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自己肯定感を高める方法をご紹介します。樹木希林さんの考え方が参考になります。樹木希林さんは自分の身体は神様から預かっているものだと言われました。レンターカーや市民菜園を借りているようなものだ。この身体は自分の所有物ではないと言われています。同じような考え方は、「荘子」の「知北遊」篇にもある。「人間の肉体は誰のものでもない。ひととき預けられたものである」人間の身体も皆、自然界からの借りものであって、いずれは返さなければならないものである。(菜根譚 ナツメ社 156ページ)どこにその証拠があるのかと言われるとお手上げです。しかし自分の身体は自分の所有物ではなく、一時的に借用しているものという考え方は、その人のものの考え方や生き方に大きくかかわってきます。メリットが多くなります。仮にこの考え方が間違っていたとしてもデメリットは見当たりません。一時的にレンタルしたものは自分の所有物ではありませんから、粗末に扱うことはできません。借りたときの状態をより長く保つ責任が出てきます。賃貸住宅の場合は、使い勝手が悪いからといっても、家主の承諾なしにリフォームをすることはできません。またお返しするときは、原状復帰義務が課されています。レンタル期間中に事故を起こした場合は、損害賠償をする必要があります。市民菜園の場合は、借りたあと堆肥などを入れて土壌改良をすると喜ばれます。人間に生まれた我々は、知的生命体として生まれたことに感謝以外はありません。生まれた国、生まれた時代、生まれた環境、生まれた境遇などを否定することはなくなります。人と比較して自分自身を否定することもなくなります。借りたものの特性を活かして、価値のある新しいものを作り出したい。自分のできる範囲内で人のお役に立ちたいと思うようになるのではないでしょうか。これは森田理論の「物の性を尽くす」という考え方に近いものがあります。この考え方は、「己の性を尽くす」「他人の性を尽くす」「時間の性を尽くす」「お金の性を尽くす」ことにもつながります。命ある限り、持って生まれた素質、能力に磨きをかけて、とことん活かし尽くすということです。事実や現実をあるがままに受け入れて、生きてきたあかしを一つでも残すことができれば本望です。
2024.09.30
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私は今までの人生を振り返って、人間関係で問題行動が多かったと思っています。私ほど次々に問題を起こした人はいないのではないかと思うこともあります。私の問題行動のせいで多くの人が私から距離を置くようになっていったのです。それが夜中に悪夢となって後悔の念でいっぱいになることがありました。過去の不祥事は取り消すことができませんので、今更償うこともできずに、一生苦しみ抜くことから逃れられないのか。それは耐えられそうもないことだ。自己嫌悪、自己否定で自分を苦しめていたのです。自分なんか人間に生まれてくる価値はなかった。生まれてこないほうがよかったのだと自暴自棄にもなりました。そんな時に「どんなに過酷な人生であっても無駄なことは一つもない」という言葉に出会いました。この言葉で目が覚めた思いがしました。そうか、私は勘違いしていたのかという思いでした。私の心ない言動で多くの人を傷つけ、孤立してきたのは事実です。これらはすべて忌まわしい過去として何とか葬り去ろうとしていたのです。そうすると強迫観念と一緒で、過去の不祥事が自分を追いかけまわすのです。逃れようとすればするほど、アリ地獄の底に落ち込んでいくのです。今では人間関係でこんなに問題行動を起こした人はそんなに多くないはずだ。自分は不祥事だと思っているが、私は選ばれて貴重な経験をさせてもらったというとらえ方もできる。この不祥事の経験を災い転じて宝の山に変えることができないものだろうか。私は小さいころからの人間関係にまつわる不祥事を細大漏らさず思い出して、書きだしてみることにしました。さらに不祥事を敢えて作り出して、ことの顛末をまとめてみるのも意味があるかもしれない。幸い私はブログをやっているので、私の人間関係にまつわる不祥事の数々を、正直に告白して、多くの人に反面教師として提供して活かしてもらうことができる。今までなかったことにしたいと思っていた過去の出来事が、光り輝くダイヤモンドや金の延べ棒のように見えてきた。これからも包み隠さず具体的な事例を紹介していこうと思っている。森田理論でいうと、過去の不祥事をあるがままに認めて、将来に活かしていくことだと考えています。
2024.09.29
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2024年8月号の生活の発見誌の体験記のなかに、「主観」と「客観」の区別ができるようになったことが大きな成果だと述べておられます。これは大変重要な指摘だと思います。森田先生は事実には、「主観的事実」と「客観的事実」があると言われている。たとえば心臓麻痺恐怖の人がいるとする。医者が検査してあなたの心臓はなんの問題もない、大丈夫だという。これは客観的事実である。しかし本人はやはり恐ろしい。医師の診断に納得できない。これは、主観的事実である。この時、患者は大丈夫だという客観的事実と、自分は怖がるものであるという主観的事実とを認めなければならない。神経症に陥っているような人は、客観的事実を無視して、主観的事実に重きを置いている。これは飛行機でいえば片肺飛行をしているようなもので大変危険です。イソップ物語のなかにすっぱい葡萄の話があります。腹をすかせたキツネが葡萄の房を見つけた。ところが葡萄の木が高くて手が届かない。何回ジャンプしても葡萄を手にすることができなかった。そこでキツネは負け惜しみで、あの葡萄はきっとまずくて食べられるようなものではないのだ。捕れなくても構わないと、葡萄を採って食べたいと言う気持ちを欺いた。そして自分は、もともと葡萄は好きではなかったのだと思おうとした。また、その葡萄を取る力がない自分に対して「自分は何をやってもダメだ」と自己嫌悪感を抱いた。ここでの主観的な事実は、葡萄を採って食べたいという気持ちである。しかし、努力しても、その欲望が叶えられないので、逆にその気持ちを抑圧しようとしたのである。この場合の客観的な事実は、背が低くて葡萄に手が届かないということである。この場合、両方の事実を見つめることができるようになると、事態が動き出します。葡萄を食べたいという気持ちがあるなら、その障害を取り除くべく、なんらかの手立てをする必要がある。例えば、何か台のようなものを持ってくる。あるいは脚立のようなもの探してみる。仲間を探す。いずれにしろ、目的が達成できるようにいろいろと工夫をするようになる。ここで大事なことは、主観的事実をありのままに素直に認めるということです。水谷啓二先生曰く。「事実唯真」ということについて、よく誤解されることであるが、森田正馬博士は「客観的事実だけが事実であるといっておられるのではなくて、客観と主観の一致するところに事実唯真がある」といっておられるのである。もし客観的事実だけを・事実であるとするならば、われわれの主観というものを・一切無視することになり、客観偏重のひどく偏ったものの見方しか出来なくなり、退屈きわまる糞リアリズムになってしまうであろう。この主観と客観がひどく食い違ったり、どちらか一方に偏ったりしないで、調和していくところに、健全な精神の働きがあり、健康な生活があるのである。(生活の発見誌 1969年(昭和44年)1月号 水谷啓二 35ページ)バランスを維持することは、サーカスの綱渡りを思い浮かべると分かりやすい。右に傾けば左を下げる。左に傾けば、右を下げる。この調整が必要になります。神経症に陥る人は主観的事実だけに片寄りやすい。そのときに客観的事実も見つめることができるようになるとバランスがとれてきます。絶えずバランスを意識しながら、慎重に前進することで、健全な生活が維持されるという側面を忘れないようにしたいものです。
2024.09.28
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8月号の生活の発見誌に脊髄性筋萎縮症の人の話がありました。体の自由が効かなくなり、とても辛そうでした。この方が精神科医のヴィクトール・フランクルの創造価値、体験価値、態度価値の話をされていました。この方は創造価値、体験価値の実現は難しくなったが、態度価値だけは残されているので、態度価値に焦点をあてて、ラストステージではなくアナザー(もう一つの)ステージの道を追求していきたいと言われていました。これに刺激を受けてフランクルのいう態度価値について考えてみました。フランクルは、人間は困難な状況に陥った時生きる意味を求める存在であると言っています。分かりやすくいうと、困難に陥った時、意気消沈して自己否定して打ちのめされるのではなく、それを受け入れてどう乗り越えていくのかを考える生き物だと言っているのです。そのことを、「人間は人生から生き方を問われている存在である」と言っています。フランクルのこの考え方は「ロゴセラピー」として知られています。難しい言葉ですが、フランクルは死と隣り合わせの極限状態で、肉体的にも精神的にも生き延びるためのコツをつかみました。それをまとめて仲間たちに紹介しています。・どんな絶望的な状態に置かれても、小さくてもよいので将来に希望や夢を持って生きていくことが大切になる。・困難を神様から課題や宿題を出されたと受け取り、自暴自棄にならずに前向きに生きていく。・苦難を乗り越えることで、新たな能力を獲得し、人間として一回り大きくなれる。・困難な時は自分一人で孤立しないで、お互いに助け合い、励まし合って生きていく。この記事を書いた方は、想像を絶する大病に襲われたとき、今までの生き方の問題点や認識の間違い、これからの生き方を見直すきっかけとなったようです。元気で仕事や生活をしていた時は、自分の人生をしみじみと振り返ってみる機会はなかったということかも知れません。大病になって初めてそのチャンスが巡ってきた。大病になったことは辛いことですが、そういう機会を与えられたということはとても幸せなことです。それを文章や映像として残せば、後世の人に貴重な財産を残すことができます。人様の役に立つことを残すことができれば、立派な人生を全うしたということになります。森田では「清水の舞台から飛び降りるような気持になれれば神経症は治る」「俎板の鯉のような気持で不安と付き合えば神経症は治る」などと言われます。逃げ道が一つでも残されていると、それが障害となってなかなか覚悟を決めることができません。これから先過酷な災難がやってきたとき、この記事を参考にして、これまでの人生を振り返るチャンスがやってきたととらえるようにしたいものです。
2024.09.27
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坂東眞理子さんのお話です。「おかげさま」という言葉があります。いかがお過ごしですかと聞かれれば、「おかげさまで元気にやっております」と答える。それは、誰か特定の人のおかげという意味ではありません。自分を取り巻く自然、自分とともに生活している人たち、そして見も知らないたくさんの人たち、すべての人や大自然のおかげで元気に生きることができる。つまり、人間は生かされているという心が日本人には根付いているのです。(50代から人生を楽しむ人、後悔する人 PHP)「おかげさま」という言葉は確かに魔法の言葉だと思います。これを活用しない手はないと思います。この言葉を口にするとき不平不満は出てきません。愚痴も出てきません。寝る前に仏壇の前で「今日も一日大過なく過ごすことができました。これもひとえにご先祖様のおかげです。ありがとうございます」と感謝する習慣があると心穏やかになります。感謝の気持ちを持つためには、森田先生は恵まれない人や下の人を見なさいと言われています。また、1週間の内観療法を受けた人は、感謝の気持ちが泉の如く湧きあがってくるそうです。感謝の反対の言葉はすばり「当たり前」だそうです。家族がいて当たり前、自分の世話をしてくれるのが当たり前、褒めてもらうのが当たり前、欲しいものがすぐ手に入るのが当たり前、友達がいるのが当たり前、仕事があるのが当たり前、給料や年金をもらうのが当たり前、お金に不自由しないのが当たり前、飽食三昧が当たり前、車があるのが当たり前、クーラーがあるのが当たり前、心身ともに健康であるのが当たり前、ストレスがないのが当たり前などなど。何でも当たり前だと思っていると「おかげさま」という気持ちは希薄になります。ときどきは「当たり前」が失われたときのことを想定してみることが大切になります。そこで提案があります。「おかげさま」という言葉を口癖にするというのは如何でしょうか。「おかげさま」という言葉は現実や事実を否定しません。「ありがたい」と感謝の気持ちを持つことができます。いつも笑顔で過ごすことができます。これは「かくあるべし」から、事実本位に近づく方法の一つです。「おかげさま」と思えないときでも、とにかく形から入るように心がけましょう。
2024.09.26
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山田太一氏のお話です。人間は、決して平等ではありません。この世に生まれ落ちたときから、運命や宿命といったものを抱えています。どういう親の元に生まれるか、どんな才能を持っているか、容姿はいいのか悪いのか、あるいはどんな病気を持っているか、まさに一人ひとりが異なった宿命の中に存在しています。まずはそれらをひっくるめた自分自身を、意識し受けとめることが大切ではないかと思っています。どう頑張ってもできないこと、自分の抱えているマイナスの部分、それらをしっかりと認めることです。「人間がんばれば何でもできるんだ」そう叫ぶのはいつでも成功者です。もちろん彼らは相当な努力をしたでしょう。でもそれは、彼らの幸運や才能のなかでのことであり、決して普遍的なものではないのです。多くの人にとっては、「がんばれば何でもできる」なんていうのはウソ。失敗した人は努力が足りなかった、ということになってしまうような人生論は、私は単純すぎるように思います。そんな幻想が、我々の小さな幸福感を奪っていると言えるかもしれません。(50代から人生を楽しむ人、後悔する人 PHP 72ページ)100人の人間がいれば、100人100様です。人と比べて足りないところや欠点や弱みを、せめて他人並に引き上げようと考える人が後を絶ちません。山田太一さんはそれは生き方が間違っていませんかと言われています。そんなことに取り組むことは、時間とエネルギーとお金の無駄遣いになります。100人100様という意味は、人間には「でこぼこ」があるということだと思います。決して平等ではない、差別があるということです。別の言葉で言えば、人それぞれ独自の個性を持っているということです。森田理論に劣等感的差別観というのがあります。これは自分の弱点や欠点と他人の強みや長所を比較して、自己嫌悪、自己否定に陥っている状態のことです。本来最大の味方となるべき自分が敵味方に分かれて戦っている状態です。それよりも優越感的差別観の立場で分析してみるのは如何でしょうか。自分の強みや長所と他人の弱みや短所を比較して自己肯定感を高めることです。私の場合でいえば、弱点や欠点として、良好な人間関係作りが苦手。マネージメント能力がない。気分本位である。仕事に対する責任感が欠如しています。その反面、強みや長所として、好奇心が異常に強い。探究心が強い。分析力がある。論理的である。読書力が旺盛です。それらを組み合わせた仕事を見つけることができたら、どんなに幸せな人生を送ることができただろうと思います。例えば、刑事、鑑識官、裁判官、不動産鑑定士、麻酔科の医師、宮大工、DNA鑑定士、血液分析、分析化学、農業試験場の技師、養魚場の技術者、シェフ、ライターなどである。基本的にはチームでこなす仕事や人と関わる営業や教師などの仕事よりも、個人の能力や技術を高める仕事が向いていたように思う。職業は12000種ほどあるそうだが、高校入学以降は詳しい人に協力を仰ぎながら、自分が一生涯携わる仕事選びに専念しておくべきだったと考えている。
2024.09.25
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この言葉は人間関係にかかわりのある言葉です。青年期(10代から20代半ばごろ)の友人関係については、1990年代前後から「希薄化」していると指摘されていることが多くなりました。お互いに本音を言わず、傷付けたり傷付けられたりしないように気を使い、その場のノリで表面的な付き合い方をするようになったというものです。傷付けたり傷付けられたりしないような友人関係を構築するうえで重要となるのが、友人との心理的距離です。いきなり自分の価値観や悩みなど深い話をすると友人に嫌われ、距離を取られます。相手の良くないところを批判したり、気にしていることを指摘したりすると、友人は傷付き、離れていってしまいます。自分も同様に深い話をされると距離を取り、批判や指摘をされると傷付きます。しかし、友人とは親しくなりたいという思いもあり、そのような話や批判・指摘を避けてばかりいると、なかなか友人とは親密になることはできません。そのため、青年は、どこまでだったら言っても相手は傷付かないのか、どこまでだったら言われても自分は大丈夫なのかと考えながら、互いが傷付かずに済むような距離を模索することになります。このことをヤマアラシ・ジレンマといいます。(緊張のアセスメントとアプローチ 高坂康雅 MCメディカ出版 96ページ)ヤマアラシ・ジレンマとは、凍えるような寒さのなか、二頭のヤマアラシは身を寄せ合って体を温め合いたいのですが、近づきすぎると相手の棘が自分の体に刺さって痛いので、暖を取ることができないという逸話です。人間関係は必要なときに、必要に応じて、必要なだけの人間関係で十分なのではないでしょうか。対人恐怖症の人は、離れなければいけないときに敢えて近づいて問題を起こしています。反対に近づく必要のあるときに相手を軽視・無視しているケースがあります。水泳のとき、川下に向かって泳ぐと楽に泳げるのに、敢えて川上に向かって泳いでいるようなものです。人間関係には馬の合う人20%、馬の合わない人20%、どちらでもない人60%と言われています。馬の合う人は大切に取り扱う。馬の合わない人とは車間距離間を保つように心がける。そして肝心なことは、どちらでもない人を、敢えて敵に回すような行動を慎む。そのためには人間関係では、やった方がよいこととやってはいけないことがありますので、それらを整理して確実に実行に移すことです。その内容は2022年9月13日に投稿しております。
2024.09.24
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今日はテレビでよく見かけるお笑いタレントのジェイソン・ディヴィッド・ダニエルさんを紹介したい。さわやかで風刺の効いた面白いことを言う人だ。彼はもともとシステムエンジニアだ。来日して旭化成で音声認識ソフトの開発の仕事をしていた。その時に「エンタの神様」の面白さにはまったのが、芸能界に入るきっかけとなった。彼は現在、お笑い芸人のほか、ベンチャー企業の役員もしている。お笑い芸人の仕事のため、半休をとったり、取締役会を途中で抜けたりもしている。彼は「本業は何」と聞かれるけど、その言葉自体がおかしいという。これは仕事=人間という先入観、軽蔑の言葉であるという。お笑いもベンチャー企業の仕事もすべてが本業であるという。「僕は人間・ジェイソン・すべてが本業」と言い放つ。在日外国人である。日本語が堪能。もちろん英語も堪能。日本語と英語の同時通訳。翻訳ソフトの開発技術者兼役員。日本と日本人を風刺したお笑い芸人。これがジェイソンさんのスタイルだ。森田では自分の強みや長所を活かして生きていくことを目指しています。では他人と差別化できるような強みや長所がない人はどうすればよいのか。少しだけ差別化できる強みや長所が見つかれば、それらを組み合わせるという方法があります。トライアスロンというオリンピック種目があります。スイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロを組み合わせた競技です。トライアスロンに取り組む人は、それぞれの分野ではオリンピックにエントリーできる実力はありません。ところが3つを組み合わせると、オリンピック出場が可能になったのです。たとえ突出した強みや長所がなくても、2~3個得意技で注目を集め、生きがいを持てる道もあるということだと思います。
2024.09.23
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ある会社員の女性の相談です。その方は対人恐怖症で、自己主張がとても苦手だということでした。対人関係は、いつも相手の機嫌を損なわないような対応をしている。そんな私に対して、ある同僚の女性が、お茶碗を洗う、コピーをとるような仕事をどんどん押し付けてくる。それだけではなく、自分のことを馬鹿にしたような言動もありました。私は何も言い返せず、彼女が指示する仕事を黙々とやっていますが、心の中ではストレスが溜まり、いつも腹立たしい気持ちです。森田理論学習では、腹立たしい気持ちは、そのまま持ちこたえて、目の前の仕事に取り組んでいれば、自然に解消してくると言いますが、私にはとてもそのようには思えません。どうしたらよいでしょうか。この方はストレスが溜まるような理不尽な仕打ちを継続して受けています。同僚はあなたが素直に引き受けるので、あなたのことをなめてかかって、どんどんエスカレートしています。このままの状況が続くと、支配―被支配の縦の人間関係が形成されます。相手から一方的にコントロールされることは大きなストレスになります。この方は同僚に対して、時間のあるときは自分でやってほしい。私は同僚の子分ではない。一方的に私に指示命令することをやめてほしい。対等な人間関係にしたいという気持ちを持っています。これからも今まで通り自分の感情や気持ちを抑えていると、ストレスが蓄積し、ある時、ダムの決壊のように不快感情が大爆発することが考えられます。あるいは、そのストレスから逃れるために、退職するようなことを考えるようになるかもしれません。忙しくて手が離せない時は、「今はちょっと手が離せないの。ごめんなさい」などと、自己主張ができればよいのですがこの方にとっては難しいでしょう。このような相談を受けた場合どのように対応すればよいのでしょうか。安易な同情やアドバイスは相手をさらに追いつめることになります。我々ができることは相手に寄り添い相手の気持ちをしっかりと聞いてあげることです。傾聴してあげる。そして受容、共感してあげることです。自分が理解した内容をフィードバックしてあげることです。相談者の「心の安全基地」になってあげることが肝心です。相手は自分のストレスを吐き出して気が楽になります。自分の問題を頭の中で整理できます。そのような対応をとっていると、相手が自分自身で解決策を見つけ出すことが可能になります。カウンセリングとは、相談者が自分で自分の問題点に気づき、自分で解決策を見つけ出すものだと言われています。相談を受けた人は、相手に寄り添い一緒になって考えることくらいしかできません。馬を水飲み場まで連れていくことはできますが、水を飲むか飲まないかは相手次第です。ロジャーズの「来談者中心療法」というのはこのことを言っているのだと思います。主役はあくまでも相談者であり、聞き手ではないということを肝に命じておきたいと思います。
2024.09.22
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吉沢久子さんのお話です。世の中は便利なもので溢れています。魚を捌かなくても、野菜についた土を落とさなくても、ご飯を食べることができます。調理は電子レンジがすべてをやってくれます。スーパーに行けば、出来合いの惣菜が彩り鮮やかに並んでいます。夕食にはご飯を炊くだけで、あとは買ってきた惣菜を並べれば済みます。もちろんそれを否定するつもりはありません。私も歳をとってから揚げ物は作らないようにしているので、揚げ物が食べたくなればお惣菜を買ってきます。でも、それがすべてになってはいけないと思うのです。生活するということは、自分の頭で考えるということです。食事をつくるのも、掃除をするのも、庭で花や野菜を育てるのも、すべて自分で考えるからこそ喜びが生まれてくる。便利だからと言って、与えられたものばかりに頼っていたら、生活する力が奪われるばかりです。そして便利になり過ぎることは、かえって自由が失われることにもつながっていきます。(50代から人生を楽しむ人、後悔する人 PHP 78ページ)食事については、すべてを宅配弁当や外食にたよりきりというのは考えものです。また毎日スーパーの惣菜やレトルト食品で済ませるというのも考えものです。便利さと引き換えに脳や身体機能がどんどん衰えてきます。食事作りを人に頼らないで自分でこなすようにすれば、脳の活性化につながります。疑問や興味、工夫や関心が次々と生まれてきます。それが生きる力と楽しみを与えてくれます。どんなに面倒でも、ご飯とメインのおかずとみそ汁を作るようにするのは如何でしょうか。ご飯も白米、玄米、釜めし、ちらしずし、稲荷、寿司、カレー、チキンライス、オムライス、チャーハン、天津飯、かつ丼、牛丼、親子丼などがあります。その他お好み焼き、ラーメン、ソーメン、スパゲッティ、ソバ、ちゃんぽんなどもあります。メインのおかずはYOU TUBEなどで材料や作り方は、動画付きで解説してくれています。日記をつけている人は、今日の夕食の内容を書いている人もいらっしゃると思います。好きな日本食、洋食、中華などを一か月の献立として、バランスを考えて組み合わせる作業も楽しいものです。基本ができれば後は好きなものを付け加えるだけで、楽しい献立ができます。男性は公民館活動で「男の料理教室」がありますので、参加すると刺激になります。
2024.09.21
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人生には、上り坂、下り坂、まさかの坂があるという。ここでいう「まさかの坂」は、予期せぬ事態、想定外の出来事のことを指します。頭の中で考えていたことと、実際に起きた事実にギャップがある。長い人生の中で「まさかの坂」は、誰にも訪れます。変化対応力の不足している人は右往左往するばかりでパニックになります。逆に考えると、「まさかの坂」は嫌なものですが、「まさかの坂」を乗り越えることで、人は成長し、困難を乗り越える力を身に着けることができます。「まさかの坂」を乗り切るために普段からどのように考えて対応していけばよいのでしょうか。森田でいえば変化対応力を鍛えていくということになります。その答えを樹木希林さんは次のように教えてくれています。誰もが何が起こるか分からない日常を生きていて、何か起こったときに、今度はこう来たかと思って乗り越えていくしかない。そのためには、普段から日常をしっかり生きることが大切です。それを象徴する出来事がありました。ある時急に、映画「海よりもまだ深く」で共演した俳優の橋爪功氏と雑誌の表紙写真を撮影することになりました。現場で編集者が希望したのは「春らしい服」でした。樹木希林さんは橋爪氏のスタイリストが橋爪氏用に用意していた予備の洋服の中から選んで撮影に臨みました。普通の人ならパニックになるところですが、普段からスタイリストなどをつけずに、すべてを自分でこなしていた樹木希林さんにとってはそれほど難しいものではありませんでした。人生はまさかがつきものですが、そんな時に慌てないためにも「普段から日常をしっかり生きなければいけない」というのが樹木希林さんの考え方です。(樹木希林80の言葉 桑原晃弥 星雲社)日常生活に丁寧に取り組むことが、変化対応力を鍛えるというところが少し難しいところです。これはアルプス登山に例えると分かりやすい。登山に挑戦するためには、日々のトレーニング、高地順応、ルートの選定、天候の変化への対応、雪雪崩、岩の崩落対策、道に迷った時の対策、健康管理、情報の収集、資金の確保、物資の調達、サポーターの確保などが必要不可欠です。一つでも手を抜くと登頂することは困難となります。日々の細かな準備が不測の事態を乗り越える力になります。
2024.09.20
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大型スーパーに車で買い物に行った時のことです。このスーパーの隣に区の図書館があります。先に本を返却して、その後で買い物をしようと思っていました。するとどこからともなくやってきた店の人が、「コンサートに行く人はここに駐車してはいけない」ときつい口調で叱責するのです。その日は区民文化センターでコンサートがあるらしいのです。コンサートに行く予定のない私はその言葉に憤慨しました。どうしてコンサートに行くと決めつけているのかという気持ちです。仮にコンサートに行くときは、無断駐車なんかはしませんという気持ちでした。自転車やバイク、もしくはバスか電車を利用しますよ。3分くらいで本を返却してスーパーに戻ってみるとその人がまだいました。どうして憶測であんなことをいったのか聞いてみました。コンサートがある日は、無断駐車をする人がいるのでそれらしい人に、注意喚起しているのだというのです。お宅もその一人だというのです。その言葉でますます腹が立ってきて押し問答になりました。叱責する前に、「あなたはコンサートに行かれるのですか」と事実確認をすれば押し問答に発展することはなかったと思います。事実確認をしないで、先入観、決めつけ、思い込み、早合点で行動することは間違いが多くなります。相手に確認しないで、独断と偏見で自分一人で判断して、行動すると相手と良好な人間関係を築くことはできなくなります。集談会の世話活動でも、独断と偏見で解釈をして、目的外の行動をする人がいると運営に支障が出てきます。こうした方がいいのではないかという発想は素晴らしいのですが、実行に移す場合は他の幹事の人の意見を聞いて了解を得られたときに実行するようにした方がよいと思います。少々面倒でも、きちんと了解を得ることが欠かせません。そんなに違法駐車が気になるのならば、せめて立て看板を立てておくのはどうでしょうか。「買い物以外の人の長時間駐車はご遠慮ください」「現在長時間駐車の監視を行っておりますのでご注意ください」これだけでも多少の効き目があるのではないでしょうか。そんな対策もとらないで、違法駐車車両を見つけて腹を立てているというのはいただけません。さらに1時間以上駐車の場合は、車輪止めが作動して課金される設備を用意すれば問題はすぐに解決されるのではないでしょうか。この方法を採用しているスーパーを知っています。これ以外にも、お店の人の駐車違反にともなうストレスをなくする方法はあるはずです。駐車違反に対する対応策を店内会議で検討して実施することが大事になるのではないでしょうか。
2024.09.19
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幼い子どもが小さな犬を見て「怖いよ!」とおびえていたらどう対応するでしょうか。「怖くなんかないよ。近寄ってごらん」「あんたは臆病なんだから」などと言うかもしれません。子どもが怖がっている様子を見て笑う、逆に叱ったりする人もいるかもしれません。こうした対応は、子どもにとっては自分の感情を否定されたということになります。否定されると「恥」と感じ、「自分が悪いのだ」という罪悪感から、その感情を抑圧し、ガマンします。もしくは、ガマンできずに、「怖いよー!」と号泣するかもしれません。否定された男の子には、「ボクはわかってもらえない人なんだ」「ボクは弱い人間なんだ」という自分への不信感が芽生えます。すでに理性が発達した大人からすれば「そんな大げさな」と思うかもしれませんが、理性よりも本能レベルで生きている感受性の高い子どもにとっては、自分の感情を否定されることは、自分自身を否定されたも同じことです。このとき、大人は幼い子供に対してどう接すればよいのでしょうか。幼い子どもが「怖い」と言っているのだから、まずはその感情を肯定してあげる。「そうか、怖いんだね」「うんうん、初めて見たからね」「びっくりしちゃったんだね」、そうやって受け止めて上げれば、「自分の気持ちをわかってもらえた」と安心します。幼い子どもは、自分の感情や気持ちに寄り添ってほしいだけなのです。このように対応すると、幼い子どもは自分を否定することなく、自分の素直な感情や気持ちをそのまま感じていいのだなと思います。これは自分にとっても全く同じことが言えます。「上司に腹が立っちゃうよね」「相手の言動にイライラしているよね」「過去の不祥事を思い出しては胸が苦しくなるよね」「悲しいよね」「嫉妬しているよね」「意欲がわかないよね」仕方ないね。でもそんな気持ちになったことは認めてあげるよ。このようにすべての感情や気持ちにOKを出してあげる。自分のネガティブな感情や気持ちをいいとか悪いとかの価値判断をしないであるがままに認めてあげる。自分が自分の気持ちを否定しないで、分かってあげたら、初めてそこから、本当に前を向いて歩いていけるようになるのです。否定的な感情を自分で否定していると、この世の中に味方は一人もいなくなります。自分で自分を守り抜くことは最後の砦です。行動を反省して改善していくのはその後のことです。(会社に行きたくないと泣いていた僕が無敵になった理由 加藤隆行 小学館 参照)
2024.09.18
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ミスや失敗をするとすぐに挑戦する意欲をなくしてしまう人がいます。小さな挫折を自分の一生を左右するかのように受け取る人もいます。うつ状態になる。そして再起不能に陥ってしまう人もいます。やる気をなくするだけではなく、予期不安に振り回されてすぐに逃げてしまう。逃げてばかりの自分に嫌気がさしてしまう。自己嫌悪、自己否定感で苦しむようになります。生きていくことがむなしくなり、投げやりになってしまう。実はこれは過去の私の姿です。私とは反対にミスや失敗を反面教師として活かし、どんどん成長し続ける人もいます。うらやましい限りです。こういう人はミスや失敗や挫折の経験を否定しない。むしろ貴重な宝物のように考えている。だから私のように隠す、ごまかす、言い訳、責任転嫁をしない。ミスや失敗なしに成功するほど世の中甘くないと考えている。それならどんどんミスや失敗の経験を増やそうと考えている。たとえば飛び込み営業の場合、ほとんど断られる。でも腐らずに営業活動をしていると、自動車の飛び込み営業の人の話では、100件に1回くらい成功することがある。断られる経験の中から問題点を洗い出して対策を考えるようにすれば、どんどん営業スキルがアップしていく。そのうち成約を獲得するためには、断られる数を増やしていくローラー作戦が有効だということに気づいてくる。この段階に到達すると、ミスや失敗や挫折で再起不能になることはない。目の前にブルーオーシャンの輝かしい未来が広がってくる。確かにミスや失敗は時間や労力の無駄になります。他人から信頼感を失うこともあります。経済的な打撃を招くこともあります。筋肉注射を打たれるときのような心の痛みが発生します。それでも、ミスや失敗を積極的に引き受け、その数を積み重ねるということは、成功を勝ち取るためにはとても大切なことだと思います。すんなりと目標を達成することは、ある意味とても危険なことです。失敗の経験がないので、成功のコツがわからないのです。数多くのミスや失敗を経験していると、それが強力にサポートをしてくれることになります。将棋でいえば相手から奪った駒が自分の味方となって、勝利に大きく経験してくれることになるようなものです。また、ミスや失敗を喜んで受け入れている人は他人にも優しい。それは自分が苦しんだ経験を持っているからです。心の痛みが分かるので、他人の失敗に共感し、理解することができます。信頼関係を築くためには、ミスや失敗、挫折の経験が大いに役立っているのです。ミスや失敗から逃げるのではなく、想定されるミスや失敗の経験を経たのち、初めて成功にたどり着くという気持ちの持ち方が必要になります。どうすれば、ミスや失敗を受け入れられるようになるのか、明日の投稿課題とします。
2024.09.17
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樺沢紫苑氏のお話です。樺沢紫苑氏がが卒業した札幌医科大学の医師国家試験の合格率は全国トップクラスでした。その秘訣は、「国試勉強会」にありました。5年生後半になると、4~6人くらいの親しい友人、仲間が集まり、国試勉強会を作ります。そして、そのグループで週2~3回、1回2~3時間の勉強会を開催するのです。その勉強会では、国家試験の過去問を解きます。私のグループは5人でしたが、あらかじめ5問ごとに自分が解説する問題が割り振られ、他のメンバーの前で、その問題の解き方、考え方を解説するのです。お互いが家庭教師となって教え合うのが「国試勉強会」なのです。人に教えることで学習効率は大きくアップします。(覚えない記憶術 樺沢紫苑 サンマーク出版 84ページ)これは森田理論学習でも取り入れたいことです。生活の発見会の集談会やオンライン学習会に参加すると学習仲間ができます。一人で学習していると、間違って理解してしまう。理解が遅くなる。活用の仕方がよく分からない。一人で学習するよりも、仲間と一緒に学習する方が楽しいし、効率的です。私はJUPITERという全国版リモート懇談会に参加しています。その中の「生活の発見誌」を読んで感想を述べあう学習会です。2本の記事を指定されていますので、より深く「生活の発見誌」を読むことができるようになりました。また、学習仲間からいろいろと学習方法を教えてもらいました。たとえば生活の発見誌の活用の仕方、森田全集の5巻の読み方などは大変参考になりました。また気に入った記事や話は、項目別にインデックスをつけて、書き出して整理することを教えてもらいました。今ではこれらのノートが貴重な財産となりました。学習のポイントとなるところは、体験談やたとえ話を交えて教えてもらわないとなかなか分かりにくいと思います。森田を活用・応用している仲間の話は大変参考になりました。仲間と学習することで学習効率は大幅にアップします。また体験発表をするとアドバイスがもらえます。これまでの偏った行動や誤った考え方が手にとるように分かるようになります。生活を見直して、自分の人生をより深く見直すことができるようになります。学習単元の講師としてお話する機会がもらえると、体験談を交えてより深く学習することになりますので、森田理論を深耕することができました。
2024.09.16
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精神科医の樺沢紫苑氏のお話です。「成長できない人」は、「本をたくさん読んでいるのに、あまり身につかない」「講演やセミナーをたくさん受講しているのに、自己成長を自覚できない」などの特徴があります。インプットは多いが、アウトプットが少ない。つまりインプットとアウトプットのバランスが悪いのです。成長するためには、まずインプットすることが大事です。情報を得る。本を読む。人の話を聞く。講義やセミナーなどを受講する。インプットをしたら次に、必ずアウトプットをしなければなりません。アウトプットとは、話す。書く。教える。行動する。つまり、実践することです。アウトプットしたらまたインプットする。インプットしたらまたアウトプットする。このようにインプットとアウトプットの繰り返しをしていく。そうすると、螺旋階段を上るように、自己成長の階段を上ることができるのです。十分なアウトプットをすれば、それが記憶に残るだけではなく、自己成長も加速するのです。(覚えない記憶術 樺沢紫苑 サンマーク出版)この話は森田理論学習をしている人にとっては大変参考になる話です。森田の情報を得る。生活の発見誌をや森田関係の本を読んでいる。森田理論に精通している人の話に耳を傾けている。心の健康セミナーで講師の話を聞いている。これらはインプットにあたるものです。これだけでは症状の克服には結びつかない。生きづらさを解消することはできない。ではどうすればよいのか。学習した後に必ずアウトプットするように心がける。たとえば、生活の発見誌や森田関係の本を読んだ時は整理してまとめを行う。決して読みっぱなしにはしないということです。1回目はマーカーや鉛筆でチェックしながらざっと読む。2回目は重要な部分を精読する。その部分をノートなどに書きだして整理する。インデックスをつけて項目別に書き出していけば、自分なりの役に立つノートが出来上がります。その際自分の場合はどうなのだろうと突き合わせながらまとめてみる。講話や体験発表を聴いた後も、レジメを読み返して重要な部分を書き出して整理してみる。自分の感想や意見をまとめてみる。興味深いところは、自分に応用・活用できることはないかと思いながらまとめてみる。インプットだけの人はいつまで経っても森田理論を身に着けることが難しくなります。そして森田に見切りをつけて森田から離れてしまう人が出てきます。それは大変もったいない話です。理論は未熟でも、未熟なりにアウトプットを心がけている人は、目に見えて成長されています。森田理論は車の両輪にたとえられます。理論と行動の車輪が同じ大きさの場合に前進することが可能となります。バランスを意識して森田理論学習に取り組みたいものです。
2024.09.15
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相手からのお願いごとを気軽に断ることができない。相手に何かを依頼する、お願いすることができない。この2つは同じことを表から見るのか、裏から見るのかの違いはありますが、心理的には同じことです。相手からの依頼事項を断ることができない人は、相手に何かを依頼することも苦手です。本来は相手の都合によって引き受けたり、断ったりしているのですが、自分の人格を否定されたかのように受け取る傾向があります。こういう人は人間関係を上下関係でとらえる傾向が強いと思われます。タテの人間関係です。横の人間関係にはなりにくい。自分が格上で相手が格下の人間関係を作ろうとする。相手が格上で自分が格下の人間関係は居心地が悪い。こういう人は相手と勝ち負けをかけて権力闘争を行っているのです。勝つか負けるかの二者択一で両極端な考え方をしてしまう。妥協点を探るというような考え方はしない。勝つか負けるかしかない。自分のことを非難、否定、無視、軽視されると、すぐに反撃することを考えてしまう。相手は自分の味方が敵かを見極めようとしている。人間関係は絶えず対立的になり精神的な緊張を強いられる。また、他人からの依頼を断れない人は、断ると相手が自分を攻撃してくるに違いないと考えている。相手から見放されて仲間外れにされるのは怖い。孤立してしまうと生きていけなくなるのが怖い。これは何としても回避したい。そのためには自分の本音は抑圧して、相手の依頼はできるだけ受け入れていくしかない。森田理論では上下の人間関係にこだわる人は、「かくあるべし」を相手に押し付ける傾向があるといいます。相手には相手の気持ちや考え方があるのですが自分の考え方を一方的に押し付けてしまう。相手から強い抵抗を受けることは十分考えられます。相手と勝ち負けをかけて競い合ったところでよいことは何一つもありません。勝っても負けても人間関係に禍根を残します。相手と張り合って勝ちたい気持ちになっても、自分の方から相手を挑発しない、相手からの挑発は受けて立たないということを肝に命じておきたいものです。勝ち負けの権力闘争になりそうになったらすぐに下りる。あるいは相手に勝ちを譲る。負けたふりをする。そうすれば険悪な人間関係で苦しむことはなくなるはずです。
2024.09.14
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山富浩司氏のお話です。潜在意識は、生まれたときからの膨大な記憶が全て保管されている貯蔵庫です。意識的に思い出すことができないものも含めて、いいことも悪いことも、すべて入っています。潜在意識は私たちが新たな考えごとや行動を選択するとき、それが過去の記憶に照らし合わせて、「快」か、「不快」かの判断をしているのです。但し、潜在意識は「快」「不快」の判断が、客観的に見て普遍性のある正しいか選択なのか、間違った選択をしているかという判断はしていません。潜在意識が判断しているのは、「過去の記憶のデータベースと合致しているかどうか」なのです。過去に成功体験を積み重ねていると「快」と判断します。過去に惨めな失敗やイヤな思いをした経験を積み重ねていると「不快」と判断します。具体的に見ていきましょう。あなたが過去の失敗体験から「何をやってもうまくいかない、能力のないダメな私」という自己イメージを潜在意識に刻みこんでいるとします。ある時上司から大きな商談を任されました。熱心にその仕事に取り組んでいました。いざ勝負の商談の席で、緊張のあまりポカを犯して契約には至りませんでした。商談の途中で「本当にうまくいくのか」と予期不安が湧き上がってきたのです。こうしたことが起きるのは、自己イメージに対して、潜在意識が「過去の記憶とは違う。こんなのは私じゃない」と判断したためです。過去のデータベースには、「うまくいかなかった過去の経験=ネガティブな感情」ばかりがインプットされていたため、潜在意識は「うまくいきそうな今」のほうを間違いとみなしたのです。「心のブレーキ」が作動してしまったので、商談は予定通り失敗に終わってしまったのです。こうしてみると潜在意識の力はとても強力です。人間にはもちろんプラスの潜在意識もあります。しかし数からいうとマイナスの潜在意識のほうが圧倒的に多い。それは直接生存に結びついていて、生き長らえるという面ではその方が有利だからです。人生において何かを変えたい、変わりたいという思いを抱いても、マイナスの潜在意識が絶えずちょっかいを出してくる。建前でいくら奮い立たせようとしても、本音(潜在意識)の力が強力なのでどうすることもできないのです。私たちは潜在意識の特徴を理解して、マイナスの感情が生じてもそれに振り回されないように心がけることが必要になります。山富浩司氏はマインドフルネスタッピングを活用すると、潜在意識に振り回されることが少なくなると言われています。下記の本にそのやり方を詳しく紹介されています。(願望実現脳は1分でつくれる 世界一かんたんなマインドフルネス法 山富浩司 大和出版)
2024.09.13
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達磨大師の仏性論に次のような言葉がある。「故に至人は、その前を謀(はか)らず、その後ろを慮(おもんばか)らず、念念道に帰す」森田先生はこの言葉を次のように説明されている。至人、すなわち達人で悟った人は、金をなくしたとかいって、以前のことの繰り言をいったり、「来年のことをいうと鬼が笑う」というように、当てにもならぬ未来のことを空想するようなことをしない。ただ念念道に帰して、そのときどきの現在に対して、全力を尽くすというくらいのことであろうと思うのである。(森田全集 第5巻 385ページ)私たちの心の中は、絶えず過去のことを後悔し、これから先のことを取り越し苦労しています。望月俊孝氏はこの2つでエネルギーの90%を奪われていると言われている。「今、ここ」に集中している時間はせいぜい10%程度だと言われているのです。(自分が変わる本 フォレスト出版 101ページ)集中しなければならないときに、他のことに気を取られてしまうと、心がついうわの空になってしまいやすいということです。特にネガティブな過去の出来事や将来の予期不安がでてきてお節介を焼くのです。潜在意識の中には行動に待ったをかけるネガティブでマイナスの記憶がいっぱい詰まっています。うわの空で行動すると集中できないので出鱈目になってしまいます。「今、ここに」注意や意識を持ってくる方法としてはマインドフルネスがあります。そのなかに、「食べる瞑想」というものがあります。例えば、おにぎり一つを、五感をフルに使って感じながら、30分ほどの時間をかけて食べるといった方法です。まず心を落ち着け、おにぎりをじっくり観察します。おにぎりの形や一粒のお米の色つやをよく見たり、匂いを嗅いだり、手にもったときの重さや温度、手触りを感じたり、それから一口ずつ、ゆっくりと味わって食べます。十分に噛んでから飲み込み、口にしたおにぎりが胃に落ち着き、少し重みを感じる様子まで感じ取ろうとします。(願望実現脳は1分でつくれる 山富浩司 大和出版 214ページ)これを山富浩司氏は、「3段食べ」と呼んでおられます。まず、食べる前。食事を見て、「おいしそう」と思います。次に、食事の最中、食事に集中して味わい、「おいしい」と食べます。テレビを見ながらといった「ながら食べ」はしません。食事を楽しむことだけに集中します。最後に、食べ終わってから、「おいしかった」と食事の余韻を味わいます。こうして食べると、一度の食事で「食べる前」「食べている最中」「食べた後」の3回も感動できます。感動を覚えたとき、脳内ではドーパミンというホルモンが出ることが分かっています。ドーパミンが出やすくなると、小さなことにも喜びや幸せを感じられる「幸せ体質」なっていきます。そこが重要なのです。その他、山富浩二氏は、「今 ここに」に集中するために、マインドフルネスタッピングを指導しておられます。これは比較的取り組みやすいので毎日のルーティンに取り入れています。
2024.09.12
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普通自分が神経症で苦しんでいるのは、親の子育てに問題があったからだと考えます。これは、フロイトの提唱した原因―結果論の考え方です。この考え方に立つと、親の子育てを非難・攻撃するようになります。親を非難・攻撃したところで、症状が改善できるわけではありません。いつまでも親といがみ合い、親子の人間関係はますます悪化しそのうち犬猿の仲となります。それだけでは済みません。今度は自分が親となったとき、自分の子どもに対して同じような子育てをするようになります。その結果子どもがさまざまな問題を抱えて苦しみ、親である自分を恨むようになるのです。負の連鎖が繰り返されるのです。確かに、幼児期のなんらかの経験が現在に影響を及ぼしている可能性はゼロではありません。しかし、その人の現在の行動を決めているのは、現在までのありとあらゆる学習体験であり、家庭環境であり、対人関係であり、遺伝的要因であり、それに偶然が重なったものです。つまり、なにが直接的な原因であるかということの特定は不可能です。アドラーの考え方は原因―結果論ではなく「目的論」という考え方をします。過去にこういうことがあったから、今現在こういう問題を抱えて苦しんでいるのだというのではなく、行動するにあたっては必ず何らかの「目的」があり、その「目的」を達成するために、過去の問題行動を利用しているのだという考え方です。アドラーの「目的論」に添って自分を分析してみました。私は他人から非難・否定されて、傷つくことに耐えがたい苦痛を感じます。他人にうかつに近づいていくと、いつか回復できないような大きな痛手を負ってしまうだろう。傷つかないためには、どうするか。自分の方から積極的に他人に近づかないようにした方がよい。そうだ。車間距離を十分に確保すれば他人の言動で自分が傷付くことはない。他人が自分のテリトリーに入り込込んできたときは、排除するようにした方がよい。そういう気持ち(目的を持って)で他人と付き合ってきたわけです。いつも警戒態勢を崩さないので、他人との付き合いは希薄になります。対人関係はぎくしゃくし、対立的になります。最後には孤立してきたのです。しかし、人間には「所属欲求」があります。人の輪に加わっていないと、生きていけません。自分の居場所がなくなります。そのために私がとった対策は、みんながびっくりするようなことをして、居場所を確保しようとしたのです。この対策は途方もない労力がかかる割には期待したほどの成果に結びつかない。居場所が確保できないばかりか、総スカンを食らいました。これは今考えるとやり方が悪かったとしか言いようがない。どうすればよかったのか。仕事で自分に与えられた責任をきちんと果たす。常識的な付き合いを欠かさない。相手の役に立つようなことをする。人間関係ではあいさつをきちんとする。相手が不愉快になるようなことは口にしないようにする。不快な感情を爆発させるようなことをしない。人間としてあたりまえのことをきちんとこなしていれば、自分の居場所は確保できたのではないかと思われます。(アドラー実践講義 幸せに生きる 向後千春 技術評論社 参照)
2024.09.11
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アドラー心理学の大家、岸見一郎氏のお話です。人間は弱さゆえに共同体をつくり、協力関係のなかに生きてきました。狩猟採集時代の昔から、われわれは集団で生活し、仲間と協力して獲物を狩り、子どもたちを育ててきました。別に協力したかったわけではありません。ホモサピエンスは、単独では生きていけないほど、弱かったのです。人間は、その「弱さ」ゆえに力を合わせて団結し、集団や社会を構築した。このことは逆に言うと人間にとって孤立ほど恐ろしいものはないということになります。孤立した人間は、身の安全が脅かされるにとどまらず、心の安全までも脅かされてしまう。ひとりでは生きていけないことを本能的に熟知しているのですから、われわれはいつも、他者との強固な「つながり」を希求し続けている。アドラー心理学では、人間の抱える最も根源的な欲求は「所属感」だと考えます。つまり、孤立したくない。「ここにいてもいいんだ」と実感したい。孤立は社会的な死につながり、やがて生物的な死にもつながります。では、どうすれば「所属感」を得ることができるのか。普通、共同体や社会から高く評価されることによって「所属感」を獲得しようと考えがちです。アドラーは他人から評価されることによって「所属感」を獲得する方法を否定しています。評価されることでしか幸せを実感できない人は、人生の最後の瞬間まで「もっと評価されたい」を求めていきます。この生き方は他人の人生を生きていることになります。高評価されるだろうと思っていた行動が軽視、無視されることは頻繁に起きる。さらに非難や否定されることになると、意欲は減退し、投げやりな人生になってしまいます。こういう生き方は辛いばかりです。ではどうするか。他者からの承認を求めるのではなく、自らの意思で、自らを承認するしかありません。私の価値を、他者に決めてもらうのは「依存」です。一方、私の価値を、自ら決定すること、これを「自立」と呼びます。自立した人間として生きていくことが居場所の確保につながります。他人と比較して差別化できるものを作り上げて、共同体や社会に受け入れてもらおうと考えるのは間違いです。あなたは特別な存在にならずとも、あなたに与えられた状況のなかで、あなたなりの人生を精一杯生きていけばよいのです。特別に優れていなくてもありのままのあなたでよいのです。葛藤や悩みを抱えたまま淡々と生きていくことです。平凡な自分のままで生きていくだけで居場所は確保できます。人と違うことに価値を置くのではなく、「私が私であること」に価値を置くのです。「私であること」を認めず、他者を自分と比べ、その「違い」をことさら際立たせようとするのは、水車に飛び込んでいったドン・キホーテのような生き方になります。(幸せになる勇気 岸見一郎 古賀史健 ダイヤモンド社 147~154ページ参照)
2024.09.10
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山富浩司氏のお話です。ハーバード大学が2250人を対象に行った「マインドワンダリング(心の迷走)に関する大規模な行動心理調査」によると、私たちが「目の前のこと以外のことを考えている」状態は、実に日常の生活時間の47%にものぼるそうです。つまり「目の前のこと」に意識がある時間は、53%に過ぎないわけです。目の前のこと以外のなにを考えているかといえば、過去に起こった出来事や、また起こってもいない未来のことです。要するに、「心ここにあらず」の状態が頻繁に起きているのです。心がフラフラとさまよっているという意味で、心理学ではこの状態を「マインドワンダリング(心の迷走)と呼んでいます。これは森田でいう雑念のことだと思います。雑念は自然現象なので人間の意志の自由はありません。しかし本来の目的を忘れて、雑念に振り回されてしまうのは問題です。雑念に振り回されてもよいのですが、最終的には本来の目的に戻ることが肝心です。森田では「どんなに忙しくても、今できることは一つしかない」と言います。これを心がけて生活すると心の迷走は軽減できます。これに対して本来なすべき目的があるにもかかわらず、別のことを考えながら手掛けていると問題が発生しやすくなります。二つのことを同時進行で行う行為をマルチタスクといいます。二つ以上の課題に同時に取り組むことです。マルチタスクは、脳に大きなストレスを与えることが分かっています。スタンフォード大学の研究では、マルチタスク傾向の強い人は関連する情報の取捨選択が苦手なうえ、タスクの切り替えもうまくいかなくなります。脳内では情報を記憶する場所に異変が起きています。記憶情報は海馬に送られます。ここで短期記憶と長期記憶に分けられます。長期記憶は大脳皮質へと送られます。マルチタスク傾向の強い人の情報は、線条体に送られることが分かってきました。ここに送られた情報は、後から思い出そうとしても思い出しにくくなります。つまり記憶力や学習能力の低下を招いてしまうことになります。たとえば玄関の戸締りをするとき、他のことを考えながら施錠をすると、しばらくしてからきちんと施錠したのかどうか不安になるようなことが起きます。マルチタスク傾向の強い人、絶えず過去のことを後悔し、将来のことに取り越し苦労している人は、線条体が過剰に活動して損傷を受けやすくなります。その結果様々な障害が起きてきます。神経症との関係では、強迫観念、強迫行為、依存症の発生原因となります。森田の「今できることは一つしかない」をスローガンにして、「今、ここ」に注意や意識を向ける習慣を作りあげたいものです。「二兎を追うものは、一兎も得ず」は真実だと思います。(願望実現脳は1分でつくれる 世界一かんたんなマインドフルネス法 山富浩司 大和出版参照)バナナのたたき売りに参加しました。13本100円でゲットしました。最初から我先に手を挙げる人は高値で入札していました。しばらく様子を見ているとそのうちドンドン値下げをしてくる。頃合いを見て中央付近に陣取りニコニコしていると売ってくれる。それにしてもこういう時の女性はたくましい。落札者のほとんどは女性でした。ちなみに世界一のバナナの産地はインドだそうです。
2024.09.09
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2024年7月15日にNHKでプロジェクトAIという大変興味深い番組があった。5月に全国の高校のAIを活用したディープランニングコンテスト(Dコン)が開かれた。東京都立産業技術高等専門学校の「AIを活用した詐欺電話を見分ける装置」が優勝した。電話に取り付けられたこの装置は、AIは膨大な過去の詐欺電話の手口を学習している。実際に詐欺電話がかかってくると、高速で会話内容を分析する。詐欺電話と気づくとすぐに赤色灯が点灯して知らせてくれる。開発のきっかけは、メンバーのなかに実際に詐欺被害に遭った人がいたことだった。泣き寝入りをすることが多い中、逆に被害の撲滅に向かって取り組むために立ち上がったのだ。研究は仲間に呼びかけて9名で役割分担をして取り組んだ。実際には3つのことを行っている。1、詐欺で頻繁に使われるNGワードがあります。これらをAIに学習させている。2、詐欺電話をかけてくる人は早口である。発語速度が普通の会話では一秒間に6.39語だが、詐欺電話の場合は8.15語以上になっている。早口でしゃべって相手にしゃべるゆとりを与えないようにしているそうだ。この特徴をAIが分析している。3、詐欺電話でよく使われるキーワードの特徴を数値化している。AIが類似度で判断している。この3つに当てはまると、10個の赤色灯が順次点灯する。千葉県警の生活安全課で実験をしたところすぐに見破った。千葉県警の担当者はこの装置の威力を高く評価していた。これをさらに改良して、スマホやパソコンにかかってくる詐欺電話やメールの撲滅に結び付けてほしいという話でした。ベンチャー企業を支援している人からは、この装置は販売価格が1万円程度と安価であり、すぐにでも実用化が可能であると判断されていた。AIを活用した技術革新は今後加速度を増していくと言われている。その背景を分析してみました。・CPU、GPUの処理能力が飛躍的に向上していることが上げられる。膨大なデータを高速処理することが可能になっている。その開発スピードはさらに加速されることが予想される。・インターネットの普及により、ありとあらゆるビックデータが比較的簡単に収集できるようになってきた。・これらの条件が整ったことで、AIは膨大なデータを高速で処理する。さらに膨大なデータを整理分類して、パターン分析を行う。そして、人間が即座に判断できないような事案に対して、過去のデータ分析から最適対応法を提案する。それも一つだけではなく3つも4つも提案してくれる。リスク面のフローもきちんと行ってくれる。単純作業、危険作業、介護作業、物流作業、重労働などは、進化したAIを活用した時代がやってくることはほぼまちがいがないようです。AIの活用は成長の過渡期であり、賛否両論あります。しかしAIの活用はすでに弾みをつけて動き出しているという認識を持って注視することが欠かせない時代に突入していることは確かなようです。
2024.09.08
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樺沢紫苑氏のお話です。朝起きてからの2~3時間は「脳のゴールデンタイム」と呼ばれています。脳が最も活き活きと活躍してくれる時間帯なのです。その時間帯に何をするかで、1日のこなせる仕事、さらには仕事の質が決定されます。樺沢氏はこの「ゴールデンタイム」を原稿の執筆にあてている。夕方とか夜に執筆しようとしたこともありますが、いざ机に向かっても一向に筆が進みません。しかし、脳のゴールデンタイムを使うと、その間に原稿用紙10~20枚を書くことは、そう難しいことではないのです。単に量をこなせるだけでなく、文章のクオリティも高いものが書けます。あくまでも私の実感ではありますが、脳のゴールデンタイムを活用する場合としない場合とで比較すると、仕事の効率が3倍くらい違う。そのカギとなるのは脳内物質の「セロトニン」です。セロトニンが分泌されると、「今日も1日がんばるぞ」という気持ちになります。身体にも力がみなぎり、ハツラツとした気分となります。頭もスッキリとしていますから、すぐに仕事をスタートできる状態になるのです。またセロトニンの合成と分泌は、日の出とともに盛んになり、午後から夜にかけて低下します。セロトニンは夜になるとメラトニンに変わり睡眠を促進します。セロトニンは、「睡眠」と「覚醒」をコントロールする脳内物質なのです。セロトニン神経系の鍛え方は2022年2月13日に10項目ほど紹介しています。関心のある方はご覧ください。
2024.09.07
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トヨタ自動車は「カイゼン」運動を経営理念の一つとしています。「カイゼン」とは、現場の作業員自身が、改善点や改良点を見つけ出して、より良い方法を提案していくというものです。「カイゼン」運動としては次のようなものがあります。1、整理、整頓、清掃、清潔、躾の5S活動があります。2、従業員が「カイゼン」提案を行う制度です。よい提案であれば積極的に採用されます。3、従業員が自主的に参加する品質管理活動(QCサークル)があります。QCサークルでは、問題点を分析して、解決策を検討していきます。トヨタ自動車の「カイゼン」運動は、生産性の向上、品質の向上、コストの削減、従業員の仕事に対する意欲の向上などをもたらしました。私たちもトヨタ自動車の改善運動の考え方を生活の中に取り入れることを提案いたします。具体的には今現在取り組んでいる仕事や日常茶飯事の中で、気になっていること、課題や問題点、改良点や改善点などを見つけていくようにするのです。トヨタ自動車の改善運動の中でも、整理、整頓、清掃、清潔、躾は日常生活の中で毎日取り組む課題となります。凡事徹底を心がけている人は、いくらでも問題や課題を思いつきます。取り組むときは、小さいこともできるだけ見逃さないようにする。気づいたら忘れないようにすぐにメモしておく。すぐに手掛けられるものはすぐに片づける。すぐにできないものはストックとして残す。この活動に取り組むと、次々に課題や目標が生まれてきます。森田でいう生の欲望の発揮につながります。課題や目標に向かっているときは、生きることはむなしいなどということは考えなくなると思います。生きがいなどというものは、案外身近なところにあるのではないでしょうか。
2024.09.06
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今日は森田理論に関係のある瀬戸内寂聴さんの言葉をご紹介します。・私自身の人生を振り返ってみると、「何か」や「誰か」をあてにしたときは、何にもなりませんでした。(人生について)私の場合は、神経症で苦しいときに、刺激や快楽を求めて憂さ晴らしを考えていた時が最悪の時だったと思います。やることなすことが、裏目に出て、暇を持て余し、症状をさらに強める結果となった。小さなことでも自分で考えて、課題や目標を持って生活していた時は幸せだった。・私たちは一日一日を、大切に生きていかなくてはいけない。その日その日を、大切に生きていけば、必ず良いことがある。森田理論を学習して規則正しい生活が大切だということがよく分かった。その中で創意工夫するようにすれば人生はむなしいなどとは考えなくなる。楽しみや感動する場面が多くなる。感謝の気持ちも生まれてくる。・私は多く傷つき、多く苦しんだ人が好きです。集談会の中で、神経症に苦しみ、森田理論に出会い、学習を積み重ねて、神経質性格を活かした人生観を確立した人を何人も見てきた。その人たちから刺激や影響を受けて今の自分があるのだと思います。・勉強は食事と同じです。毎日少しずつでもいいから、続けることが大切です。森田理論学習は勉強したこと、役に立つ話を聴いた後、自分と照らし合わせて、文章にまとめてみることが大切だと思います。ある程度まとまったら、生活の発見誌に投稿したり、集談会などで体験発表をする。この効果は、読むだけ、聴くだけと較べると10倍ぐらい差が開くように思います。・愛する事は許すこと、自分も許されて生きてる事を忘れないで。集談会では傾聴、共感、受容という話がよく出ます。それに加えて相手のことを許すということも大切だと思います。後から考えて、自分や相手のことを包容力で許してあげたと思う人ほど人間関係は良好です。・愛とは、相手を所有することではありません。相手を自由にすることです。私たちは「かくあるべし」を自分や相手に押し付けることが多い。自分や相手を意のままにコントロールしたい気持ちが強いのだと思います。確かに自分の主張や気持ちをはっきりさせることは大事です。但しそれを打ち出す前に、相手の主張や気持ちを聞いてみることがもっと大事になります。
2024.09.05
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人間関係の中では、相手から無視される。からかわれる。馬鹿にされる。叱責される。非難される。否定されることは頻繁に発生します。特に仕事をしている人は毎日のように経験されていることではないでしょうか。その時不快な感情を持ちこたえることができなくて激しく反発する人がいます。そういう人は相手の言いなりになると、自分が負けたようなみじめな気持になるのではないでしょうか。普段から人間関係で相手に一方的に遣り込められることはがまんできない。何が何でも相手に勝たねばならないと考えているのではないでしょうか。負けず嫌いな性格で、相手に勝つか負けるかということに強くこだわる人がいます。自由を奪われて、相手に自由にコントロールされることを嫌がる人です。逆に相手を自由自在にコントロールしたいという気持ちが強い。人間関係は支配するか支配されるかの2つに一つしかないと信じている節がある。助け合う仲間というよりも、相手を敵とみなして覇権争いをしているようなものです。これでは精神的に気が休まることがありません。二人の人間がいればそれぞれの考え方があって当然という考え方はしない。話し合いによって妥協点を見つけて歩み寄ろうという気持ちはさらさらない。譲ったり譲られたりの関係を作り上げようという気持ちは希薄です。勝つか負けるかの二者択一の思考方法をとる人は攻撃名人です。他人の容姿、性格、能力、弱点、欠点、ミス、失敗などは決して許すことがありません。また、対人関係で自分が傷つくことを恐れるために、防衛的で後ろ向きな行動をとるようになります。こういう人は人間関係は縦の上下関係で成り立っていると考えている。負けると惨めになるので、先手を取って攻撃するようになります。反対に相手を手ごわいとみるとすぐに逃げだすようになります。相手を助け合い協力し合う仲間としての横の人間関係を作ろうとは考えない。相手をプライドをかけて戦う相手とみなしていると辛い人生が待っています。潤滑油の切れた歯車を回すようなことになりとても痛々しい。どうすればこの呪縛から解放されるのでしょうか。人間関係で勝ち負けをかけて競うことはきっぱりと縁を切ることです。相手が勝てば自分がみじめになります。自分が勝つと相手がみじめになります。どちらに転んでもよい結果にはなりません。勝ち負けをかけて相手と戦闘モードになることは、百害あって一利なしと心得て行動することが肝心です。自分のほうから決して相手を挑発しない。また相手の挑発には絶対に乗らないように心がける。勝ち負けにこだわらなくなった人は、人間関係が好循環してくるはずです。
2024.09.04
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樹木希林さんのお話です。歳をとって妙に頑張っているのは、若い人から見るとかわいそうだったり、醜くかったりするかもしれませんが、自分の始末は自分でするという日常生活は、できる限りやったほうがいいと思います。私ごとですが、仕事の現場には自分で車を運転して行きますし、都内なら山手線やバスを乗り継いで出かけます。年をとって病気してからは、みんなが心配するんですが、一人で行動するほうがずっと楽です。ダメなときには「すみません」って言えればいいのではないでしょうか。年をとってパワーがなくなる。病気になる。言葉で言うといやらしいけど、これは神の賜物、贈り物だと思います。終わりが見えてくるという安心感があります。年を取ったら、みんなもっと楽に生きたらいいんじゃないですか。求めすぎない、欲なんてきりなくあるんですから。自分の身の丈にあったレベルで、そのくらいでよしとするのも人生です。お金や地位や名声もなくて、傍からは地味でつまらない人生に見えたとしても、本人が本当に好きなことができていて、「ああ、幸せだなあ」と思っていれば、その人の人生はキラキラ輝いていますよ。(一切なりゆき 樹木希林 文藝春秋 20~23ページ)私は森田理論学習に40年近く取り組んできて、神経質者としての人生観が確立できたと思います。森田先生は人生が確立できたら神経症は治るのだと言われています。私の実感としては、今まで霧の中で恐る恐る車を走らせていたのですが、急に霧が消えて視界がよくなってきた。風景を楽しみながら、気持ちよくドライブできるようになってきた。若いころに神経症で苦しんできたことは、今となっては夢幻のごとし。終わりよければすべてよし。あとはゴールに向かって全力疾走するだけです。感謝の気持ちで人生を締めくくりたい気持ちでいっぱいです。
2024.09.03
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渡辺和子さんがミヒャエル・エンデのファンタジー小説「果てしない物語」という本を紹介されている。一人の少年バスチャンがアウリンという不思議なメダルを授けられた。このメダルは自分の望みをかなえるメダルであった。チビで太っていたバスチャンはすらりとした美少年になることをお願いした。次に、気の弱い、いじめられてばかりいた少年は、ライオンはおろか騎士たちを従える勇者になることを願った。また勉強のできなかった彼は、どんな難しい事態も解決する賢者になることを願った。それらの願いはどんどん叶えられていった。ところがこのメダルは一つの望みを叶えるたびに一つの記憶を失うメダルであった。バスチャンは自分の住んでいたところ、学校のこと、父親のこと、果ては、自分の名前までも忘れてしまった。そんなバスチャンに、あと一つだけ望みを叶えることが許された。バスチャンはもはや偉大なもの、強いもの、賢いものが欲しいとは思わなくなっていた。今まで獲得したものを失っても構わないから、ありのままの自分を愛せる自分になりたいと願った。渡辺和子さん曰く。自分を愛することができない人は、絶えず嫌な自分とともにいなければならないのである。こんな辛いことがほかにあるだろうか。「我ながら呆れる自分」「まったく嫌になる自分」「愛想のつきる自分」というものが必ずある。あるのが当たり前である。誰しも「ほれぼれする自分」であったらどんなにいいかと思いながら生きている。しかし現実は、期待に添っていない自分を見出すことがなんと多いことか。そんな自分に失望することなく、そんな自分を否定したり、いじめたりすることなく、「お前は馬鹿だね」と話しかけながら仲よく暮らしていくことが、自分へのやさしさなのである。優しさということを考える時、私たちはとかく「他人」に優しくすることばかり考えて、「自分」に対して優しくすることを忘れがちである。「どうしてお前は、もっと他人に優しくできないのか」と自分を責めたりしている。しかしながら、他人に優しくできるためには、まず自分自身に優しくなければならないのだ。それは決して、自分に甘い点をつけるとか、いい加減に生きるということではなく、ましてや利己的に生きることでもない。それはどんなに惨めな自分も、それを受け入れていくということである。(あなただけの人生をどう生きるか 渡辺和子 筑摩書房 142~147ページ要旨引用)自然に湧き上がってくる不快な感情、心配性な神経質性格、人並以下の容姿、不十分な能力、理不尽な運命、不幸な境遇、心身の病気や老い、地震などの自然災害、他人からの不当な扱いなどが次々に起こってきます。それらを目の敵にして喧嘩を売るよりも、あるがままに受け入れて、自分に与えられた境遇で、与えられたものをできるだけ活かして生きていきたいものです。
2024.09.02
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渡辺和子さんのお話です。私は一人ひとりは花として生きたらいいと思います。小さい花、大きい花、早咲き、遅咲き、色とりどり、店頭に飾られて高く売られる花、豪華なパーティーに飾られる花があるかと思えば、ひそやかに、つつましく一生を終える花も多くあります。自分が願ったとおりの場所に植えていただいて一生を過ごすことのできる花もあれば、自分の望みもしなかった場所に植えられたり、移し替えられて一生を過ごす花もあることでしょう。もっと日当たりのいいところだったら、大きく咲けるのに、風当たりの少ないところだったら、素直に真っすぐに育つのに、あの邪魔ものがなければ、すくすくと伸びるのに、広々としたところならと、こんな思いが、私たちの一生には心をよぎることがあります。そんな時に思い出してほしいのは、花にとって一番大切なのは、どこで咲くかではなくて、またはほかの花と自分を比べて見劣りがするか、または見栄えがするか、そんなことではなくて、咲くということです。自分にしか咲かせられない花を、神さまが置いてくださったところで懸命に精一杯咲かせるということです。(あなただけの人生をどう生きるか 渡辺和子 筑摩書房 103ページ)このような生き方は森田でいうと「己の性をつくす」ということだと思います。「世界に一つだけの花」という歌詞そのものですね。この歌詞のなかに「争うこともしないで」とありますが、人間は勝ち負けをかけて覇権争いを繰り返し、人間関係を悪化させて苦しんでいるのではないでしょうか。花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていたひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだねこの中で誰が一番だなんて 争うこともしないでバケツの中 誇らしげに しゃんと胸を張っている
2024.09.01
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