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毎年の行事ゆえここ数年は事前準備にも戸惑うことなく文字通り「近所にお墓参り」といった感覚です。とはいえ午前4時過ぎに起床し飛行機を乗り継いでの鹿児島訪問は肉体的に疲れます。おまけに鹿児島は暑いですし。24日の鹿児島到着時間は12時30分でした。鹿児島空港の出口に向かい、歩いているだけで汗が出てきます。それでも数年前に設置された空港前の足湯は人気の様でお昼の時間帯にもかかわらず浸かっている人がいました。私も足湯に浸かりたい願望はあるのですが時間が無く毎年断念しております。その足湯コ-ナ-を横目にレンタカ-の手配を素早く済ませ一路、鹿児島市内へ。この日は西郷先生の命日です。西郷先生のお墓参りやゆかりの地訪問が控えております。それゆえまずは腹ごしらえをして“激務?”に備えなくてはいけません。向かう先は天文館(鹿児島市内の繁華街)近くにある「華蓮」さんです。翌日もこちらで昼食をいただくことになっておりますがこの日はトンカツを用意してもらいました。さすが鹿児島の黒豚で作られたトンカツは美味しかったです。おまけにキャベツも大変柔らかく感激した次第です。この「華蓮」さんは経営母体がJAさんだそうです。福岡と大阪にも支店がありますのでお近くにお住まいの方は是非行かれてみてはいかがでしょうか?黒豚を堪能した後はわき目も振らず最大の目的地である「南洲墓地」へと車を走らせました。午前中は「南洲神社」で大礼祭が行われます。私は2年前の「南洲翁没後130年忌」に出席しました。午前10時というのにじりじりと照りつける太陽の陽の強さと薩摩琵琶の音色は今でも記憶に残っております。「南洲墓地」につきましては過去の拙ブログで説明させていただきましたので割愛します。端的に申しますと西南戦争で亡くなった方のお墓が置かれている場所です。数千のお墓がありまして享年が20歳代前半の方もかなりいまして、多くの若い命がこの戦争で散っていったことが判ります。私が西郷先生の魂と直接触れることの出来る唯一の場所がこの「南洲墓地」なのです。時計の針は14時を過ぎていました。
2009.09.30
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昨夜、22時過ぎに自宅到着。新千歳空港に着くや否や感じたことは「札幌は寒い!」でした。まあ鹿児島が暑かったのですが最高気温と最低気温で約20度もの差があるのですから当然です。24日は午前4時に起床し7時30分発の飛行機に搭乗しました。羽田空港で乗換をし鹿児島空港到着は12時30分でした。それからレンタカ-で移動しましてほぼ休み無しの行動でしたので疲れました。それでも今回の鹿児島訪問はこれまでとは異なり充実していました。詳細はこれから記して参りますが“単なる旅行”に終わることが無かったのです。「北海道南洲会」を鹿児島の地において認知していただいたり、見ず知らずの地元の若者と22時過ぎに西郷先生の墓前で語り合ったり。本当に充実していました。更に福岡からいらした酔鳳様と合流し、普段は訪れることが無い地まで車を走らせたりと有意義でもありました。(ここでは書くことの出来ないパプニングもありましたし酔鳳様、内緒ですよ!)今回の鹿児島訪問で体験した出来事を生かし「北海道南洲会」を発展させるべくこれからも西郷先生の研究を続けてまいります。
2009.09.27
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本日でシルバ-ウィ-クも終了しますね。皆さんゆっくりお過ごしになられたでしょうか?かくいう私は日曜日以外は仕事でした。(本日も休んでいますが)ようやく決算書類を仕上げましたが他の仕事が残っておりまして休日出勤を余儀なくされました。明日は鹿児島へ出発しますので今日一日は準備やら買い物やらで多忙になります。まず購入する物はお供え用菓子です。もちろん西郷隆盛先生のお墓にお供えするお菓子ですよ。西郷先生は甘いものが大好物でしたので私は毎年、北海道のお菓子を買っていきます。今年は何にしようかと思案中ですが第一の候補は柳月さんの「三方六」です。西郷先生はカステラがお好きでしたから最適かなと自分なりに考えております。さて日曜日の話題ですが私は当然(?)お墓参りに出掛けました。これまでは鹿児島に行く日程と重なるため失敬していました。しかしさすがに尊敬しているとはいえ他人である西郷先生のお墓参りには行き、自分の祖先をないがしろにすることの呵責に責められたのです。午前中にお墓の掃除をきちんと済ませご先祖様をお迎えすることが出来ました。その帰り道にランチをとりました。場所は「シャトレ-ゼガト-キングダムサッポロ」です。地元民は略して「ガトキン」と呼んでおります。札幌の少し外れに位置しておりますので交通の便は良くないのですが私の実家から近いこともあり数ヶ月に1度は訪れています。このホテルは外装より内装が素敵なのです。この日はピアノの生演奏を聴くことが出来ました。ピアノを聴きながらランチをいただくなんて本当に久しぶりです。たまにはこうして心に栄養を与えるのも意義あることです。映画・タイタニックのテ-マソングがレストランの雰囲気にマッチしていました。私は1Fにあるバイキングレストランを利用しました。色々な料理をたくさん食べることが出来ますので。料理は種類も豊富で味もGOODでした。私が特に「美味しい」と感じた料理はハンバ-グです。具がギュッと詰まっていてジュ-シ-な味でした。札幌近郊にお住まいの皆さんもドライブがてら是非行かれてみてはいかがでしょうか? 住所:札幌市北区東茨戸132番地電話:011-773-2629
2009.09.23
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民主党政権が高支持率で船出したのとは対照的に自由民主党(以下自民党)総裁選は盛り上がりを欠いている様ですね。鳩山政権発足にあたり予算の単年度消化廃止ですとかマニュフェスト実行の議論が連日報道されているので国民の関心がそちらに向くことは仕方ないことです。今の時点で自民党の総裁に就任したところで所詮は野党ですから候補者の公約を実行に移すことは困難です。しかし世の中「負けて勝つ!」という言葉があります様に「負け方」、「負けっぷり」、「負けて這い上がる」といった前向きな姿勢が大切なのです。特に権力闘争においては。小沢一郎幹事長率いる民主党は手ごわいですから生半可な策略では跳ね返させられます。相当の度胸も必要です。などど私は高みの見物を決め込んでいましたら土曜日にハガキが届きました。何と自民党総裁選投票用紙です。確かに私は名ばかりの党員だったと記憶してはいましたが投票権を持っているとは思ってもいませんでした。おまけに来期の党費はまだ納めていませんし。しかし投票用紙が送られてきた以上は無視するわけにはいきません。立候補している3名のうち誰か1人の名前を記入し返送しなくてはいけないのです。でもはっきり申しまして「投票したい候補者がいない」のです。まさか中曽根康弘と書くわけにもいかず悩んでおります。あくまでもマスコミ情報で判断しますと西村さんという方は若手の動きを分断するために町村派の幹部が擁立したとのことです。谷垣さんは安定感があり誰しもまとまって推すことの出来るタイプです。が、あくまでも何かの雑誌かサイトかはたまた党関係者から聞いた範囲では若い頃、中国でハニ-トラップに掛かってしまい写真を撮られたとか。事実なら中国に物が言えませんね。そして河野さん。世襲議員の典型の様な方です。とはいえ舌鋒鋭く党の重鎮を批判する度胸は評価できます。まだ結論は出ていませんが河野さんを念頭にもう一晩、じっくりと考えてみます。自民党再生の道は険しいですが、もう二度と連立など模索せず単独で政権を担う決意で国家国民の側に立った政策を提示して欲しいものです。
2009.09.22
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今週の木曜日にやっと、そしてついに発足しました。北海道南洲会が。私を含め4名が集い一応の発足にこぎつけることが出来ました。かつて田中角栄元総理の逆鱗に触れないよう秘密裏に発足した竹下登氏主催の「創政会」ほどではありませんが私の知人にもオ-プンにはしておりません。ですから政界関係者はまだ本会の存在は知りえないのです。私は幸か不幸か自民党、民主党それぞれの関係者に知り合いがいます。彼らに本会発足を知らせますと入会希望が殺到(多分?)するでしょう。しかし会の理念であります「不偏不党」に反しますので一切、知らせておりません。(不生庵様からもその点、念を押されています)それにしましてもこの日は盛り上がりましたよ。しかも精神が昂揚するくらいに。大げさな表現をさせていただけましたら幕末の志士たちが酒を酌み交わしながら熱い議論をしているかの様な雰囲気でした。私の知人である2名の方と不生庵様は初対面なのですが名刺交換を終えるや否やすっかり旧知の関係の様にざっくばらんな議論をされていました。私は嬉しかったですねえ。年齢も環境も仕事も異なる者同士が西郷隆盛先生の生き方に共鳴し、その思想をもって自己研鑽に励み、社会貢献を行うために議論をするのですから。「克己をモット-としよう!」との意見も出されました。自分に打ち勝つこと。まさに薩摩の郷中教育の教えのごとく「負けるな!」です。とりあえず私が会長に指名いただきまして緊張のあまりすっかりお酒にのまれてしまいました。私は自分以外の3名の方に会長就任をお願いしたのですが色よいご返事はいただけませんでした。そもそも私は組織の長が務まるタイプの人間ではないのです。どちらかといいますと参謀というか特攻隊長が性にあっているのです。政治家で表現しますと古くは金丸信。少し前では野中広務、亀井静香氏あたりでしょうか?どんなタイプの人間か一目瞭然ですよね?しかし今回の会長就任(一応名前だけですけど)は天の配剤と受けとめ勇往邁進していきます。来週は鹿児島市へ行きます。もちろん西郷隆盛先生のお墓参りのためです。西郷先生の墓前で北海道南洲会の発展をお願いしてきます。我が胸の燃ゆる思いに比ぶれば煙は薄し桜島山!
2009.09.19
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本日で懸案の業務をほぼ片付けることが出来ました。毎日、残業続きでコメントいただいた方々へのご返信が遅くなりましたことお詫び申し上げます。毎年の作業なのですがその年毎に異なった懸念材料があるもので多少の緊張を味わうことになります。とはいえ完成書類提出は今週の土曜日ですから明日以降も入念なチェックが必要です。たまに残業続きや休日無しの生活も良いものですよ。20代の頃は体力が溢れていましたから、それこそ深夜まで仕事をしていました。電車通勤の時間を節約するために会社周辺のホテルに泊り込んで仕事をすることも度々でしたね。もちろんホテル代は自腹です。そのことを知った直属の上司が「ホテル代は会社で持つから」と言ってくれましたが頑としてはねつけました。会社に借りを作ることが嫌だったのです。借りを作った状態では簡単に辞めることが出来ませんからね。当時は会社の役員を恨んだり不満を募らせていましたが今となっては良い経験をしたものだと精神的支柱になっています。ですから今は残業続きとはいえ楽な内容です。それはそれとしまして明日は「北海道南洲会」初顔合わせです。一応、幹部会になるのでしょうか?不生庵様には多大なるご尽力を賜り、感謝の言葉しか思いつきません。本会が社会に一石を投じ北海道民から敬意の眼差しで眺められるような組織に発展するよう努力していきたいです。来週は西郷隆盛先生のお墓参りのため鹿児島へ参ります。今年は西郷先生に良い報告が出来ます。
2009.09.16
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少し前の話題ですが西郷党にとって嬉しい内容ですので紹介させていただきます。確か2009.08.24付の「夕刊フジ」 だったと記憶しています。「現代の日本を救って欲しい偉人」と題する記事です。(以下、抜粋させていただきます)天下分け目の総選挙まで1週間を切った。自民党に逆風が吹き荒れる中、民主党の圧勝が予測されているが、有権者にしてみれば「どっちもなあ~」というが正直なところでは。そこで、ないものねだりで「蘇って、現代の日本を立て直してほしい昔の偉人」を聞いてると-。 1位は坂本龍馬。「彼並みのカリスマ性を持った人物が市民の先頭に立って日本を立て直してくれると思う」(専門・大学生/男性)、「この人ほど日本を愛し、柔軟な考えを持って実際に行動できた人はいない」(専門・大学生/女性)と司馬遼太郎の小説「竜馬がゆく」の影響力は絶大だ。同じく幕末に活躍した近藤勇、土方歳三、沖田総司ら新選組幹部の名前も挙がった。 2位の織田信長には「楽市・楽座を作って商業を活性化させた人物。景気対策をうまくやってくれそう」(20代女性)と具体的な期待感が。 3位は、冠位十二階や十七条憲法を制定するなど天皇の中央集権国家をめざした聖徳太子。「精神性、政策力、政治の実行力がずば抜けていると思う」(40代男性)。今こそ政治家の皆さんには「和を以て尊しとなす」の精神でお願いしたい。 4位は一気に時代を駆け上って、田中角栄。「いろいろ問題のあった人物だと思うが、今の弱気な日本には、強く夢や希望を持ったリーダーが必要」(30代男性)と"角栄待望論"は健在。 女性で唯一、トップ10にランクインしたのは邪馬台国の女王、卑弥呼。「女性にして日本をまとめ上げた存在感がすごい。考え方を聞いてみたい」(専門・大学生/男性)、「女性が引っ張ってって欲しい」(20代男性)と、なぜか男性票が多かった。■蘇って、現代の日本を立て直してほしい昔の偉人(1)坂本龍馬 (2)織田信長 (3)聖徳太子 (4)田中角栄 (5)徳川家光(6)西郷隆盛 (7)豊臣秀吉 (8)卑弥呼 (9)伊藤博文 (10)福沢諭吉【調査概要】7月9日~14日、オリコン・モニターリサーチ会員の中・高校生、専門・大学生、20代社会人、30代、40代の各100人、計男女1000人にインターネット調査。オリコン調べ(oricon.co.jp) 我らが西郷隆盛先生は6位。この順位を「高い」と評価するか「低すぎる」と憤慨するかは各位の価値判断にお任せします。明治維新の立役者としては坂本龍馬さんに次いで第2位ですから立派な評価を受けていると私は満足ですよ。ただ回答者が西郷先生の具体的な偉業や生き様を知るともっと高い順位にランクされるでしょう。西郷先生はどうしてもイメ-ジ先行型の人物ですから。今回、選抜された人物は全て強烈な個性の持ち主ですね。「実行力」もさることながら究極の場面において「突破力」を発揮する方も多いです。こういった調査は今後も続けて欲しいものです。そのことによって日本人が上位にランクされた偉人に関心を持ち、研究することで彼らから意義ある教えを学ぶことが出来るのではないかと思います。「北海道南洲会」の設立目的も「西郷先生の生き様を深く掘り下げて学び社会に貢献出来る人材を育成する」です。時代は「人物の研究」を重視するという潮流にあるのかもしれません。ということは「北海道南洲会」は時代の流れ、待望のなかで必然的に発足する運命にあるとも言えます。(少し強引でしたか?)まあ単なる飲み会だけにはしないつもりですので。
2009.09.12
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先ほど久しぶりで東京の竹社長と電話でお話させていただきました。私のブログで何度かご紹介させていただいた竹社長は鹿児島のご出身で西郷隆盛先生の縁戚にあたる方です。幼い頃に住んでおられた御自宅は鹿児島市内を流れる甲突川のすぐ近くにあったそうです。この甲突川周辺と聞いてピンとくる方はかなりの薩摩通です。この一帯は西郷先生はじめ村田新八さん大山巌さんそして大久保利通らを輩出した地域なのです。まさに郷中教育を心身ともに染み込ませた明治維新の立役者たちが育った地域なのです。先日、私は竹社長に「北海道南洲会趣意書」を郵送させていただいたのです。その件で竹社長から叱咤激励のメ-ルをいただきました。久しぶりに竹社長の声を聞きたくなったこともありまして夜中にも関わらずお電話させていただいた次第です。竹社長からは「今回の北海道南洲会設立を機に多くの同士が集うことを期待いたします」と有難いお言葉を賜りまして一層、身が引き締まる思いに駆られました。更に竹社長は中村稔先生にも本趣意書をお渡し下さったのです。中村先生につきましてはあらためての説明は不要と存じます。伝説の予備校講師です。あの英語の授業は今なお、30歳代後半~40歳代後半の元代々木ゼミナ-ル生の間では語り草になっているのです。竹社長から趣意書を受け取られた中村先生は「じっくり読ませてもらう」とおっしゃられたそうです。北海道南洲会はまさに紅蓮の炎の如く熱き思いで生まれつつあります。中村先生のあの授業も桜島の噴火の様な激しくて熱い内容でした。中村先生は私たちの熱き思いをきっと理解して下さるでしょう。その中村先生ですがひょっとしましたら来月、札幌にいらっしゃるかもしれないとのことです。(もちろん竹社長の先導によりますが)私は体調を万全にし、お目にかかりたいと思っています。かつて荻窪のお鮨屋さんで中村先生の高級ブランデ-を飲ませていただき記憶をなくしてしまったという不覚をとったからです。それにしてもあの中村先生の講義をもう一度受けることを私は熱望しています。きっと自分の青春時代を振り返り原点に返ることが出来る気がするのです。
2009.09.09
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先週の日曜日以降、TVを観ていて気がつくことは民主党若手国会議員の出演数の多さです。政権交代が確実になった結果、野党予定の自民党国会議員の露出度は極端に少なくなりました。(特に小選挙区敗退者)今回の政権交代の大立役者は言うまでもなく小沢一郎氏でありましょう。小沢氏は小泉チルドレンならぬ“小沢チルドレン”を多数当選させ党内の3分の1の勢力を擁するにまでになりました。(しかも小泉チルドレンよりも優秀という印象はあります)これで小沢氏はいつでも新党結成に動くことが可能になりました。(実行するか否かは判りませんが)さすが田中角栄氏から権力闘争、派閥拡大のノウハウを学んだ人物だけのことはあります。今の自民党のなかで小沢氏と正面切ってケンカをすることの出来る国会議員は皆無ではないかと私は思うのです。それにしても政権政党の幹事長と総裁が田中派及びその流れを汲む竹下派の出身であるという事実は何か因縁めいたものを感じます。私はこの二人の人間関係が修復不可能な程度にならない限り、鳩山内閣がすぐに崩壊することはないのではないかと思っています。小沢氏相手の政治は精神的なバランスが結構大きなウエイトを占めるかもしれませんから。そういえば私、幸か不幸か小沢氏に1度だけ会ったことがあります。相当昔ですが。時は昭和。中曽根総理の後を竹下登氏、安倍晋太郎氏、宮沢喜一氏の3名が争っていた頃です。(古い話ですねえ)私は大学1年生でしたがある安倍派の代議士事務所にて仕事をしていました(ボランティアで)竹下氏と安倍氏は仲が良かったのか「安竹連合」で一気に党内の多数を抑えようとする案もあったのです。ただ堤義明西武グル-プ総裁が「中曽根総理は間違いなく宮沢さんを後継指名する。私の全財産を賭けてもよい」などとの不規則発言をしたこともあり、竹下派、安倍派双方の陣営は焦ってもいました。そんななか突然、小沢氏が現れたのです。私がお手伝いしていた代議士は安倍派に所属し小沢氏と同じ岩手県を選挙区にしていました。小沢氏は自身の選挙区である岩手県内でも「安竹連合」を確実な体制にしておきたかったのかもしれません。私が座っていた椅子が入口の側でしたので小沢氏の対応は私がしました。小沢氏は丁寧に「小沢一郎でございます。○○先生はいらっしゃいますか?」と事務所入口で深々と頭を下げたのです。私は「確かこの人、この前まで自治大臣をしていたよな?随分と腰の低い人だなあ」と内心驚いていました。私が小沢氏を部屋へ案内すると小沢氏は部屋を見渡し「いやあ、とても綺麗に整理整頓されていらっしゃいますねえ」とニコニコ笑いながら代議士が待つ奥の部屋へゆっくりと入っていきました。その数年後、自民党の幹事長として豪腕を振るう人物とは思えないくらい物腰が柔らかだった記憶があります。人心掌握の上手な人でもありますね。そのへんの気配り下手な世襲議員は見習って欲しいものです。いずれにせよ今後の日本の政界は小沢氏の言動に注目が集まることは簡単に予想することが出来ます。対する野党の自民党は小沢氏を政治的に叩き潰すことが政権政党に戻る近道ですが大丈夫でしょうか?せめて梶山静六さんがご存命であれば・・・・・・。
2009.09.06
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「密談」とはキナ臭いテ-マですがちょっと表現が過激でしたね。実際は永田町にて行われている類のそれとは異なり「北海道南洲会」設立の打ち合せでした。本日、不生庵様と喫茶店にて規約他の打ち合せをさせていただきました。折角の金曜日にお酒も女性も抜きで申し訳ない気持ちで一杯です。それにしましても不生庵様には大変なご尽力を賜っております。今の時点で本会が発展するかどうか皆目見当がつかないのにもかかわらずお骨折りいただいているのです。都合1時30分の打ち合せでしたが想像以上の検討課題がありました。北海道初の西郷隆盛先生を研究する会ですからこれからも多くの難題が噴出すると思います。しかし明るく楽しく前向きに進めていきたいと考えております。私の本会設立目的はそれ程複雑な動機ではないのです。今の日本全体が無機質・荒廃(特に精神)の真っ只中にあり、この現状を打破するには生涯を通して美しく潔い人間であった西郷先生の教えにすがる以外にその手段はなく、本会がその伝道の役割を果たす。これなのです。本当は政府がその役割を担ってくれれば宜しいのですが・・・・・・。昨年、鹿児島にて西郷先生の墓前で私は先生に御願い致しました。(詳しくは“平成20年・鹿児島訪問”をご覧下さい)それは「今こそ日本改革できる英雄を台頭させて下さい」という内容でした。今現在、私が待望する英雄は現れておりません。(口先だけのキャンキャンうるさい知事は何名か表れましたが)ただ政界交代が実現し英雄(救世主)が台頭する素地は整った感があります。西郷先生が天からご努力して下さったか否かは判りませんが今度は私が先生に返礼しなくてはいけません。今は緊張感そして喜びで一杯です。そん私をみて妻はお小言を連発します。「どうして貴方がそんな大それた事をしなくてはいけないの?」と多少、おかんむりです。でも答えは簡単です。 「誰もやらないから」です。妻は大企業に勤務していましたから保守的(思想的にではありません)なのです。私もつねづね「俺は畳の上で死ぬような人生はおくりたくない」と前時代的なことを言いますので警戒しているのでしょう。残念ながら西郷先生の死を「誇り」としたイト夫人と比べ腹の据わり方が足りないですね。既に私の同級生で亡くなっている者も何名かおります。私もいつ事故や病気で命を落しても不思議ではありません。たかが病気で死ぬか信念で死ぬかの違いだと思うのいですが・・・・・・。とはいえ私を除く「北海道南洲会」の会員は危険なことは絶対にしないで下さいね。ともかく人生劇場いざ序幕です。
2009.09.04
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このところ残業続きです。我社は8月が決算月ですので決算用書類作成に追われております。それに決算業務と並行しまして通常業務も当然ながら発生しますから業務内容はいつもの倍になってしまうのですねえ。毎年のこととはいえやはりこの時期は心身ともに疲れます。因みに私の業務内容は経理・総務です。皆さん、私のことを「経理屋」とは認識してくれません。どうしてか口八丁手八丁の営業担当のイメ-ジがあるらしいです。いえいえ私は口下手でデスクワ-クが好きな内向的な男なのですよ。本当は。そういえば西郷隆盛先生も若き頃は経理が担当だったのです。西郷先生のイメ-ジからは想像することは困難ですけど。西郷先生といえばオ-ディションはものの見事に落選しました。映画「半次郎」の西郷隆盛先生役を募集していたあの件です。一応、私は応募しました。まあ仕方ありませんね。演劇経験は全くありませんので。でもそれはそれとしてこの「半次郎」是非とも成功していただきたいです。完成の暁には映画館(シネマ館と呼ぶのが主流でしょうか)に行きますよ。そういえば最後に映画館で観た映画は「ラストサムライ」でした。つくづく鹿児島に縁があります。まあ私は落ち込んでいませんので。おまけに友人からビッグな名品が届きましたし。ますます元気です。その名品というのがこれまた「桐野」です。皆さんご存知ですか?鹿児島で製造されている焼酎「桐野」を。その名の通り桐野利秋さんにあやかり造られた焼酎です。数ヶ月前に私はこの焼酎の存在に気がつきました。早速注文を試みましたが入手不可でした。注文しても簡単には入手出来ないプレミア焼酎に駆け上がっていました。まさに桐野利秋さんの人生そのものです。貴重な焼酎ですから大切な時に開栓したいと考えております。(今はまだ体調が完全ではありませんし)桐野さんの性格同様、爽やかな味なのでしょうね。今から楽しみです。今月の西郷先生の命日には1年ぶりに桐野さん(のお墓)に対面することが出来ます。こちらも爽やかな表情と心境で対話をさせていただきます。
2009.09.03
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