国連のヤツの名前を聞いたわ。ロバート・セリーよ。この話、今朝、あなたに書いたかしら?」 フェルトマントはアメリカ国務省の近東担当次官補や駐レバノン大使を務めた人物で、国連事務次長。イラン、シリア、ヒズボラを露骨に敵視していることで知られている。そのフェルトマンを国連の要職に就けた潘基文国連事務総長もアメリカ政府の傀儡だと言えるだろう。 ヌランドはフェルトマンからセリーの話を聞いて喜んでいるのだが、その理由はEUのロシアに対する対応がソフトだと不満を持っていたから。そして、彼女は「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたわけだ。 これ以上に重要な盗聴は、エストニアのウルマス・パエト外相がEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へかけた電話。2月25日にキエフ入りしたパエト外相は翌日、アシュトン上級代表に現地の状況を報告、その中で次のようなことを言っている: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としたうえで、「新連合はもはや信用できない」としている。なお、この会話は本物だとパエト外相は認めている。 そして、アシュトンの口から衝撃的な発言が飛び出す。「議会を機能させなければならない」と応じたのだ。暫定政権を潰すわけにはいかないということであり、そのために事実を明らかにすることはできないということだろう。 クーデターの前までウクライナの治安機関SBUの長官だったアレクサンドル・ヤキメンコによると、狙撃の第1発目は、アンドレイ・パルビーなる人物のグループが制圧していたビルから発射されたという。 パルビーは「ウクライナ社会ナショナル党(スボボダの前身)」というネオ・ナチの政党の共同創設者のひとりで、「オレンジ革命」では指導者のひとりだった。現在は国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の書記に就任している。 ヤキメンコによると、スナイパーは10人編成のグループがふたつあり、狙撃部隊のメンバーにはウクライナの特殊部隊員も含まれていたようだが、ユーゴスラビアなど他国からやって来た傭兵が主力で、彼らはアメリカ大使館に住んでいたという。パルビーはアメリカの特殊部隊に接触しているとヤキメンコは信じている。
2014.03.15
インターネットの発達した現在では大手メディアのフィルターを通らずに流れる情報も多いのだが、それでもメディアの影響力は大きく、かつて「情報のプロ」だったはず人物も「西側」メディアが流すウクライナに関する偽情報に影響されているようだ。「歴史の偽造は許さない」と叫んでいる「革新勢力」もウクライナ情勢に関したは、リビアやシリアの時と同様、「事実の偽造」に荷担している。 アメリカ支配層のうちウォール街を拠点とする金融資本は昔から「事実の偽造」、つまり情報操作を重視してきた。例えば、1933年から34年にかけて進められた反フランクリン・ルーズベルトのクーデター計画でも新聞を使って自分たちの行動を正当化しようとしていた。 1930年代の初頭、ファシズムはドイツだけでなく、ヨーロッパ全域で勢力を伸ばしていた。ウォール街が注目していたのはフランスの「クロワ・ド・フ(火の十字軍)」なる組織。その運動と同じように50万名規模の人間を動員できる組織をアメリカでも作ろうとしていた。これだけの人間を動員できる組織としてウォール街が想定していたのは在郷軍人会だ。 この計画でひとつのネックになっていたのは海兵隊のスメドリー・バトラー退役少将。名誉勲章を2度授与された伝説的な軍人で、その名を冠した基地が沖縄にある。軍隊の内部にも大きな影響力を維持していたことから、クーデターを成功させるためにはバトラーを抱き込む必要があった。 そこで、クーデター派はバトラーに接近、「我々には新聞がある。大統領の健康が悪化しているというキャンペーンを始めるつもりだ。皆、大統領を見てそのように言うことだろう。愚かなアメリカ人はすぐに騙されるはずだ。」と語っている。 第2次世界大戦後、アメリカでは情報操作を実行するための仕組みが作られたと言われている。いわゆる「モッキンバード」。ジャーナリストのデボラ・デイビスによると、このプロジェクトで中心的な役割を果たしたのは4名、つまりアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハム。 ダレスは兄のジョン・フォスター・ダレスと同じようにウォール街の大物弁護士で、大戦中から情報機関で破壊活動を指揮し始めた。ウィズナーもウォール街の弁護士で、ダレスの側近。大戦後、破壊活動(テロ活動)を実行するために組織された秘密機関OPCを指揮している。 ヘルムズはOSS(戦時情報機関で、CIAの前身)に入る前、通信社や新聞社で働いた経験がある。彼の祖父にあたるゲイツ・ホワイト・マクガラーは国際的な投資家で、ニューズウィーク誌にも大きな影響力を持っていた。OSSでヘルムズもダレスの側近になっている。 そして、グラハムはワシントン・ポスト紙のオーナー。1940年に結婚した相手、キャサリン・グラハムは後にウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン政権を追い詰めたことで有名になる。彼女の父、ユージン・メイアーは金融界の大物で、顧客の中にはJPモルガンも含まれていた。その後、世界銀行の初代総裁に就任する。 グラハムは第二次世界大戦中、陸軍の情報部に所属、東南アジアで活動している際にダレスたちと親しくなったと言われている。この関係のおかげでワシントン・ポスト紙は戦後、急成長して「有力紙」と呼ばれるまでに成長したという。 ウォール街/情報機関のメディア操作の一端は1970年代、上院の「情報活動に関する政府工作を調査する特別委員会」や下院で「情報特別委員会」で明らかにされ、1977年にはワシントン・ポスト紙を退社して間もないカール・バーンスタインがローリング・ストーン誌に「CIAとメディア」というタイトルの記事を書いた。 それによると、CIAに雇われているジャーナリストは400名以上で、大手メディアの大半が協力関係にあることも具体的に指摘、例えば1950年から66年にかけて、ニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供しているとしている。また、記者の組合である「ANG(アメリカ新聞ギルド)」のスタッフもCIAの仕事をしていたという。 フィリップ・グラハムはジョン・F・ケネディ大統領が暗殺される3カ月前に自殺、新社主にはキャサリンが就任した。キャサリンは交友関係が広く、友人のひとりはフランク・ウィズナーの妻だった。ちなみに、ケネディ暗殺の瞬間を撮影した「ザプルーダー・フィルム」を隠すように命じたLIFE誌の発行人、C・D・ジャクソンも情報操作プロジェクトの協力者だ。 ロナルド・レーガン大統領が「プロジェクト・デモクラシー」という情報操作プロジェクトを推進中の1988年、キャサリン・グラハムはCIAの新人に対し、次のように語ったという: 「我々は汚く危険な世界に生きている。一般大衆の知る必要がなく、知ってはならない情報がある。政府が合法的に秘密を維持することができ、新聞が知っている事実のうち何を報道するかを決めることができるとき、民主主義が花開くと私は信じている。」 ウクライナでネオ・ナチの暴力を使ったクーデターが実行され、その背後にアメリカの情報機関やネオコン(親イスラエル派)が存在、狙撃で多くの人を殺したのが暫定政権派だということ、クリミアへの「ロシア軍侵攻」という情報が正しくないというようなことをアメリカの一般大衆は知るべきでないとメディアは考えているのだろう。その結果、キエフではファシストが主導権を握ったのだが、これを「西側」では「民主主義」と呼ぶ。
2014.03.15
クリミアでは3月16日に住民投票が予定されている。ロシアの構成主体としてロシアに加盟するかどうかを問うもので、圧倒的多数が加盟に賛成すると見られている。つまり、「西側」にとっても、「西側」に支援されたオリガルヒとネオ・ナチの連合した「暫定政権」にとっても都合の悪い結果が出そうだということだ。そこで、欧州安全保障協力機構(OSCE)はオブザーバーの派遣を拒否した。 ソ連消滅後に独立宣言が相次ぎ、コソボのように一部の地域が離脱したケースは多い。いずれも問題にならなかったのは、「西側」にとって都合が良かったからに他ならないわけで、クリミアの場合だけ違法だとする主張は論理的に成り立たず、「義」はない。 住民投票に反対する立場から少数民族のタタールを持ち出す人もいるが、これも奇妙な話。問題はロシア系住民とタタール系住民の対立にあるのではなく、クーデターで実権を握ったオリガルヒとネオ・ナチの暫定政権とロシア系住民との対立。正当性のないファシスト政権に従いたくないとロシア系住民は主張しているのだ。 キエフのネオ・ナチがチェチェンやシリアで戦うイスラム教スンニ派の武装集団、つまりアル・カイダと緊密な関係にあり、その戦闘員がウクライナへ入っている情報があることは本ブログでも書いた。その一部がクリミアのタタール人に混じっているとも言われている。つまり、「西側」は例によって少数民族を手先に使おうとしている。 例えば、アメリカの情報機関はインドシナ戦争の際、黄金の三角地帯で栽培されていたケシを原料にした麻薬で資金を稼いでいたが、その地域で生活していた少数民族を使っていた。中国での工作ではウイグル族やチベット族が利用されている。 チベットのラサでは1959年に住民が蜂起、数万人が犠牲になったとされているが、この時に指導者のダライ・ラマ14世はインドへ脱出、1960年代にCIAと結びいたことが知られている。当時、年間170万ドルを受け取っていたという。アメリカのロッキー山中でチベット人に対する軍事訓練も実施している。 こうした少数民族、あるいは少数派の問題は、少し引いてみると別の光景が広がっていることがわかる。つまり、多数派と少数派の対立で少数派に見えた勢力の背後にはより巨大な勢力が存在し、多数派に見えた勢力は少数派にすぎないということだ。 クリミアのタタール人は13世紀にやって来た人びと。ロシア人が入ってくるのは18世紀、トルコ(オスマン帝国)との戦争にロシアが勝ってからだ。その後、ソ連時代にニキータ・フルシチョフが独断でクリミア州をウクライナへ移管、ソ連消滅後の1992年に独立を宣言したが、ウクライナ内の自治区になることで落ち着いた。 1990年代にはロシアとウクライナとの間で2万5000名までの部隊をロシア軍は駐留させられるという取り決めができ、それ以来、1万6000名がクリミアに駐留している。その駐留軍をキエフの暫定ファシスト政権や「西側」はロシア軍の「軍事侵攻」と宣伝している。 クリミア問題の根本はキエフの暫定政権にある。その背後関係、成立の過程、そしてネオ・ナチが治安や軍を押さえている実態を見て、クリミアでウクライナから離脱するべきだという声が高まったわけだ。その本質が議論されることを避けるため、アメリカやEUの支配層やメディアはネオ・ナチの問題を封印している。ちょっと調べればわかることだが、気づかないふりをしている。
2014.03.14

第2次世界大戦の前も後も、「西側」支配層の中にはファシストに好意的な勢力が存在する。ナチスがドイツで独裁体制を築く過程でアメリカの巨大資本が果たした役割が大きく、大戦後にはアメリカ政府がファシストの逃走を助け、擁護し、雇っていることは、アメリカン大学のクリストファー・シンプソンらの研究によって明らかにされてきた。 現在、EUではネオ・ナチの活動が規制されているとされているが、これは表面的なこと。鉤十字を愛好するゴロツキ、あるいはイスラエルによる破壊と殺戮、あるいは差別を批判する人びとを取り締まっているにすぎない。「西側」の支配層がファシストと闘っているなどというのは妄想だ。 大戦後、「西側」では巨大資本がカネを儲ける障害になる人びとや団体、一般に左翼と言われている勢力を潰す体制が作られた。NATOの秘密部隊だ。この存在は1970年代に武器庫が偶然、発見されて明るみに出るが、公式に認められたのは1990年。この年の8月にイタリアのジュリオ・アンドレオッティ首相が存在を確認、10月には「いわゆるパラレルSID - グラディオ作戦」という報告書が公表された。 中でもイタリアのグラディオは有名で、1960年代から1980年頃まで「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、左翼勢力の評判を落とすと同時に、治安体制を強化していった。いわゆる「緊張戦略」だ。 ジャーナリストのフィリップ・ウィランらによると、NATOへ加盟するためには秘密の反共議定書に署名する必要があり、「右翼過激派を守る」ことを義務づけていると言われている。必然的にファシストと手を組むことになる。すでに、ウクライナにはこの秘密部隊のネットワークができているようだ。 ところで、ナチスの誕生にはヨーロッパの貴族階級が関係している。このことは本ブログでもすでに書いたことだが、育成にはドイツだけでなく、アメリカの巨大資本が協力している。戦後はソ連情報を入手することもあり、国務省やCIAはナチスの元高官や協力者をアメリカへ入国させ、保護していた。1948年から50年にかけて実行された「ブラッドストーン作戦」だ。 ナチス残党の逃走ルートは一般に「ラットライン」と呼ばれているが、そのルートを作る際にジョバンニ・モンティニ、後のパウロ六世が協力している。モンティニは大戦前からジェームズ・アングルトンやアレン・ダレスを介してアメリカの情報機関と結びついているが、その関係は戦後も続く。 この逃走ルートを1947年以降、統括していたのはアメリカ軍第430CICのジェームズ・ミラノ少佐だと言われているが、その協力者の中にクルノスラフ・ドラゴノビッチ神父も含まれていた。ドラゴノビッチが逃がした元ナチのひとりが「リヨンの屠殺人」と呼ばれたクラウス・バルビー。大戦中、フランスのリヨンでナチス・ドイツの秘密警察、ゲシュタポの指揮官を務めていた人物である。 ドラゴノビッチは「インターマリウム」と呼ばれるカトリック系組織の幹部。この組織はバルト海からエーゲ海までをカトリック国で統一、ハプスブルク家が支配する「汎ドナウ連邦」、現代版の「神聖ローマ帝国」を建設することを目的としていたという。 こうした「西側」支配層とナチス/ファシストとの関係は現在まで続いているが、それを明確に見せているのが現在のウクライナ情勢だ。 大戦前、ウクライナではイェブヘーン・コノバーレツィなる人物を中心にしてOUN(ウクライナ民族主義者機構)が創設されている。1938年にソ連のエージェントがコノバーレツィを暗殺、アンドレイ・メルニクが引き継ぐ。このメルニクが穏健すぎると不満をもつメンバーはステファン・バンデラの周辺に集まるのだが、この一派をイギリスの情報機関MI6が雇っている。後にナチスと手を組み、戦後はCIAとつながった。現在、ウクライナで治安機関や軍を統括しているネオ・ナチは、このバンデラの流れだ。 OUNのバンデラ派は1943年11月に「反ボルシェビキ戦線」を設立、戦後、46年4月にはABN(反ボルシェビキ国家連合)となり、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)と合体してWACL(世界反共連盟)になった。WACL誕生の黒幕はCIAだ。 今回、ウクライナでのクーデターを主導したのはネオコン(アメリカの親イスラエル派/シオニスト)のようだが、その源はウラジミール・ジャボチンスキー。オデッサ(当時は帝政ロシア、現在のウクライナ)の生まれで、1925年に「修正主義シオニスト世界連合」を結成、イスラエル軍の母体になるハガナを創設した。ジャボチンスキーは第1次世界大戦の際にイギリス軍に参加。第2次世界大戦のときにハガナはMI6やイギリスの破壊工作機関SOEから訓練を受けている。 1931年にハガナからイルグンが分離、40年にはイルグンからレヒが分離する。レヒを率いていたアブラハム・スターンは1940年にイタリアのベニト・ムッソリーニと接触、さらにアドルフ・ヒトラーのドイツへ接近した。 大戦後の1948年4月4日、建国を目指すシオニストは先住のアラブ系住民を追い出す目的で破壊と虐殺を開始するが、その象徴的な出来事が4月9日のデイル・ヤシン村における虐殺。早朝、男が仕事でいない時を狙って襲撃、254名が惨殺されたと報告されている。この襲撃を実行したのがイルグンとレヒ(スターン・ギャング)。 その後、イスラエルは国連の決議も無視、アラブ系住民の住む地域を破壊し、虐殺も繰り返してきた。こうしたイスラエルの残虐行為を批判する人びとに浴びせられるのが「反ユダヤ主義」という非難。ナチスが行ったことも持ち出される。 ウクライナの体制を「西側」にとって都合の良い体制へ作り替えるため、ネオ・ナチが使われているのだが、必然的にユダヤ系の住民に不安を呼び起こしてきた。そのため、キエフではユダヤ教のラビがユダヤ教徒に対し、キエフを、できたらウクライナを出るように呼びかけていた。実際、ユダヤ系やアラブ系の留学生がナイフで脅されるだけでなく、襲撃され、殺された学生もいるようだ。 しかし、「ユダヤ系団体」はネオ・ナチに対して沈黙を守っている。そもそも、ネオコンがネオ・ナチと手を組み、利用しているわけで、シオニストとユダヤ人の利害が一致しているとは言えない。また、シオニストとファシストが敵対しているとも言えない。
2014.03.14

ウクライナでは2月22日以降、議会は正常に機能していない。その議会が6万人規模の国家警備軍を創設する法律の制定を採択したという。本ブログでは何度も指摘していることだが、クーデターの主力がネオ・ナチだったこと、そして暫定政権で治安や軍を指揮する部署にそうしたネオ・ナチが配置されたこともあり、警察や軍の内部で造反者が出ているようで、「親衛隊」を作ることにしたのだろう。 現在、軍事部門を統括しているのは国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の書記に就任したアンドレイ・パルビーだと見られている。1991年にオレフ・チャフニボクとネオ・ナチの「ウクライナ社会ナショナル党」を創設、今回のクーデターでは指揮官としての役割を果たしたという人物だ。党名を「スボボダ(自由)」へ名称を変えたのは2004年。ウクライナのネオ・ナチがバルト諸国で軍事訓練を受けるようになった年だ。 スボボダと聞いて、少なからぬ人がルドビク・スボボダを思い出すだろう。1968年にチェコスロバキアで起こった「プラハの春」で象徴のひとりになった政治家だ。この頃、この国では自由化が推進されていたのだが、これを懸念したソ連軍が14万人以上の部隊を侵攻させている。ちなみに、この年にはフランスのソルボンヌで集会中の学生と警察隊が衝突、カルティエ・ラタンを学生が占拠し、労働者が工場占拠を占拠するという事態になっている。いわゆる「5月革命」だ。 真相は不明だが、パルビーを操っている「西側」の勢力は「プラハの春」を人びとがイメージするように「スボボダ」へ党名を変えさせたのではないだろうか? クーデターの前までウクライナの治安機関SBUの長官だったアレクサンドル・ヤキメンコによると、狙撃の第1発目が発射されたビルはパルビーに制圧され、スナイパーや自動火器をもった一団に拠点として使われていたという。 エストニアのウルマス・パエト外相がEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)に対し、「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」と話しているが、そのスナイパーの少なくとも一部はそのビルにいたということだろう。 当初、右派セクターやスボボダのメンバーはスナイパーを特殊部隊で排除してほしいとヤキメンコに頼んだというが、広場への出入りを管理していたパルビーに拒否されたという。武器の持ち込みもパルビーの許可が必要で、スナイパーが彼の指揮下にあったことは間違いないと考えられている。右派セクターやスボボダの中でも、狙撃部隊の事情を知っていたのは一部にすぎないということなのだろう。 ヤキメンコによると、スナイパーは10人編成のグループがふたつあり、狙撃部隊のメンバーにはウクライナの特殊部隊員も含まれていたようだが、ユーゴスラビアなど他国からやって来た傭兵が主力で、彼らはアメリカ大使館に住んでいたという。 2月24日からSBUの長官はバレンティン・ナリバイチェンコが就任している。2006年からSBUの第1副長官を務めていたが、部下の個人ファイルをCIAに渡していたとヤキメンコは語っている。 ちなみに、第2次世界大戦で日本が降伏した後、アメリカの軍や情報機関は、日本の特務機関や特高のファイルを押収して協力者や排除すべき人間をチェックしている。協力者の中には某「革新政党幹部」も含まれていた。 今回のクーデターはヌランドのようなアメリカ人によるウクライナ乗っ取りに他ならない。工業都市が並ぶ東部を押さえるためにもネオ・ナチを主力とする親衛隊を創設する必要があるのだろうが、正規軍や治安機関との間で戦いが始まる可能性は高い。もしロシア軍が介入してくればアメリカ軍/NATO軍が応戦、核戦争に発展するかもしれない。ネオコンは核戦争でソ連を圧倒できると信じているようだ。
2014.03.13
クーデターでキエフを制圧した勢力が「西側」の支援を受けて作った暫定政権。その首相、アルセニー・ヤツェニュクがアメリカを訪問、バラク・オバマ大統領やジョン・ケリー国務長官らと会談しているようだ。選挙で選ばれたわけでもないヤツェニュクたちの暫定政権だが、国のあり方を勝手に決めようとしている。 2月4日にYouTubeへアップロードされて明らかになったビクトリア・ヌランド米国務次官補とジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使との電話会談で、ヌランドが高く評価していたのが「祖国」に所属するヤツェニュクだった。それだけ「西側」の「国境なき巨大資本」に近いということだ。 この「祖国」とは、オリガルヒ(不公正な手段で国の資産を盗んで巨万の富を築いた富豪)のひとりで、投機家のジョージ・ソロスの影響下にあったユリア・ティモシェンコの政党。大統領代行を名乗っているアレクサンドル・トゥルチノフも同じ政党の幹部だ。 当初、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領に対する抗議活動は比較的、平和的なもの。EUも話し合いで解決しようとしていた。それが気に入らなかったのネオコン(アメリカの親イスラエル派)のヌランド国務次官補で、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という表現が彼女の口から出てくる。 ヌランドの意向に沿うような展開になるのは2月18日頃から。抗議活動が激しくなる。石だけでなく火焔瓶が投げられ、銃やライフルが持ち出され、警官隊に向かって撃ち始めている。21日にはヤヌコビッチ大統領と反ヤヌコビッチ派が平和協定に調印するのだが、翌22日には屋上からの狙撃で多くの死者が出始め、協定は実現しなかった。この日、議会は憲法の規定を無視してトゥルチノフを大統領代行に任命している。 前回も書いたように、2月25日にキエフ入りして調査したエストニアのウルマス・パエト外相は、26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で次のように報告した: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としたうえで、「新連合はもはや信用できない」としている。なお、この会話を本物だとパエト外相は認めている。 それに対し、アシュトンは「議会を機能させなければならない」と応じ、「もし議会が機能しないなら、完全なカオスになる。」と続けている。 しかし、2月22日に議会は機能を停止している。議会を暴力的に制圧した反ヤヌコビッチ派は議長だったボロディミール・リバクを脅迫して辞任させ、トゥルチノフを新議長に据え、憲法の規定を無視する形でトゥルチノフが大統領代行に任命されたわけだ。そして暫定政権なるものが出現、その首相に選ばれたのがヌランドの覚えめがめでたいヤツェニュク。 ヤツェニクは1998年から2001年までキエフの銀行で働き、2003年から2005年までウクライナ国立銀行の第1副頭取を務め、その後、頭取になった人物。2007年は外相だ。 ウクライナでは2004年から2005年にかけて「オレンジ革命」が実行され、ビクトル・ユシチェンコが実権を握っている。オレンジ革命のパトロンはロシアのオリガルヒ、ボリス・ベレゾフスキー。「西側」の巨大資本も後ろ盾になっていた。ユシチェンコは2005年から2010年まで大統領を務めた。 暫定政権はロシアが軍事介入していると必死に宣伝しているが、今のところウラジミール・プーチンは挑発に乗っていない。クリミアへ1万6000名が軍事侵攻したという話も、実際は駐留軍だった。シリアやリビアでも得体の知れない「活動家」や「人権擁護団体」の流す偽情報を「西側」のメディアは垂れ流していたが、今回は暫定政権の怪しげな話を垂れ流している。 1990年代の終わりに結ばれたロシアとウクライナとの取り決めで2万5000名までの部隊をロシア軍は駐留させられることになっていて、1万6000名が以前からクリミアに駐留していたのであり、今回、ロシアが送り込んできたわけではない。軍事演習でEUに警告はしているが、大規模な部隊を国境線近くへ動かしている事実もないようで、あえて、ロシア側は国境近くまでウクライナの偵察機を飛行させている。おそらく、暫定政権やネオコンは困っていることだろう。ロシアに対する経済制裁は報復でEUやアメリカに大きなダメージになる可能性が高い。 エストニアのパエト外相にスナイパーは暫定政権側にいるという情報を提供したのは反ヤヌコビッチ派の医師。ロシアに反感を持っている人びとも暫定政権から離反する可能性があり、今後、ますますネオ・ナチに頼らざるを得なくなりそうで、「副作用」は深刻になるだろう。 今回もヌランドとアシュトンの会話を取り上げたが、このふたりの話はウクライナ情勢を知る上できわめて重要な意味を持っている。この会話に触れず、ウクライナ情勢を語ることはできない。
2014.03.13
久しぶりに日本の新聞を読んだ。原発に関しては「良いマスコミ」と「悪いマスコミ」があるかのような話になっていて、購読者の移動もあったらしいのだが、TPPも含め、国際問題では例外なしの「大本営発表」。もっとも、この「大本営」は東京でなく、ワシントンDCかエルサレムにある。ウクライナ情勢についてもそうした類いの「報道」が続いている。 ウクライナの首都キエフでは、ネオ・ナチのメンバーが棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルを持ち出して撃っていたが、ビクトル・ヤヌコビッチ大統領と反政府派の代表は一旦、平和協定の調印にこぎ着けた。 ところが、その直後から反ヤヌコビッチ派と警官隊(ベルクト)の双方が狙撃され、多くの死者が出て市街は火と血の海になる。この混乱の中、ヤヌコビッチ大統領はキエフを脱出、今はロシアにいるようだが、法律的には彼がまだ正当な大統領だ。これは本ブログで書いた通り。「西側」が支援している「暫定政権」に正当性はない。2010年の大統領選挙で選ばれたヤヌコビッチが気に入らない「西側」の支配層やウクライナのオルガルヒの代理人にすぎない。 この「暫定政権」ができるまでの流れを振り返ると、次のようになっている。 自分たちの意に沿わない結果の出た選挙は不正があると主張するのが「西側」、特にアメリカ。ウクライナのときもそうだったが、受け入れざるをえなくなる。「オレンジ革命」の時から「西側」の介入はあり、2004年からはネオ・ナチへの軍事訓練も始まっていたことを考えると、ヤヌコビッチ当選後、反ヤヌコビッチ派支援を強化することになった可能性が高い。 この工作はビクトリア・ヌランド国務次官補が昨年12月13日、工作資金として50億ドルをそうした勢力に投入していることをスピーチの中で認めている。その際、演壇の後ろには巨大石油企業シェブロンの看板も掲げられていた。 その一方、バルト諸国にあるNATO系の施設でネオ・ナチが軍事訓練を受けたとも言われている。2009年にはリトアニアにCIAが秘密裏にふたつの尋問/拷問施設を持っていることが発覚しているが、それほどバルト諸国とCIAは深い関係にあるということだ。 第2次世界大戦の前、アメリカの国務省にはソ連を敵視するグループが存在、フランクリン・ルーズベルト大統領を中心とするニューディール派など反ナチの勢力と対立していた。反ソ連派が拠点にしていたのはドイツのベルリン、ポーランドのワルシャワ、そしてラトビアのリガ。2004年にNATOへ入ったエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国をCIAやNATOが秘密活動の拠点にするのは、歴史的に見ると自然なことだ。 ネオ・ナチの中には、シリアやチェチェンで実戦を経験している者も含まれている。中でも有名な人物が右派セクターを率いているひとり、アレキサンダー・ムージチコ(別名、サーシャ・ビリー)。チェチェンでロシア軍と戦い、その残虐さで有名になった。 キエフでのクーデター後、検察官事務所に押しかけてスタッフを罵倒、暴力を振るったり、武装解除を求めてきた暫定政権の人間を恫喝している。そうした様子はYouTubeにアップロードされている。 やはり右派セクターのリーダーで国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の副書記を務めるドミトロ・ヤロシュは、北カフカスにいるドッカ・ウマロフなる人物に支援を求める書き込みをしたと言われている。ヤロシュ側はこれを否定しているが、ムージチコの経歴を見ても、右派セクターがアル・カイダ(イスラム教スンニ派武装勢力)と結びついていることは確かだろう。 ヤヌコビッチ大統領の政策に反発していたとはいうものの、EUは話し合いで解決しようとしていた。それが気に入らなかったのがネオコン(アメリカの親イスラエル派)。そうした勢力のひとり、ビクトリア・ヌランド国務次官補はジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と電話で次期政権の閣僚人事を話し合っている際、次のように語っている: 「あなたにも話したか、ワシントンに話しただけなのか覚えていないんだけれど、今朝、ジェフ・フェルトマンと話した際、新しい国連のヤツの名前を聞いたわ。ロバート・セリーよ。この話、今朝、あなたに書いたかしら?」 ここに登場する「ジェフ・フェルトマン」とはジェフリー・フェルトマン国連事務次長を指している。2012年に潘基文国連事務総長がB・リン・パスコーと入れ替えたのだが、その前にはアメリカ国務省の近東担当次官補や駐レバノン大使を務めている。レバノン駐在の大使だった当時、イラン、シリア、ヒズボラを露骨に敵視していた。つまり、彼はアメリカの好戦派が送り込んだ人物だ。そのフェルトマンから聞いた情報にヌランドは喜んでいる。そして、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にした。 平和協定に調印した直後に狙撃が激しくなり、ヌランドが言うところのソフト路線は破綻する。狙撃したのはヤヌコビッチ大統領側によるものだと「西側」の政府やメディアは宣伝したが、2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は違った結論を出し、26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で次のように報告している: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」としたうえで、「新連合はもはや信用できない」としている。 この会話は、何者かが盗聴し、YouTubeにアップロードして明らかになる。なお、この会話は本物だとパエト外相は認めている。 ところが、アシュトンは「議会を機能させなければならない」と応じ、「もし議会が機能しないなら、完全なカオスになる。」と続けている。「西側」の巨大資本とつながったオリガルヒ、オリガルヒの手先のボクサー、そしてネオ・ナチで成立している暫定政権を潰すようなことは言うなと釘を刺しているように聞こえる。有り体に言うと、ウクライナの富を盗む邪魔をするなということだ。 現在、ウクライナの東部や南部で反キエフの動きが激しくなり、それを日本のマスコミは批判的に報じているが、反キエフの抗議活動が起こっている原因は暫定政権を作り上げたクーデターにある。そのクーデターを実行し、暫定政権で治安や軍を統括するポストを与えられたのがネオ・ナチだということを無視することは犯罪的。満州事変へ突入していった時の新聞と全く同じだ。「良いマスコミ」?そんなもの、少なくとも日本には存在しない。
2014.03.12
1988年12月、パンナム103便がスコットランド南部のロッカビー上空で爆破され、乗員乗客259名と地上にいた11名が死亡した。1991年にアメリカ司法省はふたりのリビア人を犯人だと断定、イギリス政府もこの結論に同意し、容疑者となったリビア人は指名手配される。2001年にひとりは終身刑、もうひとりには無罪が言い渡された。 しかし、当初からアメリカ政府が主張する「リビア人犯行説」に疑問を持つ人は多く、裁判でもひとりは無罪にせざるをえなかった。この事件でリビアの犯行だとアメリカ政府が主張した最大の理由はムアンマル・アル・カダフィ体制を攻撃する口実が欲しかったからだとも言われている。 そのカダフィ体制は2011年10月に倒された。NATOがペルシャ湾岸の産油国と手を組み、イスラム教スンニ派の武装勢力(アル・カイダ)を地上軍として使ってのことだ。そして今、「西側」は「イラン人犯行説」を主張し始めた。ドイツへ亡命したイランの元情報機関員、アボルガッセム・メスバヒなる人物の話だというが、イラクの時にも「西側」支配層の意向に沿った事実に反する亡命者の「証言」があった。 ただ、「リビア人犯行説」とは違い、「イラン人犯行説」は当時から説得力のある説として流れていた。1988年7月にアメリカ海軍のミサイル巡洋艦、ビンセンスがイラン航空655便を撃墜して乗員乗客290名を殺していたからある。この旅客機は通常のコースを飛行中で、アメリカ側に弁解の余地はないのだが、アメリカ側は撃墜に対して誠実な対応をせず、「国際社会」とやらは寛大で大した問題になっていない。イラン人が怒り、報復しても不思議ではない状況だったということである。FBIやアメリカ国務省も流していたこの説では、シリア政府の支援を受けていたPFLP-GC(パレスチナ解放人民戦線総司令部派)が実行したとされ、シリア政府にも責任があるとされた。 2011年以降、「西側」はリビアと同じようにシリアの体制も転覆させようとしてきたが、激しい抵抗にあって実現せず、その過程で自分たちの偽情報戦術が露見、手先として使っているアル・カイダの残虐さも広く知られるようになった。このアル・カイダを雇い、動かしているのがサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官。 今年3月に入ってからサウジアラビア政府はシリアで戦っている外国人戦闘員に対し、撤退を求めているとも報道されている。また、「西側」は厳しい報道管制を敷いているようだが、シリアでサウジアラビアが影響下にある武装勢力が化学兵器を使用、それをシリア政府になすりつけようとした疑いも強まっている。シリア、そしてイランを攻撃するためには何らかの新たな「ショック」が必要な状況。そうしたときにパンナム103便の話が出てきた。 実は、別の説もある。パンナム103便にはDIA(米軍情報局)のチャールズ・デニス・マッキー少佐とCIAのベイルート支局次長だったマチュー・ギャノンを含むアメリカの情報機関員が乗っていたと言われているのだが、彼らはレバノンで拘束されていたアメリカ人を救出する工作に従事していたという。 交渉の仲介役として動いたいたモンゼル・アルカッサはシリアの麻薬業者で、アメリカはアルカッサに麻薬をアメリカへ密輸することを認め、そのかわりレバノンで捕らわれているアメリカ人の解放に協力させようとしていたとする話がある。その取り引きに気づいたマッキー少佐らはCIAに報告したが無視されてしまう。そこで、抗議のためにアメリカへ戻る途中だったというのだ。この説では、マッキー少佐らの口を封じるため、アルカッサが麻薬密輸の仕組みを使って爆弾を機内に持ち込ませ、爆破したということになっている。何らかの形でアメリカの情報機関が関与した可能性を疑う人もいる。 今回、イラン人犯行説が出てきたのは、シリアの体制転覆に手間取り、イランを攻撃する雰囲気が薄らいでいることに危機感を持つ勢力が焦っていることの表れだろう。一種の情報操作である可能性は高い。
2014.03.12
キエフの暫定政権はオリガルヒとネオ・ナチの連合体である。オリガルヒとは国の資産を不公正な手段で手に入れて富豪となった人びとで、背後には「西側」の「国境なき巨大資本」がついている。治安と軍を任されたネオ・ナチは「恐怖」によって支配するのだろうが、それに対してオリガルヒは国の資産を盗み始めている。 そうした中、ウクライナ政府が保有していた金のインゴットをアメリカへ秘密裏に運び去ったという噂が流れ、話題になっている。3月7日の午前2時、ポリスポリ空港に4輌のトラックと2輌の貨物用のミニバスが現れ、そこから40個以上の箱がマークのない航空機へ運び込まれたという。 車両はいずれもナンバー・プレートが外され、黒い制服を着て武装した15名が警戒する中での作業だったという。作業が終わるとすぐに航空機は飛び立ち、車両も走り去ったと報道されている。この話を伝えたイスクラ・ニュースによると、箱の中身は金塊だったとする情報がある。ちなみに、現在、ウクライナが保有する金塊は42.3トンだとされている。 これまで各国は保有する金塊の多くをアメリカのニューヨーク連銀やケンタッキー州フォート・ノックスにある財務省管理の保管所に預けていたが、ここにきて自国へ引き揚げる動きが出ていた。ドイツもそうした国のひとつで、預けている1500トンを引き揚げようとしたのだが、連邦準備銀行は拒否、交渉の結果、そのうち300トンを2020年までにドイツへ引き揚げることにしたのだという。 これも含め、ドイツは2020年までの8年間でアメリカとフランスから合計674トン、つまり1年あたり84トン強を引き揚げる計画を立てたのだが、2013年に返還されたのは37トン、そのうちアメリカからのものは5トンにすぎなかったともいう。 こうしたこともあり、アメリカに保管されている金塊は消えてしまったのではないかという噂が流れている。ウクライナから金塊が運び出されたとする情報が正しいなら、それが返還に使われる可能性もあるだろう。単純に、誰かの懐へ入ることもありえるが。 それはともかく、アメリカ経済はすでに破綻、粉飾でごまかしているのかもしれない。NSAを使って相場を操作しているとも言われているが、他国を侵略し、資産を盗む必要にも迫られている可能性がある。今、アメリカの財務省証券を抱え込んでいる国があるとするなら、相当の愚か者だ。
2014.03.11
ウクライナの首都キエフには、「西側」の「国境なき巨大資本」とネオ・ナチが連合した暫定政権が存在している。選挙で成立したビクトル・ヤヌコビッチ大統領の政権を倒して作られたのだが、その過程でネオ・ナチが重要な役割を果たしたことは本ブログで何度も書いてきた。 街が火と血の海になる過程で、ネオ・ナチのメンバーは棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルを撃っている。反ヤヌコビッチ派と警官隊(ベルクト)の双方を狙撃したのもネオ・ナチだった可能性が高いとエストニアのウルマス・パエト外相がEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)に報告している。(UNA-UNSOのメンバーが狙撃していたとする情報も流れている。) ネオ・ナチのグループにはシリアやチェチェンでの実戦経験のある人やバルト諸国にあるNATO系の施設で軍事訓練を受けたメンバーもいて、ベルクトの隊員を狙撃するだけでなく、拉致、拷問、そして殺害し、目を潰された状態で発見された隊員の死体があることも何度か書いた。 この暫定政権は憲法に定められた手順を踏んで誕生したわけでないのだが、「西側」は問題にしていない。この政権が「西側」に利権をもたらすと考えているからだ。この暫定政権への従属を拒否することを「違法」だと非難するのは奇妙な話なのである。論理が矛盾している。 日頃、「民主」、「自由」、「人権」と叫んでいる「西側」がネオ・ナチと手を組むことに疑問を持つ人もいるいるだろうが、歴史を振り返ると不思議でないことがわかる。 1917年のロシア革命(十月革命または十一月革命)でボルシェビキの体制が成立すると、革命で倒されたロマノフ朝の生き残りを含むヨーロッパの貴族が秘密結社「トゥーレ協会」を創設、この結社が母体になり、1919年に「ドイツ労働者党」が作られた。その翌年、党名は「国民社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」に改称される。 その後、この政党はドイツだけでなくアメリカの巨大資本から支援を受け、1932年には国会で第1党に躍進、この年の2月に議会が放火されると、それを口実にしてコミュニストを非合法化、社会民主党も解散させられ、ナチスの独裁体制が出来上がった。 1933年にはアメリカでフランクリン・ルーズベルト大統領を引きずり下ろし、ファシズム体制を樹立させるためにクーデターが計画されたことは本ブログで何度も書いてきた。その中心的な存在だったのがウォール街の巨人、JPモルガンだ。この計画はアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将の議会証言で明らかになっている。 この当時、ドイツやウォール街の巨大資本だけがナチスに好意を抱いていたわけではない。イギリスのウィンストン・チャーチルもアドルフ・ヒトラーに好感を持っていたと言われている。イギリス国王だったエドワード8世(後のウィンザー公爵)はさらに親密な関係にあった。 1936年にエドワード8世は「世紀の恋」で王位を捨て、アメリカ人女性ウォリス・シンプソンと結婚しているのだが、この女性はドイツのヨアヒム・フォン・リッペントロップ駐英大使(後の外相)と愛人関係にあったことが知られている。フォン・リッペントロップはヒトラーのヨーロッパにおけるスパイ網を築き上げた人物だ。 1939年にドイツ軍はポーランドへ軍事侵攻、イギリスとフランスがドイツに対して宣戦布告して第2次世界大戦が始まる。その翌年、フォン・リッペントロップはヒトラーに対し、ウィンザー公爵夫妻の誘拐を進言した。ドイツが英国を占領した後、ウィンザー公爵を再び王位につけると夫妻に対して約束し、ドイツの傀儡として利用しようと考えたようだ。当然、ナチス政権の背後には欧米の巨大資本が存在することになる。 1940年7月にドイツはイギリスを空爆するが、制空権は握れず、8月になるとヒトラーは早くもイギリスへの軍事侵攻に興味を失い、41年6月にソ連に対する軍事侵攻を開始する。つまり、「バルバロッサ作戦」。当初はドイツ軍に圧倒されたソ連軍だが、スターリングラードでの戦いで踏みとどまって反撃、1943年にはドイツ軍の侵攻部隊を壊滅させた。 1944年になると、ドイツ陸軍参謀本部第12課(東方外国軍課)の課長、つまりソ連に対する情報活動を統括していたラインハルト・ゲーレン准将がアレン・ダレスたちと接触している。当時、ダレスはアメリカの戦時情報機関OSSで破壊活動を指揮、戦後、アメリカの情報活動を統括した人物だ。この段階でアメリカはソ連との戦争を始めたと言える。 1945年5月にドイツが降伏するが、その頃、チャーチル英首相はJPS(合同作戦本部)に対し、ソ連を攻撃する計画を立てるように命じている。そして出てきたのが「アンシンカブル作戦」。数十万人の米英軍が再武装したドイツ軍約10万人と連合してソ連を奇襲攻撃するという内容だった。ドイツ降伏の2週間後、この計画はチャーチル首相へ提出されているが、参謀本部の拒否で実現していない。この年の7月、チャーチルは退陣した。 このように、歴史的に見ても「西側」とファシストの結びつきは強い。ナチズムとは巨大資本が作り出したモンスターだとも言える。ウクライナの自称ナショナリストがイギリスやナチスと緊密な関係にあったことも本ブログでは何度か触れた。今回、キエフの暫定政権が巨大資本の代理人とネオ・ナチで構成されているのは必然だ。 そこへ今回はサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官が率いるイスラム教スンニ派の武装グループ(サラフィーヤ/ワッハーブ派、あるいはアル・カイダ)が加わっているわけで、アメリカとロシアとの軍事衝突が避けられたとしても、ウクライナが「チェチェン化」する可能性もあるだろう。
2014.03.11
ウクライナ東部の工業都市、ドネツクで傭兵会社の隊員と見られる一団が目撃されている。すでにアカデミ(旧社名はブラックウォーター)系の傭兵がウクライナへ数百人の単位で入り、ドネツクを与えられた富豪(オリガルヒ)のセルゲイ・タルタは傭兵を従えてドネツクへ入ったと言われているので、不思議ではない。 傭兵と見られる一団について、「西側」ではロシアの自作自演説も流されているが、具体的な証拠は示されていない。治安システムが崩壊状態のウクライナで反暫定政権の住民が多い地域に入るなら、傭兵を雇うのは自然なことだ。 東部や南部の都市を暫定政権が押さえることは容易でない。現在、暫定政権で治安や軍を統括しているネオ・ナチはクーデターの際、警官隊(ベルクト)の隊員に石や火炎瓶を投げただけでなく、狙撃、拉致、拷問、そして殺害している。目を潰された状態で発見された隊員の死体もあり、多くの隊員がロシアに保護を求めている。暫定政権の内相はベルクトを解散させているが、その前に崩壊していたと言える。 ウクライナの暫定政権は「EU幻想」に浸っている人びとに支えられているようだが、首都のキエフを制圧したにすぎず、元々ロシア領だった東部や南部では正当性を認めない人が少なくない。しかも、「西側」の「国境なき巨大資本」を後ろ盾にしたオリガルヒが資産の略奪を始め、治安や軍をネオ・ナチが支配している。これでは暫定政権から民心が離れても不思議ではない。 何度も書いているように、キエフが火と血の海になった最大の原因はバルト諸国で軍事訓練を受けたネオ・ナチのメンバーにある。シリアやチェチェンから実戦経験のある人たちも入っていると言われていたが、ここにきてドイツ、ポーランド、トルコ、アメリカなどからクーデターに参加するため、ウクライナに来た人もいるという話が流れている。 ウクライナ軍は昨年11月2日から9日にかけて実施されたNATOの軍事演習、「不動のジャズ」に参加しているわけで、暫定政権側についている可能性が高い。すでに東部や南部へ部隊が移動、暫定政権に反対する人びとやロシアを牽制しはじめているようだ。前にも書いたように、リビフの第80空挺連隊やジトミルの第95空挺旅団が出動する様子もインターネット上に流れている。 アカデミは1997年にエリック・プリンスとアル・クラークがブラックウォーターとして創設した傭兵会社。創業者はふたりともアメリカ海軍の特殊部隊SEALの元隊員で、雇われている傭兵の多くも特殊部隊出身者である。最近はCIAからも入っているという。 この会社が一般的に知られるようになったのは、おそらく2004年のことだろう。イラクのファルージャでブラックウォーターの隊員4名が殺されたのである。近くにいたアメリカ軍は救援に行かなかった。つまり、見捨てられた。 当時、この出来事を日本のマスコミは「民間人」が殺されたと報道していたが、適切な表現だとは言えない。彼らは特殊部隊員の中でも選ばれた人たちなのである。この事件もあり、ファルージャは破壊され、住民は虐殺された。劣化ウラン弾の影響と見られる被害も報告されている。 事件の当時、ファルージャの住民はブラックウォーターがCIAの仕事をしていると主張していた。実は、2004年にCIAはブラックウォーターを雇っていたと後に報道されているので、住民の話は正しかったと言えるだろう。暗殺要員として雇われた可能性もあると考えられている。 暗殺の契約をしていなかったとしても、イラクでは傭兵が住民を殺すケースが後を絶たず、決して平和的な集団ではない。その傭兵がネオ・ナチやイスラム教スンニ派の武装集団と結びつく状況は良くない。こうしたグループが住民と衝突するような事態になれば、流血は避けられないだろうが、そのときにロシア軍が黙っているとは言えない。 ウクライナでの軍事的な緊張を受け、アメリカ軍はポーランドへ約300名の兵員や12機のF-16戦闘機を送り込み、黒海にはミサイル駆逐艦のトラクスタンを派遣したのだが、それに対してロシアは超音速の対艦巡航ミサイルP-800(オーニクス、またはヤーホント)をクリミアのセバストボリへ運び込んだという情報も流れている。 軍事的な緊張は危険なほど高まっているが、それでもリチャード・チェイニー元副大統領などは、バラク・オバマ政権がロシア攻撃を考えていないことに不満を抱いている、つまり核戦争を望んでいるようだ。ネオコン(アメリカの親イスラエル派)など好戦派は狂っている。
2014.03.10
1980年代の初め、アメリカのロナルド・レーガン大統領は「プロジェクト・デモクラシー」を始動させた。非政府組織と協力関係を築き、富豪の資金利用して行うプロパガンダ作戦で、その目的はアメリカ支配層、つまり「国境なき巨大資本」にとって都合の悪い国家、体制を崩壊させることにある。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は1983年5月17日付の紙面で「思想の戦争」と表現している。 勿論、「デモクラシー」といっても真の意味で民主化しようというわけではない。これは単なる看板。実際には、巨大資本のため、選挙で民主的に成立した政権を倒してきた。メディアを使ったプロパガンダで攻撃、労働組合(御用組合)のデモやストで揺さぶり、軍隊を使ってクーデターで止めを刺すといった具合だ。 アメリカ政府が行ったことには、例えば、1953年にイギリスと手を組み、イランの石油利権を握るためにムハマド・モサデク政権を倒した「エイジャクス(アイアース:トロイ戦争の英雄)作戦」、54年にはユナイテッド・フルーツ(現社名はチキータ・ブランド)の利権を守るためにヤコボ・アルベンス・グスマン政権を倒した「PBSUCCESS作戦」、1973年にチリでヘンリー・キッシンジャーがオーグスト・ピノチェトを使ってサルバドール・アジェンデ政権を倒した軍事クーデターなどがある。クーデター後、チリには世界で初めて新自由主義経済が導入された。この3政権は、いずれも民主的に選ばれていた。これ以外にもアメリカが倒した政権は少なくない。 1970年代にローマ教皇庁のIOR(宗教活動協会。通称、バチカン銀行)を中心とする金融スキャンダルが発覚、ポーランドの反体制労組「連帯」に違法融資されていることも判明する。当時、東ヨーロッパの「民主化勢力」は公然とCIAに接触、1980年設立の連帯も例外ではなかった。この延長線上に「プロジェクト・デモクラシー」はある。 1991年にソ連が消滅すると、巨大資本の意向に従い、「西側」は旧ソ連圏の浸食を開始する。1990年に東西ドイツが統一されるとき、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官はソ連の外務大臣だったエドゥアルド・シュワルナゼに対し、NATOを東へを拡大しないと約束したが、守られなかった。この際、「民主化」という呪文も使われたが、この頃から「人権」が強調されるようになる。自分たちに欠けているものを看板に掲げたのだろう。 旧ソ連圏浸食の流れを見ると、1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニア、翌年にはボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラビアからの独立を宣言、コソボはアルバニアと一緒になろうと計画している。こうした動きをNATO軍やイスラム教の武装勢力が支援、1999年にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃、このときにも攻撃を正当化するため、偽情報がメディアを通じて流された。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) 1999年3月にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃するのだが、それに先立ち、ユーゴスラビア政府のイメージを悪化させるためのプロパガンダを行っている。例えば、1992年にボスニアで16歳の女性が3名のセルビア兵にレイプされたとニューズデーのロイ・ガットマンは報道するのだが、事実でないことが後に別のジャーナリスト、アレクサンドラ・スティグルマイアーやマーティン・レットマイアーらによって明らかにされている。 ボン支局長だったガットマンが頼っていた情報源のひとり、ヤドランカ・シゲリはユーゴスラビアを敵視していたクロアチアの民族主義の政党、HDZ(クロアチア民主団)の副党首で、プロパガンダ組織CIC(クロアチア情報センター)の幹部でもあった。「活動家」が偽情報を流し、それを「西側」のメディアが拡散するというパターンはこの時に出来上がっている。 その後、シゲリは人権問題のヒロインとなり、1996年には「人権擁護団体」のHRWが彼女を主役にしたドキュメント映画を発表、レイプ報道で脚光を浴びたガットマンはセルビア人による残虐行為を報道したとしてピューリッツァー賞が贈られた。 空爆の直前、1999年1月にウィリアム・ウォーカーなる人物がコソボでの「虐殺」を宣伝し始める。警察署で45名が虐殺されたというのだが、実際は警察とKLA(コソボ解放軍)との戦闘によるものだった。戦闘の様子はAPのテレビ・クルーが撮影、ウォーカーも事実を認識していたが、嘘は広がる。 このウォーカーはエル・サルバドル駐在のアメリカ大使だった1989年、エル・サルバドル軍がカトリックの司祭6名、そしてハウスキーパーやその娘を殺害した事件で調査を妨害し、証人を脅した人物として知られている。 基本的に同じことが中東や北アフリカで繰り返され、今はウクライナだ。昨年11月21日にキエフでEUに憧れる人びとがビクトル・ヤヌコビッチ大統領に対する抗議を開始、その混乱を収めるため、今年2月21日にEUの仲介で大統領と反政府派の代表は平和協定に調印したのだが、その直後にネオ・ナチが破壊活動を活発化、狙撃が始まって街は火と血の海になった。 そして2月23日、ネオコン(アメリカの親イスラエル派)を中心とする「西側」の支援を受けた勢力が憲法の規定を無視して大統領の解任を議決、暫定政権が出来上がったのだが、ヤヌコビッチ自身は辞任を拒否、現在も自分が大統領だと主張している。法律的にはヤヌコビッチが正しい。 反ヤヌコビッチ派が怒った理由は、ヤヌコビッチ大統領がロシアから150億ドルの債務救済を取り付け、ガス輸入価格の大幅な引き下げをロシア政府から引き出す一方、主権の放棄につながるEU加盟を中断したことにある。EU加盟が何を意味するかは、ギリシャを見るだけでもわかる。巨大資本の食い物になるということだ。だからこそ、「西側」はヤヌコビッチの決断を怒った。 現在、日本でもウクライナの暫定政権が発表する話が垂れ流されている。「大本営発表」を垂れ流していた過去に対する反省は全く感じられない。
2014.03.10
1945年3月10日、東京の下町、つまり深川、城東、浅草などの地域は火の海になり、多くの人が殺された。約300機と言われるアメリカのB-29爆撃機が投下した焼夷弾によって焼き尽くされたのだ。10万人、あるいはそれ以上の住民が殺されたと言われている。この作戦を指揮したアメリカ空軍のカーチス・ルメイ少将は戦後、航空自衛隊に対して戦術指導を行い、1964年には源田実元航空幕僚長の推薦で勲一等旭日大綬章を授与されている。 この勲章が授与される前年の11月、アメリカではジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された。1956年にルメイを含む好戦派は1000機近いB47爆撃機でソ連を攻撃する演習を実施、テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、彼らは1957年にソ連を核攻撃する計画をスタートさせ、63年の後半にはソ連を実際に先制核攻撃する計画だったのだが、ケネディ大統領に阻まれていた。 ところで、東京が爆撃されるに至るまでにいくつかの節目になる出来事があった。そのひとつが1931年9月18日の柳条湖事件である。関東軍参謀の石原莞爾中佐(当時)と板垣征四郎大佐(当時)の計画に基づき、河本末守中尉らが柳条湖で満鉄の線路を爆破、あるいは爆発音を出したとされている。この時も日本の新聞社は嘘を承知で戦争熱を煽った。今も同じだ。 しかし、日本軍は責任を中国軍に押しつける。中国軍が線路を爆破して日本軍を攻撃したのだと主張したのだ。この事件を利用して日本軍は攻撃を開始、中国東北部を占領し、満州国を作り上げた。 同じ頃、ドイツでも自作自演劇が演じられた。1932年7月の選挙でナチスが第1党になり、翌年の1月にアドルフ・ヒトラーが首相に就任、そして2月に国会議事堂が放火され、これを口実にしてコミュニストを非合法化、6月には社会民主党も解散させられ、独裁体制が確立していく。この放火も実際はナチスの自作自演だったと信じられている。 そして現在、ウクライナでも同じことが繰り返されつつある。昨年11月21日に始まったキエフの混乱を収めるため、今年2月21日にEUの仲介でビクトル・ヤヌコビッチ大統領と反政府派の代表は平和協定に調印したのだが、その直後にネオ・ナチが破壊活動を活発化、狙撃が始まって街は火と血の海になってしまう。 この狙撃を「西側」の政府やメディアはヤヌコビッチ大統領側によるものだと宣伝したが、2月25日にキエフ入りしたエストニアのウルマス・パエト外相は違った結論を出していた。26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で次のように報告しているのだ: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合(暫定政権)が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合の誰かだというきわめて強い理解がある。」 この会話は、何者かが盗聴し、YouTubeにアップロードして明らかになる。なお、この会話は本物だとパエト外相は認めている。 こうした報告を受けながら、これまでEUは沈黙してきたのだが、調査が必要だと言い始めたようだ。これまでロシア政府は公正な調査が必要だと主張していたが、それに同調したということになる。 また、ロシア政府やヤヌコビッチは暫定政権が成立する過程は憲法の規定を無視したもので、正当性がないと主張している。この主張が正しいことは本ブログでも指摘済みだが、「西側」の政府やメディアは無視、暫定政権に対抗する動きを「違法」、あるいは「挑発」だと盛んに宣伝している。 本ブログでは何度も指摘しているが、暫定政権の治安部門や軍はネオ・ナチが押さえ、反キエフ派の人びとが拉致されているとも伝えられている。クーデター中から実戦経験があり、NATO系の施設で軍事訓練を受けたネオ・ナチのメンバーはベルクト(警官隊)の隊員を狙撃するだけでなく、拉致、拷問、そして殺害してきた。目を潰された状態で発見された隊員の死体もあるようだ。 こうしたネオ・ナチの実態だけでなく、「国境なき巨大資本」に操られた人びとがウクライナを略奪し始めていることも東部や南部の住民は知っているため、抵抗運動が広がっている。そこで、アメリカの傭兵会社アカデミ(旧社名はブラックウォーター)の傭兵が数百人の単位でウクライナで活動を始めているようだ。 昨年11月2日から9日にかけてNATOは「不動のジャズ」と名付けられた大規模な軍事演習を実施した。ウクライナの西隣、ポーランドが軍事侵攻されたという設定で、NATOに加盟する23カ国のほか、ウクライナ、マケドニア、スウェーデン、そしてフィンランドが参加している。ウクライナ軍はすでにNATOの影響下にある。そのウクライナ軍が東部や南部に向かって移動し始めているようで、リビフの第80空挺連隊やジトミルの第95空挺旅団が出動する様子もインターネット上に流れている。軍事的な緊張は高まっている。
2014.03.09

昨年11月2日から9日にかけてNATO(北大西洋条約機構)は「不動のジャズ」と名付けられた軍事演習を行った。ウクライナの西隣、ポーランドが軍事侵攻されたという設定で、総勢6000名。2006年以降においては最大規模だという。NATOに加盟する23カ国のほか、ウクライナ、マケドニア、スウェーデン、そしてフィンランドが参加した。ウクライナの首都、キエフで反政府行動が始まるのは演習が終わって10日余り後の21日だ。 このNATOはソ連の軍事侵攻に備えるという名目で1949年に創設されたのだが、当時のソ連にそれだけの力はなく、アメリカ政府もそうしたことを熟知していたはずだ。ドイツとの戦闘で2000万人以上の国民が殺され、工業地帯の3分の2を含む全国土の3分の1が破壊され、軍隊も疲弊していたのである。 アメリカの金融界は1933年にファシズム体制の樹立を目指すクーデターを計画していたことは本ブログで何度も指摘してきた。軍や情報機関にもそうした考え方の勢力が存在し、1948年に「ロバート・マックルア将軍は、統合参謀本部に働きかけ、ソ連への核攻撃に続く全面的なゲリラ戦計画を承認させ」ている。その翌年に出されたJCS(統合参謀本部)の研究報告では、70個の原爆をソ連の標的に落とすことになっていた。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年) この先制核攻撃の計画が立てられた時点で、西ヨーロッパにはゲリラ戦を想定した秘密部隊が存在していた。大戦中、ゲリラ戦を展開したジェドバラの流れで、NATOが創設されると「NATOの秘密部隊」になる。ジェドバラはアメリカとイギリスが作った組織であり、「NATOの秘密部隊」もこの2カ国が指揮するようになった。 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授(経済学者ジョン・ケネス・ガルブレイスの息子)によると、1957年初頭にアメリカ軍はソ連に対する先制核攻撃計画をスタートさせ、63年後半にはソ連を先制核攻撃するというスケジュールになっていたという。その頃になれば、ICBMを準備できると信じていたようだ。この計画の前に立ちはだかったジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月、テキサス州ダラスで暗殺された。 1990年に東西ドイツが統一されるとき、アメリカのジェームズ・ベイカー国務長官はソ連の外務大臣だったエドゥアルド・シュワルナゼに対し、NATOを東へを拡大しないと約束したことが記録に残っているのだが、約束は守られなかった。 まず1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニア、翌年にはボスニア・ヘルツェゴビナがユーゴスラビアからの独立を宣言、コソボはアルバニアと一緒になろうと計画した。こうした動きをNATO軍やイスラム教の武装勢力が支援、1999年にNATOはユーゴスラビアを先制攻撃している。このときにも攻撃を正当化するため、偽情報がメディアを通じて流された。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を)この延長線上にウクライナのクーデターはある。 1990年代以降、NATOを東へ拡大させているのはネオコン(アメリカの親イスラエル派)。ウクライナの政権転覆を推進してきたビクトリア・ヌランド国務次官補の夫はネオコンの大物、ロバート・ケーガンだ。 今年2月上旬、このヌランドとジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使との会話がYouTubeにアップロードされた。何者かが盗聴したようだが、そこでヌランドは次のようなことを言っている:「あなたにも話したか、ワシントンに話しただけなのか覚えていないんだけれど、今朝、ジェフ・フェルトマンと話した際、新しい国連のヤツの名前を聞いたわ。ロバート・セリーよ。この話、今朝、あなたに書いたかしら?」 EUが話し合いでウクライナの混乱を収束させようとしていることに不満を抱いていたヌランドは国連を引き込めることを喜び、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」と口にしたわけだ。 言うまでもなく、「ジェフ・フェルトマン」とはジェフリー・フェルトマン国連事務次長を指している。2012年に潘基文国連事務総長がB・リン・パスコーと入れ替えた人物なのだが、就任が噂された段階から、この人選を問題視する人がいた。 国連事務次長になる前、フェルトマンは2009年からアメリカ国務省で近東担当次官補を、その前、04年から08年にかけて駐レバノン大使を務めているが、ダブルスタンダード(二重基準)を当然と考えているようで、中東にアメリカが干渉することは許されるが、イランの干渉は脅威だという立場。レバノン駐在の大使だった当時、イラン、シリア、ヒズボラを露骨に敵視していた。つまり彼はアメリカ帝国主義を体現したような人物なのである。 フェルトマンがレバノンにいた当時、2007年に調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュはニューヨーカー誌で興味深い記事を書いている。アメリカ政府はサウジアラビアやイスラエルと共同でシリアやイランをターゲットにした秘密工作を開始しているというのだ。その手先として使われるのがイスラム教スンニ派の武装グループ。フェルトマンも何らかの形で関与していたと考える方が自然だ。 イランとライバル関係にあるペルシャ湾岸の産油国は反民主主義的な体制で、「西側」では無視されているが、最近は民主化を求める運動も盛り上がっている。2011年にバーレーンで民主化を求める抗議行動があった際、ウクライナとは違い、治安部隊が暴力的に弾圧、約90名が死亡、数千人が負傷したと言われている。 3月になると1000名以上の湾岸諸国の部隊(事実上のサウジアラビア軍)がバーレーンへ入って鎮圧に協力するわけだが、部隊派遣の直前、3月3日にフェルトマンはバーレーンの首都マナマを訪問し、国王を励ましている。その際、アメリカ海軍の第5艦隊がバーレーン政府を支援する体制に入っていたともいう。 要するに、フェルトマン国連事務次長はアメリカ政府が代理人として送り込んだ人物。そのフェルトマンを選んだ潘基文事務総長もアメリカ支配層の影響下にあるわけで、だからこそシリアを「西側」が直接、攻撃しようとした際に支援するような言動を見せていたと言える。
2014.03.09
昨年11月21日から始まったウクライナの反政府行動を収束させるため、EUの仲介でビクトル・ヤヌコビッチ大統領と反政府派の代表が平和協定に調印したのは今年2月21日のことだった。その直後、ネオ・ナチが破壊活動を活発化、狙撃が始まって街は火と血の海になってしまう。 リビアやシリアでの体制転覆プロジェクトを見てきた人なら、混乱を戦乱へ移行させるためにクーデター派が狙撃を始めることは予想されていた。そしてウクライナでも始まったわけだ。 例によって、「西側」は政府側が狙撃していると宣伝したが、ウクライナの場合はエストニアのウルマス・パエト外相がその主張を否定する。2月25日にキエフ入りしたパエトは調べた内容を26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話で次のように報告した: 「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合体が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合体の誰かだというきわめて強い理解がある。」 ところで、話し合いでの解決を阻止するためにネオ・ナチが武装蜂起を始める直前、シリアでクーデター派にとって厄介な問題が生じていたとする情報がある。本ブログでは何度も書いてきたことだが、イスラム教スンニ派の武装勢力(サラフィーヤ/ワッハーブ派、あるいはアル・カイダ)を操っているのはサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官。 そうしたアル・カイダとサウジアラビアとの関係を示す膨大な文書をシリア政府が国連へ提出し、ロシアはシリアでテロ行為を支援している全ての国に制裁するように求めるとアメリカ政府からサウジアラビア政府へ警告があったというのだ。スルタン長官とアル・カイダとの関係は公然の秘密であり、こうした事態が生じていたとしても不思議ではない。カタールも制裁の対象になりかねない。 軍事訓練をした国を含めるなら、アメリカ、イギリス、フランス、トルコ、場合によってはイスラエルも制裁の対象になる。ここまで広げると実現は不可能だろうが、制裁情報が正しいなら、サウジアラビアとカタールが制裁される可能性は高かった。ペルシャ湾岸の産油国が制裁の対象になれば、多くの国に影響が出る。 3月に入り、サウジアラビア政府はシリアで戦っている外国人戦闘員に対し、撤退を求めていると報道されたが、そうした背景があったとするならば、理解できる。前にも書いたことだが、戦闘員とは傭兵であり、戦争を求めて移動する。戦争がなければ収入がなくなってしまうからだ。戦闘員がウクライナへ移動する可能性もあるだろう。実際、今年1月にシリアから約350名の戦闘員がウクライナ入りしたという情報も流れている。
2014.03.08
現在、ウクライナの首都、キエフには「西側」が支援する暫定政権が存在しているが、その成立過程が憲法の規定に違反していることは本ブログでも指摘した通り。そのため、「西側」では成立過程の問題が封印され、メディアもまず「暫定政権あれ!」と言ってから議論を始めるわけだ。暫定政権を成立させるため、ネオ・ナチの暴力が使われたことも本ブログでは書いてきたこと。暫定政権を作った勢力は憲法を無視、暴力を使っていたわけであり、これはクーデター以外の何ものでもない。 その過程を振り返ってみると、まず議会の議長を務めていたボロディミール・リバクを脅迫して辞任させ、アレクサンドル・トゥルチノフを新議長に据えるところから始まる。そのとき、議会は暴力に支配されていた。 ところで、トゥルチノフはユリア・ティモシェンコの「祖国」に所属する人物で、ティモシェンコは投機家で旧ソ連圏の体制転覆を仕掛けてきたジョージ・ソロスの強い影響下にあったことで知られている。2月22日、議会は憲法の規定を無視してトゥルチノフを大統領代行に任命した。その後、首相のポストに就くアルセニー・ヤツェニュクも「祖国」の幹部だ。 21日にビクトル・ヤヌコビッチ大統領はキエフから追い出され、暫定政権の成立が宣言されたわけだが、その段階に到達するためにネオ・ナチ、つまり「スボボダ(自由)」、「右派セクター」、「UNA-UNSO」などのメンバーは武装蜂起に近い活動を展開した。今年1月にシリアからウクライナへ約350名が入ったとも言われている。 つまり、こうした戦闘集団は棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルを撃つだけでなく、警官隊(ベルクト)の隊員を拉致、拷問、そして殺害している。目を潰された状態で発見された隊員の死体もあるようだ。 その過程で反ヤヌコビッチ派の人びとや警官が屋上から狙撃され、多くの死傷者が出ている。「西側」の政府やメディアはベルクトが撃ったと宣伝していたが、リビアやシリアの状況を調べている人たちは、ウクライナでも狙撃が始まると予想していた。勿論、政府側ではなく、体制転覆を仕掛けている勢力による狙撃である。 トゥルチノフが大統領代行に選ばれた3日後、エストニアのウルマス・パエト外相はキエフを訪れて状況を調査、26日にEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)に電話で「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合体が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合体の誰かだというきわめて強い理解がある。」と報告、この件について調査する必要があると訴えている。が、その後、EUが調査に乗り出したという話は聞かない。なお、この会話は何者かが盗聴、YouTubeにアップロードしたので判明、パエト外相はその音源が本物だと認めている。 クーデターでネオ・ナチの果たした役割は大きく、経済は「国境なき巨大資本」につながるオリガルヒが押さえているようだが、治安や軍の関係はファシストが主導権を握った可能性が高い。 暫定政権の陣容を見ると、ネオ・ナチの中心的な存在であるスボボダ(自由)からはオレクサンドル・シクが副首相、アンドリー・モクニクがエコロジー相、オレクサンドル・ミルニーが農業相に就任し、またオレー・マクニスキーが検察を統括することになった。スボボダ創設者のひとり、アンドレイ・パルビーは国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の書記に就任している。 また、右派セクターを率い、アル・カイダともつながるドミトロ・ヤロシュは同会議の副書記に、NATOとの緊密な関係が噂されているUNA-UNSOからは、テチャナ・チェルノボルが反腐敗委員会の委員長に、またドミトロ・ブラトフが青少年スポーツ相に就任したという。 この暫定政権に正当性がないと東部や南部の人びとが考えるのは当然で、クリミアの最高会議がロシアへの編入を全会一致で議決、今月16日に住民投票が実施されるという流れは、住民の感情を考えると、自然だろう。アメリカならまず「独立」を宣言させて承認し、そこから本格的な軍事介入を始めるのだろうが。 ただ、ロシア軍がクリミアへ軍事侵攻したという話は正しくないようだ。1990年代のウクライナとロシアで結ばれた協定により、ロシア軍は2万5000名までクリミアへ駐留できることになっていて、実際、1万6000名が駐留していた。これをキエフの暫定政権は軍事侵攻と表現したわけだ。 そしてアメリカ政府はロシアとウクライナの一部当局者を対象に、渡航禁止や資産凍結などの制裁を発動する大統領令に署名したという。微妙な決定だ。 ジョン・ケリー国務長官が査証の発給禁止、資産凍結、貿易面での制裁などを検討する考えを示した際、ウラジミール・プーチン露大統領の経済顧問を務めているセルゲイ・グラジエフは「個人的な意見」として、経済制裁が発動されたなら、貿易の決済に使う通貨をドルから別のものに変更、「西側」の金融機関から受けている融資の返済を拒否する可能性を指摘していた。石油や天然ガスの供給を止めるという選択肢も、当然、ある。 もっとも、貿易の決済をドルから別の通貨へ変更することは昨年秋の段階でロシアは中国と取り決めているようなので、アメリカからの制裁がなくても実行に移される可能性は高い。問題は、どの程度の割合でドルを残すかだけ。アメリカ政府の「制裁」が微妙な表現になっているのはそのためだろう。 「制裁戦争」を始めると、アメリカは苦境に陥る可能性が高く、ネオコン(アメリカの親イスラエル派)が想定する核戦争へ発展することもありえる。日本もロシアへの制裁を明言するべきだと主張する人もいるようだが、それは、事情に関係なく、ひたすらアメリカに追随するべきだという議論。そうした人びとは「集団的自衛権」にも賛成しているのだろうが、正しい選択だとは思えない。
2014.03.08
ウクライナ南部の港湾都市、1905年に戦艦ポチョムキンで水兵が反乱が起こったことでも知られるオデッサにアメリカの傭兵会社アカデミ(旧社名はブラックウォーター)系列のグレイストーンが要員を入れたという話を本ブログでは紹介したが、その後、アカデミ系の傭兵が数百人単位でウクライナへ入っているようだ。 その一方、ネオ・ナチのひとりで国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の副書記を務めるドミトロ・ヤロシュは3月1日、北カフカスにいるドッカ・ウマロフなるアル・カイダの人物に支援を求める書き込みをしたという。ヤロシュ側は偽物だと否定しているが、何とも言えない。ただ、ウクライナの暫定ファシスト政権が治安や軍事の部門で人員不足になっていることは確かなようだ。 1991年にソ連が消滅してからヤロシュはファシズムに傾斜、1994年にはステパン・バンデラ・トリズブ(三つ叉の矛)に加入、2005年まで組織を率いている。今年初めに右派セクターが組織される際、このトリズブが中心になった。 ヤロシュと同じ右派セクターを率いているひとり、アレキサンダー・ムージチコ(別名、サーシャ・ビリー)はチェチェンでロシア軍と戦い、その残虐さで有名になった人物で、クーデター後、キエフでは検察官検察官事務所に押しかけてスタッフを罵倒し、暴力を加えたり、武装解除を求めてきた暫定政権の人間を恫喝、そうした様子はYouTubeにアップロードされている。右派セクターがアル・カイダと緊密な関係にあることは間違いない。 言うまでもなく、「西側」がウクライナを飲み込もうとしている理由はひとつ。略奪である。かつてアメリカ海兵隊のスメドリー・バトラー少将は戦争を押し込み強盗に例えたが、欧米は略奪で富を蓄積してきた。 例えば、11世紀から約2世紀にわたって続いた十字軍の遠征でイスラム世界の知識と財宝を奪い、16世紀にはスペインの「征服者」たちがラテン・アメリカから膨大な量の金や銀をスペイン奪い去っている。第2次世界大戦ではドイツや日本が奪った財宝の相当部分がアメリカ支配層の手に渡ったとも言われている。 最近はターゲット国を借金漬けにして資産を二束三文で奪うという手法が用いられている。ウクライナでは早くもIMFの名前が挙がり、「国境なき巨大資本」の手先になっているウクライナの「オリガルヒ」が都市を支配しようとしている。 アメリカのビクトリア・ヌランド国務次官補は昨年12月13日、ウクライナの体制を転覆させるための工作資金として50億ドルをウクライナに投入していることを明らかにしているが、その際、演壇の後ろには巨大石油企業、シェブロンの看板も掲げられていた。「国境なき巨大資本」も舌なめずりしていることだろう。 暫定政権を見ると、首相を名乗るアルセニー・ヤツェニュクはウクライナ国立銀行の総裁を務めた経験があり、内務大臣になったアルセン・アバコフはオリガルヒのひとり。東部地域の都市は略奪のターゲットになっていて、例えば、ドニエプロペトロフスクの市長になったイゴール・コロモイスキー、ドネツの市長になったセルゲイ・タルタもそうした類いの人間だ。 アメリカ巨大資本が東ヨーロッパを略奪しはじめた最初の拠点はポーランドの港湾都市で、反体制労組「連帯」発祥の地でもあるグダンスクだろう。バチカン銀行から不正融資を受けていたほか、CIAの支援を受けていたことがわかっている。この不正融資が発覚したことでアンブロシアーノ銀行が倒産、ロベルト・カルビ頭取がロンドンで変死、そしてイタリアを支配していた秘密結社P2の存在が明るみに出た。そのグダンスクにある港を手に入れ、食い物にした結果、倒産させてしまったのがタルタ。当然、住民の反発は強く、アダデミの傭兵を引き連れて乗り込んだというが、支配のためにはさらに傭兵を雇う必要があると考えられている。 ウクライナではオリガルヒが国の資産を略奪する過程で軍が弱体化、しかも内相は警官隊のベルクトを解散させている。もっとも、解散させなくても機能しないだろう。ネオ・ナチはベルクトの隊員を狙撃、拉致、拷問、そして殺害している。中には目を潰された状態で発見された隊員の死体もあるようで、多くの隊員がロシアに保護を求めている。 キエフの暫定ファシスト政権が恐怖とプロパガンダで支配しようとしても、東部や南部では抵抗運動が起こる可能性が高く、それをネオ・ナチ、アル・カイダ、傭兵で押さえつけようとすれば、これまでと同じように、破壊と殺戮が展開されることになる。そうなったとき、ロシアはどうするのか・・・。ネオコンはロシアを核攻撃する腹づもりだと考えている人も少なくない。ネオコンは冷戦を復活させようとしているわけでなく、パクス・アメリカーナを実現しようとしている。
2014.03.07
エストニアのウルマス・パエト外相がEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表(外交部門の責任者)へ電話でキエフの状況を説明している会話が盗聴され、それがYouTubeにアップロードされたわけだが、この件でアシュトンの立場は微妙だ。ウクライナ情勢にどのように対応するかでEUがまとまっていない中、重要な情報を彼女が隠していたとするならば、EU内で強い反発が出てくるであろうからだ。 この会話に関し、パエト外相は本物だということを認めているので、「西側」の政府やメディアとしても偽物だとは主張できなくなり、この録音を取り上げるメディアも出てきた。最初にアップデートされた映像はすぐにアクセスを制限されたが、コピーも存在しているので、どの程度、効果があるかは不明だ。関係者の沈黙とアクセス制限・・・それだけ深刻な影響を及ぼしている会話だと言えるだろう。 パエト外相は2月25日にキエフ入りし、26日にアシュトン上級代表へ電話、「全ての証拠が示していることは、スナイパーに殺された人びと、つまり警官や街に出ていた人たち双方、そうした人びとを同じスナイパーが殺している。同じ筆跡、同じ銃弾。実際に何が起こったかを新連合体が調査したがらないほど、本当に当惑させるものだ。スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合体の誰かだというきわめて強い理解がある。」 こうした情報を提供したひとりは医師のオルガ・ボゴモレツ。警官と抗議行動の参加者は同じ銃で殺され、スナイパーを暫定政権は隠していると主張している彼女はビクトル・ヤヌコビッチ政権に反対する立場の人物で、「市民社会」のリーダーでもある。2004年から05年にかけては「オレンジ革命」に医師として参加、現在は教え子を医師として反ヤヌコビッチ派へ送り込んでいる。つまり、反ロシアの人間。ボゴモレツは「民主化」を信じて活動しているのだろうが、今回はその背景を垣間見てしまった。ウクライナの西部で新たな対立が生じる可能性がある。 ウクライナのクーデターを仕組んだのはネオコン(アメリカの好戦的な親イスラエル派)、「国境なき巨大資本」、そうした巨大資本に従属して富豪になった「オリガルヒ」、そしてネオ・ナチやイスラム教シーア派の戦闘集団である。この集団には、チェチェンやシリアなどで実戦経験を積んだり、バルト諸国にあるNATO系の施設で軍事訓練を受けた人びとが含まれている。「民主化」を信じて参加人びとを押さえ込むためにもネオ・ナチの存在感は大きくなりそうで、一部の「西側」のメディアもこの問題を取り上げることになった。 暫定政権の陣容を見ると、ネオ・ナチの中心的な存在であるスボボダ(自由)からはオレクサンドル・シクが副首相、アンドリー・モクニクがエコロジー相、オレクサンドル・ミルニーが農業相に就任し、またオレー・マクニスキーが検察を統括することになった。スボボダ創設者のひとり、アンドレイ・パルビーは国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の書記に就任している。 また、右派セクターを率い、アル・カイダともつながるドミトロ・ヤロシュは同会議の副書記に、NATOとの緊密な関係が噂されているUNA-UNSOからは、テチャナ・チェルノボルが反腐敗委員会の委員長に、またドミトロ・ブラトフが青少年スポーツ相に就任したという。治安や軍にネオ・ナチが強い影響力を持ったと言える。 こうした戦闘集団はクーデターの最中、棍棒、ナイフ、チェーンなどを手に、石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルを持ち出して街を火と血の海にしたのだが、こうした抗議活動に対応する目的で出てきた警官隊、ベルクトの隊員を狙撃するだけでなく、拉致、拷問、そして殺害、目を潰された状態で発見された隊員の死体もあるようだ。 2月26日に暫定政権のアルセン・アバコフ内務大臣はベルクトの解散を発表、命の危険を感じる隊員はロシアに保護を求め、それに応える形でロシア外務省はロシアのパスポートを発行すると約束したと伝えられている。暫定政権とウクライナの東部や南部との関係が緊迫化したなら、こうした「元隊員」も反キエフ派に参加するだろう。軍の離反もすでに起こっている。 それに対し、ネオコンは恐怖とプロパガンダでウクライナを支配、ロシア、そして中国を軍事的に破壊する計画を立てているように見える。バラク・オバマ米大統領はそうした流れに逆らえず、EUも引きずられている。 こうした計画をまとめた報告書が存在する。ネオコンのシンクタンク、PNACが2000年に発表した「米国防の再構築」(PDF)だ。それによると、ソ連消滅後の世界はアメリカの「一極支配」になったと考え、「パクス・アメリカーナ」の構造を維持するべきだとしている。 そのためにアメリカ軍は核戦略の優位性を維持し、かつ兵力を増強するべきだと主張、東南ヨーロッパ、アジア東岸、そしてエネルギーの供給地である中東を重視する。東南ヨーロッパや東南アジアへは恒久的に部隊を移動させるべきだという。 こうした計画の基盤を作ったのは国防総省内部のシンクタンク、ONAのアンドリュー・マーシャル室長。その下には、ネオコンのポール・ウォルフォウィッツ、I・ルイス・リビー、ステファン・カムボーン、ドナルド・ケイガン、息子のフレッド・ケイガンとロバート・ケイガン、さらにウィリアム・クリストル、エイブラム・シュルスキーなどがいた。ちなみに、ロバート・ケーガンはビクトリア・ヌランド国務次官補の夫だ。
2014.03.07

クリミアの自治共和国最高会議はロシアへの編入を全会一致で議決、今月16日に住民投票が実施されるという。こうした動きはウクライナの東部や南部にある旧ロシア領の地域にも広がる可能性があり、暫定ファシスト政権や背後のネオコン(アメリカの親イスラエル派)は何らかの対抗策を講じてくるだろう。 そのクリミアへ国連のロバート・セリー特使が通告なしに訪問、ウクライナ海軍本部の外で武装集団に囲まれ、クリミアから退去させられたという。セリーと言えば、ビクトリア・ヌランド国務次官補とジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使が電話で話し合っているときに出てきた名前だ。 ヌランドはジェフリー・フェルトマン国連事務次長からオランダの元駐ウクライナ大使であるセリーを特使としてウクライナへ派遣することを知らされ、喜んでいる。そして、ヌランドの口から「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という言葉が飛び出した。外交的に解決しようとするEUへの不満がそうした表現になったのだろう。つまりセリーはネオコンから仲間と見られている人物。今回の訪問もトラブルを見越してのことだった可能性がある。 セリーを取り囲んだというグループは自衛軍だろうが、そうした武装集団を組織する理由は、キエフで起こったことを見れば明らかだ。ソチで開催されていたオリンピックの閉幕でロシア政府が動きやすくなる直前、キエフでは屋上からの狙撃もあって状況が急速に悪化したのだが、その混乱を煽っていたのはネオ・ナチだった。本ブログでは何度も書いているように、そのグループには実戦経験を積んだ戦闘員やNATO系の施設で軍事訓練をうけたネオ・ナチが参加している。 2月25日にキエフを訪れたエストニアのウルマス・パエト外相は「西側」の報道とは違い、「スナイパーの背後にいるのはヤヌコビッチでなく、新連合体の誰かだというきわめて強い理解がある」とEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級委員(外交部門の責任者)へ伝えている。YouTubeにアップデートされた会話の録音が本物だということをパエト外相は認めた。アシュトンは「西側」が支援している側が狙撃した疑いが強いことを、少なくともこの段階で知っていたわけだ。 そうした狙撃が始まる前から「西側」に支援された反ビクトル・ヤヌコビッチ政権の勢力は石や火炎瓶をなげるだけでなく、ブルドーザーやトラックを持ち出し、ピストルやライフルを撃っていた。 その一方、ネオ・ナチの一派、UNA-UNSOのドミトロ・ブラトフは1月下旬、拉致、隔離、そして拷問されて大けがをしたと宣伝、「凶暴な警察隊」というイメージを広めていたのだが、記者からの取材を受けないまま姿を消し、「西側」が暫定ファシスト政権を作ると青少年スポーツ大臣に就任している。負傷した様子を撮影した写真をみて、メイキャップではないかと疑う人もいる。 裸の男が雪の中に立たされている映像も警察の残虐さを示すものとされ、広められたのだが、この場合、警官とされた人物は、内務省の元役人で「祖国」の保安責任者になっているアンドレイ・ヅブロビクで、映像はテレビ・プロデューサーのアンドリー・コゼミャキンの「作品」だと指摘されている。 右派セクターを率いるドミトロ・ヤロシュは現在、国家安全保障国防会議(国防省や軍を統括する)の副議長を務めているが、3月1日にドッカ・ウマロフなる人物に支援を要請している。このウマロフはアル・カイダのメンバーだと見なされている人物。今後、ウクライナをチェチェン、リビア、シリアのようにするつもりなのかもしれない。 「西側」の政府やメディアは否定、あるいは無視しているが、キエフの暫定政権はファシストの強い影響下にあり、実戦経験、あるいは戦闘訓練を受けた多くのメンバーが参加しているため、そうした人間の潜入を水際で止める必要があり、自衛軍が編成されたのは当然のことなのである。セリー特使がネオコン側の人間だとも認識されていただろう。 ロシア軍の存在にしても、新たに派遣されたのではないことが無視されているようだ。1990年代の終わりに結ばれたロシアとウクライナとの取り決めで、2万5000名までの部隊をロシア軍は駐留させられることになっていて、実際には1万6000名が以前からクリミアにはいた。つまり、今回、ロシアが送り込んできたわけではない。当然、暫定ファシスト政権も「西側」も知っていることだ。メディアだって知っているだろう。知っていながら知らない振りをしている。
2014.03.06

学者、ジャーナリスト、リベラル派、革新勢力・・・何を自称しているかに関係なく、「アメリカ政府が右と言うことを左と言うことはできない」と考えている人は少なくないようだ。支配体制の外へ一歩でも踏み出したときの結果を彼らは熟知、そうならないように注意しているのだろう。 ユーゴスラビア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア・・・そしてウクライナ。「西側」支配層はメディアを使って偽情報を流し、軍事侵略を繰り返してきたわけだが、学者、ジャーナリスト、リベラル派、革新勢力は、その嘘に気づいているだろう。 リビアやシリアで「西側」やペルシャ湾岸の産油国は地上軍としてイスラム教スンニ派の武装集団、要するにアル・カイダを使ったが、ウクライナではネオ・ナチを主力として使っている。チェチェンやシリアなどからも戦闘員が入っていることもあり、その戦術はリビアやシリアと似ている。ウクライナでも反政府派と治安部隊、双方を西側」の戦闘員が狙撃するだろうと予測していた人は少なくないのだが、その予測を裏付ける電話会話の録音が明らかにされた。これは本ブログでも書いた通り。 その会話をしていたのはEUのキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級委員(外交部門の責任者)とエストニアのウルマス・パエト外相。2月25日にキエフを訪れたパエト外相が状況を報告している。(ココにも)なお、YouTubeで明らかにされた会話の録音は本物だとパエト外相は認めている。 ウクライナのクーデター派には実戦経験を積んだ戦闘員やNATO系の施設で軍事訓練をうけたネオ・ナチが参加、狙撃できるメンバーもいるはず。ネオ・ナチのUNA-UNSOに所属する人間がスナイパーだとする情報もある。 暫定ファシスト政権にはUNA-UNSOからテチャナ・チェルノボルが反腐敗委員会の委員長に、またドミトロ・ブラトフが青少年スポーツ相に就任したという。ネオ・ナチでも中心的な存在であるスボボダ(自由)からはオレクサンドル・シクが副首相、アンドリー・モクニクがエコロジー相、オレクサンドル・ミルニーが農業相に就任し、またオレー・マクニスキーが検察を統括することになった。 やはりネオ・ナチのメンバーで、チェチェンでロシア軍と戦い、その残虐さで有名なアレキサンダー・ムージチコ(別名、サーシャ・ビリー)の行動も注目されている。検察官事務所に押しかけ、スタッフを罵倒し、暴力を振るう様子、あるいは武装解除を求めてきた暫定政権の人間を恫喝する様子もYouTubeにアップロードされている。 集会ではナチが使っていたシンボルのひとつ、太陽十字が掲げられる様子を撮影した映像もある。その右側にスボボダが現在、使っている旗が掲げられているのだが、その前に使われていたシンボルは、ナチ時代のドイツで第2親衛隊装甲師団が使っていたものに酷似している。[スボボダの旧シンボル][第2親衛隊装甲師団のシンボル] 党旗は2004年に変更されたが、党名も「ウクライナ社会ナショナル党」からスボボダへ変えられた。旧党名がナチの正式名称「ナショナル社会ドイツ労働者党」を連想させることを考慮したのだろう。ちなみにこの年、ウクライナのネオ・ナチはバルト諸国で軍事訓練を受け始めている。 パエト外相から報告を受けた時点でアシュトン上級委員は暫定政権側に狙撃の黒幕がいる可能性が高いことを知っていたことになる。クーデターがネオ・ナチの力で行われたことも承知しているだろう。そして現在、「西側」のメディアもアシュトンと同じ立場にある。 EUであろうと「西側」メディアであろうと、ウクライナの暫定政権がネオ・ナチ/ファシストの強い影響下にあり、そのネオ・ナチが銃やライフルを持ち出し、反政府派の抗議活動に参加している人や警官を狙撃していたことを知っているはず。知っていながら沈黙、ファシズム体制の樹立を黙認、あるいは支援しているわけだ。 その背後にいるネオコン(アメリカの親イスラエル派)が怖いのかどうかは知らないが、学者にしろ、ジャーナリストにしろ、リベラル派にしろ、革新勢力にしろ、本当はファシストが大好きなのかもしれない・・・と思われても仕方がない。「良いマスコミ」と「悪いマスコミ」など存在しない。同じ穴の狢だ。
2014.03.06
EUで外交問題の責任者を務めるキャサリン・アシュトンとエストニアのウルマス・パエト外相の電話での会話が盗聴され、3月5日にYouTubeへアップロードされた。キエフを見てきたパエト外相はその中で、デモ隊や警官隊を狙撃しているのは「西側」に支援されたクーデター派に雇われた人間だと推測されていると報告している。 リビアやシリアでも「西側」やペルシャ湾岸の産油国が送り込んだ傭兵が抗議活動をしている人や治安部隊を狙撃、戦闘を本格化させていったのだが、同じことがウクライナでも起こるだろうと推測する人は少なくなかった。予想通りで驚きではないが、こうした会話が出てきた意味は重い。 こうした会話が盗聴されることは当人たちもわかっていたはずで、漏れることを承知で話している可能性もある。戦争を望んでいるネオコンに対する牽制だということだ。バラク・オバマ政権が協力している可能性も排除できない。
2014.03.05
サウジアラビア政府はシリアで戦っている外国人戦闘員に対し、撤退を求めている。その理由は明確でないが、傭兵は戦争がなければ収入がなくなってしまう。戦闘員がウクライナへ移動する可能性もある。アメリカのバラク・オバマ政権やEUが話し合いで解決しようという方向へ動いているようだが、ネオコン(アメリカの親イスラエル派)は戦争を望んでいるはずで、戦闘員の増派には賛成だろう。 リビアと同じように、シリアも「西側」とペルシャ湾岸の産油国が傭兵を投入して体制転覆を目指してきたのだが、その目的は達成できていない。時間を経るに従って「西側」の偽情報戦術が発覚、傭兵、つまりイスラム教スンニ派(サラフィーヤ/ワッハーブ派、あるいはアル・カイダ)の残虐な実態も明らかになり、現在は膠着状態。 ところで、アル・カイダを操ってきたのはサウジアラビアのバンダル・ビン・スルタン総合情報庁長官だが、最近、その名前を聞かない。王室の内部で状況が変化している可能性がある。また、サウジアラビアではカタールと緊密な関係にあるムスリム同胞団に対する批判も出ている。 シリアで戦ってきた戦闘員約350名が今年1月にウクライナへ移動、クリミアのタタール系住民の中に入り込んでいるとも言われていることを考えると、イスラム系武装勢力の移動は十分にありえる話。クリミアへ持ち込まれようとした約400キログラムの武器弾薬が押収されたとする情報もある。 暫定ファシスト政権側に反発する声は小さくないわけで、反クーデター派を押さえ込むためには戦闘員を増派する必要性はある。ファシストに反発する声はウクライナの東部や南部で広がり、東部のドネツクやハリコフ、あるいは南部のオデッサなどの都市でも暫定政権に反対するデモがあったと伝えられている。 住民だけでなく、クリミアでは治安当局や軍の将兵が暫定政権から離れている。そのひとりは、暫定政権がウクライナ海軍の総司令官に任命したデニス・ベレゾフスキー少将。そのほかにも多くの人間が続いている。ネオ・ナチのクーデターに対抗した警官隊のベルクトの場合、クーデター後には命も脅かされる事態になっているわけで、暫定政権につく人は少ないだろう。 暫定政権側の部隊が動けば、ロシア軍が介入してこないとしても、反クーデター派も対抗、ネオ・ナチの部隊では戦力が不足。例によって外国から傭兵を入れる、つまりシリアをはじめ、チェチェンなどから戦闘員を呼び寄せることになるだろう。真偽は不明だが、オデッサへ傭兵会社のアカデミ(旧社名はブラックウォーター)系列のグレイストーンが要員を入れたという話も流れている。核戦争の危機はまだ去っていない。
2014.03.05
ネオコン(アメリカの親イスラエル派)はネオ・ナチ/ファシストを使い、暴力的にビクトル・ヤヌコビッチ政権を倒そうとした。憲法の規定を無視して2月23日に解任を議決しているが、ヤヌコビッチ自身は辞任を拒否、現在も自分が大統領であり、「暫定政権」の樹立は違法だと主張している。法律的にはヤヌコビッチが正しい。 この政変はクーデター以外の何ものでもなく、スボボダやUNA-UNSOなどネオ・ナチのメンバーは石や火炎瓶を投げるだけでなく、ピストルやライフルを持ち出し、スナイパーも配置していたと伝えられている。チェチェンでソ連軍と戦ったり、シリアで体制転覆戦争に参加したり、バルト諸国にあるNATOがスポンサーの施設で軍事訓練を受けているネオ・ナチのメンバーは少なくないようで、警官隊で対応するのは難しかった。イスラエルの「元将校」がクーデターに参加していたという情報もある。 こうした混乱の中、クリミアではウクライナ軍の将兵が反暫定政権派へ帰順、ネオ・ナチなど暫定政権側の武装集団が流入しないようにチェックをはじめ、400キログラムの武器弾薬も押収されたという情報も流れている。さらに東部のドネツクやハリコフなど、あるいは南部のオデッサなどの都市でも暫定政権に反対するデモがあり、各都市で連携を模索する動きもある。 こうした中、アメリカのジョン・ケリー国務長官は査証の発給禁止、資産凍結、貿易面での制裁などを検討する考えを示したわけだが、その直後、ウラジミール・プーチン露大統領の経済顧問を務めているセルゲイ・グラジエフは「個人的な意見」として、経済制裁が発動された場合、貿易の決済に使う通貨をドルから別のものに変更、「西側」の金融機関から受けている融資の返済を拒否する可能性を指摘している。石油や天然ガスの供給を止めるというケースもあり得るだろう。 クーデターの前からすでに世界では「アメリカ離れ」が起こっている。リビアのムアンマル・アル・カダフィ政権は貿易の決済をドルやユーロでなく、「金貨ディナール」を使おうとしていた。そのリビアは金塊をアメリカから引き揚げようとしていたが、同じことをイラン、ベネズエラ、そしてドイツも実行に移しつつあるようだ。 グローバル化でアメリカは製造業が崩壊、経済の基盤を失っている。投機(相場操縦)、著作権、そして借金で成り立っている国にすぎない。ドルが基軸通貨としての地位を失う前にウクライナやロシアを制圧して略奪できなければ、アメリカという国が崩壊するかもしれない。EUにとっても経済制裁のリスクは大きい。
2014.03.04

ある国の反政府勢力を経済的に支援し、その国のファシスト集団を軍事訓練、さらに国外から傭兵を送り込んで争乱を演出、選挙で成立した政権を倒し、自分たちに都合の良い「暫定政権」を作ること、つまりクーデターを容認、しかもそのクーデターに対抗するために軍隊を使おうとする国に「軍事介入の中止」を求める人たちがいる。 ウクライナの状況に関し、アメリカのジョン・ケリー国務長官はCBSの番組でロシア批判を展開、「理由をでっち上げて他国を侵略する19世紀のような行為を21世紀にすべきでない」と主張しているが、これは物笑いの種になっている。 嘘だと承知で「大量破壊兵器」の話をでっち上げ、イラクをアメリカが侵略したのは21世紀に入ってからのこと。イラクの前のアフガニスタン、後のリビアやイラクも「でっち上げ」の口実で他国を侵略したことは明確だ。こうしたアメリカの行為を人びとは忘れたと持っているのか、自分が忘れてしまったのか・・・ 今回、ウクライナのクーデターで最前線にいたスボボダやUNA-UNSOのようなネオ・ナチはOUN(ウクライナ民族主義者機構)の流れをくんでいる。前にも書いたことがあるが、このOUNの中でも暴力的な人びとがステファン・バンデラを中心に集まり、いわゆるOUN-Bを結成、そして現在のネオ・ナチに至るわけだ。ウクライナのクーデターでもバンデラの肖像画が掲げられていた。 OUNの創設にはアメリカやイギリスの巨大資本が関係していると考えられている。つまり、第1次世界大戦の終盤、1917年2月にロシアで「二月革命(グレゴリオ暦では3月なので三月革命とも呼ばれる)」があり、資本家を中心とする臨時革命政府が作られた。その背後にはイギリスの影が見え隠れするのだが、その体制を嫌ったドイツがウラジミール・レーニンなどボルシェビキの活動家を亡命先からロシアへ戻し、「十月革命(あるいは十一月革命)」につながる。「西側」の巨大資本からみると、帝政ロシア乗っ取りに失敗したということだ。 そして1920年代の半ばからアメリカやイギリスはヨーロッパのナショナリストを組織化し、その中からOUNも誕生、そのOUNをイギリスの情報機関MI6が雇っている。その後、ナチ体制下のドイツがウクライナも占領するが、そのときにOUN-Bはナチと手を組んでいる。この侵略で約300万人のウクライナ人が殺され、そのうち約90万人はユダヤ人だったとも言われている。 OUN-Bは1943年に「反ボルシェビキ戦線」を設立、世界大戦後の46年にABN(反ボルシェビキ国家連合)になり、APACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)とともにWACL(世界反共連盟)の母体になった。WACL創設の黒幕はCIAである。 ドイツが降伏した後、アメリカがナチ残党の逃走を助け、保護し、雇用していることは広く知られている話。OUNのようにウクライナを中心とする地域にネットワークを持っていた組織は特に重要視されたはずだ。 第2次世界大戦の最中、アメリカとイギリスは破壊活動を目的にジェドバラという組織を編成した。戦後、表面的には解散しているが、活動は継続、アメリカのOPC(後のCIA計画局/作戦局)やNATOの秘密部隊へつながる。 この秘密部隊の存在は1970年代から知られていたのだが、公式に認められたのは1990年。この年の10月、イタリアのジュリオ・アンドレオッチ首相が「いわゆるパラレルSID - グラディオ作戦」という報告書を発表したのである。 NATO加盟国には必ずこの秘密部隊が存在、ジャーナリストのフィリップ・ウィランらによると、NATOへ加盟するためには秘密の反共議定書に署名する必要があり、「右翼過激派を守る」ことを義務づけているという。UNA-UNSOもそうした秘密部隊の一部だとする人もいる。 こうした秘密部隊のネットワークを編成したのはソ連との軍事衝突を想定してのことだとされているが、それだけでなく、西ヨーロッパの左翼勢力を壊滅させることも重要な目的。1960年代から80年頃までの間、イタリアでは「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返して左翼のイメージを悪化させ、治安体制を強化したのは一例。 それだけでなく、1961年にあったシャルル・ド・ゴール仏大統領の暗殺未遂や63年のジョン・F・ケネディ米大統領暗殺にもこの組織の名前が浮上した。 1966年にフランス軍はNATOの軍事機構から離脱、翌年に欧州連合軍最高司令部をパリから追い出した背景にはそうした出来事があった。1991年にはフランソワ・ミッテラン仏大統領とヘルムート・コール独首相は「ユーロ軍」を創設しよう計画、潰されているが、そうした計画を立てた背景にもなっている。 こうした暴力的な装置を築く理由はカネ儲けである。ウクライナのクーデターでも背後には欧米の「国境なき巨大資本」と国の資産を盗んで富豪になった「オリガルヒ」がいる。今回のクーデターもそうした勢力がスポンサー。「黒衣」では飽き足らないのか、オリガルヒの中には要職に就く人物もいる。例えば、東部の工業都市ドニエプロペトロフスクの市長になったイゴール・コロモイスキー、やはり東部の工業都市ドネツクの市長になったセルゲイ・タルタ、内務大臣になったアルセン・アバコフ。 また、ウクライナ国立銀行の総裁を務めた経験のあるアルセニー・ヤツェニュク暫定ファシスト政権首相は国有財産、特にエネルギー部門を「私有化」し、IMFから融資を受けようとしている。IMFが登場すると、融資で借金が肥大化、「緊縮」の強要で庶民の生活は破壊され、巨大金融資本など「1%」の富裕層だけが豊かになるだけのこと。ウクライナの西部に住む人たちが憧れているらしいEUでも繰り返されたことである。 略奪を狙う人びとにとってエネルギー分野は魅力的。ウクライナの体制を転覆させるひとつの目的がここにあった可能性は高い。昨年12月13日、体制転覆工作の資金として50億ドルをウクライナに投入していることをヌランドは明らかにしているが、その際、演壇の後ろには巨大石油企業、シェブロンの看板も掲げられていた。
2014.03.04
ウクライナの首都、キエフでクーデターが始まったときからイスラエルの「元将校」に率いられた40名の一団がネオ・ナチのスボボダと行動を共にしていたとする情報が流れている。そのうち5名はイスラエル兵だという。 今回、問題を話し合いで解決しようとする試みを破壊し、暴力をエスカレートさせたのはネオコン、つまりアメリカの親イスラエル派。前にも書いたことだが、ロバート・ゲーツ元国防長官の回顧録『任務』によると、ジョージ・H・W・ブッシュ政権で国防長官、ジョージ・W・ブッシュ政権で副大統領を務めたリチャード・チェイニーはブッシュ・シニアの時代、ソ連やロシア帝国が消滅するだけでは不十分で、ロシアという存在自体を抹殺するべきだと話していたという。 これはネオコン、つまりウラジミール・ジャボチンスキー派の考え方であり、だからこそグルジアの兵士を訓練、武器/兵器を提供していたのだろう。何度も書いているが、南オセチアの奇襲攻撃を計画したのはイスラエルだと言われている。 ちなみに、ジャボチンスキーはリクードの祖とも言える人物で、1880年にウクライナのオデッサで生まれている。第1次世界大戦でイギリス軍に参加、1940年に死亡した。その後継者のひとりがイスラエルの現首相、ベンヤミン・ネタニヤフの父、ベンシオン・ネタニヤフだ。ジャボチンスキーの仲間はイギリスの対外情報機関MI6、あるいは破壊工作機関のSOEの訓練を受けている。
2014.03.03
拙著 反政府派と停戦で合意したとビクトル・ヤヌコビッチ大統領が発表したのは2月19日のこと。流血を終わらせ、国に安定をもたらすための話し合いを始めるという内容だったようだが、その直後にネオ・ナチ、つまり「スボボダ」や「UNA-UNSO」などのメンバーが破壊活動を活発化、石や火炎瓶を投げるだけでなく、ピストルやライフルを撃ち始めて死傷者が急増、合意を実行に移すことは困難な状況になった。 合意が成立した段階では、アメリカのバラク・オバマ大統領はロシアのウラジミール・プーチン大統領と同じように外交的な解決を目指すつもりだったようだが、こうした方針を「ソフト」だと考えていたのがビクトリア・ヌランド国務次官補。 ジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使と次期政権の閣僚人事を話し合っている際、ヌランドはEUが事態を外交的に解決しようとしていることに怒り、「EUなんかくそくらえ(F*ck the EU)」という言葉を口にしたわけである。 暴力行為のエスカレートは外交的な解決を破綻させる有効な手段だった。「西側」のメディアは「平和的な市民」を「凶暴な警察隊」が弾圧したというストーリーで報道していたが、実際は、棍棒やナイフで武装した反ヤヌコビッチ派が石や火炎瓶を投げ、ピストルやライフルを撃ち始めて血と火の海になったのである。ウクライナの警官隊は、アメリカや日本に比べておとなしかった。 話し合いでウクライナの問題を解決させたくないため、ネオコンはネオ・ナチに暴力のエスカレートを求めたのだろう。そのためにネオ・ナチの立場は強くなり、暫定ファシスト政権で多くの主要ポスト、特に治安関係を手に入れることにつながったと見ることができる。ネオコンは状況を格段に悪化させた。 ウクライナのネオ・ナチは単に暴力的だということに止まらない。2004年からウクライナのファシストはバルト諸国にいくつもあるNATOをスポンサーとする施設で軍事訓練を受けているが、それだけでなく、チェチェンでロシア軍と戦い、その残虐さで名前を知られるようになったアレキサンダー・ムージチコ(別名サーシャ・ビリー)のような人物、あるいはシリアからウクライナ入りした約350名の戦闘員もいる。 リビアやシリアでも戦闘が本格化する際、正体不明の狙撃手が反政府派と治安部隊、両方に向かって銃撃している。ウクライナでも同じことがあったと言われている。リビアやシリアでは狙撃が事態悪化の引き金になっているわけで、ウクライナ政府が反政府派と話し合いを進めている段階で狙撃するメリットはない。 ウクライナのネオ・ナチは軍事訓練を受けていたり、実戦の経験のあるメンバーがいるほか、シリアから入った戦闘員もいるのだが、UNA-UNSOのメンバーがやったと言う人もいる。UNA-UNSOは、政府の反腐敗委員会委員長や青少年スポーツ相にメンバーが就任しているネオ・ナチ団体だ。 何度も書いていることだが、ウクライナのナショナリストは歴史的にアメリカやイギリスの情報機関、そしてナチとの関係が深い。戦後、アメリカはCIAの外部にOPCという破壊活動(テロ)機関を設置、後にCIAへ潜り込んで計画局(後に作戦局へ名称変更)の母体になるのだが、この機関はファシストのほか、マフィアやイスラム教スンニ派の武装集団(アル・カイダ)を手下として使っている。 OPCの元になったのは、第2次世界大戦でイギリスの秘密機関で心理戦、暗殺、破壊活動を担当していたSOEとアメリカの戦時情報機関OSSが共同で設立したゲリラ戦部隊のジェドバラ。戦後も活動を秘密裏に継続した。1949年にNATOが創設されるとその内部に秘密部隊が設置されるが、そのベースもジェドバラ。 ジャーナリストのフィリップ・ウィランらによると、NATOへ加盟するためには秘密の反共議定書に署名する必要があり、「右翼過激派を守る」ことを義務づけていると言われている。 こうした秘密機関の存在が公的に認められたのは1990年10月のこと。ジュリオ・アンドレオッチ首相が「いわゆるパラレルSID - グラディオ作戦」という報告書を発表したのだ。より正確に言うならば、発表せざるを得ないところまで追い詰められたのである。(詳しくは拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』を) この報告書のタイトルにもなっているが、イタリアでは秘密部隊をグラディオと呼ぶ。「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返し、左翼攻撃の環境を作り上げた「緊張戦略」の一環だった。他の国では名称が違い、例えばデンマークはアブサロン、ノルウェーはROC、ベルギーはSDRA8。ジョン・F・ケネディ米大統領暗殺やシャルル・ド・ゴール仏大統領暗殺未遂でもこの組織の名前が出てきた。ウクライナのネオ・ナチがバルト諸国にある施設で軍事訓練を受けている背景はここにある。
2014.03.03
ウクライナの暫定政権を支えているのは、欧米の「国境なき巨大資本」、ウクライナに巣くう利権集団のオルガルヒ、そしてNATOを後ろ盾とするネオ・ナチ。治安に関係した重要ポストはネオ・ナチが押さえた。 クーデターの際、ネオ・ナチに対抗したのは警官隊のベルクトだが、先月26日、内相のアーセン・アバコフはベルクトの解散を発表、すでにベルクトのメンバーは晒し者にされている。命の危険を感じる隊員も多く、ロシアに保護を求めたメンバーに応える形でロシア外務省はロシアのパスポートを発行すると約束、おそらく、ベルクトに好意的な東部や南部へ逃げる隊員も少なくないだろう。 また、ロシア軍が入ったと言われるクリミアではウクライナ軍の兵士がロシア側についたと言われている。戦闘、抵抗はなかったようだ。 キエフのクーデターで実権を握った暫定ファシスト政府の命令に従いたくないと考える兵士も多いようで、帰順先が明確になれば、東部/南部で反クーデター軍が編成される可能性も小さくない。そこにベルクトのメンバーも合流するだろう。保護を求めてロシア側へ移動している一般市民も14万人以上に達しているという。 すでにクリミア以外の地域でも暫定ファシスト政権に反対する抗議活動が広がりつつあるようで、「西側」にとっては厳しい展開になるかもしれない。今回のクーデターを仕掛けたビクトリア・ヌランド国務次官補やジェオフリー・パイアット駐ウクライナ米国大使のようなネオコンを抱えるバラク・オバマ政権も対応が難しいところだ。暫定ファシスト政権が崩壊するような状況になった場合、NATO軍が軍事介入してロシア軍と戦闘になる展開も否定できない。
2014.03.02
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