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ある「自閉症」の男女の出会いから半生を綴ったノンフィクション。監督 : ピーター・ネス 。「レインマン」を手がけたロン・バスの脚本を、ハリウッドに招かれたノルウェー人監督ペッター・ネスが映画化。主演は「パール・ハーバー」「ブラックホーク・ダウン」のジョシュ・ハートネットと「フォーン・ブース」「メリンダとメリンダ」のラダ・ミッチェル。チェック:発達障害の一種であるアスペルガー症候群(自閉症の一種)の男女が織りなすラブストーリー。予測不可能な相手の行動に戸惑いながらも愛を育むカップル、障害を抱えながらも人生をともに歩もうとする2人の姿が胸を打つ。ストーリー:アスペルガー症候群のために平穏な日常生活を送ることができないドナルド(ジョシュ・ハートネット)は、同じ障害を持つ仲間たちが集まる集会でイザベル(ラダ・ミッチェル)と出会う。率直で感性豊かな彼女も同じ悩みを抱えており、2人は恋に落ちる。しかし、相手を愛する気持ちとは裏腹に、互いを傷つけ合ってしまい……。障害のある人のラブストーリーというと、重いかしら??と思いつつ、ジョシュ・ハーネットとラダ・ミッチェルというキャストを見たら、これは見たいゾ♪と思いました。「レインマン」は、ちょっと主演の2人の演技が、リアルすぎ?か、私は苦手でした。 ですが、今作の、ジョシュの演技は、その点、障害を持った人の苦悩などありますが、抵抗感無く見れました。ラダ・ミッチェルもエキセントリックではあるけれど、かわいらしい。ふたりが、惹かれあって付き合うトコロまでこぎつけるのも、なかなか不器用ですが、付き合いだしてからも、いろいろハードルが高そうです。アスペルガー症候群というのは、よくわかりませんが、他者との関わり方のバランスが取りにくいようなんですね。付き合いだしたふたりは、それぞれの領分を侵されたと感じると、それに過剰に反応してしまって。ラダがジョシュの部屋をお掃除するシーンは、好きなんですが、、帰ってきたジョシュは混乱。何でも捨てることが出来ない性分のようなんですね。「僕の人生を奪うな!」と決裂。何度も別れそうになりながらも、また一緒になりたいという気持ちで、後悔したり謝ったり。「2日先も、20年先も一緒かどうかはわからない」(というようなセリフだった思う)一緒にいたい、という気持ちがつづくかどうか、。相手を理解して、受け入れられるか、恋愛の普遍的テーマですよ。 アスペルガー症候群という発育障害を持った男女の抱える恋愛、、ですが、観ているうちに自然とそれを障害があるからということを忘れてしまいます。ジョシュの困った顔が、最高にかわいらしい♪一本でした。(^▽^)ふたりのその後の生活ぶりを、そのままずっと見続けたい、エンディングが残念に感じました。題名の「モーツァルトとクジラ」というのは、観ればわかりますが(当たり前ですね)2人のアイデンティティーの表れというか、。そんなような意味合いでしょうか。「イカとクジラ」と、間違えそうですね。 ノンフィクション。
2007年07月29日
22歳のフローラは、故郷コーンワルの父のもとを離れて再びもどったロンドンで新しい生活を始めようとしたやさき、偶然にも自分に双子の姉妹ローズがいることを知る。そのショックから立ち直る間もなくフローラは、ローズの代わりとして、スコットランドで病の床につく老婦人のもとを訪れることになる。だがそこで出会ったのは、安っぽい欺瞞であしらうことのできない立派な人々であった。自らのアイデンティティーの危機をはらみながら、善意からとはいえ、嘘をつき人を欺きつづけることで苦悩するフローラ。みずみずしい情感とゆたかな筆致で描き出される物語世界。作者自身もっとも深い愛着を持つ傑作長篇を名訳で贈る。(ジャケットより)最近、図書館で見つけてはまりました。ロザムンド・ピルチャー。中編作品を中心に読んでますが、ピルチャーの作品で有名なのは『シェルシーカーズ』、『9月に』など長編なんですね。中編作品の中では、私はこの『双子座の星の元に』が、一番好きのような気がします。ピルチャー自身も一番気に入ってる作品とのことです。双子がテーマというだけで、ドラマを感じます。一卵性双生児の小説では、全く趣向が違いますが、最近では、『パリングローム』スチュワート・ウッドが面白かった。双子というと、「チョット チョット」のザ・タッチが思い浮かびます(笑)双子は、離れて暮らしていても 同じような事が起こるとTVなどで見たり聞いたことがあります。それは好きな人のタイプだったり、怪我をしたタイミングや、スポーツや食べ物、職業、、などの好みだったりするようですね。もともとがひとつだったのですから、人生や運勢もに似るものなんでしょうか。でも、この作品の双子の姉妹は、全く違った環境の中で生活し、性質も全くと言っていいほど異なっています。そしてまったく互いの存在を知りませんでした。幼いときに両親の離婚で生き別れになった双子のフローラとローズ。この作品での、”双子”の利かせ方は、一方は途中からほとんど出てこないのですが、2人がいかにタイプの違う人格かを、知っていく、、というトコロです。フローラが、ローズの身代わりになることで、常にもうひとりの自分を意識します。フローラは徐々にローズの人格を、知っていきます。自分に瓜二つの双子の姉妹の、自分が知らない間にどんな生活を送っていたのか。周囲の人たちの口から語られるもうひとりの自分の性質。もしかしたら、自分もそのような人間になっていたのかもしれない。自分をフローラではなくローズとしてしか知らない人々との生活は緊張の連続で、その人達を大切に思うにつけ、騙していることが辛くなっていきます。ピルチャーの本にいつも出てくる「素敵な年配の女性」は、今回はタピーがなんともかわいらしく、魅力的。興味深い人です。ピルチャーの長編作品では、高年齢の女性がヒロイン、タピーもそんな魅力的なヒロインのひとりですね。
2007年07月20日
ロンドンの画廊に勤める美しく聡明な娘プルーは23歳。金融業界で働くボーイフレンドとは婚約寸前。平穏で豊かな生活が保証されるはずのこの結婚に母親も大乗り気だった。ある日、コーンウォールに住む叔母が怪我をし、プルーにしばらくそばに来てほしいと言ってきた。大好きな叔母のため、プルーはボーイフレンドとの大事な約束をキャンセルし、叔母のもとへと旅立つ。そこで彼女を待ち受けていたのは、気鋭の青年画家との思いがけない出会いだった。彼の過去の過ち、そしてそこから生まれた複雑な人間関係の渦、ひとりの寂しげな少女の存在…。原始的な自然の残るコーンウォール、個性的な芸術家たちをひきつけてやまないその地を舞台に、プルーの青春を描きあげる。(ジャケットより)ロンドンで暮らす23歳のプルーは、堅実派の恋人に彼の故郷スコットランドに招待されたのを断ろうとして、母親と衝突します。プルーは、コーンウォールに住む大好きな父方の叔母フィービーが腕を骨折したので、暮らしの手伝いに行こうとしているのです。コーンウォールに旅立つ時、恋人のナイジェルが見送りに来ます。プルーは、ナイジェルを通して 安楽な結婚=母に属する自分(規範の範疇))を見ます。 対して、コーンウォールの大好きな叔母は、規範に縛られない=父に属する自分 です。 ナイジェルに貰った花束が象徴的。2人は恋人として再会はなさそうです。。途中、車中で、プルーは寄宿学校から臨時で里帰りするシャーロットという少女と道連れになりました。共通の友人がフィービーであると知り、意気投合します。 シャーロットがコーンウォールでの生活のキーワードとなります。。フィービーを10年ぶりにダニエルがたずねてきます。今は成功した画家のダニエルを意識しだプルー。家族に大事にされない、シャーロット。シャーロットの母親は奔放な女性で、『コーンウォールの嵐』のレベッカの母のようですね。シャこの本はわかりやすくて、プルーの結婚相手がナイジェルではなくダニエルだとすぐに察しがつきます。このダニエルは芸術家なので、性格的にはどうなの?と不安にかられる部分もあります。いつものピルチャー作品にたがわず、ヒロインのハッピーエンドを信じて最後まで読めました。ピルチャーの本にいつも出てくる「素敵な年配の女性」は、今回はプルーの叔母フィービーですね。
2007年07月20日
ロンドンで書店づとめをしながら、一人暮らしをしていたレベッカに、病篤い母は、今まで話すことのなかった自分の家族のことを、初めて聞かせる。母が静かに息を引きとった後、レベッカは、コーンウォールのまだ見ぬ祖父の許へと旅立った。祖父は、高名な画家だったが、絵筆を捨てて久しかった。同じ屋敷に住むハンサムで魅力的ないとこ。そして驚いたことに、ロンドンのアンティーク・ショップで会ったことのある、少し強引で個性的な家具職人の青年も、ここコーンウォールで祖父の家に出入りしていた。伯父の妻、その親戚の娘、祖父の海軍時代の部下、屋敷での複雑な人間関係のなかでレベッカは、急速にいとこのエリオットに惹かれていくが、閉ざされた祖父のアトリエで、彼女は思いがけない家族の秘密を発見する。そして彼女が貰うはずだった母のかたみの書き物机が消え…。激しい嵐のコーンウォールでレベッカの人生は謎めいた運命の嵐に翻弄される。 ピルチャーの中編作品のなかで、二番目に好きな作品です。ピルチャーのお話の舞台は、大抵、コーンウォールかスコットランドのようです。◆スコットランドが舞台「九月に」「夏の終わりに」◆コーンウォールが舞台「帰郷」「もうひとつの景色」「メリーゴーラウンド」です。で、コーンウォールが舞台の物語には、大体において、画家が登場しますね。コーンウォールが舞台の映画に、最近「ラヴェンダーの咲く庭で」 ジュディ・デンチとマギー・スミス共演 がありました。 青年を海辺で助けるシーンがあったように、岸壁にお屋敷があって海に近い暮らしをしているのですね。ピルチャー作品に登場する人物群には、一定のタイプがあります。たとえば世俗的で身分や財産重視のタイプ。これにあてはまるのは母親だったりで、娘に安楽な結婚を望みます。 他に多いのが芸術家タイプで、こちらは自己中心的だったり、あるいは一般的でない型破りなタイプの男性で、父親や恋愛対象の男性に多いようですね。 それに対し”自分”の好みの生活や仕事を大切にしたい主人公。さらにまた、「残酷、利己主義,無関心」といった人々。 そうした物語の世界で、主人公は「serendipity:セレンディピティ」(偶然な幸せを発見する能力)で幸せをつかんでいきます。さて『コーンウォールの嵐』のヒロインのレベッカの母は、上記のスノッブな婦人とは正反対。奔放タイプです。子ども時代は、母の次々に変わる交際相手との暮らしに、振り回されます。そんな母とはしばらく疎遠になっていたところへ、ある時「母 危篤 至急 来られたし」という、同居の男性からの知らせが来て、はるばる会いに行きます。そこで、初めて自分のルーツを知ることになるのです。母の死を看取り、レベッカは初めて自分の家族に会いに行きます。そこで、題名の通りレベッカにとって嵐のような家族にまつわるドラマに巻き込まれます。三角関係や家族の秘密、相続問題。 母がレベッカへ、と残した骨董のライティングディスク紛失の謎も絡み、やがてハッピーエンドになるんだろうな~と、思いつつ、結構、引っ張ってますね。(笑)この辺のストーリー展開は本当に上手くて、ありがちなお話だった、と読み終わると思うのですが、すっかり引き込まれてしまいました。『高慢と偏見』といったジェイン・オースティンの現代版とも言えるのかも。
2007年07月20日
夏の終わりのスコットランド。変わり者の父親を世話して暮らすジェインの、恋のゆくえは。ヒースの草原に吹く風、二度と戻らない永遠の夏をせつなく描く愛の物語。 またも、芸術家の父と娘。今度の父は作家稼業です。親子二人の暮らしにヒビが入るところからスタートです。原因はありがちですが、父親の再婚(または同棲)。ヒロインのジェインは、父についてアメリカ各地を点々として育ちました。カリフォルニアの海辺で、なにをするでもなく夏の終わりを迎えようとしていタ時、生まれ故郷のスコットランドの祖母から、一度帰ってくるよう進める手紙が届いていました。手紙の返事が来ないことに業を煮やし、祖母は弁護士のデイヴィッドを派遣してきます。はじめジェインは父から離れるつもりはありませんでしたが、父が恋人をコテージに連れてきたことで、ジェインは故郷に帰ることを決心します。イギリス人がアメリカで暮した経験を持つことのジレンマがちょっと触れてます。少女時代を過ごしたエルヴィー荘、大好きな従兄弟のシンクレア。ジェインはシンクレアに会うのをとても楽しみにしていました。滑り出しは、ジェインとシンクレアの再会で、ふたりの恋がメインになるのか、という思いますが、故郷に戻ったジェインは、シンクレアの冷酷な性格を知るようになりますす。子ども時代、父代わりだった、年老いた猟場管理人を無理矢理引退させようとしたり、妊娠した恋人をアッサリ捨てるなど。シンクレアにはどうしようもない自己中心的性格の男のよう。やがて、ジェインはそれまで知らされなかった家族の秘密を知ることとなります。父が何故ジェインを故郷から引き離したのか。それまで家族の話題にあまり出ることのなかったシンクレアの父のこと。故郷を去る祭に父と祖母が争っていたこと。最後は大団円になるので安心して、軽く心配したりと、ゆるゆるとドラマをたのしめました。
2007年07月20日
海辺のアトリエでひとり暮らす少女、エマに訪れる出会いと別れ。エマは真実の愛を見つけられるのか。ふんわりとやわらかな青春の1ページです。 芸術家の父と娘。『もうひとつの景色』の主人公エマは、有名な画家のベン・リットンの娘。父は仕事が人生。「私は、父にとって一番どうでもいい存在」 孤独で苦しい気持ちを、父の画廊マネージャー、ロバートに吐き出す。それでもエマは父を愛し、一緒に暮らす日を待ちわびて、物語は6年ぶりで父と暮そうとパリからイギリスへとやってくる。父は、かつてクリストファーという連れ子がいる女性と再婚経験がある。ヘスターは、几帳面な女性で、(例えば 車や電話やピカピカの台所を持ちたい。脱いだ服を散らかさないで欲しい、何時も清潔な服を着ていて欲しいといったこと)型破りな芸術家肌の父(料理を作っても帰ってこない、スランプで酒場を飲み歩く)とは1年半で破局となります。その時いっしょに暮らした義理の兄クリストファーのことを、エマは忘れたことがありません。たった1年半でも、エマにははじめての家庭生活でした。父と同居を始めたのつかの間、彼は個展で渡米、そこで電撃結婚。エマはまたもや父に、裏切られた自分はどうでも良い存在なのだと思い知らされます。傷心のエマは消息をくらまします。画廊マネージャーのロバートが見つけたとき、エマは髪をバッサリ切りクリストファーの出演する、劇団の雑用をしていました。よくある設定、、と思いつつもスンナリとお話に引き込まれてしまう、ピルチャー作品。とにかく読みやすいです。女性による女性の為の本。絶世の美人が主人公になることはなく、いつも、どこにでもいそうな平凡なヒロインなのが特長ですね。共通しているのは、彼女たちは、心のどこかに哀しみを抱えていること。ピルチャー本は、ヒロインと恋に落ちるのは誰かな?と、予測する楽しみがありますが、このお話では、てっきり離れて暮らしていたクリストファーがお相手かと思うのですが、。クリストファーはベン・リットンと同じ一種の芸術家。『夏の終わり』のシンクレアに通じる利己主義を感じます。ハーレクイン的わかりやすい展開で、イギリスの風景や人物の描き方はもっと文芸的、気安く読めるのがいいところです。 ◆著作一覧コーンウォールの嵐 双子座の星のもとに 夏の終わりに 空っぽの家 野の花のようにもうひとつの風景 メリーゴーランドロザムンドおばさんの贈り物 懐かしいラヴ・ストーリーズ 九月に 帰郷 冬至まで シェルシーカーズ イギリス田園の小さな物語 ロザムンドおばさんの花束 ロザムンドおばさんのお茶の時間 ロザムンドおばさんの贈り物
2007年07月20日
『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団 』 「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」全米公開 2007年7月13日 / 日本公開 2007年7月21日 日本公開日が、7月21日。7月14~16日に先行上映。シリーズ第5弾 今作では、ホグワーツ魔法魔術学校の5年生になったハリーが、親友のロン、ハーマイオニーらとともに有志の生徒を集めて“ダンブルドア軍団”を結成し、闇の勢力との決戦に挑むという筋書き。監督は、イギリスTV界出身で本作が長編映画デビューとなるデビッド・イェーツが手がけ、脚本家もシリーズで初めて変更となり、「コンタクト」のマイケル・ゴールデンバーグが務める。また、新キャラクターとしてヘレナ・ボナム・カーター、イメルダ・スタウントンが出演するなど、新しい顔ぶれが加わっている。 ハリーポッターと不死鳥の騎士団 公式サイト ストーリー: ホグワーツ魔法魔術学校の5年生になったハリー(ダニエル・ラドクリフ)は、最近、ヴォルデモート卿のうわさを聞かないことに気付く。そんな折、魔法省は学校にお目付役として新しく防衛術を教える教師を送り込む。その授業を不満に思ったハリーは親友のハーマイオニー(エマ・ワトソン)らと“ダンブルドア軍団”を結成する。感想: 筋書きが駆け足になってしまうのは仕方ない。上下巻と、膨大ですからね~それらを、サクサクとコンパクトに仕上げてました。この「不死鳥の騎士団」は政治色がもっとも強く、いくつもの重要な主題があります。ですから原作も、おもしろいけれど、ちょっと理屈っぽい。映画がくどくならないようにするには、サクサク進める必要があったでしょう。 ・魔法省からのスパイ、ドローレス・アンブリッジによる学校の制圧・ダンブルドア軍団(DA)の結成・ハリーの初恋の起承転結・シリウスブラックの死・明らかになるハリーとヴォルデモートに関わる予言 スピーディーな展開はいいけれど、端折りすぎで、説得力、説明不足となり、メリハリがなくなってしまった感じデス。映像は良かったです。滑り出しの、ディメンターとの対決や、ムーディたちが助けに来て飛ぶシーン、魔法省の内部は圧巻でした!でもね、原作で私が最も好きだと思うシーンは、ほとんど削除されてましたよ。わざと、感情的なドラマ面は削除したのかな?と思うほど。やっぱり クイディッチが無いとがっかりですね。ロンの"ウィーズリーは我が王者~♪” と担がれるシーンが見たかった。あれを クイーンの「伝説のチャンピオン」 のテーマで聞けたらな~っと思っていたのですが(笑) ドローレス・アンブリッチ は、あのウザイ極地のオバサンぶりが最高に良かった。もっと陰湿でネチネチしてもよかった。 あの、手に刻まれる罰則。 ハリーが罰則の内容を、ロンがクイディッチの特訓を互いに秘密にしているエピソードが好きで、ふたりの友情にも磨きがかかってきたな~と感じる箇所が、なくて残念です。スネイプやジェームズ・ポッターの学生時代のエピソード を、もっと長く見たかったね~。「閉心術」の特訓も。 リリーとジェームズのやりとりは? それまでのハリーの、父は素晴らしい人だったという心の支えがポッキリ折れてしまう、スネイプの過去。親の世代のドラマが食い足らないかな~と。 ラストの魔法省での戦い が短い。ハリー以外の団員の活躍が無かったので、。ヴォルデモートもっと見たかったです! ベアトリス・レストレンジのヘレナ・ボナム・カーター。出番が少なかったですが、いずれネビルとの対決でも見たいものですね。ヴォルデモートとダンブルドアの対決は圧巻でした!ハリーの孤独はよく出ていました。それだけ、ハリーが周囲と距離を感じているようなつくりになったのでしょうか。 周りとのふざけっこなど、ユーモアや楽しい雰囲気が、今までで一番無かったですね。過酷なストーリーになっていくので仕方ないですが、もうちょっと笑いが欲しいかな~。その中でフレッドとジョージのイタズラぶりなどは救いなのでしょう。2人がホグワーツを去ることにした理由が中途半端でしたが~。(クイディッチを外したから仕方無いけど)。笑えるネタは極力外して、終始真面目な地味な作りでした。そういえば、クリーチャーの出演意味はまるでナシじゃないですか?伏線というものが、あんまり無かったですね。ラストに、そうつながるのね、といった爽快感があまりなかった。明らかになる ハリーの秘密 予言の意義も、半分以上端折られてましたし。その辺の理屈はアッサリ流し、変わりにヴォルデモートに無い ハリーの力「愛することができる力」を打ち出そうとしたようですね。 次回作「謎のプリンス」も同イエーツ監督だとか?正式決定ではないのかな?大丈夫かな~?? 迫力映像の作成と、筋書きを追うことで一杯一杯なんじゃないでしょうか。「アズカバンの囚人」アルフォンソ・キュアロン監督 の持ち味は 映像美での情感あふれる作風。「炎のゴブレット」マイク・ニューマン監督 の生き生きした 英国らしい学生生活の風景。クリス・コロンバス監督の子ども愛らしさ、美しさ これらに比べると、イエーツ監督って、特徴があんまり無いみたい。ここにこだわって作ってます、といった軸が無いようだった。ハリポタシリーズのファンではないのだろうな、冷静に見せ場を選んで、うまく要約したな、という出来。でも、シリウスが良かった! 問題のシーンはアッサリだったけど、そう、「私の息子に手をだすな!」という コテコテのセリフに 心臓がギュギュ~。2人が再会して抱き合うシーンを、ハリーが繰り返し回想するトコロ、涙が流れました。とってもコンパクトに、愛と友情を詰め込みましたね。ん?涙が出たということは、良い出来だったっということですか?確認の為にも、もう一度見に行きます。いや、もう2回行くかも。文句や突込みを入れつつ、結局そうなるのです。(^O^)♪いや~、しかし、グロウプはいただけません。セストラルは良かった。例によって動物のCGは良くて、人物はなぁ、、。■ハリー・ポッターシリーズ 第7巻 原書 発売日決定!J.K.ローリングさんのオフィシャルwebサイトで第7巻2007年7月21日 英国夏時間0:01に発売されると発表されました!いよいよ、ハリーシリーズ最終巻が発売されるのですね。日本ではまた一年ほど翻訳を待つことになるけれど、この有名な少年の運命がとうとう明かされるのですね。ハリーは 果たして 生き残るのかしら。↓原書を読んでない方はネタバレ注意生き残って、ジニーの元に帰り、結婚してたくさん子どもを育てて欲しいな~。(トレローニーの予言で「結局、貴方はそんなに早死にしないし、子沢山で幸せに暮らすでしょう」というのがあるんで、それを信じたい。)ダンブルドアの後を継いで ホグワーツの校長になるとかさ。でも、やっぱり あんまり有名なシリーズなので、何年か後に またシリーズ続編が再回、なんてことにならないようにというローリング女史のけじめをつけたい気持ちから、ハリーはやっぱり死んでしまうのか。(泣) どのような結末となるのでしょうか。 【ハリー・ポッターシリーズ】Harry Potter ●●J・K・ローリング●● 「静山社ハリーポッタと謎のプリンス」公式サイト
2007年07月16日
『ゾディアック』(2006)ZODIAC 上映時間 157分 製作国 アメリカ 初公開年月 2007/06/16 ジャンル サスペンス/犯罪/ミステリー 監督: デヴィッド・フィンチャー 原作: ロバート・グレイスミス 出演: ジェイク・ギレンホール ロバート・グレイスミス マーク・ラファロ デイブ・トースキー刑事 ロバート・ダウニー・Jr ポール・エイブリー アンソニー・エドワーズ ウィリアム・アームストロング刑事 ブライアン・コックス ベルビン・ベリー イライアス・コティーズ ジャック・マラナックス巡査部長 クロエ・セヴィニー メラニー ドナル・ローグ ケン・ナーロウ ジョン・キャロル・リンチ アーサー・リー・アレン ダーモット・マローニー マーティ・リー ●『ブラック・ダリア』と比較ジェームズ・エルロイ原作ブライアン・デ・パルマ監督で、豪華俳優の共演だった『ブラック・ダリア』。同じ年代で、迷宮入り事件の実話が元となった設定が非常に似ています。『ブラック・ダリア』は、サスペンス型ドキドキ感、お色気、看板俳優ズラリで華やかでした。 対して、『ゾディアック』は華やかな俳優よりも芸達者な個性はがズラリ。 ストーリーは事件を追っては壁に当たる、地味な展開。また、ラストは『ゾディアック』の方が、玄人ごのみの仕上がり感でした。当時の犯人の決め手が、筆跡鑑定のみ。というのは今では考えられないことですよね。、迷宮入りの事件の犯人を どちらも明確にした点も同じです。しかし、犯人像が、『ブラック・ダリア』はドラマチックに走りすぎたのに対し、『ゾディアック』はあくまで、証拠や検証にキチンと沿っていました。●犯人にさえ人情味この頃の 猟奇サスペンスを見慣れているせいか、『ゾディアック』の犯人は、まだ、人情が残っている、、なんて感じてしまった。それほど、最近のホラーは、ひどいし、現実世界の事件もひどい。日本では、毎日、誰かの死体がみつかり、誰か殺されているように感じますから。。『ゾディアック』の出演者が、みんな良い味でてます~。それぞれ、存在感といい、癖のある人柄のにじみ出た様が、飽きませんでしたね。ファンの俳優や女優はひとりも居ませんでしたが、凄く楽しめました。マーク・ラファロはコロンボ刑事みたいで受けました。ロバート・ダウニー・Jrが、また最高にカッコよかった。
2007年07月16日
執筆に行き詰まり、ロンドンで荒んだ生活を送るジェイ・マッキントッシュ。少年時代にある炭坑町で出会った不思議な老人ジョーとの夏の思い出を描いた作品は、ベストセラーとなったが、それも14年前の話だった。世界中の珍しい野菜や果実を育て、ワインやジャムを作り、おまじないを信じ、かつての冒険を熱っぽく語るジョーに少年ジェイは夢中になった。しかし、老人は、ある日忽然と姿を消してしまったのだった。思い出の炭坑町を訪れたジェイは、奇跡的にジョーの作った6本のワインを見つけ、持ち帰る。そして、まるでそのワインの不思議な力に導かれるように、南仏の田舎村ランスクネに移り住むことを決心する。気のいい村人たち、奇妙な隣人マリーズとその娘ローザとともに、そこでジェイを迎えたのは、なんと、懐かしいジョーの亡霊だった…。謎と愛と友情が絶妙に溶け合ったワインがもたらす小さな奇跡。薫り高く芳醇な味わいで、人生の不思議と喜びを歌い上げる、大人のための寓話。 ベストセラー『ショコラ』 と同じ村を舞台に描く食の魅力満載のファンタジー『ブラックベリー・ワイン』 のジェイとジョーの関係は、映画「ニュー・シネマ・パラダイス」の、トトとアルフレッドです。老人は少年に伝えたい、残したいことがある。けれども少年が老人の贈り物の大切さを知るのは、大人になったずっと後のこと。 そのときには、もう2人が会うことは叶わない。『ショコラ』 の姉妹編ですが続編ではありません。フランスの小さな村ランスクネ・スー・タンヌが舞台。ヴィアンヌとアヌークは既に村を去っていて、ジョゼフィーヌがカフェの女主人となっています。川のジプシーだったミシェル・ルーは村に居ついて、クレルモン工務店で働いています。1999年のロンドンからランスクネに移り住んだジェイと、1975年~1977年、夏休みをカービー・マンクトンの祖父母の家で過ごしていた少年ジェイと老炭坑夫ジョーの交流の物語が交互に語られていきます。その2つのジェイを結びつけるのは、ジョーが残した6本のワイン「ザ・スペシャルズ」 。その6本を、どのようにジェイが手に入れたかというのも、文中のひとつの見せ場ですね。『ショコラ』 のヴィアンヌに比べると、ジェイは平凡です。行き詰まった作家。 物語中盤まで、過去と現在の話が交互に語られますが、テンポがいまひとつ。でも中盤以降、良かったです。『ショコラ』ほど、文章を追って、チョコレートの甘い香りによだれが出そうということはないです。ワインは普通の葡萄のワインではなく果実酒。 芳醇な香りに包まれるというより、まるで自らの意志を持っているかのように人の口を滑らかにする、不思議なワインです。 執筆に行き詰まった作家ジェイ。ロンドンを離れ、少年時代に出会った老人が作ったワインの不思議な力に導かれフランスへ移り住む。ワインがもたらす人生の奇蹟と喜びを歌い上げる大人のためのファンタジー。ジェイ・マッキントッシュは37歳のイギリス人の作家。14年前に「ジャックアップル・ジョー」をいう長編小説を発表して、たちまち世界中の注目を浴びるようになったにもかかわらず、それ以来発表したのは短編が8編ほど。そして途中まで書いた「不屈のコルテス」があるのみ。5年前から一緒に住んでいる25歳の美人ジャーナリスト、ケリー・オニールの激励の甲斐もなく、作家としての活動はそのまま中断されていました。生活のためにジョナサン・ワインサップというペンネームで二流のSF小説を書きながら、酒を飲む日々。しかしある朝、ジェイがジョーの残したワイン「ジャックアップル’75」を飲んでいる時に届いた1通のダイレクトメールによって、その生活に急速な変化が訪れます。ジェイはタンヌ川のほとりのランクスネという村にある古い農家を衝動買いすることに。(「BLACKBERRY WINE」那波かおり訳)
2007年07月16日
フランスのはずれの小さな村に、町から町へと放浪を続けている、謎めいた女性ヴィアンヌとその娘アヌークがやってきた。古いしきたりに囚われないこの不思議な母娘は早速、教会の近くにチョコレートの店を開く。村人たちが見たこともない色鮮やかなチョコに溢れる店内。そしてなぜか彼女の薦めるチョコは、それぞれの口にぴたりとあった。その甘くほろ苦い、至福のひととき。固く閉ざされていた村人たちの心はゆっくりと解きほぐされ、これまで忘れていた、人生を愛する喜びを取り戻してゆくのだが…。読む人すべてを幸せにしてしまう、とびきり美味な極上の寓話。 映画「ショコラ」 画像一覧幸せのチョコレートを売る母娘の物語ーー美味しくて暖かな極上の寓話!アカデミー賞五部門ノミネート、ゴールデン・グローブ賞四部門ノミネート作品の原作小説。 ジョニー・デップ主演作品の中でも、ジョニーのジプシー姿を堪能できる作品で印象深いです。映画も、「大人の童話」的魅力がたっぷり。●母と娘原作は、さらにきめ細かくヒロイン ヴィアンヌ(映画ではジュリエット・ビノシュ)の心情が伝わりました。ヴィアンヌが母と旅した日々のこと。母となった自分と娘のこと。母から娘へと受け継がれているもの、。母は常に何かから逃げて街から街へと娘を連れて逃げていた。それは「黒い男」に象徴される世間の常識、因習。ヴィアンヌは、母とは違った生き方をしたいと思う。ひとつの村に留まって暮したい。商売をして生計をたてたい。村に受け入れられたい。もうひとつの母と娘の物語があります。アルマンドとカロ。こちらは心を通わせることができないままの母娘ですね。 このパターンの母娘というのを膨らませたのが『1/4の、オレンジ5切れ』でしょうか。●フランスの小田舎の風情ジョアン・ハリスの作品はどれも 仏の小田舎が舞台。そんな村の良さ?がジックリじんわり読んで味わえます。閉鎖的で因習にすごく縛られている。よそ者をなかなか受け入れず、変化を嫌っている。かたくななで冷たそうだけど、その奥には、温かさが隠れている。●チョコレートの魅力が満載ですね♪人々の心をほんの少し、癒し、豊かにするエッセンス、チョコレート。甘いものの表現が素晴らしく、活字の間からチョコレートの香りが漂ってくるようです。これを読みながら ホットチョコレートを飲んだら太ること確実ですね。●ヴィアンヌVSレノー神父なんといってもこの2人の対決ぶりが大きなテーマのひとつです。言ってみれば ”魔女VSキリスト教”。どっちも科学とは相反してますが。それぞれの持っている真実?がぶつかり合うのですね。 ヴィアンヌやアルマンド(映画のジュディ・デンチが素晴らしい)のような 魔女的発想の女性は、生活に根ざしてるし、人の弱さや、悦び、哀しみ、悩みなど、現実に即した生き方の選択をしている気がしますね。 レノー神父は、上からの物言いで、神の教えはああだ、こうだ、、理想を村人に押し付けるけど、現実にはどうなの?という感じ。夫の暴力に苦しむジョセフィーヌを救うことが出来ない。”結婚の宣誓”は神聖なものである、という教えから 外れたことが言えない。ちいっとも、現実に人を救うことはできないでいる。ヴィアンヌはジョセフィーヌに、誰でも間違っていると気づいた時にその場を去ることが出来るし、やり直すことが出来ることを示すし、一人で無理なら周りが手助けをすることもできるとちゃんと伝えてる。日曜のミサに来ないから、シングルマザーだから、、それでもうヴィアンヌは罪人と断罪されてます。それを、「人がなんと言おうと、気にしない」(気にしないワケではないけど、気にしてもしょうがないし、これまでの人生でそういう目は散々 経験してきたから、達観できる強さがある。)ヴィアンヌが 旅から旅の生活で得てきた強さを持つのに対し、レノー神父は小さい村を支配してきた、狭量さが自分の首を絞めてますね。もっと人間視野を広く持たないと、、。レノー神父がラストに迎える終焉はお気の毒です。ソ底が最大の見せ場でしょうが。 その後の彼が気になるのですが、、村にはとどまったのかしら??ヴィアンヌの強さと風のような生き方も素敵ですが、レノー神父の凍屈さ、あまりに頑なな愚かしさ、が、なにやら哀愁で。。間違いだらけの彼こそ、誰か救ってあげたのかな?これの続編『ブラックベリー・ワイン』では、その後の村の様子や登場人物達が描かれてます。あの、家庭内暴力に苦しんでいたジョセフィーヌが立派にカフェの女主人をしている様子がうれしいです。未読ですが、ゼナ・ヘンダースンの「ピープル」シリーズみたいな感じもあるようですね。++++++++ハリス,ジョアン[ハリス,ジョアン][Harris,Joanne]フランス人の母とイギリス人の父との間に生まれる。『ショコラ』と『ブラックベリー・ワイン』(ともに角川文庫)の大成功で一躍ベストセラー作家の仲間入りを果たす。毎年のように新作を発表する活躍ぶりで、上質の文芸作品は各国で人気を博している。イングランド北部の小さな町で、夫と娘とともに暮らしている
2007年07月16日
母が死に、1冊のノートが遺された。ドイツ軍が駐留し、レジスタンス運動が巻き起こったフランスの片田舎で、あの日、本当は何があったのか―。追憶のまばゆい光の中できらめく故郷で、あまりにも幼すぎ、無邪気だった私。ノートに綴られた母の心のつぶやきが今、私の胸をえぐり、贖罪の涙を誘う。『1/4の、オレンジ5切れ』---この一風変わったタイトルの小説は2001年本国イギリスにてダブルデイ社より刊行されました。著者ジョアン・ハリスにとっては『ショコラ』『ブラックベリー・ワイン』と書き継いできた食にまつわる題名を冠した小説シリーズ”食のトリロジー”の最後の一作となります。街から街へとさすらう母子がフランスの片田舎にチョコレート店を開いたことからはじまる村の騒動を描いた『ショコラ』(1999)は話題のベストセラーになり、ジュリエット・ビノシュとジョニー・デップの共演で映画にもなり、一躍ジョアン・ハリスの名を世に知らしめました。そして2002年刊行の 『ブラックベリー・ワイン』は、前作と同じフランスの架空の小村ランクスネ・スー・タンヌを舞台に、この村に移り住んだ男をちょっぴりファンタジーのスパイスをまぶして味わい深く仕上げた大人の寓話です。『ショコラ』『ブラックベリー・ワイン』の前2作とは 趣を異にした『1/4オレンジ5切れ』。チョコレートやワインが人々の心のしこりをほぐし、新しい人生へと導く幸運のアイテムとなっているのに対してオレンジは 吉兆の食べものとしては描かれていない。主人公フランボワーズが市場で手に入れた果実を手榴弾に例えたように、血のように赤い果汁を滴らせるオレンジは、ある種の凶器です。主人公の心に突き刺さる過去の事件をよびさますシンボルです。『ショコラ』のなかにも、一瞬暗い淵を覗き込むような箇所があります。特に主人公ヴィアンヌと母とのつながりには、背筋がゾクッときます。本書では闇が一層暗くなる分、光も鮮烈です。闇をくぐりぬけてきたフランボワーズだからこそ、新しい人生への旅立ちは、忘れがたい感動を呼び起こします。本書の不思議な題名は、こどもたちでオレンジを分けるとき、主人公が4等分するふりをしてこっそり5つに切るという場面からきています。また、老カワカマスの”おっかあ”(Old mother)という命名は、川の主という意味で使われるが、これに”母”の意味合いを残す為に、そう訳されました。 (あとがきより 抜粋)64歳のフランボワーズは、故郷に帰ってきました。かつて 母と兄と姉と暮した果樹園の家に。しかし、かつてここに住んでいた一家のひとりであることを、村の人々には、ひた隠します。「あんたは、以前ここに住んでいた偏屈な女とは全然違うな!」月日が経ち、疑い深い村人から、ようやく受け入れられたころ、何気ない一言。兄弟の中で 誰よりも母に気質が似ている自分をますます感じるこの頃なのに。「お前はかあさんの、お気に入りだったからな」 子ども時代。ナチスドイツが、村に駐留していた頃の、ひどい事件、一家に落とした傷痕。。どうしても帰ってこないではいられなかった故郷。身元を偽ってでも、故郷でもう一度、見つめたかったものとは。見つけたかったものとは。 母の残した雑記帳と向き合ううちに、現在の自分より30歳も若かった母を知るようになっていく。 決して単純な明るい人ではなかった母。その病。事件。ほんとうは何があったのか、自分の知っていることと母の残した手記から再び、当時の出来事が蘇る。朽ちていた家をなんとか住めるような状態し、母のレシピを元にクレープ屋を繁盛させ、村に溶け込んで20年余過ぎた頃、またも、フランボワーズに難問が降りかかってきます。鮮やかな 光と色彩に溢れた本でした。フランスって、<食>の文化がホントに豊かなんだな、と感じ入ります。 素朴な母の手料理の様子や、それぞれ名前を付けられた果樹園の木々。裸足で駆け回れる森や川。<母への贖罪>、親子の気持ちのすれ違い?など、読んでて辛くなる箇所も。母に冷たい言葉や視線を投げかけてしまったこと。 母に似ている自分だからこその反発・反抗。 もう会うことのない母。 そして、自分にも娘がいて、これまた、かつての母と自分の図式のような関係になっている。。母が発作に襲われる時、「誰かオレンジを家に持ち込んでいないか?」オレンジが無い場合でも、嗅覚にくるらしいですね。人の脳というのは不思議です。なんの発作だったんでしょう。。偏頭痛はいろんな原因があるようですよね。 バファリンとか、ナロンエースとか、いまだったら手軽に買えますが、主人公母の頭痛に苦しむさまが、気の毒でした。++++++++ハリス,ジョアン[ハリス,ジョアン][Harris,Joanne]フランス人の母とイギリス人の父との間に生まれる。『ショコラ』と『ブラックベリー・ワイン』(ともに角川文庫)の大成功で一躍ベストセラー作家の仲間入りを果たす。毎年のように新作を発表する活躍ぶりで、上質の文芸作品は各国で人気を博している。イングランド北部の小さな町で、夫と娘とともに暮らしている
2007年07月10日
大学時代、ひとつ屋根の下で暮らした四人の女性。そのうちのひとり、リディアの葬儀が、卒業後離ればなれになった彼女たちを再会させる。若く才能あふれるギタリストだった、今は亡きサルバドールと大恋愛の末に結ばれたリディア。その身に何が起きたのか?威厳に満ちたサルバドールの母に招かれ、壮麗な居城へ足を踏み入れたかつての友人たちが遭遇する、いくつもの怪異と謎。 2002年度の「このミステリーがおもしろい」堂々第一位の「飛蝗の農場」は、著者の一作目だそうですね。 そちらは未読なので、初ドロンフィールドです。 上巻はいかにもな、ゴシック調、雪に閉じ込められた洋館での、幻想小説?サイコホラー?。。的なのに、読み進むうち、青春小説やハーレクインロマンスか?なストーリー展開。おもしろいんですけどね。主な登場人物女性四人や、サルバトールや彼の母、城の使用人ら、の視点でのつぶやきがくるくると入れ替わって語られている。そして時系列も、入り乱れてます。謎が何層構造にもなってる感じです。現在:リディアのお葬式後過去:<1>四人の大学時代 サルバドールとの出会い <2>サルバドールのおいたち未来:オチ時系列や、各人のつぶやきでバラバラと語られてる割には、すっきりした筋立てでした。関係なさそうな、ナチのはなしや執筆中の小説の筋、などは読み飛ばしちゃってかまわないでしょう。本筋とはあまり関係ない。 まあ。サルバドールの先祖やらの話に関わるのだけど、そこまで綿密に読まなくても大筋は困りませんでしょう。女性たち、リディアがムードメーカー的で明るくて美人、サルバドールと結ばれる。オードリーは進歩的で野心家、恋やSEX、お洒落など発展的タイプでちょっと鼻持ちならないトコがある感じ。べスはおっとり母性タイプの平凡な子。レイチェルは太めでトロイ子扱い。そんな彼女たちがリディアのお葬式で何年かぶりで再会する。なんで疎遠だったの?若い頃にケンカしたの?それは男の取り合い、サルバドールを取り合ったのかしら??? 再会したときの、お互いにむけるシビアな悪意の目。でも、一緒に暮していた頃の、四人のバランスはなかなかいいんですよね。 <復活>ってなんだろ?吸血鬼モノ?と思いつつ読んでてかなり楽しめたのはたしかです。謎めいた人物に感じたサルバドールにも、当初は女性をもてあそんだ卑劣漢なのか?なんて、勝手に想像していたのが、思いのほか深い苦悩を抱えた人物で、わかるにつれ親近感。 どうやら、ミステリファンの評価が高いのは、正統派ゴシックをからかったパロディ(バカミスっぽさ)要素のよう。性やセックスについて、下世話っぽいけど、ベタベタロマンチックに陥らず、良く言えば知的なジョークというか、、そういうのを気楽に愉しむつもりでないと、ラストのほうで、真面目なオチを期待した人は のけぞる結果に。 たしかに、ありがちな、オチでないことは確かです! 旧洋館の奥様が、マジな悲壮感を漂わせて、張り○○を語る、、。どっひゃ~、ですねぇ。。ナチとか、小説の筋とか、、いろいろちりばめられて、胡散臭さたっぷりなのに、ちゃんと最後まで読ませちゃうのは、ホントすごいかも。ところで、読んだ人にだけ分かる独り言ですが、つまり、Sはあの「2月」の名の元ナチの執事の子ってことですな? なんとも気の毒な、執事のお言葉。「私には 義務ではありませんでした。」うーん。お家騒動のひとつのタイプですね! 未亡人と忠実な執事の、恋。執事には恋心あったんでしょうが、奥様は。。その狂った主従関係が、特権階級のあった古い時代の意識からくる感性で、それがこの小説のゴシックの基盤ですね。ジャンルとして、ミステリにくくりきれるかな?という気もしますが、こんにちのミステリは、ずいぶん広い範囲になってますね。 <事件>より、<人物>の、過去や人生や、精神や、感情、、などを解き明かすこことをも、<謎解き>と称してしまうのですから。下の書評でもありますが、ホントに型破りですね。型破りな構成と巧みな語りが冴える大作 (東京創元社 書評より) 2002年。ひとりの英国作家のデビュー作が、わが国翻訳ミステリ界の話題をさらいました。 サイコスリラーを巧みな語り口で再構成して、読む者に斬新かつ多大な衝撃を与えたその作品『飛蝗(ばった)の農場』の著者、ジェレミー・ドロンフィールドです。 そのドロンフィールドが、『飛蝗の農場』の翌年に発表した第2作が、『サルバドールの復活』です。『飛蝗』の中に、本書の内容に触れた訳者あとがきがありました。 「現在と過去が入り乱れ、手記や日記、さらには作中小説やコンピューターゲームのプロットや大学の試験問題文までもが挿入される構成」 (『飛蝗の農場』訳者あとがきより抜粋) 語り手、形式の異なる、さまざまな種類の文章を、『飛蝗』以上に磨き抜かれた構成と叙述で読ませる物語の一大建築、それが『サルバドールの復活』なのです。 *第1位 CSミステリチャンネル「闘うベストテン」/海外部門 *第4位『週刊文春』「2005ミステリーベスト10」/海外部門
2007年07月09日
800年の時を越え、幾多の人々を狂わせる「迷路」の謎。同じ運命に結ばれた2人の女性。世界をゆるがせた壮大なミステリー。800年の時を越え、「迷宮(ラビリンス)」の危険な秘密が解き放たれる。2005年7月、フランスのスララック山で、アリス・タナーは友人の考古学者シェラ・オドネルが副責任者をつとめる遺跡発掘現場に短期ボランティアとして参加していた。その最終日、アリスはどうしてもなんらかの成果をあげたくなり、指示されていない場所まで行ってみた。そこで岩が転がり落ち、洞窟が姿を現したとき、アリスの中でなにかの記憶がよみがえり、誘われるように洞窟へ入っていった。 1209年7月、カルカソンヌのコンタル城で、家令ベルトラン・ペルティエの娘であり、騎士ギレム・デュ・マスの妻であるアレースは、早朝、こっそりと行った川で、男の死体を発見した。その頃カルカソンヌは、コンタル城の城主レモン・ロジェ・トラアンカヴェル子爵が異教徒を保護しているとして、十字軍に攻められようとしていた。カルカソンヌはヨーロッパ最大の城塞都市で守りは堅く、シテを中心として町は栄えてはいたが、十字軍の力はあまりに強大で、その攻め方は残酷だった。 ++++++++「世界史」が、授業からすっぽり抜けていた、昨今の高校生の授業カリキュラムが明らかになったのが、ニュースになりました。「聖杯伝説」とか「ダヴィンチ・コード」とか、、歴史への興味って、知識があるないで随分面白さがちがうと思います。若い時に歴史への興味や好みの土台があるといいと思いますね。 「ラビリンスも」そんな 聖杯伝説ブームの作品のひとつかな。 ファンタジー感覚も強い。 「聖杯伝説」「十字軍」「カタリ派」などの中世キリスト教の攻防物語に詳しい人には、物足らない感じ、 詳しくない人は、歴史背景を理解するのに苦労しつつ読む。。賛否両論 面白かった人と面白くなかった人と感想はまっぷたつのよう。十字軍の無差別殺戮の凄まじさとか、人間関係とかは詳細に書いてあって、そこが面白いか、かったるく感じるか分かれ目のようですね。 肝心の主軸の<書の謎>とか、<聖杯>のことなどが、あっさりしてるのかな。その辺を期待すると、つまらなくなってしまうような。中世ヨーロッパ、キリスト教攻防戦、同時進行ストーリーが抵抗なく、好みの人は、楽しめる本。「ヒストリアン」より軽め?途中停滞や、読み飛ばしなどは、サクサク無く読めました。半年ほど前に読んで、感想を書くのをサボってしまって、気抜けた感想になってしまって、すみません。 ■ケイト・モスオレンジ賞の創設者名誉理事ヨーロッパ女性功労賞受賞者王立芸術協会会員
2007年07月04日
舞台はアメリカの小さな町ブラックストーン。すべては、廃墟となって町を見下ろす古い精神療養所を壊すときから始まった。プレゼントが届くとなにかが起きる連続事件。町の新聞『ブラックストーン・クロニクル』の編集長オリヴァー・メトカフに、第二の犠牲者ジュールズ・ハートウィックは言った。「きみがとめなきゃいかん…そいつがわれわれ全員を殺す前に」なにをとめるんだ?この町は、呪われた町なのか?町を恐怖に陥れた黒い人影は、今夜も闇のなかで次のプレゼントを選んでいた…。1番目のプレゼントはアンティークドール、2番目のプレゼントはロケットペンダント、3番目のプレゼントはドラゴンのライター、連続事件は、はたしてどこまで続くのか…。 ジョン・ソールは、五冊読めば飽きる。そんな、過去の定説だったらしいですね。ソール本は、これで3冊目ですが、従来の「児童虐待」に「バッドエンディング」というストーリー展開ばかりの作品群、、というわけでもなく、これまた、非常に読みやすかったです。この『ブラックストーン・クロニクル』は6つのプレゼントを巡る物語で、六ヶ月に渡って6冊刊行され、日本では上下巻のハードカバーで出ました。プレゼント毎のエピソードが良く出来ていておもしろかったです。ラストは、おそらく、こうじゃないか、、と思うようなオチでしたが、まずまず。最近、以前に比べればやや爽やかな作品が翻訳されるようになったようですが。この『ブラックストーン・クロニクル』は、ハッピーエンドですしね。 訳者 金原瑞人:あとがきより 二〇〇六年五月二十二日 ジョン・ソール。一九四二年生まれ、アメリカの中堅ミステリ・ホラー作家、といった位置づけだろうか。日本でも人気があって、翻訳はすでに二十冊を超えている。 処女作は『暗い森の少女』(一九七七年)。日本語のタイトル通り、「暗い」(ただし、原作のタイトルは Suffer the Children)。過去に父親が娘を犯して自殺する、という事件があり、その百年後、同じ惨劇が繰り返されるというふうな展開。かなりえぐい描写もあり、そしてジョン・ソールのそれ以後の作品にもよくある「救いのない結末」。 ジョン・ソールはこの手の作品をかなり書いている。もちろん、一方には『マンハッタン狩猟クラブ』という、歯切れのいいミステリ・サスペンスもある。マンハッタンの地下鉄世界に放りこまれた青年が、犯罪者とともに、追っ手をかわして逃げまくるという小説だ。ただ、この作品でも、仲間の犯罪者というのがひと癖あって(男が好きで死姦が好き)、主人公は追っ手から逃げながら、この仲間もかわさなくてはいけない。そして、ひねりのきいたエンディング。 まあ、ある意味、わかりやすすぎるミステリ作家といっていいかもしれない。 が、なぜか前々から気になっていて、あるとき、十冊ほど買いこんで読みふけったことがある。ある種の魔力のようなものがあって、延々とグロテスクな場面や、残酷な描写が続いて、あげくのはてに暗いエンディングといったものも少なくないのだが、不思議な力があって、最後まで読んでしまう、いや、読まされてしまう。 スティーヴン・キングやクライヴ・バーカーといった、斬新なモダン・ホラーではまったくなく、スタンダードな古典的な恐怖小説をそのまま現代に持ってきたような作品を書くのだ。これが逆に、とても新鮮だった。 とにかく力がある。いやおうなく読まされてしまうのだ。圧倒的な力といっていい。 そんな力を持てあましていたジョン・ソールが初めてそれをバランスよく、巧みに使いこなした作品がこの『ブラックストーン・クロニクルズ』ではないかと思う。 モダン・ゴシックともいうべき『暗い森の少女』の特徴を色濃く残しながら(繰り返されるグロテスクな惨劇)、『マンハッタン狩猟クラブ』のテンポのよさとスリル、そしてラブロマンス。そう、悲惨な事件は起こるものの、この作品、救いはあるし、最後はハッピーエンドなのだ。 舞台は田舎町、ブラックストーン。うち捨てられて久しい精神病院に解体の鉄球が打ちこまれるところから物語は始まる。ここは新たに町のセンターとして再建されることになっていたのだ。ところが、いきなり資金繰りがうまくいかなくなって、計画は頓挫。それだけではない。やがて、ブラックストーンの町に災いが少しずつ蔓延し始める。 古い建物に怪しい人影が現れ、そこに隠してあったものを闇に紛れて届けると、その家には狂気があふれ、悲惨な出来事へと発展していく。最初は、人形、次はロケット……不思議なことに、その悲劇は過去に精神病院で起こった事件とどこかつながっているらしい。次の犠牲者は誰か…… この物語の中心人物はオリヴァー・メトカフ。町の新聞『ブラックストーン・クロニクル』の編集長で、今では使われていない古い精神病院の敷地内のコテージに住んでいる。父親はこの精神病院の院長をしていたが、オリヴァーが幼いときに自殺している。町の人々がおびえるなか、オリヴァーはこの謎を解かなくてはならないと感じる。オリヴァーはやがて、レベッカ・モリスンという女の子に心を奪われていく。レベッカは交通事故で両親を亡くし、そのときに軽い知的障害を負い、おばのもとに身を寄せ、図書館で働いている。 不気味な連続事件と、オリヴァーの恋と、オリヴァーの曖昧模糊とした過去、この三つが最後の最後で、ぴったり重なっていくところは見事としかいいようがない。 さて、スティーヴン・キングの『グリーンマイル』にヒントを得て書かれた、この作品、最初は、薄めの本が順次、六冊出版された。これを訳して合本にしたのが、この本。 発表と同時に大ブームになり、ファンクラブはできるし、ネットのサイトもできるし、ゲームまでできるし……といった調子。また、舞台になっているブラックストーンという町についても、あれこれ話題が絶えない。興味のある方は、ぜひネットサーフィンで遊んでみてほしい。
2007年07月02日
突然、通り魔に夫を殺されてから、キャロラインは必死で12歳の娘ローリーと11歳の息子ライアンを育ててきた。でももう限界―ところが、偶然出会った知的でハンサムでお金持ちの紳士トニーと恋に落ち、結婚することに。一家はトニーの住む高級アパートメントに移ったが、そこロックウェル館は“セントラルパーク・ウエストの大妖館”として知られる不気味な建物だった!毎晩、悪夢にうなされるライアン。みるみるやつれていくローリー。この建物にはいったいなにが巣くっているのか?親切だがどこか風変わりな住人たちの正体は?―名手ジョン・ソールが描く、恐怖と驚愕のホラー・サスペンス。 ジョン・ソール、初めて読みました。とても読みやすかったです。モダン・ホラージャンルが始まった頃、キングやクイーンツと並び紹介されていた作家さんだそうですが、初めて読みました。人気の<J・Dロブシリーズ>に代表するように、ミステリサスペンスが主体で女性向きな、ヴィレッジブックスからの刊行ですから、彼の初期の他作品に比べると、軽めのようです。『暗い森の少女』とか『殉教者聖ペテロの会』とか、読んだ方には別の意味で衝撃的のようで。可も無く不可もない普通のモダンホラーだと。初期の作品は一体、どんなドロドロなんでしょう?童話『ヘンゼルとグレーテル』がどうしても連想していしまいましたね。子どもたちの敵は 継父とか、継母という系図。魔法使いのおばあさんに、丸々と太らされてから、食べられそうになるヘンゼル。道に迷いはしないけど、実父の死で公立学校に転校していじめに合うなど、試練があります。しかも、母はそうした子どもの内面の悩みの本質を気づかない。親子の絆の迷い道です。始まりは、夫を亡くして苦境に立つ女性のシンデレラストーリー的。けれども「何かおかしい、うまくいってない」という感覚がずっとつきまとう。<都市伝説>モノとも言えますね。 皆が奇異の目を向ける建物。マンハッタンのセントラル・パークを見下ろす高級マンション。子どもは わざわざ通りの向こうを渡って過ぎていきたくなる。できるだけ、絶対近寄りたくないし、中に入りたくない。ヒロインの未亡人、子ども達の母だけは、生活苦の為か、マンションの放つ邪悪なオーラをあんまり感じない。彼女の友人や子どものアンテナには、しっかり胡散臭い!とひっかかっているのに。子どもが必死に訴えているのに、「もう何も聞きたくないわ!」と言い放ってしまう鈍感さ。 母親って、再婚すると、こんな風になってしまうのかいな。。 悲しいですね。アン・ライスの<○○○○○・クロニクル シリーズ>やS・キングの『呪われた町』小野不由美の『屍鬼』に比べると、説明が足らない、謎のままの終わり方で、最近のこのジャンルのはなしとしては、ツメが足らないアッサリ感です。 でも、謎は謎のままに、というスタイルもいいのか。
2007年07月02日
無実の罪で投獄直前、拉致された青年ジェフ。解放されたのは広大なニューヨーク地下鉄構内だった。異常殺人犯とコンビを組まされたジェフに“ゲーム”の開始が告げられた―闇に閉ざされた迷路を駆ける彼らを完全武装の男たちが追う。冷酷な狩人たちの正体は?そしてジェフはこの絶望的な死地から脱出することができるのか。 ニューヨークの地下世界を舞台にした「人間狩り」サスペンス。初期のソールとはがらりと作風が変わっているそうです。題名は洒落ているのに、あまり評判になっていないみたいです。・ソール(恐怖小説)嫌いの人が読んでいない。・従来のソール・ファンも敬遠。じゃあ、誰が読むの?わたしは、ソールを知らない為、何気なく手にとり、ウゲゲ。。つ、つまらない。。物語の導入はまあまあ。でも、地下という字だけでも、閉塞感だし、。死姦好きなホモ? 。。。パス。ラストだけ念のため10ページほど読みました。ラストは救いがありましたが、主人公がどのように生き延びるかとか、中身はもう、どうでも良いって感じで、返却します。ホラーが芯から好きな人には、いいのかもしれないです。お好きな方、ごめんなさい。。
2007年07月01日
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